――そこは、不思議な『部屋』だった。 白くつややかな――それでいて、大理石ではない、これまで目にしたこともないような素材で作られた壁。同じもので造られた床の中心には、透明のガラス板が張られている。その中で魚影らしきものが動くのが見えた。これは、もしや水槽だろうか。 部屋の奥には、大きな天窓がついている。タバサは、伏羲の後を追う際にちらっと、その窓の中を見た。そこには……なんと何処までも続く、星の海が広がっていた――。「さあ、こっちへ来るのだ」 タバサはハッとした。いけない、思わず星の輝きに見とれてしまっていた。今は、母さまを助け出すことを第一に考えなければならないのに。窓から目を逸らした彼女は、急いで伏羲の元へ駆けていった。 ……案内された奥の部屋は、もっと不思議だった。 丸い光の玉が、いくつもふよふよと室内を漂っている。魔法のランプの一種らしく、部屋全体を、まるで昼間のように明るく照らし出している。部屋の隅にはベッドと、机……何かの道具だろうか、見たこともないような品々が、棚の上に所狭しと並んでいる。 伏羲は、机の側にあったこれも不思議な形の一人がけ用のソファーに腰掛けると、タバサを手招きした。「質問したいことがたくさんあるだろうが、今は時間がない。まずは、ここにいるうちに、タバサのお母上の『魂魄』がどこに囚われているか当たりを付けねばならぬ」 いやはや、この姿で調査できて助かった。『夢』に入る前のわしだったら、最悪当たりづけだけで終わってしまう可能性があったからのう。などと呟きながら、伏羲は机の上を片付けている。 ――この姿。いま、彼はそう言った。 いつも先の割れた外套の内側に着ている橙色(だいだいいろ)の胴衣と、それと同じ色の手袋。だが、それ以外は全て黒を基調とした服装をしている。頭にいつもの白布も巻かれていない。代わりに、左頬を守るような形の、金属製の装飾品を身につけている。 幾重にも折り重ねられた肩当てに、皮のような、そうでないような不思議な素材で作られた胸当て。そして、何かの文様のような細かい意匠が施されたフードがついた、足元まで届く、黒く長いマント。それは中心から先が3つに割れている。そのマントは、肩当てのところに、金や銀とは明らかに違う、それでいて高級感の溢れた鈍い光沢を放つ金属でできた、複数のボタンによって留められていた。 そのマントも含め、胸当てを除く全てが――まるで、最高級の絹のように上品な光沢を放つ、不思議な布地で作られている――。 そんなタバサの探るような視線が気になったのだろう、伏羲は苦笑して答えた。「ああ、これはな……軍にいた頃の服装なのだ。おそらく、当時の記憶が強いため『夢』に入り込んだときにこうなってしまったのだろう。おかげで『空間操作』が使える。これは正直嬉しい誤算だ」 ……と、さっきまでは何もなかった床の上に、落ち着いた色のソファーが現れた。「さあ、タバサよ。それに座るのだ」 言われた通りにソファーへ腰掛けてすぐに、タバサは気がついた。さっき、彼は『今は空間操作が使える』と言った。ひょっとして――。「タイコーボー、ここは……!」「そうだ。これが『自分の部屋』というものだよ。前に話した、わしらの本拠地である星の海を征く船、その船室のひとつをイメージしてわしが作り出した『小さな異世界』。『夢』の中でもそれは可能なのだ」 ……いや、『夢』の中だからこそできたのか。伏羲はそう独りごちた。 伏羲は、隣の一人掛けソファーに腰掛けたタバサと話しながら、机の上に、薄緑色をした、幾つものガラスとは異なる透明の板――なにやら文字が書かれているが、ハルケギニアのそれではない。付随して複雑な図形の類が描き出されているものを、何枚も空中に並べている。「よし、タバサよ。それではこれからお母上の『魂魄(こんぱく)』……すなわち『心を構成する魂』が『薬』による影響で、夢の中のどこに囚われているのかを探し始める」 その言葉で、タバサの顔がより引き締まったものとなった。 すると、タバサの目の前に4枚の『鏡』――いや、姿が映らない『窓』が現れた。