目の前に広がる光景は、まるで祭り騒ぎのような有様でありつつも、そう例えるには物騒すぎた。「まずいですよ。これは……」 隣で山口が不安そうな声を上げる。警察官の癖にだらしない奴だ。 そうは思ったが、いつもの様に雷を落とすことは出来ない。何故なら奴の意見自体には俺も同感だった。 目の前柄発生した暴動は、倒れたコップの中身がテーブルクロスに染みを広げるように瞬く間に市街地を飲み込んでしまった。 暗闇の中を悲鳴と怒号が飛び交い、警察車両のヘッドライトの明かりの中に人影が踊る。 どいつもこいつも、頭の箍が外れてしまったみたいだ。 今日の午後、市議会が発表した食料の配給制に反発し集まった市民達が市役所の駐車場で騒いでいたのだが、この突然の停電を機に抗議集会は暴動へと変貌を遂げた。 まるで外国の暴動騒ぎのようだ。 たまにニュースなどで海外の暴動シーンが放送されたりするが、そんな騒ぎ日本では起こそうと思っても起こせるものじゃないと対岸の火事として以上の感想を持つことは無かった。 停電で暴動。地震で暴動。何でも機会があれば暴動したいだけだろ。日本人みたいに先ずは助け合え。そんな風にも思っていた。 暴動は起きるにはきっかけ以前に、社会的な下地として民衆の中に溜まりに溜まった不満が必要だ。 以前の日本には、そんな下地が存在しなかった。そして今の日本──この町にはその下地が存在する。 家族や恋人。友人を失った悲しみ。今後の生活への不安。このような絶望的な事態が起きた事へのぶつけ所無い怒り。 それらが一人一人の胸底でぐつぐつと煮えたぎっていて、それがこの停電を機に爆発した。 もう誰にも止められない。数千人……いや下手をすれば5桁届くかもしれない暴徒相手に警察官が数十人で、一体何が出来るというのだろうか。 これならゾンビどもの相手をしている方が遙かにマシだった。少なくともヤツラは走り回らなければ武器も持っていない。「係長。威嚇射撃を試してみましょう」 山口が思いつきで下らないことを口にする。「馬鹿野郎!そんな真似して連中の矛先がこちらに向いて警察と連中の対立構造が出来てしまったら。本当に収まるものも収まらなくなる」 こんな当たり前の事、言わせるんじゃない!と怒鳴りたくなるのを我慢する。説教なんてしている場合では無かった。「じゃあどうすれば良いんですか?」「……時間だな。時間を置いて連中の頭が冷えるのを待つしかない。後は呼びかけだ。で・き・る・だ・けソフトにな!畜生。まどろっこしい!」 自分で言ってて腹が立つ。 言葉で言って分からない相手というのは警察官にとってお得意様だが、団体客にも程がある。「分かりました。ソフトにソフトにですね」 俺の剣幕も何処吹く風。アイツのお気楽さはこんな状況下では貴重な資質だ。ああでもなければ、これからの世界を生き残ることは出来まい。 それに対して、平和な日常生活から放り出されたストレスに耐え切れなかった者──暴徒たちはまず生き残れまい。 すぐにどうこうと言う訳ではないが、今後より一層厳しさを増すだろう現実に耐えることは出来ないだろう。 欲望のままに暴れ続け、町を破壊する暴徒たちを俺は醒めた目で眺めやる。「北路や和田達が命懸けで守ろうとした町だと言うのに……何をやってやがるんだ……」 これじゃあ死んだ和田が報われない。 嬢ちゃんが安全に暮らせる町を残したいと危険を買って出た北路が、自分達の町を守るために我が身を省みずゾンビたちと戦った島本や矢上の努力が報われない。 守るべき市民。この言葉の意味が20年以上警察官として生きてきた俺の中で揺らぎ始める。 今の自分に守るべきものが存在するのだろうか?俺にとって守りたいものとは? 7月15日。たった5日前に俺は本当の守るべき者を守りたかった者を失った。 あの日、この町で失われた命。2000近くの人々の中の2人。 俺にとって何者にも代え難き17年連れ添った妻と、もうじき14歳になる……いや、なる筈だった娘。 この異常事態に気づいた時、職務を放棄してでも2人の元へ駆けつけていれば、助けられたのではないか? それは無理でも、2人の死に目には会えたんじゃないか?最後に手を握ってやることが出来たんじゃないか? そんな無意味な仮定が、あれ以来ずっと頭の中をグルグルと掻き回し続けている。 心の奥で後悔は尽きない。 もしあの時に戻れるならば俺は間違いなく妻と娘を守るため全てをなげうつだろう。 しかし、実際俺はそうせずに警察官としての職務を優先させた。市民を守るという警察官の誇りが自分を縛った。 もう既に俺の警察官としての誇りは後悔という土に塗れてしまった。 あの日から俺は汚れ傷ついた誇りと共に警察官であり続けてきた。 妻と娘よりも優先させた警察官である自分。今更それを投げ出す訳にはいかない。 それは妻と娘を二重に裏切ることに他ならない。 何よりも妻と娘の元へ行くことを望みながら、それを許されることは無い。自分で許すことが出来ない。 だからこそ、目の前で繰り広げられる光景は、俺を心底やりきれない気分にさせてくれる。 突然、無線機に呼び出しが入る。北路からの連絡だった。『そちらだけじゃなく上富良野も、それに中富良野も止まったみたいだ。どうぞ』 俺がこちらの停電を伝えると、奴から返って来たのは最悪の返事だった。「それで自衛隊の作戦はどうなった?どうぞ」『現在作戦実行中……というよりも作戦開始直後に停電が起こり作戦は失敗しつつある状態。早く撤退すれば良いのだが。どうぞ』 最悪の先にまだ最悪が待っているとは……自衛隊との協力が不可能ならばこの騒動を、これ以上大事にすることは許されない。 この後、どんな事態が起きようとも、外からの助けは期待できないのだから。 北路には嬢ちゃんが警察署内にいる事を伝え、そして無理をしないように釘を刺して連絡を終えた。 北路とのやり取りで少しは俺の頭も冷えた。 奴にあったばかりの時の会話を思い出す。『俺は警察官だ。医者だろうが看護婦だろうが誰だろうが、所轄で死なれたら俺の責任だ』『そういう意味じゃないんですけど……大体、責任って、今更、誰が文句を言うんですか?』『今更だ?今更だろうが最後まで警察官でいる気なんだよ!』 売り言葉に買い言葉でつい奴に言わされてしまった言葉だが、これが俺の本心だった。 死ぬまで警察官でありたい。警察官という職業が好きな俺の本心だった。 町の人間の全てが暴動に参加しているわけではない。 そして今もこの町を守ろうと戦っている者たちが居る。 同僚たち。北路。島本。矢上。山中さんと彼の仲間たち。 守るべき市民が一人でも居る限り、俺は警察官は続けられる。命ある限り警察官を続けられる。 妻と娘を待たす事になっても、その分胸を張って会いにいけるだろう。 暴徒に向かって穏便に呼びかけ続ける山口に声をかける。「山口。俺が戻るまで呼びかけを続けておけ」「えっ!何処行くんですか?」「一旦署に戻る」「文月ちゃんに会いに行くんですね?ずるいな係長だけ……」 睨み付ける俺の視線に山口は尻すぼみに黙り込む。 先ずは嬢ちゃんだ。警察署から出ないように言い含めておかなければならない。 署内に残ってる連中にも、彼女の事を頼んでおかなければならない。 あの子の安全は例え命に代えても守らなければならない。北路との約束。失った娘の代償行為。そして警察官としての誇りにかけて。