展開している自衛隊員へ100m位まで接近した所で、自転車を降りると大声で呼びかける。「おーい!」 国道237号線から東へ一本奥の道に展開する自衛隊員たちは、敷地内の方向へ意識を集中していた為か声の出所を探して見当違いの方向へ視線を巡らす。「おーい!こっちだ!」 もう一度声をかけると、驚いたようにこちらを振り返り同時に銃を向けてくる。 半ば予想していた反応なので、冷静に素早く地面に伏せる。「ゾンビじゃないから銃を向けるな!」 ……で結局連行された。 連行といっても駐屯地の中にではなく道道299号線の駐屯地の北端に位置する交差点付近の路上。そこに設営されたテントへと連れて行かれた。 テントと言っても、一般的にイメージされるキャンプ用のテントではなく、垂直に立ち上がる壁と三角屋根という形状の、運動会等のイベントで大会本部などに使われるタイプで、鉄パイプのフレームとポリエステル帆布を使用して外とは完全に遮断されている。 テントの中には折りたたみタイプの長いテーブルとパイプ椅子が並べてあり、多分下士官と思わしき──階級章を見ても俺には見当がつかない──30代半ば、上背は俺と変わらぬくらいだが、がっしりとした体格の俺から見ても「人類というよりは熊だな」と思わせる身体付きの男の前に座らせられ尋問を受ける。 尋問と言うと、一般的に警察が容疑者が容疑者を高圧的な態度で取調べをするイメージが強いが、あくまでも『職務上の必要から質問する』という本来の意味でしかなかった。 ペットボトルだがお茶もちゃんと出してくれたし、一部の警察官の様な「おいコラ」的な態度は微塵も無かった。 さすが世界中の軍隊の中でも一般人に対してフレンドリーなのが売りの一つにしているだけの事はある──嘘だけど。 ともかく現在のような非常事態においても、常時と変わらぬ態度で国民に対応できるのは流石と言うべきか暢気というべきか分からないが、俺としてはありがたかった。「それで北路さん。あなたはどうして上富良野へ?」 互いに自己紹介を済ませた後、佐藤1等陸曹と名乗った熊男が話を切り出す。「自転車で旅行中にこの騒ぎに巻き込まれて……」 予想通りの質問を受けて、予め用意してあった作り話を並べる。 7月14日の午前中に札幌を出て、桂沢湖のキャンプ場で1泊するも、翌日の朝に岩見沢方面から避難してきた人たちから、この騒ぎを知る。 いずれ騒ぎも収束すると信じて、その後3泊するも、車で三笠の市街地まで確認しに行った者たちの話では、ゾンビは増える一方であり、更に食料は乏しくなり、その上新たに避難してきた人間の中にゾンビに噛まれた者がいて、キャンプ場にもゾンビが蔓延するようになったため、山越えで東へと逃げ、そして富良野ではなく上富良野を目指したのは自衛隊の基地がある事を憶えていたというあらすじだ。 その場しのぎの嘘じゃないので、時系列的な整合性は取れており疑われる可能性は低いと思っていたが、俺の嘘は想像以上にあっさりと受け入れられた。 何度か同じ話をさせて以前の内容と矛盾が出ないかチェックするくらいの事はすると思ってただけに拍子抜けした。 だが彼らが俺の話を鵜呑みに近い状態で受け入れたには理由があった。 富良野市ではまだゾンビすら確認されていなかった早い段階で道警旭川方面本部との無線連絡が取れなくなった富良野警察署と違い、自衛隊は無線で各駐屯地間で連絡を取り合い情報を共有していたため、その情報が俺の作り話が矛盾していなかったので信じるしかなかったというわけだった。「この駐屯地がヤツらに占拠された様に、連絡が取れた全ての駐屯地が既にヤツらに占拠されています」 苦々しげに佐藤1等陸曹は語る。 