――平賀才人は今、得意の絶頂にあった。 彼は宿命という名の導き手により、最高の相棒との邂逅を果たしていた。伝説の左手を担う者。その名も『デルフリンガー』。 先日の虚無の曜日。主人のルイズに手(と耳)を引かれて立ち入った、小さな武器屋。昼もなお薄暗いその店の奥、乱雑に積み上げられた棚の横に、それはひっそりと『立て掛けられていた』。 <インテリジェンス・ソード>。意思を持つ魔剣にして、しゃべる能力を持った薄手の長剣。表面にはうっすらと錆が浮いていたが、才人は一切気にしなかった。吸い付けられるようにその剣へと手が伸び、両手で柄を握ったその瞬間……左手のルーンが輝き、身体がまるで羽根のように軽くなるのを感じたのだ。「おでれーた。てめ、『使い手』か。見損なってた。よしお前……俺を買え」 ……まるで、テレビゲームのイベントシーンみたいじゃないか。才人は、すっかりその剣に魅入られてしまった。眉をひそめて「もっといい剣を買ってあげるわよ」というルイズに、是非これをと拝み倒し、遂に自分のものにすることが出来た。 最初こそ「こんな錆びた剣なんて……」と不満を露わにしていたルイズだったが「ありがとう、本当にありがとう」と、まるでボールをもらった子犬のようにキラキラと目を輝かせ、何度も何度も礼を言う使い魔の態度が、迂闊にもちょっと可愛く思えてしまい。ついには、持ち歩くときは鞘に収めておくことを条件に、その剣を持つことを許した。○●○●○●○● 以下、才人が相棒と出逢ってから地球時間に換算して1週間の軌跡である。 ――1日目。 せっかくだから剣の使い方を覚えたい、そうデルフリンガーに告げると、新たな相棒はいたく喜んだ。そして、とりあえず振ってみろと言われたので、近くの空き地へと向かい、鞘から抜いた。これまで剣など手にしたこともなかったのに、まるで身体の延長みたいにしっくりと馴染んでいる。不思議だ。「これがお前の<力>なのか? デルフリンガー」「いいや違う。それが『使い手』たる証なんだよ、相棒」 俺の左手に刻まれたルーンとやらが、特別な力を持っているらしい。おでれーた。 ――2日目。 筋肉痛で動けなかった。昨日は調子に乗って振り回しすぎた。いやマジ痛いんですけど。デルフ――名前が長いので、こう呼ぶことにした――は、いっしょに身体も鍛えないとな、と、笑っていた。ピンク髪の小悪魔が、面白がって何度も足をつっついてきた。やめて。 ――3日目。 筋肉痛はもう治ったみたいだ。「数日遅れで来るようになったら年だ」って前に父さんが言っていた気がする。使い魔の仕事が終わった後、外でデルフを振っていたら、ギーシュ――このあいだ決闘をしたキザ野郎が声をかけてきた。「きみは剣士だったのか……もしやメイジ殺しだったのかい? やはり、あの時は本気ではなかったのだね」 次の瞬間、気取った仕草で例の薔薇の杖を振ったギーシュの真横に、いきなり金属製の像が出現した。「どうだい、対戦相手がいたほうが稽古にも身が入るだろう? 良かったら、ぼくが『ワルキューレ』でお相手しよう。もちろん、お互いに怪我をさせないという条件でね」 あれ? ひょっとして、こいつ意外といい奴だったのか? ……それにしても。「これが例の『ワルキューレ』か! 結構かっこいいじゃん」「そうだろう、そうだろう!? まさに戦乙女の名に相応しい姿だと思わんかね」 青銅で出来た甲冑姿の乙女像かよ……うわあ、ルイズが止めてくれなかったら、これと真正面からやりあう羽目になってたんかい……殴られたらすげえ痛そうじゃん。最悪、骨が砕けてもおかしくないわ。だけど、こんなのに斬りかかったら、デルフの奴折れちゃうんじゃないのか? ……心配はいらなかった。まるで、溶けたバターにナイフを入れたみたいに真っぷたつにできた。本気のきみと戦わなくて良かったと言うギーシュに、それはお互い様だと返してあの時のことを謝ったら、握手を求められた。異世界で、また友達ができた。 ――4日目。 きみは本当に強いなあ。 