――事ここに至って、太公望は己のうかつさを呪った。 トリステイン魔法学院の食堂は、学院の中央に位置する本塔の内部にあった。食堂の中には、100人はゆうに座れるであろう長いテーブルが3つ、並んでいる。タバサたち2年生のテーブルは、真ん中だった。 貴族と同等の扱いをする、という契約を学院側と交わしていた太公望は、当然のことながらタバサとともに、この食堂で食事をとることを許されている。もちろん、その内容も貴族のそれとまったく同じだ。 大きな鳥のローストが、鱒の包み焼きが、威圧するように太公望の前に並んでいる。「このわしとしたことが……なんという……」 ――あまりの事態に、太公望は息を飲んだ。「偉大なる『始祖』ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝致します」 祈りの唱和を終え、料理を口にしようとしたタバサは、隣にいる太公望が固まったように動かないことに気がついた。ほんの少しの間を置いて、太公望がボソリと呟く。「のう、タバサ。わし、肝心なことを伝え忘れとった」「それは何?」「わしは……なまぐさが食えんのだ」 タバサは驚いた。太公望曰く、彼はなまぐさ――つまり肉や魚の類は一切食べられないのだそうだ。これまで住んでいた地域では、たとえ初めて訪れる店であろうとも、彼の服装を見ればすぐにそれに相応しい食事を出してもらえたのだという。 そう言ってしょんぼりと頭を垂れる太公望の姿は、見た目の年齢相応なもので。昨日とはまるで別人のようだ。こんな顔もするのか……などという『雪風』の二つ名にそぐわぬ感想を胸に抱きつつ、タバサは質問する。「あなたが食べられるものは?」「野菜と果物、卵や牛乳なら問題ない。それと、なまぐさを使わぬ菓子の類かのう」「わかった。お昼からはそのように厨房へ伝える」「すまぬ、感謝する」 パン! と両手を叩くように合わせ、礼を述べる太公望。 国が変われば習慣も変わる。この国へ呼ばれた時に、太公望自身が言ったことだ。にも関わらず、食事のことを伝え忘れるとは……正直とんだ失態である。「せっかく出してくれたものを残すというのは、実に忍びないことなのだが……」 そう言って料理を脇へよけ、フルーツをつまむ太公望にタバサは申し出る。「わたしが食べる」「ぬな!? かなりの量だぞ」「大丈夫、問題ない」 その後タバサは、唖然とする太公望を尻目に、フルーツとトレードしたふたり分の朝食をあっさりと完食した。 ――そんなやりとりをしていたふたりから少し離れた席では、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが、誰にも聞き取れないほどの小声で、ぶつぶつと恨み言を呟き続けていた。現在の彼女は、不機嫌の極みにあった。「いったいどういうことよ。そりゃあドラゴンとか、グリフォンとか、そんな使い魔が来てくれれば嬉しかったけど。このさい、小鳥とかネズミでもいいって思ってたけど……」 フォークを握る手に力が籠もる。「そそ、それなのに、よりにもよってただの平民が来ちゃうって、いくらなんでもあんまりだわ。お、おまけに、あいつのせいで怨敵ツェルプストーから完全にバカにされるし! なな、なんでわたしが、ここ、こんな侮辱を受けなきゃいけないのよ!」 ルイズは悔しかった。呼び出した使い魔は生意気で、貴族に対する礼のなんたるかすらわからぬ田舎者だった。それだけではない。他の世界から来ただのなんだのと、訳のわからないことを言う。他の使い魔が備えているような<力>も持っていないようだ。 雑用くらいならやれると思ったが、それすら満足にこなせない。今朝のことだ。なんと洗面器に水が張られていなかった。朝起きた主人が顔を洗うのに水が必要なことくらい、普通は教えられなくてもわかるだろうに。 