「さて……そろそろ僕も帰るよ。龍宮君は、また明日。朝倉君もまた機会があったらゆっくり喋ろうね?」
「できれば喋るだけでなく、取材もお願いしたいですけど? 芹沢先輩」
「ハハ、僕には余り話題がないからね。部活に関しての取材だったらいつでもどうぞ」
麻帆良のパパラッチこと朝倉に捕まってしまい、芹沢と龍宮は取材に半ば強制的に協力させられ、様々な質問に答え、そのままの流れで女子寮前でダベっていた。
しかし、さすがにいつまでも喋っているわけにはいかず、今度こそ本当に解散することになった。
芹沢はいささか名残惜しそうだった。
ここ最近は、龍宮が葵といることが多く中々話す機会がなかったためか、龍宮とそれなりに長く話せたのがよっぽど嬉しかったようだ。
「えぇ、それでは芹沢部長もお気を付けて」
「ありがとう、龍宮君。それじゃあ、おやすみ」
そういって芹沢は振り返り、男子寮への帰路につこうとしたのだったが――その道の先からは、見覚えのある人物が、歩いてこっちに向かっていた。
ボロボロになった制服を纏って、更には体中に擦り傷を作っている。
そしてその両手には、少し顔色の悪い女生徒を抱きかかえていた。
「ありゃ、芹沢部長に龍宮……ついでにパパラッチ朝倉か。また取材とか言って捕まえてたのか?」
ボロボロの見た目に反してその男――篠崎 葵は、気軽に三人に声をかけた。
「篠崎君!? その怪我は……いや、その女の子は一体!!?」
芹沢が驚いて声を上げると建物の中に消えかかっていた龍宮と朝倉もこっちに気づき、そして驚きの声を上げる。
「葵先輩? 一体、何が……っ!?」
「ちょっと篠崎先輩……その子、大丈夫なの!? 襲ったんじゃないでしょうね!!?」
「あー、うん。多分大丈夫と思う。そこの所で倒れてたんだけど、特に何かされた訳でもないみたいだし。念のために保健の先生を呼んでくれ。それと管理人も、この人がどこの部屋なのかは知らないしね。あとパパラッチ朝倉、お前は後で頭鷲掴みの刑に処す。おい、写真撮るな!!」
まるで大したことのないように葵は軽く笑って見せると同時に、抱えている女生徒のために簡単に指示を出す。真っ先に反応したのは芹沢だった。
「わかった。僕が保健の先生を呼んでくるよ!」
そういうと、芹沢はすぐに保健医を呼びに飛び出していった。
一方で朝倉も、急いで女子寮に入って管理人室へと向かう。
残されたのは、女生徒を抱きかかえている葵と、その葵をジッと見つめる龍宮だった。
「葵先輩、何があったんだい?」
そう尋ねてくる龍宮の声はいつもの視座かな笑いを含んだ物ではなく、どこか冷たい物を感じさせた。
――そして、少し震えていたように聞こえたのは、葵の気のせいだろうか。
「んにゃ、俺もよくわからん。俺の荷物の中に、お前のリボンが入っていてな。届けようと思ってこっちに向かってたら、たまたま倒れていたのを見つけてな」
「その擦り傷は? それに制服も派手にやられているようだが?」
虚偽は一切許さないと訴えているような龍宮の鋭い視線に、葵はいつもと変わらない様子で答える。
「俺にもわからんよ……。この子の傍に駆け寄ろうとしたら何かに吹き飛ばされた」
「…………」
鋭い眼差しで服の破けている辺りを睨むようにしている龍宮だが、背後から近づいてくる人の気配を感じたのか少し雰囲気が和らいだ。
朝倉が管理人を連れてきているのに気がついたのだろう。葵も自分の後ろから、恐らくは芹沢と保健医であろう気配を感じる。
未だに自分の目を真正面から見つめてくる龍宮を見返しながら、葵は軽くため息をつく。
―― あぁ、さっきまでのよく回った口はどこにいったんだろう……
そして内心で自分の口の余りの下手さを呪いながら、これから来るであろう保険医や寮の管理人にどう説明しようか悩んでいた。
『Phase.3 明日』
自室でベッドに転がりながら、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは先ほどの事を思い出していた。