俺が、7体の『ワルキューレ』を文字通り瞬殺してみせた後、ギーシュは言った。いやいや、確かに速攻倒せたけどさ、お前、俺が怪我しないように手加減してくれてるじゃん。そう言ったら、「謙遜は美徳だが、過ぎた謙虚は嫌味にしかならないよ」 なんて諭された。「ひょっとして、俺ってすごいの?」「うん、実際たいしたものだよ」 部屋に戻ってからルイズに聞いてびっくりした。なんでもギーシュは軍人の家の出で、しかも『ドット』ランクのメイジとしてはかなり強い部類に入るんだそうだ。実は俺ってすごい? ちょっと自信持っちゃっていいのかな? かな!? ――5日目。 ルイズに、俺とギーシュの模擬戦を見せた。デルフとふたりがかりで説明しても、ちっとも信じてくれなかったからだ。バラバラになった『ワルキューレ』を見て、ようやく納得してくれた。「なんで剣士だってこと、黙ってたのよ!」「いや、デルフに教えてもらうまで俺も知らなかったんだよ!」 左手に刻まれたコレのせいらしい。そう言ってルーンを見せると、ルイズは「ルーンにそんな効果があるなんて話は今まで聞いたことがない」という。「なら、これはルイズがくれた<力>なんだな」 そう言って笑ったら、突然ご主人さまが動かなくなった……なんでだ。 ――6日目。「まことにもって悔しいけれど、『ドット』のぼくじゃもう相手にならないなあ」 ギーシュが頭を掻きむしりながら言う。うーん、ここまで付き合ってくれたギーシュには悪いけど、確かにちょっと物足りなくなってきたのは事実なんだよなあ。いや、ギーシュ君も結構頑張っているんデスヨ? 『ワルキューレ』の動きとか錬成とか、最初の頃よりだいぶ速くなってきてるしネ。まあ、俺がさらに強くなってしまっただけなんですけどネ。「とはいえ、ぼく以外の貴族と戦うのはまずいだろう」「え、なんでだ?」「下手に勝ったりしたら、おかしな逆恨みをされるかもしれないからさ。実際に、そういう例が過去に何度もあったらしいしね」 ギーシュが、真顔で忠告してくれた。なるほどな、そういやこの学院にいる連中って『魔法が使えぬ者は人にあらず』ってな態度取ってるしな。ルイズも、そのせいで周りからバカにされてたみたいだし。ひとりくらいなら何とかなるかもしれないけど、さすがに集団でかかってこられたら、いくら俺でもきついよな。 ……と、いうわけで。タバサと部屋で本を読んでいたタイコーボーに声をかけてみた。「模擬戦やらないか」「なんでわしが、そんな面倒なことに付き合わねばならんのだ」 ――消去法です、とはさすがの俺でも言えなかった。 ルイズに剣を向けるなんて、いろんな意味で論外。とはいえ、他に知り合いのメイジの心当たりはというと、タイコーボーとタバサ、それとこのあいだ一緒に買い物に行ったキュルケっていうおっぱいいっぱい! な女の子だけ。 ギーシュが言うには、タバサとキュルケは『トライアングル』メイジで、学院内でもトップクラスの使い手なんだとか。そういや、あの赤土先生も同じランクだって言ってたよな。教師と同じってことは、相当すごいってことだろう。 ……それを抜きにしても、女の子とチャンバラなんてやりたくない。タイコーボーの強さはよくわかんねーけど、使うのはたぶん<風>の魔法で、ギーシュとは正反対の系統?(属性と系統って何がどう違うんだかよくわからん)らしいから結構興味あるし。 まあ、あの小さなタバサの一撃で気絶しちゃったくらいだから、あんまり期待はできないけどな。ガリ勉タイプっぽいし。それにほら、俺とデルフのコンビってスゴイし! しっかし、マジで嫌そうな顔してるなあコイツ。授業中もクソ真面目に勉強してるしなあ……って、読書に戻りやがったし。こりゃダメかな……出直すか。と、思ったら。別の方向から援護射撃が来たー!「タイコーボー、彼と勝負してあげて」 タバサナイス支援! もっとやれ!!「嫌だ。わしにとって、この本を読み終えるほうが遙かに大切なのだ」 うわ、即お断りかよ。本から顔を上げすらしなかったぞコイツ。「明日のお昼に桃のタルトを追加で注文してもいい。