人生とは〝選択〟することの連続だ――小学校の卒業式の日に担任が口にした言葉を、高町はあれから大分月日が経った今でもしっかりと覚えている。
何気ない行動の一つ一つであっても、その行動をすることを〝選択〟したという〝結果〟は残り、その〝結果〟の積み重ねが〝今〟に至るまでの人生を形作っている。
だからこそ、人は自分の〝選択〟がもたらし得る〝結果〟に対して、しっかりと責任感を持たなければいけない。
例え、その〝選択〟が自分にとって都合の悪い〝結果〟をもたらしてしまったとしても、決して単なる結果論として片づけてはいけない。
そうでなければ、きっとその人生は、紙よりも薄く、空気よりも軽い、そんな悲しい人生となってしまうだろう。
時には、その〝選択〟をしたことに後悔したりすることもあるかもしれない。
時には、その〝結果〟に正面から向き合って、今後の為にしっかりと反省しなければならないかもしれない。
それでも、そういった後悔や反省から逃げてしまえば、それは自分の人生に対して無責任という事になる。
時には、人生に迷ってしまう事もあるかもしれない。
時には、人生の辛さに泣き出したくなる事もあるかもしれない。
それでも、そういった迷いや辛さも全部抱え込まなければ、自分の人生に胸を張る事は出来ないだろう。
だからこそ、高町は〝選択〟することから逃げる事だけはしない。
例え、その〝選択〟をしてしまった事で、どれだけ辛く悲しい〝結果〟が待ち受けているとしても、最初から〝選択〟する事さえしなければ、何の〝結果〟も起こせないからである。
「……今更だけど、本当にこれでよかったのかな」
「なのはママ? ……どうかしたの?」
「う、ううん。何でもないよー、ヴィヴィオ」
高町は内心の不安を悟られないように、可愛らしいウサギの人形を抱きかかえるようにしながら、こちらの左手を弱々しいながらもしっかりと握ってくる少女――ヴィヴィオに向かって優しく笑いかける。
先日のレリックを巡る事件の際に、機動六課によって保護されたのがヴィヴィオという名前の少女だったわけなのだが、その後の聖王教会の検査により、ヴィヴィオはいわゆる〝人造生命体〟であることが判明した。
そういった深刻な事情も相まって、ヴィヴィオの身元は機動六課か聖王教会が預かるといった方向で話が進んでいたのだが、今日の訪問で高町は極度の人見知り状態であったヴィヴィオに懐かれてしまった。
高町がヴィヴィオから少しでも離れようとすれば泣き出してしまい、片時も離れてくれそうにないと悟った高町は、とりあえずヴィヴィオを機動六課に連れて帰る〝選択〟をしたのだが……、
――うーん……ヴィヴィオ、変な影響を受けなければいいんだけど。
果たして、機動六課という名ばかりの魔窟に、このようなあどけない少女を連れてきてしまって本当に良かったのか――高町はその魔窟を目の前にして、あまりにも遅すぎる不安に駆られてしまっていた。
一番の変態であるアレは元より、他の面子もそれなりに油断ならない人格の持ち主であるため、下手したらヴィヴィオの今後の人生に傷跡を残す可能性もある。
そうなってしまっては手遅れで、となればやはり、ヴィヴィオの今後の健やかなる成長を考えて聖王教会に預けるのが得策ではないだろうか。
この繋いだ手を強引に振りほどくようで、自分の良心が久方振りに痛んだのを自覚した高町だったが、そんな痛みもヴィヴィオが抱えることになるかもしれない痛みと比べれば安いものだった。
今からでも遅くは無い、シスター・シャッハに頭を下げて、聖王教会の方で正式にヴィヴィオを引き取ってもらおう――そう考えて、高町が踵を返そうしたまさにその時、
「ねえ、なのはママ。あそこに外で裸になってる人がいるよ?」
「……しーっ。ヴィヴィオー、ああいう変態さんは目に猛毒だから見ちゃ駄目なんだよー?」
機動六課の周囲を全裸姿で走っている鳴海賢一、その姿をあろうことかヴィヴィオが視界に捉えてしまった。
彼らしい最悪のタイミングでの登場に関しては、高町も長年の付き合いから呆れはすれども驚きはしない。
