※当SSは小説家になろう様にも投稿しています。
「ふっ……」
月が支配する時間帯、魔法学院の一室から悩ましげな声が漏れていた。
少女の声だ。ガラス細工のように華奢な喉から発せられるそれは鈴を転がしたように涼やかで、それが今は微熱を帯びている。
「だいじょうぶか?」
「ん……」
ゆらゆらとからみあう影をロウソクの火が壁に映している。
ベッドの上にいるのはピンクブロンドの長髪を投げ出した少女と、それを見下ろしている黒髪の少年。彼らは使い魔とその主人という関係であった。
なのにその上下は逆転している。少年は余裕のない表情を顔に張り付けた少女を、なかば組み伏せるような形で眺めている。
「へい……き、よ」
「そっか」
少女の頬は桃色に上気し、額には珠のような汗がきらめいていた。運動に慣れていない貴族の少女にとってこれは相当な苦行なのだろう。それでも泣き言一つ言わずに歯をくいしばって耐えているのは、自分だけのことではないからだった。
少しの休憩をはさんで、再び少女はゆっくりと動き出し、そのたび苦悶の吐息が部屋に反響する。
いつも何気なく過ごしている部屋、いつもと変わりなかったはずの夜、それがこうも変わってしまったのは何故だろう。少女を見下ろしながらぼんやりと少年は思う。
「なに、よそ見、してるのよ……」
息も絶え絶えになりながら少女は言う。
わたしを見ろ。今この瞬間はわたしだけを見ていろと。
少年ははっと気を取り直し、手に力を込めた。全力で握れば折れてしまいそうなほど少女の身体は儚い。壊れないように、そして彼女の身体が動かないように、じわりと手に力を込める。
「は……ん…………っ」
少年が見守る中、少女は髪を振り乱して動き続ける。ぱっちりした瞳は閉じられ、長いまつ毛が影をつくっている。
喘ぎ声はもしかすると部屋の外にまで、隣室で休む生徒にまで聴こえているかもしれない。
それでも少女はそんなことを気にしない、気にする余裕もない。はじめての行為に没頭していてそれどころじゃない。
滴る汗が頬をつたい、シーツに落ちていく。少年の喉がぐびりと鳴った。
「あと、少し?」
「ん、もう少し」
確認して、少女は一生懸命にそれまでの動きを速めた。激しいといってもさしつかえないほどで、少年はぐっと力を入れる。
ラストスパートと言わんばかりに少女は荒々しく上体を揺らす。
そして少年が見ている前で、少女はぱたんと仰向けに倒れた。
「おしまい~」
「はい、おつかれさん」
握っていた足首をぱっと離し、少年こと平賀才人はベッドを飛び降りる。水差しからコップになみなみ水をそそいでやって少女ことルイズに手渡そうとした。
「水飲んどけよ。脱水症状がどーたらこーたらで危ないらしい」
「ちょっと、待って……」
寝ころんだまま、ルイズはぜぇはぁと息も荒く返事をする。バテバテだった。
そんな姿を見て、ハラ減ったなぁと先ほどお腹と同時に喉を鳴らしたことを思い出した。タンパク質がなんたらかんたらで肉とか魚とか大豆をとらせるといいかもしれない、なんてことを考えながら、それも厨房の火落としてるから無理かと諦める。そもそもこの運動の趣旨に反している。
しかし、ふとした拍子に日本のことを思いだしてしまうのだ。主に食べ物関係を。
夜食と言えばラーメン。こってりしたスープ、脂とかじゃなくてあれはもう粉っぽいとすらいってもいい物体を思い出す。ずっと昔関西にいった頃食べたものだ。あっさりとこってりの二択、若い才人はこってりを選んで未知との遭遇を果たした。脂のせいで湯気の立たないラーメンなんてそのときはじめて見たのだった。
マルトーさんにつくってもらおうなんて益体もないことを考えていると、のっそりとルイズが起き上がる。
今度こそコップを手渡してやると、くぴくぴ喉を鳴らして実に美味しそうにルイズは飲み干した。なんとなく持っていた水差しでもう一度注いでやれば、それもあっという間になくなった。
「ふはーっ。これは苦行ね」
「そりゃ筋トレなんだからきつくなきゃ筋肉つかねーよ。まあ初日で二十回もできるって結構なもんだと思うぜ?」
「当然よ。わたし貴族なんだから」
「そりゃすごい。じゃあ次腕立てな」
「……まだやるの?」
「とーぜん。それ終わったら背筋も。腹筋とバランスよく鍛えないと痛くなるらしいし」
「……明日じゃダメ?」
「ダメです。さ、横になった横になった」
渋々ルイズは横になる。さっきやったのは腹筋二十回、まだまだやるメニューは多い。
なんでこんなことをノーブルな血統のルイズさんがやっているのかと言うと、お胸まわりに肉はつかないくせ、お腹まわりに肉がつきはじめたせいだった。そこで地球式エセダイエット理論を有する才人が協力しているのだ。
「でもこれで痩せるのね」
「ああ、確か基礎代謝があがって……」
「細かいことはいいわ。痩せるという事実だけが大事なの」
ふふふとルイズは不敵に笑ってみせる。これが地球の近世にあたるというならふっくらしていることは正義なはずなのに、変なところだけ日本的な価値観のハルケギニアであった。
まあ、傍からはルイズの部屋から悩ましい声が聞こえてきたと言う事実しかわからないワケで――。
「その、ルイズ。ちょっといいかしら」
「なによモンモランシー。あらたまって」
「あのね……やっぱりはじめてって痛いのかしら」
もじもじ恥ずかしそうなモンモランシーにルイズはぴんと来た。
彼女もきっと同志なのだ、にっくき敵をやっつけるダイエット戦士なのだ。ならば同志としてアドバイスくらいはくれてやろうと誇らしげに口を開く。
「ん~、痛いと言うより苦しかったわね、汗だくになったし。ああ、翌日はでも痛かったわ」
「そ、そう。やっぱりそうなのね。ありがとう。あとはっきり答えられるってすごいと思うわ」
モンモランシーの言葉にハテナマークをたくさん浮かべたルイズが魔法学院中に拡散した噂のことを知るのはまた後日のこと。
後書き
きっとみんな腹筋だと予測しつつもちょっぴり期待してた。そんな気がします。