聖王教会。
時空管理局と同じく、危険なロストロギアの調査と保守を使命としている宗教団体の総称である。また、宗教自体を指す時には“聖王教”と呼ばれている。
聖王教会の設立に関しては、聖王家が古代ベルカ戦争を終結させたと同時に始まったとされており、これは戦争を終わらせた聖王家が信仰の対象となったためだとされている。
この時期と同じくして、当時魔法文明の発達が著しいミッドチルダが、危険な質量兵器の廃絶とロストロギアの保守・保管を掲げ、次元世界の交流と平和の旗印となる組織を樹立させる。この組織が後の時空管理局の基盤であり、組織の樹立に力を貸した聖王教会はミッドチルダの一部に“ベルカ自治領”として自らの国を確保して、今に至る。
これが、今でもなお信仰絶えない聖王教会の簡単な成り立ちである。
「……やっぱり、こう考えるのが自然なのかしら」
そんな聖王教会の一室。部屋の電気も点けず、暗がりの中で、一人の女性が預言書と睨めっこをしていた。女性の名前はカリム・グラシア。聖王教会に属する由緒正しい家柄の騎士でもあり、同時に時空管理局の理事官も兼任しているキャリアウーマンのような女性である。
カリムはその整った表情を曇らせながら、自身のレアスキルである“預言者の著書”を元に作成した預言書の解釈に追われていた。預言の中身は古代ベルカ語で記されており、しかも解釈によって意味が変わることもある難解な文章に加えて、世界に起こるであろう事件をランダムに書き出すだけの代物である。
それゆえに、実際の命中率や実用性は良く当たる占い程度、というのがカリム本人の弁だ。
ただし、大規模災害や大きな事件に関しての的中率は高いために、管理局や聖王教会からの信用も厚く、事件を未然に防ぐという意味で重宝されている。
「――管理局システムの崩壊」
カリムはそう呟くと、椅子から立ち上がり日光を遮るカーテンを開ける。長時間に渡って暗闇にいたために、窓から差し込む日光が非常に眩しく感じるが、カリムは目を閉じることなく眼下に広がる景色を眺める。
自室から一望できる聖王教会の庭園には、子供たちが元気に駆け回っている、そんな温かい光景が展開されていた。些細な日常の一コマであるものの、これは決して失ってはならない大切で守るべき存在たちだ。
だからこそ、カリムは“預言者の著書”で記されたあやふやな未来の解釈にも、決して手を抜かずに全力で事に当たっている。トータルで見てしまえば、よく当たる占い程度の信頼度であろうとも、この何気ない“幸福”を脅かす可能性を見て見ぬフリは出来ない。“妹のような友人”には、この自分の性格を「真面目で律儀な頑固者」と評されているが、それは致し方の無いことだ、とカリムは納得している。
なぜならば、カリムは自分の生き方を変えるつもりはないし、この生き方を自分でも気に入っているからだ。自分と同じ年頃の若い女性がファッションを気にかけたり、異性との恋愛に一喜一憂したりするのを羨んだことがただの一度も無いわけではないが、カリムは世の女性たちのファッションや恋愛といったカテゴリーに、預言書の解釈といったものを当て嵌めているにすぎないのである。
カリムも想像したことはある。
自分が由緒正しい家柄の生まれでなく、このようなレアスキルも身に着けていなければ、魔法の才も今ほど持ち合わせていない“普通”の女子であったならば、果たしてどんな夢を描いたのだろうか。街の洋菓子屋さんだろうか、お花屋さんだろうか、学校の教育者だろうか、それとも一人の女として結婚に幸せを願うのだろうか。
「……やめましょう、こんな思考は非生産的だわ」
カリムはかぶりを振って考えを否定した。
ふと、庭園を見れば先ほどまで遊んでいた子供たちの姿は見えず、そこには静けさだけが寂しく残っている。彼女は踵を返し、デスクに備え付けられているコンソールを起動。自身が後見人を務めている部隊――機動六課。その部隊長である“妹のような友人”こと八神はやて宛てに特殊回線を繋げる。
