高町はティアナからの志願による居残り訓練に付き合っていると、機動六課の隊舎がある方角から大きな音がしたのを聞いた。
「――ん? いま、何か爆発音みたいなの聞こえなかった?」
『大方、鳴海さんが何かしたのでしょう』
「んー……まあ、多分そうだよね。だって、あのいやーなプレッシャーがひしひと伝わってくるし。――でも、今日はちゃんと制服を着ていたみたいだし、いつもの全裸ネタが原因ってわけじゃあないんだろうけれど」
高町は首を傾げながら思案する一方で、今しがた聞こえた騒動に鳴海賢一が関わっていることを確信していた。
高町があの馬鹿と知り合って早十年。
彼が引き起こす騒動には九割方の確率で巻き込まれてきた彼女にとって、彼が何か暴走を引き起こしている時には、何かが自分の全身をネットリと触れてくる、そんな気持ちの悪いプレッシャーを同時に感じるようになってしまった。
今までの経験から自然と身についてしまった“危機察知能力”とでも言えれば便利な能力なのだが、それが“危機回避能力”になるに至らないのが、高町にとっては非常に悔やまれるモノとなっている。
「――察知したら察知したで、実際に巻き込まれるまでの待ち時間がもどかしいんだよね」
『マスター。おそらく意図していない言葉であると思うのですが、その言い方では周囲に誤解を招きやすいものになっていると指摘します』
「え? な、何かおかしかったかな?」
レイジングハートから指摘が飛ぶが、高町は自分の言葉を振り返ってみても、どこがどうおかしいのか気付かないようである。レイジングハートはそれ以上の発言を重ねようとせず、ひたすらに重苦しい沈黙を貫いていた。
「――その言い方だと、まるでなのはさんが鳴海さんの奇行を心待ちにしている……そんな印象を与えてしまいますよ」
そんな状況を崩したのは、“高町式十六連射”を捌き切れず地面に転がっていたティアナだった。
彼女は泥だらけになった身体に構わずによろよろと起き上がると、あたふたとしている高町に声をかける。
高町はティアナの言葉に少し呆然としていると、次の瞬間には顔を真っ赤に染めて自分の発言の訂正を始めた。
「――う、うわぁぁぁぁぁ!? こ、これじゃあわたしが賢一君の変態行為を楽しみにしてるみたいじゃない! ち、ちがうのちがうの、さっきのは言葉の綾であって、本当はそういうのじゃないからね!?」
「はぁ……」
高町は何故か逆ギレ気味にティアナに説明するも、ティアナは最初からそんなことには興味が無いような口ぶりで適当に相槌を打った――ように、あくまでも表面上は感情を見せず、内心では目の前の“明らかに狼狽している高町なのは”と、さっきまでの“鬼教官振りを発揮していた高町なのは”とのギャップに非常に混乱していた。
管理局のエースオブエースといった大層な肩書はどこへ行ってしまったのか、目の前の高町からデバイスとバリアジャケットを除けば、それは街中を歩いている一般の女性と何ら変わりが無くなってしまっている。
それはつまり、
――普段のなのはさんは、もっとこう……カリスマっぽい振る舞いなのよね。
ティアナが知らず知らずの内に抱いていた、高町なのはへの一方的な印象が原因なのだろう。
自分のような凡人とは決定的に違う人間。
それは、いうなれば天才や超人といった域に存在しているのが、管理局のエースオブエースと呼ばれる高町なのはである、とした見方だ。ティアナはその遠すぎる高町の背中に、スバルのような尊敬ではなく畏怖を感じていた。
だが、実際に同じ部隊で日々を過ごし、同じポジションということで個人訓練を受けている内に、ティアナは高町の意外な隙の多さに驚くようになった。
先ほどの言葉の綾の件もそうだが、高町は何故か意外なところで抜けているのが目立つ。
おそらく、それは高町にとっては“気を付けていれば起こらない程度の問題”なのだろう。
