――明けて翌朝。 太公望が目を覚ますと、真上から己の顔をのぞき込んでいたタバサと目が合った。「やっと起きた」「……いつもと変わらぬ時間のはずだが」 太公望はよっこらせ、というかけ声と共に身体を起こし、上半身を伸ばした。そしてようやくタバサのほうに視線を向けると、既に着替えを終えていたらしい彼女は、膝を揃えて畳み、彼の枕元に座っていた――『杖』を持って。 そういえば。昨日の夜、彼女と試合することを承諾していた。まさか、これから一戦やりたいなどと言い出すのではあるまいな。太公望は、内心冷や汗をかいた。 彼はふと、崑崙にいた仲間のひとりである宝貝人間を思い出す。自分より強い者を見ると、見境なく挑みかかるバトルマニア。タバサは彼のようなタイプではないと思うのだが……いや、そういえばめったに感情を表さないことといい、言葉少なであることといい、微妙に特徴がかぶるというか……。 高位の<風使い>などと言ってしまったのは失敗だったかのう……と、思わず頭を抱えそうになった太公望を思考の谷間から引き戻したのは、彼の寝間着の袖を掴み、くいくいっと引くタバサ。「早く着替えて」「いったい、何をそんなに急いでおるのだ?」 内心、頼むから早く戦いたいとか言わないでくれ……と願っていた太公望だったが、その祈りはどうやらこの世界の『始祖』に届いていたようだ。「もうすぐ、日が昇る」 すっ、と窓を指差したタバサがぽつりと言い、太公望の目をじっと見つめる。「空」 ああ、そういうことか。太公望は理解した。「わしの背中に乗って、日の出が見たいと?」 こくこくと首を小さく前後に揺らすタバサ。こんな、玩具箱を目の前にした幼子のような態度で頼まれてしまっては、さすがの彼も断れない。苦笑いをして頷く。「すぐ支度する。待っておれ」 ――それから数分後。ふたりは窓の外へ飛び出した。○●○●○●○● ――それは、まさに幻想的な光景だった。高度3000メイル。地平線の向こうから顔を出す太陽は、神々しいまでの輝きを放っていた。遙か下界に望む魔法学院は、まるで玩具の城のようにこじんまりとして見える。 頬に当たる風が心地よい。風竜もかくやという速度で飛び続けているにも関わらず、向かい風の影響がその程度にしか感じられないのは、彼が周囲に張っているシールドのおかげだろう。 タバサは、本気で驚いていた。まさか<フライ>でこれほどの速度が出せるとは、思ってもみなかったのだ。そして考えた。自分という『荷物』を乗せてなお、この速さを維持できるということは、ひとりで飛んだら……たとえ風竜の全力をもってしても、彼に追いつくことは敵わないのではないだろうかと。 この<力>を借りることができたら――そこまで考えて、彼女は思い直した。確かに彼はわたしの使い魔だ。しかし『事故』で無理矢理言葉すら違う異郷へと連れてこられた無関係の人間でもある。こうして側にいてもらえるだけでもよしとしなければいけないのだ。 それに……彼は争いを好まない。だからこそ、これまで自分の力量をひた隠しにしてきたのだろう。にも関わらず、手合わせを了承してくれた。スクウェアクラス、しかも異国のメイジと杖を交えることができるなど、得難い機会。そして、彼はほぼ間違いなく実戦を経験している。そんな相手と戦い、語り合うだけで、いったいどれほどのものが得られるか――それ以上を求めるのは、いくらなんでも贅沢というものだ。思わず、太公望の肩を掴んでいた手に力が込もる。「どうした、もしや寒くなってきたかのう?」 返ってきた反応は、暖かかった。「大丈夫、なんでもない」 タバサは思った。これで充分。こんな風に空を飛べただけで――。 その後10分ほど空中遊覧を楽しんだふたりは、ゆっくりと寮塔5階にある自室へと舞い戻った……のだが。 またもや<アンロック>で部屋に突入していたキュルケ・ルイズ・才人の3人――キュルケと才人はタバサ同様、空への誘惑に抗えず待ちかまえていたらしい。ルイズは別の用件があったようだが――に見咎められてしまい。太公望はさんざん理屈を突きつけられた挙げ句、何度も空と地上を往復させられる羽目になり。 ――全員が満足するまで飛ばされ続けた太公望は、その後夜まで起き上がれなかった。○●○●○●○● ――太公望が召喚されてから2回目の虚無の曜日、その夜。 トリステイン魔法学院の本塔。その外壁に、漆黒のローブを纏った人物が『垂直に』立っていた。壁に靴底をつけ、悠然と佇むその姿には、ある種の風格すら漂っている。「情報じゃ、物理攻撃が弱点らしいけど……こんなにぶ厚かったら、ちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないねえ」 その不審者は、足の裏から伝わってくる感触で塔外壁の状態を調べていたのだった。「確かに<固定化>の魔法以外はかけられていないようだけど……」 新たに<錬金>を重ね掛けすることによって、それを無効化しようとしたのだが、一切掛からなかった。 おそらく『スクウェア』クラスのメイジが、この壁に<固定化>を施したのであろう。それよりもワンランク落ちる『トライアングル』たる自分には、到底手が出せない。壁の上に立つ人物は、そう判断した。「とてつもない試練を乗り越えて、やっとここまで来たってのに……ッ!」 小声でそう呟きながら、ぎりっと歯噛みする。「かといって『破壊の杖』を諦めるわけにゃあいかないね……」 その場で腕を組み、深く悩み始めたこの人物こそ……今宵の主賓である。ただし、頭に『招かれざる』という注釈がつくのだが。 ――いっぽうそのころ。タバサの部屋では騒動が持ち上がっていた。「この状態のわしにモノを頼もうなどとは……おぬしは鬼か」 寝床の中から上半身だけを起こした太公望がぼやく。部屋の主であるタバサも、珍しくその瞳にはっきりとした怒りの色をたたえている。「そ、それは、や、やりすぎちゃったとは思ってるんだけど」「思ってるだけかい!」 ガーッ! と、大口開けて威嚇する太公望の姿にさすがに焦ったのであろう、才人は、主人のマントの裾を掴むと、軽く引っ張った。「ごめん、やっぱ無理だよな。ほら、帰るぞルイズ」 今回騒ぎを持ち込んだのは、ルイズと才人の主従であった。せっかくの虚無の曜日、太公望の気が変わらないうちに、東方の技(?)で自分の魔法について調査してもらいたい……。 そう考えたルイズは、彼と仲の良い才人を連れて、朝早くにタバサの部屋を訪れたのだが。キュルケと才人たちの悪ふざけに乗っかってしまった上に、空を舞う楽しさにうっかり我を忘れた結果……肝心な用件を伝える前に、太公望は倒れてしまったのである。「まあ、おぬしの事情はわかった。約束だからのう、わしなりに調べてやってもよい」「ホント!?」 ぱっとルイズの顔が輝く。「だが、さすがに今日のところは無理だ。回復し次第見てやるから、しばし待て」「そ、そうよね。あ、えっと……ごめんなさい」 素直に詫びるルイズの姿に驚いた才人とタバサが目を丸くする。そんな彼らを見て、さすがの太公望も怒る気が失せたらしい。やれやれ、と疲れたように口を開く。「だが、過度な期待は禁物だぞ。これまで誰にも失敗の原因がわからなかったおぬしの魔法について、わしが正しく答えられるとは限らぬのだからな。むしろ、解明出来なくて当たり前。そのくらいの覚悟はしておいて欲しい」 その言葉に、ビクリと身体を震わせるルイズ。しかし、気丈にも声を絞り出す。「……ええ。王立アカデミーの研究室にいる姉さまにもわからなかったんですもの。覚悟はできているわ」 その答えに満足したのか、太公望はしっかりと頷いた。「ならば……」 ドゴォォォオオ……ン。 だがしかし、その言葉は外から聞こえてきた突然の轟音によってかき消される。いち早く異変に反応し、窓の側へと駆け寄ったタバサは見た。 ――本塔のすぐ側。月明かりの下に、巨人が顕現しているのを。○●○●○●○● 突然の轟音と、部屋にまで響く衝撃に驚いたタバサは、急いで外を見た。そして確認した。本塔脇の中庭に、巨大なゴーレムが立っているのを。あれは、まさか……。「土くれ」「何だ、それは」「最近、この国を中心に暴れ回っている盗賊。あなたはそこにいて」 未だ起き上がれない太公望へそう告げると、タバサは杖を持って、窓から勢いよく空へ飛び出した。