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No.33159の一覧
[0] 【習作】世神もすなる異世界トリップといふものを、邪神もしてみむとてするなり[ハイント](2013/03/23 17:46)
[1] 『かみさまからもらったちーとのうりょく』の限界[ハイント](2012/05/19 03:13)
[2] 辺境における異世界人の身の処し方[ハイント](2013/04/04 23:48)
[3] 現代知識でチートできないなら、近代知識でチートすればいいじゃない[ハイント](2012/06/12 20:51)
[4] 至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなりと雖も、[ハイント](2012/07/01 22:11)
[5] 道徳仁義も礼に非ざれば成らず。[ハイント](2013/04/04 23:52)
[6] 辺境における異世界人の身の処し方 その2[ハイント](2019/01/30 02:00)
[7] 出来ること、出来ないこと[ハイント](2019/01/31 00:14)
[8] プロメテウスの火[ハイント](2019/02/05 01:21)
[9] 『人食い』[ハイント](2019/02/07 04:31)
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[33159] 辺境における異世界人の身の処し方
Name: ハイント◆069a6d0f ID:a5c8329c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/04/04 23:48
 この地はたしかに寒冷地であり、おそらく地球の気候区分では亜寒帯に属するだろうということは、立ち並ぶ針葉樹林で想像はしていた。
 木さえ生えない本物の極地でなかったことは幸運だった。仮にイヌイットのように生肉からビタミンを摂る生活を送る羽目になっていたら、孝治の胃腸は耐えられなかっただろう。
 消化不良や栄養失調は即座に死に繋がる……その程度の危機意識は、流石に孝治も持ち合わせていた。というより、痛感させられていた。
 この村に滞在することを決めて三日目、与えられた糸作りの仕事に慣れ始めた頃――寒さにやられたのか、腹を下してしまったのだ。

 ……流石に、あの時はきつかったな。

 孝治は回想する。エヘンヌーイ(ちなみに、現地語で沼辺を意味する)の人々の生活スタイルはアイヌ的な狩猟採集生活で、労働力にあまり余裕が無い。今は冬なので食料の備蓄はあるが、ごく潰しをいつまでも養えるほど、余裕のある社会ではないのだ。
 そのことを承知していた孝治は、多少無理をしてでも仕事をしようとしたのだが……カルウシパの親爺殿に窘められた。

『いいから体を温めて寝てろ。下痢で痩せたら、中々元に戻らないぞ』

 なんでも親爺殿は若い頃、クゥルシペ(南にある港町で、この島最大の交易所がある)でフソ(南方の異民族。海で隔てられている)の人々と交流したことがあり、この程度は想定内だったという。なんとも頼れるおっさんだった。
 とりあえず毛皮を腹に巻き、胃腸の薬だという激烈に苦い熊の胆を舐めて寝ていたら一日で治ったが、この事件は孝治に貴重な教訓を与えてくれた。
 即ち―――己の健康は、己で守らねばならないということを。





















 ―――噛む。

 ひたすらに噛む。一口につき二十回。それが孝治が己に課したノルマだった。
 可能な限り体を温めること。常に傷が無いか確認すること。食べ物は良く噛んで食べること。物を食べる時は姿勢を正すこと――日本にいた頃には殆ど無視していた祖父母からな薫陶を、孝治は徹底的に遵守することにしていた。
 体を冷やせば抵抗力が落ちる。傷口から雑菌が入れば、抗生物質どころか消毒薬も無いこの世界では命取りになる。食べ物の消化不良は栄養失調の原因であり、死に直結する。猫背で物を嚥下すると噎せる……つまり気管に物が入るということで、これは肺炎の原因になり得る。
 なるほど、こういった状況に陥ってみれば、先人の知恵というのは馬鹿に出来ない。文明社会のバックアップを失った孝治は、有体に言って弱者である。絶対的強者である自然の驚異に対抗できる武器があるとしたら、それはこういった先人からの知識と、小学校から大学二年まで、14年間の教育で培ってきた科学的思考だけだ。
 もっとも、現代日本の常識に凝り固まった孝治に、どこまで彼らを理解できるかは怪しいものだったが……。

「明日は、熊狩りに行くぞ」

 孝治は咀嚼する顎の動きを止めた。二ヶ月ほど共に食卓を囲んでいるが、カルウシパがそんなことを言い出すのは初めてのことだった。
 そんな孝治の驚きをよそに、ルゥシア――初日に孝治にお粥を持ってきてくれたカルウシパの末の娘である――は楽しげな声を上げる。

「あ、じゃあ私も付いてっていい?」
「駄目だ。……と、言いたいところだが……」

 ちら、とカルウシパは孝治を見た。

「おまえはどうする?」
「俺じゃあ付いていけるとは思えないな。歩く速度が違いすぎる」
「おまえ、まだ慣れてなかったのか」
「日頃座って仕事してるんだ。足だって弱るさ」
「あ、でもタカハル凄いんだよ。糸を撚り始めると、何時間も同じ姿勢で作業してるし……」
「そうねえ、ちょっと近寄りがたい雰囲気があるわ」