それでも、せめて女装ぐらいはしておいてほしいと思う高町だったが、それはそれで鳴海が変態という事実までは覆らなかった。
「おっ? 高町じゃねーか。どっか行ってたのか?」
全裸姿の変態に目を付けられてしまった――そう思いながら、高町は息を切らせながら近づいてくる鳴海に軽く手を振って応える。
ただ、全裸姿の男が息を切らせながら近づいてくるという光景は、鳴海の奇行に慣れきっている流石の高町でも、なかなかに女性の貞操的な意味で恐怖心が煽られる光景だった。
これが親しい間柄の鳴海でなければ、即バインドからの即砲撃で昏倒させるレベルの事案だろう。
それでも、相手が鳴海だったからなのだろうか、高町は普段通りの笑みを浮かべながら答える事が出来た。
「ちょっとね、聖王教会の医療院の方に用事があったの。……いつもの時間には少し遅いみたいだけど、賢一君は日課のランニングだったのかな?」
こう見えて、鳴海賢一という男はなかなかに健康的な生活スタイルを送っている。
毎朝のランニングに加えて、筋トレなども日常的にしているため、細身ながら割と筋肉質な肉体をしている。
ただ、この変態はそれもあれも全裸姿で行っているため、高町的にはどう転んでも最悪な光景なのだが。
「まあ、そんなところだ。ティアナの奴に幻術魔法の特訓とやらに朝っぱらから付き合わされてよ、おかげでこんな時間までズレ込んじまった……おっ、そのガキって昨日の事件のヤツか?」
変態的な姿で健康的な汗を垂らしている鳴海がヴィヴィオの存在に気付くと、その変態は幼女の目線に合わせるように低く屈んでみせた。
「……っ」
しかし、ヴィヴィオは鳴海の視線から逃げるように、高町の後ろにサッと隠れてしまう。高町のスカートの裾を握る指先は、少しばかり震えているように窺えた。
これが意味するのは、人見知りから来る羞恥心の表れか、変態を目の当たりにしたことによる恐怖心の表れか――おそらく、両方だろうと高町は推測する。
機動六課の年少組であるエリオとキャロの二人は、年齢不相応に精神が達観しているために、鳴海の存在を受け入れてしまうのも早かったが、一般的な子供の反応としてはヴィヴィオの方が正しいに決まっている。
「あれ? もしかして、俺ってばコイツに初対面で嫌われちゃった感じ?」
「全裸姿の変態さんを初対面で怪しく思わない子の方が珍しいと思うよ」
目の前で非一般的な在り方を体現している変態に対して、高町は至極真っ当かつ一般的な価値観を口にした。
そして、自分の後ろに隠れてしまったヴィヴィオの頭を優しく撫でながら、これでも付き合いの長い幼馴染のフォローに回る事にした。
「――大丈夫だよー、ヴィヴィオ。この人は頭がおかしい変態さんだけど、贔屓目に見ればギリギリで人間って呼べるかもしれない生き物だから」
「おいおい、そのフォローはちょっと苦しくねえか? それに、俺はただ自分の欲求に素直なだけだぜ?」
「全裸姿で外を歩くっていう欲求が出てくる時点で、わたし的に賢一君は十分アウトだと思うんだけどなぁ」
「あくまで高町的に……だろ? 俺的にはファッションみたいなもんなんだな、コレが」
そう言って、どこか誇らしげな表情を浮かべる変態の姿があった。
本当に今更な感想だが、どうしてこの変態は自分の発言の意味不明さに気付かないのだろうか、と高町は長い付き合いなりに割と真剣にそう思っている。
確かに、夏場に肌を多く見せようと露出を多くするファッションもある。
しかし、鳴海は一目で見て分かるように〝全裸〟だ。
全裸姿と言っても、それはただの〝全裸〟でしかないのだ。衣服どころか下着すら身に付けない格好を、ファッションという単語一つで片づけて良いわけが無い。
故に、高町は鳴海の言葉を否定しなければならない。
例え、周囲からワーカーホリックと陰で囁かれていようとも、稀に転がり込んできた休日には自宅でゴロゴロしていようとも、魔導師ではなく一人の女として、ファッションの在り方を根底から覆されるわけにはいかないのである。
「……賢一君のはファッションじゃなくて、ただの露出狂って言うんだよ」
そう言って、高町は改めて深い溜息を吐いた。
