クラナガン早朝の通勤ラッシュは凄まじい。
赤毛の少年――エリオ・モンディアルはエスカレーターを降りてくる人々で成された“山々”を見て、驚愕というよりも感嘆に近い感情を覚えた。
全国津々浦々からやってくる面々には、管理局の局員、サラリーマン、学生、観光者、など一般的な顔ぶれだが、ここクラナガンはミッドチルダで最も発達している都市であるがゆえに、やはりその数も桁外れだ。エスカレーターは一段ごとに詰めるのは当然で、改札で少しでも手間取るようではすぐさま後ろの方からブーイングが飛んでくる。定期ではなく切符を買うなんてもっての外で、一度でも列から離れたら改札を潜ることが出来るのは十分以上待つことがザラである。
朝の清涼な空気とは裏腹に、やけに殺気立つ人の群れを眺めながら、エリオは右手首に付けている時計で現在時刻を確認する。
もう間もなくで、待ち合わせに指定された時間が迫っている。
もしかして、時間を間違えてしまったのか――エリオが不安に駆られた瞬間、背後から凛とした声に呼び掛けられる。
「遅れてすまない。遺失物管理部、機動六課のシグナム二等空尉だ」
「お疲れ様です! 私服で失礼します、エリオ・モンディアル三等陸士です!」
エリオが振り向いた先にいたのは、地上部隊所属を示す制服を着た長身の女性だった。長い髪をポニーテールに結わえ、抜身の刀のような鋭い視線をエリオに向けている。外見だけ見れば大企業のキャリアウーマン系だが、その正体は管理局きっての“騎士”であり、エリオが密かに目標としている武人である。
シグナムと名乗った女性は辺りを見回すと、目当ての人物が見当たらなかったのか、エリオに所在を尋ねた。
「……ところで、もう一人は?」
「はい、まだ来ていないみたいで……地方から出てくるらしいので、もしかしたら道に迷っているのかもしれません。探しに行ってもいいでしょうか?」
「ふむ……。そうだな、頼めるか?」
「はい!」
シグナムの了解を得て駆け出したエリオ。
その後ろ姿を見ているシグナムは、
「……どうやら、騎士としての素質はあるようだな」
エリオに何かを感じ取ったのか、妙に感心したように呟いた。
「ルシエさーん! 管理局、機動六課新隊員のルシエさーん! いらっしゃいませんかー?」
探し人の名前を呼びながら、駅内を奔走するエリオ。
シグナムと別れてから五分ぐらい経った頃だろうか、階段を駆け下りてくる小柄な人物がエリオの視界に留まる。
その人物もこちらに気付いているのか、エリオに向けて右手を振りながら、やけに急いだ様子で階段を駆け下りていた。背格好から予想すると、自分と近い年齢の子かもしれない—―そう思いながら、エリオは安堵した表情を浮かべる。
「ルシエですー! キャロ・ル・ルシエですー! 遅れてすみませーんってきゃあっ!?」
「っ、危ない!」
その時、キャロ・ル・ルシエと名乗った人物が、急いでいたあまり階段から足を踏み外した。前のめりにバランスを崩してしまったことで、このままでは顔から踊り場の地面に衝突してしまう。
その光景を予想したエリオは、瞬時に高速移動魔法“ソニック・ブーム”を発動。文字通りの光速となり、ピンボールの玉のように地面、壁面を跳ねるように移動すると、すぐにキャロの落下予測地点に到達する。
しかし、急な停止にバランスを崩したエリオは、キャロを受け止めながらもなんとか身体を捻り、自分を下にするようにして転倒した。子供ながらに紳士な行動であると言えよう。
「あ、す、すみません! 大丈夫ですか!?」
「いてて……はい、何とか大丈夫――」
だが、自分の両手がキャロの胸を支えていることに気付いたエリオは、あまりの衝撃と柔らかさに思考が一時フリーズする。
一方のキャロとは言えば、自分の両胸に置かれているエリオの両手なんて気にする素振りも見せず、自分を身を挺して助けてくれたエリオを心配するように顔を近づけた。
「やっぱり、どこか痛めましたか!? ど、どうしよう……そうだ、わたし治療魔法出来るんです! 怪我したところ見せて下さい!」
自分の両胸が鷲掴み(掴むほど無いが)されているにも関わらず、エリオの心配をしているキャロ。その慌てた表情と声音に正気を取り戻したのか、エリオはすぐにキャロの胸から手を放すと、スッと立ち上がってみせる。