 そう言ったのは、カルウシパの妻のオクルマである。オクルマは元々別の男の嫁であったが子を生せず、十年ほど前にカルウシパが前妻を亡くした際、引き取るような形で再婚した。そんな話を、孝治は村の女たちから聞かされていた。
 現代日本人の感覚では中々理解しがたい話であるが、さもありなん、エヘンヌーイの村の総人口は100人に満たず、再婚したオクルマの前夫が四人の子を生し、その内二人が早世したことを考えると……まあ仕方ないかな、と思うのが孝治である。
 むしろ一夫一婦制が適用されてることが不思議なくらいだ……などと思いつつ、孝治は粥を口に運んだ。ちなみに具は例によって鮭に良く似た魚である。

「だがな、いつまでも女に混ざって内職してるわけにもいかんだろ」
「うーん……たしかに、うちの男どもからの評判は良くないよね、タカハル」
「それにいずれうちを出て行くんだろう? 自力で狩もできないようじゃ、まともな男と認められないぞ」
「いや、俺だって別に狩が嫌なわけじゃないんだ。ただ、座り仕事の方が“稼げる”んだよ」

 全く経験の無い狩猟の技術を一から学ぶより、座り仕事の方が手っ取り早く村に貢献できる。その孝治の判断は間違ってはいないはずだ。実際に樹皮を解して糸を撚る作業を、孝治は短期間で習得した。
 とはいえ、この土地の人々の『男は狩りに出るもの』という固定観念の強さも、孝治は肌で理解している。そしてそれは、別の文化圏に脱出しない限り変わらないだろうということも。

「一応、訓練はしてるんだがなあ」
「訓練って、おまえ、夜中に家の中で弓を引いたり戻したりしてるだけだろうが。外で実際に矢を射てみろ。あんなので上手くなるわけないぞ」
「腕の力を鍛えてたんだよ……それに、外で矢を射るのは周りの目が痛い」
「そういえば、若い子達からは小弓のタカハルとか言われてたわねえ……」

 ここで言う小弓というのは、子供用の小型の弓のことだ。この地の子供たちは、小弓を用いて魚を獲り、弓の技術を学ぶ。以前孝治は弓の訓練にこの小弓を持ち出し、この地の子供がやるように、ひたすら地面めがけて矢を放っていたことがある。『小弓のタカハル』というのは、それを見た奴らが付けたあだ名だろう。日本で言えば『補助輪の孝治』と言ったところか。不名誉な呼称であることは間違いない。

「だが、いつまでもそんなあだ名を許しておくつもりは無いんだろう?」
「……それは、まあ」
「そうか。じゃあ、そうだな」

 カルウシパは一つ頷き、

「明日は村の男衆総出で熊狩りだ。いい機会だから、おまえはその隙に射場で弓の訓練をしてろ」
「いいのか?」
「いいも何も、おまえはちょっと働きすぎだ。たまには体を動かさないと、衰える一方だぞ」
「いや、朝飯食ってから夕方までしか働いてないんだが……」
「十分働きすぎだよタカハル……」

 太陽の高さから推測するに、この土地は東京よりも高緯度にあるだろう、というのが孝治の見立てだった。そしてチート翻訳能力を信じるなら、現在は太陽暦の三月らしい。日照時間は十時間前後といったところか。食事の準備やその他に使う時間を考えれば、一日の労働時間は八時間程度。現代日本人の孝治の感覚では、長時間労働というほどのものでもない。まして余所者である孝治が村の食料を分けてもらう以上、人一倍働くことは義務である。
 とはいえ、この土地の人々からすると、無駄口一つ叩かず黙々と作業する孝治の様子は相当奇異に写ったようで、同様の指摘は以前にも受けていた。

「というわけで、タカハルは弓の訓練だ」

 意味ありげに、カルウシパはルゥシアを見る。その目は雄弁に、『それでおまえはどうするんだ?』と語っていた。
 その視線を受けてルゥシアは少し考える。

「むむ……熊狩りは一度行ってみたいと思ってたけど、そういうことならタカハルの練習を見てた方がいいかな……」

 ニヤリ、とカルウシパは孝治を見た。孝治はその意図を理解し、ルゥシアに言う。

「教えてもらえると助かるな。どうにも矢が真っ直ぐ飛ぶ気がしないんだ」

 ……流石にその言い方はどうなんだ。

 カルウシパとオクルマは少し呆れたが、若い娘にはこれくらい情け無い言い方でちょうど良かったらしい。ぱちくりと目を瞬かせ、得意気に頷いた。

「仕方ないなあ。そこまで言うなら、明日は私がタカハルに弓の技を教えてあげるよ! すぐに一人前の男にしてあげるからね!」
「ありがたい。俺にも見栄があるから、男に教わるのも辛いと思ってたんだ。ルゥシアが教えてくれると助かる」
「ふっふふー。私の指導は厳しいからね!」

 調子に乗って弓を射る真似をしてみせるルゥシア。それを受けて苦笑する孝治。
 そんな二人を見て、カルウシパとオクルマは目を見合わせて笑うのだった。



















 明けて翌日。昨夜の約束通り、孝治とルゥシアは射場に来ていた。村から獣道を通って数分の位置にある、木立に囲まれた10m×20m程度の開けた空間である。日頃は男たちが暇つぶしに――つまるところ、彼らにとっては訓練ではなく――弓を引いているのだが、今日は貸切状態だった。
 事故防止のため入り口に訓練中の旗を立てると、孝治は借りた弓を数度弾き、感触を確かめる。とはいえ引くだけなら毎晩引いている弓だ。今更特に問題もない。
 この地に自生している中でも粘りのある木を選び、削りだして作ったその弓は、全長が1.2メートルほどの短弓だ。弓としては極めて原始的な形態だが、この地の人々は熊さえもこれで狩る。狩猟用としては十分だった。

