「向こう岸は安全だ。早く橋を渡って山中って人の指示に従ってくれ」 橋を渡った俺達は、橋から100mほど離れた場所で、ゾンビを跳ね飛ばして止めを刺しつつ生存者たちに指示を飛ばす。 出来るだけゾンビを橋の傍に近づけないようにクラクションを鳴らしては、こちらに引き付けつつ、一体また一体と片付ける。 そうやって10分ほど時間を稼ぐと、後方から3台のトラックがクラクションを鳴らしながら橋を渡ってくる。「山中さんたちです!」 こちらもクラクションで返事を返すと、後の事は彼らに任せて国道38号線沿いの警察署を目指して車を走らせた。「そう言えば、北路さんって強いんですね」 助手席で新しいメモの写しを作っていた文月さんが唐突に口にする。「そうかい?」「あの飛び跳ねながらのキックは凄かったと思いますよ」 飛び跳ね……ああ旋風脚のことかと聞き流す。「どうかしましたか?」 何か会話の取っ掛かりが欲しかったんだろうが、あまりに反応の薄い俺の態度に少し困った顔をする。「あのね。いい歳した大人は腕っ節が強いとかはあまり自慢にはならないんだよ」「そうですか?」「喧嘩が強いとか言うのは、中学生くらいまでは自慢になるかもしれないけれど、それ以降は腕っ節の強さで生計を立てる人間か、もしくは馬鹿以外は、生きていくにも邪魔になる類の能力なんだよ」 自分の顔に自嘲の笑みが浮かぶのが分かる。「何でですか?」 全く理解できていない様子の文月さんに説明することにした。「じゃあ文月さんは、街中で突然喧嘩して殴り合ってる大人を見たことある?」「いえ、見たことはありません」「日本は平和だからね。精々夜の繁華街で酔っ払いが揉めてるのを見る程度で、本格的な殴り合いは滅多に見かける光景じゃない。つまり喧嘩なんてその程度の頻度でしか起こらない。極々稀なイベントなんだよ」「でも邪魔にはならないですよね」「ところがね。なまじ鍛えてあると技とか体力が鈍っていくのが耐えられなく感じられて、練習とかしちゃうものなんだよ。さっき言ってた蹴りは旋風脚って言う技だけど、身につけたのは中学生の頃で、今日使うまでは一度も役に立った事は無いよ。でも身体が忘れないように練習はしてたよ……無駄だったと思わない?」「そうかもしれません」「つまり喧嘩に勝つ事てる努力なんてするより、喧嘩をしないで済む方法を考えるのが正解だ」 そんな話していると、前方の交差点の手前を塞ぐようにバリケードが作られているのが見える。 またバリケードの方からは連続した発砲音のような音が響き渡り、文月さんが助手席で身をすくませる。「警察……かな?」 富良野は場所柄、狩猟もそこそこ盛んで銃砲店が市内にあり猟友会の支部もあったはずなので銃声だけで警察とは判断できない。ゾンビからの自衛のために猟銃を持った一般人が発砲している可能性もありえる。 突然撃たれたりするのが怖いので、クラクションを断続的に鳴らしながら、ゆっくり徐行でバリケードに向かう──途中クラクションに反応して寄ってくるゾンビは、はね飛ばして止めを刺す。 バリケードに助手席側を横付けさせる形で停車する──バリケードは学校でおなじみの机と椅子を積み上げてテープで固定して作られていた。 クラクションを短く三回鳴らすと、バリケードの隙間から制服姿の若い警察官が顔を出したので助手席の窓を少し開けて話しかける。「市外から来ました。どうなってるんです?」「市外?何処です?」「俺は札幌で、彼女は岩見沢です」「札幌ですか?今札幌はどうなってるんです?」 彼も町の外の様子が知りたかったのだろう興奮気味に尋ねてくる。「とりあえず中に入れてくれませんか?」 既に運転席側の窓の向こうには何体ものゾンビが集まっていた。