――なんだ、わたしはやっぱり人形だったんだ。 父の仇を討つ。ただそれだけを望み、闇の騎士として戦い続けてきた。実績を上げれば、王に近付く好機が生まれるから。 けれど、それこそがロマリアの狙いだった。ジョゼフ伯父上が死に、ガリアが混乱したところで自分たちの言うことをよく聞いてくれる王を据える。 きっと、その血塗られた王冠を被るのがわたし。あのまま復讐の『道』を進んでいたら、間違いなくそうなっていただろう。 悲劇のお姫さまを気取っていたら、実はただの道化(ピエロ)。操り手の思い通りに動く人形(マリオネット)。イザベラに笑われるのも道理だ。 リュティス旧市街のとある宿の一室で、太公望が『王天君の部屋』と通信機を介して会話しているところを陰から見ていたタバサは、あまりのことに悄然としていた。 昨夜、例の〝夢世界〟でこれまでのことを話し合ったタバサと太公望は、ロマリアの神官が近付いてきたことを早急に王宮――イザベラへ報せる決断に至った。 ここで出遅れたら、それを理由に処罰される可能性があること。 おかしな誤解を与えたイザベラに、他に考える必要のある重要な案件を与えること。 できれば、それをきっかけに歩み寄りができないかどうかを探ること――。 打ち合わせの後、止める間もなく「プチ・トロワに潜入してくる」などと告げて外へ飛び出していった太公望を見送ることしかできなかったタバサは不安を胸に抱きつつ、話しながら出てきたさまざまな「なぜ」「どうして」と戦っていた。 なぜ『交差する杖』を掲げるガリアが、内乱寸前まで乱れたのか。 国を乱さぬために娘を捨てる決断をした父が、どうして王位を争おうとしたのか。 アルヌルフが集めてくれた新聞によると、トリステインでは女王と王女が自ら表に立ち、王政府議会で大勢の議員や聴衆を前に次の王を指名したという。何故、祖父は同じように大勢の貴族――証人がいる場所で伯父上が次期ガリア王だと発表しなかったのか。 どうして臨終の間際に父と伯父の兄弟ふたりだけを呼び出し、密室の中でそれを告げるような真似をしたのか。遺言状を書き、他者に託す余裕があったというのに――。 様々な事実を列挙してみると、不審な点が多すぎる。かつてのわたしには余裕がなかったから、こうして第三者の視点で見、考えることができなかった。しかし、今ならわかる。いかにガリアがねじ曲がってしまっていたのかが。 それからしばらくして太公望が戻ってきた。よく無事で戻ってきてくれたと安堵したが、どうやらお兄さんの手を借りたらしい。それならそれで、前もって教えておいて欲しかった。 不満の表明に、とりあえず杖で一撃入れておく。(いつものことながら、どうして避けないんだろう……) 場にそぐわないことを思いながら報告を受ける。 あっぷぐれいどなるものについてはよくわからなかったが、明日の昼から定期的にお兄さんから〝つうしんき〟に連絡が入るらしい。 ――そして、現在。 通信機の『窓』に映らない位置からイザベラたちのやり取りを聞いていたタバサの瞳に、新たな炎が宿る。 わたしは北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールパルテル)タバサ。「誰に陰謀を仕掛けたのか、思い知らせてあげる」○●○●○●○●○ ――ヴィンダールヴ。 イザベラは当然その名を知っている。ガリア王家に代々受け継がれてきた言い伝え――『始祖』の伝承に登場する使い魔の名だ。「あらゆる獣を操り『始祖』を運んだ――〝神の右手〟」 ジュリオは王女の解答に、微笑みながら拍手を送ることで応えた。「その通り、よく勉強しているね。