やはり、この場所は――この人間が存在している環境は、ヴィヴィオのような少女には荷が重いだろう。
極度の人見知りで、今も自分の後ろに隠れてしまうような少女が、鳴海を筆頭とする筆舌に尽くしがたい輩が数多く跋扈している環境で、安らかな日々を過ごせる訳が無かったのだ。
とりあえず、今すぐにこの魔窟から聖王教会の医療院まで戻ろう――高町がそう思った時には、まさに全てが手遅れだった。
「俺は鳴海賢一。お前の名前は?」
子供をあやすような優しい声音で、鳴海がヴィヴィオに問いかけていた。
それに対して、ヴィヴィオはやはり怯えているのか気恥ずかしいのか、高町のスカートの裾を離そうとはしなかったが、少し間を置いておずおずと口を開く。
「……ヴィヴィオ」
ヴィヴィオの言葉は酷く弱々しく、近くにいるはずの高町でも思わず聞き逃してしまいそうな声音だったが、鳴海は一度肯いて柔らかい笑みを浮かべながら言う。
「そっか。何となく王様っぽい名前だな」
「……ヴィヴィオ、女の子だよ?」
「うん? ああ、そりゃそうだな。それじゃあ、ヴィヴィオは王女様って感じの名前だ」
「……えへへ」
鳴海の意味不明なお世辞に、ヴィヴィオは可愛らしくはにかむように笑って見せる。
そんな二人のやりとりを眼下に収めながら、高町は一種の危機感のようなモノを覚えていた。
――わ、わたしよりも早く、ヴィヴィオと打ち解けちゃってるー!?
今でこそ、高町はヴィヴィオから〝なのはママ〟と呼ばれてはいるが、いくら高町とはいえ、極度の人見知りであるヴィヴィオとすぐに打ち解けたという訳ではない。
しかし、鳴海は出会ってからものの数秒で、ヴィヴィオの小さいながらもちゃんとした〝笑顔〟を引き出すに至ってしまった。
よもや、全裸姿の変態に劣ってしまうとは――これにショックを受けずして、他のどんな事にショックを受ければいいのだろうか。
ショッキングな光景を目の当たりにして、高町がなかなか見せないような呆然とした表情を浮かべていると、そんな感情をつゆとも知らない鳴海が顔を上げて口を開く。
「なあ高町、ヴィヴィオは機動六課で預かる事になったのか?」
「へっ!? ……う、うん。その予定だったんだけど……えっと、どうしようかなーとか思ってたりしちゃってたり……」
鳴海の問いかけに、高町は珍しくしどろもどろになりながら言う。
いけない、これは精神に結構なダメージを負ってしまっている――こんな変態に劣ってしまっている部分があるという事実に直面して、高町は重度の混乱状態に陥っていた。
そして、そんな高町の精神に追い打ちをかけるように、鳴海がある提案を口にした。
「じゃあ、俺がヴィヴィオに六課の案内をしてやろうか?」
「うえぇっ!?」
そんな鳴海からの急な提案に、高町は柄にも無く素っ頓狂な声を上げて反応した。
高町にとってあまりにも想定外すぎる事態の連続に、ヴィヴィオがいるにも関わらず大声を出してしまう。
「な、何で賢一君が、ヴィ、ヴィヴィオの案内を申し出ちゃったりしてるのかな!?」
「何でって、お前、これからまだ仕事あるんだろ?」
「……ま、まあ、これからフェイトちゃんとはやてちゃんと一緒に、聖王教会の騎士カリムを訪問する予定があるにはあるけど……」
「えっ!? マジで!? お前ら、カリムさんに会いに行くのかよ!? 俺も、俺も一緒に行っていいか!?」
「――賢一君、言いたいことはそれじゃないでしょ?」
「痛っ!? す、素足を靴でぐりぐりは駄目、せめてレイジングハートの杖先でお願い!」
『急に私を引き合いに出さないでください』
騎士カリムの名前を口にした途端、いつものようなハイテンションに戻った鳴海の態度を見て、高町は自分でもよく分からないが気に入らなかった。
さっきまでの混乱状態が嘘のように、すっと頭の中から騒音が消えたみたいに透明になったのが分かる。
というわけで、鳴海の素足の甲を右足で思いっきり踏みつけながら、高町は鳴海に先の話題に戻るよう顎先で促す。
「ひぎぃ!? ……そ、その点ンアッ、お、俺は常にフリーなわけでしゅしッ!? ヴィ、ヴィヴィオのお守りをおうっ!? う、請け負ってやってもいいんだぜって痛えー!?」
