――ラ・ヴァリエール公爵家での歓待・最終目の夜。「そもそも<錬金>とは、どういった魔法であるのか」 最初に太公望がこの言葉を発したとき、エレオノールは思わず金切り声をあげそうになった。それはそうだろう。なにせ、この歓待期間中、彼女は太公望に対して<錬金>がいかに素晴らしい魔法であるのか、また、どれほど生活に欠かせないものであるのかを、散々説明し尽くしていたからである。 だが、エレオノールは家柄だけではなくその実力でもって、王立アカデミーの首席研究員まで上り詰めたほどの才媛である。すぐさま、彼の問いには何らかの意味がある。そう判断した。「それは、どういった意味で……ですの?」「はい、それなのですが。才人よ」 いきなり話を振られた才人は、ビクッと身体を緊張させた。何やら小難しい、しかも自分にはあまり関係のない魔法の話を延々と聞かされていた彼は、半分意識が飛びかけて――つまり、居眠りをしそうになっていたからだ。「な、なんですか太公望師叔」「魔法学院の『赤土』先生を覚えておるか?」「ハイ、もちろん。あの、ものすごい数の粘土飛ばしてきた女の先生ですよネ?」 あの先生が、一番最強に近いんじゃないかなあ。アレが口に入ったら、呪文唱えられないし。そんなことをブツブツと呟いていた才人に対し、太公望は、さらに質問を続けた。「初めてあの『粘土』の魔法、つまり<錬金>を見たとき、どう思った?」「びっくりしました」「……質問の仕方が悪かった。あれを科学的な視点から捉えた場合、どう見た?」 カガク的。この言葉に、エレオノールだけではなく、コルベールも強く反応した。彼らはこれから展開される会話が、以前聞いていた『自然カガク』に近いものではないかと判断したからだ。「あれ『質量保存の法則』とか、どうなってんだ? とは思いましたです、ハイ。それに、粘土だけじゃなくて、ただの石から鉄とかガラス作るんならまだ理解できるぞ? 納得はできないけどな。あと、水をワインに変えたりとか。もう<錬金>じゃねーじゃねえか!」 などと呟き続ける才人に、太公望は再び質問を投げた。「ふむ。おぬしの言う、その『法則』とは『物質の状態が変化しても、質量は変わらない』という意味で合っておるかの?」「ハイ。合ってます」「すまぬが、その法則について、簡単に説明してはもらえないだろうか?」 その言葉と同時に、太公望は他者に気取られないよう、ラ・ヴァリエール公爵とオスマン氏に視線を投げた。ふたりはそれを受け止め、小さく頷く。「え~、俺よりも太公望師叔のほうが詳しそうなんだけど。ま、いいけどさ」 文句を垂れながら、才人は『質量保存の法則』について説明を開始した。これは、彼の故郷である日本ならば中学までに理科の授業で習う、ごく簡単な化学知識である。「ええっと、そうだな……たとえばコップ1杯の水と、スプーン1杯の塩を用意して、重さを量る。そのあと、水の中に塩を入れて溶かして、その重さを量ると、溶かす前の水と塩の合計と同じ重量になる。つまり、前後で『質量が変わっていない』ってことになるよな。塩が水に溶けて消えたように見えるけれど、実はなくなってなんかいないんだ。溶けた塩は、ちゃんと水の中に残ってる。重さが変わらないのがその証拠だ」 その他にも『質量』に関する説明や、各種実験の際の注意事項を挙げ、必死に脳内の知識を手繰り寄せながら『質量保存の法則』について説明する才人。思考が完全にそちらへ向いてしまったため、喋り口調が完全に普段のものに戻ってしまっているのだが、聞いている者たちは、誰もそんなことには気が付いていない。 魔法学院に所属するメンバーたちについては、才人が時折こういう知識を出してくることに対し、既に何の疑問も持っていない上に、彼の口調や普段の態度にも慣れているからこそなのだが……ラ・ヴァリエール公爵家の人々は、そもそも平民の従者である才人に、こんな学があるということに驚いていたため、礼儀がどうとかいう些細な問題など、頭の中から消え失せていた。 特に才人の『正体』について知らされている公爵は、内心で唸っていた。母親が研究者らしい、とは聞き及んでいたが、自分の息子に対してこれほどの教育を施したその人物は、間違いなく高名な学者に違いない。彼の『補佐』でルイズの魔法が伸びたというのは、まぎれもない事実なのだと納得できた。 ラ・ヴァリエール公爵家の中でも、特に礼儀作法に五月蠅いエレオノールまでもが、静かに才人の話へ聞き入っていた。なにしろ才人が語っているものは、初~中級とはいえアカデミークラスの学術講義に等しいものであったからだ。もはや彼が平民であることなど、彼女の頭からは完全に抜け落ちてしまっていた。「これが『質量保存の法則』ってやつだ。ちなみに、金属が錆びると重くなるのは、表面に錆をつくるための物質がくっつくからだ。そのぶんだけ重くなる。俺が思うに<固定化>の魔法は、対象に見えない膜みたいなものを張って、錆の元になるものがついたり、酸化するのを防いでるんじゃないかと思うんだ。ああっと、悪い。酸化の説明については、結構ややこしいから、パスさせてもらってもいいかな?」 その才人の問いかけに、太公望は頷いた。「うむ、よくわかった。大変よい説明であった。では、再び質問だ。それをふまえた上で、才人よ。