「今日デートの約束してなかったっけ」
まるでこれから検察官から尋問を受ける被告人のような感覚で俺はこだまたんの質問に答えた。
「そ、その……忘れてました……」
「ふーん。彼女とのデートの約束忘れるって、それ彼女としておかしいですよね。私って彼女として忘れられるほどキャラ薄かったっけ?」
「いえいえとんでもない! 初対面で会長×私がどうのこうの言ってきたこだまさんのことを忘れるわけないじゃないですか!」
「そんなことはどうでもいいの」
「はい」
冷や汗だらだらの俺。お前ら覚えとけよ! おにゃのこは怒らせると怖い。しかも恋愛的な問題で怒らせると超怖い。俺は前世で『修羅場とか最高ですね^^ 僕毎日修羅場ssスレチェックしてますよ。エロゲ始めたのもそこの三角関係とか修羅場とかのまとめ見てからなのが始まりくらい好きです(`・ω・´)』というほどの修羅場好きだったけど、自分が修羅場に遭遇するとその気持ちも吹き飛ぶ。修羅場ってのは自分が被害を受けない神の視点から見ることでおにゃのこの嫉妬なんかをニヤニヤして見れるのだが、自分が男の立場だった場合(今は俺も女だけど)自分の立場ってものがあるからニヤニヤなんてできるはずもない。よく訓練された修羅場好きならともかく、ライトな修羅場しか好きじゃなかった俺に今の状況は割と普通にヘビーな状況だった。
「なにかいうことないの」
「ごめんなさい」
こういうときはすぐさま謝るに限る! というのが前世の俺の経験も含めた人生の処世術だ。前世ではおにゃのことは一人としか付き合ったことはないが。しかもその彼女は寝取られて、「ごめんね……わたし好きな人できちゃった……」とか言われて振られたので修羅場なんてなかった。その後、元彼女は新しくできた恋人(相手はセフレだと思ってたらしい)にいいように捨てられてまた俺のところに戻ってこようとしたが、軽く人間不信に陥っていた俺はそれを拒否したという過去がある。ぜんぜんどうでもいいね。
「それだけ?」
え、それだけとは何か。ごめんなさい以上に何かすることがあるというのか。そ、そうか! こういう場合おにゃのこは何かプレゼントすると喜ぶとか聞いたことがある。それに俺ってまだデートの埋め合わせの約束とかしてないし。こ、ここはこれしかない。
「そ、そそそうだこだま。今度駅前のデパートに3階分使った水族館ができるんだって。一緒にそこ行かない? もちろん全部私の奢りでいいよ! それにこだま前になんかBLビデオ欲しがってなかったけ。入手難しいから悔しがってたみたいだけど私ならつてがあるからそこから……」
「そういうことがききたいんじゃないんです」
やばいやばいやばい。何か選択肢間違ったか? エロゲならここで選択肢が目の前に出てきて『あ、そういう受け答え方もあるのか』と思いながら選択できるわけだがこれは現実! つまりノーヒント! 選択するときだけ目隠しの状態でエロゲをするようなもの……どうしようどうしようどうしよう。
「……まゆって今日女の子と遊んでたでしょ」
「待って! あれは別に浮気とかじゃなくてただの友達だよ! ほんとにただの友達! それに顔とか私の好みじゃないしさ! なんなら今から電話して確認してもいいよ! それにこだまとの約束よりちなみとの約束優先したとかは絶対ないから! これホンマの話やで」
「ふーん」
なんだこの目。据わってる。全然信じてなさそうな目。どうすれば信じてくれるんだ。
「あ、あああの。あの、私こだまのこと好きだし浮気なんて絶対するわけないよ。お願い信じて」
「わたしね……」
う、うっわあああ。この空気、前にも味わったことがある。前世で彼女に振られる瞬間のような空気……だめだ……耐えられない。ここは何かしゃべらナイト。
「私ね、ちょっと前から思ってた。まゆって全国2500万人もファンがいるんだよ。知ってた? だから私って日常的に嫉妬の視線に向けられてるし、結構身の危険もあるし、この前なんて拉致されかけたし、友達もいなくなったし、それに私がBL(ボーイズラブのことです)好きだって言うと『まゆたんの彼女のくせにBL好きかよ』なんていうわけわかんない誹謗中傷にも晒されてるんです。でも私まゆが好きだし、まゆだって私のこと好きだって言ってくれるから、全然そんなの苦じゃなかった」
「苦じゃないから、日常的に襲い掛かってくるナイフの嵐も笑って避けられたし、自分で作ったお弁当の中に毒が混入していても常備してる解毒剤で涼しい顔して解毒して食べたり、学校で机に『死ねブサイク』って油性マジックで書かれてもただの嫉妬だってクールに考えられたし、『俺たちが君の前でずっとBLするから、代わりにまゆたんと別れてくれないか』っていうイケメンの男の子20人の誘惑にも耐えられたんです。それなのに! それなのにまゆたんはひどいよ!」
なんか急にディープな話題を振られた。最初こそやべぇと思ってたけど最後の誘惑なんたらはなんなんだ。修羅場気分が一気に潮解した感がある。
「私、まゆと彼女なことに耐えられない! まゆのことは大好きだけど、簡単にデートの約束忘れられるような感情で、これからこんな仕打ちをずっと受け続けなきゃいけないなら私は、私は……20人のBLを選ぶもん!」
……は?