「えっと、大丈夫です。少しぶつけましたけど、痛めたって程じゃないです。そ、それより、不可抗力とはいえ胸を触ったりしてすみませんでした!」
自分の失態に頭を下げるエリオ。
「え? わたしの胸がどうかしたんですか?」
しかし、キャロの反応はエリオにとって予想外だった。自分の恥部ともいえる場所を異性に触られたにも関わらず、当の本人は恥ずかしがる素振りすら見せない。
少女の無垢な様子に面食らったのか、エリオは顔を赤くしてしどろもどろになりながら、なんとか不自然にならないようにこの場を切り抜けようとする。
「い、いや、その……あ、ま、迷いませんでしたか!?」
「こんなに人が多いところ初めてで、波に流されるように逆の改札に行っちゃっていました。遅れてすみません!」
「い、いいんですよ。地方から出てくるって聞いていましたし、僕も初めて来たときは迷子になっちゃいましたから」
階段の踊り場で謝り合う子供二人。
その微笑ましい光景を眺めていた周囲の人々は、忙しない駅構内であるにも関わらず、まるで“朝から良いものを見た”とでも言いたげに笑っている。
「え、えっと、手、手をどうぞ!」
「あ、す、すみません!」
キャロを立ち上がらせる。
そのエリオの紳士な行動に、周囲からは歓声があがり拍手が湧き起った。何ともノリの良い人だかりである。先ほどまでの殺気立っていた通勤ラッシュの時間は何だったのだろうか、と思いながらエリオはキャロの手を引きながらシグナムの元に戻った。
「遅かったな……どうした? モンディアル三等陸士」
「……いえ、少し騒ぎを起こしてしまって、注目を浴びたことが恥ずかしくて」
「すみません、私が階段を踏み外したせいで……あ、キャロ・ル・ルシエ三等陸士です! 遅れて申し訳ありません!」
「ああ、シグナム二等空尉だ。ルシエ三等陸士、長旅ご苦労だったな。モンディアル三等陸士もご苦労だった」
「はい」
何はともあれ、ここに機動六課の分隊副隊長と新人が揃った。
少し予定よりも時間が遅くなったが、別に大したことではない。機動六課の設立式まではまだ時間に余裕がある、世間話しながら歩く時間ぐらいはあるだろう――良くも悪くも武人であるシグナムにとって、これは珍しい気の遣い方だった。
「では、行くか。バスを使ってもいいが、土地勘を養うためにも歩いていくか?」
「あ、はい。初めて来たので出来ればお願いします」
シグナムの問いかけにキャロが肯いた――その時、キャロが肩にかけているバッグが“モゾモゾ”と動き出した。その動きに気付いたのか、キャロが慌ててファスナーを開けると、中から一匹の小さな竜がひょっこりと顔を出す。
「フリード、忘れててごめんね」
「キュイ?」
小首を傾げるチビ竜――フリードは分かっていないのか寝ぼけているのか、小さな口で大きな欠伸をした。
「うわ、竜なんて初めて見た……」
「えっと、この子の名前はフリードって言います。私の“家族”です!」
「キュイ!」
「わぁ!?」
珍しい物を見るようなエリオの視線に、フリードは威嚇するように小さく一鳴きした。
小さいながらも竜としての迫力は備わっているようで、エリオは若干身体を仰け反らせた。
「あ、こら、フリード! 驚かせちゃ駄目でしょ?」
「キュイ」
「もう、面白がってるでしょ? そんな子にはご飯あげないんだからね?」
「キュイ、キュイ!」
フリードを“家族”と称したように、キャロにはフリードの言っていることが分かるようだ。フリードもキャロの言葉を理解しているのか、一人と一匹は本当の“家族”のように笑い合っていた。
その光景を見て、エリオは何かを思い出しているかのように押し黙っている。
シグナムもその何かを察したのか、
「よし、全員の紹介も済んだことだし、そろそろ行くぞ」
すっと踵を返し、駅の出口へと歩き出した。
エリオとキャロもその後を追うように駆け出す。歩幅の差はあるが、シグナムが気を利かせてくれているようで、二人の歩く速さでも置いて行かれるようなことは無い。
シグナムの少し後ろを歩くエリオとキャロ。三人は何気ない世間話や機動六課のことについて話しながら、駅から離れて少し歩いた頃、キャロが何かを思い出したかのようにシグナムに問いかける。
「そうだ。シグナム二等空尉」
「どうかしたか?」
「えっと、リニアレールで移動している時に窓から見えたんですけど……」