おぬしは、あの粘土がいったいどうやって、空中の何もない場所に現れたと考える? 『魔法だから』で思考を停止せず、科学的見解を述べよ」 ――『魔法だから』で思考を停止するな。この言葉に、エレオノールは目を見開いた。今、わたくしはとても大切な何かを掴まえようとしているのではないだろうか? いっぽう、才人は必死に空中に粘土が現れる理由を、自分なりの視点から解明しようとしていた。「どこか別の場所から粘土を<転送>してきてるんじゃないか?」 これに反論を述べたのはオスマン氏だ。「いや、それはない。あれは彼女が<錬金>で創り出したものじゃ」「そうなんですか? それじゃあ……う~ん。空中に、全く何も無いってことはないよな。空気とか埃とか、いろいろなものがあるんだから……あ! ひょっとして、それを何かの方法で粘土に変えてるのかな? でも、そうなるとやっぱり、質量が絶対的に足りないんだよなあ」 そこに突っ込んできたのがエレオノールだ。「その『足りない部分』を補っているのが、魔法。つまり<精神力>を対価に発生させている事象ということなのでは?」 彼女の解答に、拍手を送った者がいた。太公望である。「おそらく、エレオノール殿のおっしゃる通りでしょう。あくまでわたくしの推論ですが、彼女は空気中に漂う埃を『核』にして、その周囲に<精神力>を用い、作用させることで、何らかの補填……つまり必要な質量を補うための事象を起こし、粘土を創り出しているのです。これこそが<錬金>という魔法の根源のひとつに繋がるものなのではないかと、わたくしは考えます」 ところが、その意見に真っ向から対抗してきた者がいた。才人である。「いや、それだと説明つかないことがあるんだけど?」「ほう、具体的には?」 太公望の質問に、才人がこれまでいちばん疑問に思っていたことを述べた。「ギーシュの『ワルキューレ』だよ。いや、あの小さな粘土くらいの大きさなら、俺でもまだ理解できるぞ? けど『ワルキューレ』って人間よりちょっと大きいくらいのサイズがあって、しかも7体同時に出せるんだぜ!? 『核』が薔薇の花びらだとしてもさ、ギーシュってあんまり<精神力>多くないんだよな? なのに、どうしてあんな凄いものが作れるんだ? 中が空洞でも、質量的にありえないだろ」 その疑問に、思わず反応してしまったのはラ・ヴァリエール公爵である。ただし、それは才人の投げかけた『謎』に答えるものではなかったが。「ちょ、ちょっと待ってくれ。ギーシュ君は<錬金>でゴーレムを錬成しているのかね? <クリエイト・ゴーレム>ではなく? 何故わざわざそんな真似を? 彼の父上であるグラモン元帥は<クリエイト・ゴーレム>を使っているのだが?」 そう問いかけてきたラ・ヴァリエール公爵に答えたのは、激論の対象たるギーシュ・ド・グラモン少年本人である。「父上や兄上たちはともかく、ぼくは昔から<精神力>があまりなかったんです。つい最近まで『ドット』でしたから。それで、子供の頃に戯れで<錬金>を使って小さなゴーレムを造り、動かしてみたら、これが結構上手くいきましてね。それからは、ずっと<錬金>で……」 この言葉に動揺したのは、同じ土系統であるエレオノールだ。「それはおかしいわ。だって<錬金>にゴーレムを操作する効果なんて、ないはずよ?」 言われてみればその通りである。ギーシュは、自分のことにも関わらず頭を抱えてしまった。彼は、これまで何の疑問も持たずに<錬金>で『ワルキューレ』を創り出していたが、その後の操作については、ほぼ無意識に行っていたからだ。 そのとてつもない『謎』を解明してくれたのは、ルイズであった。「ねえ。ひょっとして……無意識に<念力>で動かしてるんじゃない? たしか、ギーシュが『ワルキューレ』を突撃させるときって、必ず号令をかけてるわよね? あれが<念力操作>発動のキーワードになってるんじゃないかしら?」「それだああぁぁぁぁああッ!!」 ルイズの意見に、全員が賛同の声を上げた。「さすがは<念力>の名手ルイズ。これで大きな謎がひとつ解けた」 こう呟いたのはタバサだ。「ギーシュの『ワルキューレ』を見て、いつも疑問に思っていた。他の生徒が作ったゴーレムは、彼のものと比べて、動きが全体的にぎこちない。これまでは技量の問題だろうと考えていたけれど、彼が<念力>を使って動かしていたというのなら、あのなめらかな動作についても理解できる」 <クリエイト・ゴーレム>で作り出されたゴーレムには、使用者が操作を一時放棄しても大丈夫なように、最初からある程度の『自由意思』が付加される。馬車の御者や門番などに使われる、所謂『作業用』のゴーレムにそれが顕著だ。細かな動きをさせるのには向かないが、これらはある程度放置していても、忠実に命令を実行してくれるようになっている。 ところがギーシュのゴーレムは、畑の細かい草むしりなどの指先操作まで完璧にこなす。そのうち、縫い針の穴に糸を通すことすらできるようになるのでは? というくらいに繊細な動きまで可能としている。これは、普通の<クリエイト・ゴーレム>では到底実現不可能な操作なのだ。「ギーシュが、どうしてあそこまで<力>のコントロールが巧いのか、やっとわかったわ。まさかそんな難しいことを、無意識にとはいえ、子供の頃からやっていただなんて!」 そうぼやいたのはキュルケである。