ほぼ失われつつある伝承だというのに」 言いながら、右手に填めていた白い手袋をするりと外して手の甲を見せた。そこには文字のようなものが刻まれている。「それが〝ヴィンダールヴ〟の印かい?」「ああ、そうさ」 自慢げな表情を浮かべる男の顔を見てピンときたイザベラは、その直感が正しいのかどうかを確認してみることにした。「言い伝えでは〝獣を操る〟って話だけどさ。もしかして、つい最近野良猫を使わなかったかい?」 ジュリオは驚きを露わにした。「よく知ってるね! 実は大公姫殿下とお近づきになりたくて、一芝居打ったんだよ」 どうやら今回の件についてはシャルル派貴族がついていたわけではないらしい。王女は内心、ほっと胸を撫で下ろす。「なるほど。便利なもんだねえ」「そう思うだろう? 残念ながら人間相手には通用しないけど、それ以外の動物ならだいたいぼくの言うことを聞いてくれるよ」「念のため確認するけど、お前はもともとそういう〝力〟を持っていたのかい?」「いいや、違う。使い魔の契約をしてから印(ルーン)を通じて授かったものだよ」「なるほど、教えてくれてありがとうよ」「どういたしまして」 イザベラの脳内をさまざまな情報が駆け巡る。 聖エイジス三十二世、ヴィットーリオ・セレヴァレ。20代の若さでありながら、至聖の座についた人物。セレヴァレ家は『始祖』ブリミルの弟子であり、ロマリア皇国の祖王『墓守』フォルサテの血を受け継ぐ名門だ。 民の救済や汚職神官の追放など、これまでにない政策に取り組んでいるため『新教徒教皇』などと呼ばれ、敬虔な信徒にはともかく神官の評判は良くないと聞いている。(そんな教皇が、人間の使い魔を呼んだ――?) ガリアでは召喚失敗として物笑いの種となり――そうなるように仕組んだのはイザベラだが――従姉妹の陰の支援者たりえる派閥は瓦解した。(ところが、こいつはどうだ? 〝地下水〟の話じゃ、貴族出身の司祭にすら一目置かれている。いくら『始祖』が使役していたのと同じ使い魔を呼んだとはいえ、神官同士で足の引っ張り合いに終始しているロマリアでこんな事実がバレたら教皇の地位が危うくなりそうなもんだが……どうにも引っかかるね) かまかけのつもりでイザベラは問うた。「さすがはブリミル宗教庁のお膝元だ。人間を呼ぶなんて失敗をした教皇に対して寛大なんだね。それとも、そんな些細なことは気にならないくらい聖下は人心を掌握しているのかい?」 途端にジュリオがげらげらと笑い始めた。陰で嘲笑されることには慣れているイザベラだが、こうして正面から馬鹿にされるのは不快極まりない。 王女の美麗な眉が吊り上がるのを見たジュリオは、笑いながらも軽く手を挙げた。「ああ、失礼。敬虔な信者といえども伝承が途絶えている異国では普通の反応だったね。ロマリアの各派教会なら間違っても『失敗』だなんて表現はしないから、つい……」「詳しく話しな。でなけりゃ、その綺麗な顔をギタギタに引っ掻いてやる」「おお怖い! 麗しのレディを怒らせるのはぼくの本意じゃないから、きちんと教えてあげるよ。本来〝召喚〟(サモン・サーヴァント)は、始祖の後継者を探すために造られた魔法なんだ」 得意げに髪を掻き上げるジュリオ。これがまた憎たらしいくらい様になっている。側面の『窓』から「カーッ! 気取りおって、これだから美形は!!」などという叫びが聞こえた気がしたが、イザベラはスルーした。「森の賢者(フクロウ)、炎の化身(サラマンダー)、湖の住人(水の精霊)、空の覇者(ドラゴン)。どれもこれも、使い魔として持て囃される。でも、真に世界を支配するのは彼らじゃない――それは万物の霊長。人類種だ」「人類種?」「そう。