鳴海にしては奇声を上げながらの珍しく至極もっともな言い分に、高町はぐうの音も出ないのか何も言い返すことが出来なかった。
高町は鳴海の素足を踏みつけながら、どこか怯えた様子で傍観しておいたヴィヴィオに向き直る。その際に、右足の踵で鳴海の足を捻るようにするのも忘れない。
鳴海の悲鳴をBGMに、高町は右足に全体重をかけるようにして屈みながら、会話に置いてけぼり状態だったヴィヴィオに視線を合わせた。
「……ヴィヴィオ。これから、なのはママはちょっとお仕事に出かけなきゃいけないんだ」
「……え? なのはママ、ヴィヴィオのこと置いてっちゃうの……?」
高町の言葉を聞いて、ヴィヴィオはすぐに泣き出しそうになってしまう。
それでも、高町は慌てる様な素振りも見せずに、そっとヴィヴィオを優しく抱きしめながら言う。
「ううん、わたしはヴィヴィオを置いていったりしないよ。ヴィヴィオがちゃんと良い子で待ってくれるなら、なのはママは絶対に帰ってくるから」
「……ほんと?」
「うん、なのはママとヴィヴィオとの約束だよ。……そうだ、ヴィヴィオ、小指を出してくれるかな?」
「……?」
高町の要求にヴィヴィオは戸惑いの表情を浮かべながら、小さな手から小指をそっと差し出す。
そして、高町は自分の小指をヴィヴィオが差し出した小指に引っ掛けると、そのまま小指を絡ませて上下に振りながら、幼子に聞かせる様に冗長とした歌い方で口ずさむ。
「ゆーびきーりげーんまん、うーそついたら針千本のーます、ゆーびきった!」
「……なのはママ、これって何してるの?」
ヴィヴィオは〝指切り〟の事を知らないのか、可愛らしく小首を傾げながら事の成り行きを見ているだけだった。
「これはね、なのはママの生まれ故郷のおまじないなんだ」
「おまじない?」
「うん。〝指切り〟って言うんだけど、絶対に破っちゃいけない約束をする時によくやるの。嘘ついたら針を千本飲まなきゃいけないから、お互いに頑張って約束を守ろうっていう意思表示みたいなものかな」
「は、針を千本も飲まなきゃいけないの!?」
ヴィヴィオの子供らしい純粋な反応に、高町は自然と笑みを浮かべてしまう。
「あはは、針を飲むっていうのは例えみたいなものだよ。それに、なのはママは絶対に約束を破らないし、ヴィヴィオもちゃんと良い子で待っていられるよね?」
「……うん、頑張る」
「よしよし、ヴィヴィオは良い子だね」
ヴィヴィオの子供ながらの立派な決意に、高町は母親のような笑みを浮かべながらヴィヴィオの頭を撫でて応えた。
その背後で、全裸姿の変態が痛みに悶絶していることなど、高町はヴィヴィオとのやりとりですっかり忘れていたのである。
午前の事務作業も終わり、ティアナはフォワード組のメンバーと一緒に食堂へと昼食をとりに来ていた。
食堂にはティアナ達と同様に、午前の仕事から解放された部隊員たちの姿が多く、まるでお祭りのような和気藹々とした賑やかな空気がそこら中から漂ってくる。
機動六課は部隊員の殆どが若手で構成されているため、上下関係が他所の部隊よりも下手に影響しないのもあるのだろう。
部隊長であるところの八神にしても、厳格な上下関係をひたすらに重んじるというよりかは、隊員同士のコミュニケーションを元にしたチームワークを大事にしている――そんな風にティアナは思えるようになっていた。
「ねえ、ティア! 今日は何を食べよっか!?」
「……昼食ごときでテンション上がるアンタが羨ましいわよ、ホントに」
「えー!? 昼食は大事だよ、一日五食の内の大事な一つだもん!」
「自然に一日五食計算にしないの。それに、アンタは一日通したら常人の五食以上の量を食ってるでしょうが」
ティアナはスバルの発言に対して、心底呆れたように溜息をついた。
スバルとは長い付き合いとなっているティアナだが、そんな彼女でもスバルと一緒のテーブルを囲む際には、あるルールを自身に課すようにしている。
それは、〝スバルの食事の量に疑問を持たないようにすること〟である。
この相棒の一日の食事摂取量は尋常ではなく、テーブルを囲んでいるこちらが胸焼けを起こしてしまいそうになる程だ。
