――虚無の主従が〝記録〟の世界で『始祖』とまみえてから、半月後。 ルイズは未だ、トリスタニアの王宮で日々を過ごしていた。 当然である。他国民ならばまだしも、トリステインの王族が魔法学院に入学した上に寮で生活するなど、前代未聞の暴挙なのだから。 『始祖』より賜りし王権をもって強行を……というわけにはいかない。なにせヴァリエール家はつい最近、旧トリステイン王家から禅譲に近い形で玉座を譲られたという経緯がある。ここで新たな王室に忠誠を誓った貴族たちをないがしろにすれば、最悪内戦勃発。アルビオンの二の舞だ。 雨降って地固まる――ではないが、まずは数々の難題に対し、王と貴族が手を取り合って立ち向かおうという姿勢を見せることが、国という集団をひとつにまとめる上で重要なのである。 そんな訳で、早速開催された王政府議会において、ルイズの寮生活とそれに付随する新法に関する喧々囂々の議論が飛び交った。 参加者たちは現行の法と照らし合わせて問題がないかどうか、一代限りの特例措置なのか、あるいは今後も王室の伝統として継続される案件なのかを検討し――最終的な承認が得られるまでに二週間、計十六日が費やされた。これでも、国が関わる議題としては驚くほど早い。 たったこれだけの期間で話がまとまった大きな理由は、ふたつあった。 ひとつは、王族の留年問題である。 魔法学院には、進級するために定められた単位というものがある。毎年春に行われる〝使い魔召喚の儀〟もそのひとつ。未だ王宮に留め置かれているルイズが授業を履修できる訳もなく、試験を受けることもままならない。このままでは、留年が確定してしまう。 諸事情を鑑みたとしても、王族が留年したなどということになれば外聞が悪い。そのため、できるだけ早く三番目の王女さまを魔法学院へ戻す必要がある、と、こういう訳だ。 もうひとつは、王族が魔法学院に入学するのが慣例化することにより、自分たちの子供が将来の王と親しくなる機会が生じることに気付いた者たちの熱烈な後押しがあったこと。このあたりは、サンドリオン王がこれまでに築いてきた政治家としての手腕によるものだ。 こうして法律という名の大義名分こそ用意できたものの、全ての準備が整った訳ではない。 見習い騎士の中から『奨学金』受給希望者を募る必要があるし、手を挙げるものがいなかった場合にも備えておかなければならない。 この件で抜けが出る各部隊への兵員補填もしなければいけないし、新たな生徒を受け入れる魔法学院側としても、新制度を導入するための準備期間が必要だ。他にも細かな手続きやら書類の作成などで、大勢の人員や金銭が動くのである。関係する各省庁の官僚たちは、このところ昼夜を問わず書類作成に追われていた。 で、ルイズ本人はというと……深窓の姫君は蚊帳の外、なんて訳にはいかない。 先に述べた通り、留年の問題がある。いくら関係省庁が頑張ってくれているとはいえ、お役所仕事というものはそう簡単には終わらない。 そこで、オスマン氏からの申し出により二年次後期の授業で習う範囲のレポート作成・提出と、学院から教員が派遣され、魔法の実技テストが行われることになった。 これは、病気や家の都合などの〝やむを得ない事情を抱えた生徒〟に適用される特別猶予措置であり、学院長だけでなく、教職員の同意がなければ実現できない。 ……こういう手段があるのなら、宮廷貴族たちが血反吐を吐かずに済んだのではないかという説もあるが、そこはそれ。可能な限り速やかに虚無の主従をトリスタニアから避難させたい関係者一同からすれば、「血を吐くだけで国の滅亡を回避できるのであれば、やるべきだ」 という心持ちな訳で。 とはいえ、国王陛下や宰相猊下は部下たちが苦労した分の手当やら何やらはしっかりと用意している。