俺にしがみついたまま泣き疲れて眠ると文月さんと一緒に、俺は狭い軽トラの助手席にいた。 はっきり言って狭い。だがどうしても彼女の手は俺を離してくれなかった。 運転席の山本がこちらをチラ見して、一瞬だけ凄く意味ありげな表情を浮かべたので、無言で奴の鼻っ柱に右の裏拳叩き込む。「アザーッス!」 殴られて鼻血を流しながら元気に返事をする変な奴だ。「それで今回の作戦の首尾はどうだったんだ?」 車内の空気を変えるためには話題を振る。「保護できた生存者は62名です」「へぇ、思ったより多かったじゃないか」 この作戦を実行する前の状況は、生存者の数は、小学校に避難していた生存者が27名。その後に救出した生存者が23名で合計50名。 それに対して倒したゾンビの数は、俺が学校周辺で倒したゾンビの数が27体。学校にいた生存者が練習がてらに倒したゾンビの数が8体。俺がゾンビのおびき寄せ中についでに倒したゾンビの数が6体。更に救助活動中に倒したゾンビの数が16体で合計57体。 温泉街の路上にいたゾンビの数がおよそ300体強。 その全てを足すと400を超える。それに対してゾンビ発生前にこの糠平周辺にいた人間の数は500人を超える程度なので、残り100ほどの未発見の生存者とゾンビ、そしてゾンビ化しなかった死体か、ゾンビ化後に、こちらが把握しないところで倒されたゾンビの死体が存在することになり、事前の話し合いの中では生存者は全体の1/3~1/2。つまり30~50人程度の間だろうという予想だった。 だが、62名の生存者が発見されたということは、残されたのは40程度の未発見の生存者とゾンビと死体ということになる。 この分なら明日以降の作業も楽になるはずだ。「トンネルの封鎖は?」「273号線は不ニ川トンネルの西側を封鎖して、旧国道は旧不ニ川トンネルの東側と不ニ川橋の東側の二箇所で閉鎖しました」「他に報告は?」「救助作業中に観光客と思われる2名の餓死者が発見されました。明日以降本格的な捜索が行われるのでその数は増えるものと思われます。また本日の作業中において死者・負傷者は共にありません」 鉄拳という名の薬が効きすぎたのか新兵か体育会系の下級生部員のようになってしまった山本だが、正直どうでも良い。ただ彼の報告の内容には満足した。「文月さんそろそろ着くよ」 グラウンドを抜けて玄関前の駐車場に向かう車中で文月さんを起こす──というよりこの娘、寝た振りしているような気がする。 このまま彼女が起きなければ、俺が抱きかかえたまま車を降りる必要があるが、羞恥プレイはごめんなので彼女の脇に手を入れてくすぐってみると即反応して身を捩せた。「ふっふ、くっくっくくぅ……や、やめて……起きるから……やめて」 息も絶え絶えに悶える文月さんの様子に、また新しい自分が芽生えそうになる。この数日で幾つ芽生えてしまったのだろうか……とりあえず、余所見運転でこちらを見てる山本に裏拳を叩き込んだ。 出迎えに出てくれた佐々木校長らと共に校舎2階の理科実験室に向かう。 窓のカーテンに暗幕が使われている理科実験室なら蝋燭の明かりが外に漏れないこともあり、まだ眠るにも早い時間だったので30人ほどが蝋燭の炎が揺らめく薄暗い部屋に集まっていた。「たいしたものじゃないけどどうぞ」 席に着いてしばらくして、割烹着姿の中年女性が運んできてくれた料理は、温かいうどんと握り飯だった。 麺は乾麺だがいんすたんとなどではない。しかもうどんの薬味にはフリーズドライではない生の葱、更に卵が落とされた月見で、それだけでなく何とかしわ──鶏肉までも添えられていた。「ああ、宿の厨房から残ってた食材も全部持ってきたからね。足りないならまだ麺を茹でるよ」 缶詰やレトルトではない鶏肉にテンションが上がっていた俺に苦笑いを浮かべる女性に、俺はすかさず「もう一玉追加」と声を上げた。 子供達や体調が良くない人たちは既に寝ているし、家族や友人を失った精神的ショックから立ち直れずに他人を避けている人達、そして周囲を警戒するために見張りに立っている人を除く、ほとんどの生存者がここに揃っていた。 俺と文月さんは明日の朝にはここを立つ予定なので、この糠平地区の人間が今後も生き残れるかどうかは、この部屋に居る彼ら次第ともいえる。