着替えも、髪を梳かすのも下手。結局鏡を見ながら自分で全部直すはめになり、危うく朝食に遅れるところだった。 そこまではまだ我慢できる。できるのだが――彼女、いや。彼女の実家にとって、仇敵とも呼べる存在である隣国ゲルマニアの貴族、ツェルプストーの娘に色目を使ったことだけはどうにも許し難い。 ……才人は単に挨拶を交わしただけだったのだが、ルイズはそれすら気にくわない。 何せ彼女の実家とツェルプストー家は代々争い続けてきた家柄で、しかもヴァリエール家側は相手に何度も愛するひとを奪われたという過去を持つ。たとえそれが使い魔といえど、おめおめと取られるわけにはいかないのだ。「どうしてなのよ。同じ人間が来るなら、せめて……」 自分の向かい斜め奥の席に座るふたりにチラリと視線を向けながら、ルイズは呟いた。「あの子みたいに、異国のメイジだったなら――何かが掴めたかもしれないのに」 ……いっぽうそのころ。 そんなご主人さまの胸中など知る由もない使い魔――平賀才人はというと。 <使い魔召喚の儀>を監督していた教師の計らいにより、本来の歴史とは異なる場所と物――アルヴィーズの食堂の床に置かれた貧相な食事ではなく、厨房の片隅にある平民たちの休憩所で、まかないをもらっていた。○●○●○●○● ――メイジは、人間・妖怪を問わず、多くの弟子を取るのか。 もしも昨夜、召喚主からこの『修行場』についての説明を受けていなかったら……教室に入った直後、太公望はそのような感想を持ったかもしれない。それほど室内は多種多様な生き物たちであふれていた。タバサと太公望が中に入っていくと、燃えるような赤く豊かな髪をもった娘が、中央付近の席から笑顔で手招きをしている。「おはよう、タバサ。それと、ミスタ……?」「『太公望』呂望と申す。太公望と呼んでくれ。失礼だが、おぬしの名を教えてはもらえぬだろうか? わしの記憶違いでなければ、初対面だと思うのだが?」 にっこりと……いや、妖艶に、と言い直したほうがいいだろう……一般的な男なら、誰でもあっさりと魅了されてしまいそうな微笑みを浮かべながら、少女は口を開いた。「まあ、遠国の出身らしい変わったお名前ですのね。あたしはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。あなたを召喚したタバサの親友よ。二つ名は『微熱』。キュルケでよろしいわ」 キュルケはちらりとタバサのほうを見て言った。「タバサ、なかなか素敵な殿方を召喚したものね」「駄目」「もう、わかってるわよ。取ったりなんかしないから」 なにやら不穏な台詞が飛び出したような気がしなくもないが、言葉を交わす2人の姿は、その身長差も手伝って、親友というよりも、まるで仲のいい姉妹のようだ。そして誘われるように席へ掛けた太公望(ちなみに並び順は向かって左からキュルケ、タバサ、太公望である)は、改めて室内を観察する。 巨大な目玉が浮いている。その他にも、不気味な模様のトカゲやフクロウ……あそこにいるのはコウモリだ。なるほど、これらが本来<使い魔>とされるべき者たちか。 主人の目や耳となり、時には盾となってその身を守る『パートナー』。それが、この世界において<使い魔>と呼ばれるモノの定義だと聞いていた太公望は嘆息した。確かに、あれらの存在と比べたら、自分はとんだ例外で、珍しいのだろう。その証拠に、室内のあちこちから無遠慮な、それでいて好奇に満ちた視線を感じる。 ……と、ふいに己への注目が後方へと逸れ、代わりにくすくすと小さな笑い声が聞こえてくる。なんとなしに気になった太公望が後方を振り向くと、ちょうど桃色の髪をした少女と黒髪の少年が連れ立って入ってくるところであった。 ――なんか、大学の講義室みたいだな。