だから、今のように高町が目に見えるミスをした時には何か原因があるはずで、それは“気を付けていても問題を引き起こすトラブルメーカー”という鳴海賢一の存在が大きな要因を占めている、とティアナは考えている。
もちろん、あの変態が関与していない場面でも高町が普通の女性に戻るタイミングはあるだろう。それこそ、昔馴染みのフェイトや八神とプライベートで会ったりする時や、故郷の家族や友人との再会など、ティアナが知らない“高町なのは”という一面は必ずあるに決まっている。
だからこそ、仕事場であるこの機動六課において、しかも仕事中に素の自分を曝け出してしまう高町を見ると、ティアナはどうしても違和感を覚えずにはいられないのである。
「……なのはさんって、なんだか可愛い人ですよねぇ」
「―――――――――――はいぃ!?」
つい出てしまった発言を訂正する間もなく、ティアナはついに堪えきれなくなり全身の力を抜いた。ただでさえキツイ高町の訓練の延長による極度の疲労に身を委ね、ティアナは地面に向かって落ちていく。
その視界が地面に移る直前、自分の発言に顔を赤らめ更に慌てふためく高町の姿を収めながら、ティアナは意識をシャットアウトした。
シグナムが食堂を訪れると、そこには一人の馬鹿の姿があった。
「おっ!? あのおっぱいはシグナムじゃね!? おーい、そこのおっぱいも一緒に昼飯でもどうよ!」
シグナムの存在に一早く気付いたのはその馬鹿で、彼は恥ずかしげも無くおっぱいと連呼しながら、シグナムに向かって元気よく手を振っている。
直感的に余計なトラブルに巻き込まれそうになるのを察知したシグナムだが、ここで引き返すと後でより悲惨な結果を生むと経験則から判断した。どうせ巻き込まれることになるのなら、後々に回そうとせずにさっさと済ませてしまおう、といった諦観を含んだ判断だ。
シグナムは馬鹿への不快感を微塵も隠そうとせず、八神家やその他の人物には見せない冷たい眼差しで一瞥する。
「お前は私のことを胸でしか判別できんのか」
「いやいや、それは誤解だって。俺がシグナムをシグナムだと断定するに足りる特徴は多々あれども、その多々ある特徴の中で一番目立つのがおっぱいなんだから仕方なくね?」
「お前の言動は自殺願望が表れてるとしか思えん」
いっそのこと叩き斬ってやろうか、とシグナムは強く思った。
この馬鹿がいなくなれば、今後の機動六課が直面することになるであろう“問題”がどれだけスムーズに解決するのか、シグナムは脳内でメリットとデメリットを秤にかけてシミュレーションしていく。
それで得た結論は、シグナムには判断不能――というものだった。
「ん? 何だよ俺の顔をジッと見つめて――はっ、まさか!?」
「寝言は寝て言え」
両頬に手を添えながら気持ち悪く身をくねらせる馬鹿に対して、シグナムは刃で切り捨てるようにコミュニケーションを断絶した。
相手にすればするだけつけあがる特性を持った鳴海賢一にとって、最も有効な手段は始めから相手にしないことである。自身の主や同僚はそのことに気づきながらもついつい相手にして大火傷を負っているが、せめて自分だけは最後の砦として鳴海賢一という存在を甘やかさずにいたいものだ、とシグナムは考えている。
「くっそ、流石はシグナムだぜ。高町や八神とは段違いのコミュ障っぷりだな」
「お前と順風満帆なコミュニケーションを取れている人間などいないだろう。それは我が主やなのは、テスタロッサも例外ではあるまい」
「あれ? もしかして、俺ってば遠まわしに馬鹿にされてね?」
「直接的に馬鹿にしているつもりだが。――失礼するぞ」
首を捻る馬鹿は放っておいて、シグナムはそんな馬鹿と相対するように席に着いた。
シグナムは肩の力を抜き、ヴォルケンリッターの“烈火の将”にしては珍しく小さな溜息をつく。
「あれ、昼飯食わねえの?」
「いや、少し休憩に来ただけだ。空腹は特に感じていない」
「何だよ、腹が減っては戦は出来ないとも言うぜ? バトルマニアのシグナムさんらしくない発言じゃん」