自分に近しい存在、意思疎通ができる相手、知恵と勇気をもって世界を広げ、統べる存在をこそ『始祖の使い魔』に相応しい――失敗? とんでもない! もしもシャルロット姫にその気があるなら、ロマリア宗教庁は彼女を『聖女』として迎え入れるつもりさ!」 イザベラは苛立ちのあまりギリッと爪を噛む。ところが、次に飛び出したジュリオの言葉でさすがの彼女も唖然とした。「とはいえ、本当に彼女がそうなのかどうか判断しきれないんだよね。『無能』のほうが本命で、あの無口なお姫さまは予備の可能性が高いし」「どういう意味だい?」「ごめん、少し喋り過ぎて喉が痛くなってきたよ。何か飲み物をもらえるかな?」「ああ、いいとも」 イザベラが手ずからワインをグラスに注いでやると、ジュリオはそれを恭しく受け取り、いっきに飲み干した。「ありがとう、ミス。さて、どこまで話したかな……」「ち……『無能』が本命とかいうところだったよ」「そうそう、思い出した。ちょっと話が前後するけど、理解してもらうにはこれを説明しておかないといけないから、我慢してくれるかい?」「いいとも、おまえの話はなかなか楽しいからね」「うれしいことを言ってくれるなあ。それじゃ、続けるよ」 ――そしてジュリオは語り始めた。世にもおぞましく、残酷な真実を。「例の計画では、シャルル王子に王位を継いでもらう予定だったんだけど……」 予想外の言葉に、イザベラは目を丸くした。「ジョゼフ王子じゃないのかい?」「うん。宗教庁としては、魔法の使えない王を象徴として担ぐわけにはいかないからね。その点、シャルル王子は四属性全制覇の天才。おまけに人当たりがいい――そう言うと聞こえはいいけど、ようは手を貸したらちゃんと返してくれる相手だと見込んだわけさ。ところが! いざ本腰を入れてシャルル王子を支援しようとしたところで、ロマリアに大変な報せが届いた。ジョゼフ王子は魔法が使えないわけじゃない。単に失敗しているだけだ、ってね」 『窓』もといモニターの向こうで冷や汗をだらだら流している太公望。「え、それって何が違うのさ?」「きみはジョゼフ王がどんなふうに失敗するか知っているかい?」「直接見たことはないけど、聞いたことくらいなら。なんでも、どんな呪文を唱えても爆発するんだって……」 陰で耳を澄ませていたタバサも、これを聞いて息を飲んだ。以前立てた仮説は正しかった。伯父上はルイズと同じように才能がありすぎて魔法が成功しないだけだったのだ! ――兄さんはね、いまは目覚めていないだけなんだよ。 父の言葉を思い出す。あれは真実だったのだ……。 ちらと太公望を流し見る。なんのことやらさっぱりわからないといったような表情を浮かべているが、あれは間違いなくポーカーフェイス……単にとぼけているだけだ。おそらく彼はこのことを知っていた。いや、予測していたと言ったほうが正しいだろう。 そうでなければ「兄を〝召喚〟したのがイザベラなのかジョゼフ王かわからない」などという発言は出てこない。(ルイズもわたしと同じように人間を召喚している。たぶん、ジュリオが接近してきたのもそれが関連しているはず。でも彼は秘密にしていた。たぶん、言えない何かがあったから) それに関しても、このジュリオという男が知っているかもしれない。タバサは黙って耳を傾け続けた――。○●○●○●○●○ そこからの流れは、ほぼタバサの予想通りだった。 魔法が爆発するのは〝力〟が強すぎるために系統魔法が暴発しているため。 同じような才能あるメイジがごく稀に現れるが、そのほとんどが己の系統に目覚めることなく、失意のまま世を去っていること。 偶然ロマリアの情報網に掛かった者が〝始祖の後継者〟として育成されてきたこと。「過去の記録によると『大王』ジュリオ・チェザーレもそのひとりらしいよ。