忠誠には、それ相応に報いなければならないのだ。 そんな訳で、ルイズは魔法の練習とレポート作成の毎日を過ごしていた。 週に一度、書き終えたレポートをフクロウ便で魔法学院に送ると、各科目担当の教師が採点した上で、コメントを付け加えて送り返してくれる。 レポートについては全く問題ない。もともとルイズは座学において学年トップクラスの成績を収めていたし、万が一わからない箇所があれば、長姉が手厳しくも丁寧に教えてくれる。 実技については、学院運営に関する打ち合わせのため、毎月定められた日にトリスタニアへ出張してくるオスマン氏がじきじきにテストしてくれるという厚遇ぶりだ。 もっとも、この特別措置にも「ルイズが春の新学期までに復学する」という但し書きがつく。そう、どんなに王女本人が良い成績を収めても、関係各省庁の準備が間に合わなければ落第扱いになってしまうという訳だ。 ――自分たちの不手際で一国の王女を留年させたりしたら、確実に無能の烙印を捺される。 という強迫観念に駆られた官僚たちは、文字通り死に物狂いで作業を続けていた。 そんな緊迫感に溢れた王宮内で、いま現在ルイズが何をしているのかというと……。「よろしい。次はそのまま赤の箱を上に、青の箱を下へ降ろしてくだされ」 ここは一階にある大ホール。普段は王室主催の舞踏会や音楽鑑賞会といった、華やかな催し物が開かれる場所である。そんな空間で、ルイズは衆人環視の中、魔法を唱えていた。 普段なら宮殿の中庭でやる内容なのだが、この日は朝から雨がぱらついていた。「王女さまが進級試験でお風邪を召してはいけない」 と、侍従長ラ・ポルトのはからいで室内ホールが解放されたのだ。 王女附きの侍女たちが、感嘆の溜め息を吐いた。「さすがはルイズ王女殿下。素晴らしいお手前ですわ」 ルイズ本人は集中していて気付いていないが、観衆から賞賛の声が上がっている。単に〝浮遊〟の魔法で荷物の上げ下ろしをしているだけであれば、こんなことにはならない。「まさか〝浮遊〟と〝飛行〟の魔法を同時に使いこなすだなんて!」 ……そう、ルイズは自らの身体を宙に浮かせたまま、オスマン氏の指示に従って箱の上げ下げをしていたのだ。 過去に述べた通り、ハルケギニア世界における常識では、複数の魔法を同時に発動させた上に維持するのは難しく、これを可能とする者は一握りの天才のみとされている。 つまり、一般的な貴族達の観点からすると。ルイズはメイジとして非凡な才能を秘めている、という認識になる。 もちろん、これらは〝念力〟で行われているわけだが……オスマン氏を除く、この場にいる誰もその事実を知らない。たとえ気付かれたとしても、同時展開していることに変わりは無い。 それから数分後。「そこまで!」 オスマン氏のかけ声と共に、ルイズはふわりと床に着地した。それと同時に、わっとホール内に拍手と歓声が響き渡る。「いやはや。ほんの少し見ない間に、ずいぶんと上達されましたな」 侍女から手渡されたハンカチーフで額の汗をぬぐうルイズの元に、オスマン氏が笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。「先生方のご教示の賜物ですわ、オールド・オスマン」 ドレスの裾をつまんで優雅にお辞儀する姫君に、老メイジは微笑みを返す。「レポートの評価も全科目〝優〟ですじゃ。実技についても問題ございませぬ。ルイズ王女殿下のお戻りを、魔法学院の一同揃ってお待ちしております」 桃色の髪の少女は、ぱっと顔を輝かせた。「それじゃ……!」 オスマン氏は頷いた。