だが、そのとき部屋から飛び出したのは――窓ではなく廊下の扉からだったが――タバサだけではなかった。ルイズは『土くれ』という名前にいち早く反応していた。 彼女は、その名を聞いたことがあった。強力な土魔法を用いて、頑丈な建造物や金庫の壁をただの土塊に変え、奥に納められた魔法の宝物を盗み出すという、神出鬼没の大怪盗――それが『土くれ』のフーケだ。とある貴族の屋敷に伝わる家宝のティアラを盗んだとか、王立銀行を白昼堂々襲撃したといった噂話が、まことしやかに流されている。 ただし、どんなに金を持っていても、平民の元へは決して押し入ることなく、あえて貴族の財宝だけを狙うことから、一部の平民たちからは『義賊』などと持て囃されていた。それがまた、貴族たちにとって癪の種となっている。「『土くれ』がここに来たってことは……!」 魔法学院本塔にある宝物庫狙いに決まっている。なら、自分がするべきことはひとつしか考えられない。ルイズは、中庭へ向かって駆け出した。そんな彼女を、才人は慌てて呼び止めた。「おい、どこ行くんだよ。まさか……」「そのまさかよ」「あんなデカいの、お前ひとりでどうするっていうんだ!」 慌てて制止しようとする才人を振り払う。「貴族は、そのためにいるのよ!」 彼女のどこまでもまっすぐなその姿勢は、才人にはとても眩しく見えた。ルイズの手助けがしたい――彼はこのとき初めて、心の底からそう思った。「使い魔は、主人の盾になるんだろ。デルフ取ってくるから、出口で合流しようぜ」 そして、すぐさま相棒を背負って玄関へ駆けつけた才人と、同じく外の轟音に気がついて駆けつけてきたキュルケを加えた3人組は、互いに憎まれ口を叩きつつも、ばたばたと事件現場へ向かって急行した。 ――結論から言えば、彼らの行為は無駄にはならなかった。ただ残念なことに、怪盗捕縛という結果ではなく、より事態を複雑にしてしまったという意味において……だが。「くそッ、ここで諦めてたまるもんかい!」」 『土くれ』の2つ名で呼ばれ、トリステイン国内はおろか、隣国までその名を轟かせる大怪盗フーケは、珍しく焦っていた。 ウルの月――フレイヤの週、虚無の曜日。 この日、学院長のオスマン氏が所用でトリスタニアの街へ出向く。学院最高責任者にして、いちばんの使い手である彼が、1日中不在となる――その情報を元に、決行の日を定めたはずだったのだが……想定以上に、目標のガードが堅かった。 得意の<錬金>は、やはりこの宝物庫を護る壁には通用しない。しかし、この場でぐずぐずしていたら、人目に付く危険性がある。こうなれば最後の手段とばかりに、フーケは人型のゴーレムを生成した。全長30メイル、土製とはいえ城攻めすら可能な『土くれ』自慢の巨大ゴーレムだ。 そのゴーレムの拳で、目的の場所――宝物庫の外壁を殴る。殴る。殴る。だが、ビクともしない。拳の部分を鉄に変えて、さらに衝撃を与え続けてみた。が、ヒビひとつ入れることができない。「ちッ。逃走後のことを考えると、これ以上<精神力>を使うのは危険だ。悔しいけど、引くしかないのか……?」 その時、思わぬ事態が発生した。突如、ゴーレムの脇――1メイルほどの位置が大爆発し、そこに亀裂が入ったのだ。しかも、ご丁寧に周囲の<固定化>まで解除されている。即座にそれに気付いたフーケは、ニヤリと嗤った。「誰だか知らないが、ご協力感謝するよ」 このチャンスを見逃す手はない。生じた亀裂めがけてゴーレムの拳を振り下ろす。バカッという音と共に、人ひとりが通り抜けられるほどの穴が開いた。フーケはゴーレムの腕を伝い、宝物庫内部へと進入した。中にはたくさんのお宝――<マジック・アイテム>が納められていたが、今回の目標はただひとつ。さまざまな杖が立て掛けられた一角。その中に、どうやっても杖には見えない品がある。フーケは、それを手に取ると、急いでゴーレムの肩に飛び乗った。 去り際に、杖――今回持ち出したブツではなく、愛用のものをさっと一振りすると、宝物庫の内壁に文字が刻まれた。 