不思議なことに、その中には様々な場所の様子が映し出されている。「左から……1、2、3、4。これらの『窓』に、このあと色々な場所が映し出される。そのなかで、タバサと母上にとって思い出深い場所。あるいは、例の『薬』を飲まされたであろう舞台の景色が映ったら、その番号を言ってくれ」 伏羲は、そうタバサへと説明しながら、自分の右手にある薄いガラスのような板――タバサには何だかわからないが、実は記録操作用のパネルを片手でいじっている。「その景色の近くに、お母上が閉じこめられている可能性が高い。ちなみに、お母上自身を見つけた場合にも、同じく番号を教えて欲しい。映っている窓がひとつもなかったら、次、と言ってくれれば映し先を変えるからの」「わかった」 コクリと頷いたタバサへ、優しい笑顔で答える伏羲。「では、始めるぞ。ふたりでお母上を捜すのだ」 ――こうして『調査』は始まった。○●○●○●○● ――調査は約40分に及び、その末に伏羲は、タバサの母の『魂魄』らしきものの居場所を、ほぼ特定することに成功した。「らしきもの」としているのは、病み衰えた現在の姿ではなく、若く瑞々しい姿をしているからだ。 彼女は、とある扉の前――何故か、蔦のようなもので固く封印が施されているそれに、扉ごと全身を縛り付けられていたのだ。おそらくあの『植物の枷』が彼女の『心』を縛り付けているモノなのだろう。そして、その扉の奥に、彼女を狂わせている『原因』があるのだろうと当たりをつけた。「あれが、タバサのお母上で間違いないか? もしもそうならば、何かおぬしの身体に不思議な感覚が現れるはずなのだが」「身体を包み込まれるような感じならある」「それだ! よし……間違いないな。この2つほど手前の部屋の『座標』を記録しておけば、次に来たときに危険なく入り込めるであろう」 その言葉に、タバサがえっ!? というような顔をした。「今日は、治せないの……?」「うむ、おぬしも承知の通り『心』は複雑なものだ。よって、その在処を特定したのちに、丁寧に処置を行う必要がある。そうでなければ本当に壊れてしまう危険性があるからのう。診断の結果は悪いものではないので、外に出てから改めて説明しよう」 その言葉に、タバサは深々と頭を下げた。「お願いします」「なんなのだ、いきなり改まって。調子が狂うから、いつも通りで頼む」 慌てたような口調でそう告げた彼の姿がなんだかおかしくて、タバサはつい笑みを浮かべてしまった。そして気付いた。こんな笑みを浮かべたのは、いつ以来だろうか。「さて、それではわしは、今後の治療のためにいろいろとしなければならない作業があるので、おぬしは部屋の中を見学してきてよいぞ」「あなたの作業を見ていてもかまわない?」「見ておっても、おぬしには何が何だかさっぱりわからんと思うぞ?」「それでもかまわない」「ならば、おぬしの好きなようにしてくれてかまわぬ」 ――それから10分ほど経過して。行うべき作業を終えたふたりは、突如『夢』の世界から引き戻された。そう、指定していた『目覚め』の時間が訪れたのだ。 起き上がったふたりを見て、ペルスランは涙を流していた。「おかえりなさいませ、お嬢さま。そしてタイコーボーさま。お疲れでしょう、すぐに軽い食事と飲み物をご用意致します」 老僕はそう言って、ふたりを客間に通した後、急いで屋敷の奥へと戻っていった。 そして、さらに10分後。太公望は『診察』のより詳しい結果を、ふたりに話していた――ペルスランの手によってカットされた林檎を咀嚼しながら。ちなみに、当然ながら伏羲の姿ではなく、現在は太公望のそれに戻っている。「それで治療にかかる時間だが、おそらく最長で2週間。ただし、まる1日を全て治療に費やすことができれば、ほぼ1日で終えられると思う。基本は3日程度と考えておいてもらいたい」 タバサとペルスランは頷いた。「とはいえ、ここは敵地。つまり……」 太公望の言葉を継いだのは、タバサであった。「この屋敷で、長時間の治療を行うのは危険。あの無防備な姿を晒すのはだめ」「その通りだ。