「――おはよう、はやて。朝早くから悪い知らせだけど、“レリック”と思われる不審貨物を教会騎士団が追っているわ。まだ見つかってはいないけど、早ければ今日明日中に――そうね、一度聖王教会にまで来てもらえないかしら? 新型のガジェットについても直接話したいし……そう、少し時期が早まっていることも、ね」
今日も全裸はいつも通りだった。
朝礼にも全裸で現れることは当たり前で、フォワード組の模擬戦にクリーチャー役として参戦してはティアナに鎮圧されたり、フェイトとヴィータにテニスのボールよろしくラリーされたり、射撃の的としてスリリングな時間を過ごしたりしていた。
始動したばかりの機動六課における全裸の評判は様々で、「変態」、「この前ブリッジしながら施設内を一周しているのを見た」、「ヴィータ副隊長とゲートボールする機会があったんだけど、その時に自分をボール役にしてほしいって志願していたよ。案の定ホームランされていたけど」、「エロゲーを布教してくるのは勘弁してほしい」、「せめてネクタイはしてほしい」、「股間のモザイクが何かの拍子で取れそうで不安で仕方ない」といったように、主に全裸の変態性に関する指摘ばかりが取り上げられていた。
しかし、そうした全裸への評判も、一月経てばみんな慣れたのか諦観したのかは定かではないが、全裸が機動六課内をうろついていても取り立てて騒ぎ立てるようなことはなくなり、男性職員だけではなく女性職員も気軽に挨拶するようになっていた。
だが、そんな現状に不満を漏らしている者もいる。
それは、他でもない全裸本人だった。
「なあ、エリオ。何だか最近、俺への周囲からの扱いが段々適当になっている気がする」
「それだけ、鳴海さんが六課に馴染んでいる……って証拠じゃないでしょうか?」
高町による地獄の早朝訓練も終わり、エリオは空腹を収めるために一人食堂に来ていた。
とりあえず、エリオは大盛りのスパゲッティ―を三皿頼んで席に着くと、時を同じくして寝癖だらけの全裸こと鳴海賢一が食堂にやってきて、丁度いいからと一緒にこうしてテーブルを囲んでいるのである。
エリオにしてもフォワード組は自分を除けば全員女性、上司も殆どが女性となってしまっているため、こうした性別を気にしなくて済む同性との会話の機会は、たとえ相手が全裸の変態であろうとも、心休まる貴重な時間になっている。
「でもなぁ、俺としてはそういうマンネリ化は避けたいわけなんだよ。気づけばみんな“ああ、ハイハイ。こうすればいいんでしょ”みたいな雑な対応が多くなってるんだよなぁ。――ここはあれだな、俺から進んで新しい要素を取り入れる必要があるのかもな」
全裸は神妙な表情を浮かべて一人勝手に納得していた。
エリオにしてみれば、全裸以上に強烈な要素がこの世にあるのか知らないし知りたくもない。
だが、この全裸ならそんな見当もつかない謎の要素をいつか実際に取り入れる、そんな予想も簡単に成り立ってしまうのだから不思議だった。
「エリオも何かいいアイディアが思いついたら、遠慮なく俺に言ってくれよ?」
「は、はい、分かりました。きっと何も思いつかないでしょうけど」
鳴海賢一がどういった過程を辿り、今の全裸という特徴的すぎるスタイルに落ち着いたのかは知らないが、きっとそこには自分には想像もつかない事情があったんだろう、とエリオはぼんやりと思うと同時に、決して知りたくない事情でもあると思っている。
仮に、万が一にでもその事情に自分が共感してしまったとしたら、自分の中でも全裸でいることに抵抗が無くなってしまうかもしれないからだ。エリオ・モンディアルとしての尊厳を守るためにも、この全裸に必要以上に踏み込んでしまうのは自殺行為そのものである。