「誰がバトルマニアだ、誰が。――まあ、私たちヴォルケンリッターのような魔法プログラム体は、元々食事を摂る必要も無いんだがな」
シグナムはそう言って、ふと昔のことを思い出した。
まるで人間のように食事を摂るようになったのも、自分たちの主である八神はやてのおかげだった。
彼女は自分たちを道具としてではなく、あくまで“家族”として扱うことに必死だったように思う。自分以外の家族がいないという特殊な環境――その寂しさから来た行動だったとしても、シグナムはそのことを今でも嬉しく感じることが出来る。
それは言わずもがな、ヴィータやシャマル、ザフィーラも同様だろう。
歴代の“闇の書”のマスターのどれにも属さない振る舞い方に、最初は非常に困惑したものだが、彼女はヴォルケンリッターに人間が持つ“情”のようなものを確かに植え付けてくれたのだ。
あの時、自分たちを取り巻くしがらみがゆるやかに解けていくのを、シグナムは確かに感じた。
そして、その後も紆余曲折あって管理局に所属し、こうして機動六課の副隊長を任されているのだから、人間でいう“人生はどう転ぶか分からない”といったところだろう。
あの当時、戦場に全裸で躍り出た少年が青年になっても全裸ネタを披露しているといったように、かなり変態的な人生を歩んでいる人間もいるのだから、まさに“人生”には十人十色という表現が相応しい。
――まあ、コイツの人生はかなり特殊すぎるから、人間のカテゴリに入れてもいいのか悩むところではあるが。
シグナムは鳴海を見る。
人並み外れたステルス魔法とレアスキルが取り柄の、素人に毛が生えた程度の魔導師であるにも関わらず、物事の重要な場面は絶対に見逃さない厄介極まりない嗅覚を備えているが、その特異な変態性ゆえに周りからは煙たがられている――かと思えば、皆が上手く言葉に出来ないような“信頼”を抱いているのもまた事実。
鳴海賢一という人物を持ち上げ過ぎだろうか、といった感情もシグナムは度々抱いているのだが、その自身への問いかけも答えは出せずに、結局は漠然とした“信頼”を抱いているという結論で締めくくるのがパターンだ。
せめて、一騎当千の実力を持った人物であるならその評価も簡単だった。
だが、鳴海賢一はそういった評価をされる人物では決してない。力で存在感を示すというよりも、その鳴海賢一という存在こそが既に周囲に大きな影響を及ぼしている――というのが近い。
「――早い話が、お前は非常に性質が悪いということだな」
「今のは俺でも流石に馬鹿にされてると分かったぞ?」
「お前に人並みの知能があると分かって嬉しい限りだ。――ところで、どうして制服が黒焦げになっているんだ?」
最初に鳴海の姿を見てから、シグナムがずっと抱いていた大きすぎる違和感。
鳴海が制服を着ているという点もそうだが、それ以上に制服がどういった経緯で黒焦げになるのかシグナムには皆目見当もつかなかった。
そんなシグナムの疑問に、鳴海は事も無げに言ってのける。
「八神家の末っ子とメカオタ眼鏡に高町式砲撃術を浴びせられたらこうなった」
「なるほど、分からん」
とりあえず、鳴海をこんな状態にした犯人の目星はついた。
大方、鳴海の自業自得のようなものなのであろう、とシグナムは納得する。
その一方で、八神家の末っ子が最近になって過激な性格になっていることに、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
ただでさえ、八神家では鳴海に懐いてしまっているリインフォースⅡの情操教育に苦心しているのに、このままではいつか手が付けられない存在になってしまうかもしれない。八神家の癒し系マスコット担当が鳴海賢一の“毒”に完全に染まってしまう前に、一度家族会議を開いておいた方がいいかもしれない。
――いや、それよりもそもそもの原因を排除した方が早いか?
