再びテントに戻った俺は、忙しく準備に走り回る隊員たちの気配を帆布越しに伺いつつデイパックをテーブルの上に載せると中に手を入れ、着替えを入れた袋の中から警察無線機を出して、デイパックの中を覗き込みながら無線機に携帯オーディオプレイヤ用のヘッドフォンを接続する。 スピーカーを左耳にだけ装着し、デイパックの開口部に顔を寄せ、一見テーブルに突っ伏して居眠りでもしているように見える姿勢で原警部補を呼び出した。「自衛隊の部隊と接触に成功。上富良野町内全域をゾンビが占拠。また自衛隊駐屯地もゾンビにより占拠。どうぞ」『駐屯地もだ?じゃあ接触した部隊とは何だ?どうぞ』 駐屯地がゾンビに占拠されるに至る状況と、俺が接触した部隊が、避難誘導のために駐屯地外で活動中の部隊と、一部の脱出に成功した隊員の寄り合い部隊である事を伝える。「今晩、駐屯地奪還の作戦を実行するようですが、詳細は不明。どうぞ」 富良野市では原警部補の独断で俺や和田さんたちが借り出されたが、流石に自衛隊は民間人である俺の手は借りる気は無い様で、最低限の情報は教えてくれるものの作戦の詳細などは一切不明だった。『自衛隊の部隊は我々と協力できると思うか?どうぞ』「接触した部隊は、この状況下で暴走することも無く自衛隊として行動しているので信用できると思いますが、駐屯地奪還が成功した場合、指揮権は駐屯地内で生き残っている上級指揮官に移る可能性があるため、その判断は明日以降にならないと無理です。どうぞ」『じゃあ……失敗した場合はどうなる?どうぞ』 失敗した場合──それを考えていなかった自分に呆れる。 何の根拠も無く状況は良くなるとしか考えていなかった。「想定内だから成功して、想定外だから失敗するんです……どう失敗するかが想定出来ないので、また連絡を入れます。どうぞ」『……逆切れかよ。分かった。連絡を待つ、おい、嬢ちゃ……北路さん!』 突如右耳から文月さんの声が聞こえる。 多分気のせいだ.『北路さん!北路さん……ぅぅぅ』 気のせいじゃない。それどころか泣き始めてしまった。「文月さん」 ごめんの一言でも言おうかと話しかけるが、向こうは発信状態で俺の声は届かない。『……ぅっぅぅ北路さん…………』 彼女的には多分俺が何かを言うのを待っている状態なのだろうが、相変わらず向こうは発信状態。『……あ、あのな嬢ちゃん。そのままじゃ向こうの話は聞けないから、まずどうぞと言った後、そのスイッチを、そうそれを……』 原警部補の指示で、やっと向こうの通信機が受信状態になったようだ。「文月さん?どうぞ」『北路さん。置いていくなんて酷いです…………嬢ちゃん話し終わったら、どうぞだ──は、はい。どうぞ』「ごめん悪かった。どうしても今回は連れて行く訳にはいかなかったから。どうぞ」 自衛隊相手に辻褄合わせた作り話なら幾らでも考えられる。 いざとなった時に、彼女を連れて逃げ出せる自信が無かったから置いてきただけだ。『必ず帰ってきてください……おっもう良いのか?そうか。という訳だ。さっさと帰って来いよ。どうぞ』 文句の一つでも言われると思ってたのだが、余りにあっさりと引き下がった彼女の態度に違和感──というより不気味さすら感じたものの、突っ込みたくなかったので聞き流した。 腹警部補たちとの通信を終えた後、俺は机に突っ伏して一眠りした。 今朝いつもより早起きした挙句に、疲れても仕方ないだけの仕事をしたのもあるが、一番大きな理由は何もやる事が無い退屈さが眠気を誘う。 本当に民間人には何も手伝わせる気は無いようだ。勿論自衛隊としてそれが当たり前の対応なので、彼らに不満を持ってるわけではない。 だが何もしない退屈さが現状において苦痛であるのは確かだ。 仕方なく暇つぶしを兼ねて原警部補に言われた自衛隊の作戦が失敗した場合について想定してみる。 作戦は闇の利を生かすことの出来る夜間戦になる筈だ。 光でゾンビたちを引き寄せるのにも、闇の中から光に照らし出されるゾンビを一方的に殲滅するためにも、作戦実行は夜だ。 作戦の失敗時の最悪の状況は『自衛隊は全滅。ゾンビはほぼ数を減らすことなく10000体弱が駐屯地から溢れ出る』だろう。これを基準にして考えるべきだ。 正直なところ、どうやったらそんな状況が起こり得るのか疑問だが、それは考える必要は無い。その最悪の状況下で、どうやって生き延び、無事に富良野市へと戻るかだけを考えれば良い。『自衛隊は全滅。ゾンビはほぼ数を減らすことなく10000体弱が駐屯地から溢れ出る』 この場合は、駐屯地から出たゾンビに国道237号線上富良野─中富良野間を遮断される前に逃げ出せるかが鍵だ。 もし遮断されてしまった場合は、国道237号線を北上してから道道へと抜ける必要があるが、そのルートは正直避けたい。 距離は1km程度だが道沿いに住宅地がありゾンビが徘徊している可能性が高い。更に2ヶ所の陸橋があるので夜間、見通しが悪い中でスピード落ちた所をゾンビに襲われるという状況で助かる自信はない。 