エリオは幼いながらも品行方正な少年だ。
それゆえに、あまり人間を外れた行動を起こしたくないとも思っているし、自分の保護者代わりであるフェイトからも「賢一の真似だけは絶対にしちゃ駄目だよ」と念を押されている。
「まあ、俺のことはいいや。それより、エリオはどうだよ? 少しは機動六課に慣れたのか?」
「はい、みなさん優しくしてくれますし、特に人間関係で困っていることもないです」
「おお、そうかそうか。ショタでいられるのも時間が限られるし、我儘って思われるぐらい自分のやりたいことしといた方がいいぞ」
「そ、そうですね」
全裸は大人らしいアドバイスをしているつもりなのだろうが、その発言がどことなく不穏な空気を醸し出しているのをエリオは感じ取った。
とはいえ、エリオにとっての全裸は基本的に“良い人”に分類されている。自分のような子供にも分け隔てなく接してくれているし、行動も九割方の変態ぶりを除けば普通の人間だ。過去に非人道的な扱いを受けたことがあるエリオにとっては、これぐらいの変態行動であれば十分に許容できてしまう。
とはいえ、必要以上に全裸の変態行動を理解するつもりは無い。
あるいは、この全裸をある程度の段階まで許容出来てしまっている時点でヤバイのかもしれないが、エリオ自身はそのことに不幸にも気付いていなかった。
「そういえば、鳴海さんってフェイトさんの昔からの友人なんですよね?」
「うん? ああ、そうだな。エリオぐらいの子供の頃からの知り合いだけど、それがどうかしたか?」
「いえ、特に何があるというわけでもないんですけど、フェイトさんの昔話でもしてほしいなって思いまして」
「うーん、フェイトの昔話ねぇ……。ああ、そういえば」
全裸が何かを思い出したのか、手をポンと叩いて軽い調子で言った。
エリオは面白い話が聞けるかもしれない、と思いながらコップに注いだ麦茶を飲んでいる。
「昔は、フェイトもよく脱いでたっけ」
「ぶっ!?」
エリオは口に含んだ麦茶を噴出しそうになった。下手に我慢したことで器官に入ってしまったのか、エリオは苦しそうに咳き込んでいる。
「ごほっ、ごほっ!」
「おいおい、大丈夫かエリオ?」
「は、はい……なんとか。そ、それよりも鳴海さん! フェイトさんがよく脱いでいたって……ほ、本当なんですか!?」
エリオはもの凄い剣幕で身を乗り出した。
一方の全裸はと言えば、エリオが何に驚いているのか皆目見当もつかない、といったような軽い口ぶりで疑問に答える。
「マジもマジ、大マジだよ。ほら、あいつのウリってスピードじゃん。軽量化って言えばいいのか? バリアジャケットみたいな防御機能をあえて削ぐことで、代わりにより速くなるっていう感じ。まあ、とりあえず、フェイトは“脱げば脱ぐほど速くなる女”なんだよ」
「そ、そうなんですか……?」
「ああ、傍から見てれば立派な脱ぎ魔だったぜ。あの時は、俺も思わず“同業者”かと思って慌てたもんだ」
かつてのフェイトを思い出しているのか、全裸はやけに感慨深げに何度も肯いていた。
「フェイトさんが……脱ぎ魔?」
一方、エリオは尊敬している人の過去が暴かれたことにより、かなりショックを受けているようだ。
それもそのはず、リアルタイムで変態している全裸に評価されるほどの脱ぎ魔であるというなら、それがどれだけのレベルだったのかはエリオにも軽く想像がつく。
しかも、それが自分と同じような子供時代から行われていたというのだから、それはもう筋金入りの脱ぎ魔だった可能性が高い。鳴海賢一は最初から全裸でいることにアイデンティティを求める変態だが、幼少時代のフェイト・T・ハラオウンは脱衣にアイデンティティを求めていたのだろうか。
『鳴海二等陸士、至急部隊長室にまで来てください』
そんなタイミングで、全裸を呼びつける八神のアナウンスが聞こえてきた。