「よし、とりあえず至近距離から撃ってみるかな」

 2メートルほどの距離をとり、孝治は幹が太くごつごつとした木を狙って弓を引く。番える矢はヘラ矢と呼ばれる魚撃ち用の矢だ。木材を削りだして作られており、先端がヘラ状で矢羽が付いていない。本来は件の小弓に番えて射る為のものだが、貴重な本式の矢を訓練で損じるわけにはいかないので、今日の訓練はこれを使うことにした。幸い、長さに不足は無い。
 呼吸を止め、肩の力を抜き、静かに右手を離すと、ビン、という反動と共に矢が放たれる。

「……一応真っ直ぐは飛んだか」

 放たれた矢は先端から高い音を立てて木に当たり、そのまま下に落ちた。
 水平射は初めてだったが、矢があさっての方向に飛ばなかったことに安堵する。孝治としては及第のつもりだった。

「どうですルゥシア先生。俺の射は?」
「うーん……なにから言ったらいいのかな……」

 しかしながら、この地で幼い頃から弓に親しんで生きてきたルゥシアは、全く納得していない様子だった。頭を押さえて渋い顔をしている。

「なにか間違ってましたかルゥシア先生」
「一から八くらいまで間違ってるよ! ……あとその祝詞口調やめて」

 ……本当に全く納得していなかった。

 首をかしげつつも、孝治は二射目を射ようとする。まずは箙から矢を取り、

「そこっ!」
「え?」

 鋭い叱責が飛んだ。孝治は動きを止める。

「え、なにか間違ってたか?」
「音を立てない!」
「お、と……?」
「そう!」

 ルゥシアは言う。弓の技は獣を狩るための技であり、狩猟の巧者とは、すべからく獣に肉薄する技術の持ち主なのだと。
 つまりこの地における弓術とは、遠距離からの命中率を競うものではなく。獣に気取られること無く至近距離から射て、確実に当てることが第一なのだ。

「だから矢を取る段階で音を立てるとか論外!」
「なるほど、深いですね先生!」
「だから祝詞口調やめて」

 丁寧語でさえ祝詞に聞こえるのか……。

 翻訳技能の扱いに一抹の不安を抱きつつ、孝治は言われたとおり、極力音を立てないよう、慎重に矢を箙から抜く。幸い指先の感覚の鋭さと器用さには自信がある。
 今度はルゥシアに叱責されない程度の静かさで矢を取ると、弓に番え、

「はいそこっ!」
「また何か間違ってたか先生!」
「イワテグさんとこのナジカちゃんが見てもすぐ分かるレベルで間違ってるよ!」
「そんなに!?」

 イワテグさんとこのナジカちゃんとは、御年5歳の女の子である。ガチ幼女だ。

「よく今まで誰にも指摘されなかったね……矢を置くのは弓の左側! なんで右に番えるの!」
「いや、俺の故郷の弓はこうだったんだ。左ってこっちか?」

 矢を弓手の人差し指の上に置いて安定させる。言われてみれば、アーチェリーはたしかこちらに矢を置くはずだ。ヨーロピアンフォームとモンゴリアンフォームだったか? 高校の部活の先輩がそんなことを言っていた。

「そうそうそんな感じ……って、月の国にも弓はあったの?」
「え、ああ、いや、まあ、俺は神官だから扱った事は無いが……」
「へー、素材は? やっぱり木?」
「いや、竹って植物が生えててな……いいから練習するぞ! 先に進まない!」
「ちぇー、せっかくじっくり月の話を聞けると思ったのにー」

 薄々気付いていたが、やはりそれが目当てだったのか、と孝治は心中苦笑した。
 この娘、どうも月の話に興味津々で、ことあるごとに話せ話せと言って来る。孝治も毎度は断りきれず、日本の話を適当にアレンジして語り聞かせるのが常だった。
 孝治としては色々と切なくなるので、あまり日本のことは思い出したくないのだが……。

「でも右に番えるって変だと思うけどなあ。何か理由があるのかな?」
「番える時に楽とかそういうことじゃないのか? 俺としては左に番えるほうが違和感があるが」
「……じゃあちょっと孝治しゃがんでみて」
「? 構わんが」

 孝治は弓を持ったまま片膝を付いた。

「そのままさらに姿勢を低くして。上体を伏せるような感じで」
「雪が冷たいんだが」
「いや、ホントに伏せなくていいからね? 前足の膝に胸を押し付ける感じで……そうそう」
「なあ、この姿勢きついんだが」
「我慢して。それで、矢を番えて引く」
「……ふむ」

