「北路さん。何をカゴに入れたんですか?」 文月さんの顔には能面のような笑顔が浮かんでいる。その笑みの裏側に夜叉が潜んでいる。「何を入れたんですか?」 口元にのみ笑みを貼り付けたまま、ゆっくりとこちらに向けて一歩一歩足を進める。「何のことかな?」 そう言いながらエロ本の入ったカゴを背中に隠す。「何故カゴを隠すんです?」 低く響く彼女の声に気圧されて思わずのけぞり一歩下がってしまった。「いや、別に隠すなんてつもりは無いよ」「じゃあ、見せてもらっても良いですよね?」「だ、駄目だ!」 何時の間にか文月さんは俺の目の前にまで迫っていた。既に一歩も後ろにさがるスペースは無い。「どうしてですか?何故私に見せてくれないんですか?」 目が怖い。彼女の黒い瞳の奥に、俺は底知れぬ闇を見出す……というか瞳孔開ききってない?「そ、それは……」 考えろ考えろ。全力で考えろ。「それは?」「それは……18歳未満には見せてはいけないから」「……18歳未満って?やっぱりエッチな本じゃないですか!!」 愚かにも、思いついた瞬間は良い言い訳だと思えたのだが、当然のように文月さんの怒りは爆発する。 俺は足の痛みも堪えて必死に逃げた。狭い店内すぐに捕まったけど逃げることに意味があった。 文月さんは俺からカゴを取り上げると、中の『2冊』のエロ本を手にする。 逃げながら1冊隠したのだ、後はほとぼりがさめて店を出る時に密かに回収すれば良い。自分の狡賢さにうっとりする。「どうしてこんなものが必要なんですか!」「どうしてと言われても、どうしてもとしか言いよ……」 口答えは許さんとばかりの彼女の冷たくて熱い一瞥に、声帯が強張る。「北路さんには私が居るじゃないですか。どうして浮気するんですか?」「う、浮気?……」 俺と文月さんの関係は恋人同士と呼ぶにはまだ微妙だ。だが俺が他の女性に手を出したら浮気と彼女に責められても仕方ない関係には違いない。 いやしかし、それにしてもエロ本相手に……「浮気は違うでしょ?」「浮気です!」「いや、だって本だよ。裸の女性のグラビアがついてるだけの本だよ」「浮気です!」 ゆ、揺るぎない。思わず『その通りです』と言って頭を下げたくなる程の力強い説得力を感じる。 ともかく、ここは浮気かどうかを争うのは相手の態度を硬化させるだけで意味は無い。冷静に大人な判断を選択する。「……だとしても、これは仕方ない事なんだよ。俺だって男なんだからさ」 男なら誰だって俺を支持するだろう。しかし残念なことに今俺の前に立つのは女性だ。「どうして他の女性の裸なんですか?見たいなら私に言ってください。貴方が言うならどんないやらしい格好だってします。貴方が望むことならどんなことだって私……だから、だから私だけを見てください!」 顔どころか首筋までも羞恥に紅色に染める文月さん。その必死に訴えるような目には涙が浮かんでいた。 ズドンと大砲でも食らったかのような衝撃が俺の胸を襲う。 そりゃあ~ね~よ。ずるいね。カートレースにF1マシンで乗り込んでくるような重大なレギュレーション違反だ。 勝てるはずが無い……というか立ち向かおうと言う闘志さえも一瞬で蒸発するね。 俺の理性よ。お前は良く戦った。十分だ。もう十分だから森に帰ろう。 気がつくと俺は文月さんを抱きしめて唇を奪っていた。 同じディープキスでも前回のとはモノが違う。そこには彼女への気遣いも優しさも無い。 ただ彼女の口腔内を本能の赴くままにひたすら蹂躙する。 すぐに膝から力が抜けて崩れ落ちそうになる文月さん。俺は背中から腰へと滑らせた左手で彼女の右の尻をぎゅっと鷲掴みにすると耳元で冷たく命じる。「しっかり立つんだ文月」 呼び捨てだよ俺。「あぁぁ……は、はいぃ……」 半ば意識が飛びながらも必死に返事を返す彼女の唇を奪う。 