狂ったように悲鳴を上げ続ける男を無視して店内に戻るとトイレの方に向かって呼びかける。「文月さん。面倒は片付いたけど後始末があるからもう少しそこにいてください」「怪我はありませんか?」 そう言いながらトイレから出てきた文月さんは、俺の言葉を無視して駆け寄ってくる。「ちょっと暴れすぎて、足首を痛めたみたいだから、一仕事終えたら、もう一度見てもらえるかい?」 結構痛む。だけどそれは連中との戦い以前。文月さんから逃げたり、文月さんを抱き上げたりした分も大きい。「私も手伝います!」「いや、でもね」「誰かを……殺したんですよね?」「……3人殺した。そしてもう1人死なせることになる」 彼らを殺したことは後悔していないが、その事で彼女に恐れられるのは、当然ではあるが哀しいことだ。 そう考えていると文月さんが俺の胸に飛び込んできた。「自分を責めないで下さい。私にだって何があったかは聞こえてました。北路さんが戦う気が無かったことも、あの人たちが何て言っていたかも」 感情を顔に出てしまっていたのだろう。彼女は腕を背中にまわして抱きしめながら慰めの言葉を口にする。「情けないな。心配させるなんて」 本当に情けない。出来れば彼女にはずっと笑っていて欲しいのに、悲しませたり心配させてばかりいる気がする。「せめてこんな時くらい私を頼ってください。貴方が悲しい時は一緒に悲しませてください。私は貴方に守られているだけでいたくない。本当は貴方と一緒に支えあって生きてゆきたいんです」「文月さん……」 彼女はこんな短い間に守られるだけの少女から、一人の女へと成長してしまったようだ。 下手をしたら俺が置いていかれそうだ。 彼女の背中に腕を回し、俺からも抱きしめ返しながら「ありがとう」とだけ口にする。「でも、また『文月さん』に戻ってしまったんですね」 少し恨めしそうな上目遣いでこちらをじっと見つめる文月さん。「いや、あのぅ~まだその場の雰囲気次第というか、その内に普段からでも名前で呼べるようになると……多分」 文月さんには引き続き、店内の物色を続けて貰い俺は外での作業を行うことにした。 彼女の気持ちはありがたいが、ゾンビを倒すのとは違う殺人を犯した現場を彼女に見せるのは心理的な抵抗があったのだ。 先ずは生き残っている男の所へと行く。いい加減やかましくうんざりした。背後から回り込んで首に腕を回し頚動脈を圧迫するように締め上げる。 奴の様な興奮状態において脳は通常よりはるかに酸素を必要とするため、2本の頚動脈の血流を遮断されることで僅か10秒足らずで意識を失った。 このまま頚骨をへし折ってやるのが慈悲だとは思ったが、殺さないという約束を口実に俺は捨て置く。 俺も好きで殺人を犯しているわけではない。こんな奴らだとしても1人殺すたびに自分の中の何かが壊れていく気がした。 殺す価値も無い奴の為にこれ以上負担を背負う気にはなれない。 しかし、このまま放置しておくと別の人間が来て善意で助けてしまうかもしれない。 地面に転がっていた矢を一本拾い上げると、気絶した男の傍のアスファルト面を引掻き文字を刻む。『この者 殺人者 故にこの場に晒し捨て置く』自分で書いておいてなんだが、お侍さんかと突っ込みたくなる。流石に時代がかりすぎている。 考えた末に最近良く使われる今風の言葉を書き加える。『助ける場合は自己責任』……これで大丈夫だろう。 ついでに、ボディーチェックも行っておく、他に凶器を持っていて近寄った人間に斬り付けて犠牲者が出ても困る。 胸のポケットからは煙草とライター──ZIPPOが出てきた。俺は煙草を吸う習慣は18歳までに止めていたが、これから火を起こさなければならない機会が多くなるのは確実なので貰っておく。 財布はスルー。現金は電気が止まる前なら自販機から品物を取り出すのに便利だったろうが、今では何の役にも立たない。 腰のベルトにナイフケースが取り付けてあった。かなり大型で太いグリップハンドルを握りケースから抜いてみると刀身には銃器メーカーとして有名なSmith&Wessonの刻印がある。「スミス&ウェッソン……ナイフも作ってたの?そりゃあフェラーリも自転車を作るわけだ」 刃渡りは20cm以上。刀身は分厚くナイフというよりは鉈のようだった。ありがたく頂戴する。 他にめぼしいものは無かったので、次はワンボックスカーへと向かう。 後部ハッチを開けると貨物スペースには、連中が持っていたのとは別のボウガンが幾つか積まれていた。 小型で銃尻の無い片手で保持するタイプが3つに、連中が持っていたのと同じタイプのボウガンが1つ。そして連中が持っていたのより大きな弓を着けたボウガンが1つ。 RV車もそろそろ荷物で一杯なので、全てを持って行くのはあきらめて、ハンドガンタイプを1つと連中が使っていた弦の巻き上げ機能付のを2つ。