才人は、段差のある床に横長の机が並んでいる光景を見て、そう思った。教室の最奥に黒板と教壇があるのが、いかにもそれらしい。 才人とルイズが中に入っていくと、先に教室へ来ていた生徒たちが一斉に振り向いた。単に注目を集めただけではない。何やら馬鹿にされているような空気を感じる。その証拠に、自分たちを指差してくすくすと笑っている者までいる始末だ。 なんだかいやな感じだな。と、才人が実に居心地の悪い思いをしていると……教室の片隅に見覚えのある顔を発見した。あそこにいるのは、今朝親切にしてくれた、あの魔法使いじゃないか。才人は、思わず叫び声を上げてしまった。「あっ! お前、このクラスだったのかよ!」「平賀才人ではないか! また会うたの」 魔法使いのほうもすぐに才人の姿に気がついたようで、笑顔で手招きをしている。才人はそれがなんだか嬉しくて、急いで彼の側へ駆け寄っていった。「才人でいいよ。今朝はありがとな」「困ったときはお互い様だ、まあ座るがよい」 才人は、横にあった椅子を引き寄せた太公望に、自分の隣に座るよう勧められる。もちろん、喜んでそこへ腰掛けた才人。そしてそのまま、ほとんどなし崩し的に異文化交流が始まるかと思いきや……それは、耳をつんざくような大声によって遮られた。「つ、つ、使い魔が、ご、ご主人さま放っといて何やってんのよ――!!!!!」 すわ物語が開始してから初の直接戦闘開始かと思われたが、しかし。紫色のローブに身を包み、とんがり帽子をかぶった、やさしげな中年の女性――この授業を担当する教師が入ってきたおかげで悲劇は回避された。ひょっとすると喜劇の間違いかもしれないが。 不幸な事故を未然に防いだ功労者である彼女は、己の功績に気付くことなく教室を見回すと、実に満足そうに微笑んで、こう言った。「皆さん。春の使い魔召喚の儀は大成功のようですね。このシュヴルーズ、毎年こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」 さらに、シュヴルーズと名乗った教師は続ける。「ミス・タバサとミス・ヴァリエールは、実に変わった使い魔を召喚したものですね。特にミス・タバサは、遠く『ロバ・アル・カリイエ』のメイジを呼び出したとか。学院長から話は伺っていますよ」 おおっ、という声が教室中から上がる。 ――そう。太公望の立ち位置の調整に苦慮した学院長は、教職員たちに、「彼は『聖地』を越えた、ハルケギニアの遙か東にあるといわれる諸国『ロバ・アル・カリイエ』のひとつからやってきたメイジである」 ……という虚偽の説明を行うことで、太公望が貴族とほぼ同等の待遇を受けることを納得させていたのである。もちろんこれは、タバサと太公望にも前もって通達されている。当然のことだが、口裏を合わせる必要があるからだ。 だが、そんな生徒たちの驚きようが日本出身の才人にわかるわけもなく。「ロバ……なんとかって、何?」 彼はルイズ――不承不承ながら彼らの隣席についていた主人に小声で訊ねた。「あんた、本当に常識を知らないのね。ここからずーっと東の『聖地』や、砂漠地帯……サハラを超えた先にある国々のことよ」 ルイズは、呆れた声で呟き返した。これも当然のことながら、己の使い魔が自分たちの常識の埒外にある『異世界』から現れたことなど全く知らない――正確に言うと信じていなかった彼女は、その後うんざりしたように教壇へと視線を戻した。 そんな彼女の態度を見て、せっかく可愛い顔してんのに一言余計なんだよなあ。色々ともったいねえなあと才人は思った。だが、彼の思考はすぐさま別の対象に向けられた。「そうだったのか。場所は全然違ってるけど、えっと、タイ……なんだっけ? あいつも俺と同じで、めちゃくちゃ遠い場所から召喚されてここに来てたんだ! だから他の連中と違って、俺のことを普通に扱ってくれるのかもしれないな」 才人はそのように受け取った。