「おいおい、なんかシグナムの視線から殺気を感じるんだが気のせいか?」
「――ああ、きっと気のせいだろうな」
生来の動物的な直感で自身に迫る危機を感じ取ったのか、鳴海は椅子を少し引いていつでも逃げだせるように身構えている。相変わらずの危機察知に長けた鳴海の嗅覚には、流石のシグナムも素直に感心してしまう。
だが、シグナムはここで何かがおかしいことに気付いた。
確かに、鳴海の嗅覚は素晴らしく、時には異常とも言えるレベルで危険を察知していく。
ただ、彼はその嗅覚を危機回避に用いることは無く、あえて自分から突っ込むといったスタイルを取るのが常だ。生粋のマゾ思考というか、スリルを楽しむためならば自分の命を易々と賭けてしまえる、そんな性質の悪いギャンブラー的な思考をする――それが、シグナムが抱いている鳴海賢一といった男の印象だ。
ならば、今この場面で“危機を回避しようとしている鳴海賢一”がおかしくないわけがない。変態的な意味では十年前からずっとおかしい彼だが、その根幹とも言える自身の在り方について、そう簡単に崩してしまえるとはシグナムには到底思えなかった。
「鳴海、お前どこか調子でも悪いのか?」
「へ……?」
シグナムがふと零した言葉に、鳴海は一瞬だけ呆然とした。
だが、その次の瞬間にはいつものように気味の悪いモーションを交えながら、真剣な表情と声音を携えたシグナムを茶化すように言葉を紡いでいく。
「まあ、調子が悪いって言ったら嘘になるけど、それは肉体面よりも精神面の方な」
「ふむ……?」
「ほら、俺ってば十年前のクリスマスに結構な無茶したじゃん? そのときの“ペナルティ”の経過をシャマル先生に診断してもらったんだけど、あの時から何の変化も無くてさ。それでちょっとへこんでるって感じ」
「ああ、その話か」
それはシグナムにも所縁のある話だった。
十年前のクリスマスとは、シグナムたちヴォルケンリッターと八神はやての運命が大きく転換した日だからだ。今では“闇の書事件”として扱われるようになった事件の最中、過去の責任を一身に背負って消えゆく運命の仲間がいた。
シグナムは今でもよく覚えている。八神が泣き、高町やフェイトは寂しげに俯き、ヴォルケンリッターの面々は悔しげに仲間を見送ろうとしている、そんなハッピーエンドの後に待ち受けていたビターエンドを打ち破ったのが、他でもない目の前の鳴海賢一という馬鹿だったことを。
無論、そんな奇跡を何の“ペナルティ”も負わずに叶えることは不可能に近い。
むしろ、どんな“ペナルティ”を負ったとしても叶えることの出来ない奇跡の筈だった。
そして、そんな奇跡を叶えることが出来たのは、ひとえに鳴海の持つレアスキルのおかげだった。彼は自分にとってそれ相応な“ペナルティ”を自らに課したことで、初代“祝福の風”であるリインフォースを今でもこの世界に歪なカタチで残存させている。
その“ペナルティ”の詳細を知っているシグナムは、滅多に見られない真っ赤にした表情で鳴海に問いかける。
「まあ、その……なんだ。お前の“ペナルティ”の件だが、その、大丈夫なのか?」
「んん? 何かシグナムさん顔赤いっすけど、どうしたんすかぁ?」
「ふ、ふざけるな! 斬るぞ!」
いつになくウザったい調子の鳴海に、シグナムはレヴァンティンを振り上げて威嚇する。
鳴海はそんなシグナムを諌めつつ、一転して真剣な表情を浮かべて言った。
「後悔はしてない……つったらやっぱり嘘になるんだろうけど、少なくとも、あの時の俺は“自分がやりたいことをやった”つもりだしな。だから、まあ、俺の“ペナルティ”に関してだけ言っちゃえば、あれはストーリー上回避不能のイベントだったってことで割り切ってきたし」
それはまるで、自分自身に言い聞かせるような言葉の羅列だった。