『破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』 そして、フーケは闇夜の中へと消えていった――。「あれは、どういうこと?」 窓から飛び出した後、ゴーレムからの死角となる建物脇の植え込みに身を隠しつつ、密やかに件の巨大ゴーレムへ接近しつつあったタバサは、突然の事態に眉をひそめた。 それまで、巨大ゴーレムの攻撃にびくともしなかった本塔外壁。そこにルイズの失敗魔法が――ゴーレムの肩に乗っていた人物に当てようとして外したのだと思われるそれが直撃した瞬間。あれだけの強度を誇っていた壁に、大きな亀裂が走ったのだ。ついに攻撃に耐えられなくなったのか? それにしては――。 いや、検証している場合ではない。今自分が行うべきは、早急にゴーレムを使役しているメイジ――おそらくは、あの肩に乗っている黒いローブを纏った人物。それを確保することだ。タバサは即座に思考を切り替え、行動に移った。 だがしかし、その作戦は失敗に終わってしまった。何故なら、それから間もなくして目標物――巨大ゴーレムが突如音を立てて崩れ落ち、それと共に舞い散った大量の砂煙が、彼女の視覚を完全に遮ってしまったからだ。 視界が晴れると、そこには堆く積み上がった土――元はゴーレムであっただろうそれが小さな山を形成しており、黒いローブを着たメイジの姿は、跡形もなく消え去っていた。○●○●○●○● ――翌朝。トリステイン魔法学院は、喧噪に包まれていた。 魔法学院内で厳重に保管されていた秘宝『破壊の杖』が、昨今噂でもちきりの怪盗『土くれ』のフーケによって盗まれてしまったからである。しかも、巨大なゴーレムを用い、その腕力でもって保管場所の壁を破壊するという、大胆不敵な方法によって。 事件現場となった宝物庫には、学院中の教員たちが集まっていたが――事態は昨夜から何ひとつとして動いていなかった。何故なら……。「衛兵は何をしておったのだ! やはり平民など当てにならん」「それより、当直の貴族は誰だったのだね!?」 と……彼らはこんなふうに、ずっと責任のなすりつけあいに汲々としていたからだ。 ――わたしたちは、何のためにこの場へ駆り出されたのだろう。 タバサは冷めきった目で周囲を観察していた。なにせ、昨夜の事件を目撃した者のひとりとして招集を受けたにもかかわらず、未だに事情聴取すら行われていないのだから。 同じく呼び出された面々はと見ると、キュルケは欠伸をかみ殺した表情で側の壁に寄りかかっていて。才人は物珍しそうに辺りを見回しており。ルイズは俯いて、小さく肩を震わせていた。こんなことなら、彼を部屋に残してきたほうが良かったかもしれない。自分の横に腕を後ろ手に組んで立つ、未だ顔色の優れぬ太公望に、タバサは心の中で詫びた。 それから約10分ほどして――その日の当直であったにも関わらず、部屋で眠ってしまっていたミセス・シュヴルーズが槍玉に挙げられたちょうどその時、押っ取り刀でトリスタニアの街から戻ってきたオスマン氏が現れた。唾を飛ばしながらシュヴルーズを責める貴族たちを一瞥した後、彼はこう述べた。「この中で、まともに当直をしたことのある教師は、いったい何人おるのかな?」 コルベールが軽く片手を挙げた以外、誰も反応しない。それどころか、顔を伏せて目立たぬようにする者までいる始末。唯一応えたコルベールが、逆に驚いている。「さて、これが現実じゃ。責任を追及するというのなら、コルベール君を除く全員……もちろんわしも含めて、ということになる」 宝物庫の中に、重い沈黙がのし掛かる。「皆、この魔法学院が賊に襲われるなどとは思ってもおらなんだ。なにせ、国内で王宮の次に多くのメイジが集っておる施設じゃからのう。しかし、その認識が間違いだったということは、これが証明しておる」 オスマン氏は、宝物庫の壁に開けられた穴に目をやった後、再び視線を室内に戻す。「で、犯行の現場を見ていた者達がいると聞いてきたのだが?」「この3人です」 オスマン氏の質問に、コルベールが前へ進み出て応える。自分の後ろに控えていたタバサ・ルイズ・キュルケの3人を指差した。