彼は知らないことだが、その考えはほぼ正しい。「そうだ、そうだよ。向こうは確かに魔法使いかもしれないけど、俺とおんなじ使い魔なんだ。それなら、この世界で初めての友達になれるかも! 結構いいヤツみたいだし。もしかすると、魔法の使い方を教えてもらえたりなんかしちゃったりして!!」 ……だがしかし。そんな才人の大幅期待込みな前向き思考は、突如沸きあがった笑い声によって虚しく掻き消されてしまった。「ハハッ、やっぱりそうだったんだな『ゼロ』のルイズ! まともに魔法ができないからって、その辺歩いてた平民連れてきたんだろ!」「違うわ! わたし、きちんと召喚できたもの。こいつが来ちゃっただけよ!!」 オイ、こいつが来ちゃったってどういうことよ。才人が文句を言おうとした直後、別の生徒が嘲り声でそれを遮った。「嘘だ! 『雪風』のタバサが異国のメイジを呼び出したのが、その証拠だぜ!!」 めちゃくちゃな理屈である。当然のことながらルイズは反論した。「そんなの、証拠になんかならないわ!」 立ち上がって訴えるルイズを、1人の男子生徒が指さして笑った。「嘘つくな! どうせ<サモン・サーヴァント>も失敗したんだろう!? 『ゼロ』のお前に、まともに召喚できるわけないもんな」 周りの笑い声が大きくなる。「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! あの『かぜっぴき』が、わたしを侮辱しましたわ!!」「かぜっぴきだと!? 俺の二つ名は『風上』だ!」 『かぜっぴき』と呼ばれた小太りの生徒が立ち上がり、ルイズを睨み付ける。ため息をついたシュヴルーズが、手に持った小振りな杖を振ると、立っていたふたりは、まるで糸の切れた操り人形のように、ストンと席に腰を落とした。「ふたりとも、みっともない口論はおやめなさい。いいですか、級友を『ゼロ』だの『かぜっぴき』だの言ってはいけません。わかりましたか?」 ルイズはしょんぼりとうなだれていたが、一緒に叱られた生徒はさらに抵抗を示す。「ミセス・シュヴルーズ。僕の『かぜっぴき』はただの中傷ですが、彼女……ルイズの『ゼロ』は事実です」 シュヴルーズは厳しい顔をして、杖を一振りする。と……どこから現れたものか、小うるさい生徒の口に、ぴたっと赤土の粘土がが押しつけられる。「あなたは、その格好で授業を受けなさい」 教室内は先程までの喧噪が嘘であるかのように、しんと静まり返った。 シュヴルーズは重々しくこほんと咳をすると、再び杖を振った。すると、教壇の上に石ころがいくつか現れる。「それでは、授業をはじめますよ。私の二つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。土系統の魔法を、これから1年間皆さんに講義します。魔法の四大系統はご存じですね? ミス・ヴァリエール」「は、はい。<土><水><火><風>の4つです」 ルイズの答えに、シュヴルーズは満足げに頷いた。「現在は失われた系統である<虚無>を合わせると、全部で5つの系統があることは、皆さんも知っての通りです。その中でも<土>は、特に重要な位置を占めていると、私は考えます。何故なら、土系統の魔法は万物の組成を司る魔法であるからです。土系統の魔法がなければ建造物の作製に手間取り、必要な金属も手に入らず、農作物の収穫量も今よりずっと減ることになるでしょう。このように、土系統の魔法は皆さんの生活と、密接に関係しているのです」 太公望は、ふむと唸った。なるほど、この世界では地球とは異なり『奇跡の技』が一般の民の間で、生活の一部として完全に定着しているのか。