「これまで提出していただいたレポートと、今回の実技試験をもって二学年次の科目全てを修了とし、三年生への進級を認めるものと致します」 ホール内の空気が、再び拍手と歓声、祝いの言葉に支配される。ところが、先程までとは一転。ルイズの顔に影が差していた。「ふむ、何か気になることでも?」「ほんとに、いいんでしょうか? わたし、汎用魔法と風系統以外はさっぱりなのに」 そうなのだ。ルイズは汎用魔法はともかくとして、相変わらず四系統の魔法が使えない。 コルベールが以前『フェニアのライブラリー』発見した古代の呪文書を紐解くことで、かろうじて〝風〟と〝着火〟だけは成功させていたものの……他の呪文はさっぱりだった。 ちなみに、件の魔法書の存在をルイズが思い出したのは〝記録〟で見たブリミルの娘・ノルンの詠唱が、現代で使われてるものより長かったことによる。(他の系統がぜんぜんダメだなんておかしな話だし……ロマリアに疑われないかしら) そんなルイズの不安を吹き飛ばすような笑顔で、オスマン氏は断言した。「全く問題ありませんぞ。三年次には専門課程へ進まれるわけですし、そもそも苦手な系統が全く使えないメイジというのは、卒業生の中にも大勢おりましたからの」「そ、そうなんですか!?」 〝錬金〟〝凝水〟〝着火〟〝風〟は、四系統の中で最も難易度が低い魔法とされ、メイジなら誰でも使える呪文だと思われている。風系統以外は苦手なカリンでも〝錬金〟で石を銅に変えるくらいのことはできた。なればこそ、ルイズは不安を覚えていたのだ。「はい。そういう者達は三年次に受ける授業をひとつの属性だけに絞り、得意系統を伸ばすことに専念するのが一般的ですじゃ」 観衆の中で、オスマン氏の説明に笑顔で頷いている者が何人もいる。彼らは、一系統完全特化という意味ではルイズの同類だった。「他にも不安などがございましたら、遠慮なくご相談くだされ。迷える生徒を導くのが、我ら教師の役目ですからな」 周囲をちらと見回した後、ルイズはオスマン氏に訊ねた。「……学院長先生、この後のご予定は?」「財務卿との打ち合わせが終わり次第、トリスタニアの宿へ戻るつもりですが」「では、その後に……三年次の選択科目について、相談に乗っていただけますか? もちろん、ご都合がつけばの話ですが」 少女がそう告げると、オスマン氏は了承の代わりに、とびっきりの笑顔で応えた。○● ――数時間後。 ルイズは王宮の談話室で、再びオスマン氏と対面していた。否、そう見えるよう偽装していた。テーブルを挟み、紅茶を飲みながら進路について談話しているのは、ルイズとオスマン氏本人ではなく、彼らそっくりの影武者――スキルニルである。 では、本物はどこで何をしているのかというと。「〝精神力〟は大丈夫ですかな?」「はい、前回はご心配をおかけしまして……」 例のごとく、王宮の隠し部屋に集まっていた。 ――前回、ガンダールヴの印に込められた〝念〟を垣間見たルイズと才人は、彼らの帰還を首を長くして待っていた一同に、見聞きした一部始終を余すことなく伝えたのだが……そこで問題が発生した。「ひたい! ひたいれふれへさは! ほほつでるのどやべで!」「あ、あんたが! ばば、罰当たりなことを! 言うからでしょおおおお!?」 〝記録〟の世界で見聞きしてきたことを密談の参加者に告げた途端、ルイズは長姉に盛大に頬をつねり上げられた。 ……無理もない。いや、ある意味この程度で済んだのが奇跡だろう。何せルイズたちは、世界中で神と同様かそれ以上に敬われている『始祖』を侮辱するようなことを言ったのだから。 具体的には、「初代ガンダールヴは女性で、エルフだった」「しかも、彼女を妻としていた」「その他にも、複数の女性を妻にしていた」「始祖は、ヴァリヤーグなる異種族から逃げるためにハルケギニアへ来た」 たとえそれが真実だとしても、異端審問待ったなしの暴言である。