「もうしらないもん。もうまよわないもん。私、いまからその20人のBLたちと収録があるから。安心して。別に輪姦とかそういうのじゃないし乱交なんてしない。私が、撮るの」
そんなこと言ってねーよ! えと、つまり俺は20人のBLに負けたのか。なんじゃそら。ていうかなんで別れさせる工作のために20人のBLとか起用するんだよ。意味わからなすぎる。
「じゃあねまゆたん。私、今日からはまゆたんの一ファンとして応援する。だから私は、もうまゆたんの彼女じゃない。これからは……会員番号8のただのまゆたんのファンとして私は生きていきたい」
そう言って俺の前を去っていくこだま。俺はひょっとしたら追いかけるべきなのかもしれない。昔、海外一人旅のときに出会った日本人女性が言っていた。「私さ、昔は英語やイタリア語なんて全然話せなかったんだ。それどころか日本語すら危うい感じだった。それに私、3次元には興味ない時に『私はBLが大好きだぁ!』って周りに公言しちゃってたから男の人が寄ってこなかったんだ。だから引っ越そうって思った。それで、どうせ引っ越すなら海外にしようってことで海外に逃げた。でも英語なんてヘロゥとボーイとラブしかわからなかったし、何よりそのとき私、イタリアで英語が通じるとか思ってたから、すごく大変だった。だからこうして苦労して話せるようになったことってなんだか奇跡みたいに感じるの。だから、だからね、君とこうして香港で出会ったことって、運命だと思う。結婚しましょう。挙式は神道形式がいいな。やっぱり私たちって日本人じゃない。日本で挙げたい。私は君のことを愛してる」……と。
それは別に全然関係ないんだけど、俺は結局こだまを追い掛けないことにした。追いかけてもなんだか心を通じ合わせるようなことは不可能なような気がしたからだ。俺は、こだまが俺と付き合ってることでひどい目に遭っていたことに全然気づかなったし、気付かなかった自分が、今こだまの前で「俺がお前を守る!」だなんて言えるはずもない。それに何よりBLに負けたことがそういう俺の心の傷を抉って、いろいろなやる気というものを吸い取っていたからだ。
そして俺はフリーになった。
一晩寝ても、さすがに気分は爽快とはいかなかった。そりゃそうだ。みなこちゃんから振られたときも2日は寝込んだのだから一晩で綺麗に忘れましたーなんていう神経を俺は持っていない。最近なぜか流行りだした『唯ちゃん』型のNPCに家事を任せ、俺はホロTVでニュースをつける。
『速報! まゆたん別れる!!』
俺は飲んでもいないお茶を吹いた。
『今朝未明入りました情報によりますと、昨晩遅くに安里真由さんと付き合っていた一般人女性と、痴情の縺れの末、別れていたことが判明致しました。取材班の話では、情報が入るのが遅くなってしまって非常に申し訳なく思っているとのことです。また、この件に関連して、安里真由さんのマンションに盗聴器が仕掛けられていたことが判明致しまして、一般人の協力の元、先程逮捕に至ったという情報も入って参りました。詳しい情報に関してはこの後放送致します。では次のニュース。アメリカ大使館にテロリスト集団が侵入……』
とりあえず盗聴器が仕掛けられたせいで俺が別れたことがわかったらしい。実際自分の身の周りがこうも危険に晒されていると感じるとなんというか薄ら寒い思いになってくる。
『おねぇちゃ~ん。ごはんできたよー』
唯ちゃん型NPCが作ったなぜかちょっと焦げ臭い食パンを頬張りながら、俺は今日は騒がしくなりそうだと思っていた。
いつもの通りタクシーで学校に到着し、教室に入ると、ちなつがボコボコにされていた。
「ど、どうしたの?」
「なんかー 学校に来る途中に通りがかった男に顔を思いっきり殴られたらしいよー」
「そのあとどこにでもいそうなOLにハイヒールでお腹踏まれたらしいー」
「ランドセル背負った小学生の男の子に『死んじゃえバインダー』とかも言われたらしい」
「ダンプが突っ込んできたとかも言ってなかったっけ」
「な、なにそれ……」
瀕死のちなつが学校に来れたのはかなりの奇跡だったとも言えた。救急車呼んだ方がよかったんじゃないかと思ったが、なぜか119だけ繋がらなかったらしい。
「まゆが別れた原因が、クラスメートCだとファンたちが思ってたのが原因らしいよ」
久しぶりのみさきがそう声をかけてきた。まぁそう言えなくもないが、悪かったのは私だし、なんかすごく申し訳ない気分になってきた。
「ねぇちなつ。立てる?」
「う……うん。なんとか」
「まゆがちなつのことをちなつって呼んでる……」
非常に驚いたという目でみさきが俺のことを見てきた。その驚いたという目はあんまり嬉しくない。俺だっていつまでもクラスメートCだなんて呼びたくないのだ。主にタイピング的な意味で。
「それと、あんまり優しくするとまたちなつへの暴力が激化するからやめたほうがいいと思うよ」
みさきのセリフに俺は差し出した手を引っ込めた。俺の手を取ろうとしたちなつの手は空を切り、ちなつは地に倒れ伏した。
「ちょ……まゆぴーもみさきちもひどくない?」
床に倒れた状況でこちらに苦言を向けてくるちなつ。だがこれは優しさなのだ。さすがに友人の葬式なんて出たくない。出費が惜しいのだ。
しばらくすると、みんなちなつへの配慮することに疲れたのと、飽きたのが加わってか、自分の席へと戻って行った。あまりちなつに構っているとホームルームが始まったときに『はやく席につかないと私の教科の評価さげるぞー』と教師に怒られるというのもある。ちなつの命と自分の評定、どちらが大事かと言われれば皆迷わず評定! と言い出すだろう。
「薄情者ー!」
ちなつの悲痛な叫びと共に、今日も一日が始まった。