(篠崎 葵……。久しく見なかった、力を持たないが勇ある人間か……)
エヴァンジェリンは、退屈をしていた。
力を取り戻すために必要な事とはいえ、こんな誇りも何もない襲撃を続けなければならないことに。
―― あの坊やの血を吸うためとはいえ……。
ある魔法使いにかけられた、自分を退屈な学園へと縛り続ける忌々しい呪い。
それから逃れるために思考錯誤していたエヴァンジェリンは、ある日自分に呪いをかけた男の息子がこの学園に来るという事を知った。
―― あの男の息子ならば、身に宿している魔力も膨大なはず。
膨大な魔力を持った魔法使いから血を奪うのはひと手間必要だしリスクもそれなりにあるが、その血を吸うことで魔力を一気に取り戻せば恐らくはこの呪いも力づくで解ける。
そう考えたエヴァンジェリンは、それから半年間吸血行為が可能となる満月にこうして一定以上の魔力を持ち、かつ魔法生徒ではない人間のみが通れる結界符を作成、設置しそこを通りかかった人間から血液を頂いていた。
来たるべきその日に、少しでも成功率を上げるためにだ。
今日も同じだった。
ただ彼女を恐れるだけの、あるいは何も気づけない様なか弱い人間から貧血程度で済む吸血行為を行い、そして証拠を消してただ去るだけ。
そう、今日もそうなるはずだった。だが――
―― そこを通してもらえるかな、可愛い蜘蛛さん?
あの男が、篠崎葵が現れた。
彼が自分の姿を見た瞬間に、その身を恐怖で引きつらせていたのをエヴァンジェリンは見逃さなかった。
決して自分では敵わない相手だと理解していたはずだ。
(それでも、魔力はおろか、気すら扱えない『ただの男』は逃げださなかった)
力を持たないただの人間が、役者じみた言動で自らの弱さを覆い隠し、笑みという仮面を被り、拙いながらも頭を捻って策を練り、ほんの僅かな勇気を持って恐怖に震える己を叱咤し、たった一人毅然と自分に立ち向かってきた。
それは、『真祖の吸血鬼』として600年近くという長きにわたって恐れられてきたエヴァンジェリンにはひどく新鮮なものだった。
本来ならば追いつめたあの時に、問答無用で襲いかかり血を頂いてから記憶を消し、証拠を隠滅できた。
そうするべきであったし、しなければならなかった。
だが、それはエヴァンジェリンにとって、ひどくもったいない事のように思えたのだ。
そのため、自分にもリスクがある事を知りながら彼に再会の約束を取り付け、捕らえた獲物である女生徒諸共その場で解放したのだ。
(あの男は……興味深い)
一定クラスの魔力を持たねば、人払いが作動するように彼女が作ってあった結界なのに、なぜあの男は入ってこれたのか。
身体能力はそこそこ高い方だとしても、糸を使った攻撃への彼の反応の仕方はどこかおかしかった。
そしてなによりエヴァンジェリンの興味を引くのは……
「あの男、なぜ学園の教師共に監視されているんだ?」
エヴァンジェリンが手に取って見ているのは、自らの捕縛魔法によって吹き飛んだ少年の制服の右腕の部分だった。その裏地には、
―― 複雑な魔法陣のようなものが刺しゅうで描かれていた。
「今、どこにいるかを正確に知るための監視魔法陣か。加えて、軽い魔法への防壁効果も付与されている……。『戒めの風矢』が上手く発動せずに、単純な衝撃波になったのはこれのせいか。一部がほどけたせいで、既にその機能は果たしていないようだが。ふむ……」
エヴァンジェリンはしばらく顎に手をやり何事を考えると、指を『パチンッ』と鳴らした。
すると、部屋のドアを開けて一人の女性が入ってくる。
「お呼びでしょうか、マスター」
その表情にも声にも感情というものが見えない従者に対し、エヴァンジェリンは用件だけを告げる。
「大至急、『篠崎葵』という男について調べ上げろ。制服からして、高校生のはずだ。恐らく、学園はこの男に対して何か隠している事があるはずだ」
わざわざこんな分かりにくい所に、隠すように魔法陣を着けているのだ。しかもそれが西洋術式となれば、ほぼ確実にこの学園の教師が関わっているに違いない。