キャロは自信無さげに言い淀むが、意を決したように言葉を続けた。
「見間違いかもしれないんですけど、“街中を走る全裸の男の人が魔導師の人に追いかけられている”光景を見たんですけど、何か事件でもあったんでしょうか?」
キャロの突拍子もない発言に、エリオはクエスチョンマークを浮かべ、シグナムは思い当たることがあるのか渋い表情を浮かべた。
古代遺失物管理部機動六課。
地上部隊の若きホープと見なされている八神はやてが課長及び総部隊長を務めることで、良くも悪くも話題となっている試験的に設立・運用された新部隊である。
この機動六課の特徴として、各方面から優秀な人材、期待の人材を掻き集めている点が挙げられるだろう。
例えば、管理局の“エースオブエース”と評されている高町なのはを、本局の航空戦技教導隊より教導官兼分隊隊長として招き入れたのは有名な話だ。他にも、本局から出向した執務官のフェイト・T・ハラオウンや、八神が“夜天の主”と呼ばれる由縁でもあるヴォルケンリッターの面々が所属している。
その他、各隊員たちも優秀な人材から期待の人材まで幅広く招き入れ、隊長陣に依存しない部隊の底上げを図っている。その反面、通信士や整備士には新人が多いが、八神が“鍛えれば伸びる”としてスカウトしてきた人材が数多い。
隊長格3名が全員オーバーSランク、副隊長もそれぞれS-とAAA+と、一般的な部隊と比較して大変に充実した戦力を保有していることから、その充実振りを評して巷では“無敵を通り越して異常”と言われるまでにある。それゆえ、優秀な戦力に苦心している地上部隊の一部からは辛辣な言葉を投げかけられる微妙な位置にある、それが機動六課である。
そして、今日は機動六課の設立式だ。
八神はやては壇上に立ち、自分の部隊に集まってくれた隊員たちを一望すると、自分の夢が叶ったことに感慨深い思いを抱きつつも、決して表情を緩めることなくマイクを握った。
「まずは、今日はみんな、集まってくれてありがとう」
まずは一言、全員に向かって頭を下げる。自分のわがままとも言える夢に付き合ってくれる仲間への、単純ゆえに分かりやすい感謝の気持ちを真摯に述べる。
それを見る隊員たちは神妙な様子だ。あの“夜天の主”が自分たちの直属の上司になる――そのことに、期待と緊張感、そして不安を抱えているのかもしれない。
「さて、我々機動六課が設立されたのには、一つの理由があります。遺失物管理部機動六課、この部隊の目的は“レリック”と呼ばれるロストロギアを確保することです」
八神の横のスクリーンに投影された赤い宝石。綺麗な輝きとは裏腹に、どことなく禍々しい印象があるロストロギアだった。
「このロストロギアは過去に四度発見され、そのうち三度は周辺を巻き込む大規模な災害を引き起こしています」
続いて、スクリーンに投影されたのは大規模な火災に包まれている空港の映像だった。その映像を見たスバル・ナカジマは驚いた表情を浮かべた。
あの時、高町なのはに助けられた――自分が魔導師の道を志したキッカケとなるあの災害が、まさかレリック所縁のものであるとは思っていなかったのだろう。隣に立つティアナ・ランスターはそんな相方を訝しんだ視線で見ている。
「みんなの記憶に新しい一例として、この映像をあげたけれど――見て分かる通り、本当に酷い光景やね。この災害時、レリックはおそらく密輸中に爆発、そこから先はもうあっという間に辺り一面が火の海に覆われた。私もあの現場で消火作業に参加していたから、今でもよく覚えとる」
八神は悔しそうに表情を歪める。
「私は、あんな事件はもう起こしたくない――そう思ったから、この機動六課を立ち上げた。機動性に富んだ部隊を作って、レリックによる事件・災害を未然に防ぐ。それが、この部隊を立ち上げた目的であり、ここに集まったみんなとならそれが叶えられる、私はそう思っています」
八神は一度言葉を区切る。
先ほどまでの悔しそうな表情とは打って変わって、晴々とした笑顔を浮かべていた。
「とまあ、お堅い挨拶はこんぐらいにしといて、隊長陣の挨拶でもしようかと思うんやけど……ちょっとした事情で、高町隊長が遅れててな。……とりあえず、フェイト隊長が挨拶がてら何かおもろい話するみたいやし、暇つぶしに聞いときましょう」
「え!? ちょっとはや……八神隊長!?」