彼はその〝力〟でハルケギニアを統一し、いずれは『聖地』を奪還しようとしていた。残念ながら、その計画は途中で頓挫したらしいけど。彼が成功していてくれれば、ぼくたちは苦労しないで済んだのになあ」 掛け値なしの本音なのだろう。ジュリオは肩を落とし、大きくため息をつく。「そういうわけで、ジョゼフ王子は彼と同じ〝力〟を持っている可能性が高まった。そうとなれば話は別さ。ロマリアとしては、何としても彼に戴冠してもらわなければならなくなった」「……よくわからないね。お前たちにとって都合がいいのはシャルル王子だったんだろう? 別にそっちを王座につけて、ジョゼフ王子はロマリアに招けばいいだけの話じゃないか」「うん、本当ならそれでよかったんだけどね……聖フォルサテの系譜が代々受け継いできた〝炎のルビー〟が盗難に遭ったせいで、ロマリアで彼の封印を解くことができなくなったんだ」「封印?」「きみは、各王家に伝わる〝始祖の秘宝〟について知っているかい?」「一応はね」 ガリア王家に伝わるのは〝土のルビー〟と〝始祖の香炉〟だ。指輪は王権の証として歴代の王が填めてきたものだが、香炉の存在価値がいまいちわからない。何せ、香を焚いても香りがしないのだから。イタズラにしても手が込みすぎている。「話が簡単になって助かるよ。ところで、どうしてあの指輪がルビーと呼ばれているかわかるかい? 炎のルビーは赤い石だからまだ理解できるけど、他はみんな紅玉とはかけ離れているよね」「そういえば……」 父の指に填っている〝土のルビー〟は美しい琥珀色だ。しかし、どうしてそれがルビーなどと呼ばれるのか、その意味を深く考えたことはなかった。「あれは全部『始祖』の血を元に創り出されたもので、最初は全部赤く染まっていたんだってさ。だからルビーと呼ばれているんだよ」「知らなかったわ! お前は本当に物知りだねえ。他の秘宝についても詳しいのかい?」「まあね。三王家と聖フォルサテの血筋に伝わる秘宝――土のルビーと始祖の香炉。風のルビーと始祖のオルゴール。水のルビーと始祖の祈祷書。炎のルビーと始祖の円鏡。指輪と対になるこれらの品々は『始祖』ブリミルが遺した魔法書であり――その意思を継ぐ素質ある人物に掛けられた、封印を解く鍵でもあるんだ」「始祖の魔法……? ま、ま、まさか」 ここまで言われて気付かないようでは『北』の主は務まらない。イザベラの心臓が、早鐘のように高鳴る。そんな彼女を見て、ジュリオは星のように輝く笑みを浮かべた。「答え合わせをしてみようか。さあ、きみの考えを教えてくれるかい?」 ゴクリと喉を鳴らす。声を震わせながら、イザベラは己が答えを紡ぎ出した。「失われし第五の系統……〝虚無〟の魔法書。それが、あの秘宝の正体だってのかい……?」 静まりかえった『部屋』の中に、ぱちぱちと拍手の音が響き渡る。「その通り! 無能呼ばわりされていた王子さまが、実は『始祖』の再来になれる素材だったってわけさ。笑えるだろう? 派閥同志で争った貴族たちも、噂に踊らされて情報収集を疎かにした先代の聖下も……みんな揃ってただの道化(ピエロ)だ」 何だそれは。全然笑えない。もしもその事実が公になっていたとしたら――元々仲の良かった兄弟は互いに協力し合う道を選んだことだろう。ガリアはふたつに割れずに済んでいたではないか! ……奇しくもガリア王家の血を引くふたりの少女の想いがひとつになった瞬間だった。「ガリアの戴冠式では王冠を被せられる前に、まず〝土のルビー〟を填めてから〝始祖の香炉〟を焚くだろう? ジョゼフ王が本物なら、戴冠式の時点で声を聞いているはずなんだ」「声?」「もちろん『始祖』の声さ。