その姿がどことなく痛々しいと思ってしまったシグナムは、つい鳴海を問い詰めるかのように言ってしまう。
「だが、お前にとって……いや、男にとってそういう“機能”は無くてはならないものではないのか? 私は女であるから理解は出来んが、男であるならどんな条件を出されようとも拒否する“ペナルティ”だと思うのだが」
「だから、そういうことをちゃんと理解した上で、あの時の俺はそんな蛮行をしたってことだろ。――まあ、アイツを救うことに相当するペナルティが俺にとっての“ソレ”だったんだから、あの時の俺はどんだけアイツのことを大事に思ってたんだろうなぁ……。それこそ、完治するかも分からないような障害を負うことを決断したんだから、もうあの時の俺はスーパーイケメンタイムだったんじゃね!? シグナムもそう思うだろ!?」
「…………」
最後を茶化すような言葉で締めた鳴海に対して、シグナムは何も言葉を返さなかった。
それは、人が過去に下した決断を蒸し返すなど自分らしくないから。
また、自分はそういった必要以上の他人への踏み込みをするべきタイプではないと自覚しているから。
そして、自分という存在は誰かのフォローという役目が絶望的に苦手だということも自覚しているから。
そして何よりも、こうして相対している鳴海賢一という存在は、自分の決断を誰かにフォローさせるような人間ではないということを、この十年間の長いようで短いような付き合いで理解しているからだった。
だから、シグナムはこの話題に関してはもう話すことが無い、とでも言いたげに露骨な話題転換を試みることにした。
「まあ、お前がイケメンかどうかはさておいて……どうだ? ここ、機動六課の雰囲気は?」
「んー? そりゃあ最高だよサイコー。だって、例えば俺が全裸でそこら辺をうろついても、皆がにこやかに接してくれるしな!」
それはすぐにでも改善するべき課題ではないだろうか、とシグナムは思わずツッコミそうになるのを寸でのところで留めた。
現状、機動六課の鳴海賢一による汚染レベルは、管理局規定の標準数値を上回っていると先日の査察で判明している。この汚染レベルは全八段階で設定されており、一番低レベルであるEレベルは“鳴海賢一と知り合いになること”で、一番高レベルのSSSレベルは“鳴海賢一という存在に人間的違和感を覚えないこと”である。
先日の査察で判定された機動六課の汚染レベルは、標準数値のCレベル“鳴海賢一の奇行に慣れていること”を上回るBレベルの“鳴海賢一と知り合いであることに違和感を覚えないこと”と判定されてしまった。
それはつまり、機動六課では鳴海賢一がいることが当たり前として認知されてしまっている、ということだ。
これがどれだけ恐ろしいことなのかは、地上部隊のトップであるレジアス・ゲイズ中将の度重なる胃潰瘍による入院を耳にしている人間ならば、すぐに理解できる惨状だろう。
それゆえに、シグナムは迂闊にツッコミをすることが出来ないでいる。今の機動六課は鳴海賢一にとってのホームとなっており、アウェイ側だと自負している人たちも自分では気付かぬ内にホーム側に取り込まれていると言った現状だ。
ここで下手に鳴海賢一とボケ・ツッコミのコミュニケーションを取ってしまえば。自分もホーム側に取り込まれてしまうかもしれない、といった危惧がシグナムには芽生えている。
シグナムは冷静になって場を見極めようとしていると、鳴海は先ほどの発言とは打って変わって表情を曇らせた。
「だけどなぁ……やっぱりさ、結構マンネリになってる気もするんだよな。前までは俺が全裸にステルスでうろついていると初々しい反応があちこちから飛んできたんだけど、最近じゃそういったのが殆ど無くなっててな。むしろ、付き合いの長い高町とかのほうが良いリアクションするんだよ」