 言われたとおり、可能な限り姿勢を低くして弓を構えようとするが、弓の下端が地面に当たって構えられない。
 さて困った、とルゥシアを見る。

「そこはね、こうするの」

 さっ、とルゥシアはしゃがみこみ、自前の弓で射撃姿勢を取る。両足を殺すことなく、限界まで低くした姿勢。そのまま弓を“斜めに寝かせて”引く。

「――ああ、なるほど」
「ね?」

 孝治は納得した。たしかに弓を傾けて射る場合、弓道式の番え方では矢が落ちてしまう。しかし矢を左に置けば、矢は弓の上に乗り安定する。

「まあ、ここまで姿勢を低くして射ることなんて滅多に無いけど。山の中で傾けて射る機会は多いからね」
「いや、納得したよ。矢の番え方一つでえらく変わるもんだ」

 こういった細かい作法というのも馬鹿に出来ない。そう改めて思い直した孝治は、その後もルゥシアに一から八くらいまで矯正されつつ、その後の訓練を続けたのだった。




















「で、どうだったの? タカハルの弓は」
「もう全然! でも素直に言うこと聞いてくれるから教え甲斐はあるかな」
「ははは……」

 ―――などという居心地の悪い昼食を終え、午後の訓練である。

 ビンッ

「ふむ。5メートルでも安定して飛ぶな」
「……普通の矢を使って練習した方がいいと思うけどなあ」

 孝治はルゥシアからの注意点をチェックしつつ、1メートル刻みで距離を伸ばし、飛行する矢の安定度を確認していた。
 矢羽の付いていないヘラ矢を安定した姿勢で飛ばすことができれば、矢羽の付いた矢を用いる際、空気抵抗による減衰を最小限に抑えて威力と飛距離を稼げるはずだ……という孝治の理論をルゥシアは今一つ理解していなかったが、弓使いとして難しいことをやっているのは理解できたのだろう。文句を言いつつも強く反対することはしなかった。ひたすら矢を放つ孝治のフォームを、横から確認して口出しするに留めている。
 そんな静かな時間がしばらく続き、太陽が若干の傾きを見せた頃、孝治はなんとなく呟いた。

「……こうしていると、高校の部活を思い出すな」
「ん? タカハル、コーコーのブカツってなに?」

 しまった、興味を引いたか。と孝治は己の不覚を悔やんだが、指もいい加減痛くなってきたので、休憩がてら月の――日本の――話をするのもいいかと弓を下ろした。

「部活ってのは……いや、その前に学校だな。学校について説明しよう」
「ガッコウ? なんか前に言ってたよね、子供が知識や技術を競う所だって」
「まあ、そうなんだが……前にした説明だと、部活に繋げるのが難しいんだよな」

 文字を持たず、貨幣経済に親しみの無いこの土地の人々に、学校という組織について教えるのは困難を極める。なにしろ教育の基礎である『読み書き算盤』が無いのだ。以前ルゥシアに説明したときは、『同世代の子供たちを集めて狩りや物作りの技術を競わせ、一番上手い奴を決める場所』のように説明したが、理解させるのに恐ろしく苦労した。
 以下、回想である。



「腕前なんて、そんなの普段の生活で分かるでしょ?」
「いや、初めて会う人にどのくらいの腕前なのか分かりやすく伝えるためにやるんだ。村で何番目の腕前で~って説明すると分かりやすいだろ?」
「そんなわけないよ。村によって特産品だって違うし、狩りの技や知識なんて、慣れてる山かどうかで全然違うよ」
「いや、教育ってのはある程度統一された基準があって……」
「??……仕掛け弓を上手に作れるかどうか、みたいな?」
「そうそう、どこの村に行っても通用する技術ってあるだろ? その上手い下手を分かりやすく伝えられるんだ」
「……でもそれって、生まれ育った村を離れるってことだよね? わざわざそんなことする意味ってあるの?」
「月の国だと会社ってのがあってな……ええと、共同で生産活動を行う集団なんだが、そこに所属する際に学校の成績が物を言うんだ」
「???」
「ええと、だから……この村でも、若い男がクゥルシペに出稼ぎに行ったりするだろ? そういう感じで、村と村の間で人材の交流があるんだよ」
「ああ、たしかにクゥルシペには力持ちの人とか頭のいい人とか、出来る人を出すよね」
「そうそう。そして会社ってのは……この辺で言ったらある特定の工芸品を作る集団なんだ」
「……お盆とか刺繍の衣とか?」
「そう。たしか交易品としてこの村でも作ってるよな? そして木彫り細工は、大体シムナプさんが作ってるはずだ」
「木彫りはシムナプさんが一番上手いからね。上手く出来たお盆の方がいい物と交換できるし、他の仕事より優先してもらってるよ」
「それだ。上手い人には得意なことをやってもらう。それが会社って集団なんだ」
「ええと……つまり?」
「シムナプさんは木彫りが上手いから木彫りをする。カルウシパみたいに狩りの上手い人は狩りをする。こういうのは分業って言うんだが、分かるか?」
「うん、まあ」
「この村だと皆で狩りをしたり、魚を取ったり、木の実を集めないと食べ物が足りなくなるが、月の国だと一人の人間が一日に二頭くらい鹿を仕留めて、日が沈むまでに一人で解体したりできる」
「えっ!? それは凄いよ!」
「凄いんだ。それでどうなるかというと、全員が狩りをする必要がなくなるから、上手い人だけが狩りをして、他の人は工芸品を作ったり薪を集めたり出来る」
「ふんふん」
「だから、物作りの上手い人たちが集まって交易品を作り、色々珍しいものや食べ物と交換してもらうわけだ。この集団が会社だな」
「ふーん、それで?」
「で、この会社に入るために学校での順位が重要になるんだ。学校っていうのは子供たちに狩りや物作りなど、一通りの技術を教える。だからここで子供の適性を調べて、向いている仕事を割り当てる。成績の良かった奴は、より良い会社に入れる」
「うーん……その良い会社っていうのがよく分からないんだけど」
「そうだな……たとえば木彫りだったら、木目の綺麗な木を回して貰える、とかかな。この村でもシムナプさんが一番良い木を彫ってるだろ?」
「あ、そうか。木彫り上手い人を集めて良い木を彫って売れば、より良い物が手に入るもんね!」
「そう! そのために大勢の子供を学校に集めて、向き不向きを調べるんだよ」
「へー、月の国ってややこしいんだね! それで学校ってどんな所なの?」
「…………」