彼女は、つい最近まで、ひたすらコントロールの練習をしてきた。にも関わらず、未だギーシュのそれには到底及ばないのだ。 自分の『ワルキューレ』に関する『謎』の解明と、そこへ付随してきた称賛の言葉に、ギーシュはもう鼻高々である。だが、その後太公望から発せられた言葉に、彼はさらなる衝撃を受けることとなる。「操作については、ほぼ解明されたようだが、まだ才人が出した質量に関する『謎』が残っておる。これについてなのだが……実はギーシュの『薔薇の杖』が、それを解明するための重要な『鍵』となっておるのだ」 思わせぶりな太公望の言葉に、戸惑ったような顔でギーシュは聞いた。「それはどういうことだい? ミスタ」「逆に、おぬしへ問いたい。その『薔薇の杖』を最初に持たせたのは、いったい誰だ?」 最初に、この杖をくれた人物。ギーシュはもちろん、その相手をよく覚えている。「ぼくの父上だよ。たとえ戦場にあっても華を忘れてはならない、って」「やはりそうか。おぬしの父上が元帥位に就かれている理由がよくわかった。おぬしが持っているその杖にはな、いくつもの利点があるのだ。それはなんだと思う?」 薔薇の花をベースに作られた杖の利点。太公望の言葉から察するに、元帥位に就けるほどの軍人である、ギーシュの父親がわざわざそれを渡したという事実にこそ、隠された『謎』を解明するに至る秘密が隠されているのだろう。そこまで考えるに至ったコルベールは、その直後。即座に解答へと到達し、立ち上がって大声を上げた。「ミスタ・グラモン。ひょっとして、きみは自力で『杖契約』を完結できるのでは?」「え、ええ……もちろん。15分もあれば」 コルベールの剣幕に、思わずたじろいでしまったギーシュ。だが、彼の答えを聞いた、その他一同の反応は大きく違っていた。「あなた、最初から最後まで、たったひとりで自力契約できるの!?」「普通できないわよ、そんなこと!」「な、なんでそんな短時間で、契約まで行けるのさ!」「それって、とんでもなく難しいことですわよ!? あなた、もしかしてわかっていないのかしら!?」 モンモランシーをはじめとした生徒たちだけでなく、エレオノールまで驚いていた。 ――普通『杖』との契約は、数日間かけて行われる。それも、ひとりで行うのではなく、複数の手が入ってようやく実現するものなのだ。 それは杖を作る職人と、契約の儀式を整える者。そして杖を使う本人による、杖を自分に馴染ませ、使いやすくする行為――すなわち『契約』を必要とする。これが、基本的なメイジの『杖契約』に関する常識なのだ。これらは、個人差こそあるものの、一般的にはだいたい数日から数週間かけて行う、実に時間のかかる行為なのだ。 ところが、ギーシュの場合はこれらを全て、自分だけでやれるというのだ。しかも、たったの15分で完結できるという。どうして、彼がここまで『杖契約』を短時間で完結可能であるのか。それは、彼の戦闘スタイルとポリシーに由来する。 そう。薔薇の杖を使って『ワルキューレ』を7体出すと、その時点で花びらが全て散ってしまうため、戦闘終了後はその都度新しい杖に持ち替える必要があるからだ。 もちろん、花びらがなくても魔法自体は使えるし、その気になれば<錬金>で花びらを取り付けることも可能だ。だが、自分で作った花びらを、わざわざ杖につけなおすという行為が『美しくない』ため、ギーシュはあえて生花に<固定化>をかけることで、毎回持ち替えているのである。 そして、そんな彼の部屋には、常にスペアとなりうる薔薇の花が飾られているし、マントの内側にも数本差してある。生花が用意できなかったときのために、造花の薔薇まで手元に置いてあるという徹底ぶりだ。「ある意味、グラモン伯爵らしい発想だよ。『常に華を忘れてはならない』これは、昔から彼の口癖なのだ。軍人が杖をなくすということは、即座に死へと繋がる。すぐさま、代わりを用意しなければならない。だからこそ、自分の息子に、あえて管理が難しい『生花で作られた杖』を持たせることによって、それを学ばせていたのだな」 ラ・ヴァリエール公爵の補足に、感嘆のため息をもらす一同。「杖をなくすということは、即座に死へと繋がる……」 タバサは、ふと自分の手元にある杖を見た。ごつごつとした、自分の身長よりも長く無骨なそれ。かつて、自分の父親が使っていたこの杖は、父の形見であり、彼女の愛用品でもある。その大きさが故に、教師たちから「持ち替えたほうがよいのでは」と言われたこともあったが、タバサは頑なに、その杖を持ち続ける事にこだわってきた。 しかし、このラ・ヴァリエール公爵の発言により、新たな発想が生まれた。何も手放す必要はないのだ。いざというとき代用品となりうるものを、どこかに持っていても良いのではないか? タバサはそう考えた。 『杖契約』の性質上、複数の杖を持ち歩くのは難しい。だが、絶対にできないことではない。その証拠に、タバサの父親は常に複数本の杖を所持していたからだ。彼女の持っている杖も、そのうちの1本だ。 そこまでやるのならば、自力で『杖契約』が完結できるよう、各種手順についても学んでおいたほうがいいかもしれない。そんなタバサの決意を知ることなく、太公望はギーシュの杖に関する追加解答を述べようとしていた。「それ以外にも、利点がある。それが『花びら』だ。