「当時、青は神聖な色とされており、頂点に立つ者だけが身につけることを許されていた」「着火の魔法が、現在使われているものよりも詠唱が長かった」「トリステインとは古代語で〝涙〟あるいは〝悲しみ〟という意味が込められていた」「始祖は、虚無魔法の一撃で五万をゆうに超える軍勢を葬った」 という歴史的に価値のある成果を語っても、焼け石に水だった。 そんなところへ一石を投じたのが、カリーヌ王妃だった。「確かに信じがたい内容ですが……わざわざ『始祖』ブリミルが、あえてこのような偽りの記憶を『後継者』に見せる理由があるのですか?」 その一言に、ぐっと詰まるエレオノール。同様に、ブリミル教司教枢機卿たるマザリーニも頭を抱えていた。 そう、自分たちに都合の悪いモノを見せる必要はない。しかし、どうしても残さなければならない、見てもらわなければならない記憶だと『始祖』自身が考えたからこそ、ルイズと才人は六千年前の世界へ招かれたのだ。「もっとも、ルイズとサイトが偽りを述べていなければ、ですが」 その発言に、ルイズは目の端を釣り上げた。「わ、わたしもサイトも、嘘なんてついていません!」「お、俺も、見たままを話しただけで……」 二人を制しながら、カリーヌは続けた。「ならば、わたくしたちも同じものを見る必要があるでしょう」 ……そんな訳で、ルイズは意気揚々と〝記録〟を唱え始めたのだが、途中でひっくり返ってしまった。ここへ至るまでに〝幻影〟やら〝瞬間移動〟やらを多発した挙げ句、二度目の〝記録〟を使おうとしたのだから〝精神力〟が切れて気絶するのも当然だろう。 月目の神官が語った通り〝記録〟は〝精神力〟を大きく消耗させる魔法だったようだ。 ――そして今。「あの時は倒れてしまいましたが、もう大丈夫です」 全員の顔を見渡した後、ルイズは懐から杖を取り出し、構えた。そして、朗々と虚無のスペルを唱える。 ルイズが杖を振り下ろした瞬間、全員の脳裏に見覚えのない景色が浮かんだ。 広大な草原の中、ぽつんと、寄り添うように立ち並ぶ円形の包。その中央、青い旗が翻る一番大きなテントの前に立つ、ふたりの男女。「こ、これは……」「前に話した『始祖』ブリミルと、初代ガンダールヴ・サーシャですわ」「なんと……!」 呆然と呟く枢機卿。 着古したローブをまとう小柄な若者――ルイズに「ブリミル」と呼ばれた男は、傍らにいたエルフの娘に向かって何やら熱心に話しかけている。エルフの女は、垂れ気味の瞳に困惑の色を浮かべながら、ブリミルの言葉を聞いていた。「このひとが、エルフ…… 想像していたのと違って、優しそうな顔をしているのね」「何を言っているのカトレア! 悪魔の化身に対して、そんな……」 立場上、妹を窘めたエレオノールも混乱していた。書物や伝承に残され「怨敵」「怪物」と呼ばれたかの種族は、笹穂のような耳以外は自分たちとさして変わらぬ姿をしており、彼女の中にあるエルフ像と、どうしても一致しなかった。 それこそ、妹が言うように優しそうな面立ちをしているのだから、困惑するのも無理はない。 脳裏に映し出された映像の中で、何やら話がついたのであろう。ブリミルはテント脇に立てかけられていた木の長杖を手に取った。節くれ立った杖の先端には、青い布が巻き付けられている。「あれ? 前に見たのと違くないか? あの杖」 そう呟いたのは、同席していた才人だった。 一週間ほど前。エレオノールが継続していた調査によって、王宮の隠し通路のひとつが地下水道に繋がっていることが判明し……以後、彼は正門を通らずにこの隠し部屋を訪れることができるようになったのだが、それはさておき。