 ……などというやり取りの末、結局孝治は『幾つかの村から子供たちを集めて、一緒に仕事しながら順位を決めるんだよ!』と説明をぶん投げた。
 ルゥシアも孝治の長々とした説明に嫌気が差していたのか、『楽しそうだね』とコメントしてこの時の解説は終わった。孝治の苦労はなんだったのか。

「高校ってのは、学校の一種だ。小さい子供から、小学校、中学校、高校って分けられてる。年長の子供が集まって訓練するところだな」
「へー、じゃあ私くらいの年齢?」
「……うん、まあ、それくらいかな……」

 たしかに孝治には人種の違いか高校生くらいにも見えるが……前に聞いてみたところ、ルゥシアの年齢は今年で12歳(翻訳能力によると満年齢)だそうだ。明らかに高校生ではないが、この地の基準だとそろそろ結婚適齢期である。子ども扱いできるギリギリの年齢だった。

「まあとにかく。年長の子供が集まって、高度な知識や技術を学ぶのが高校なんだ。そして部活っていうのは、その中でも特殊な技を見に付ける為の……研究集団?みたいなものだ」
「ケンキュウっていうのがよく分からないけど……つまりどういうこと?」
「うーん……」

 孝治は考える。この土地で特殊な技術と言えば何になるかと。そして孝治が高校時代に所属していた部活といえば……

「……毒だ」
「えっ、毒?」
「矢に塗る毒。あるだろう? たしか花から取る奴が」
「ああうん、たしかにあるよね。うちの秘伝が」
「そういう秘伝の技を伝えるのが部活だ」
「部活って凄いね!?」

 まあ一応、部活で習得できる技術は、大抵未経験者には真似できないものだし……この説明でいいや、と孝治は思った。

「ああ。俺は化学部に所属してたんだが、この部活は毒や薬の秘術を伝える集団だった」
「え、じゃあ孝治って毒とか薬とか作れるの?」
「いや、ここじゃあ手に入らない材料を使ってたし、それに俺の研究テーマは……」

 キラキラとしたルゥシアの目が眩しくて、孝治は言葉を濁した。
 思い出すのは狂気(SAN的な意味ではない)と混沌(這い寄らない)に乗っ取られた高校時代。先輩から無理やり言い渡された研究テーマ。明らかに化学部の守備範囲を逸脱する内容に抗議の声を上げたものの、『お前元柔道部だろ』の一言で圧殺された。訳がわからない。
 更には他の一年を差し置いて肉体労働を押し付けられ、孝治はいい加減嫌気が差して部活をバックレようとしたが……背後から忍び寄った先輩に、一瞬で拘束され連行された。もうマジでなんの部活だったのだろう。先輩方の戦闘能力は、明らかに孝治より上だった。一応孝治は県大会出場者だったはずなのに。
 まあ、二年に上がる頃にはその理由も判明したのだが……それにしても、おかしな高校に通っていたものだ。当時は諦めて受け入れていたが、大学では変な目で見られるのが怖く、高校時代の話が出来なかった。
 ついでに言えば中学も……いや、あれは柔道部と“アイツ”がおかしかっただけだ。学校自体は普通の中学校だった、はずだ。

「……まあとにかく、俺は毒とか薬は作れない。役に立てなくてすまないな」
「いや、謝ることじゃないけど……でもそっか、孝治って薬師だったんだね」
「そんな立派なものじゃない。見習いの見習いだ」

 言いつつも、孝治は高校時代に経験した実験を思い出してみる。もしかすると知識チートでヒャッハーできるかもしれない……などと思いつつ記憶を探る。
 だがしかし、高校の化学部でやる実験と言うのは、通常出来合いの薬品を用いるもので……サバイバルの役に立つようなものではない。いくら変人揃いの先輩方とはいえ、都合よくこの異世界で役に立つような知識を孝治に教えたことはなかった……多分。

「……うん、多分役には立てないな。残念だが」
「そっかー。孝治って色々知ってるし、何か凄いことが出来てもおかしくない感じなのに」
「前から言ってるじゃないか。俺が凄かったんじゃないって。月の国が凄かったんだよ」
「えー、でも私には想像もできないような話をしてくれるよタカハルは。この前のアスハ……ルート?だっけ? あれとか」
「ああ、アスファルトか」
「そうそれ! 岩を溶かして固めるとか、私には考えたことも無かったもん」

 そういやそんなことも話したことがあったなあ、と孝治は思い返す。
 この土地は寒冷地であり、春になれば日中は解けた雪で道はぬかるみ、夜になると濡れた地面は凍結する。だからイメージしやすいだろうと、アスファルトの舗装道路について話したことがたしかにあった。