スバルとコンビを組むようになった最初の頃は、ただひたすらにスバルの食事の量に圧倒されてしまい、ティアナはスバルと一緒にいると食事がろくに喉を通らない――そんな日々をしばらく過ごしていた。
そして、ティアナが行き着いたのが〝見て見ぬフリ〟をすることである。
さらに、一人の女性としてあるまじきカロリーを摂取してしまっていることに関しては、ティアナは心をスッと閉ざすようにして黙認することにしている。
「わたしはパスタ系にしようかなぁ。フリードはいつものお肉でいいかな?」
「キュイ!」
キャロは実に女の子らしい女の子をしている。
まあ、そもそもの比較対象がスバルなのだから当然なのだが、こういったキャロの発言にティアナはしばしば癒されることがある。
機動六課には数少ない――というか、他に類を見ない癒し系魔法少女なのだ。生物が住めない荒れ地に生き残った、一本の御神木のような存在なのである。
「僕は何を食べようかな……」
「ねえ、エリオ! 何なら、一緒に〝メニューの上から下まで〟っていうのやってみない!?」
ティアナがキャロに癒されていると、またしてもスバルらしい発言が飛び出してきた。
スバルは自分の発言内容でテンションが上がっているのか、子供のように瞳をキラキラとさせながらエリオに詰め寄っている。
「い、いや、それはいくらなんでも無理じゃないでしょうか?」
エリオは若干引き気味になりながらも、興奮しきったスバルを宥めるように言う。
「大丈夫だって! わたしとエリオの胃袋なら楽勝だと思うよ!」
「そ、そうでしょうか……」
しかし、スバルのテンションメーターは際限無く上がっていっているようで、その根拠の無い自信と勢いにエリオも口ごもってしまった。
子供らしく素直なのは良い事だが、時には突っぱねる強情さも併せ持ってほしい、とティアナは弟分の優しさに内心で苦笑する。
特に、ここ機動六課で生活するにあたっては、そういった強情さは真っ当に生きる上での必須スキルだろう。あの変態に長い間付き合っていたら、こんな純粋無垢な少年でも悪性変異を起こしかねないのだから。
――まあ、わたしも折れた側の人間だから、そう強くは言えないんだけどねぇ……。
それでも、あの変態に救われた経験があるからこそ、ティアナはあの変態に近づきすぎるのはよくないとも考えている。
アレは卑怯と呼んでも差支え無いぐらいに性質が悪い。人が傷心している場面に偶然に現れては、当たり前のように心に響く言葉を投げかけてきやがったのである。
しかも、それをありのままの自然体(コスプレナース服)でやってしまうのだから、今更になって考えてみると本当に恐ろしい人間だとティアナは思う。
ああいう性質の悪い男性を、俗に天然ジゴロというのかもしれない。
「うーん、でもあまり食べすぎると、フェイトさんに注意されてしまうかもしれないですし……」
「フェイト隊長には内緒にしておくからさ! たまには保護者の目を盗んで自由に行こうよ!」
「え、えーっと……そ、それじゃあ……」
ティアナがアレについて考えている間に、エリオがスバルに押し切られそうになっており、そんな光景をキャロが苦笑しながら見ていた。
とりあえず、この場は自分がスバルを抑え込んでしまうしかないか、とティアナは思考を素早く切り替えて口を挟む。
「やめなさい、この馬鹿スバル。食堂スタッフにもめちゃくちゃ迷惑だし、何よりアンタ達なら本当に成し遂げそうで怖いわ」
「えー? でも――」
「――わかった?」
スバルには二の句も告げさせず、ティアナはどこか厳かな口調でスバルの反論を封殺する。
「うっ……はい、わかりました」
「エリオも、あまり食べすぎると太っちゃうわよ?」
「は、はい! 大丈夫です、絶対に食べ過ぎたりしません!」
スバルは言わずもがなだが、エリオもスバルに負けず劣らずの胃袋の持ち主だ。
もし、ここにスバルの姉のギンガがいたらどうなってしまうことか――その想像はティアナには難くないし、きっとその尻拭いは自分がすることになるのだろうと確信している。
藪を突いて蛇を出す趣味は無いし、そんな蛇が出る藪があるなら事前に焼き払ってしまえばいい。