そして一番大きなボウガンを選んだ。 他に矢と交換用の弦に弓。整備用の部品やアクセサリー(この場合は武器に取り付けるスリングベルトやスコープ等の小物類)などもあったので全て回収した。 残ったボウガンの始末に頭を悩ませる。矢は無くても他の棒状の物でも代用は利き武器として使える。だが誰の手にこれらが渡るか?と考えると、目に付く場所に置いて行くか、それとも破壊しておくかが微妙で判断に困る。 生き残るために有効に使って貰えるならありがたいが、連中のように他の人間に向けて使うような奴等の手に渡る可能性もある──とりあえず保留にすると、持っていかない分のボウガンはまとめて店の入り口の傍に置いた。 そのほかに缶詰などの保存食を回収し、後部座席も覗いてみるといくつも酒瓶が転がっていた。 飲みかけの瓶や空瓶も見える。連中は酒を飲んでいたのだろう、もし素面だったら殺されたのは俺の方だったかもしれない。そう考えると肝が冷えた。 俺は酒は飲むことは飲むが、付き合いで飲む程度で飲まなければ飲まないで困らない。14歳の文月さんにも必要はなさそうだったので、何かに使う可能性もあるので一番アルコール度の高いウォッカを1瓶だけ頂いておく。 次にRV車の給油口カバーを開けてシリンダータイプの給油ポンプを持ち出す。富良野のホームセンターで和田さんに渡されたヤツが役に立つ時が来た。 ワンボックスの運転席のドアを開け、中の死体を助手席へと蹴り飛ばす。そして血まみれのシートカバーを外して助手席の足元に転がった死体の上に放り投げた。 運転席に座りエンジンをかける。燃料メーターを確認するとまだ半分以上残っていた。「余るな……もったいない」 一旦前に出してハンドルを大きく右に切りバックでRV車の右側に横付けすると、エンジンを切り足元のレバーを引いて給油口カバーを開け車を降りた。 ポンプを使いワンボックスの燃料を移してRV車を満タンにしたが、やはりまだワンボックスの燃料タンクには軽油が残っている。 俺はポリタンクを探しに車から離れてコンビニの裏手に回る。 バックルームを覗いた時に石油ファンヒーターがあったので、屋外の大型灯油タンクとは別に石油ファンヒーター用の灯油を入れるポリタンクがあるはずだ。 裏手には物置があり、薄っぺらな鉄板扉の鍵の辺りを数発殴りつけると扉は歪んで簡単に鍵は外れた。 扉を開けて中を覗くと、物置の奥から空の灯油のポリタンクを1つ発見した。 物置の中には他に、今の時期には必要としない除雪道具などが仕舞われていた。「そういえば冬場は雪かきの準備も必要だな……それに防寒具も手に入れなければならないし、暖炉があるとしてもそれ以外に電気を使わないポータブルストーブか、なら軽油だけじゃなく灯油も必要だし、発電機も出来れば欲しいな。あれってガソリンで動かすんだろ?ガソリンはポリタンクは駄目だし金属性タンクか……ふぅ」 明日山小屋に着いたとしても、何度か人里まで降りて色々手に入れて回る必要がありそうだ。 戻ってポリタンクに軽油を入れると、RV車へと入れた分とポリタンクの分で丁度ワンボックスの燃料タンクは空になった。 ポリタンクをRV車に積み込むと、ほぼ空になったワンボックスの貨物スペースに外の死体を積み込み駐車場の端に移動させると取り合えず、俺の仕事は一段落ついた。「こっちの作業は大体終わったけど、そちらはどう?」 入り口の扉を開けて中へと声を掛ける。「ちょっとこっちに来てください」 文月さんの声が硬い。何かがあったのだろうか?「どうしたの?」 急いで店内に入り、奥の棚の裏側に居る文月さんの元に向かう。「これはなんですか?」 突然、目の前に突きつけられる一冊の雑誌……まずい!それは先程俺がドサクサにまぎれて隠したエロ本だった。「私が最初に、この棚を見てまわった時には、こんな雑誌は棚の中にはありませんでした。それなのにどうしてこんな物がこの棚にあるんでしょう?おかしいと思いませんか?」 彼女の言葉で店内の空気が凍りつく。優しげな声が怖い。柔らかな言葉遣いが怖い。 14歳の少女の迫力に気圧されて声が出ない26歳の男。「知らないなんて言いませんよね?店の中には私たち二人しか居なかったんですから」 言い訳を考える間もなく逃げ道は塞がれる。だが逆に考えるんだ『知らない』と言う前に先回りされて良かったと。「どうして黙ってるんですか?北路さんは私を抱きしめて……あんな激しくキスしながら、こんな本の裸の女のこと考えていたんですよね?」「いや、それはない。今まで隠してたこと自体忘れてたんだから」 これは本当だ。連中の襲撃が無ければ、そのまま最後まで行為は及んでいただろう。 最後まで行かないように、ガス抜きする為のオカズだ。 