費用はわたしが負担する」 ……野郎、ページめくる手ェ止めやがった。「……もうひと声」 えっ、デザートがトリガー!?「2個プラス」「さて、それじゃルールを決めようか才人」 安ッ! 俺との勝負の値段、激安ッ!! こうして、俺とタイコーボーは戦うことになったわけだ。んで、これから試合のルール決めるんだけど……うん、わかってますヨ。油断は禁物ですよネ。このあいだの件もあるし、おかしな条件つけられないようにしないとな! ――このように、才人は<力>を手にしてからわずか数日で、完全に舞い上がってしまっていた。どうやら彼は、相当調子に乗りやすい性格であったらしい。○●○●○●○● ――メイジの怖さは、既にわかっていると思っていたのだけれど。「模擬戦やらないか」 その日の夜。突然ルイズの使い魔がギーシュと共に部屋へ押し掛けて来て、太公望にそう持ちかけた時。タバサは一瞬、彼の正気を疑った。突然何を言い出すのか……と。 言われた本人も、顔をしかめている。当然だろう。口では面倒だ、などと言ってはいるが、そもそも太公望は、己のメイジとしての<力>を誇示するような人間ではない。既に10日程一緒に暮らしているにも関わらず、未だ太公望の実像を掴みきれていないタバサだったが、そのくらいのことは理解していた。 タバサは、不快げに眉をひそめた。しかし、才人はそれに気付いてすらいない。とはいえ、それはごくごくわずかな形の変化であり、かつタバサと相当に親しい者にしかわからない程度の感情の揺らぎであったので、ある意味仕方のないことではあるのだが。 と、そんなタバサの耳元へギーシュが囁きかけてきた。「なあミス・タバサ。きみからも、彼に頼んでみてはくれんかね」「結果のわかりきった勝負をさせるほど、わたしは愚かではない」 呟き返す。しかし、ギーシュが放った次の言葉が、タバサの心を微かに動かした。「ぼくでは、もう太刀打ちできないんだよ」 なんでも、ここ数日のあいだにギーシュと才人のふたりは仲良くなり、互いに遺恨の発生しないレベルでの模擬戦を繰り返しているのだという。だが、それ以上にタバサが驚かされたのは、全力で繰り出した『ワルキューレ』を、剣1本でなんなく切り裂いてしまうという荒唐無稽な話が、あのルイズにすら公認された事実であるということだった。 確かあの時――例の決闘騒ぎで、太公望ががルイズ達に『策』を授けた時、彼は「武術の心得が一切ない」と言っていたはずだ。あの状況で嘘をつく理由はない。だとすると、あれから彼に何らかの変化が起きたということになる。 そういえば。先日トリスタニアの街へ赴いた際に、錆びた剣を手に入れていた。もしかすると、あれは特別な魔法がかけられた<マジック・ウェポン>なのかもしれない。そう、持ち主の動きを補佐するような……。 これは、降って沸いた好機だとタバサは思った。もちろん、太公望という人物の実力を見極めるための。「タイコーボー、彼と勝負してあげて」 その後の返答は、タバサが予想した通りのものだった。「嫌だ。わしにとって、この本を読み終えるほうが遙かに大切なのだ」 即座に断られたが、タバサは知っていた。彼に頼み事をするための魔法の言葉を。「明日の昼に桃のタルトを追加で注文してもいい。費用はわたしが負担する」 タバサの予想通り、太公望は食いついてきた。少し痛い出費だが、彼の実力を測るために必要なのだから、ここで惜しんではいけない。けれど、できれば1個プラスで抑えて欲しかったというのが彼女の本音だった。何故なら、タバサが自由にできるお金には、限りがある。料理を追加注文した場合、相応の料金を支払う必要があるのだ。 今月購入する予定だった本を、何冊か諦める必要がありそうだ。タバサは、現在の財布の中身を思い出し、肩を落とした。 ――それからすぐに、太公望から試合に関する条件が提示された。「制限時間10分、先にまいったと言わせたほうが勝ち。これでどうだ?」 才人は、困ってしまった。彼は、あくまでギーシュ以外の魔法使いと戦ってみたかっただけであって、相手に怪我をさせるつもりは毛頭なかったのだ。