才人と太公望も側にいたが、才人は使い魔なので数に入っておらず、そもそも太公望はただの付き添いなので、目撃者ではない。「ほほう……君たちかね」 オスマン氏は、興味深そうに才人と太公望を見つめた。才人はどうして自分がじろじろ見られているのかわからず、しかしどうやら相手が偉い人物だということは理解していたので、姿勢を正して畏まった。太公望はというと、一瞬ピクリと眉を動かしただけで、特に何もしなかった。 その後、ようやく事情説明に入る。代表として前へ進み出たルイズから、襲撃当時の状況について詳しい説明を受けたオスマン氏は、深々とため息をついた。「後を追おうにも、手がかりなしという訳か」 立派な白髭を撫でつけながら何事かを考えていた彼は、ふとこの場にいるべき人物の姿が見えないことに気がついた。「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」 本来、オスマンの補佐をしてしかるべき彼の秘書、ミス・ロングビルがいないのだ。その場にいた教師たちに行方を尋ねるも、要領を得ない答えが返ってくるのみ。一体彼女は何をしているのか……。 と、まさに『噂をすれば影が差す』という諺を実証するようなタイミングで、問題の秘書ミス・ロングビルが姿を現した。「申し訳ありません、今朝から調査しておりましたの」 彼女曰く。朝起きたら学院中が針でつついたような騒ぎになっていた。何事かと駆けつけてみれば、本塔に明らかな異変があり。もしやと思い宝物庫へ急ぐと、壁に書かれたフーケのサインを見つけた。これは国中を騒がす大盗賊の仕業かとおののきながらも、自分にできる仕事――事件の調査を開始したのだという。「仕事が早いのう、ミス。で……結果は?」「はい。フーケの居所がわかりました」 室内中から、おおっという感嘆の声が漏れる。「どこからそれを調べ上げたんじゃね? ミス・ロングビル」「はい、近隣の農民たちから聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒づくめのローブの男を見たそうです。おそらくですが、そのローブを着た男がフーケで、廃屋は彼の隠れ家なのではないかと判断しました。ですので、こうして急ぎお知らせをと」 それまで後ろに控えていたルイズが叫んだ。「黒ずくめのローブ!? それはフーケです、間違いありません!!」 オスマン氏は、目に鋭い光を宿し、ロングビルに尋ねた。「そこは、近いのかね?」「はい、徒歩で半日。馬で4時間といったところでしょうか」 それを聞いた教師たちが、口々に叫び出す。王室に報告して、兵を差し向けてもらうべきだと。しかし、オスマン氏の考えは違っていた。彼はため息をついて首を振ると、教員たちを一喝した。年齢にそぐわぬ大音声であった。「馬鹿もの! 己の身にかかる火の粉を払えぬようで、なにが貴族じゃ! 魔法学院の宝が盗まれたのだから、これは魔法学院の問題じゃ。当然我ら自身の手で解決する!!」 ミス・ロングビルは微笑んだ。まるで、この答えを待っていたかのように。○●○●○●○● ――ルイズには、現在の状況が不思議でならなかった。 ここに勢揃いしている教員たちは、全員が『トライアングル』以上の優秀なメイジだ。入学式のとき、そのように説明を受けた。つまり、落ちこぼれで、いつも魔法を失敗してばかりいる自分などよりも、ずっと優れた『貴族』であるはずなのだ。 にも関わらず、学院長がフーケ討伐隊の有志を募っているというのに、誰も杖を掲げ、我こそはと名乗り出ようとしない。それが、ルイズには全く理解できなかった。何故なら彼女は、幼い頃からずっと、「貴族は民の模範たるべき存在であり、決して敵に後ろを見せてはならない」 そのように親から教わり、育てられてきたからだ。 気がつくと、ルイズは――自分の顔の前に、すいと杖を掲げていた。「ミス・ヴァリエール! あなたは生徒じゃないですか。ここは教師に任せて……」 ミセス・シュヴルーズが驚いて彼女を思いとどまらせようとしたものの。「誰も掲げないじゃないですか」 ルイズの反論を受け、黙り込んでしまった。