「あはは、冗談や冗談。それじゃ、フェイト隊長から順番に、最後は遅れてくる高町隊長に締めてもらいましょうか」
「まったく……部隊長になっても変わらないんだから」
フェイトはぶつぶつ文句を言いながらも微笑んでいる。
その艶のある微笑に男性局員の多くは心奪われ、どことなくそわそわとしていて落ち着きが無い。
「ほら、男性諸君は落ち着かんかい……それじゃ、フェイト隊長どうぞ」
八神は壇上を降り、フェイトにマイクを譲る。
フェイトは壇上に立つと一礼したが、緊張しているのか頭を下げ過ぎてしまい、勢いよく机にぶつけてしまうといった典型的なドジを披露した。男性局員は拍手喝采、女性局員は可愛い物を愛でるような視線を向けている。
「いたた……コホン。失礼しました、フェイト・T・ハラオウンです。機動六課では執務官として法務や広域捜査を担当し、ライトニング分隊隊長としても出向しています」
フェイトは若干涙目になりながらも、気を取り直し順調に挨拶をしているようだ。
親友の開幕ドジに腹を抱えて笑いそうになるのを我慢した八神は、傍らに姿勢よく立っているシグナムに念話を送る。
≪シグナム、エリオとキャロはどんな感じやった?≫
≪そうですね……エリオには騎士としての素質を感じました。キャロに関しては私には判断出来かねますが、素直ないい子だと思います≫
≪へえ、シグナムがそんなに褒めるなんて珍しいやん?≫
八神は素直に驚いた。
シグナムは生来の騎士としての性格が強いため、お世辞を述べるということがあまり得意ではない。ということはすなわち、シグナムが本気でエリオとキャロの二人に好感情を抱いているという事だ。
シグナムの騎士として培ってきた観察眼を信頼している八神は、彼女お墨付きのエリオとキャロの可能性に心躍らせている。
≪とはいえ、まだまだ未熟な面が目立ってはいますが、そこはなのはの領分でしょう。私には教導という役割は向いていませんから≫
≪まあ、シグナムは武人さんやからなぁ……ついつい本気になっちゃって教導どころやないかもしれんな≫
≪恥ずかしながら、その通りです。……ところで主≫
≪うん?≫
≪なのはが遅れているということですが……やはり、あいつの案件でしょうか≫
シグナムが暗に示した人物。
その人物とは嫌というほどに関係を持っている八神は、困ったようにこめかみを掻いた。
≪まあ、賢一君が早朝全裸散歩しているところを通報されたんや。なのはちゃんからは「捕まえたから今から向かうね」とは連絡が来とるよ≫
≪そうですか……≫
シグナムは小さく溜息を吐いた。普段は溜息なんて吐くような性格ではないのだが、ことがあの全裸に及ぶとシグナムも例外ではない。シグナムどころか、ヴォルケンリッター全員が、あの全裸とは浅からぬ因縁を持っているといえよう。
ちなみに、末っ子であるリインフォースⅡがよりにもよってあの全裸に懐いているという事実に、リインフォースⅡを除く八神家はよく家族会議で頭を抱えている。あの全裸ほど、我らが末っ子の情操教育に不適切な人間はいないだろう――というのが八神家の総意だった。
そのとき、誰かが廊下を歩く足音と何かを引きずっている音が聞こえた。
その人物を八神は予想すると、自動ドアが横にスライドし、
「すみません、遅れました」
予想通り、高町なのはとバインドで拘束されている鳴海賢一の姿がそこにはあった。
もちろん、彼が全裸であることは言うまでもない。
機動六課の設立式が終わり、各隊員が自分の持ち場に向かった頃、部隊長室には各隊長陣と全裸がいた。
スターズ分隊隊長――高町なのは。
スターズ分隊副隊長――ヴィータ。
ライトニング分隊隊長――フェイト・T・ハラオウン。
ライトニング分隊副隊長――シグナム。
雑用担当分隊隊長――鳴海賢一。
「ちょっと待って、俺の役職が適当すぎやしないか!?」
「適当な全裸が口答えとはええ度胸やないの」
「俺の全裸は適当じゃねえ! 本気の全裸だよ!」
全裸は激怒した。
そのほかのメンバーは「ツッコムところそこなんだ……」と一斉に胸中で思った。
「あー、はいはい。本気の全裸(笑)は放っといて」
「(笑)をつけるな(笑)を! そういうのはエースオブエース(笑)の高町の担当だろ!」
「わたしに飛び火しないでくれるかな!? あと、もう一回馬鹿にしたら撲殺するからね!?」
幼馴染の些細な口喧嘩というよりも、ヨゴレ役の押し付け合いに発展した二人。