「それはアレだろう、なのはには“毒”に汚染され続けたことによって“抗体”が出来ているからな。お前へのツッコミもキレが増しているんじゃないか?」
「うん? その“毒”とか“抗体”とかよく分かんねえけど、高町のツッコミがキレてるのは確かだな。この前なんか高町にスカート捲りしたら裏拳でぶっ飛ばされてな? ガキだったころの高町と比べると、アイツはすげえ成長してるよ」
朗らかな笑顔を浮かべながら、もの凄い事件を言ってのけた鳴海だった。
天下のエースオブエースにスカート捲りをしでかす思考回路は流石だが、それから始まるデスマーチを生きて走破したのだから驚きである。常日頃から鳴海の謎の耐久力には一目を置いていたシグナムだが、これはもはや不死身と呼んで差支えの無いレベルかもしれない、と認識を改めた。
「あれ? 賢一君にシグナムって、結構珍しい組み合わせだね」
そんなタイミングで、話題の人物が食堂にやってきた。
「おう、高町じゃん。ナイスタイミングだな」
「え……? 何か嫌な予感がするから、そのまま口開かないでいていいよ?」
高町の発言も鳴海は完全にスルーして言った。
「あのさあ、この前高町にスカート捲りしたじゃん? そんでさ、高町が黒の下着ってかなり珍しくね? フェイトと下着の交換でもしてんの?」
次の瞬間、鳴海は高町に魔力を乗せたアッパーカットを決められ、勢いそのままに食堂の天井に頭から突き刺さった。
その光景を見ていたシグナムは、本日二度目となる小さな溜息を吐いたのであった。
ティアナは泥だらけの身体をシャワーで洗い流してから自室に戻ると、そのまま黙ってベッドに身を投げ入れた。シャワーを浴びている最中にも、何度か疲労から来る気絶をしてしまいそうになっていたが、この空間ではそれを妨げる障害は存在していない。
このまま、午後の業務が始まるまで軽く眠っておこう――と思ったティアナだったが、それは二段ベッドの上にいた人物に阻止されることになる。
「あれ? ティア、今から休憩?」
ベッドの端から顔だけを出したのは、同室のスバル・ナカジマだった。
「ああ……ちょっと、なのはさんとの延長戦が長引いちゃってね。休憩が終わるまで軽く寝ようと思って。――スバルは何してたの?」
「私はギン姉から貰った“鳴海賢一:扱い方マニュアル”を読み返してる最中なんだ。そういえば、さっき鳴海さんがリイン曹長とシャーリーさんに砲撃されてね。それがなかなか大変だったんだけど、ティアも知ってる?」
「ああ……あの爆発音みたいなのはそれだったのね」
高町との訓練が丁度終わった頃、機動六課の方から大きな爆発音が響いたのはティアナにも聞こえていた。あの時は機動六課の波乱万丈な気質から考えて、ティアナは特に気にも留めていなかったが、原因となったであろう人物の名前を聞くと、それに巻き込まれなくて良かったと心底思えるから不思議だ。
ティアナが持っている機動六課への感想としては、ここはやはり何かがおかしいと思っている。誰かが意図的に因果律のようなものを操作しているのではないかと考えてしまうぐらい、毎日のように馬鹿騒ぎが起きている。
その中心にいるのは当然のようにあの男なのだが、それに冷静に対処出来ている部隊長以下の面々もどこか狂っているとしか言いようがない。
「……それにしても、鳴海さんは常に騒ぎを起こすわね。あの人って何か呪いにでもかかってるんじゃないのかしら」
「鳴海さんの場合、呪いがかかっているというよりも、周りに呪いを振りまいてるって感じだけどね」
「ああ、それは確かに言えるわね。まったく、どうして毎日のようにネタを提供できるのかしら……。少しはそれを仕事の方に回してほしいけど――いや、それはそれで邪魔になりそうだし、やっぱり今のままが一番いいのかもしれないわね」