「なあ、本当にそんなんでいいのか? あー、なんだ、その……相手に怪我をさせちゃいけない、とか、そういう条件はつけなくても?」 そんな才人の心遣いに対して、太公望はこう答えた。「なんだ才人。自分から勝負を申し込んでおいて、いまさら臆病風に吹かれたのか」 ……と。 それを聞いたギーシュは、真っ青になった。知らないこととはいえ、彼はなんて無謀な真似をするんだ! と。なにせ、才人の素早さは尋常ではない。トリステイン国軍元帥の地位にある父親から手放しで褒められた『ワルキューレ』の7体同時攻撃でも、捉えることすら叶わないほどなのだから。 言われた才人のほうはというと、笑顔のまま顔を引きつらせている。それはそうだろう、せっかくの気配りを無にするような真似をされたら、たとえ才人でなくとも良い気持ちはしないはずだ。 ギーシュは心の中で『始祖』ブリミルに祈った。彼の主人に勝負の仲介を頼んだぼくがこんなことを願うのもなんなのですが、どうか彼が大怪我をしませんように――と。○●○●○●○● ――巨大な紅い月と、それに寄り添うように浮かぶ小さな蒼い月が、本塔脇の中庭を薄く照らしている。そこへやって来たのは、これから『模擬戦』を行う太公望と才人、彼らの主人であるタバサとルイズ、そして面白そうだからとついてきた、ギーシュとキュルケの計6名であった。 模擬戦なんかやめなさい。そう必死に止めるルイズの言葉を、才人は聞こうとしなかった。いや、聞いてはいたのだが、言い返したのだ。「雑用以外にも、使い魔としてできることがあった。その<力>を磨きたいんだ」 ……と。 そんなことを言われてしまっては、主人として止めることはできない。確かに自分の使い魔は強かった。メイジには絶対敵わないはずの平民が、全力を出したギーシュ相手に圧勝してみせたのだから。 しかし、今度の相手は全く実力のわからない――あの東方から来たという、正体不明のメイジ・タイコーボー。彼は、ルイズにとって一種の恩人だった。何故ならあの決闘騒ぎ以降、周囲から自分を馬鹿にする声が消えたから。翌日、大好物のクックベリーパイを渡さなければならなかった時は、正直殺意が芽生えかけたのだが、それでも彼に感謝していることだけは間違いない。お互いに、大怪我をするような事態にだけはなって欲しくない……それがルイズの偽らざる気持ちであった。もうクックベリーパイについての恨みはない。たぶん。「それじゃ、ルールを確認するわよ」 10メイルほどの距離を開け対峙した太公望と才人の中央で、キュルケが声を上げる。中立の立場にいるということで、彼女がこの模擬戦の審判を買って出たのだ。それ以外の3名は、遠巻きに彼らを見守っている。「まず3カウントして、そのあとはじめの合図をするわ。それと同時に試合開始。ふたりとも、それでいいかしら?」「うむ」「ああ」「10分以内に相手を降参させたら勝ち、ルールはこれでよろしくて?」 頷く両者。ふたりから了解を得たと判断したキュルケは、試合に巻き込まれないよう、他の者たちのいる場所まで後退する。「それじゃ、3……2……1…… はじめっ!」 キュルケが言うや否や、才人は背にしたデルフリンガーを抜いて駆け出した。左手に刻まれたルーン文字が光り輝く。先手必勝! あっという間に、太公望まであと数歩という距離まで間合いを詰める――だが、その瞬間。彼の前に、土煙が巻き起こった。「あの時と同じかよ!」 才人は憤った。太公望は土煙で目隠しをして、自分の死角から攻撃してくる……瞬時にそう判断した。今の才人には、頼もしい味方『デルフリンガー』がいる。そんな手を食うものか! とばかりに剣風で周囲の土埃を吹き飛ばした彼は、油断なく身構えた……だが、攻撃が来る気配はない。いや、それどころか太公望の姿そのものを見失ってしまった。「どこだ、どこにいる!?」 必死に周囲を探る才人。その後、すぐに視界全てが晴れた。にもかかわらず、太公望はどこにもいない。「ふっふっふ……」 その時だ。