〝虚無〟の資質を持つ者が四系統の指輪を填めてあの香炉を焚くと、香りの代わりに始祖の御言葉が身体に染み込む。そして虚無の系統に目覚め――魔法が使えるようになる。そういう仕組みになっているんだよ」 イザベラの、タバサの全身が、震えた。「なんで……」「どうかしたかい?」 叫び声を上げたのはイザベラだった。「なんで、そんな馬鹿げた仕組みになってるんだい? 最初からそういうモノだって伝わってれば、あんたたちの言う目的とやらはもっと早くに達せられただろう!?」 タバサは唇を噛み締め、無言のまま静かに涙を流していた。イザベラの言うとおりだ、どうしてそんな大切な情報が失われていたのだろう。 もしも。もしも、その伝承が現代にも残されていて――伯父上が〝虚無の担い手〟として覚醒していたとしたら。そんなifが少女の脳裏をよぎる。 ――祖母は狂わず、ふたりの兄弟を等しく愛していただろう。 イザベラはわたしを〝人形〟ではなく、エレーヌと優しく呼んでくれていて。 ラグドリアン湖の屋敷では仲の良い兄弟が、将棋盤を前に考え込んでいる。 蘇りし〝虚無〟の王を支えるは、四系統全制覇の弟。 ガリアは魔法大国の地位を確立させ、歴史上最も繁栄する時代が訪れたはず―― しかし、現実は覆らない。失われた命も、時計の針も戻せはしないのだ。その事実がただただ悔しく、悲しく、やるせなかった。 〝つうしんき〟の向こうではイザベラが激しい口調で詰問している。けれど、あの神官は全く動じていないようだ。それが〝地下水〟に握られている証なのだろうが、タバサは無性に腹が立った。 少女たちの思いなどつゆ知らぬジュリオの軽い声が『部屋』に響く。「だよね、ぼくも本当にそう思うよ! そんな大切な話を残しておかないなんて『始祖』ブリミルはヌケてるんじゃないかって。けど、どうもそうじゃなかったらしい」 目で先を促すイザベラ。「聖下もそれが気になったらしくて、以前視たことを教えてくれたよ。秘宝自体は『始祖』が遺したものらしいけど、仕組みが失われるように仕向けたのは聖フォルサテなんだそうだ」 ロマリアの祖王が〝虚無の魔法書〟の存在を意図的に人々の記憶から失われるように仕向けた。その件も気になるところだが、それ以上に注意しなければならない発言があった。「聖下が視たってどういうことだい?」 過去の記録を読み取るような魔法は、少なくとも四系統には存在しない。そんな魔道具のことも寡聞にして知らない。ところが、ジュリオはあっさりとその疑問に答えた。「ああ、聖下の持つ虚無魔法に〝記録(リコード)〟っていう呪文があってね。物品が造られてから現在に至るまでの歴史を、その場にいたかのように再生することができるんだ」 しばしの間を置いて。「え? え? 聖エイジス三十二世が……虚無!?」「あれ? 言わなかったかい?」「初耳だよ!」「ごめんよ、てっきりもう話していたとばかり……」 所在なさげにぽりぽりと頭を掻くジュリオ。本気で話し終えていたとばかり考えていたらしい。 かたやイザベラはというと、これまでの事情がすとんと胸に納まったような感覚に囚われていた。陰謀渦巻くロマリア宗教庁の頂点に、二十代の若さで就けた事情。〝始祖の使い魔〟を名乗ったこの男が、ここまで過去の事情に詳しい訳。従姉妹が『聖女』候補と目されている理由。 全て、ヴィットーリオ・セレヴァレという人物が〝虚無の担い手〟ならば納得できるのだ。 と、そんなところへ割り込んできたのが王天君だ。「なぁおい。その〝記録〟とかいうモノが本当に実在するなら、コイツをここに連れ込んだことがバレるんじゃねえのか?」 イザベラは愕然とした。言われてみればその通りである。「オメー、ジュリオとか言ったな。