舌と舌を絡み合わせ、溢れ出る唾液を音を立てて啜る。「ぅぅ……ひぃぃ」 恥ずかしさに耐え切れなくなったのだろう。文月さんは涙を浮かべると、身を捩り俺の腕の中から逃れようとする。「ああ……いやぁ……」 涙に濡れる許しを乞うような瞳。その目尻にキスをして溢れる涙を啜る。 そしてにっこりと笑みを浮かべて告げる。「駄目だ。まだ許さない」 俺を本気にさせたのは彼女だ。これ以上自分の理性に仕事をさせる気は無い。第一、既に奴は森に帰った。 もう止めるものは何もない。俺は今ここで彼女の全てを奪う。「あぁぁぁ……」 小さく絶望の悲鳴を上げる彼女の唇を、自分の唇で塞ぐ。 再び始まる蹂躙に次第に蕩けるような表情を見せ始めた彼女は、遂には自分の両腕を俺の首に回し自ら積極的に俺の唇を求め始める。 その態度の変化にニヤリと笑みを浮かべると両手で彼女の尻を下から掴み抱き上げる。 自分の体重に加えて彼女の体重が加わり、悲鳴を上げる右足首を無視して、そのままレジカウンターへと向かう。その間も俺の両手は強弱を加えながら、彼女のまだ肉付きの薄い尻の感触を楽しみ続けた。 たどり着いた俺は、文月さんをそっとレジカウンターの上に座らせる。「良いか?なんて尋ねない。もう文月が14歳だろうが構わない……」「蓮です……蓮って呼んでください」 ああ、もう可愛いったらありゃしない。 そのまま彼女を後ろに押し倒しながら耳元で「蓮」と一言囁く。「はい……」 その時だった。車内に残してきた小犬たちが一斉に吼え始めた。 これからって状況で冷や水をぶちまけられた野良猫のように、一瞬で理性が職務に復帰する。 吼え声に続いて低く響くディーゼルのエンジン音が耳に届く。 身体を起こそうとする俺の胸元を文月さんの手が掴む。 すがるような目で見つめる彼女と目を合わせたまま、その手を上から握りそっと引き剥がす。「お預けだ。続きは明日の夜……山小屋で」「……はい」「俺が良いと言うまで中に居て。そうだなカゴの荷物を持ってトイレの中にでも隠れ居ていて」 そう言い残すと俺は出口へと向かった。 ドアのガラス越しに1台の黒いワンボックスのコンビニ前の駐車場に入ってくるのが見えた。 腰のホルスターの蓋を開けて、何時でも銃を抜けるように備える。 ワンボックスはRV車の前に横付けすると中から三人の若い男たちが次々に降りてくる。 彼らの手には黒いT型の棒のようなモノが見て取れた。「……ボウガン?」(正式にはクロスボウだが、北路には詳しい知識が無い) 次の瞬間、男たちの一人がこちらに気付いて声を上げる。「中に居るぞ!」 そしてこちらにボウガンを構える。それと同時に俺は床へと身を投げ出した。 床の上を転がりながら、店の奥──弁当コーナーの辺りでドンと音が鳴るのを耳にする。ボウガンから打ち出された矢は、ほとんど音も立てずに分厚いガラスを貫くと壁に突き刺さったのだ。 あんなもの喰らったら只じゃすまない。「止めろ!俺は人間だぞ!!」 そう叫びつつ、ホルスターから拳銃を抜き、遊底を引いて戻し薬室に初弾を送り込む。 店の前に車が停まっているのだから、店内の人影が人間である可能性を疑うはずなのにいきなり撃ってきた。 つまり連中は俺を人間だと分かっていながら矢を射たのだ。 案の定。叫んだ後一呼吸置いて俺の頭上を矢が飛び去り奥の壁に突き刺さる。 それを認識した途端。俺の頭の中で興奮や怒り、そして恐れなどの感情がすっと醒めていく。「止めろ!撃つな!」 もう一度だけ警告した。 しかし返ってきたのは罵声と嘲笑、そして放たれた矢だった。「人間だ?知ったことか!お前を生かしておいて俺達の得になるのか?」「お前が女なら生かしておいてやっても良かったけどな」 連中の言葉に俺は腹を括る。ただでさえ広い北海道。生き残った人間は僅かだろうが、それでもあんな連中と共に生きるには狭すぎる。