「バリケードのそこを開けるので一度下がってください」 そう言って彼が指差す先はバリケードの壁が机や椅子ではなく白と黒のツートンカラーに塗られた警察仕様の1BOXだった。「開いたらすぐに入れる場所に移動してください」 彼の指示に従いハンドルを右に切ったままバックで下がり距離を開けて、1BOXに車の頭を向ける。 するとバリケードの中から、この車を飛び越すように何かが飛んできた。。 小さな火花を飛ばしながら飛んでいく赤と緑のカラフルな物体が爆竹の束だと気付いた瞬間に空中で弾けて爆音を上げ始める。「さっきのは銃声じゃなく、この爆竹か」 爆ぜながら車の後方に落ちた爆竹は地面に落ちた後も爆発を続け、その音と煙に興味を刺激されたゾンビ達はバリケードから離れる。 するとタイミングをはかっていた1BOXが動いて入り口を開けた。 手招きする警察官の指示に従い、バリケードの中へ車を乗り入れると背後で1BOXが動いて入り口を閉鎖した。 道路脇に車を停めて下り、待ち構えていた警察官に声を掛ける。「どうも俺は北路圭太です」「富良野警察署の山口です」 まだ二十歳位だろう。ひょろりと背の高い何処か頼りなく感じる警察官が折り目正しい敬礼をこちらにおくる。「あ、あの私は、文月廉です。よろしくお願いします」 普通に生活してる限りあまりお目にかかることの無い間近での敬礼に驚いた文月さんは深々と頭を下げる。「こちらこそよろしくお願いします」 文月さんへ声を張る山口さんのあまりにも嬉しそうな表情に「こいつはロリコンに違いない」と勝手にレッテルを貼った。「先程、札幌から来たと言われてましたが、他の町の状況はどうなっているのでしょうか?」「俺が札幌を出たのは昨日の朝で、その時点では何も異常はありませんでした。札幌から新篠津を通って岩見沢に出て、そこから桂沢湖へ抜けて昨晩は岩見沢からの途中の山の中で過ごしたから、今朝彼女と合流するまでは異常に全く気付きませんでした」「山の中ですか?」 不審そうな目を向けてくる。「俺の移動手段はあの車の後ろに積んである自転車ですよ。予定では昨日の夜には富良野入りする予定だったんだけど途中で力尽きてね」 RV車の後部の荷台を指で指し示す。「そうですか、それは大変でしたね」「むしろ幸いでしたよ。昨晩の内に富良野にたどり着いてテントで一泊していたら、今頃どうなってたことやら」「そ、そうですね。では彼女とは一体?」 その質問に、俺は文月さんを見やり「俺から話すかい?」と聞く、まだその話に自分から触れたくは無かったのだろう彼女は小さく頷いた。「彼女は岩見沢に住んでいて、早朝異変に気付いて祖父母と共に──」 彼女が俺と出会うまでの経緯を説明した。「そうですか、お祖父さんとお祖母さんを亡くされたんですか」「どうした山口!」 山口巡査の背後から、年かさの男性が現れる。「あ、係長。先程こちらの北路さんと文月さんの2名を保護しました」「富良野警察署の原です」 原さん──階級は警部補とのこと、40代中ごろから50代前半だろうか、中肉中背というより中背中年太りで山口さんには無いベテラン刑事的な威厳が感じられる。 文月さんの事。彼女の祖父母のこと。出会ったゾンビから得た情報。橋の向こう側の状況を彼らに伝える一方で、俺たちも富良野市で起きた情報を知ることになった。 富良野市において今回の騒動に関する一報が警察に届いたのがが午前7時頃。 不審者の報を受けて現場に直行した警察官が発見し、二人掛かりで取り押さえようとするも抵抗を受け、警察官一人が首を噛まれての大量出血の重症を負う。 もう一人の警察官は襲われて左の肩と腕を噛まれ負傷し、危険を感じたためその場で犯人を射殺する。 