「なんか、微妙にタバサの杖と似てるなあ」 タバサが愛用している長杖は、先端が鈎のように曲がっており、丁度その付け根あたりから十サントほど、別種の枝で接ぎ木をしたかのようになっている。今、参加者全員の脳裏に映し出されている杖は、その鈎爪部分を取り除いたモノとそっくりだった。 そうこうしているうちに、ブリミルの正面にきらきらと輝く、鏡のような『門』が現れた。サーシャは肩をすくめると、その中へ飛び込んでいき、そして……。「以上が、わたしたちが見たモノですわ。細かいところが微妙に違っていましたけど」 呪文の効果が切れた後、ルイズは参加者たちに向け、そう語った。 ――細部の違い。 具体的に言えば、今回見た映像は「ルイズと才人がいない」ヴァリヤーグ撃退劇だった。そう、彼女がなんとなく予想していた通り、彼らふたりがいない状況で『扉』をくぐったサーシャは、雨の草原でひとり狼の群れを撃退した後、ブリミルと合流し――例の軍勢と一戦交えたのだ。 多くの民が傷つけられ、死人も出た。その中には、あのラグナル隊の者たちも含まれていた。(あれが、本当の歴史……わたしたちが関わらなかった場合の、彼らの運命) 〝記録〟は所詮、記憶を垣間見るモノ。過去を変える〝力〟など、なかったということだ。 ある程度察していたとはいえ、その事実を空しく感じていたルイズに、才人が問いかける。「それもそうだけどさ、前回と見え方が違ってたのはなんでだ? あの時は、その場にいるみたいな感じだったのに、今回は……なんか、窓から覗き込んでるみたいだったじゃねえか」「たぶん、指定の方法が違っていたからだと思うわ」「どゆこと?」「あのね、詠唱していくうちに……頭の中に、呪文の効果が浮かび上がってきたの」 ルイズは一息つくと、語り始めた。 指定した物品に宿る、強き念。それらが、ずらりと長い廊下に取り付けられた窓のように並べられ、リスト化していた記憶の、ほんの少しだけ中を垣間見ることができたこと。 ただし、見えたのはあくまで一部だけ。どうやらその品――今回は才人の左手に刻まれたルーンが作られてから現在に至るまでの記憶全てが刻まれているわけではなく、呪文の説明にあった通りの〝強き念〟が込められるような出来事だけが残されていること。 そして、この呪文で選べるもの。 どの『窓』を見るか。 『窓』の外から眺めるか。『窓』の向こう側へ降り立つか。 共に行く者の選定。誰を連れて行くか、どこまで見せるか。 詠唱しながら、それらをひとつひとつ選択してゆくのだという。「どうもね、記憶の中へ入るほうが、外から眺めるよりも多くの〝精神力〟を使うみたいなのよ。だから、この前わたしは倒れちゃったんだと思うわ」 その説明を聞いていた一同も納得した。窓から外を眺めるのと、窓の外まで足を運ぶのでは、手間も段取りも、費やすエネルギーも全然違う。 できるだけ〝精神力〟を節約しつつ、多くの参加者に〝記録〟を見せるために、ルイズなりに工夫した結果が「脳裏に映し出す」というものだったという訳だ。(あれか、ビデオのチャプター選択みたいなもんかね) 才人の他にも日本人がいたら、彼の意見に賛同しただろう。そのくらい的を射た表現だった。 とまあ、そんな感じで納得していた才人以外の参加者たちはというと。 ある者は床の上で苦悶の表情でのたうち回り、またある者は精根尽き果てた様相で、ソファーの背もたれに身体を預けている。 居合わせた他の者たちも、彼、あるいは彼女らと似たようなものだ。地に伏せ、天を仰ぎ、悲嘆に暮れていた。 その様を目にしたルイズは、涙目で声を荒げた。「だから言ったじゃない! わたしたちは嘘なんかついてないって!!」 六千年という長きにわたる『刷り込み』は、かくも罪深きものであったということだ。