何処かから、太公望の声が聞こえてきたのは。「あ、相棒……上だッ!!」 デルフリンガーの声で天を振り仰ぐと、そこには――ふたつの月を背に、服をバサバサとはためかせ、10メイルほどの高さに浮かんでいる対戦相手の姿があった。「た、タイコーボー!」 すぐさまデルフを構え、彼の遙か上方にいる太公望の攻撃に備える……が、いっこうにそれらしき動きはない。空の上の太公望は腕を組み――月の光を背に受けているせいでその表情は読み取れないが、間違いなく――笑っていた。「おい、どういうつもりだよッ!」 と、声を荒げる才人に、太公望は高らかに笑いながら返す。「ふはははははッ、どうだ才人よ! この高さまでは攻撃できまい!!」 ――観客が一斉に……それは見事なまでにズッコけた。つられてコケなかった才人は、ハッキリ言って相当努力したといえよう。「キュルケよ! あと何分だ?」 いきなり太公望から声をかけられたキュルケが、戸惑いながらも答える。「えっと、残り……8分ね」「なんだ、まだ結構あるのう……それならば」 と……試合中であるはずの太公望は「よっこらしょ」というかけ声と共に、その場で肘をついて――空中なので、正確にはつけてはいないのだが――横に寝そべってしまった。見るからにだらだらしている……。「ある意味ものすごく器用」「いや……感心している場合なのかね? これは」 素直に感想を述べるタバサに、ツッコむギーシュ。他の者達は呆れて声も出ない。この状況から、最も素早く立ち直ったのは才人だった。「おい! 何やってんだよッ!!」「見てわからぬか?」「わかんねーから聞いてんだよッ!」「ふむ。しょうがないから教えてやろう……だらだらしておるのだ」「ふざけんなッ!!」 剣を振り回し、いきり立つ才人。だが空を舞う太公望は全く動じない。それどころか、暢気に大あくびをしている始末。「試合なんだぞっ! 攻撃しなきゃダメだろッ!!」「なんでそんな面倒な真似をする必要があるのだ」「攻めなきゃ勝てないからに決まってるじゃないか!」 当たり前じゃないか、お前は何を言っているんだ。そう責める才人と、ようやく立ち直ってそれに同意する観客たち。しかし、そんな彼らに太公望はこともなげに言い放つ。「別に、勝つ必要なんてないであろう?」 才人の目が点になった。は? ナンデスト!?「な、何言ってんだお前……」「だから、わしがおぬしを倒す必要などないと言っておる」「いや、そういう意味じゃなくてだな! ほら、お前タバサが出した条件飲んで、この試合受けたわけだろ!? いいのか、おい? ちゃんとやらないと、デザートもらえなくなっちゃうぞ!?」 可哀想なくらいにわたわたしながら言う才人へ、「わしが引き受けたのは、あくまで『おぬしの相手をする』ことであって、勝敗の結果や試合内容については何ら条件に含まれておらんのだ。だから、こうして攻撃の届かない場所で、時間がくるまでだらだらしておれば! それだけで!! 桃のタルトはいただきなのだ!!!」 太公望からの、妙に力が籠もりつつ……それでいて無情な宣告が発せられる。 ――やられた……全身を凄まじいまでの脱力感に襲われながら、タバサは思った。最初から、太公望は才人と戦うつもりなどなかったのだ。「なんでもあり」という一見厳しいルールが実は隠れ蓑で、10分という時間制限を設けたことに意味があったのだと悟った。そう、試合というには長すぎず、短くもない制約をつけることによって、最小限の労力で引き分けに持ち込むための策――。「そういうわけで、わしのほうからはこれ以上何もしない。才人よ、おぬしは別に遠慮する必要はないぞ。まあ、できるならとっくにやっておるだろうが」 からからと笑い声を上げる太公望へ、思わずデルフを投げつけそうになった才人だったが、かろうじて踏みとどまった。太公望はああ言ったものの、剣を手放した瞬間、自分はただの高校生に戻ってしまうのだ。それに、太公望が本当に攻撃してこないという保証もない。「なあデルフ。お前、天にかざしたら稲妻が落とせるとかそういう機能はないのか?」 