葬儀場から戻ってきた俺は、事の顛末を原警部補に伝え終えると、今後のことについて相談を持ちかけた。「つまり、ゾンビから逃げるだけじゃなくヤツラを倒さないと駄目ってことか?」「一時的に川向こうに避難する事は必要ですが、最終的にゾンビを排除して町と生活圏を取り戻さないと駄目でしょう」 こんな事態に陥ってからまだ僅か数時間だが、生き残った人間が今後も長期に渡り生き続けるためには避けては通れない。「しかし他から救助が来る可能性も有るだろ?」「本州。もしくは外国からですか?」「ああ、北海道が全てこんな有様だったとしても、世界中って訳じゃないだろ?」 俺は、何の確証も無いので口にはしなかったが、ゾンビの発生は世界中で起こっている可能性が高いと思っている。 もしくは黒幕となる国家が存在し、それ以外の全ての国がゾンビに──などと007シリーズのような世界的陰謀だって笑い飛ばせる状況じゃない。「わかりません。でも来るかどうか分からない救助を当てにして何もしないというのはどうでしょう?」 だが今はそうとしか答えられなかった。「ああ。それはわかるんだがな」「じゃあ今後の食料はどうします?今日明日の問題なら良いですが、それ以降になると……」「頭痛いな……」 富良野は農業が盛んで、食べるものさえ選ばなければ町の人間の胃袋を支えきれるだけの生産力はあるだろう。 しかし、そのためには早急に富良野全域を生活圏として取り戻さなければならない。 これからライフラインが使えなくなる可能性が高く、また燃料の問題で機械の使用も制限される。その事を考えると今すぐにでも手を打たなければ来年どころか今年の収穫にも影響が出てしまう。 それ以前に、現在各家庭に備蓄されてる食糧も精々1週間が限界だろう。 当座の食料の為に、企業の店舗や倉庫から食料品の供出をもとめるにしても、やはり町からのゾンビ排除は絶対に必要だった。「大体ゾンビってどれくらい増えたんですか?」「詳しい数字はまだ把握してないが、1000か2000かそれくらいだろ」 原警部補の口から出た数字に驚きを覚えた。「意外に少ないですね」「意外か?」「もう一桁上かと思ってましたよ」「そんなに増えられたら、人口1万と少しのこの町はとっくに終わってるさ。早い段階でパトカー走らせて町中の人間に注意を呼びかけたから。ほとんどが家で閉じこもってるから被害者が増えなかったんだろう」 その程度の数なら、自衛隊の力を借りなくてもゾンビの排除は可能かもしれない。 もっとゾンビの数が多いと勝手に思い込んで没にしていたアイデアを口にする。「だったら、ゾンビをどこかに誘導して隔離できませんか?」「隔離?」「2000人くらいなら、街外れにでも深さ2mを超えるくらいの大穴を掘って、そこに誘導して落とすことは出来ませんか?」「現実的じゃねえな。町中の重機をかき集めたって、そんな大穴掘るのに何日掛かるやら」 専門的知識の無い俺はそう言われると黙って頷くしかなかった。「それでは、どこかの学校の体育館に誘導して閉じ込めるのはどうですか?」「学校の体育館じゃは2000人は入れてもぎゅうぎゅう詰めだろ。そんな狭いところに上手く入ってくれる訳……待てよスポーツ公園の体育館なら……おい、どうやってヤツラを誘導する気だ?」「落とし穴なら、連中は目と耳で獲物を探しているようだから、夜に花火でも使っておびき寄せればと考えてたんですけど」 それに比べると、建物の中に誘導するのは数段難しいと思う。「目と耳か…・・・連中。鼻は利かないのか?」「葬儀場で取り残されたゾンビに噛まれてない患者が、結構な時間ゾンビと同じ部屋にいましたが、興味を示す様子は無かったはずです。興味を示すのは動くもの人の形をしたもの──立った姿勢とか分かりやすい場合だけですけど──それに音に反応することは確認出来ましたが、臭いに反応するなら患者に襲い掛かってた筈じゃないですか?」「おい北路、連中は所詮は元人間だぞ。犬じゃ無いんだぞ。よほど臭くなければ近づかない限り体臭なんて分からないだろ」 原警部補は呆れ顔。俺は目から鱗が落ちた気分だ。「そうだな。美味そうな食い物の強い臭いとかだったら連中だって反応するんじゃないか?」 そいつはそうだ。映画の中で何処からとも無く集まって、主人公たちが立て篭もる巨大ショッピングモールの周囲を埋め尽く場面なんかで、俺は漠然とゾンビは動物のような嗅覚を持っていて、人間のわずかな生活臭を遠くからでも嗅ぎ付けているのだろうと思い込んでいた。 だから実際のゾンビが葬儀場のホールで担架の上で動かずにいた患者を襲わなかったので、映画とは逆に鼻が全く利かない判断してしまった。 原警部補の言う通り連中は元人間だ。生きてる人間と同程度には鼻が利く可能性が高い。「ありえますね」 大きく頷いてそう答える。「だろ……試してみるか?」「ここでですか?」「そうだ。おい山口!」 原警部補はバリケードの見張りをしている山口巡査を呼ぶ。