ティアナにとって、鳴海賢一という存在は嫌っているというわけではないが、人であるために最低限の距離は取っておきたい人物だ。好きでもなければ嫌いでもない、あくまでも無関心でいたい、そんな存在である。機動六課での鳴海関連のやり取りを遠目から見ていても、既に周りからも言及されている通り、彼とは関わらないことが一番の対処法だ。
それは機動六課での生活を守ることにおいても、ひいては自身の尊厳を守ることにおいてもである。
ティアナが内心で今後の身の振り方を再確認していると、スバルが思い出したかのように口を開いた
「そういえば、ティアってば最近訓練をすごい頑張ってる気がするんだけど?」
「……まあ、だってほら。あたしってアンタやエリオ、キャロみたいに何か突出した能力があるわけじゃないしね。だったら、より一層の地力をつけるしかないでしょ」
「えー? ティアだって射撃とか凄いし、幻術とか戦略とかあたしたちじゃ出来ないことが出来てるじゃん」
ティアナの自分を卑下する言葉を聞いて、スバルはそれを真っ向から否定した。
スバルの性格から考えて、この発言は本心から来るモノだろう。スバルは嘘を吐くという行為があまり得意ではないし、何よりもスバルが嘘を吐いたところでティアナにはすぐにわかってしまう。
だからこそ、その言葉を素直に聞き入れることが、今のティアナには出来なかった。
「でも、やっぱりあたしは何処まで行っても凡人のままなのよ」
「――違う、ティアは凡人じゃないよ」
ティアナのどこか諦観を含んだ自嘲に、スバルは先ほどとは打って変わって、優しげな声音で諭すように言った。
「あたしの知ってるティアナ・ランスターっていう女の子は、怒りっぽくて、冗談が通じないところがあって、意地っ張りで、本当に扱いにくい性格をしてて……」
「おいコラそこの能天気馬鹿」
ティアナの罵倒も無視して、スバルは言葉を続けた。
「だけど、その根っこは真っ直ぐ進んでいこうっていう、明るい気持ちで満ち溢れてる、そんな女の子だと思うんだ。なんていうか、自分の状況を客観的に理解しすぎる傾向があるっていうか、そういうので躓いちゃうところもあるけど、最後には絶対に前を向いて歩いていけるって、あたし信じてるもん」
「…………」
「それにさ、Bランク試験で見せたティアの戦略も凄かったじゃん! あのゴキブリみたいにしぶとい鳴海さんを“諦めさせた”って、なのはさんも本当に褒めてたしさ!」
「……それは、確かにそう言ってくれたけど」
ティアナはあの時のことを思い出す。
Bランクの昇格をかけた大事な試験、そんな緊張感高まる場所で鳴海賢一とは出会った。試験会場の雰囲気に真っ向から反発するかのように、変態でしかない全裸スタイルという圧倒的な立ち振る舞いに呆然としたが、最終的には怒涛と呼べる展開を繰り広げて鳴海を鎮圧させてみた、そんなある意味で思い出深い試験だ。
確かに、あの時の自分は神がかっていた、と普段は自己評価を高くしないティアナも思ってしまう、そんなトータルから考えてみても最高の出来だったように思う。
試験のスタートから絶好調だと感じてはいたものの、鳴海賢一と相対している最中では、まるでスイッチが切り替わったかのように思考回路が鮮明になっていったのだ。
先を読むどころではなく、自分で戦いの展開を組み立て、試行錯誤し、場を支配する、そういった戦略を自分の力で構成することが出来ていた。
鳴海賢一の特性を観察し、詰将棋のように獲物を追い詰めていったあの得体の知れない感覚――ある種の快感を、ティアナはあれを最後に感じていない。
「そうだ、どうせなら鳴海さんに直接聞きに行ったらどうかな?」
「はい?」