●○ ……それから十五分ほどして。「と、とりあえず〝記録〟という魔法については理解した。今回見たものはいったん脇へ置いといて別の話をしたいのじゃが、構いませんかのう?」 オスマン氏の提案に、サンドリオン王を始めとした参加者一同は、一も二もなく頷いた。最も頭の痛くなる問題を棚上げしたと言ってはいけない。「実はな、ミス・タバサとミスタ・タイコーボーに対する礼というか、この〝記録〟という魔法を始めとする極めて重要な情報を開示してくれたことに対する対価をどうするか、決めておきたいのじゃが」 その発言に頷きつつ、眉根を寄せる枢機卿。「なるほど、対価について何か申し入れがあったということですな?」「左様。一応断りを入れておくが、わしも、ミスタ・タイコーボーもミス・タバサにルイズ王女殿下が〝虚無〟だと打ち明けてはおらん。じゃが、彼女がガリアで遭遇した事件を切欠にロマリアの教皇が担い手であると判明し……結果、自ら友人の系統に辿り着いてしまったのじゃ」 そして、オスマン氏は参加者に説明を始める。 タバサと太公望が、ロマリアに目をつけられた最大の理由を。「やっぱり……ミス・タバサはオルレアン公の……」「そういえば、姉さまは最初からご存じだったんですよね」 ルイズの呟きに頷くエレオノール。「今のおちびなら『ガリアの青』がどういう意味を持つか、わかるでしょう? 魔法学院へ使者として出向いたときのわたくしの気持ち、理解してもらえたかしら」「ええ、とても……」 ルイズは、それはもう色々な意味で顔色を変えた。実家から歓待の使者が来るのをすっかり忘れて友達と遊んでましたなどとは、口が裂けても言えない。「ガリアって、トリステインの隣にある国でしたよね?」 才人の脳裏に、ラグドリアン湖の風景が浮かび上がった。確かガリアは、あの湖を挟んで反対側にあるという話だったはずだ。「その通りじゃ。どうもガリアの王都では、王家の血を引く名家の姫君が人間を使い魔にしたと、もっぱらの噂らしくてのう。それを知ったロマリアが探りを入れてきたと。まあ、そういうことでな」 それを聞いたカリーヌ夫人は、目を細めた。「結果的に、彼らが囮のような役割を果たしてくれていると。そう仰りたいのですね」 ルイズと才人は息を飲んだ。「ありていに言えば。実際、彼らがガリアという国において、相当な綱渡りをしているのは事実ですじゃ。陛下、並びに枢機卿猊下におかれましては、ミス・タバサ……いえ、大公姫殿下の苦境をご存じかと思われますが……」「……」「ど、どうしたんだよルイズ。俺たちの囮がヤバイのはわかるけどさ、もしかして、それ以外にもなんかあるんか?」 困惑して周囲を見回す才人。全員が何かを察したのであろう、その表情は暗かった。「誤解があってはいけませんからな。では、改めてわしの口から説明しましょう」 そう断りを入れた後、オスマン氏は改めてタバサの身の上について参加者に話して聞かせた。 タバサが、ガリアの王弟オルレアン公の忘れ形見であること。 ガリアの王子たちが、王座を巡って対立していたこと。 先代のガリア王が、遺言で兄のジョゼフを次の王に指名したこと。 その直後に、弟シャルルが叛逆を企てたとして暗殺されたこと。 それに伴い、オルレアン公家が王族の地位を剥奪されたこと。 オルレアン公夫人が娘を庇って毒をあおり、心を病んだこと。 そして、タバサ自身は厄介払いのようにトリステイン魔法学院へ留学させられたこと。 母と己の命を守るため、彼女が王室から課された無理難題に応えていること。「もしかして、師叔とタバサが国の仕事とか言って時々学院から抜け出してたのって……」「その通りじゃ。