彼女を抱くと決意した時点で既にエロ本には意味がなくなっている。「本当……ですか?」「この際だから全部ぶちまけるけど、俺はまだ文月さんと……何というか、セックスするのは早いと思ってるんだよ」「そんな、明日の夜って約束しました!」「うん分かってる。今更に何言ってるんだと自分でも思うよ。でも決して文月さんとセックスするのが嫌だとか言うわけじゃなく、むしろ今すぐにでも抱きたいという気持ちを抑えてるくらいだよ。良識とか法律とか社会通念とか、ロリコン変態と後ろ指を差されたくないとか、そういう枷を全て吹き飛ばした上で、君を一人の女性として抱きたいと思うほど強く魅力を感じている」 オッパイ星人の看板だって下ろす覚悟もした。「それなら何故?」「やっぱり14歳の君の身体は性的に成熟し切れてないと思うんだ。セックス自体は俺が君の身体を気遣えば問題なく出来るだろうけど、その後妊娠の可能性を考えるとね」「妊娠ですか?」「もちろんセックスをするなら避妊はする。これからのことを考えると無責任に子供を作るわけにはいかないし、何より君の年での妊娠出産は大きなリスクがあるから。でも避妊に100%はないんだ。コンドームなんて物理的に遮断するわけだから正しく使えば確実に避妊出来るはずなのに避妊率は100%じゃないんだよ。所詮人間のやること、しかもセックス中なんて男が一番馬鹿になる時間だから、どうしても正しく使われない場合が妊娠の可能性が発生するわけで……」 実際、過去にヒヤリとしたのは一度や二度じゃないと言いそうになって、まさしくヒヤリとした。「……セックスすることでリスクを背負うのは常に女性だから、14歳の君にそんなリスクを背負わせたくない。でも俺も男だから二人で居れば君に性欲を向けるのを抑えきれなくなるかもしれない。その前に性欲を発散するために、そういう本が必要なんだ」「嫌です!」 即答で否定されてしまった。「あなたの言うとおり、妊娠してしまうかもしれない。今妊娠しても、ちゃんと産んであげられないかもしれない。ちゃんと育ててあげられないかもしれない。でも、それでもあなたに抱かれたい。それが私の本当の気持ちです」「あ、あのね……」 本心なら俺だって同じだ、でもねそれを抑えるのが人として……「あたなは『俺も男だから』と言ったけれど、私だって女です。女にだって性欲はあります」「ご、ご尤もで」「大体、あなたがこんな本相手に性欲を発散している傍で、私に悶々としていろとでも言うんですか?」「お、女の子が悶々とか言うのはどうかなぁ~って」「悶々もムラムラだってします!」 そう断言されて、俺はもう何も言い返せなかった。 持っていく荷物を選び終える。 食料品関係が根こそぎ、電池や懐中電灯・ライター・煙草などの嗜好品は全て無くなっていた。 しかし、洗顔・入浴などのアメニティ系グッズは意外なほどそのまま残っていたで頂く。 特に既に持ってはいるが、歯ブラシや歯磨き粉は全て持っていく。虫歯になっても、もう治療は出来ないのだから。 更に文房具の類も出来る限り持っていくことにした。「これはどうするんですか?」 入り口の傍に置きっぱなしになっているボウガンに文月さんが気付く。「どうするか悩んでるんだ。これ以上は荷物になるだけだし、置いて行けば誰かの役に立つかもしれないけど、あいつらみたいな連中の手に渡ってもまずいし」「それなら持っていって、渡しても大丈夫だと思える人に会えたら渡せしましょう」 まさしく正論だった。そんな事も思いつかない自分にあきれ、自分の精神状態に不安を覚える一方で、今のような状況下で心のバランスを失っていない彼女に尊敬の念を覚えた。 荷物を持って車に戻ると、買い物カゴの中から北海道温泉ガイドを取り出す。「ねえ文月さん。温泉に入りたくない?」 と言うよりも自分が入りたい。ゆっくりとはいかなくても久しぶりにお湯に浸かって心を休めたい。「一緒にですか?」 それじゃ全く気が休まらない。「……俺が我慢できなくなるから駄目」「しなくて良いのに」 ありがたくて血の涙が出そうだ。「今日中に目的地にたどり着くのは無理かだから、どこかで一泊する必要があるんだけど然別峡へ向かうと野湯のあるキャンプ場があるんだ」 聞かなかった事にして話を進める。「……ところで野湯って何ですか?」 今何か、小さな舌打ちが聞こえたような気がしたんだが……問い詰めたかったが、薮蛇になるのは目に見えているので堪える。「要するに露天温泉なんだけど、自然の中で湧き出た温泉で宿泊施設とかが併設されてる訳でもないので、人も居なければゾンビも居ないと思うんだよ」「一緒に入れないなら私は別に……」「そこから離れよう。お願いだから」 運転席のシートの上に正座すると土下座してお願いした。