予想していなかったスバルの発言に、ティアナは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「あたしが? あの変態に? 何で?」
「だってさ、ティアのそういう凄みっていうか、そういった物を実際に肌で感じたのって鳴海さんでしょ? だったらさ、その時のティアの印象を聞いてみたらどうかなって」
「……うーん」
「鳴海さんだっていつも変態なわけじゃないし、きっとティアの話も聞いてくれると思うよ。リイン曹長とシャーリーさんに砲撃された後、どこか清々しい顔で食堂に行ったから、まだいるんじゃないかな?」
鳴海賢一に教えを請う、とまではいかないだろう。
だが、あの変態に相談を持ちかけることには変わらない。
それは、自分から進んで地雷を踏み抜くという行為と同義ではないだろうか、とティアナは思わずにはいられなかった。
あの変態に近づくという行為に、ティアナは他のフォワードメンバーよりもかなり慎重になっている。スバルは話を聞いている限りでは仲がいいらしいし、エリオやキャロも年上のお兄さん(変態)としてそれなりに慕っているらしい。
そこまで考えて、機動六課において鳴海賢一と未だに距離を取っているのは、自分だけという事に気が付いたティアナだった。鳴海賢一が場に溶け込むのが非常に上手いのか、自分が頑なに拒んでいるのか。
――それとも、その両方なのかな。
また、自分の悪い癖が出ていたのかもしれない。
この他人と距離を取ろうとする性格ゆえに、陸士校時代に知り合いと呼べる存在はスバルしかいなかった。それにしたって、スバルの生来のお節介焼きな性格に根負けしたという形であって、自分から歩み寄った末の結果ではない。
当時から考えれば、ある程度までは柔らかくなっているかもしれないが、そういった癖は自分でも気が付かない内に出てしまうものだ。他人と距離を取ってしまうため、誰かに相談をもちかけるなんて出来るはずも無く、解決できないまま自分の中に溜め込んでしまう。
今回の件に関しても、こういった些細なことが後に大きな原因になるかもしれない。自分を凡人として認識しているがゆえの苦悩、周囲との実力差から来るコンプレックス、そういった良くない感情が増大していってしまい、身動きが取れなくなる可能性もある。
だったらいっそ、藁にも縋る思いであの変態に相談を持ちかけてみても、それはそれで悪くないのかもしれない。
そう思って、ティアナは疲れ切った身体を起こし、ベッドから立ち上がった。
「あ、やっぱり行くんだ?」
「やっぱりって何よ。元はと言えば、アンタから言ってきたことでしょ」
「うん。あたしがこう言えば、きっとティアなら動くかなーと思ってさ。ほら、あたしってティアの相棒だし?」
「……スバルうっさい」
これではまるで、スバルに良いように誘導されているみたいで、ティアナはどことなく不満げだ。
それでも、相棒が自分のことを真剣に考えてくれた結果なのだから、それほど悪い気分というわけでもない。
それよりも、感謝の気持ちの方が強かったのは確かだ。
――本当に、この相棒は自分のことを分かってくれている。
「それじゃ、ちょっと行ってくるわね」
「うん、鳴海さんは一筋縄じゃいかないけど頑張ってねー」
ティアナは走り出した。
そこまで本気にしているわけではないけれど、どこかはやる気持ちに突き動かされながら、ティアナは期待と不安が入り混じったような訳の分からない気持ちを抱えたまま、機動六課に来て初めて鳴海賢一と向かい合うことを決めた。
その数分後、天井に首から埋まった鳴海賢一と、その真下で談笑している高町とシグナムがいるのを見たティアナは、泣いているのか怒っているのか判別が難しい表情を浮かべながら自室に戻ったらしい。
///あとがき///
なんかもう境ホラとか関係なくなってきた気がする。