俺と文月さんを乗せたRV車は、昨夜軽トラで走った道を逆に辿っている。 山小屋へと向かう前に人の居ない農家を家捜しして、食料等をの確保するのが目的だ。 運転しながら左手でコンソールボックスの蓋を開けて中にしまっておいたものを取り出す。「文月さん。これを持っていてもらえるかい?」 左手の中の拳銃を彼女に差し出す。「これは……」 おずおずと伸ばした両手で銃を受け取る彼女の顔は強張っている。「原さんのだよ。ニューナンブ……M60だったかな?これは文月さんが護身用に持ってるんだ」「で、でも私、銃なんて使った事ありません」「そりゃあそうだろう。実際の拳銃を撃ったことなんて俺も無いよ」 銃関係は嫌いじゃないが、エアガン・ガスガンはサバイバルゲームの道具としての感覚であり、ガンマニアというほど熱は入ってない。 BB弾を発射できないモデルガンと同じくらいに銃弾が飛び出る実銃にも興味は無かったので、海外に行って銃を撃とうなんて考えたことも無かった。「安全装置なんて無いから引き金を引けば弾がでるよ」「えっ!」 弾が出るという言葉に彼女は驚き、拳銃を取り落としそうになるのを、咄嗟に左手を伸ばして横から掴む。「弾は入ってないから安心して」 銃身を反対向きに握ってグリップ側を差し出す。「は、はい」「右手で銃を持ったまま親指を上に伸ばして、そうそこのレバーに指を……」 彼女の手には余る様で、拳銃の左側面(銃の右側面・左側面は銃を握った状態から見て、右か左かで決まるようだが、何故か正面は銃口がある側らしく意味不明)にあるシリンダーを開放するためのシリンダーラッチには、グリップを握ったままの指は届かなかった。「じゃあ、左手をグリップから手を離して、さっきのレバーを手前に引いて……シリンダーを右から左側に押し出す」 コンソールボックスの中から弾を取り出し、一発装填してみせる。「今みたいにして残りの穴に弾を詰めて、シリンダーを元に戻して引き金を強く引けば撃てる」「でも、ゾンビを誘き寄せてしまうから、出来るだけ使わない方が良いんですよね」「ああ、だけど山小屋に着くまでは必要と感じたら撃って構わない。車で逃げれば良い状況ならゾンビが集まる事を心配する必要はあまり無いから。だけど……」「だけど?」「使う相手が人間である可能性もあるって事だけは覚悟しておいて欲しい」「…………」 文月さんは俺の言葉に息を呑む。「銃は、特にその拳銃って奴は人を傷付け殺すためだけに作られた道具以外何ものでもない」「人を……人を殺す」 怯えた目を自分の手の中の拳銃に落とす。「それでも、俺はその拳銃を文月さんに持っていて欲しい。そして必要ならば躊躇うことなく使って欲しい。結果、人を傷つけても……たとえ殺すことになっても、文月さんには生き延びて欲しい。人の命の重さが同じでも、君と他の人間の命では、俺にとっては金と石ころ程も違う。だから俺の為だと思って、どんな事をしてでも生きるという覚悟を持ってくれ。頼む」 俺自身、彼女を守るためなら何人たりとも容赦せずその命を奪う覚悟は済ませている。 他の誰かが生き延びるために彼女を害することを許すつもりは微塵も無い。 もう俺の中で優先順位は付けられてしまったのだ。後は迷い無くそれに従うのみ。 その結果が何をもたらしても後悔はしない。どれほどの痛みを、どれほどの重荷を一生背負うことになっても後悔だけはしないつもりだ。 そんな俺の決意をよそに文月さんの意識は、成層圏の彼方まで飛んでゆこうとしていた。「そんな……私のことを……そこまで」 一体何を間違ったのだろう。 クネクネと身を捩じらせている彼女の手から、そっと拳銃を取り上げる。 今の彼女に拳銃は持っていて欲しくない。危なっかしいったらありゃしない。 山小屋のある道東へと移動を始める前に付近の農家を回って、これから必要と思われる物を集めることにした。 先ず一軒目の農家で周囲にゾンビの姿が無いことを念入りに確認した後、庭でリストを製作することにする。 食料関係のリストアップは文月さんに一任した。 俺自身一人暮らしが長く一通り料理は出来るが、やはり所謂る男の料理であり基本肉料理で、肉が気軽に手に入らないだろう今後の食生活を考えると余り役立たないスキルだった。 