「ご苦労様でした」 佐々木校長の労いの言葉に耳を傾けながら、うどんを啜る。「随分と遅くなったので心配しましたよ」「ゾンビの歩みが想像以上に遅かったのでダムまで連中を引っ張っていくのに2時間もかかってしまいました」 やはり音だけだとゾンビを引きつける要素が足りなかったのだろう。 声を出すのをサボると後も戻りする固体も存在した。「そのせいで日が暮れてしまって、ゆっくり戻ってくるしかなかったんですよ」 そう答えた後で詳しい状況を尋ねてみる。 保護出来た生存者の数は62名で、18名が観光客で残りがこの地区の住人達。 予想通りに地元の人間に対して観光客は逃げ場所を確保できずに犠牲となる確率が高かったのに対して、生存者の男女比率は男性が32名で女性が80名と予想していたことだが、それでも予想を超えて男女差がはっきりと現れた。 また救助活動中に3名の餓死者の遺体が発見されて、その全てが男性で、救助された人たちの中で栄養状態の悪さから衰弱している人も男性が多かった──これは生物として男性は筋力などの少ない要素を除けば女性に劣る弱い生き物である証拠だな。 その後、佐々木校長達は明日以降の方針について話し合いを始めたが、明日にはここを立ち去る部外者の俺が口を挟むことは無いと思って、食事を続けたが、彼らの話の中にある重要な事に関するものが含まれてないことに気付く。 気付かないのか、それとも気付いて避けているのか……多分後者だろう。 それを口にすることが好意的に取られないと分かってはいるが、俺はあえて口にした。「町の外のゾンビはどうするんですか?」 俺の発言と同時に部屋の中は、水を打ったように静まり返る。「前にも言いましたが、富良野市は、中心部だけでも1万人以上を大きく超える生存者が居た富良野市は、封鎖を破った1200体のゾンビによって一夜にして壊滅的な被害を受けました。ここではバリケードの向こうに居るゾンビの数は、生存者の3倍も居るんですよ。何かが起こってバリケードを突破されたら、どうなるか想像してみてください」「し、しかしバリケードは明日にはきちんと補強して簡単には破られないようにする……」 佐々木校長が俺に反論をするが、その言葉は途中で遮られた。「富良野でもそうしました。大きな地震が起こっても大丈夫なように皆で……でも封鎖は人の手で破られたんです!」 文月さんが大きな声を上げると、佐々木校長達、最初から学校に避難していた人たちは、既にこの話を知っているので一様に黙りこむ。「そんな馬鹿な話があるはずがない!なんで態々バリケードをこわして……」 しかし、今日救助された人たちは納得しなかった。「今は平時なんかではない。不安に不満に恐怖。今自分がまともで居られるなんて運が良いと思っていてください」 だが俺は反論する相手の言葉を遮り、厳しい口調で気って捨てた。「別に明日、全てのゾンビを始末しなければならないわけじゃない。明日から毎日、1日に10体、20体のゾンビを始末していけば、そう長くない期間でゾンビの直接的な脅威を取り除くことが出来ます」 賛否は別れたが、バリケードがあるとはいえ、自分達の生活圏のすぐ傍に自分達の3倍ものゾンビが存在するという潜在的な恐怖から開放されたいという思いがあったのだろう、結局は俺の意見が取り入れられた。 現在はその方法論について議論がなされているが、今度こそ俺が口を挟む問題じゃなく、黙った推移を見守ることにした。 などと思っていると、いつの間にか近づいてきたのか背後から声を掛けられた。「ねえ、ところであなた達ってどういう関係?」 20代半ばくらいの快活そうな見た目の女性。 その浴びせられた質問の内容に、俺は軽いパニックに襲われる。 この局面をどう切り抜けたら良いものか答えも出ないままに口を開こうとしたその直前──「恋人同士です」 文月さんが答えてしまう。嘘じゃない。少なくとも俺は嘘だと言える立場では無いが、他に何か言いようがあったのではないか文月さん?「……恋人」 周囲の空気が変わる。 普通に驚く人。やっぱりという顔をする人。目を輝かせ興味津々な人。そして、このロリコンめと軽蔑の目を向ける人。 