そう推測したエヴァは、彼について学園経由で探りを入れる事を決める。
「かしこまりました。マスター」
無駄口を叩かずに、了承して即座に部屋から出ていく己の従者の姿に満足したエヴァンジェリンは、持っていた布切れをサイドボードに置いて、その隣に置いてあったワインをグラスに注ぎ美味しそうに一口飲む。
「こんなにも明日が待ち遠しいのは久しぶりだよ。篠崎 葵」
薄く笑いながら、彼女は約束の明日へと思いを馳せる。
そして、パッと見特徴らしい特徴のない黒髪の少年が、不敵な笑みを浮かべて自分の目の前に立ちはだかる姿を思い出しながら、もう一口グラスに口を付ける。
「魔法の存在を知らない、平凡な一般人の男になぜ監視が付くのか。まぁ、それほど厳しい監視ではない様子から見ると、既に決着が付いている何かをやらかしたのか。あるいは巻き込まれたのか……」
おそらく、本人には知らされていない。あるいは消されたのであろう『何か』に想像を巡らせながら、吸血鬼の少女は嗤う。
「約束は、明日の夜か。クックック、さて、どうアイツをもてなしてやろうか?」
―― なぁ、役者君?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
龍宮真名は、自室で装備の点検をしながら『今』の篠崎 葵と初めて会った日の事を思い出していた。
この学園内では、知る人間は少ないが、龍宮真名はかなり名の知れた傭兵である。
彼女は、学園で起こる緊急時の対処要員としてこの学園に雇われている身だった。
この麻帆良学園には、とある事情から魔物や妖怪等を引きつけやすいという特徴があり、それらに対処するための警備員として阿呆教師がいるのだが、彼らだけでは手に負えない時というのがある。
そして、そういった事態が発生した時に学園側が出す依頼を受けて、事態に対処するのが龍宮の日常であった。
その日も、大挙してやってきた魔物へ迎撃作戦への参加を依頼されていた。
いつものように襲ってきた魔物の群れを倒しながら、救援要請を発した味方の援護に駆け付けた龍宮は、傷だらけで倒れている魔法教師を発見したのだった。
傷は深くはなさそうだったがかなりの出血をしていた彼に手当を施そうとしたが、同時に救援要請がいくつも入った。
この教師を放っておくわけにはいかないが、治療している時間もない。
そんな状況で偶然龍宮の目の前に現れたのが、篠崎葵だった。
「……いや、何事だよこれ」
(……っ、なぜ一般人がここに? あの顔は、確かバイアスロン部の――?)
驚いている龍宮と、同じく驚いている葵。最初に冷静になったのは、やはり龍宮だった。
静かに手に持っている銃を目立たないように隠すと、
「篠崎先輩ですよねっ!?」
記憶から引っ張り出した彼の名前を叫ぶ。すると、その男――篠崎 葵は少し遅れて反応した。
「……っ! 怪我人だね? すぐに救急車を呼んだ方がいいのか?」
思った以上に落ち着いている葵に、この場を任せられると判断した龍宮は、
「実は、他にもまだ助けを必要としてる人がいるんです。私はそちらに行きますから、この人の止血をお願いできますか!? 医者はすでに呼んでいます!!」
正確には、医者ではなく治癒魔道士であり、それも今から呼ぶのだが……
「わかった! ……ここらへんは安全だって考えていいんだね?」
「!! え、えぇ、そう考えていただいて構いません。お願いします!!」
龍宮は、ある意味で先ほど以上に驚きながらも、走ってその場を後にした。
先ほどの男の質問は、ある程度状況を――この辺りが危険地帯であるという事を把握しないと出てこない言葉だった。
だが、男は一般人にも関わらず今自分がいる状況が普通ではないと速やかに判断し、龍宮の指示に何一つ言わずに従った。
これが普通の一般人だったら、混乱して無駄に質問を重ねて無駄に時間を浪費してしまう。
血まみれで倒れている人間がいるなら尚更だ。