「なんでしょう?」「俺が見張りを代わるから、ちょっと署に戻ってラーメン作って来い」「ラーメンですか?」「俺の机の下のダンボールの中のインスタントラーメンだ。俺とお前とこいつと嬢ちゃんの分だ。ついでに冷蔵庫に入ってるおろしニンニクを入れて、臭いくらいにニンニク利かせろよ。臭いが大事だからな」 そう、実は今までの会話の間中ずっと文月さんはこの場に居た。 この場というか、俺の左手にしがみ付きピッタリと身を寄せて片時も離れようとしない。 葬儀場の一件以来、ずっとこの調子だ。 原警部補はそう議場から戻ってきた俺たちを見た時、一瞬含みのある微妙な表情を浮かべたが、その後は文月さんに関しては今まで何も触れずに居てくれていた。 一方、山口巡査は俺にしがみつく文月さんの姿を見て、俺へ嫉妬と羨望交じりの視線を送ってくる。 彼がロリコンであるという疑いは確信に変わる。こんなのが警察官で良いのかと俺の中で警察全体への信頼が揺らぐ。「この騒ぎで、朝から何も食ってないんだ。さっさと作って来い」「でも食器がありません。係長と同じ鍋からラーメン食って変な病気を貰うのは嫌ですよ」 この男、結構良い性格をしている。「なっ!」 一瞬で顔を真っ赤にした原警部補が怒りに言葉を詰まらせたタイミングで文月さん割って入る。「大丈夫です。車の中にキャンプ用の使い捨ての食器が有りますから」 文月さんも今日は起きて何も食べてないはずだけあって積極的だ。「了解です!」 原警部補が怒りを爆発させる前に山口巡査は素早く逃亡を果たした。「凄い効き目ですね」「そうだな」 ラーメンの臭いに釣られて、学校の机と椅子で作られたバリケードの向こうには大量のゾンビが集まって来た。 金属製のワイヤーで連結されたバリケードが軋むほどの圧力がかかっていて、文月さんは怯えてより一層俺に身を寄せている。 原警部補は全く怯えた様子もなくゾンビたちを睨みつけながらズルズルとラーメンを啜っている。 意外なのは山口巡査で怯えるとかいう以前に、バリケードをはさんで直ぐ前にいるゾンビに何も感じていないように飄々としていた。「ところで文月さん、結構ニンニク強いけど大丈夫?食べられないなら、他のカップラーメンとか俺持ってるよ」「いえ、大丈夫です。私ニンニクとか結構好きですから」 流石に今は俺の手を離し、何処か小動物を思わせる仕草でラーメンすする。 そんな彼女を、少し離れた場所から見つめながら「14歳の少女がニンニクラーメンチャーシュー抜きを……ハァハァ」と呟く山口巡査。「誰か警察呼んで下さい。ここに変態が居ます!」 俺は悲鳴を上げる。「安心してください。私が警察官です」「チェンジ!まともな警察官をお願いします」「ずいぶんと失礼ですね」 などと2人でミニコントをしていると、原警部補の拳骨が山口巡査の頭に帽子越しに突き刺さる。「お前が警察官をやってることが警察と市民に失礼だ!ったく最近の若い奴は──」「警察にもあんなのが多いんですか?」 両手で頭を抱える山口巡査を箸で差しながら尋ねる。「少なくないな。まあ奴も実害の無い程度だから採用されたんだろうがな」 そう言いながら麺を啜り終えると、残った汁をバリケードの外に撒く。 するとバリケードの隙間から、ゾンビたちが一斉に這いつくばって地面を濡らすスープに舌を這わし始めるのが見えた。「使えますね」「使えそうだな……上に掛け合ってみるか。山口ぃ!」「は、はい係長!」「ちょっくら署長に掛け合ってくるから、お前が代わりにここにいろ」 指示を下すと原警部補は警察署を目指して駆けて行った。「食べ終わりましたか?」 箸を止めた俺に気付いた文月さんが声を掛けてくる。「うん」「じゃあ片付けます」と食器に手を伸ばそうとする彼女を「ちょっと待って」と押し留める。 そのままスープが残った食器を片手にバリケードの一部に足をかけて登り、上からゾンビたちを眺めると、ちょうど手前にゾンビが居たので、そいつに頭からスープをたっぷりと掛けてやった。「うぁぁぁぁぁううううぅ」 別に熱さを感じている訳でもないのだろうが、興奮したかの様な呻き声を上げる。 すると、周囲の他のゾンビたちはスープが掛かったゾンビの頭髪や服を引っ張り始める。 そのまま共食いに発展するかと期待したのだが、残念ながら揉み合いへし合い程度で終わってしまった。 バリケードから降りた俺は、空になった食器を文月さんに渡すとメモ帳を取り出して先程の葬儀場での体験と共に、原警部補の考察や今の実験結果を書き記す。「色々やってるんですね」 書きやすいとは言えないメモ張と格闘している俺に山口巡査が声を掛けてくる。「情報が無ければ対策が立てられないからな。今日突然現れた未知の化物、少しでも情報を集めて対策を立てなければ生き残れないだろ……」「そう……ですね」 俺の言葉に山口巡査は彼らしくない神妙な面持ちで頷きながら、自分自身に言い聞かせるように呟いた。