全裸は自分が呼び出しされたことに心当たりが無いようで、突然の呼び出しに首を捻っている。
「朝っぱらから何だ? ……ああ、あれか。もしかして、向こうからおっぱいを揉ませてくれるって算段だな!? よし、そうとくれば俺もやぶさかではないぜ!」
自分に都合の良い妄想に心躍らせながら、全裸は勢いよく立ち上がった。
その瞳は爛々と輝いており、表情は希望に満ち満ちた満面の笑顔だ。全裸という要素と組み合わせれば、これだけで通報されてしまいそうな変態まっしぐらなテンションだが、本人はそんな些細なことは気にしない豪胆な性格である。
「じゃあな、エリオ! 午後の訓練も頑張れよ!」
そう言って、全裸は勢いよく走りだして食堂を飛び出していった。
そこには、未だショックから立ち直っていない、純粋ゆえの脆さを抱える一人の少年だけが残されることになった。
どうやら、少年がある意味で大人になるには、もう少し時間がかかりそうである。
八神はやては聖王教会に赴くための支度を整えていた。
久しぶりのカリム・グラシアとの面会に心が躍りそうになるが、主なテーマとなるのが“レリック”関連についてであるため、必要以上に浮かれてしまうのも不味いとも思っている。そのため、表面的には機動六課の部隊長として毅然としているが、内面的には緊張感とほんの少しの浮ついた気持ちが入り混じった、何とも複雑な状態だった。
そうこうしていると、部隊長室のドアをノックする無機質な音が聞こえた。
その人物の予想を立てながら、八神はデスクに備え付けられたコンソールで自動ドアのロックを解除する。
「おいーっす!」
「急に呼び出して悪かったね……って、何で両手をワキワキとさせとるんや?」
部隊長室に入ってきたのは、先ほど八神が呼び出した全裸こと鳴海賢一だった。
全裸に似合わず呼び出しからの素早い行動について、八神は思わず感心してしまいそうになったのだが、その気持ちも全裸の奇怪な動きで霧のように消え去ってしまった。
全裸は満面の笑顔を浮かべながら両手をワキワキとさせており、その奇怪な動きに加えてここまで走ってきたのか息が荒いため、普段よりも三割増しで気持ち悪くなっている。
その見た目犯罪者チックな全裸は呼吸を整えようともせずに、怪訝な表情で見ている八神に言った。
「ハアハア……え? だって、おっぱい……ハアハア……揉ませてくれるんじゃ……ハアハア……ねえの?」
「んなわけあるかい! どういう風にそんな都合のいい展開を予測しとるんや!?」
「そりゃあ、八神がわざわざ呼び出すくらいだから、ああ、これはそういう意味なんだろうなーって感じ?」
「それじゃあ私がただの淫乱女ってことになるやんけ! ……って、ちょい待ち。頼むから、その気持ち悪い動きでこっちに近寄って来ないで、リアルに貞操の危険を感じとるから!」
女性としての危険を全裸に対して感じ取ったのか、八神は背後の窓際までザザッと後退していく。
全裸は友人の表情が恐怖に染まっていることを気にも留めず、両手の動きをより加速させる一方で、焦らすかのようにゆっくりと前進している。
「ぐへへ、嫌よ嫌よも好きの内って言うじゃ……って、ちょっ、痛い!?」
「はやてちゃんを虐めるのは、このリインが許さないですよ!」
いつのまに部隊長室に現れたのか、小さな妖精のようなユニゾンデバイスであるリインフォースⅡが、自身のデバイスである蒼天の書を振りかぶり、その角を全裸の右脛目掛けて力いっぱい叩きつけていた。
いかにミニサイズのリインフォースⅡの攻撃と言っても、殴打されているのは“弁慶の泣き所”と言われる人体急所の一つ。全裸はあまりの激痛に涙を浮かべ、リインフォースⅡの奇襲から逃げ回っているが、リインフォースⅡは逃がさんとばかりに左右の脛を殴打していく。
「ごめ、ちょっ、リイン悪かった反省しますから脛は殴っちゃらめぇ!」