で、あればメイジたちが支配階級として君臨している理由も、ある程度はわかろうというものだ。 いっぽう才人は昨日ルイズと交わした会話のズレについて、なんとなくだが理解した。科学の代わりに魔法が発展している世界なのか、と。 そういえば。夕べ、寝る前にルイズが部屋のランプを指を鳴らすことで消していた。たぶん、あれも魔法のアイテムなんだろう。「あんなのがたくさんあるなら、そりゃあパソコンなんて理解されないよなあ……」「なんか言った?」「いいえ、別に」「授業中なんだから静かにしてなさい」「へいへい」 やりとりの間も、教壇に立った『赤土』先生の説明は続いている。「今日は、みなさんに土系統魔法の基礎である<錬金>の呪文を学んでもらいます。1年生のときにできるようになったひともいるでしょうが、基本は魔法を学ぶ上で大切なことですので、もう一度おさらいすることにします」 シュヴルーズはそう言うと、手にしていた杖の先を石ころへ向け、詠唱を開始した。「イル・アース・デル」 ルーンの完成と共に、石ころは光り出し――金色の輝きを放つ金属に変わった。 キュルケが、身を乗り出して叫んだ。「ゴゴ、ゴールドですか? ミセス・シュヴルーズ!」「いいえ、これは真鍮ですよ。金を錬成できるのは、残念ながら『スクウェア』クラスのメイジだけです。私は、ただの『トライアングル』ですから」 シュヴルーズの言葉の中に疑問を感じた才人は、隣の席で熱心にメモを取っていたルイズの肩を、指でつついた。「なあ、ルイズ」「静かにして。さっきも言ったけど、今は授業中よ」 そっけない返事をよこしたルイズだが、しかし。持ち前の好奇心に支配された才人は、その程度の制止では抑えきれない。そもそも彼がここで止まるような性格ならば、この場に居ることはなかっただろう。「あの赤土先生が言った『スクウェア』とか『トライアングル』って、なんだ?」 ルイズはため息をつくと、小声で使い魔の質問に答えた。「系統を足せる数のことよ。それでメイジのランクが決まるの」「足して、どうすんだよ」 これは、昨日の説明でタバサから聞いていない内容だ。それに気付いた太公望の耳が、ふたりの会話に向けられた。「たとえばね、水の魔法に風を重ねると氷になるわ。他には土で油を錬成して、そこに火を合わせると、大きな炎を起こせるとか。土に土を足して、1枚のときよりもずっと頑丈な壁を作るとか」「ふむふむ」「ふたつの系統を足せるのが『ライン』メイジ。シュヴルーズ先生みたいに3つ足せるのが『トライアングル』メイジ。ひとつしか足せないメイジは『ドット』っていうの」 やはり、メイジの魔法と仙人の奇跡とは似て異なるもののようだ。ふたりのやりとりからそのことを理解した太公望は、この魔法の授業とやらに可能な限り顔を出すことに決めた。新しい住処にまつわる情報を得ることは、のんびり快適な生活を送る上で、とても大切なことだからだ。 ……そんな太公望の決心などつゆ知らず、才人たち主従の問答は続いていた。「なるほどな、てことは4つ足せるのが『スクウェア』ってことか」「そういうこと」 ここまで聞いたところで、さらなる疑問が才人の頭に浮かび上がってきた。「ん? 『ドット』はひとつしか足せない、ってことはさ。もしかして、足さなくてもいい魔法もあるのか?」「あら、あんた常識は知らないけど馬鹿ってわけじゃないのね。そうよ、汎用魔法(コモン・マジック)は系統を足さずに使えるわ。あんたを呼び出した<サモン・サーヴァント>もそのひとつよ」 マジで一言多いよなあこいつ。などと、内心で辟易しながら才人は続けた。「ところで、ルイズはいくつ足せるんだ?」 それまで饒舌だったルイズが、いきなり黙り込んでしまった。ところが、そんなふうに喋り続けていたのがまずかったのだろう。