その魔法は物品の記憶を視るって話だったが……生物にも有効なのか?」「きみは……エルフかい? ちょっと変わった種族みたいだけど」「んなこたぁどうでもいい。質問に答えろ」「理屈はよくわからないけど、少なくとも人間にはうまく働かないらしいね。聖下の話では、ひとの記憶はそのときの状況や受け止め方次第で大幅に変わるものだから、信用に値しないんだとか。取り調べやら尋問に使えれば便利なのに、うまくいかないものだってぼやいてたよ」「つまり、できなくはないんだな」「うん。でも、使うたびに結果が変わるから意味がないんだってさ。半月前には『黒』だって記憶していたものが、次に視たときは『白』になってるなんて普通らしいから」「なら、たとえば〝意思〟を持つ道具なんかが対象だとどうなるんだい?」 イザベラの質問に、ジュリオは首を傾げた。「どうなんだろうね。試してみたいとは仰っていたけど、とにかく〝虚無〟は消耗する〝精神力〟が膨大で、そうやすやすと唱えることができないそうだよ。〝記録〟の魔法を一回唱えるだけで、半月分の〝力〟を消耗するらしいし」 それに……と、月目の少年は続ける。「〝意思剣〟なんて、そうそう手に入るものじゃないからね。あの類の品々は、先住魔法じゃないと作れないものだから」 今日は一体どれだけの爆弾が落とされただろう。イザベラは頭痛を通り越して目眩がしてきた。「〝地下水〟。お前は生みの親を覚えているかい?」『いいや全く。嘘じゃありませんぜ、あんまりにも昔過ぎて記憶から引っ張り出せないんでさ。ところで……』「なんだい?」『そろそろこの男を帰す準備をしないとまずいですぜ。物品から記憶を読み取られるってことなら、なおさらでさあ』 〝地下水〟の調査によると、このジュリオ・チェザーレはいつもこの時間帯に町中を散歩するのが習慣化しているらしい。そして、あと一時間もすると夜の礼拝のためにボン・ファン教会へ戻るのだとか。『幸いなことに外は大雨ですからね。ずぶ濡れになった外套や服を始末する理由付けはいくらでも作れます。問題はこの剣ですが、そのへんはこちらで何とかしましょう』「わかった。処分にかかった費用はわたしに回してちょうだい」『承知しやした』 馬鹿丁寧に(ジュリオの身体で)お辞儀する〝地下水〟に頷いて見せると、彼らを立ち去らせた。ふたりの姿が消えた途端、イザベラは全身をソファーに沈み込ませる。「まだまだ聞き足りないことが沢山あるんだけど、なんていうか頭の中をぐしゃぐしゃに掻き回された気分だよ……悪いけど、今日はこれで解散ってことでいいかい? ああ、タイコーボー。あとでちゃんと礼をするから何が欲しいか考えておいてくれ。ただし〝騎士〟(シュヴァリエ)の位を返上するってのは無しだからね」「ちッ」 その言葉に舌打ちする太公望。イザベラは疲れたような笑みを浮かべた。「お前、ほんとに欲がないんだねえ……貴族の地位があれば、大抵の国で困らないのにさ」「代わりに生じる義務があるではないか!」「まあね。わたしだって、たまには王族じゃなけりゃこんな苦労しなくて済んだのかなあって考えることはあるし、気持ちはわからなくもないよ。けど、その爵位は父上から与えられたモンだ。わたしが勝手に取り消すなんてできやしないんだよ」 イザベラはソファーに寝そべりながらそう太公望に告げた。「ならば、何か考えておくことにしよう。おぬしも、今は頭の中を整理したいであろう?」「ああ。わかってくれて助かるよ」 このやりとりを最後に、ふたりの姫君の人生を根本から覆した催しはひとまず終了した。奇しくもその夜、ガリアの王都は彼女たちの内心を表すかのような猛烈な嵐に見舞われた――。○●○●○●○●○ ――王天君の『部屋』でガリアを揺るがす告白がなされていたころ。 