相棒に一縷の望みを託すも。「……6000年生きてきて、長いこと剣をやっているが、たぶんない、と、思う」 返ってきた結果は無惨だった。「なんだよ! ひょっとして喋るだけかよ!?」「何言ってやがるんだ相棒! そ、それだけのはずがねえじゃねえか!!」「お、なんだ!? もしかして、すごい隠し機能でもあるのか?」「あ……え……うん、あったと思うんだが……忘れた」「使えねええええええええええ!!!!!!」「ひでえええええええええええ!!!!!!」 ――こうして、時は無情にも過ぎていき……結局、両者引き分けで試合は終了した。「う~む、なんと言ったらいいのか……」 正直コメントに困る試合だった……と、ギーシュは振り返る。うんうんと頷くキュルケに、頭を抱えるタバサ。あれが使い魔だなんて、タバサも大変ね……と、人ごとのように呟くルイズ。と、そこへ、剣を鞘へ収めた後も未だ納得のいかない表情の才人と、してやったりという顔をした太公望が戻ってきた。「張り切ってた割に、随分とみっともない戦いだったわね」 ルイズの口撃に、才人は何ら反論できなかった。ここ数日でつけたはずの自信に、大きくヒビを入れられた。「でも……ふたりとも無事でよかったわ」 その言葉に、才人が反応した。「べべ、べつに、ああ、あんたの心配してたわけじゃ、なな、ないんだからね!」 などという色々な意味で貴重な台詞は、しかし彼の耳には届かなかった。 ――ふたりとも無事でよかった。 才人は震えた。そうだ、俺が背負っているのは、他者を傷つけるための武器なんだ。昨日までは、相手が『ワルキューレ』……生命を持たない人形だったから、そんなあたりまえで、大切なことに気付けなかった。それを、いくら挑発されて苛立っていたとはいえ、一瞬でも投げつけようと考えた自分が怖くなった。 もしも、アイツが空を飛ばずに、あの場に残っていたら――? そして、デルフを振り抜いていたら――? 異世界に来て心細かった俺の、はじめてできた友達を――この手で斬ってしまったかもしれない。 全身の力が抜けた。そのままがっくりと崩れ落ち、膝をつく才人。いったいどうしたのよ、と、慌てて近寄ってきたルイズに何も答えることができない。と、そんな彼の肩に誰かがぽん、と手を乗せた――太公望だった。その顔は笑っていたが、さっきまでのそれとは違って見えた。「その様子ならば大丈夫そうだのう……ま、振り回されんように気をつけろ」 ――引き分けなんかじゃなかった。 それまで得意の絶頂にあった平賀才人は、こうして地上へと戻ってきた。○●○●○●○●「終わった後だから言うがな、才人にもちゃんと逆転の目はあったのだぞ」 模擬戦を終え、寮塔へと向かう道すがら――太公望は突然そんなことを言い出した。 そんなことはありえない――それは、才人を含め、そこにいた全員の意見が一致するところだ。才人は魔法が使えない。持っている武器も<インテリジェンス・ソード>とはいえ、あくまで剣に過ぎない。空高く舞う太公望に対しては無力だ。「まさか、剣を投げつければよかった……なんて言わないわよね?」 ルイズが問うた声に、ビクリと才人が身を震わせる。「いや、それはない」 なら、いったいどうやって!? 解答を求める5人に、太公望はフフンと鼻で笑って「よ~く考えてみるのだ」と言うと、さらに言葉を続ける。「そもそもだな、才人がそのような真似をする人物であったなら、わしはあんなルール設定をしたりはせぬよ」「ふうん……あんた、ずいぶんサイトのこと信用してるのね」 どこか悔しそうな、それでいて僅かに自分の使い魔に対する誇らしさが込められたルイズの一言に、太公望はこともなげに返答した。「信用ではない。信頼だよ、ルイズ」 才人のことは、おぬしのほうが良くわかっているのではないか? そう言った彼の表情は、先程とはまるで別人のように真面目。でもどこかに優しさを感じるものであった。 ……と、そんな太公望の言葉を聞いて、ルイズはあることを思い出した。これまで色々なことがあって、確認するのをすっかり忘れていたのだ。