よって、おふたかた共に、安全な場所へ移動していただいてから、治療を行うのが最善だと思われる」 その言葉に慌てたのはペルスランだ。「お待ち下さい! 私どもがこの屋敷を出るのは、無理でございます。時折見回りの兵がやって来ますし、なにより我らがここからいなくなってしまったら、王家への叛意ありと見なされ、お嬢さまはもちろん、シャルル派の生き残りが粛正されてしまう可能性が」 そんな彼を頼もしそうな表情で見遣った太公望は、まあまあ……と、両手でペルスランを落ち着かせると、説明を続けた。「それについては問題ない。おふたかたが『逃げた』と思われぬとっておきの『策』がありますゆえ。それについては、逃亡当日になってから改めてご説明しますが、その他の関係者に迷惑をかけるようなことはありませんのでご安心を」「承知いたしました。で、迎えはいつごろに……?」「早くて2週間。遅くともひと月以内には参ります。もしもそれ以上かかる場合は、必ず前もって、ふたりで報せに来ます。今回のように、夜半過ぎに」「伝書フクロウは気取られる可能性があるので出せない、ということですな」「その通りです。では、本日はこれで……」 ――話を終えた太公望とタバサのふたりは、老僕ペルスランにに見送られながら、夜が明ける前にオルレアン公邸をあとにした。○●○●○●○● ――魔法学院へと戻る道すがら、太公望とタバサのふたりは『逃亡作戦』について、詳細を煮詰めていた。「逃亡先だが……できればゲルマニアが望ましいのだが」「キュルケに土地勘がある、から?」「それもあるが、実はわしの手のものをヴィンドボナへ放ってあるのだ」 その言葉にタバサは仰天した。今日は、いったい何度……彼に驚かされただろう。「時折、わしの元へ伝書フクロウが飛んできていたことを?」「知っていた。でも訊ねるべきではないと判断した」「その判断はありがたい」 そう言って、太公望は先を続けた。「あれはな、わしがスカウトした情報斥候からの調査報告書なのだよ。非常に有能でな、おかげで色々と助かっておるのだ」 いつのまにそんなことをしていたのだ、このひとは……タバサは頭を抱えた。まさか、自分の『パートナー』が、個人的にスパイを雇っていたなどとは思いもよらなかった。「でだ。その者に、逃亡の際の案内協力と輸送用の風竜の手配をしてもらう。外国の人間だから、ガリア経由で足がつくこともない。避難先については、できれば誰の手も借りたくはないのだが、キュルケならば信頼できる。彼女はなんだかんだで口も堅いし、気が利く娘だからのう」「それには全面的に同意する。では、キュルケに場所の確保、あるいは推薦を依頼するということで」「うむ。次に、ひとがいなくなってしまう、おぬしの屋敷についてだが」「あなたが何をしようとしているのか、だいたい理解している」「そうか……この件については、ユルバン殿と男爵夫人に感謝せねばならぬな」 太公望の言葉に、タバサはその背の上で頷いた。かつて、彼女たちと共に戦った老戦士――いや『老騎士』ユルバン。その彼を守るために造られた『箱庭』を立ち去る時、彼らはロドバルド男爵夫人の魂を宿したガーゴイルから、2つの人形を手渡されていた。 その人形は――血を吸わせることで、その人物の姿形を写し取るだけでなく、性格や記憶までコピーした上に、意志を持った個人として完全自立行動まで可能。かつ、年を追うごとに老化までするという、魔法研究の進んだガリアの王都でも絶対に手に入らないほどに優秀、かつレアな<マジック・アイテム>だ。 おまけに<土石>と呼ばれる先住の<力>の結晶を元に作られたために<魔法探知>にすら反応しない。メイジを写し取った場合はその限りではないが、むしろそのせいで、入れ替わりに気付くのは至難の業であろう。「あの人形を、ふたりの身代わりにする」「そうだ。あれを使えば、しばらくの間――最低でも数年間は、時間稼ぎが可能であろう。何せ、このわしですら直に触れて、そこに宿る魂魄の儚さを感じ取り、ようやく人間ではないと気付けたほどのシロモノなのだ。