加えて、隠しはしたものの、恐らく手に持っていた銃は見られている。
100人の一般人がいれば100人が、尋常ではない状況だと感じ、錯乱しただろう。
正直、龍宮も一言二言くらい彼が状況を知ろうと質問をするか、あるいは遅れて混乱を始める彼をなだめる必要があるのではないかと思っていたのだが……。
(篠崎 葵先輩……。記憶を失くしてから人が変わったと聞いていたが、どうにも変わった人だ)
結局、この後龍宮達は無事に魔物を一掃し、傷ついていた魔法教師も無事に搬送されていて、一緒にいた男子生徒も無事という情報を聞いて、龍宮はようやく安心できた。
それから龍宮真名と篠崎葵は、しばらくの間接点がないために顔を合わせることが無くなるが、篠崎葵がバイアスロン部に復帰してからは、自然と二人でいることが多くなった。
あの状況について何も聞こうとしない葵の態度に龍宮は非常に好感を持てたし、葵もまた彼女が以前までの『篠崎葵』を求めてこない事が大変嬉しかった。
だからだろうか、二人は意外にも馬が合い、更に数ヶ月経つ頃にはバイアスロン部でも、それなりに彼女と仲が良い友人達から見ても篠崎葵という存在は、龍宮真名の『相方』として見られるようになっていた。
ふと銃を磨く手を止め、龍宮は部屋の窓から空を眺める。あの日、彼と出会った時と同じ綺麗な月夜を眺めながら、常に頬笑みを浮かべている龍宮には珍しく眉にしわを寄せている。
(あの葵先輩が、私に隠し事を……?)
結局、あの後すぐに到着した保健医により、倒れていた女生徒は、軽い疲労だったのだろうという診断が出された。
そして葵には「運んで来てくれてありがとう」という保健医の一言だけで済んでしまったのだ。
後を追って、本人に詳しく追及しようと思ったが『明日の逃走に備えて色々準備があるんだ』と言って、すたこらさっさと逃げていってしまった。
(先輩の右腕からは、確かに魔力反応がした。恐らく風系の魔法を撃ちこまれたのだろうが……)
龍宮は自身の特異な能力として、その左目に魔眼というものを宿している。
普段は普通の眼となんら変わらないのだが、魔眼を使用した状態になると普段は見えない幽体や魔力などが見えるようになる。
葵を詰問した時にも、これを用いて彼の体を見たのだが――
(頭部に魔力反応は見られなかったから、記憶をいじられた訳ではなさそうだ。なら、どうして襲われた事を黙っておくんだ?)
魔法を使う何者かに襲われたのはほぼ間違いない。
あの擦り傷は、恐らく追撃をかわす際に付いたものだろう。
自分に何も言わなかったのは、魔法という常識から外れた物を見て信じてもらえるわけがないと考えたのか。
あるいは、魔法を教えたことで襲撃者の眼がこちらに向きかねないと思ったのか。
何にせよ――
「私が非常事態に関われる人間と言うことは知っているんだろう? 初めて会った時にすでにさ……。もう少し私を頼って欲しいのだけれど……」
ふぅ、とため息をつく龍宮。
なんとかして葵本人の口から事情を聞きだしたい。
だが、今日の様子だと葵が口を開くつもりがない事は分かる。
どうすれば、葵は話してくれるか、龍宮は考えを巡らす。
「……そうだ」
(よし、これでいこう。明日の追走戦で、なんとしても葵先輩を捕まえるとしよう。そして――)
――捕まえた勝者の命令として、全て聞き出し自分を関わらせよう。
そこまで考えて少し笑みを浮かべる龍宮。
(さて、明日、葵先輩はどういうルートを考えているのか……)
方針を決めた龍宮は、明日篠崎葵をなんとしてでも捕まえるために、頭の中で作戦を決めていく。
「ふふ、明日が待ち遠しいな」
そう呟く龍宮の顔は、先ほどまでの不機嫌な顔ではなく、いつもの静かな頬笑みだった。
≪コメント≫
いまさらですがPhase.2に致命的な矛盾を発見、修正しておきました。
名乗る前にエヴァンジェリンの名前を知っていることになっていましたね(汗)
それでわ、また次回お会いしましょう。感想、ご指摘、お待ちしております。^