「だからタカハルは、きっと何かできると思うんだけどなー」
「そんな無責任な……月の国の物は、月の国じゃないと作れないものが多いんだよ」
「うーん。あ、でも、タカハルは月の国を追放されて地上に来たんだよね?」
「ああ、そうだ」

 今更その話題に戻るのか?と孝治は首を傾げた。孝治が追放された話は、村では公然の秘密であり、あまり話題に上がることはない。他人の失敗話を話題にしないエヘンヌーイの人々の良識に孝治は感謝していたが、お世話になっている身だ、怒る筋合いでは無いとも思っている。そもそもフィクションだし。
 なので特段、気構えもせずにルゥシアの言葉を聞いたのだが、



「じゃあさ、タカハルの前にも月の国を追放された人って居るんじゃないの?」



 ……不意を打たれた。
 たしかにその通りだ。珍しい事例だとは皆思っているだろうし、孝治もそう思わせるつもりで振舞っていたが、前例が無いとは言っていない。

「だったら、タカハルの前に追放された人の話とか、タカハルなら知ってると思うんだけど……」
「…………」

 なるほど。
 孝治は少しばかり目の前の少女を見直した。つまり彼女はこう言っている訳だ。

 ―――下界に追放された人が居るなら、下界での処世術のマニュアルもあるはずだ。

 たしかに、ルゥシアの指摘は筋が通っている。前例に学ぶのは如何なる社会であっても――それが人間の社会であるなら――当然の話である。それこそが人間が言語を獲得した最大の意義なのだ。
 今まで孝治はひたすらにエヘンヌーイの流儀に従って日々を送っていた。そしてそうやって過ごす以上、孝治の生活能力が下界では極めて低い水準にあることは周知の事実だ。これを殆どの人々は、『孝治は役立たずだ』と納得しているはず。
 しかし孝治と会話する機会の多いルゥシアは疑問に思っているのだろう―――これほどに博識な孝治が、何故下界では子供並みの能力しかないのか、と。
 そしてこう思っているのだ―――タカハルの月の知識で、何か凄いことをやって見せて欲しい、と!

 ……ここまで考えると、孝治は思い違いを正そうと口を開いた。無垢な少女の期待に答えられない、己が不明を恥じながら。

「……いいかルゥシア。俺はたしかに月ではそれなりに色々な知識を修めた。だが、この土地ではあまり生かせないんだ」
「うん、それは分かってる。でも、」
「俺だって検討したさ。内政チートとか科学知識チートで一山当てられないかって。だがな、無理なんだよ。そもそも日本人が通常親しんでいる文化文明科学知識は、温暖な気候と豊富な水量による農業国家のものなんだ」
「うん。……うん?」
「翻ってこの土地はどうだ。高緯度亜寒帯性気候だ。水量には事欠かないかもしれないが、もう三月だってのに一面雪景色だ。一年の半分は雪で閉ざされると推測できる。おまけに一日の日照時間が短い。そうなると農業は絶望的だ。俺はこの村の外がどうなってるかよく知らないが、こんな小規模集落が自給自足の生活を送ってるって事は、物流が弱く経済活動が貧弱で広範囲を支配できる上位権力が無いってことだ」
「うん……なんか馬鹿にされてる気がするけど、なんだか難しくてよく分からないよ……」

 戸惑うルゥシアを尻目に、孝治はまくしたてた。
 彼自身、不本意ではあるのだ。役に立てないことが、現代知識チートできないことが。

「仕方ないことなんだ。土地の生産性が低いのも、流通が活発じゃないのも、全ては地理的条件のせいだから。だがな、土地の生産性が低いってことは余剰労働力が生まれないって事だ。そうなると文明は発達できない。言うまでも無く、製鉄技術も金属加工技術もないこの島の現状がそれを物語ってる。そして製鉄技術が無いってことは、戦争や海賊行為で領土や資産を獲得することさえ困難だって事だ。交流のあるフソの文明レベルが高度だって事は、この、」

 孝治は、腰に差していた山刀を抜いた。当然借り物である。

「山刀を見れば分かる。これの刀身はフソとの交易で手に入れたって話だが、こいつは鍛造品だ。高コストの鍛造刃物を、こう言っちゃ何だが、辺境の蛮族相手の交易に使える程度の余裕……生産力と技術力、さらに言えば軍事力の優越がある。おそらくは人口もこことは比較にならないはずだ。至近の文明がその有様じゃあ、外征による勢力の拡大は難しい。そして流通の悪さ。これも雪のせいだから仕方ないが、それにしたって統一国家がないのは辛すぎる。たとえ土地が貧しくても、気候的に農業に向かなくても、なんらかの革新的な政策を打ち出して一定の人的資源を集中できれば、状況を打開する可能性はあるかもしれない。だが現状じゃあ、小規模集落同士が低レベルの交流でお互いの生存を担保してるだけだ。これで一体どうしろっていうんだ!」

 よほど鬱憤が溜まっていたのか、孝治は地団太を踏んだ。

「俺だってなあ、できることならもっと暮らしやすい土地に落ちたかったんだよ……午後になっても雪が溶ける気配さえない、極寒の……いや、これは弱音か……」
「ええと、元気出して、タカハル」
「……すまん。とにかく俺が言えるのは、俺はこの土地じゃ役立たずだってことだ」