「この、この! リインやお姉さまには普段から素っ気ないくせに、はやてちゃんや他のみなさんにはすぐデレデレするんですから!」
「リ、リイン、もうそのぐらいで勘弁してやって……見てるこっちの方が痛くなってきたわ」
どこかズレているリインフォースⅡの発言に八神も思うところはあるが、それよりも全裸が両脛に負ったダメージの方が深刻だった。何度も殴打されたために赤く腫れ上がっており、両脛に走る激痛で全裸は立っていることもままならないのか、足をM字に広げて床に座り込んでいる。俗にいう女の子座りというやつだ。それに加えて涙目でもあるため、非情に気持ち悪い絵面となってしまっている。
リインフォースⅡは主である八神の懇願により殴打を止めたが、どこか全裸への理不尽さも含まれている怒りは治まっていないようで、空中で鼻息荒く肩を上下に動かしていた。
八神は今にも再点火しそうな小さな爆弾には下手に触れずに、蹲っている全裸に向けて出来るだけ優しい言葉を投げかける。
「え、えーっと、大丈夫やった?」
「……いてえ、この足じゃ六課をブリッジで一周する定例行事が出来ねえ」
「心配した私がアホやったわ」
そんな状態でも馬鹿なことを言ってのける全裸に対して、八神は右脛を蹴りつけることで返事の代わりとした。
全裸は「ひぎぃっ!?」と一言だけ呻くと、女の子座りのまま器用に上体だけを床に着けていく。八神の蹴りが最後の一押しとなったようで、全裸は上体を支える気力すらも削がれてしまったようだった。ピクピクと震える尻が非常に目障りである。
八神は踵を返すと、デスクに置いてあった自分のカバンを肩にかける。全裸の奇襲ですっかり忘れていたが、これからカリム・グラシアとの大事な面会があるのである。いつまでも下手なコントに参加している時間は無い。
「私はこれからちょっと出かけてくるけど……まあ、その様子なら今日一日は大人しくしてそうやね」
八神は顔を上げない全裸にそう言い捨てた。
そもそも、こうして全裸を部隊長室に呼びつけたのには、八神が機動六課を離れるにあたって、自分という監視役の目から解放された全裸がここぞとばかりに暴走するのを危惧していたためだ。
普段から変態行為に興じている全裸であるが、それでも八神の迅速な対応による抑止力もあり、機動六課が始まって以来、全裸は未だ全開のパフォーマンスを披露したことが無いことを、八神を含む全裸の古くからの知り合いは皆知っている。
そこで、自分という枷が無くなってしまった時、今まで抑圧されてきた全裸が暴走してしまわないか、それが八神の心配の種だったのだが、こうして全裸が両脛を負傷しているならそういった心配もしなくて済みそうだった。
「なのはちゃんにも一応連絡しておいたし……まあ、大丈夫やろ。それじゃ、リイン。少しだけ留守を頼むわ」
「はい! いってらっしゃい、はやてちゃ……じゃなかった。いってらっしゃいませ、マイスターはやて」
ようやく冷静を取り戻したリインフォースⅡが送り出した。
八神は部隊長室を後にして、聖王教会に行くためにヘリポートまで向かう。――部屋を出る直前、全裸の指先がわずかに動いたのにも気付かぬまま。
「簡単に言うと、この子たちは何段階かに分けてリミッターがかけられている状態なの。ストラーダとケリュケイオンはエリオとキャロがデバイスに不慣れってこともあって、今までは最低限の機能だけしか発揮されない状態だったんだけど、今回のリミッター解除でデバイスとしてはようやくスタート地点に立ったって感じかな。スバルとティアナは十分デバイスの扱いにも慣れているし、機能を制限しすぎるのは逆にやり辛いだろうから、流石にそこまでのリミッターからは始めないけどね。でも、今まで使ってきた子たちに比べると、やっぱり全体的な出力が段違いだから、いきなりフルパワーだと振り回されちゃう可能性の方が高い。だから、マッハキャリバーとクロスミラージュにもリミッターをかけているの。まあ、日々の訓練を通じて実力が付いていけば、この子たちのリミッターも順次解除していくから安心してね」