こんな凶悪な思考は、きっと機動六課に来てから芽生えてしまったのだろう。
本当に、ここの特殊な人間関係が根底にある悪魔的な環境は、真人間の精神に色々な意味で影響を及ぼしてくる。
そしておそらく、自分は既に真人間の枠から外れてきてしまっているんだろう――と、ティアナはそんな諦観混じり想いを抱えながら遠くを見た。
「…………げっ」
そして、ティアナは遠くのテーブルにある人物を発見してしまう。
その人物は全裸で――というか、この条件を満たすのは機動六課に一人しかいないので、ティアナはアレに関する詳しい描写は頭から放り投げることにした。
問題なのは、その件の変態がこちらに視線を向けており、あろうことか空中で視線を交わらせてしまったということだ。
ティアナは一瞬で平穏な昼食の時間に別れを告げると、
「おーい! オメエらも一緒に飯食べようぜー!」
そんな全裸からの誘い文句を予想していたのか、彼が言葉にするよりも一足早く歩き出していた。
その両肩は力なく垂れ下がっており、足取りは酷く重いものだった。
ティアナが鳴海賢一という名の変態を認識する際には、何よりもまずソレが全裸であるか否かという点に注目している。
機動六課の隊員たちの間では、〝全裸姿の変態=鳴海賢一〟という認識が当たり前となっており、ティアナもいつのまにかその認識を採用するようになっていた。
全裸姿の変態を鳴海賢一ではないと主張するのは、ティアナが高町相手にソロで勝つことぐらいに不可能だ。
そもそもの前提条件として、平然と公の場に全裸で存在してしまえる恥知らずな人間なんて、いかに次元世界が広いと言っても鳴海賢一ぐらいしかいないはずなのである。
仮に、顔を覆面で隠した全裸姿の変態が目の前に出現したとしても、ティアナは酷く限定的な経験則からその正体が鳴海賢一だと確信してしまうだろう。
――全裸姿の変態なんて鳴海さんぐらいしかいないだろうし……いないわよね? ま、まあ別に、もし仮に鳴海さんに匹敵する変態がいたとしても、わたしの人生には一切の関係が無いから別にいいんだけど!
ティアナは内心で未知の恐怖に毒づきながら、目の前で展開されている光景を眺めていた。
「よし、ヴィヴィオ。次はこの緑色の野菜に挑戦してみようぜ!」
「うー……いや! ケンイチはウソばっかり言うんだもん!」
「ばっかオメエ、人生何事も挑戦することが大事なんだよ。どんなに辛くても、それを我慢して挑戦し続けるのが人間の数少ない美徳の一つなんだぜ? ――んじゃ、この苦くて不味いピーマンも食べられるように頑張らなきゃなあ?」
「に、苦くてまずいって言った! いやー! 苦いの嫌い! ケンイチも嫌いー!」
「はいはい、人の膝の上で暴れないのよー――って、痛い痛い、そこは男の大事な急所だから立ち上がって踏みつけちゃ駄目ぇ!」
鳴海の膝の上で暴れている金髪の少女――ヴィヴィオは、つい先日の事件の際に保護した少女だったらしい。
少女を膝に乗せた全裸姿の変態が供述するには、これから聖王教会に出張する高町から世話を任されたらしいが、ティアナにはにわかに信じがたい内容である。
というか、今となっては慣れてしまった全裸姿で闊歩している姿ですら犯罪級なのに、こうして無垢な幼女とセットにされてしまうと、どうにも目の前で〝事案〟が発生しているのではないか、とティアナは思わず勘繰ってしまう。
「ねえねえ、ティア」
「ん?」
「こうして見てるとさ、鳴海さんとヴィヴィオって歳の離れた兄妹みたいだよね」
「アンタは一度眼科に行った方が良いわ。……加害者と被害者の関係なら納得できるけど」
「そうかなー? ほら、鳴海さんって意外と優しいし、ヴィヴィオもすっかり懐いてるみたいだよ? ――全裸だけど」
「……まあ、そこは認めてあげてもいいわよ。――全裸だけど」
鳴海は全裸な変態であるものの、誰にでも分け隔てなく接することの出来る人柄自体は、機動六課の隊員たちにも好かれている。
スバルやエリオ、キャロやフリードもその一例に漏れることなく、鳴海が変態である事を頭ではちゃんと理解していても、その根底にある人柄の良さに惹かれてしまっているのだろう。