救急車と応援の要求を無線で連絡し終えた警察官が見たのは、重症の相棒と自分の手で射殺したはずの犯人が消えた血まみれの現場。 それから、わずか30分後には事態は通常の警察業務で対応できる段階を一気に通り越してしまっていた。 しかし、ここまでは想定の範囲内であり、俺たちを驚かせる状況は更に時間を遡って起きていた。 昨夜の2時過ぎ頃、突如として電話や携帯の連絡手段が途絶えテレビ・ラジオの公共放送も全て沈黙する。 更にその後しばらくすると道警旭川方面本部との無線連絡も途絶え、異常事態の対応を仰ぐために次長を含む数人の警察官が車両で昨晩の内に旭川へと向かったが、彼らもまた音信不通となった。 朝の事件で、めったに銃を撃たないはずの警察官が犯人への発砲したのも、そのような異常事態が後押ししていたと思われる。「単にいきなり北海道中にゾンビが現れました。なんて状況じゃないわけだ」「どういうことですか?」 俺の自分に言い聞かせるための独り言に文月さんが反応する。「ゾンビの感染拡大が速すぎるって話したよね」「はい。人を介して感染が広がったのではなく、原因となる何かは人為的にばら撒かれた可能性があるって話ですよね?」「ゾンビの発生と、電話やテレビが付かなくなったのは偶然重なっただけだと思う?」「……いいえ」「つまり人間がゾンビになるという想像もつかないインチキ。それと同じ位の出鱈目が同時に行われたんだよ……こりゃあ参ったね」 思った以上の深刻な事態に、軽口の一つでも叩かないと精神的バランスがとれない。「でも一体誰が……誰にそんな事が出来るんですか?」「神か悪魔か宇宙人のどれかまでは絞れたんだけどね」「そうですか……」 俺の冗談はそっけなく流されてしまった。「警察はこれからどうする予定ですか?」 原警部補に尋ねる。「現在、富良野高校と警察署の周辺をバリケードで固めて、校舎に市民を避難させているが、まだほとんど市民の避難が済んでいない状態だ。高校の裏にある五条大橋を渡った南側ではヤツラの姿が確認されていないから、少しずつそちらに避難させて行く予定だ。自宅などに残ってる住民にはパトカーが街中を回って避難を呼びかけている」 よくこの短時間でバリケードを作って道路を封鎖し、避難した市民の受け入れまでやってるものだと感心する。「それと頼まれた応援を新空知橋へ送っておいたぞ」「ありがとうございます。それで怪我人の処置はどうします?」「ヤツラと同じになるから拘束しておけという話か?連絡はしたが強制は出来んよ」「断られましたか?」「念のために、ヤツラに噛まれた怪我人と今回の騒ぎに巻き込まれ怪我した人を別の部屋に移動させるとは言ってたそうだが……」 苦渋の表情を浮かべると語尾を濁した。 突然警察から怪我人を治療せず拘束しろと言われて、黙って従うよう人間に医師や看護士としての適正があるとは思えない。 実際にその身を持って体験したのでも無い彼らに、こちらの忠告など自らの仕事に対する侮辱以外何ものでもないだろう。 彼等の職業職業意識の高さが理解できるだけにやるせない……「医師や看護士の数と、怪我人の数は分かりますか?」「医者と看護婦か?医者は2人で看護婦が確か5人。患者は数は全部で40-50人はいただろうか。後ボランティアが……何人だろう多分10人はいなかったと思う」 一斉に全員がゾンビ化するわけではない、最初のゾンビ化が始まった段階で彼らが不用意に近づくのを止めさえすれば、被害は防げるし噛まれた人間がゾンビになるという実例を示すことも出来る。「何処で治療してるんですか?」「あそこに葬儀場があるだろ?あの中だ」 彼が指差す方向に、大手冠婚葬祭会社の看板が出た建物を指す。 テレビCMでは冠婚葬祭を強調しているが、その台詞が視聴者が抱くイメージを代弁していた。