 心中で邪神を呪いつつも、孝治はルゥシアにそう言った。
 本当に、本当に悔しかったのだ。現代日本で14年間受けた教育が、全くもって異世界で役に立たないことが。学校の勉強なんか社会に出て役に立たないとはよく言われるが、よもやここまで無力だとは思っていなかった。せめて貨幣経済が発達していれば、帳簿をつけるくらいは出来たはずなのに……。

「期待に添えなくてすまんな……」
「……ええとね、タカハル。私が言いたいのはそういうことじゃなくて」

 項垂れる孝治に、しかしルゥシアは不思議そうに言った。

「こう、ね? タカハルの前に下界に降りた人の話を聞いてみたいなあ、って」
「ん? どういうことだ?」
「だからね、タカハルはいつも月の国の話をしてくれるけど、それと一緒に月の人の話もしてくれるでしょ?」

 たしかに、孝治はルゥシアと話す際、月の人の話と称して童話や小説などをアレンジして語り聞かせることがあった。むしろ月の国(日本)の話よりも多く聞かせていたくらいだ。

「だからこう、タカハルみたいに下界で苦労した人の話とか、聞いてみたいなあ、って」
「……え、もしかして物語が聞きたかっただけ?」
「そうだけど……?」
「Oh……」

 孝治は天を仰いだ。どうもルゥシアの言葉を深読みしすぎてしまったようだった。孝治にはどうにもそういう面があり、それは彼自身自覚するところではあった。
 なのでこれも、いつもの事といえばいつもの事かもしれないが……。

「それにしても、この勘違いは恥ずかしいぜ……」
「ええと。よく分からないけど、元気出して?」
「ああ……」

 とりあえず気を取り直すことにする。この手の切り替えの早さ、諦めの良さは、今までの人生で獲得した、孝治の得意とする能力であった。

「……よし。じゃあ下界に下りて苦労した人の話、だな」
「うん。私はこの大地……どころか、村から出たこともほとんど無いけど、いきなり遠い所に行くって大変だと思うんだ」
「そうだな、それは俺もつくづく感じてる。……しかし俺の前例、ねえ」

 孝治は、自分が“異世界トリップ”の主人公……あるいは探索者だと自覚している。
 なので、適当に思いついたトリップ物のテンプレを切り貼りして物語を作ってみようかと思ったのだが、

 ……どう言ったらいいんだ?

 困惑する。そもそも異世界トリップとは、端的に言えば異文化コミュニケーションを楽しむジャンルである。ほぼ単一の文化しか知らないルゥシアには、いささか理解が難しいのではないだろうか。

「どうしたの? 思い出せないの?」
「いや……」

 『遠くへ行く』というキーワードから、検索範囲を広げてみる。異世界トリップではなく、たとえばそう、もっと分かりやすい冒険活劇とか。

「そうだな……月から下界に降りて苦労した話よりも、もっとこう……船に乗っていて、無人島に流れ着いた話、とか……」
「船? 船って水に浮かべる?」
「そうだ。海って見たことあるか?」
「うん! 去年クゥルシペに行った時に見たよ!」
「よし、じゃあそれだ。ある所に船乗りの男が居て、船で沖に出た。すると嵐が来て……」

 行き当たりばったりに話を始めるのが、最近の孝治の語りのスタイルだった。
 最初に緻密に設定を作っていたところで、ルゥシアのイメージが追いつかなければ差し替えざるを得ない。なので、ルゥシアと掛け合いながら話すのが一番早かった。
 幸いにして、この物語のフォーマットは孝治にとっては親しんだ話である。この土地の常識にも最近は慣れてきており、差し替えは上手くいくはずだ。




















「……狼に荒らされた食料庫を見て、彼は柵を作らなくてはならないと決心した。簡単な作業じゃない。何しろ一人で丸太を切り出し、倉庫を隙間無く覆うようにしなくてはいけないのだから。だが、」
「……ねえ、タカハル」
「ん? どうした?」

 興が乗って話している所に水を差され、孝治は正気に戻った。
 先ほどから大人しいとは思っていたが、良く見るとルゥシアは詰まらなさそうな顔をしている。

「……つまらなかったか?」
「……うん」
「えー……」

 子供の頃によく読んだ物語を切って捨てられ、孝治はなんともいえない顔をした。それを見てルゥシアは、慌ててフォローしようとする。

「いやうん、結構面白い所もあったよ! 丸太で家を作る所とか、その発想は無かった!って感じで」
「あー、そういやログハウスって北欧発祥だっけ。ここでも作れるかな」
「うん! だからためにはなったよ!」
「そうか。じゃあ、一体どこがつまらなかったんだ?」
「……えーと、その」

 ルゥシアは言いよどみ、

「なんていうか……それって普通なんじゃないの、って」
「普通?」
「うん。獣を狩ったり、馬を飼ったり、穀物を育てて家を建てて……一人なのは辛いと思うけど、特別なことってしてないよね?」
「……なるほど」

 盲点だった。そう孝治が呟くほど、ルゥシアの言葉には説得力があった。
 というか孝治が馬鹿だった。生粋の狩猟採集民に、よりにもよってロビンソン・クルーソーを語り聞かせる……よく考えなくてもアホの所業である。
 さらに言えば、