そう簡単には見破られまい」「あれと似た『スキルニル』という魔法人形があるけれど、スキルニルは老化なんてしないし、思い通りに動かすためには、所有者がしっかりと指示を与える必要がある。スキルニル自身が、全てを判断して行動することはできない」「つまり、その『人形』と疑われる心配も少ないということだな」「そう」「あとは、逃亡後の生活資金かのう」 この意見に、タバサは小さく眉根を寄せた。現在彼女が自由にできるお金は、毎月送金されてくる『シュヴァリエ』の年金だけだ。その額、500エキュー。平民の4人家族が1年生活できるだけの金額だ。今はそこから自分の学費や母たちの生活資金をやりくりしているのだが、それは土地屋敷があるからこそできることであって、それらを手放した後のことを考えると、頭が痛くなる。「でも、だからと言って屋敷から何か持ち出したりしたら、怪しまれる」「まあ、それに関してはちょっとわしに当てがある。そのかわり、タバサだけではなく、例の『仲間』たちに協力を依頼する必要があるが」「当てとは……いったい何?」「ふっふっふ……懸賞金つきの討伐依頼受領を兼ねた『宝探し』だ」○●○●○●○● ――キュルケは、夜明け前ふいに目を覚ました。「う……テーブルで寝ちゃってたなんて……か、身体が痛い……」 とりあえず立ち上がって、伸びを……そう考えたキュルケが、偶然窓の外へ目をやると。なんと太公望の背に乗って、タバサが共に舞い降りてきたではないか。「あらあら……とうとうあのふたり、外で一晩過ごしちゃった!? これは……!」 是非ともふたりに突撃しないと。キュルケはにんまりとして、急いで身支度を調えると、上の階にあるタバサの部屋へと急いだ。 キュルケが足音を忍ばせて、タバサたちの部屋の扉に耳をつけ、外から様子を伺うと……中から「今日は授業を休む」だの「いや、仮眠だけ取って出席せねば怪しまれる」などという、実に想像力をかき立てられる台詞が飛び交っている。「やっぱり、タバサってば大人になっちゃったのね」 ここで突撃しないでいつするのだ。燃える恋愛を至上とするツェルプストー家の者としては、どうしてもやらずにはいられない。いや、やらねばなるまい。 そして、キュルケはいつものように(校則違反の)<アンロック>を唱え、勢いよくタバサの部屋の扉を開いた……すると。「いいところへ来たキュルケ!」「あなたに頼みがある」 ふたりの思わぬリアクションに、固まることしかできないキュルケであった。 ――そして、タバサは改めてキュルケに事情を語った。もちろん、彼女を信頼した上で、全てを話し、頭を下げた。どうか母と忠実な老僕が一時的に過ごすための、安全な場所の確保をお願いできないか――と。 全てを聞いたキュルケは、泣いていた。しかも<サイレント>がかかっているにも関わらず、声をあげずに。内容が内容だけに、間違っても聞かれてはいけない。そんな思いに駆られているのだろう。 キュルケは静かにタバサの元へ歩み寄ると、親友を優しく抱き締めた。「大丈夫、あたしに任せて。うちの実家なら、いくつも別荘があるわ。そこのひとつを貸し出してもらえるよう、お父様にお願いしてみるから」「ありがとう……」 タバサとキュルケのふたりは、声もなく泣いた。そして、そんなふたりを見守っていた太公望は、彼女たちが落ち着くのを待って、その後改めて話を切り出した。「お父上への報せだが、念のため直接にではなく、中継点を通して送りたい。よって、のちほど手紙を書いて、わしに預けてもらえないだろうか。ちなみに預かっていただきたい人数はふたりだ」「わかったわ。急いで連絡用の手紙を用意してくる」 そう言って部屋へ駆け戻っていったキュルケを見送ったふたりは呟いた。「タバサよ、素晴らしい友を持ったな」「……うん」 ――実は、キュルケが覗き兼冷やかし目当てに部屋を訪れたなどとは、全くもって気付いていない太公望とタバサであった。○●○●○●○●「畑仕事ォ!?」 その日の夕方。新たに仲間に加わったモンモランシーを含めたいつものメンバーは、中庭に集まっていた。