ガリア王政府がミス・タバサを、言い方は最悪じゃが、そう……合法的に葬るために、並のメイジでは確実に命を落とすような討伐任務に就かせているという訳だ」「なんだよ、それ……!」 才人は以前、水精霊団の遠征と称して彼女たちの仕事に同乗し、ドラゴン退治に行ったことを思い出す。全長二十メイルを超える人食い火竜の姿は、思い出すだけで震えが来る。 もしも、自分たちがついて行かなかったらどうなったのだろう。(あのときは師叔がいたから、たぶん問題なくふたりで倒せてた。けど、タバサひとりで勝てるのか? あんな化け物相手に!?) 即座に無理だと思った。組み手でさんざん対峙していた才人は、タバサの強さをある程度は理解している。けれど、タバサには太公望やカリンが持つような、圧倒的な攻撃力がない。 事実、彼女の〝風〟では、あの堅い鱗にカスリ傷ひとつ付けられなかったので、皮翼の解体に回っていたのだし――第一、太公望が召喚されていなければ、宝探しへ行くこともなく、従って例の『如意羽衣』も使えなかった訳で、つまり、空から氷の矢を飛ばすなんて器用な真似も不可能。 少なくとも、一対一で真正面から戦いを挑んでいたら……タバサは間違いなく死んでいた。それを悟った才人の頭に、カッと血が上る。(ふざけんな! あんな小さな女の子に、なんて酷い真似しやがるんだよガリアって国は!) 少年の内心が手に取るようにわかるオスマン氏は、さらに続けた。「ミス・タバサは魔法学院の生徒で唯一『スクウェア』に届いておるメイジだ。じゃが、これでわかったと思う。彼女は皆が考えているような〝天才〟ではない。死と隣り合わせの境遇に身を起き続けているからこそ、あそこまでの腕を持つに至ったのじゃ」「わ、わたし……そんなの、そんなの、知らなかった。だ、だから……」 ルイズは、一年生の頃からタバサに憧れと嫉妬がない交ぜになったような感情を抱いていた。母と同じ『風』を冠する実力者。自分の系統を知るまでは「いつか彼女に追いつき、追い越したい」と、必死に努力し続けてきた。 ところが、タバサは文字通り「死に物狂い」で腕を磨いていたのだ。比較するのもおこがましい程、自分は恵まれていたのだとルイズは悟る。それからすぐに、彼女の持つ美点のひとつ、正義感が首をもたげた。「だ、ダメよ! そんななのに、わたしたちの代わりにロマリアの囮だなんて!!」 ルイズの叫びに仰天する才人。「な、なんだ? どうしたんだよルイズ!?」「なんでわからないの! タバサとミスタは、わたしたちの隠し事に気付いて……わざと、自分たちが『担い手』みたいなフリをしてる! そういうことですよね、学院長!?」 オスマン氏は口を噤んだまま、何も言わない。つまり、同意したも同然だ。「ど、どうしてそこまで……まさか」 そこまで言って、才人は気付いた。「トリステインと、ロマリアが戦争にならないように……か?」 オスマン氏は重々しく頷く。「実際には、もっと大きなものを見ているようじゃがな。そこで、ふたりからルイズ王女殿下に対して、とある申し入れがあった」 そして、氏は再び口を開く。「もしも、ルイズ王女殿下が〝記録〟の魔法を身につけることに成功した場合……どうにか見せてほしい〝記憶〟があるそうじゃ」●○ ――その日、夜半過ぎ。 国王の居室で、部屋の主とその妻が机を挟んで対峙していた。「オスマン氏もひとが悪い。あんな言い方をされては、断れないではないか。実際、わしではもうルイズを止めることなどできぬであろう」 そう言ってため息をついたのは、サンドリオン一世。「ですが、断るつもりもないのでしょう?」 王は、妻の言葉に頷いた。「ああ。彼らには大きな大きな、返しきれない程の恩を受けている」「ええ。