教壇に立っていたシュヴルーズに見咎められてしまった。「ミス・ヴァリエール! 授業中の私語は慎みなさい」「申し訳ありません……」 シュヴルーズは教壇の上にある石ころと、ルイズを交互に見遣って言った。「そうね。おしゃべりをする暇があるのだから、あなたにやってもらいましょうか」「え? わたしがですか?」「そうです。ここにある石ころを使って<錬金>してごらんなさい」 だが、ルイズは立ち上がらない。困惑したかのように俯いたままだ。「どうしたんだ? 先生のご指名だろ。行ってこいよ」 才人が促すも、ルイズはその場から動こうとはしなかった。 キュルケが、困ったような声で言った。「あの、先生。ヴァリエールを教えるのは、今日が初めてでしたわよね?」「そうですが……それが、どうかしましたか?」「危険です」 キュルケは断言した。教室内のほとんど全員が、彼女に同意して頷いた。「は? 危険? <錬金>の魔法の、いったいどこが危険だというのですか」 そう言うと、シュヴルーズはルイズに微笑みかけた。「さあ、ミス・ヴァリエール。怖がらずにやってごらんなさい。私は他の先生方から、あなたが大変な努力家だと伺っています。だから、きっと大丈夫。失敗を畏れていたら、何もできませんよ」「ヴァリエール。お願いだからやめて」 キュルケや周辺にいた生徒たちが真っ青になってルイズを止めたのだが、ルイズはキッと顔を引き締めると、立ち上がって教壇の前までつかつかと歩いていった。「わたし、やります」 シュヴルーズは、にっこりと笑いながらルイズへ助言を与えた。「ミス・ヴァリエール。いいですか? <錬金>したいと願う金属を、強く心に思い浮かべながら呪文を唱えるのです」 こくりと可愛らしく頷いたルイズは、手に持った杖を振り上げた。と……それを見たタバサが席を立ち、すたすたと出口のほうへ歩き出した。「どこへ行くのだ?」「危険。あなたもここから離れたほうがいい」 そう言われて太公望が周囲を伺うと、自分と才人を除く全員が机の下に潜り込むなどして何らかの防御態勢を取っている。どうやら、あのルイズという少女が魔法を使うことにより、教室全体に被害を及ぼすような問題が発生するらしい。 策を弄してやめさせることも可能だろうが、百聞は一見にしかず。ここはあえて様子を伺うほうが得策であろう。 そう考えた太公望は才人に注意を促すと、他の生徒たちと同じように机を盾にしてしゃがみ込み、教壇に注目した。才人も素直に忠告に従い、机の下から頭を半分だけ出してルイズの挙動を見守っている。 彼らの視線の先で、ルイズは短くルーンを唱えると……杖を振り下ろした。 ――その瞬間。机ごと、石ころは大爆発を起こした。 直近で爆風をまともに受けてしまったルイズとシュブルーズは黒板に叩き付けられ、大きな音に驚いた使い魔たちが暴れ出した。教室内が阿鼻叫喚の大騒ぎとなる。キュルケが机の下から飛び出し、ルイズを指差しながら批難した。「だからあたしは言ったのよ! ヴァリエールにはやらせるなって!!」 シュヴルーズは床に倒れたまま動かない。時折痙攣しているところから判断するに、幸いなことに気絶しているだけらしい。 それから少しの間を置いて、すぐ隣に転がっていたルイズがむくりと立ち上がったのだが……その姿は見るも無惨な状態だった。全身が煤で汚れ、服に至ってはあちこち破けて下着まで見えている。 ところが彼女は、そんな自分の惨状など何処吹く風と言った調子で、こうのたまった。「ちょ、ちょっと失敗したみたいね」 これだけの騒ぎを引き起こしておいて、この態度。なかなか胆の座った娘だ。太公望は、ルイズのことを内心でそう評した。だが、教室内にいたほとんどの生徒たちは違った。立ち上がった少女に向けて、嵐のような批難を浴びせかける。「ちょっとじゃないだろ! 『ゼロ』のルイズ!」