「そうか。俺の生活、ほとんどロビンソン並だったのか……」

 そういうことである。
 おまけに異世界召喚であり、さらにゲームキーパーはアレだ。子供の頃に読んだ冒険物語の境遇より、二歩も三歩も悪質な状況に追い込まれていることを、孝治は今更ながら再認識した。

「……いや、言語チートで現地民と仲良くやってる現状、決して無人島漂着ほど悪くは無いはずだ。本気で異世界で無人島送りになってたら、毒草を見分けられなくてすぐに死んでる」
「タカハル?」
「なんでもない。しかし困ったな。冒険物語は駄目なのか……いや、まだ『失われた世界』と『海底二万マイル』が……」

 孝治は自分のストックしている冒険物語のタイトルを挙げていく。よほどロビンソン・クルーソーが受けなかったのがショックだったらしい。
 そもそも最初は異世界トリップについて語る予定だったのだから、こだわる必要は無いはずなのだが。

「ねえタカハル、もういいよ……。そろそろ弓の練習もしないといけないし……」
「いや、まだだ! まだ俺には虎の子の『神秘の島』が……『神秘の島』?」

 ふと、孝治の脳裏に、少年時代熱中した物語が浮かび上がった。
 『神秘の島』。十九世紀フランスの作家、ジュール・ベルヌの傑作である。無人島漂着をテーマにした所謂『ロビンソン物』の中でも、一際異彩を放つその内容は、今も孝治の脳裏に印象深く刻まれている。
 そしてこの時、孝治は、天啓の如くその内容を思い出していた。

「―――そうか、そっちか」

 思わず、呟く。

「そうか、異世界トリップと思うから、碌な発想が浮かばなかったんだ。そもそも現状を考えるなら、このシナリオの基礎は、無人島漂着、むしろ文明再建物のそれに近い―――」
「タカハル? どうしたの? タカハル?」

 不安げに揺すってくるルゥシアをスルーしつつ、孝治は一人頷く。

「となると、覚えていることを書き出し……いや、ここには紙も筆記具も無いか。せめて忘れないように、番号を振って毎晩点呼しておこう。あとは……」

 思考に没頭する孝治を、ルゥシアは困った目で見つめていた。




















 その後正気に戻った孝治は、夕方まで弓の訓練の続きをして、村に戻った。孝治がこの地にやってきた一月に比べると、最近は多少日も長くなってきている。
 村の中央では、ちょうどカルウシパ達が仕留めてきた熊の解体が行われていた。

「そういえば聞いてなかったが、熊狩りってどういうことをやるんだ?」
「えーっとね、山で冬眠中の熊の巣穴を見つけて、毒矢で射るの。雪が固まってから熊が起きるまでの間に獲らないといけないから、結構猟期が短いんだよ」

 『雪が固まる』とは、気温の上昇によって一度溶けた雪が、夜に再凍結する現象だ。極端に寒いこの土地では、厳冬期は午後になっても雪が溶けず、パウダースノーがいつまで経っても固まらない。この柔らかな雪は実に厄介で、山歩きを実質的に不可能にしてしまう。
 つまりここでルゥシアの言う熊猟は、寒さが和らぐ晩冬から春先にかけて行われる猟なのだ。

「ふーん。冬眠中の熊なんて、脂が落ちてそうだけどなあ」

 熊は秋に脂肪を蓄えて冬眠するが、実に数ヶ月に及ぶ冬眠の間、一度も栄養を摂らない。秋に増やした体重が、春には三分の二に減るとまで言われている。
 『脂がのっている方が旨いのに』という単純な孝治の論法に、ルゥシアは小さい子に対するような笑みを向けた。

「この時期の熊はお腹を空かせて元気が無いから、万が一目覚めても結構何とかなるみたい。でも夏や秋の熊は元気だから、襲われたらひとたまりも無いよ。仕掛け弓にかかるのを待つくらいかな」
「倉庫に置いてあるあれか……クロスボウみたいな構造してる」

 北方の狩猟民は仕掛け弓として、弩弓に似た仕掛け弓を使うとは小耳に挟んだことがあったが、実際見たのはこの地に来てからが初である。
 まあ、小耳に挟んでいる時点で結構珍しい方だろう。現代日本の大学生としては。

「うん。でも、人食い熊が出たときは別だよ。どんなに危険でも、自分たちから積極的に狩りに行かないと危ないから」
「人食い熊って……どうやって仕留めるんだ?」
「特性の毒があるんだって。私は見たこと無いけど、あっという間に肉が腐るから、普通の狩りには使えないって」
「肉が腐るって、強塩基じゃないだろうな……」

 恐らくは汚染の比喩的な表現だと思うが、そんなものを見る機会は無い方がいい。そう孝治は思いつつ、身震いした。
 そんな孝治を見て、ルゥシアは少し笑った。

「じゃあ、そろそろ行こっか。解体に参加しないと、取り分減るよー?」
「血を見ると未だに気持ち悪くなるんだがなあ……」
「血抜きはしてあるって!」

 あははと笑うルゥシアに、孝治は苦笑いを返す。
 苦手なものは苦手だ。ここでの生活を続けるうちに慣れてはくるだろうが、それでも、ここの人々のようにあっけらかんと解体出来る日が来るとは……この時の孝治には思えなかった。




 ―――この時は、まだ。
























後書き
 このわざとらしい説明回!

 とりあえず【習作】付けときました。
 もしかすると続きます。


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