ルイズにばかり負担をかけることが、気がかりといえば気がかりですが」「確かにそうだが、状況次第ではルイズだけでなく……トリステインを守る切り札となりえるやもしれん」「ええ、あなた」 太公望とタバサが〝記録〟を垣間見たいと願ったもの。それは、ガリア王家に代々伝わる秘宝、始祖の香炉であった。 普通に考えれば、ルイズが始祖の香炉に触れるのは不可能だ。ところが、彼らにはそれを持ち出す術があるという。 〝精神力〟の問題があり、今回は始祖の祈祷書に〝記録〟をかける余裕がなかった。しかし、逆に考えれば〝精神力〟さえあれば、いつでも見られる。けれど、ジェームズ一世が持ち出してきた始祖のオルゴールや、ガリアの香炉はそうはいかない。貸してくれなどと口にしたが最後、何が起きるかは嫌というほど想像できる。 今回の申し出は、まさに絶好の機会と言えるだろう。 さらに、口にこそ出していないものの、サンドリオン一世は別の可能性も見い出していた。 始祖の秘宝に宿る強烈な思念。太公望の狙いが香炉から呪文を引き出すことではなく、最近目覚めたかもしれない人物に当たりをつけるためだとしたら。そして、件の目標がサンドリオンの想像通りの相手だとしたら、ガリアに対する絶大な外交カードたり得るだろう。 いっぽう、カリーヌ王妃は我が身の不明を嘆いていた。「ええ、ええ……自分を守る手札があれば、それだけあの子の身は安全になるでしょう。『烈風』などという大層な二つ名を持ちながら、危うく愛娘を災厄の化身にするところだったわたくしなどよりも、ずっと」「それに関しては、余も同罪だ。きみだけが罪の意識に苛まれる必要はない」「あなた……」 カリーヌ王妃は、机の上に置かれた一枚の羊皮紙に視線を移す。そこに書かれているのは、とある場所に関する調査報告だった。 ――聖アルティエリ神学校。 ロマリア皇都にあるこの神学校は、厳格な規律で生徒を縛り、ブリミル教徒としての教えを徹底的に叩き込まれることで有名な、牢獄とまで称される教育機関である。 ハルケギニア中から魔法ができない貴族の子供たちが集められ、毎日地獄のように苦しい特訓を強いられるのだと噂されていた。 ガリア・トリステイン・アルビオンの三王国及びロマリアに所属する貴族の家では、子供がわがままを言うと「聖アルティエリ神学校に入学させますよ!」などと怒られる程だ。 なお、ゲルマニアの場合は「『烈風』カリンが罰を与えに来ますよ!」という叱り文句になるらしい……閑話休題。 メイジは、個人差こそあれ十歳くらいまでには全ての汎用呪文を、出来が良ければ、さらに系統魔法のひとつ、ふたつくらいは習得しているのが一般的である。ところが、ルイズは十二歳を過ぎてもなお魔法を成功させることができないでいた。 もしもトリステイン魔法学院でも手に負えなかった場合、カリーヌ夫人はこの神学校へルイズを留学させようと考えていた……のだが。 王室の資料庫に残されていた過去二千五百年の記録によると、トリステインから聖アルティエリ神学校へ進学した子供のうち十三名が、在学中に行方不明になっていた。しかも、いなくなった者たちは全員、王家の血を濃く受け継いでいたのだ。 情報がある今だからこそ想像できる。万が一にも末娘をロマリアに留学させていたら――家族に絶望した彼女は、己の価値を虚無の中に見出し……始祖と神の名の下に、世界に災厄をもたらしていたかもしれない。「おお、始祖ブリミルよ。どうかわたくしたちの娘を、そしてこのハルケギニア世界をお守りくださいませ……」 聖印を切り、祈りを捧げるヴァリエール夫妻。始祖と崇められる人物が、そんな大層な名を背負うには耐えられぬ程に小さく、顔に幼さすら残る若者だと知った今でも……願わずにいられなかった。 いつしか外の雪は止み、雲間から輝く星々が顔を覗かせていた――。