「要約すると、一緒にレベルアップしていってください、ということです!」
早口で捲し立てるメガネ娘――シャリオ・フィニーノの演説を引き受けて、リインフォースⅡが簡潔にまとめた。
フォワード組が訪れているのは機動六課のデバイスルーム。この部屋の主であるシャリオから、各自に合わせたデバイスの説明をされているところである。
早朝の訓練中にスバルのローラーブーツ、ティアナのアンカーガンが不調だったため、丁度いいタイミングだと判断した高町が二人に新デバイスを扱うことを許可したのだ。それに合わせて、エリオのストラーダ、キャロのケリュケイオンも最低限の機能だけの状態から、リミッターがある程度まで解除されることになった。
「みんな、着実に実力を付けてきているから、わたしとシャーリーからのプレゼントだよ。フェイト隊長やリインも開発に協力してくれたから、自分のパートナーだと思って大事に使ってあげてね」
「はい、ありがとうございます!」
高町の言葉にフォワード組は元気溢れる返事をした。
自分のデバイス、しかも自作ではない特注の自分用にチューニングされたオリジナルデバイスである。スバルは新しい相棒に笑顔を浮かべコミュニケーションを取っており、、ティアナも表情に出さないようにしてはいるものの、そわそわとしてどこか落ち着きが無い。エリオとキャロはお互いのデバイスを見比べており、それはどこか自分のパートナーの素晴らしさを客観的に見つけようとしているかのようだ。
早朝訓練が終わった頃には、全員が動けない状態まで疲労困憊だったのに、今ではこうしてそんな疲れもどこへやら、興奮気味のフォワード組である。大人びているように見えて、やはりまだまだ子供らしさを残すフォワード組を見て、高町は微笑ましい気持ちになった。
「……あれ、そういえば賢一君が来ない」
子供らしさと言えば、機動六課でも群を抜いた悪ガキである、例の全裸がこの場にいないことを疑問に思う高町。
イベント事とあらば呼んでもいないのに駆けつけて、台風のように場を荒らしていくあの変態がこの場に来ていないことから考えると、何かアクシデントに見舞われていると考えるのが早い。
「ねえ、リイン。賢一君見なかった?」
「賢一ですか? たぶん、今頃は部隊長室で屍になってると思います」
「し、屍って……まあ、別に問題は無いか」
リインフォースⅡの口振りがやけに物騒なのが気になったが、全裸が行動不能であるならそれに越したことは無いとして、高町はこの疑問の解消と見なした。
ただ、あの全裸が自分の目に届かない場所にいるという状況に、高町は何故か底知れない不安を感じていた。
そして、その不安が別の場所で実現してしまうあたり、高町の対全裸センサーも大概であると言えるのかもしれない。
聖王教会を訪れた八神は、一人のシスターに先導されて廊下を歩いていた。
「それにしても、シスターシャッハとも久しぶりですね」
「ええ、そうですね。騎士はやても随分と忙しそうにいていたようですし、私はカリムから離れられませんでしたから」
八神がシャッハと呼ぶ女性は笑みを浮かべる。
シャッハ・ヌエラ――聖王教会のシスターであり、カリム・グラシアの護衛と秘書を兼任している。
シャッハは聖王教会に所属している身でありながら、管理局規定の魔導師ランク“近代ベルカ式:陸戦AAA”を所持しており、その実力はシグナムも「戦っていて楽しい相手」として認めるほどで、聖王教会の中でも随一の戦闘力を誇っている実力者だ。
とはいえ、普段は温和で礼儀正しく規律を順守する女性であり、自分を先導する後ろ姿からはそれほどの実力者とは思えない、というのが八神の率直な感想だ。