そんな二人を涼しい顔でスルーしたフェイトは、一歩前に出ると八神に向かって規律正しく敬礼する。
「フェイト・T・ハラオウン、機動六課に出向しました」
「フェイトちゃんのマイペース振りは流石やね。――ほらほら、そこの二人もフェイトちゃんを見習って挨拶してほしいんやけどな? 私これでも一応は上司やし?」
「もう、賢一君のせいだからね……。高町なのは、機動六課に出向しました」
「もとはと言えば八神が俺の全裸を馬鹿にしたからだな……。鳴海賢一、えーっと、機動六課? に出向しました」
「相変わらずオメーは適当だな……。ヴィータ、機動六課に出向しました」
「こいつが真面目な性格を披露したことなど、ただの一度も無いだろう。シグナム、機動六課に出向しました」
この場にいる全員の挨拶が終わる。
機動六課を代表する面々と、ある意味で噂になっている全裸。何とも言えないカオスな空間を構成しているが、これでもここにいるメンバーは全員が顔見知り以上の関係を持っている。
久しぶりに再会した者もいれば、普段の仕事から行動を共にしている者もおり、家族として生活してきた者もいる。それでも、各メンバーの胸中に淡い高揚感が芽生えているのには、やはりこれだけのメンバーが一堂に会することが滅多にないからだろう。少し早い同窓会のようなものかもしれない。
だが、そんな感傷に浸っている素振りを見せない全裸は、ストレッチをしながら八神に問いかける。
「なあなあ、八神。この建物の探検に行ってもいいか?」
「うん? まあ、賢一君にはどうでもいい話が続きそうやし、変なことしないって約束するんなら行ってもええよ」
「大丈夫。ちょっと、シャマル先生のおっぱいを鷲掴みにしてくるだけだから」
爽やかに変態発言をかました全裸。
そんな全裸に“やんちゃな弟をたしなめる姉”のような態度でフェイトが口を挟む。
「その格好でそんなことしたら犯罪だよ? 私の力で懲役十年は約束します」
「なんだよ、じゃあフェイトがおっぱいを鷲掴みさせてくれるのかよ!? それともシグナムのおっぱいか!? つーかお前らおっぱいでかすぎだろ!」
「おっぱい、おっぱいとうるせーぞこの全裸馬鹿!」
「うるせーのはお前だ、このぺったん娘――ぐはっ!?」
ヴィータはグラーフアイゼンを取り出すと、一瞬のうちに全裸をフルスイング一閃で吹き飛ばした。全裸との衝突を嫌うかのように自動ドアがオープンし、そのまま部屋の外へと叩き出されていく。自動ドアが閉まる直前の光景は、廊下の壁に頭から突っ込んだ全裸のケツだった。
性質の悪い嵐が一瞬のうちに過ぎ去った部隊長室。
だが、自分の容姿を馬鹿にされたヴィータは怒り冷めやらぬようで、自動ドアが閉まった後でも左手の中指を立てて怒りを露わにしている。そんなヴィータを落ち着けるように高町が頭を撫でながら、場を仕切り直すように言った。
「それで、八神隊長。お話というのは?」
「ああ、うん。まずは、改めてみんなに感謝をしたくてな。なのはちゃん、フェイトちゃん、シグナム、ヴィータ、ホンマありがとうな」
式の時と同じように、八神は深く頭を下げる。
親友にして上司でもある八神に対して、高町とフェイトは表情を柔らかくして応じる。
「はやて、そういう水臭いのは無しだよ。それに、私たちだって仕事で機動六課に来てるんだから」
「そうそう。過剰なお礼は少し息苦しいかも?」
「……ホンマ、二人と友達で良かったわぁ」
三人娘の邂逅を見て、ヴィータとシグナムは静かに笑っていた。
遺失物管理部機動六課、その長い一年間がここに始まりを告げた。
全裸は迷っていた。
雑用担当という有り体に言えば“役立たずのクズ”という烙印を押された全裸は、周囲からしてみれば何もしないことが最高の励みになる。
そのことを理解している全裸は、だからこそこうして本能の赴くままに機動六課を散策していた。
「おっかしーなー。シャマル先生のおっぱいが何処にも見当たらねえぞ」
「何を不穏な発言をしている」
変態な格好で変態な発言をした全裸を呼び止めたのは、低く渋い声音の持ち主だった。
その聞き覚えのある声に振り向いた全裸は、とある人物を予想しながら振り返る。
「おっ、全裸メイトことザッフィーじゃんよ。今日は番犬モードか? 悪い奴でもいるのか?」