「治療室は広さは?」「大ホールを使ってるからかなり広い」 十分な広さがあるなら、逃げるのも難しくないか?「行く気か?」「行きたくは無いけど、医師や看護士に死なれたら困るでしょ」「俺は警察官だ。医者だろうが看護婦だろうが誰だろうが、所轄で死なれたら俺の責任だ」「そういう意味じゃないんですけど……大体責任って、今更誰が文句を言うんですか?」「今更だと?今更だろうが俺は最後の最後まで警察官だって決めてるんだよ!」 彼の言葉に何か引っかかるものを感じながらも、不甲斐ない一離職者としては原警部補の高い職業意識に敬意を抱く。そして、だからこそ彼と同じように自分の仕事から逃げ出さない医師たちを助け無ければならないという思いが強まる。「原警部補。今は看護婦じゃなく看護士って呼ぶんですよ」「うん?ああそうか、面倒くさいな……っておい何処に行く」 話をはぐらかし、後ろから呼び止める声を無視して、RV車に乗り込むと後部座席のデイパックを漁り、昨晩寝袋の中で手に持って寝た熊避け用の爆竹とライターを取り出し、ウェストポーチに押し込む。 先程、俺達をバリケードの中に入れるために山口巡査が爆竹でゾンビたちの気を引いたのをいざとなったら真似させて貰うつもりだ。「じゃあ、文月さんは後は原警部補の指示に従ってください。原警部補。文月さんの事をよろしくお願いします」 そう言い残して立ち去ろうとすると、素早く文月さんが俺の腕を掴んだ。「わ、私も連れて行って。北路さんを手伝います」「えっ!?」 彼女の言葉に驚く。とんでもない出来事続きの本日でも五本の指に入る驚きだ。「いや、あの……でも」 時折明るい表情を見せてくれる様になってきたが、祖父母を喪ったショックは未だ抜けきれずゾンビに対しても恐怖感を示す。 そんな彼女の突然な積極的な主張に、どう断ったら良いものか咄嗟に言葉が出ない。「私は北路さんがゾンビ相手にどんな風に戦うか見てきました。ゾンビがどんな相手かもわかっています。だから囮役でも何でも力になれます」 確かに俺と同じくらいにゾンビの事を知り、俺のゾンビへの対処法も知る彼女のサポートは大いに助かるが……「いや、でも危険だし」「そうだ嬢ちゃん危険だ」「もう危険じゃない場所なんて有りません」「そりゃあそうだけど……」「私行きます!」 連れて行けじゃなく行きますときた。つまり置いて行っても勝手について行くという事だ。 困り果てた俺は、助けを求めて原警部補を見る。「手の空いてる奴を向こうに行かせるから待て。良いな?」「そんな時間は無いはずです。私の……私の祖母は手を少し噛まれただけだったのに、それだけで2時間半も経たずに……」「そ、そうかすまねぇ」 お祖母さんのことを思い出し言葉を詰まらせる文月さんに、原警部補はどうしたら良いか分からない様子だ。「何を押し切られてるんだ、止めろよおっさん!」 つい俺も地が出て口が悪くなる。「うるせえ、俺はお前が行くことだって認めてねぇよ。大体誰がおっさんだ!」 原警部補と揉める俺に痺れを切らしたように文月さんは一人葬儀場へと歩き出してしまう。「待つんだ!」 追いかける俺を振り切るように走り出す。「畜生!死ぬな!死なすな!分かってんだろうな!」 持ち場を離れることが出来ない原警部補の叫びが背中を叩く。「お前が死んだら責任は俺が背負う!だけどその子が死んだらお前の責任だ!例えお前が死んだってゆるさねぇ!女の子一人守れなかった糞野郎って何時までも語り継いでやる!」「黙れおっさん!俺は誉められて伸びる子だ!変なプレッシャーは止めろ!」「良い歳して何が伸びる子だ。お前に伸び代なんて残ってるか!」 そんな怒鳴り合いをしながら文月さんを追って葬儀場のエントランスへと走った。