まあね、もうロリコンというのを否定する資格はない。けどね、やっぱり公然の事実にする必要はなく、その辺を曖昧なままにしておきたいと言うずるい考えもあった訳で……これが穴があったら入りたいという心境なのだろう。「じゃあ、この娘。文月さんだったはね。一体幾つなの?」 文月さんお願いだ。お願いだから嘘で良いから高校生と答えてくれ。それなら同じ犯罪者でも執行猶予が付くと付かないのぐらいの違いがある。「私は14歳で、北路さんは26歳です」 文月さんの口から死刑宣告が下された。 軽い眩暈を覚えてうなだれる俺の肩に、誰かが手を置く感触に振り返ると佐々木校長が立っていた。「あぁ、何というか北路君。個人の恋愛観に口を挟むのは無粋だとは思うし、こんな現状で法を持ち出しても仕方ないだろう。だが、こんな状況だからこそ自分を抑えられなかったのかね?……」 などと沈痛な面持ちで懇々と諭し続けるが、今更説教一つで何とかなるなら文月さんとの関係がこんな風になってはいない。「別に良いじゃないですか?」 思わぬところから助けの手が差し伸べられる。隣で飯を食っていた山本だ。「良いはずがないでしょう。私は教育者としてね──」「じゃあ、一つ聞きますが、俺達は彼に助けれましたよね。彼が来てくれなかったら俺達はどうなってました?」「そういう問題じゃなくね──」「そういう問題なんですよ。決断力があり行動力もある。彼はこんな時に頼れる男なんですよ……ロリコンだけど。文月さんはそんな頼れる男を自分の魅力でモノにしたんです。その文月さんとの仲を引き裂くということは、彼女がこれから生き残っていくための術を奪い取るのと同じじゃないですか?校長は彼女に死ねとでもいうんですか?」 彼の言葉に佐々木校長は口ごもる。 山本。いや山本君。ありがとう。本当にありがとう。殴ってごめんね。俺は彼への感謝の気持ちで胸が一杯になり涙がこぼれそうになった。だけどロリコンと言ったことは絶対に忘れないからな。「そうね。私だって頼れる男が欲しいわね」 最初に俺達の関係を尋ねてきた女性が山本君に同調すると他の女性達もそれに追従する。「あ~あ、ここって男性が少ないしイケメンとか贅沢は言わないけどねぇ。どう君、私は?」 山本君よりは年上。多分俺と似たような年頃であろう少し派手な容貌の肉食系女子が彼に秋波を送る。「ははっ、どうって言われても」 一方、山本君は草食系のようで気弱な笑みを浮かべながら女性から少し距離を置こうとしている。 蝋燭の光に照らされる薄暗い理科実験室で、他の女性たちも積極的に動き始めたようだ。皆狩人の目をしている。 そんな様子を眺めていると、文月さんが俺の肩に頭を預けてきた。「私が恋人で良いんですよね?」「俺はロリコンだそうだから、他に相手は居ないんじゃないかな」 自分にとって一番大切な相手が14歳だっただけで俺は自分がロリコンだとは思ってない。もっとも他人から見れば「それがロリコンなんだよ」と一蹴されるのがオチなんだろうがね。「北路さんはロリコンなんかじゃないですよ。私が北路さんと同じ歳とか年上だったとしても、こうして恋人同士になってたと思います」「文月さんが大人だったら、今よりももっと魅力的だろうし、俺は必死になって文月さんを口説いてただろうね」「口説かれてみたいな……」 見事な上目遣い。完全に女の武器を使いこなしている。「そ、その内にね」「じゃあ、もし私が今よりも若かったらどうなってました?」 文月さん。14歳の君より若いというのは、既に若いじゃなくて幼いなんだよ。「流石に無理だよ。1年後の文月さんは今よりも魅力的だろうけど、1年前の文月さんは今の文月さんには及ばない」 文月さんの機嫌を損ねるかもしれないが、はっきりそう答えた。だが彼女はくすくすと笑い始める。「だから北路さんはロリコンではないんですよ……他の人にはわかってもらえなくても」「オチはつけないで欲しい」「私としては、北路さんがロリコンと誤解されていて欲しいです。特に女性達からは」 俺の口から力のない乾いた笑いがこぼれた。涙もこぼれそうだ。----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------次回で最終回です。