ただ、シグナムからは「真の実力者という者はむやみやたらに力を誇示しないものです」と言われているので、シャッハは自分の力を上手く隠していると考えるのが妥当なのだろう。
流石は聖王教会に所属しているベルカの騎士、といったところだろうか。
この謙虚な姿勢を、あの全裸を誇示する馬鹿にも見習ってほしい物だ、と八神は胸中で誰にも聞こえないように呟く。
「カリムは元気にしとります?」
「最近は預言の再解釈などに追われているようで、あまり睡眠をとっていないみたいでして……私からも口煩く言っているのですが、あの性格ですからロクに聞いてくれません」
「あはは……カリムも私を馬鹿に出来ないぐらい気張りますからねぇ」
溜息を吐くシャッハに、八神は乾いた笑いを返した。
「あんな預言があったのだから仕方ない気もしますけれど……カリムが体調を崩したら、それこそ本末転倒ですから。機動六課の後見人として毅然とした態度で、外部に弱みなど見せないでほしいものです」
「カリムには感謝しています……友人として、姉みたいな人として、背中を押してもらいましたから。だからこそ、もう少し自分の身体を労わってほしいんやけどなぁ」
「ふふ。それを言うなら、カリムも騎士はやてのことを心配していましたよ? それこそ、胃に穴が開くんじゃないかと思うぐらい」
「えー? 嫌やなぁ、カリムに心配される謂われは無いんやけど」
あの“姉のような友人”の口振りを想像して、八神は思わず笑みが零れてしまう。
世話好きというよりも世話焼きで、親切というよりもお節介で、それでもそんな彼女が自分を支えてくれていることに感謝しなかったことなど、彼女と出会ってからただの一度も無い。
八神にとって“姉のような友人”なのが、カリム・グラシアという女性だ。凛々しく、気高く、神々しく、一方で人間味としての確かな暖かさを秘めているカリムに、八神は密かに憧れの念を抱いている。
――まあ、そないなこと面と向かって言ったら、きっと恥ずかしがるんやろなぁ。
それはそれで見てみたい光景だが、今日のところはやめておくことにしよう。
今日のカリムとは、機動六課の部隊長として接すると決めている。
それに、カリムも機動六課の後見人として接してくるだろう。
だから、そういう友人のような会話は全てが終わった後に、ゆっくりと二人きりでしていけたらいい、と八神は思っている。
そうこうしている内に、八神は見慣れた部屋の前に到着した。
シャッハが扉を二度ノックし、部屋の主に用件だけを簡潔に伝える。
「カリム、騎士はやてがお見えになられました」
「入ってちょうだい」
久しぶりに聞いた、カリムの空に透き通るような綺麗な声だ。
カリムの了解を受けると、シャッハが扉を開けて八神を部屋の中へと招き入れる。
「久しぶりね、はやて」
「こちらこそ、久しぶりやね、カリム」
豪華な装飾が成された部屋の一角。来客との会談の場である円状のテーブルに、窓から差し込む陽の光を受けた金髪を輝かせたカリム・グラシアが、気品ある優雅な雰囲気を携えて座っていた。
この光景を“絵”として描ければ、相当な価値ある作品になるだろう。聖王教会の美人肖像画として売り出せば、それだけで結構な儲けになるのではないだろうか、と八神はわざと下世話な考えを巡らせることで、カリムに見とれてしまいそうになる感情を自制する。
「うおっ、すげー美人さんだな」
そんなとき、この場には本来いないであろう人物の声が聞こえてきた。
なんて性質の悪い幻聴だと思う一方で、八神は習慣となってしまった嫌な感覚に突き動かされて振り返る。
「うーん、高町や八神とは育ちが違うというか、容姿でいえばフェイトが近いんだろうけど、あいつは天然アホだからちょっとイメージが合わないよなぁ」
八神が振り返った先には、何もいなかった。