そこで、太公望が「そろそろ初歩の応用授業に入りたいと思う」と切り出した際に、その内容を聞いた全員から返ってきた言葉がコレである。「うむ。と、いっても別に野菜を作れというわけではない。実は、本来次の『虚無の曜日』から参加してもらうはずだったモンモランシーを呼んだのも、それが理由なのだ」 一斉にモンモランシーを見る一同。だが、見られた本人も、いったい何故自分が呼び出されたのかわかっていなかった。「それは、どういうことかしら? ミスタ」「うむ。実はな、魔法の応用訓練を兼ねて『薬草畑』を作ってみたらどうかと思いついてのう」「薬草畑!?」「そうだ。そこでな、傷薬などによく使い、かつ育ちがよい植物について、モンモランシーならば詳しいと思ってのう。それを教えてもらいたかったのだ。もちろん、対価はきちんと用意してある」 『対価』という言葉にピクンと反応したモンモランシー。実際、先日太公望が提示してきた別件の『対価』は、非常に魅力的かつ良いものだった。彼がわざわざもちかけてきたことなのだ、悪いものではないだろう……と。「しかし、ミスタ・タイコーボー。なぜ『畑』なんだね?」 ギーシュの、ある意味当然とも言える質問に、太公望は笑顔で答えた。「うむ。それについては『畑』の作り方の説明を行う際に詳しく話そうと思う。そうすれば、どうしてそういう選択になったのかが理解できると思う」 ……そして、太公望は説明を開始した。「ここから5リーグほど離れた場所に、水場が近く、かつ割と開けた場所があるのだ。そこは魔法学院が管理している土地なのだが、これまで特に使われていなかった。そこで、オスマン殿に『対価』を申し出ることで、わしら一同だけが利用できるよう許可を貰ったのだ」 わざわざ学院長に許可まで取ってあるのか。生徒たちは、思わず顔を見合わせた。「でな、まずは才人とギーシュ」「ん、何だ?」「何だろうか?」「お前たちはな、そこを耕すのだ。才人は『鍬(くわ)』を使え。ギーシュはあえて『ワルキューレ』を操作し、同じく『鍬』を持たせて耕すのだ」 ええーっ! と、いかにも嫌そうな顔で返事をするふたり。まあ、そうだろう。今まで毎日戦闘訓練をしてきたというのに、いきなり畑仕事をやれと言われて喜ぶ男の子がいるならば、今すぐその顔を見てみたい。「気持ちはわからんでもない。だがな。鍬で耕すのは、武器を振り下ろす訓練にも繋がる。つまり、ただ素振りをするよりも『お得』なのだよ」「ああ、なるほどな。軍事訓練と食料……っと、この場合は薬草か。それの確保を同時にやろうってことを言いたいんだな? 屯田兵みたいなもんか」 太公望の指示に対して才人がそう答えると、いままで無関心そうだった周囲の者たちの目に、興味の色が現れてきた。「その通りだ。そして、ルイズはその畑に薬草の種をまいて、そののち水をやるのが主な仕事だ」「<念力>で桶に水をくんで、って意味かしら。もちろん種まきも」 ルイズの答えに、満足そうに頷いた太公望。「よしよし、よくわかっておるな。たしかに貴族らしい仕事とはいえんかもしれぬな。だが、みんなの役に立つ上に、しかも魔法の練習になると思えば苦にならぬであろう?」 その言葉に、コクリと頷くルイズ。「そしてタバサとキュルケは、畑に生えた雑草を<念力>でむしるのだ。これは、いかに効率よく魔法を使うかの訓練を兼ねている。また、小さな石などをどけて、植えたものの成長を妨げるものを排除するのだ。特に細かい<力>調整が必要のため、今後間違いなく役に立つであろう」「ちょっと面倒そうだけど、訓練なら」「……やってみる」「ああ、そうそう。草むしりは才人とギーシュも手伝うのだぞ。そのころには、もう耕す仕事も終わっているはずだからのう。才人はもちろん手で、ギーシュは『ワルキューレ』でもって行うのだ。才人のほうは、体力の増強に役立つであろう。ギーシュは、もちろんより細かな『操作』の練習だ」 了解した、という顔で頷く才人とギーシュ。「うむ。それで、最後にモンモランシーなのだが……おぬしには、この畑全体の監督を行ってもらいたいのだ」「監督、っていうのは何をするのかしら?」