「あんたたち、やっぱり召喚前からの知り合いだったのね!」「は?」「なぬ?」 思ってもみなかったその問いかけに、目を白黒させる才人と太公望。「いまさらとぼける必要なんてないわ。だいたい、その髪の色! 黒い髪なんて、このあたりじゃすっごく珍しいんだから。おまけに肌の色とか、顔の造りだって似てるじゃないのよ」 タバサは、はっとした。ルイズの言う通りだ、どうして今まで気がつかなかったのだろう。メイジと平民。瞳の色や着ているものこそ異なっているが、同じ服を着せて横に並ばせたら、兄弟――サイトが兄で、彼より頭半分ほど小さいタイコーボーが弟だと言っても通用するのではなかろうか。「いや、召喚された次の日の朝に、たまたま声かけられただけなんだけど」「嘘よ! それだけで、あんなに仲良さそうに話しかけるわけないじゃない!!」「ああ、それは……」 才人は説明した――学院内を歩いているうちに、道に迷って困っていたところを、偶然通りかかった太公望に助けてもらったのだ、と。 背中に乗せてもらったら、コイツものすげえ速さでビューンって飛んで、あっという間に目的地まで運んでくれてさ、そんで、お礼言わなきゃって思って慌てて名乗って……そんな風にひたすらあの日の感動を語る才人の言葉は、残念ながら最後まで綴ることはできなかった。「なあサイト。ミスタ・タイコーボーの背中に乗って飛んだというのは本当かね?」 そう問うたギーシュの声は、いつものそれと違い若干固くなっていたのだが……それに気がつくほど才人は鋭敏な感覚の持ち主ではなかった。「え、こんなことで嘘ついたって仕方がないだろ」 あはは……と笑った才人だったが、ここに至ってようやく気がついた。周囲の空気がなんだかおかしいことに。そんな彼を見て、ルイズがはあっとため息をつく。「あんたは魔法をよく知らないから、仕方ないんだけど……」 呆然としたルイズの後を継いだのはギーシュ。「自分以外の『荷物』を抱えたまま<フライ>を維持するのは、ランクの低いメイジにとってはかなり難しいことなんだ。その上、高速飛行まで可能とは……」 ギーシュの説明を、タバサが補足する。「超高等技術。一緒に飛ぶだけならともかく、高速飛行なんてわたしにはできない」 その場にいるメイジ達の視線が一斉に太公望へと向けられる。そして最後に、キュルケがとどめの一撃を繰り出した。「つまり、ミスタ・タイコーボーは最低でも『トライアングル』。いいえ、最高位の『スクウェア』クラスのメイジと判断したほうが妥当ってところかしらね」 場が静寂に包まれる。誰かが、ごくりと唾を飲み込む音がした。「ええっと、この無知なわたくしめに教えていただけませんでしょうか、お嬢様」 突然、使い魔モードに入る才人。「なにを聞きたいのかしら」 寛大なご主人さまが教えてあげるわ! と、言わんばかりにぺったらな胸を思い切り反らしたルイズを見て、頭の片隅で「せめてもう少しボリュームがあれば、こいつの見た目、俺の好み超ド級ストライクだったのにナ……」などと大変失礼なことを考えていた才人だったが、さすがにこの状況でそれを口に出すほど空気読めない子ではなかった。代わりに、先程挙げた質問を続ける。「その『スクウェア』って、具体的にどのくらいスゴイんでしょうか」「わたしのお母さまが、同じ風の『スクウェア』だけど……そうね、おもいっきり手加減して起こした竜巻で、このあいだ乗ったような馬車を空まで吹き飛ばす程度かしら?」 ルイズの母親は、トリステインのみならず、このハルケギニア世界ですら『伝説』と称される域に達したメイジである。ハッキリ言って『一般的なスクウェアメイジ』への比較対象としては(能力的な意味で)全く相応しくないのだが、そんなことは才人にはわからない。 「待ってクダサイ。俺、安全牌のつもりがまさかの大型地雷踏んでたんですカ!?」 先刻の精神的敗北ですっかり参っていた才人は、さらなる事実を突きつけられ、あぐあぐと声にならない呻きを漏らした後……その場へ崩れ落ちた。 ――この状況は、太公望にとって完全に想定外だった。 まさか、自分の『飛行能力』がそこまで高く評価されるとは。初日に、タバサの<フライ>を見ていたせいで、ここではごく当たり前のことだと思い込んでいたのが太公望最大の敗因であった。こうなっては仕方がない、なんとか事態を沈静化せねばならぬ……彼は、己の脳細胞をフル回転させ、善後策を講じる。そして、1秒にも満たないわずかな時間で、今後の立ち位置を決定した。「ばれてしまっては仕方がないのう。いかにも、わしは高位の<風使い>だ」 スクウェアメイジ、とは言わない。あくまで自分は仙人なのだ。「タバサは、うすうす感づいておったのではないかの?」 小さく頷くタバサ。「あなたの纏う<風>は異質。『ドット』や『ライン』ではありえない程に」「ならば、何故わしがそれを黙っていたのかは……言わずとも理解できるであろう? ただでさえ、わしはここでは異邦人、目立つ存在だ。そんな者が強い<力>を持っているとわかったら、どうなる? 結果は容易に想像がつくであろう?」 言葉を止め、そこにいる全員に思考を促す。太公望は――多少の騒ぎを起こすことはあったが、基本的に穏やかな存在だった。いつも真面目に授業を受け、図書館へ籠もり、部屋へ戻っても書をめくっていた。今日の模擬戦にしても、嫌々ながら受けたにすぎない。結局のところ、彼はこの地で静かに暮らすことを願っているのだ……と。「そういうわけで、わしの<力>については他言無用に願いたい」 頭を下げる。まあ、そういうことなら……と、素直に受け入れるギーシュ。だが。「条件がある」「わたしも同じく」「タダで、っていうのは虫が良すぎるわよね」 タバサ、ルイズ、キュルケの3人は納得しなかった。目を輝かせながら太公望へとにじり寄ってゆく。ようやくこの曲者をイジるチャンスが来たのだ、逃す手はないということだろう。「ま、まあそう簡単にはいかぬと思っておったが……わしにどうしろと?」 額に汗を流しながら後ずさる太公望に、「試合を受けてもらいたい」と迫るタバサ。「東方のメイジとしての視点から、自分の魔法を見て欲しい」と願うルイズ。それを聞いて「東方の魔法について、色々と教えてもらいたいわ」と頼むキュルケ。 彼女たちから一斉攻撃を受けた太公望は、必死の抵抗を見せるも遂には折れ――試合はお互いに怪我をさせない程度のものに留める、ルイズの魔法を見たり、自国の魔法について話をするのは、ここにいるメンバー以外の誰にも見られない場所で行う――という条件を付けることで、それを飲んだ。 ちなみに「ついで」ということでギーシュと、ようやく立ち直った才人も仲間として迎えることを併せて承諾した。「ところで、例の答えを教えてもらえるかしら?」「なに、簡単なことだ。さっきのおぬしたちのように、集団で挑んでくればよかったのだよ」 ルイズが最初の質問――どうすれば才人に逆転の目があったのかに言及すると。太公望は、まるでなんでもないことであるかのように解答した。 『制限時間10分、先にまいったと言わせたほうが勝ち』 そう、このルールには『ひとりで戦わなければいけない』などという縛りはなかったのだから、あの場で観戦している者達に手助けを乞えば良かったのだ、と。「もっとも、そんなことになったら……わしは制限時間いっぱい逃げることに全力を尽くしていたがのう」 と、笑う太公望に、一同はなんともいえない視線を投げることしかできなかった。 ――まあ、このへんが落としどころかのう。 それぞれの部屋に戻った後。寝床の中で、太公望は独りごちた。思わぬところから自身の持つ『能力』に興味を持たれてしまったが、そろそろ授業以外の場で実践的な魔法を見たいと思っていたところだし、ちょっとした試合をする程度なら問題ない。それに、彼女たちの出す要求を最後まで渋ったことで、面倒ごとを嫌うという印象を強化できた。おまけに望んでいた条件を付けられたのだから、これでよしとしよう……。 ひとり納得し、眠りについた太公望の遙か頭上では、まだふたつの月が輝いていた――。