その花びらが地面に触れたと同時に、地面から『ワルキューレ』が作製されている。つまり『花びら』は『核』ではなく、精製のための<精神力>を運ぶ<触媒>なのだよ。これのおかげで『空間座標指定』ができないギーシュが、より少ない<力>でゴーレムを創り出すことができていたというわけだ」 地面からゴーレムを作製する場合――いや、それに限らず普通のメイジは、魔法を発動させる際に、杖から発動場所へ<魔力>を運ぶ誘導用の<糸>を必要とする。 この<糸>には、誘導距離が長ければ長いほど、途中で魔力の一部蒸発させてしまうという、有り難くない副産物がある。また、この<糸>は詠唱終了後に全て霧散するため、当然のことながら、そのぶん余計な<力>を消耗しているということになる。 よって、この<糸>は細ければ細いほど、かつ、短いほうが良い。何故なら、表面積を小さくすることで、それだけ『蒸発』を抑えられるからだ。また『空間座標指定』ができるメイジは<糸>を作成するために必要な<精神力>の消耗がなくて済む。これは大きなメリットだろう。「つまり、ギーシュが持っている『杖』から落ちる『薔薇の花びら』は、その中に<錬金>発動のために必要な魔力を溜め込んで、<錬金>のための材料となる地面へと散ることにより<糸>を使わずに<魔力>を誘導でき、かつ着弾時の『起動スイッチ』の役割も果たしているという、複数の効果を持っておるのだ」 そう解説した太公望の言葉に、コルベールが補足する。「さらにいうと、薔薇の刺ですね。これで、ほんの少し指などに傷をつけることによって、契約に必要な分量の血液が出せる。『杖契約』のために必要なものが『薔薇の花』という、ただそれひとつだけで揃ってしまう。これは実に合理的な考えですぞ」 ギーシュは、自分の杖を手に取り、まじまじと見た。まさか、この『薔薇の杖』に、そんな深い意味が隠されていたなどとは、これまで思いもよらなかった。父の考えにも思い至らなかった。「なるほどなあ。それならギーシュの<錬金>でも、あんなに大きなものを、たくさん作れるはずだよな」 うんうんと頷く才人。どうやら彼なりに納得できたらしい。「と、まあ……このように、あらゆる事象の『なぜ』『こうなる』を理論的に解明し、それによって蓄積された知識や経験を体系化した学問のことを、我々の間では総じて『科学』と呼ぶのです。『自然科学』とは、その名の通り『自然科に分類した事象を解明するための学問』なので『自然科学』。今までの会話は<錬金>と、ギーシュの『杖』を科学したもの。そう言って差し支えないでしょう」 そう告げて、太公望はぴっと指を一本立てた。「なお、この学問をさらに細かく分類するならば、今回の話題は<錬金>による物質の変化を詳細に解明するもの、すなわち『あるモノが別のモノに化ける理由を、より詳細に突き詰めるための学問』これは『化学(かがく・ばけがく)』と称されます。このように、事象について追求し、深く分析していけば……魔法について、もっと色々なことがわかってゆくはずです」 そう語る太公望の言葉を聞きながら、エレオノールは思った。ああ、なんて楽しいのかしら。まさか<錬金>がこんなに面白く、興味深いものだとは思ってもみなかった! あまりにも魔法が身近にありすぎるため、これまで深く考えたことがなかったが、こうして少し『中』を覗いてみただけで、こんなにたくさんの『謎』が詰まっているだなんて! それを考えただけで、彼女の胸は躍った。<錬金>の入口ひとつ取ってみただけでもこれなのだ、もっとずっと奥まで覗き込んだら、果たしてどれほどの不思議が詰まっているのであろうかと。 エレオノールはついに理解した。この『中身を奥深くまで覗く』という行いが『科学』という学問なのだと。そして、気が付いた。この行為は『始祖』ブリミルの慈愛に、より近付くための最善の方法でもあるのだと。 何故ならば、今まで『起きて当たり前』だと受け取られてきた魔法の根本を、より詳しく調べることによって、それを当たり前にしてくれた者に対する、深い感謝の念が生じるからだ。しかも、その理由全てを、自分が知ることによって、より明快に相手へと伝えられる。 これまで『始祖の彫像』を造り、研究することで、偉大なる『始祖』ブリミルの慈愛と業績を後世へ伝えるべく努力していたエレオノールだったが、悲しいかなその成果は、ごくごく一部の者にしか認められず、年々予算を削られていくばかりであった。 しかし魔法を『科学』するというこの研究手法は、創立からずっと始祖の御心を知るための研究を続けている、我が王立アカデミー全体の意志に沿うもの。それに、なんといってもこのわたくしの知的好奇心を徹底的に満たしてくれる、素晴らしき学問にして命題だわ。 ――後に、エレオノールは……彼女が新たに開いた『道』に続く、大勢の研究者たちから敬意を込めて、こう呼ばれることとなる。『魔法科学の母』『エレオノール・第一号魔法科学博士』 これは、ハルケギニアという世界で初の『魔法科学』という学問と、その創始者にして母親たる存在が誕生した<運命>にして記念すべき瞬間であった。○●○●○●○● ――時は少し遡り、歓待の数日前。タバサの部屋にて。 最初に、太公望からこれを打ち明けられたとき、キュルケは彼の正気を疑った。