「畑に植えるのに相応しい薬草の採択、そして、育て方……たとえば正しい世話のしかたや、植える場所の選定など、これらを図書館で調べた上で、全員に指示を行う仕事だ。作業の分担振り分けもな。これは、おぬしの『調合』の知識を深める上で、将来必ず役に立つであろう」 その上で……と、太公望は続ける。「畑で作った薬草を使って、傷薬を調合してもらいたいのだ。そして、それがわしを含む全員にそれぞれ10個ずつ行き渡ったら……」「行き渡ったら?」「残りの薬は、全て売り払っておぬしの小遣いにするのだ。ちなみに、買い取りは学院側が適正価格で行ってくれるので、特に商売を行う必要はない。これがオスマン殿に提示済みで、かつおぬしに提案する『対価』だ」 ええーっ!! と、全員が大声を上げた。「ちょっと待って! モンモランシーだけ、なんでそんな」「ひとりだけお小遣いって、凄い不公平感があるんだけど」「傷薬は確かにありがたい。わたしは歓迎する」「あー、俺も薬があると助かるな」「ぼくも、訓練で使えるなら身体が鍛えられるし、いいと思うよ」 当然のごとく一部から沸き上がった不満の声を、まあまあ……となだめることによって静めた太公望は、改めてこれに関する説明を追加しはじめる。「不満はもっともであろう。だがな……わしが何故『傷薬』を指定しているのか、それを聞いたらちょっと意見が変わると思うぞ?」「どういうことだよ?」 才人の言葉に、太公望がニヤリと笑ってこう答えた。「ククク……もうすぐ夏休みだ。この機会に『胸躍る冒険』をしたくないか?」 『胸躍る冒険』。その言葉に、ピクリと反応したのは才人とギーシュ。「しかも……困っている領民を助け、彼らに感謝されてしまうようなものを」 これにピククッ! と反応したのはルイズ。「さらにだ……喜ばれた上に、多額の懸賞金までもらえてしまう」 懸賞金という言葉に大きく目を見開いたのはキュルケ、モンモランシー、そして訳ありのタバサの3人だった。「おまけに! そこには、このわしが自ら厳選した情報によって! 複数の<マジック・アイテム>が確実に眠っていることが明らかとなっている!!」 ……全員が静まり返った。「領民を苦しめる妖魔……と、いっても今回はみな初陣なので、さほど強くないものを選んであるが……それらを『訓練の成果』をもって倒し、さらに<マジック・アイテム>を手に入れ、懸賞金までいただいた上に、ひとびとから感謝の言葉を受ける。どうだ? わくわくしてこんか!? これが、畑完成後のわしからの褒美だ!!」 ――少しの間をあけて。生徒たちの間から、大歓声が上がった。「ちなみにだ……わしは、そこに安置された、とある<マジック・アイテム>のみ入手できれば、その他についての分け前は必要ない。懸賞金もな。ああ、ちなみにその懸賞金は総額5000エキューだ。そこから諸経費を差し引いたものを、わしを除いた参加者全員で山分けだ!」 この太公望の言葉に、再び歓声が上がる。「ご、ごご、5000エキュー!? 王都の中に、ちょっとしたお屋敷が持てる金額じゃないのよ!」「げ、マジかよそれ!」「そんな大金がもらえるのかい!?」「山分けでも、それだけあれば新作の服が、あれも、これも……」「わたしも、新しい秘薬が買えるわ……」「それは助かる」 口々に、冒険終了後の展望を語り合う子供たち。「そうそう、わしの<術>をつかうことによって、まいた種をすぐに芽吹かせることが可能だ。よって、選んだ薬草によっては、夏休み前に全て収穫できるであろう」「東方の魔法って、そんなことまでできるの!?」「もちろん内緒だからな!?」 太公望はそう言い置いて、さらに言葉を続ける。「でだ。薬草の収穫後は畑が空くわけだが。そのあとは監督のモンモランシーが好きなものを植えてよい。そして、収穫したものを使って調合したものを売るなりなんなりして、その成果を全員に分配する。うまくやれば、安定した収入源となるであろう」 訓練になる上に、みんなが得をする。もう、誰も文句を言う者はいなかった。「なお、この畑の運営については、わしは一切口を出さない。当然ながら出た利益もわけてもらわなくて構わない。