そんなやり取りがあってもなお、誰も杖どころか声ひとつ上げない。 どうして? わからない。昏い感情が渦のようになって、ルイズの心の中でぐるぐると廻っていた。いいわ、それなら……わたしひとりでも。そう言葉を紡ごうとした途端、1本の杖が掲げられた。「ふん、ヴァリエールには負けられませんわ」 キュルケだった。 ツェルプストー家の女。ヴァリエール家にとっては、数百年以上も前から国境を挟んで睨み合ってきた、憎き仇敵……そのはずだ。そんな彼女につられたように、もう1本、杖が掲げられた。今度はタバサだ。「心配」 ルイズはふと思い当たった。そういえば、最近はよく彼女たちと行動を共にしてきた気がする。ついさっきまで、どす黒い感情が渦巻いていたルイズの心の内に、ほんのりと暖かい何かが灯った。「ありがとう……」 ルイズの口から、自然と礼の言葉が紡ぎ出された。 そんな彼女たちの様子を見ていたオスマン学院長の表情が緩んだ。オールド・オスマンは小さく笑って、少女たちに向かって言った。「そうか、それでは君たちに頼むとしよう」 ――わたしは、この期待に応えたい。そのためには、なんだってしてみせる。ルイズは心の中でひとり静かに誓いを立てた。「そんな! わたくしは反対ですわ! 生徒たちを、そんな危険に晒すだなんて」 生徒たちだけで盗賊討伐へ赴く。この異常事態に声を上げたのは、ミセス・シュヴルーズただひとりだった。もっとも、その彼女も自分が行くかと問われた末、体調不良を理由に辞退したのだが。 オスマン氏がちらりとタバサに視線を向けた。「ミス・タバサは若くして『シュヴァリエ』の称号を持つ騎士だと聞いておる」 タバサは、返事もせずにぼけっと突っ立っている。教師たちは驚いたように彼女を見つめた。親友であるキュルケも、初めて知ったというような顔をしている。「シュバなんとかって、何?」 小声で聞いてきた才人の問いに、これまた小さくルイズが答える。「王室から与えられる爵位のことよ。爵位としては最下級の称号だけど、国から認められるような業績を挙げないと手に入らない……実力の証拠」「そしてその使い魔は……東の彼方、ロバ・アル・カリイエから召喚されたメイジにして<風>と<火>の使い手だという報告を受けておる」 場がどよめく。「……火?」 ポツリと……しかし咎めるような口調で呟いたタバサに。「薪占いの件、まだ根に持っとるんかいあの狸ジジイ! ああ、ちなみに触媒使ってやっと火花を起こすのがせいぜいであるので、そっちには期待しないで欲しい」 表情を全く動かさず、囁くように答える太公望。ちなみに、これは彼がハルケギニアに来てから自分の能力について述べたものの中において、珍しく本当のことだ。かつて火属性の宝貝を手に入れた際もうまく使いこなすことができず、武器の扱いに長ける仲間に譲ってしまったほどである――閑話休題。 次に、オスマン氏はキュルケを紹介した。「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を多く輩出した家の出で、彼女自身も火の『トライアングル』と聞いておるが?」 キュルケは得意げに、髪を掻き上げた。「そして、ミス・ヴァリエールは、その……数々の優秀なメイジを輩出した公爵家の息女で、あー、なんだ。将来有望なメイジと期待しておる」 すると、オスマン氏の言にかぶせるように、コルベールが口を挟む。「しかも、その使い魔は伝説のガンダー……うぐ」 オスマン氏は、なにやら慌てた様子でコルベールの口を塞いだ後、集まった教師たちを見回して尋ねた。「彼らに勝てる者がいるというのなら、前に出たまえ」 ――出て行った者は、誰ひとりとして居なかった。「まあ、そうですよネ。メイジ優遇社会ですもんネ……」 ついに自分が紹介される! と、胸を張っていた才人は、あっさりと流されてしまったことに肩を落とす。オスマン氏は5人に向き直ると、朗々と告げた。「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」 ルイズとタバサとキュルケの3人は、真顔になって直立し、唱和した。「杖にかけて!」