「ミスタ・コルベールに、タバサのお母上の治療を手伝って貰う」 コルベールは火系統の使い手である。正反対の属性である水魔法の<治療>は、たとえやれたしても、相当の<精神力>を消耗するであろう。 そう意見をしたのだが……太公望は笑って言った。「いや。これには、彼の『切り開く力』たる<火>が必要不可欠なのだ。そういう意味で、キュルケよ。おぬしにも、同じ火系統の使い手として、是非とも治療の手伝いを頼みたいのだがのう? 出会ったばかりの頃ならばいざ知らず、今のおぬしならば確実に頼れる」 そう言われたキュルケは、正直悪い気はしなかった。しかも『破壊と情熱』を司る火で、親友の母の病気を治す手伝いができるというのだ。救出時のみならず、そんな重要な役割を任せてもらえるというのは、彼女にとって誇らしい依頼であった。 だからキュルケは胸を反らせ、髪を掻き上げながら、高らかに笑った。「そういうことなら任せてくださいな。親友のお母様を助けるために、あたしの<火>が役立てるだなんて! こんなに嬉しいことはなくてよ」「……ありがとう」 彼女の手をぎゅっと握り締め、感謝の言葉を述べたタバサの身体を、これまたぎゅっと抱き締めたキュルケは、こう言った。「で、それは、いつミスタ・コルベールに依頼するのかしら?」「うむ。例の歓待期間中に、その機会を作り『部屋』へと招待するつもりだ」「そこに、わたしたちも?」 タバサの問いに、太公望は少し悩んだ後、こう返した。「ひょっとすると、途中で退出してもらうかもしれぬが……それでも構わなければ」 タバサとキュルケは、了承の印に強く頷いた。 ――そして、現在へと至る。 <錬金>に関する、思いも寄らぬ話を聞いたコルベールは、激しく興奮していた。 「科学とは、まさしく私が今行っている研究方法そのものではないか! あれをもっと深く知りたい! 学びたい!」 そう呟きながら、自室へ戻ろうとした彼に声をかけたのは、太公望と、ふたりの女子生徒であった。「でしたら、先生の部屋で、これから少しお話など如何でしょうか?」 これが普段のコルベールならば「夜に女子生徒を部屋に招くなど。とんでもない!」などと反論していたかもしれない。ところが、旺盛な知的好奇心が、そんな『教師』の常識を吹き飛ばしてしまった。 そして――彼は見て、悟った。以前、空の上で才人が告げた、その言葉の意味を。『近いうちに、太公望師叔がいいものを見せてくれるそうですよ』 ――コルベールは、それを見て、文字通り驚喜していた。 ガラスでも、水晶でもない球体。それが、一定の高さを浮遊して、部屋の中を照らしている。全て、手の中にすっぽりと収まる程度の大きさだ。にも関わらず、こんな小さなランプ3つで、これだけ広い部屋を真昼のような明るさに維持できるというのは、いったいどういう仕組みになっているのだろうか。 これは、そのものが発光する物体であるのか。あるいは、中に光苔のような光源となりえる物質が詰め込まれているのだろうか。それとも、常に<光源>の魔法を発し続ける魔法具なのであろうか。時折、球体外側の表面に、謎の記号が浮かび上がるが、これはいったい何を示すものなのだろう。 部屋の入り口に浮かんでいた『光源』を発見したコルベールが、早速『分析』に入ってしまったのを見た太公望は――現在は、再び『夢の部屋』にいるので、伏羲の姿になっていた彼は――思わず苦笑してしまった。コルベール殿は、やはり根っからの『研究者』なのだ。少なくとも、現時点においては。 そんな彼に、この『仕事』を依頼してよいものかどうか迷ったのだが、正直なところ、彼以上の適任者が、どうしても見つからなかった。本来であれば、才人も一緒に連れて行く予定であったのだが、これから行く先は『経験者』でないと厳しい。あの『心の弱さ』を見てしまった以上、残念ながらまだ力不足であると判断せざるを得なかった。 そういう意味では、キュルケがいちばんの不安材料ではあるものの、今の彼女であれば、暴走する心配はまずあるまい。それを防ぐための準備は、充分にしてきた。 もしも可能であれば、オスマン氏の協力を得たいところではあったのだが、彼ほどの大物をいくら隣国とはいえ他国へ動かしてしまうと『敵』に察知される危険性があるため、これについては即座に却下した。「コルベール殿。『わしの部屋』の見学は、あとでたっぷりしていただいてよいので、まずは話を聞いてはもらえないだろうか?」 ――それから30分ほどして。タバサの持つ事情を聞き終えたコルベールの両手は、ぶるぶると震えていた。「私の<火>を、頼りたいと? 技術ではなく……?」「その通りだ。機密保持の関係上、大変申し訳ないが、より詳しい話については依頼を受けていただけるまでは打ち明けられないのだ。どうであろう? このような、大変に不躾な頼みではあるのだが、引き受けてはもらえぬだろうか」 技術ではなく、自分の<火>つまり『炎蛇』たる者の<力>が借りたい。即座に、これはそういう依頼だと理解したコルベールは、躊躇した。 俯き、押し黙ってしまったコルベールを見て、キュルケはフンと鼻を鳴らした。彼女は失望していたのだ。『炎蛇』などというご大層な二つ名を冠しているにも関わらず、普段からのんびりとしていて、いかにも本の虫といった風情の彼が、何故破壊を本領とする火系統を司るメイジであるのか、理解できなかったからだ。 