「貴様のような輩を駆逐するのが、主はやての守護獣たる私の役目だがな」
「なーなー、ガキの頃みたいに背中に乗ってもいいか?」
「相変わらず人の話を聞かない輩だな……それに、あれは貴様が強化ベルトで私を固定したからであって、好きで背中に乗せたというわけではない」
大きな青い毛並みの犬――ヴォルケンリッターの守護獣であるザフィーラが嫌々に答える。今は力を抑えるという理由で犬の形態をとっているが、その正体は大柄で筋肉質な男性だ。
しかし、犬=服を着ていない=裸という独自の方程式を用いる全裸にとって、数少ない全裸メイトに認定されてしまっている不幸体質の持ち主でもある。
「そんなことより、アルフの姐さんとはどうなん? よろしくやってんの?」
「話を二転三転とさせるな……アルフとは、久しく会話をしていないが?」
「かーっ! この全裸は本当に馬鹿な朴念仁だなぁ! そんなんじゃアルフ姐さんがどっかの誰かにつまみ食いされちゃうじゃねえか!」
ザフィーラを怒鳴りつける全裸。
「いや、お前に全裸などと言われたくないのだが……それに、私とアルフはそんな関係ではないぞ?」
「だったらそんな関係になれよぉ! アルフ姐さんのおっぱいの感触を俺に実況してくれよぉ! 鷲掴みしたときのおっぱいの形を型にとってプレゼントしてくれよぉ! あとシャマルさんのおっぱいは何処だよぉ!?」
「ちょっと、何を廊下で大きな声で口走ってるんですか!?」
暴走する全裸を青磁色のバインドが締め上げた。避けることは得意でも、一度捕縛されたら抜け出す術を持たない全裸は無様に転がり、床のひんやりとした感触に思わぬ快感を覚えてしまう。
もぞもぞと気持ちの悪い動きをして体勢を整えた全裸が目の当たりにしたのは、探し人であるヴォルケンリッターの一人――“湖の騎士”シャマルだった。偶然にも形の良い胸を真下から見上げる体勢となった全裸は、声を大きくして興奮を露わにする。
「やった! シャマルさんのアンダーおっぱいだ!」
「な、何を言ってるんですかこの変態!」
バインドを操って全裸を床に叩きつけたシャマル。その顔は明らかに赤らんでおり、全裸の身も蓋もない発言に恥ずかしがっているようだ。仕事着でもある白衣姿と相まって、非常にけしからん想像を全裸に掻き立てさせる。
「これは……まるで、【ドキッ☆養護教諭のイケない放課後】みたいなシチュエーションじゃねえか! くっそぉぉぉぉぉ、どうしてこんな時に身体が自由に動かせないんだよぉ!」
「私が君を縛ってるからです!」
「ちょっと待って、その音声すごく欲しい! おいラファールICレコーダー早くして!」
≪馬鹿は死なないと治らないと言いますが……どうでしょうシャマルさん、そのままハンマー投げの要領で投げ飛ばしてしまうというのは?≫
「そうね。ザフィーラ、お願いしていいかしら?」
「承知した」
人型に戻ったザフィーラは、シャマルからバインドの手綱状となっている部分を受け取ると、勢いよく回転して大きな遠心力を生んでから手綱を手放すと、全裸は慣性のままに窓ガラスをぶち破って遥か彼方に消えていった。
機動六課を代表する戦力となるのが、隊長・副隊長以下に新人を据えたスターズ分隊とライトニング分隊である。
スターズ分隊にはスバル・ナカジマとティアナ・ランスター、ライトニング分隊にはエリオ・モンディアルとキャロ・ル・ルシエが配属している。基本的には、この二つの部隊が連携して任務にあたるという事で、新人フォワードには各々の適性を考えたうえで一つのチームを構成してもらうことになっている。
最前衛であるフロントアタッカーには、近接格闘に優れ突破力に定評のあるスバル・ナカジマ。
前衛であるガードウィングには、スピードに優れ一撃離脱を得意とするエリオ・モンディアル。
後衛であるフルバックには、サポート魔法に優れているキャロ・ル・ルシエ。
中英であるセンターガードには、中距離を得意とし戦術眼を備えているティアナ・ランスター。
以上のようなポジションに割り振られた新人フォワード組は、現在、敵殲滅を想定した模擬戦を行っていた。スバルとティアナ以外は出会ったばかりの面々という事もあり、コミュニケーション不足ゆえにコンビネーションにも難があるが、絶え間なく指揮を飛ばしているティアナを中心にして、一応はチームらしい動きにはなっていると言える。