つまり自衛隊の作戦開始時には駐屯地正門近く、道道299号線と国道237号線が交わるコンビニ付近に居る必要がある。 そして作戦の失敗を確認したら、朝通ってきたルートを逆にたどり逃げる必要がある。 その為には、作戦の状況を確認できなければならないが、それが困りものだ。駐屯地周辺なのは確かだがそれが一体何処なのかが分からない。 更に作戦の失敗を知って逃走した場合にも問題は残る。ルートのほぼ全行程に街灯が無い。 しかも今日は新月間近。限られたライトの照らし出す狭い範囲の外は全くの闇となるだろう。 こちらが限られた視界しか得られないのに対して、ゾンビはこちらのライトの光を頼りに集まってくる。 スピードを出して一気に駆け抜けるべきか、自転車を押して歩いて逃げるべきか判断がつかない。 ゆっくりと移動すればそれだけゾンビを呼び込む可能性を高めるが、早く走った場合に正面や脇からゾンビに襲われた場合対応が出来る自信は無い。転倒して負傷した場合、それが致命的になりえる。「実際にその場で判断するしかないか……」 ため息が漏れる。 命が掛かってる状況でその場、その場の判断に身をゆだねるのは、どう考えても死亡フラグだ。 国道をそのまま南下した方が安全かもしれないとも思ったが、良く考えると北海道の田舎道なんて国道だろうが街灯なんて無い。もしくはほとんど無いのが基本だ。 上富良野町から中富良野町の市街地直前まで真っ直ぐに続く走りやすい道だから、街灯なんてほとんど無くてもヘッドライトがあれば車の通行には何の問題も無いだろう。 実際、今朝農道から国道237号線に出て駐屯地までの1km弱の間に街灯を見た記憶は無い。 手詰まりだ「まあ、作戦が失敗すると決まったわけじゃないし」と現実逃避に走ってみたりもするが、小心者の俺は結局は時間の許す限り対応策に頭を悩ませ続ける。 しかし、安全を期待できるような案は思いつかなかった。 ゾンビはその身体能力上、人間にとって歩きやすい場所しか移動できない。 つまり路外などの動きづらい場所にゾンビがいる可能性は低いはず。道を走る際に左の路肩に寄って走れば、前方と右の路上側だけを注意すれば、車載ライトと手持ちタイプのライトの二つで安全な視界を確保できるはず──これが辛うじてひねり出した案だが問題点もある。 『ゾンビが路外を移動できない』は確信できる。これが間違っていたとするなら諦めもつく。しかし『ゾンビは路外にはいない』は推測に過ぎない。 可能性が低いとはいえ万一そこにゾンビが潜んでいた場合。確実に致命的な事態に陥る。 また路肩に寄って走るため、前方と路上側の両方同時にゾンビが現れた場合、少しでも発見が遅れればそのままゾンビに突っ込むしかなくなってしまう。 俺はダラダラと生き続けてきた年季の入った自殺志願者だけに、死ぬ事に関して考える機会は常人とは比較にならないほど多い。 当然、死に方にも色々こだわりがある。人に迷惑をかけずに死にたいとか、みっともない姿を晒して死にたくないとか、自殺と思われないように死にたい等々数え上げればきりがない。 間違ってもゾンビに食われた挙句にゾンビとなって蘇るなど真っ平ごめんだ。 いっそのこと、テントの梁の部分に紐をかけて首吊り自殺した方がマシな気がしてきた。 いや、本来ならこの騒動に気付いた段階で自殺しているはずだった。 どこかの山の中に入り首吊りでもすれば、誰にも見つかることなくゾンビになることもなく死ねたはずだ。 それを選択しなかったのは、ひとえに文月さんの存在があったからだ。 あの日の朝。彼女に出会わず、そのまま自転車で山をおりて、人々がゾンビに追われているのを見て状況を把握したなら、間違いなく人生のゴールインを選択していただろう。 俺は彼女と出会い、彼女を守るために死を選ばずに生きてきた。しかし逆に考えれば俺は彼女に生かされてきたのだ。 自分自身の中に生きている意味を見出せない俺が、彼女を通して自分が生きる意味を見出した。 彼女は俺に感謝しているようだったが、何の事はない彼女は自分で自分自身を救っていた。 思わず口から笑い声が零れる。 ならばなおさら死ねなくなった。彼女は自分で生き残るための手段を手に入れたのだ。彼女はこの糞ったれな世界を生き残るための権利を自分で手に入れた。 その手段である俺が勝手に役目を放り出す訳にはいかない。 俺は彼女に必要とされる限り、死ぬその瞬間まで彼女を守り続ける。それも悪くはない。 多分それは長い事にはならないだろう。だが俺が死んだ後も彼女が生き残れる様に可能な限り手を尽くそう。 俺はそう決意した……決意したが、だからといって良い案が浮かぶというわけでもなかった。-----------------------------------------------------------------------------------------------------今更な古いゲームにハマリ、寝る暇も惜しんで遊んでたため更新が遅れました。目が疲れて、今も文字が読みづらいほどですw