ただ、視線を豪華な絨毯が敷かれている床に下げると、そこには仰向けの体勢で悩ましげな表情を浮かべている、そんな全裸こと鳴海賢一が横たわっていた。
あまりにも突然すぎるハプニングに、八神のみならずカリムとシャッハもフリーズしたように動こうとしない。否、あまりにも全裸の登場が衝撃的すぎて、動きたくても動けないのだろう。
いつの間に全裸はそこに現れたのか――いったい、“いつから”全裸はそこにいたのだろうか。
そんな疑問が、八神の頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
「な、何奴!?」
この場でフリーズしていたメンバーの中で、一番に復帰したシャッハがヴィンデルシャフトを構え、不審者をありのままに体現している全裸を威嚇する。
シャッハの口振りから察するまでもないが、彼女ほどの実力者が今の今までこの全裸に気付けていなかった。――そのありえなさそうでありえてしまった事実に、八神は鳴海賢一の代名詞であるステルス魔法の恐ろしさを再認識する。
それと同時に、全裸への疑問が口から言葉となって溢れ出した。
「け、賢一君!? いいいいったい“いつから”後をつけてたんや!?」
「いつからって、八神が部隊長室を出てからずっとだけど。ああ、正確には“八神が部隊長室を出て、リインも部隊長室を出た後に、八神に追いついてからずっと”だな」
あっけらかんとした調子で答えた全裸。
「……ってことはアレか!? 私がフェイトちゃんの車でヘリポートに向かっている間も、ヘリの中でくつろいでいる間も、シスターシャッハに案内されている間も、こうしてカリムの部屋に入るまで、君はずっと後をつけてたってことかいな!?」
「だから、そう言ってんじゃねえか。いやー、それにしてもずっと仰向けでいたから背中とケツが痛くて痛くて。……俺の両脛を再起不能間近にまで追い詰めたリインには、帰ったらきちんと仕返ししてやらねえとな」
「うわっ、君の仰向け前進を想像したらもの凄く気持ち悪い!?」
“全裸の男が仰向けのまま自分の後をずっと追いかけていた光景”を想像した八神は、その想像がもたらした想像以上の恐怖に身を竦ませざるを得なかった。
「えっと……はやて、そちらの頭がおかしそうな方はどなたかしら?」
「あーっと……この変態全裸男は鳴海賢一、機動六課の隊員や。あと、一応私の子供時代からの友人でもある」
「ああ、こちらがはやての言っていた変態さん……どうも初めまして、カリム・グラシアと申します、以後お見知りおきを」
全裸を目の当たりにしたショックから未だ立ち直れていないのか、カリムは心ここに非ずといった様子で、全裸に向けて心の籠っていない棒読みの挨拶をした。
初めて見るカリムの様子に我に返ったのか、八神はカリムの肩を軽く揺する。
「おーいカリム。ショックな物を見たのは分かるけど、この全裸が怖いんなら素直に怖がってもええんやで?」
「あら、はやて。私はいたって冷静よオホホ」
「どこがや!? そんなエセ貴婦人みたいな口調になったことないやろ!?」
八神はカリムを正気に戻すべく頬を軽くビンタしてみるが、カリムは自分の語尾にエセ貴婦人語をつけて何かをのたまっているだけで、とてもではないが普段の凛とした彼女の様子からは程遠いものとなってしまっている。
なんともカオスな状況となった部屋の中で、一人だけ臨戦態勢のままだったシャッハが肩の力を抜き、怪訝な声音で八神に問いかける。
「騎士はやて、これはいったい、どういった状況なのでしょうか……?」
「あはは……そんなもん、私が聞きたいわー!」
「まあまあ、八神。あんまり人様の部屋で騒がしくするもんじゃねえぞ?」
「お前が言うなぁぁぁぁぁぁぁっ!」
八神は全裸の頭部に渾身のキックを叩き込んだ。
その日、カリム・グラシアの部屋から嬌声とも悲鳴とも取れてしまえる、そんな不気味な声が教会中に響き渡ったという。