「魔法の成功確率、いつだってほとんど『ゼロ』じゃないの!」「なあ。もう頼むから、あいつだけ別の場所で授業してくれよ……」「まったくだ。どんな呪文も爆発しちまうんだから、危ないったらないよ!」 こうして、太公望と才人にとって初めての魔法授業は、大波乱の中で幕を閉じた。 ――それとほぼ時を同じくして、本塔最上階にある学院長室では。「ここ、これを見てください! オールド・オスマン!!」 『炎蛇』のコルベールが、唾を飛ばしながら上司に向かって直談判を行っていた。 彼は、後に呼び出された少年――才人のことが、ずっと気にかかっていた。あのときは安易に契約の儀式をさせてしまったが、果たして彼は、本当にただの平民なのだろうかと。長いこと教師を務めているが、人間を使い魔にするなど聞いたことがない。それに、契約のときに念のためメモしておいた、少年の左手甲に刻まれた使い魔のルーンは、彼の記憶にないものだった。 太公望とのやりとりで思わぬ失敗をした結果、普段よりも慎重になっていたという経緯もある。だが、最終的には魔法学院に奉職して20年という教師としての経験と勘が、コルベールに行動を起こさせた。 学院本塔の中にある図書館で、まずは基本的なルーンに関する書物を調べてみたのだが、どこにもあてはまるものがなかった。そこで、コルベールは教師のみが閲覧を許される『フェニアのライブラリー』で、古い文献をあさりはじめた。 ――結果。才人の左手に刻み込まれたルーンが、かつて『始祖』ブリミル――この世界ハルケギニアに魔法をもたらしたとされる人物が使役していたという、伝説の使い魔のそれと完全に同一であることが判明したのだ。 コルベールは大慌てで問題の書物を抱えると、司書に「どうしても学院長にお見せする必要があるから」と、特別に持ち出しの許可を得て、その足で学院長室に駆け込んだ。 で、今に至る……というわけである。 当初は、コルベールの剣幕に目を白黒させていたオスマン学院長だったが、彼が提示したスケッチと資料を見るやいなや、秘書であるミス・ロングビルに部屋から出るよう促した。そして、彼女の退出を確認したオスマン氏は、重々しく口を開いた。「なるほど。その少年に刻まれたのは<ガンダールヴ>のルーンだと」「はい! 『始祖』ブリミルが用いた伝説の使い魔です。その姿や形についての詳しい記述は残されておりませんでしたが、呪文の詠唱中は無力になる主人を守ることに特化した存在だと、その本には書かれていました。なんでも、1000を越える軍勢を寄せ付けぬほどの強さを誇り、並のメイジ程度では全く歯が立たなかったとか!」 両手を振り上げ、興奮しながら語るコルベールに、オスマン氏からまるで冷や水のような声が浴びせかけられた。「で、ミスタ・コルベール。その少年を<ガンダールヴ>にしたのは誰なんじゃ?」「ミス・ヴァリエールです。しかし……」「ああ、例のラ・ヴァリエール公爵家の娘か。彼女は確か……」「ええ。正直なところ、優秀という言葉とはほど遠いメイジです。なにせ、どんな呪文を唱えても爆発させてしまうのですから。私から言わせてもらえば、どうしたらあのような失敗が起こせるのか、逆に教えてもらいたいくらいです。図書館で、それらしい事例がないかどうか、色々と調べてはみたのですが……」「発見できなかったと?」「はい。残念ながら『フェニアのライブラリー』にも見当たりませんでした」 オスマン氏は、しばし無言で長い顎髭をいじっていたが……やおら口を開くと、コルベールに向かってこう言った。「ミスタ・コルベール、この件はわしが預かる。他言は無用じゃ」 反論しようとしたコルベールであったが、できなかった。何故なら、普段は昼行灯などと称されるオスマン氏の瞳に、これまで見たこともない光が宿っていたからだ。