トリスタニアの王宮も派手に揺れていた……こちらは物理、いや魔法的な意味で。「か、カリーヌ! だからルイズにはわし、いや余がよく言って聞かせるから……」 国王サンドリオン一世が、かたかたと震えながら妻を静止する。「そうやってあなたが甘やかすから、王命で待機を指示していたにも関わらず、この娘は竜に乗って戦場へ出るなどという馬鹿なことをしでかしたのです! よりにもよって一国の王女を、手柄を挙げさえすれば法を破ってもよいなどという前例にするわけには参りません。そのくらい理解しておられるでしょう!?」「そ、それはそうかもしれんがな、ものには限度というものが」 ぶわりとカリーヌ王妃の周囲に風が巻き起こる。「それが甘いと言うのです! 国民の模範となるべき王がそんなことでは歴代の国王陛下や『始祖』ブリミルに申し訳が立ちませぬ!!」「ごめんなさい!」 妻の迫力に気圧されたサンドリオン王はずざざざっと音を立てて後ずさった。そんな彼が見つめる先で、愛してやまぬ三人の娘のうちのひとりが暴風に巻き込まれ、くるくると宙を舞っている。その余波で王宮の庭に植えられた草木が激しく揺れており、まるで嵐のような有様だ。 王から数メイル後方に控えていた近衛たちがひそりと呟く。「へ、陛下……戦場におられたときはなんと頼りになるお方だと感激したものだが」「いや、あれは無理もない」「ああ。王妃殿下の意向に逆らうなど、杖無しで火竜に挑むようなものだ」「不敬だぞ、お前たち」 全魔法衛士隊を束ねる男が小声で部下たちを叱咤する。 その人物に、ヒポグリフ隊の若き隊長がおそるおそる声をかけた。「ド・ゼッサール殿……」「あれが『烈風』隊長だよ、きみ」 それに答えたド・ゼッサールの巌のような身体がぷるぷると震えている。 若かりし頃に『烈風』カリン率いるマンティコア隊に在籍していた彼は、元隊長の厳しさをよく知っている。当時受けた苛烈な訓練を数ヶ月に一度のペースで夢に見てしまい、全身にびっしょりと汗をかいて真夜中に飛び起きる程度には。「噂半分に聞いていたのですが」「アレは全て真実だと納得できただろう?」「はい。身内にすら容赦しない『鋼鉄の規律』。しかと見届けました……」「わかったのなら、そろそろ無駄口を叩くのをやめたまえ。でないと、次にああなるのは君だ」 騎士たちの視線の先で、ぼろ雑巾のようになった第三王女ルイズが芝生の上に倒れ伏している。 ――一方その頃。 才人はそんな彼女を、王宮内のとある一室から見守ることを余儀なくされていた。「俺、どうしてここにいるんだろうな」 窓枠にかけていた手をぎゅっと握り締める。本当は、すぐにでもあそこへ駆け付けたい。けれど、それを許してくれない人物が彼の真後ろに立っていた。「あなたの気持ちはよくわかるわ、わたしだって今すぐ止めに行きたいもの。だけど……」「カトレアさ、姫殿下」「周りには他に誰もいないから、そんな風に畏まらなくても平気よ」「すいません。もともとは俺が……」 その先を言わせまいとするかのように、カトレアは人差し指を唇に当てた。「責はあの子がひとりで負うって決めたの。その気持ちを大切にしてあげて」「理解は……してます」「でも、納得はできないのね」 カトレアの問いかけに、才人は唇を咬む。 吹き荒ぶ烈風の煽りを受けた窓枠が、カタカタと音を立てて揺れる。一枚のガラス板に隔てられたこの部屋と、ルイズのいる庭までの距離は目と鼻の先だ。 しかし、今の才人には見た目にはすぐ側であるはずの場所が、これまで当たり前のように立っていたルイズの隣という位置が、地上と月……いや、ハルケギニアと地球よりも離れてしまったように感じていた――。