暴徒化しかけ車を取り囲む連中をクラクションで追い散らし、走り出して1kmも行かない内に、空知川に掛かる新空知橋に差し掛かる。 川幅50mほどの豊かな水量を誇る川の流れを見て思うのは「これならゾンビは川を渡れないな」という現実的な感想だけだった。 300mほど先、橋の向こう側に数十人単位の人影を発見して車を停める。 文月さんが双眼鏡で確認したところ、こちらへ逃げてくる人々と、それを追うゾンビたちが何体か集まって来ているとのことだった。「早く橋を閉鎖しないと、こちら側もゾンビで溢れかえるのにな」「閉鎖は無理ですか?」「残念だけど、俺だけでは対処できないよ。人手が10人も居れば何とか出来るんだろうけど」 まるで聖書のソドム滅亡の話のようだと思う。ソドムの町に10人の善人が居れば神はソドムの町を滅ぼさなかったというが、この場に自分たちの町を守る為に行動する人間が10人も居れば、川のこちら側に住むだろう人々は目前の破滅からは逃れることが出来るのに……「北路さん。あれを!」 緊張した声に文月さんへ振り返る。彼女が指差す後方に目をやると数台の車がこちらに向かってきた。「連中頭に血が上って追って来たのか?」 最悪の事態を想像し、車を発進させようとするが、その暇も無く一台の車に横付けされる。「おいあんた!」 停車と同時に五十がらみの男性が金属バットを片手に車を降りると、ドア越しに大声で話しかけてくる。 やはり頭に血が上った馬鹿どもか? 仕方なく窓を開ける一方でRV車の前方は車で塞がれているわけではないので、最悪こいつ等を轢いてでも逃げる覚悟を決める。「橋を閉鎖するって言ってたな。どうやってやる気だ?」 そう言うバット男の顔に見覚えがあった。先程の人だかりの中で俺の話に一応納得する姿勢を見せてくれていた人たちの一人だった。 RV車の後方に停まった他の車から、続々と得物を持った男たちが降りてくる。その数は10人を大きく超えていた。 俺も車を降りると、男たちと打ち合わせにはいる。「トラックなどの大型車両を並べて向こう岸側の橋の入り口付近にバリケードを作ります」「こっち側じゃ駄目なのか?」「こちら側だと欄干を超えられたら、すぐ地面ですからね」 橋の長さは250m近くもあるが川幅自体は50m程度しかない。何かの拍子にさほど高くない橋の欄干を乗り越えられたら数m転落した先はこちら側の川岸だ。 ゾンビなら首の骨でも折らない限り何事も無かったかのようにすぐに動き出すだろう。「そういえばそうだな」 川のこちら側にバリケードを築くのに比べると作業中の危険ははるかに増すが、その必要性を納得してもらえたようだ。「まず左側の歩道と車道を完全に塞ぎましょう。そして向こうから来るまで避難してくる人間も居る筈なので、右側の車線は普段は閉鎖しつつも向こう側から車で避難してくる場合に備えて道を開けられるようにしないと避難してくる人間が強硬手段をとる可能性が有ります」「ぶつけてくるって事か?」「ありえますね。追い詰められた人間が何をするかなんて分かりませんよ」 俺の答えに男性は短く舌打ちする。 全員が一致し協力し合えれば、今回のことだって乗り越えられるだろうが、我が身ばかりが可愛くなるのが人間というもの、エゴを押し殺せる人も居れば我慢の利かない人も居る。そして一人が足を引っ張る時、得てして多くの人の足を一度に引っ張るのだ。「残りの右側の歩道は徒歩で避難する人を通しましょう」「化物どもはどうする?」「橋の向こう側に土嚢か何かを積んで、足元に段差を作れば連中は足を引っ掛けて転ぶから、その時に頭や首を狙って攻撃するのが楽で確実だと思います。でもその為に何人かを貼り付けておく必要があります」「そいつは難儀だな」 男性は苦りきった顔で金属バットで軽く素振りをする。「餓鬼の頃から野球が好きで、ずっとバットを振り回してきたが、こいつで人間をぶん殴る事になるとはな……」「もう人間じゃないと割り切った方が良い。人間だと思ってたら心が持ちませんよ」「そうだな。そうなんだろうな」 俺への返事というより自分に言い聞かせるように呟くと男性は強く頷いた。「他に手分けをして、上流の橋とJRの鉄橋も閉鎖する必要があります。ですが橋の方はともかく鉄橋はトラックとか塞ぐわけにはいかないですよね?」「分かった。鉄橋の方はこっちで何とか考える。それに川下の五条大橋も閉鎖する……ところであんたはどうする?」「この先に警察署がありますね?」「ああ」「そこまで行ってみようと思います。警察が町の人たちを保護してるなら、こちらに誘導した方が安全だし、あなたたちにとっても組織だって動ける警官の助けがあった方が良いでしょう」「まあ、そうだな。確かに俺たちだけじゃ心もとない」「あと自衛隊がどう動くのかも知りたいですね」「自衛隊?上富良野の駐屯地か?結構遠いぞ」 ここから国道237号線を使っても15km位はある。 勿論、ゾンビだらけの道だろう。「でも行ってみる価値はあります。ヤツラを──俺はゾンビと呼んでますが、ゾンビを隔離するだけじゃなく排除して、安全な地域を確保するだけの組織力を持つのは、日本には自衛隊くらいですからね」「ゾンビかまるで映画だな」 苦々しくはき捨てるその肩はやりきれなさに震えていた。 彼らの勧めで傍のガソリンスタンドで満タンに給油し終えるとエンジンを掛ける。「行くのか?」「はい。後は頼みます」「頼むも何も俺の町だ。余所者のあんたが頼むっていうのも変な話じゃないか」 男性とその仲間たちから笑いが起こる。 こんな状況になっても、いやこんな状況だからこそ人の笑顔は温かいと感じられた。「まあ頼まれたからには任せておけ。お前たちがやばくなった時逃げ込こめるように、ここは俺たちが守る」 こんな場合にこそ強くあり続けようとする男の誇りに満ちた言葉だった。「じゃあ任せましたよ」 窓越しに右手を差し出すと、男性は硬い手でがっしりと俺の手を握る。「そういえば、名前聞いてなかったな」「北路圭太です。彼女は文月さん」「文月蓮です」 文月さんは名乗って深く頭を下げた後、折りたたんだメモを山中さんに差し出す。「俺は山中邦夫だ・・・・・・それでこれは?」「ゾンビについて、北路さんが調べたり、私が見たことをまとめたメモです。あの……役に立てば良いんですけど」「こいつは貰って良いのかい?」 受け取ったメモを開いて、ざっと中を読んで尋ねる。「また書きます。それにこんな時の為のメモですから」「そうか、文月ちゃんありがとうな」 山中さんが礼を言うと、文月さんは嬉しそうに顔をほころばせた。「じゃあ、俺たちの町を守ろうじゃないか!」 山中さんの言葉に男達が「応!」と力強く応える声が響き渡った。「またな文月ちゃん。それに北路」 そんな声に送られながら俺は車を発進させる。「でも『またな』って言葉は良いですよね。いつか必ず再会できそうな気がします」「そうだね。さよならは別れの言葉ではなく。また会うための約束……そんな感じの歌が昔あったな」「皆さんが無事で、また会えるといいですね」 聞き覚えのある文月さんの言葉に、今度は心から「そうだね」と返事をすることが出来た。