だが、そんな彼にわざわざ太公望が依頼をしたということは、相応の理由があるはず。そう信じていたキュルケにとって、コルベールの反応は単に『臆病者が、当たり前のように怖じ気づいた』。そのようにしか映らなかった。 いっぽう、タバサは疑問に思っていた。以前、とある事件の際にコルベールの<炎の蛇>を見たとき、彼女は背筋に鳥肌が立ったのだ。もしも、あれが自分に向けられていたら……反撃する間も与えられず、瞬時に焼かれていただろう。 いや、あの<炎>だけではない。呼吸、動作、それら全てが、彼を相当な達人……しかも対人経験のある熟練者であることを匂わせていた。おそらく、本気を出したコルベールに『不意打ち』を受けたらまず助からない。それどころか、襲撃を受けたことに気付かないうちに燃やされているだろう。それほどの『戦士』が、何故躊躇うのか。臆病というわけではなさそうだ。何か、深い理由があるに違いない。 タバサは、そこに悲しみを見た。だが、あえて一歩踏み込むことにした。「先生は、いつも授業で仰っていました。『破壊だけに火を用いることは寂しい』と。その言葉を発するとき、先生はどこか悲しそうでした。その理由は聞きません。でも、もし……火を壊すのではなく『切り開く』ために使うことを躊躇わないのであれば、どうか、わたしたちに手を貸してはいただけないでしょうか」 タバサの切なる言葉に、コルベールの心が震えた。そして、彼は思い出した。 ――火系統のメイジとは『自ら道を切り開く者』。 そうだ。私は決めたではないか。自分の<火>で、ひとびとを幸せにするための『道』を切り開いてゆこうと。破壊の権化ではなく、暖かな光になりたい。そう願っていたではないか。自分に助力を願う、この小さな瞳から視線を外すことは、その決意に砂を掛けるに等しい行為ではあるまいか。 コルベールは、まだ躊躇っていた。しかしそれ以上に、タバサの真摯な眼差しに、心を打たれた。だから――自らに試練を課すことで、それに応えるための準備をしようとした。「私は、きみたちが思っているような、立派な教師などではないのだよ。重い……いや、そんな言葉では軽すぎるほどの罪を背負う咎人(とがびと)だ。ミスタ・タイコーボーは、それを既に知っているか、あるいは予想しておられるために、私に助力を請うてきたのでしょう?」 全身を黒の装束――現在は伏羲の姿をとっている太公望は、頷いた。「詳細までは知らぬ。聞き出そうとも思わぬ。だが、召喚されたあの日のうちに、気付いていた。コルベール殿が、いったい何者であるのか。だが少なくとも、あの場での反応は……間違いなく、子供たちを守る『教師』たりえる姿であったよ」 その言葉に、キュルケが反応した。「ミスタ。それはどういうことですの……?」 太公望は、黙ってコルベールの目を見た。その視線を受けたコルベールは、頷いた。それを了承の判断と受け取った太公望は、静かに語り始めた。「コルベール殿は、あの<使い魔召喚の儀>でわしが現れたとき、瞬時に動いた。自然に、実にさりげなく。相手を警戒させない滑らかな動作でもって、生徒たち全てを守れる位置についた。あれを見たとき、わしは即座にこの男は只者ではないと判断した。彼は間違いなく軍人。それも、相当な手練れであると」「コルベール先生が、軍人!?」 キュルケは、即座に反論しようとした。そんなはずはないと。だが、彼女は知っていた。太公望の『解析』能力が、常人のそれとは比べものにならない程に正確なものであると。そして、彼がサイトの世界で伝説の英雄として語り継がれる大将軍であることを聞き、かの『烈風』と互角に戦えるほどの技量を持つ『超技巧派』のメイジであることを見せつけられていた。だから、舌を動かせなかった。「トリステイン魔法学院は、有力貴族の子弟のみならず、外国からの留学生が多く集まる場所。考えようによっては、常に『火種』を抱える巨大な火薬庫たりえる存在だ。コルベール殿は、その番人として、生徒を守るという特殊任務を、国から与えられた軍人である。わしは、そう捉えていたのだが……違いますかのう?」 コルベールは、何も言わない。俯き、両の手を握り締めている。「実際、わしを除く水精霊団の者たちが、一斉にコルベール殿へ挑みかかった場合――見通しのよい平野ならばともかく、市街地や森などで地形を有効活用されたら、ほぼ間違いなく全員揃って完封されるであろう」 そう告げた太公望の言葉に、キュルケとタバサは驚愕した。特にタバサは、コルベールの実力をある程度把握してはいたものの、さすがにそこまでの腕利きだとは思っていなかった為、激しい衝撃を受けた。 先生は、自分の『パートナー』太公望と同じなのだ。完全にコルベールの見た目や言動に騙されていた。それを理解したがゆえに、タバサは凍り付いた。 いっぽうのコルベールは、内心で苦笑していた。目の前の人物――太公望が持つ甘さに対して。こんな罪深き私すら、彼は守ってくれようとしている。この人物は、本当に事情を知らないのかもしれない。だが、こちらの力量を、ほぼ正確に把握しているということは……私が、どのような性質を持つ『軍人』であるのか、当然わかっているはずだ。 そして、この依頼を受けるということは、それを開帳する必要に迫られる可能性があるということだ。