よって、最初に指定したやりかた以外で、もっと効率のよい運営法や、植えるものに関する選定を、全員で知恵を出し合って考えるのだ。これが『応用訓練』と言った理由である」 ……と。ここで、才人が手を挙げた。「質問があるんだけど。そこって、結構広いのか? 畑は何面くらい作れる?」 その質問に、ふむ……と、手を顎にやって考え込む太公望。「そうだな。一般的サイズの畑ならば3面……いや4面いけるかもしれぬのう」 その答えに、才人は満面の笑みを浮かべた。「だったら、薬草だけじゃなくて他にもいろいろできるんじゃないか?」「ああ、それもそうね」「途中で畑を休ませることもできるし」 この才人の言葉に、ビクンと反応したのは太公望。その他のメンバーの中で、ああなるほど……という反応をしているのはルイズ、タバサ、モンモランシー。ギーシュとキュルケのふたりはぽかんとしていた。「休ませる、ってどういうことなのかしら?」 キュルケの質問に、サイトが反応した。「ああ。え……っと、なんていったらいいかな……」 頭を掻きながら、考えをまとめる才人。少し間を置いて……いい例えがみつかったのか、身振り手振りで話しはじめる。「土の中には、魔法で例えると『作物を育てる魔力』みたいなものがあるんだ」「ふんふん……」「でな、その<魔力>のおかげで、野菜とか畑の作物は育つんだよ。けど、同じ場所でずっと芋とか作り続けてると、だんだんその<魔力>がなくなっていくんだ」 その説明に、補足を入れたのがタバサだ。「わたしたちの<精神力>回復と同じで、たまに休ませてあげないといけない」 そこへ、さらに説明をくわえたのがルイズとモンモランシーだ。「タバサの言うとおりよ。そうじゃないと、土地がどんどん疲れていって、しまいにはなんにも生えない場所になってしまうわ」「だから、サイトは全部で4面の畑を作って、そのうち3つに薬草を植えて、1つは何も植えずに交代で休ませたほうがいい、って言っているのよ」 ほぅ……と、感心するキュルケとギーシュ。さすがは本の虫タバサ、座学トップのルイズ、薬調合の名人モンモランシー。ただ、何故か太公望はひとり眉根を寄せていた。そんな中、どうにもその説明に納得のいっていない人物がいた。キュルケである。「でも……それなら森とかの木や草は、どうして枯れないの?」 彼女の質問はもっともである。ここで、タバサ、ルイズ、モンモランシーが脱落した。だが……才人はそれに関する解答もちゃんと持っていた。「森とかには<育てるための魔力>を回復する仕組みがあるんだ」 ……と、ここで太公望が口を挟んだ。「それはひょっとして『食物連鎖』のことを言っておるのかの?」「さすが閣下! そういや『自然科学』勉強してたって言ってたもんな」「閣下って何かしら?」 意味がわからない、という顔をしているモンモランシーはとりあえず無視し、ギロリと才人を睨み付けた太公望。さすがの才人も、その表情を見て口元が引きつった。ついクセで……と、片手で拝むようなポーズで謝罪する。「まったく……ああ、すまん。モンモランシーにはとりあえずあとでちゃんと説明するから、才人はこのまま先を続けてくれ」 俺より閣下が説明したほうがいいんじゃないかな……と、思いつつも才人はできるだけかみ砕いて『食物連鎖』についての解説を行った。日本においては小学生の理科で習う、動物が草を食べ、落としたフンによって植物が育つ。互いに喰い、喰われる関係で繋がっているというアレである。「ロバ・アル・カリイエって、本当にいろんな研究が進んでるのね……」 才人の説明と、それを明らかに知っていたとみられる太公望の反応を見たその他全員が感心している。特にモンモランシーは、授業初参加だけあって驚きもひとしおだ。「とりあえず<育てる魔力>についてはそれはいいよな。ところで……」 説明を終えた才人は、今度はモンモランシーに言を向けた。「モンモンって二つ名が確か『香水』だよな? ひとつの畑は、花畑にするとかどうだ? 香草もありだな! んで、それで香水作って学院の女の子たちに売るんだ。