高町はそんな新人フォワードのデータを取り、今後の教導に生かすつもりだった。八神のスカウトセンスで引き抜かれてきただけあって、四人全員が皆将来を期待させてくれる動きを見せているが、まだコンビネーション以前に個人の技能が雑な部分が多い。
「でも、いい感じだなぁ……。しばらくは、ティアナを中心にしたコンビネーションからかな」
新人フォワードの中でも、高町が特に気にしているのは、自分と同じセンターガード適性のあるティアナだった。射撃や状況判断能力はBランク試験で充分に堪能させてもらったが、四人一組のフォワードでもあれだけの指揮を取れるとは予想外だったのだ。
もちろん、他の新人たちと同じように荒削りな部分が目立ってはいるが、磨けば光る素質は備えている――と、高町は思っている。
「いいチームになるかも……ううん、きっとなる」
なによりも、新人フォワード組にはしっかりとした向上心が備わっている。
教導官が集う戦技教導隊の中でも、随一の“基礎を徹底してから応用に生かす”を基本理念としている高町の教導スタイルは、しばらくすると生徒たち自身が“自分の成長が頭打ちになっている”ように感じてしまう。地味な基礎訓練よりも、派手な応用訓練の方に気持ちが流れてしまうのだ。
そのマンネリ期間に気持ちが折れることがなければ、この四人はきっと技術的にも精神的にも大成するだろう。――高町がそう確信したタイミングで、廃業都市区画をシミュレーションしたフィールドに“何か”が墜落した。それは瓦礫の山に大きな音をあげて衝突したため、模擬戦に集中していた新人フォワードたちも足を止めて、何事かと驚いて落下点を見つめている。
少しして瓦礫の山から顔を出したのは、設立式において高町とともに強烈なインパクトを与えた全裸こと鳴海賢一だった。あれだけの速度と勢いで瓦礫の山に衝突したのにも関わらず、地肌には傷一つ出来ていないというのだから、本当にしぶとい人間であると言えよう。
しかし、模擬戦が中断してしまったのは不味い。今は各新人たちのデータを取っている最中、今後に生かすためにも今だけはあの全裸に邪魔されるわけにはいかない。
そうして、高町が行き着いたのはある一つの選択だった。――そうだ、利用してしまおう。
「模擬戦の標的をガジェットから変更します。新しい標的は空から飛来してきた全裸こと鳴海賢一、条件設定は標的のノックアウトです」
新人フォワードたちからは困惑の声、全裸からは歓喜の雄叫び、以上二種類の対照的な声が高町の耳に届いた。
高町の教導も終わり、新人フォワード組は食堂で死屍累々となりながらも、なんとか胃に食べ物を流し込んでいる。朝一の訓練があれだけハードだったのだから、昼以降の訓練がどれだけハードになるのか想像もつかない。
そのため、無理にでも栄養を摂取しておかないと無様な姿を晒すことになるだろう――というティアナの提案を受け、コミュニケーションも兼ねて四人で食事をとっている。
その傍らには、四人とは別のテーブルに着席している全裸と高町なのは、そして全裸の肩には“小さな上司”ことリインフォースⅡが座っている。リインフォースⅡはリラックスしているようで、だらしなく表情を緩めていた。
「はぁー、やっぱり賢一の肩は落ち着きますねー」
「本当に、リインって賢一君に懐いてるよね」
「はい! 賢一ははやてちゃんとは違った温かさがあって好きですー!」
そう言って、全裸の首筋に力いっぱい抱き着くリインフォースⅡ。
「おいこら、リイン。飯食ってんだから邪魔すんな」
「嫌ですよー」
「高町、このチビ妖精どうにかしてくんね?」
「えー、リインに恨まれたくないから無理かなぁ」
おそらく、本気で嫌がっているであろう全裸を前にして、高町はおどけたように微笑む。
一方、珍しく溜息を吐いた全裸はリインの服を指先で摘まむと、じたばたと抵抗するリインをよそにテーブルの上に座らせる。
「あうー、賢一ってば何するんですかー!」
「邪魔。飯食い終わるまで我慢しとけ」
「むー……いいですよ、リインは大人ですから聞き分けてあげます」
そう言ったリインフォースⅡは、聞き分けているとは思えないようなふてぶてしい態度でプチトマトにかじりついた。
その幼い子供が少し偉そうにしているような態度を見て、高町は小さく笑みを浮かべる。
「賢一君ってさ、リインには頭が上がらないよね?」