そんな俺に対して文月さんはさすが女の子。お祖母さんから家事全般をしっかり仕込まれているようでとても頼りになる。「樽って何に使う気?」 車のボンネットを机代わりにリストアップ作業中の彼女のノートを横から覗き込んだ俺は、樽x5という項目に思わず声をかける。「漬物を作ろうと思います。大根とかなら余程天候が悪くない限り、誰も世話をしなくても幾らか収穫できると思うんです。それと白菜なんかは時期的にもう種まきも済んでいるはずなので……もしかして、漬物とか嫌いでしたか?」「いや、そんなことは無いけど……その。すごいなと思って」 お世辞でなく本当に凄いと思った。冬場のビタミンなどの栄養不足を考えると保存できる漬物は必須であり、俺はそれに気付いてなかった。何処かでサプリメントを入手しようと考えていたくらいだ。「凄いなんてそんな……でも、本当に漬物を漬けるの得意なんです。祖母も上手だって誉めてくれて……」 珍しく嬉しそうに自分の事を話す文月さんに、自然に自分の顔にも笑みが浮かぶのが分かる。「助かるよ。今時漬物を一から漬け込める中学生がいるなんて思ってもみなかった」 俺の不用意な一言が状況を変える。「……もしかして年寄り臭いとか思ってますか?」「何故?」「学校でこの事を話したら年寄り臭いって皆から笑われたんです。それに北路さんも笑ってたし……私って料理のレパートリーも祖母から教わってるから古臭いと思われるような……」 この事が原因で学校でいじめにでもあったのだろうか?行き成り落ち込んでしまった文月さん。 学校の問題だけじゃないだろ。やはり過酷な状況が続きすぎたせいで情緒不安定になっているのだろう。先ほどから彼女の感情の振幅が大きいような気がする。 今後は彼女の精神面も支えていく必要があるのだろう……とはいえ、この件に関して全くといって良いほど自信が無い。だがやるしかない。「文月さんを育てたのはお母さんじゃなくお祖母さんだっただけだよ。母親に育てられることの良い面もあれば、お祖母さんに育てられることの良い面だってある。俺はあの日の朝。出会えたのが今の文月さんで良かった。お祖母さんが大事に育てた今の文月さんと出会えて良かった。だから自分を卑下するのは止め……文月さん?」 突然胸に飛び込んできた彼女の肩を抑えて抱きとめる。「私も、私も、あの時出会えたのが北路さんでよかった」 俺の胸に顔を埋めながら、そう小さく呟く。 彼女の肩に置かれた自分の手をどうしたら良いものか迷う……迷ってどうする! つい流れに任せて、手を彼女の背中に回しても良いんじゃないかなどと僅かでも考えてしまった自分に驚く。 動揺した俺は、状況を変えようと話題を振る。「そ、そういえば、原さんが言ってた。例のあの事って何?」 藁にもすがる様な思いで切り出した話題だが、それが更に状況を進行させるための原警部補の罠だとは神ならぬこの身には知る由も無かった。 俺の言葉に、まるでバネで弾かれたように顔を上げる文月さん。 その顔は一瞬で真っ赤に染まる。写真の一部の色がゆっくり変わっても人間の脳はなかなか気付かないというが、これだけ早く変わるとすぐに気付く。「……あっ!……えっとあの……その……例のっていうのは原さんとの約束で……」 しどろもどろな彼女の様子に、これは薮蛇という奴だと気付く。「…………え~と、約束って?」 そんなことは尋ねたくなかった。聞いたって更に追い込まれるだけだと本能が警鐘を鳴らす。 だが俺の胸に顎を付ける様にして真っ直ぐ見つめてくる彼女の目が「尋ねろ」と訴えかけているように見えて、その圧力に耐え切れなかった。「は、はい!……そ、その~。お願いです少し目をつぶってください」「あ、ああ。良いけど」 言われるがままに目を瞑る。 何かガチャガチャと金属音が耳に届く……何をする気だろう?「ちょっと右手を出してください」「こうかい?」 俺が声の方に伸ばした手を、柔らかな彼女の手が握り締める。 次の瞬間。手首の辺りに金属の冷たい感触を感じたと思ったらガチャ!と音が鳴り、硬い何かに俺の右手首は拘束された。「何???」 目を開くと、手首には手錠がはめられていて、繋がった鎖のもう一端の輪っかには文月さんの左手首がはっていた。