旭川にある北部方面隊第2師団の師団司令部との連絡が途絶えた後、駐屯地司令の判断により町民の保護の名目出動し、全町民の7割以上に当たる9000人近くの避難者を受け入れて保護・治療に当たったが、それが仇となり基地内で爆発的ゾンビ感染を引き起こし駐屯地を放棄・封鎖せざるを得なかった事。 そして、この駐屯地と同様の事が他の北部方面隊の駐屯地でも発生し、次第に連絡が取れなくなった事。 現在、駐屯地外で活動している自衛隊員は、基地の外で救助活動にあたっていた隊員を中心に100名程しかいない事が知らされた。「駐屯地内の建物の中に立て篭もっている隊員や町民がいるんですよね?」「ええ、しかし敷地内には隊員・民間人を含め1万名以上の人間がいて、その多くが何と言いか……」 言いよどんだ佐藤1等陸曹に助け舟を出す。「ゾンビになったのですね」「……正式な名称は決まっていませんが、一部でそう呼ばれる者たちが多くいます」「ヤツらの習性はご存知ですか?」「自分らの中にも映画やゲームが好きな者は沢山居ます。そういう自分もロメロのゾンビは見たことがあります。ですから映画やゲームの軍隊や警察の様に無駄に弾をばら撒く役立たずではないつもりなので、連中への射殺許可が下りた段階から隊員達は頭を狙って発砲しています。勿論、ゾンビだろうが元人間への発砲には大きな抵抗はありましたが……」 自嘲的な笑みを口元に浮かべ、暗い目を自分の膝に落へと落とす。「佐藤さん。私が言っているのは弱点ではなく習性についてです。ヤツらは人間を襲いますが、それが人間を喰らうことが目的なのか?単に手近な食料と考えて襲うのであって、食べ物なら何でも良いのか?どうやって人間を見つけ出すのか?そういったことです」「連中……ゾンビは視力・聴力にて獲物である人間を見つけ出し襲うという認識を持っています」「しかしキャンプ地では、ゾンビは人間そっちのけで食料の入った鍋に頭を突っ込んで、中のカレーなんかを喰らってましたよ」「それは本当ですか!」 勿論、キャンプ場という場所に関しては真っ赤な嘘だが、肝心な部分は紛れも無い事実だ。「ええ、この目で見ましたから間違いありません。連中は人間以外の食べ物も食べますし、人間以外の食べ物を判断するのは嗅覚で、カレーやラーメンにニンニクを含む食品のような強い臭いに反応します」「食べ物ですか……」「勿論、光や音に反応する事はご存知ですね?」「ええ、しかし音や光に興味を示すものの、音源や光源に接近し、それがただ音や光を出すだけだと認識すると興味を失います」「しかし臭いは、臭いだけでも連中の関心を長時間にわたり惹きつけ続けますよ」「そうか、それならば多くを一箇所に集めることが出来る可能性がありますね」 佐藤1等陸曹の目に歓喜の色が浮かぶ。 現状を打破しうる考えが浮かんだのだろう。 ラーメンの臭いに引き寄せられるゾンビを見た原警部補もこのような表情を浮かべていた。「指揮官に報告に行きます。ご足労願いえますか?」「指揮官ですか?」「ええ、駐屯地の指揮系統は壊乱したので、現在展開している部隊の最上位階級者の山田二尉が指揮を執っています」 佐藤1等陸曹に続いてテントを出て、交差点傍に停めてある装甲車らしき車両に向かう彼の後を追う。 2mを軽く越える車高。その半分程の直径をもつ巨大なタイヤを6輪も履いた車両は82式指揮通信車と言うらしい──軽く尋ねたつもりだったのだが、佐藤1等陸曹は妙に嬉しそうに詳しく説明してくれた。「先程保護した民間人から有力な情報を入手しました!」 82式指揮通信車の傍に立ち、通信機で受け答えをしている男に佐藤1等陸曹が声をかける。 