そして、そういった鳴海賢一を構成している厄介極まりない人柄が、今の事態を引き起こしてしまっている原因なんだろう、とティアナはパスタをフォークでくるくると巻きながら考えていると、
「賢一君とヴィヴィオ、食堂にいたんだ」
「あっ、なのはママだー!」
その声に素早く反応して、鳴海の股間付近から勢いよく飛び降りたヴィヴィオがかけて寄った先には、幼い子供に大声で〝ママ〟と呼ばれて少し困り顔の高町がいた。
確かに、結婚どころか彼氏もおらず、まだ二十歳にも満たない年齢で〝ママ〟と呼ばれてしまうのは、女性としては割と複雑な心境になってしまうものなのかもしれない。
「なのはが〝ママ〟かぁ……あれ、何だか割としっくりくるね」
高町の後ろには、高町が〝ママ〟と呼ばれて神妙な表情を浮かべているフェイトと八神の姿もあった。
「まあ、なのはちゃんの貴重な休日の過ごし方は、倦怠期が過ぎ去ってだらけ始めた専業主婦並みの姿やもんね」
「――ああ、それは確かに一理あるね」
「一理も無いよ! いくらなんでも、テレビの前に寝転がってワイドショー見ながらお煎餅食べたりしてないし!」
「それもそうやね。なのはちゃんの場合は、仕事にかまけてばっかりで家に帰るのが遅いお父さん、って方がしっくりくるわな」
「うわっ、私の頭の中で完璧に合致しちゃったよ」
「もー! 二人とも!」
機動六課が発足したばかりの頃は自重していたようだが、最近では隊長たちのコントを眺める機会も随分と多くなっていた。
上下関係や部隊の風紀に厳しい人には疎まれるかもしれないが、締めるべきところではしっかりとしているので、今ではティアナもさして気にしないようにしている。
むしろ、あれだけの実績を持つ三人が微笑ましく会話をしているという光景には、親近感すら覚えるようにまでなっていた。
そうしていると、大量のパスタを平らげたスバルが言う。
「なのはさんたちは、これから聖王教会に出張でしたっけ?」
「うん。ヴィヴィオの世話は賢一君に頼んでおいたんだけど――スバル達も時間が出来たら見てくれないかな?」
「はい! 任せてください!」
「……えっ?」
高町からの頼みに、スバルは少しも迷うことなく承諾してしまった。
この時、ティアナはしてやられたと思った。
ヴィヴィオの世話を任されたという事は、それすなわちあの変態の監視も任されてしまったということではないか。
ティアナは即座に高町へと念話を飛ばした。
≪――なのはさん、恨みますからね≫
≪えへへ、ごめんね。でもほら、賢一君だけだと何が起きるか分からないし、わたしはフォローできない場所に行かなきゃいけないし≫
≪……自分の身は自分で守れって事ですか≫
≪そういうこと。ごめんね、厄介事を押し付けちゃって≫
高町はヴィヴィオの頭を撫でながら、ティアナに向けて申し訳なさそうに苦笑していた。
実際に、高町は心の底から申し訳ないと思っているのだろう。自分が持って帰ってきた厄介事を、早速他人に押し付ける形となってしまったのだから。
それなら、ティアナが返すべき言葉はこれしかない。
≪――それじゃあ、今度自主練に付き合ってください≫
≪――うん、了解です!≫
≪はい、任されました≫
高町は強いが、それ故に抱え込みやすい性格をしている。
ただ頼みごとを受け入れるだけでは、高町は申し訳ないという気持ちを持ち続けてしまうだろう。
だからこそ、ティアナは高町が心置きなく頼みごとを出来るように条件を提示した。
≪……私が言うのも何ですけど、なのはさんって割とめんどくさい性格してますよね≫
≪……うん。ティアナには言われたくない言葉だったよ≫
≪まあ、そこはアレですよ≫
≪そうだね。ここは〝似た者同士〟ってことで、どうかよろしくお願いします≫
そして、高町は苦笑ではない笑顔を見せた。
それに対して、ティアナも本心からの笑顔を返した。
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久々なので内容は無いようです(激寒)
そろそろとらは板に移動します(更新不透明)