わざわざ材料買いに行かなくても済むぜ」「すっごくいいわそれ! 採用!!」「でさ。厨房から、いつも捨てられてるだけの残飯をタダで引き取ってきて<錬金>で肥料に変えてから畑にまけば、金かかんない上に、植えたものの育ちもよくなると思うんだけど……畑休ませる期間も大幅に減らせるし。どう思う?」「素晴らしいわ! うまく調整してあげれば、収穫も早まるでしょうし」「……まてまてまてまて」 盛り上がりまくるふたりを制止したのは、太公望であった。「のう才人よ……おぬしは何故農業や自然科学に関して、そこまで詳しいのだ? まさかそれも高校とやらで習うのか!?」「いや、食物連鎖は母さんに教わったんだけど……子供の頃に」 ついにはフリーズしてしまった太公望。母親から、子供のころに食物連鎖を教わっただと……!? いったいどういう家庭に育ったのだ、こやつは! ――日本のどこにでもいる、単なるちょっと教育熱心なお母さん。本当にそれだけの話なのだが、さすがにそんなことまでは太公望にはわからない。それから、しばらくの後。ようやく硬直から解けた太公望は、改めて質問を再開した。「才人よ、まさかとは思うのだが。おぬしの母上は、実は国でも著名な植物……あるいは農業関係の学者だったりするのか?」「いや、ごく一般的な母親だと……って、いや、普通じゃないかも。いきなり『頭が良くなる機械』なんておかしなモノ持ってきて『お前はヌケてんだから、これで頭を良くしてあげる!』とかなんとか言って、電撃流されたことあるし」 この発言で、太公望はついに頭を抱え……がっくりと膝をついてしまった。なんだなんだと騒ぎ出す生徒たちと「俺、なんかおかしなこと言ったか?」という顔でぽかんとしている才人。 太公望は、混乱の極みにあった。いったいなんなのだこやつの国……いや、母親は! 頭がよくなる機械に、電撃だと!? もしや、わしの腕にいつのまにかマジックハンドなんぞを仕込みおったイロモノ3人衆の如きマッドな学者だとでもいうのか? そうか、ようやくわかった。それならば、才人のあの奇抜な閃きも『血筋』と『教育』ゆえのものだと納得できる……! ……太公望の個人評価を、おかしな方向に軌道修正されてしまった才人であった。 ちなみに、この『頭がよくなる機械』は、彼の母親が怪しげな通販で購入したシロモノである。『電撃』に関しては、その装置がショートした為に起こった現象だ。ある意味『この親にしてこの子あり』を実証した例のひとつともいえよう。 ――その後。「せっかくだから、マンドラゴラ(地面から引き抜くときに、魂が凍り付くような絶叫をあげる魔法植物。その声を聞いた者は絶命する。故に収穫が難しく超高価)とか育てたいわ!」などど物騒なことを言い出したモンモランシーと、それを必死の形相で止めようとするギーシュ。 逆に賛成側に周り「収穫時に畑へ<消音(サイレント)>をかけて、外から<念力>を使えば、呪いの叫びを聞かずに済むのでは?」などといったアイディアを出したタバサに「その発想はなかったわ」と、目をキラキラさせて賛同するキュルケとルイズ。「毎日新鮮な桃が食べたいから、是非果樹園を……」などと横から口を出し「桃ができるまで何年かかると思ってんだよ!」「口を挟まないって約束よね!?」と、全員から猛反撃を食らい、精神的な意味でボッコボコにされた太公望。 そんな感じで太公望を除く全員が知恵を出し合い続けた結果、しまいには揃って図書館へ移動して、調べ物を始めるほどの盛り上がりを見せることとなり……そして。最終的に、とんでもなくカオスな『畑』完成予定図ができあがったのは、既に日がとっぷりと暮れた頃であった――。「わし……ひょっとして、とんでもない提案をしてしまったのではなかろうか」 ……珍しく、とてつもない敗北感で胸がいっぱいになった太公望であった。 なお、この図書館での話し合いの最中に、才人がハルケギニアの文字が読めないことが判明し、主人であるルイズが自ら、彼に文字を教えることとなった。 ――太公望と彼の周辺は、少しずつ焦臭さを増してはきたものの、まだ平和であった。