だから、コルベールは話すことにした。あえて生徒たちがいる前で――自分が犯してきた罪を。「いいえ。私は、そのような立派な存在ではありません。ただ、かつて軍人であったことは事実です。それも……王国の<特殊魔法実験小隊>を率いた、指揮官でした」 キュルケは、思わずコルベールを見つめた。そして、おののいた。今の彼は、いつものどこか間の抜けた教師などではなかった。纏う空気が完全に違う。それは、味方すらも焼き尽くすと称される、ツェルプストー家生まれのキュルケですら感じたことのない熱気。彼に触れれば火傷する。燃えて、灰すら残さず<消滅>する。 オーク鬼退治という『実戦』を経験したキュルケだったが、あれはあくまでも保険つきの戦いであった。命を賭けた本物の戦いなど、これまで体験したことはない。だが、コルベールが発する気配は違う。まさしく、戦場を駆け抜けた者だけが持つ、独特の雰囲気を漂わせている。それは肉が焼け、死そのものを感じさせる香りであった。「なあ、ミス・ツェルプストー。きみさえよければ火系統の特徴を、この私に開帳してくれないかね?」 そう言って視線を向けてきたコルベールの瞳は、まるで獲物を狙う爬虫類を思わせた。彼の静かで優しげな声を聞いたキュルケは、自分の耳へと達したその声音とは裏腹に、生まれて初めて。純粋な死を感じさせる、恐怖の旋律を聞き取った。 その畏れは『炎の女王』とまで称された赤毛の少女から、瞬時に全ての『熱』を奪い尽くした。空気中の酸素を含め、そこに存在する全てを燃やし尽くしたあとに訪れる、完全なる無の空間を生じさせたが如く。「……情熱と破壊が、火の本領ですわ」 震えながらも、小さく発せられたキュルケの言葉に、コルベールは静かに頷いた。「情熱はともかく、破壊こそが火の本領。そうだ、若い頃の私は、それを信じて疑わなかった。だからこそ、軍に所属して、立ちふさがる者全てを焼いた。顔色ひとつ変えず、何もかも、全てを破壊し尽くしてきた。いつしか、そんな私についた二つ名が『炎蛇』。蛇のように静かに這い寄り、炎という、確実に死に至る『毒』を敵対する者に与える――非情の使い手だと」 ふと顔をあげたコルベールの瞳に、太公望の顔が映った。彼は静かに、小さく首を横に振っている。それ以上語らなくともよい、そう言いたいのであろう。だが、コルベールは頷かなかった。「その考えが変わったのは、20年前だ。とある村に、疫病が発生したと、上から告げられた。全てを焼き払い、病の蔓延を防げ。そう命じられ、任務を遂行した。その時は、そう信じていたし――何より、上からの命令を忠実に実行するのが軍人の役目だ。なんの疑問も持たずに、私は村を焼き払った。そうだ、家屋だけでなく、動くものたちをも含め、全てを灰にした」 疫病の蔓延を防ぐために、動く者全てを焼く。つまりは――そういうことだ。キュルケとタバサの背中に、冷たい何かが伝い落ちていった。全体を救うために、個を犠牲にする。よくあることだと言われてしまえば、それまでだろう。だが、それはあくまで『する側』の理論である。『される側』にとっては、たまったものではない。「だが、後に仕事で軍の資料庫を訪れた際に……知ってしまったのだよ。その任務に隠された、真の意味を。あれは、疫病を防ぐためのものではなかった。ただの『新教徒狩り』だったのだよ。しかも、一部の貴族と神官が癒着した結果、自分たちの利権を守るためだけに行われた、欲望の果ての虐殺だったのだ!」 ――新教徒。ブリミル教の長い歴史の間で、一部の有力者との馴れ合いや、祈祷書の内容を自分たちの都合のいいように解釈する神官が多数現れ、それがために寺院の腐敗が進んでいる。そんな現状を変えようと、百年ほど前にロマリア皇国でひとりの司教が立ち上がったのが、後に『実践教義運動』と呼ばれる宗教運動の始まりである。 ブリミル教を、本来のあるべき姿に戻そう。この運動と教義を信じる者は『新教徒』と呼ばれ、かなりの<力>を付け始めている。当然のことながら、旧来のブリミル教徒――特に甘い蜜を吸っている神官たちや寺院からしてみれば、そんな状況が面白いと思えるはずもなく。それらは『弾圧』という形でもって表へ出た。コルベールが任務と称して行わされたのも、そのひとつである。 苛烈を極めたこの弾圧は、数年前に教皇が変わった現在では禁止されているが、今でも『旧教徒』の『新教徒』に対する偏見は根深く残っている。ガリアなどでは、その対立を畏れるがゆえに『実践教義』を国法によって禁じたほどである。 いつしか、部屋の中はしんと静まり返っていた。ただひとりの口奥から漏れ出る、嗚咽混じりの声を除いて。「私は、それからずっと罪の意識に苛まれ続けてきた。私のしたことは、到底許されることではない。任務だったから、軍人だから、知らなかったから。そんなものは言い訳にもならない。炎に包まれた、あの村を――私の火で焼かれていった彼らの悲鳴を、私は一度たりとて忘れたことなどない。だから私は、軍を辞めた。そして二度と火を破壊に使うまいと誓ったのだ」 コルベールの唇が、強く噛みしめられた。そして、そこから流れ出た血を見たキュルケは――それを、燎原を静かに這い進む、炎の蛇のようだと感じた。「そのまま罪の意識に押し潰され……自ら地獄へ続く道に墜ちてゆこうとしていたあの時。