「うっせー。何かリズムが狂うんだよ、コイツがいるとな」
そう言って、全裸は幸せそうにプチトマトを頬張るリインフォースⅡの後頭部を小突く。
「そういえば、小さい子供の前とかだとあんまり奇行に走らないよね? さっきの模擬戦もエリオとキャロがいたからなのか知らないけど、いつもより大人しかったし」
「ああ? ……まあ、高町がそう思うんならそうなんじゃね。俺のことは俺よりもお前の方が理解してそうだし」
「まあねぇ……付き合いだけは十分に長いからね。まさか、こうして賢一君と同じ部隊に所属することになるとは思ってもみなかったけど」
「俺もだよ……って、いてて、指を噛むな噛むな!」
全裸の人差し指にかじりつくリインフォースⅡ。
どうやら、小さいながらも立派な顎を持っているらしく、危機感を抱いた全裸は若干涙目になりながらリインフォースⅡを自分の左肩に乗せる。
「ご苦労です。褒めてつかわすですよ」
「デコピンしていいか?」
「賢一は本当に容赦しないから勘弁してください」
それはまるで、仲の良い兄妹のようなやり取りだった。
ただ、振り回されているのは全裸で、振り回しているのがリインフォースⅡというのが面白い。――高町は内心でそう思うと同時に、自分ではこうも上手く全裸を制御できない、とも思っている。
「あ、そういえば賢一。お姉さまが近いうちに「ご飯食べに来てほしい」って言ってましたよ?」
「えー。やだなぁ、アインスの手料理って不味いんだもん」
「確かに不味いですけど心はこもってますよ!」
「リイン、フォローするところ間違ってるから……」
だが、その手料理を食べたこともある高町は同意せざるを得ない。
アインス――リインフォースⅡの前身でもある、初代リインフォースの今の呼び名である。
かつて、高町が戦ったこともあるヴォルケンリッターの“最後の一人”であるが、今ではその力の全てを失い、一人の女性としてクラナガンの八神家に住んでいる。長い銀髪と紅い瞳が特徴的な女性で、機械的な応答が目立つところが逆に「ミステリアスでカッコイイ」と高町は思っている。
リインフォースⅡは尊敬するお姉さまが侮辱されたことに腹を立てているのか、小さな身体から大きな声を捻り出して賢一を説教し始めた。
「大体ですね、賢一には感謝の気持ちというものが無いのですよ! あのお姉さまがどうしようもない料理スキルで必死に作った、もはや料理と呼ぶのもおこがましい物体を食わせてもらえるのだから、そこは喜ぶところでしょうに!」
「いや、お前のアインスへのフォローが全てを説明してるだろ。あの料理は絶対に不味い――叶う事なら、二度と食いたくない。リアクションの取りようもないから。あと、お前のフォローは一言一句間違えずにアインスに伝えるからな」
「――え? リイン、何かおかしなこと言いましたか?」
どうやら、先ほどのフォローとは名ばかりのアンチは無意識だったらしい。無意識であれだけのアンチを成していたのだから、あれはリインフォースⅡの本心なのだろう。素直で純真無垢であるがゆえに嘘が苦手なリインフォースⅡらしい、と高町は微笑を浮かべると同時に、この場に流れる“温かい雰囲気”を心地よく感じていた。
そして高町は思う――この流れを作っている中心にいるのは、間違いなく目の前の全裸で、変態で、犯罪者すれすれというか犯罪者まっしぐら、でも自分の幼馴染の一人である鳴海賢一なのだろう。
今にして思えば、故郷にいる二人の幼馴染が言っていたことは正しいのかもしれない。
『あの馬鹿は間違いなく“天災”なんだけど、なんでか“人徳”には異常なほどに恵まれてるのよねぇ。だって、このあたしが縁を切ろうとしないんだから、それはもう大した“人徳”だと思わない? もし、他の誰かが全裸で街中を闊歩してるなら、あたしは迷わず縁を切ろうとするわよ』
『賢一君って、本当に馬鹿で変態で奇人で、とても友達とは胸を張って言えないような人なんだけど、自分に正直に生きてるからかな、見ていて不快に思うことは無いんだよね。――これも、やっぱり“人徳”なのかも。ただ、全裸でうちの庭をうろつくのは止めて欲しいけど』
鳴海賢一が持っている“人徳”という個性。
その全裸という強烈な外見に隠されている個性が、ここ機動六課という場所でどのような影響をもたらすのか、高町は一人の幼馴染として見届けてみたい――そう思った。