彼の声に振り返ったのは、歳の頃や背格好が俺と良く似た野戦服姿の男。 表情自体は引き締まって緊張感があるのに、どこか緩さを感じさせる二世議員的なお坊ちゃん臭さを感じさせる。「こちらは?」「はい。札幌からの自転車旅行中に騒動に巻き込まれた北路氏です」「私は山田弘二等陸尉です」敬礼を向けながら苦笑いを浮かべる。「大変でしたね……と言っても過去形ではなく、これからも大変でしょうが」「そうですね。例えヤツらが今この瞬間、全て溶けてなくなったとしても生き残った我々は、これからも大変でしょう」 ましてや、そんな奇跡が期待できない以上は、生存者がこれから味わう苦難はどれほどのことか。 その後、佐藤1等陸曹と山田二等陸尉の話し合いの中で、俺は意見を求められてはゾンビに関して知りうる限りの情報を伝えた。 銃器を所持している彼ら自衛隊は常に距離をおいてゾンビと戦っているので、飛び道具無しで戦ってきた俺に比べるとゾンビへの理解が浅い。 ゾンビを素手やメタルラックのポールで殺し続けた俺の経験は、彼らにとって貴重だったようだ。 ゾンビについて書き溜めたメモ帳は富良野市についても言及しているため、渡す訳にも見せる訳にもいかなかったが、思い出せる限りの情報は惜しむことなく与えた。 上富良野駐屯地を含めて陸上自衛隊の部隊の拠点は、基地ではなくあくまでも駐屯地である。 空自や海自において駐在地が戦闘時に拠点として基地機能を必要とするのに対して、陸自は必要な場所に部隊を展開するため、駐屯地自体に防衛拠点として能力は一切無い。 そのため、駐屯地は外周を2mにも満たないだろう普通の金網のフェンスに囲まれただけで、各所に設けられたゲートも物理的に遮断すると言うより、人間が良識の範疇行動する限りにおいてのみ外部と内部を隔てられるものに過ぎない。 外部との遮断という意味ではビル建設の工事現場の方が遙かに堅牢である。 駐屯地奪還を果たしたい彼らであったが、駐屯地外周付近、つまりフェンス傍には兵舎や官舎が多く立ち並び、その中に生存者が多く立て篭もっているため駐屯地内部のゾンビに対して外からの発砲は難しく、火力を集中して使えない。 駐屯地内のゾンビに向けての発砲は、流れ弾や貫通弾が周囲の建物に飛び込まない様にしなければならず、車両の屋根などに登り高い位置からフェンス際に居るゾンビに対してのみしか行えなかった。 そのため駐屯地内のゾンビの駆逐は一向に進んでいなかった。しかし、俺が伝えた情報によって彼らは奪還作戦への光を見出したようだった。「誘き寄せたヤツらを長時間一箇所に集め続けられるという訳だな。ならば作戦の目処も立つな」「はい」「わかった。警戒任務中の以外の士官を呼び出して作戦会議を行う。1曹君も参加してくれ」 山田二等陸尉は佐藤1等陸曹に指示を出すと俺を振り返る。 作戦会議自体には参加出来ない様だが大体想像は付く、駐屯地内へのゾンビに向ける発砲が制限されるなら、駐屯地の外に火力を集中できる場所を設定すれば良いだけ。 まずは音や光で駐屯地内のゾンビを可能な限り多く一箇所に呼び寄せる。そしてフェンスの一部を破壊してゾンビを外へと引きずり出す。 そのままではゾンビは方向性も無く散らばってしまうだけだろうが、臭いを使えばゾンビを火力を集中できるポイントに留まらせることが出来る。「それと北路さん。良ければ食事の用意をするので、あちらのテントでお待ちいただけませんか?勿論大したものは出せませんが」「ありがとうございます」 まだ朝飯にありついておらず、しかも食料を全て放出してしまった俺には本当にありがたい言葉だった。