私は、ひとりの老人に出会ったのだ。彼は、放っておいてくれ、このまま死なせてくれと願う私を制し、大声で怒鳴りつけた。死んでどうなる? 自分だけ。たったひとりの命で、全てを償うことができると思うほど、君は傲慢な人間なのか? とね」 そう自嘲したコルベールの瞳に映っていたのは、闇などではなかった。それは、もっと別の何か。「その老人こそ、トリステイン魔法学院の学院長たる、オールド・オスマンだったのだ。そして、彼は、ただ自分の犯してしまった大罪を前に、嘆くことしかできなかった私に向かって、こう言ってくれたのだよ」『火が司るものが、破壊だけでは寂しい。そうは思わんかね? 君の手には、もっと別の何かが乗せられている。わしは、そう思えるのじゃよ。本気で罪を償いたいと願うのならば、その<力>で、新たなものを生み、育ててみてはどうかね?』「彼の言葉は、私にとって<天啓>と呼ぶに相応しいものだった。その後、私はオールド・オスマンの口利きでトリステイン魔法学院の教師となったのだよ。子供たちが、私と同じ間違いを繰り返すことのないように。火の『道』にも、壊す以外に別のものがある。それを教え、指し示すために」 同時に『火で何かを生み出すことができないか』それを追い求めるがゆえに、コルベールは学問に走ったのだと語った。そして、彼は知るに至ったのだ。火系統の持つ、破壊以外の可能性を。だから、彼はひたすら学問に殉じた。オスマン氏の依頼で、学院の生徒たちを影から守ることも行っていた。 かつて『破壊の杖』が魔法学院から奪い去られたとき、フーケ討伐隊に志願しなかったのは、したくてもできなかったからだ。オスマン氏の強い視線によって、制されていたから。「私の手は、たくさんの血に濡れている。この手にかけたひとびとの命は、もう戻ってはこない。だが、オールド・オスマンと出会い……こんな私を、地獄の底から救ってくれた彼の理想を手伝うことこそが、この私に科せられた使命のひとつである。今でも、そう信じているのだ」 そう言って、コルベールはじっとタバサの目を見つめた。「本当に、こんな私の手を借りたいと、そう言うのかね? ミス・タバサ」 その問いかけに、タバサは力強く頷いた――そこへ、一切の迷いを見せずに。「ならば、私の<火>を貸そう。オールド・オスマンの理想。それは、生徒たちを正しい道へと導くこと。困っている子供たちに、手を差し伸べることだから」 そう言って、目の前へ差し出された、コルベールの節くれ立った手を、タバサはしっかりと握り締めた。そのか細く、小さな両手で。 ――それから、数時間後。ふたりの女子生徒が退出し、自室へと戻った後。『夢の部屋』に立ち、窓の外に映し出された景色を眼下に眺めながら、コルベールが呟いた。「私は、やはり卑怯者です。あれでは、彼女たちを脅迫したも同然ではありませんか。今になって思うのです。自分の罪を誰かに打ち明けることで、楽になりたかった。ただ、それだけの気持ちで、あんな話をしてしまったのではないかと」 そう言葉を紡いだコルベールの瞳には、再び涙が溢れていた。「罪を自覚して悩む。それが、新たな道を征くための第一歩なのだとわしは思う。かつて、とある敵将に、こう問われたことがある。お前は、地に平和をもたらすために働いていると言うが、結局は本来不要な争乱を巻き起こし、憎むべき自分の敵と同じように軍を率い、罪なき民を大勢巻き込んでいるだけなのではないか? ……とな」 コルベールの隣に並び、同じように窓の外を眺める太公望。その視線の先には、彼――いや、伏羲の故郷たる滅びた惑星を模した大都市が、宵闇の中、煌々とした無数の灯りによって、照らし出されていた。「わしは、言葉に詰まってしまった。何故なら、その将軍の言うとおりだと思う自分が、心の中に居たからだ。本当にわしは、この道を歩んでも良いのだろうか。これは正しい道なのであろうかと、ずっと悩み続けた」 ――戦を好まぬその気性がゆえに、総軍司令官として軍を率いるという矛盾を抱えることになった男の話を、戦うことの意味を知ろうとしなかったが為に、ひとりでは到底抱えきれぬ大罪を背負うことになった男は、ただ静かに聞いていた。「だが、周囲にいた仲間たちが、わしを支えてくれた。道に迷うわしの背中を、皆が押してくれた。だから、前へ進むことが出来た。たとえ、どんなに傷つけられようとも、この手を血に染めようとも」 そのとき、彼らの眼前で、一機の宇宙船が力強く飛び立って行った。天高く、煌めく星の海へと向けて。囂々と輝く炎を噴きながら、遙かな天上の世界へと旅立ってゆくその船を見たコルベールは、ぽつりと呟いた。「私の<火>も、いつかあの船のように、飛び立てるのでしょうか」 遠い星の海を目指す船。それは、あの『ゼロ戦』と、どこか似た姿をしていた。「あれは、おぬしが今歩んでいる『道』の遙か先に在るものだ。必ずとは言えない。だが、迷わず進めば、いつか届くかもしれぬ。もしやすると、あの星々にさえも。少なくとも、おぬしの周りには、その手助けをしてくれる者たちがおる。そうであろう? コルベール殿」 その言葉と共に、すっと差し出された手を、コルベールは無言で握り返した。 ――こうして『炎蛇』は、火系統の使い手として、再び立ち上がった。破壊のためではなく、自分の守るべき者たちの目指す『道』を切り開く為に。