原警部補に見送られて道道759号線を走り出す。 右手に住宅地を見ながら300m走ると、空知川支流の富良野川に掛かる富良野橋に差し掛かれば、そこから先は道の左右にひたすら畑ばかりが広がる景色が続く。 軽く流しながら15分ほど走った所で、前方左手に2階建ての大きな建物が見えてくる。 そして建物の周りや道に複数の人影を見つけた。 デイパックのサイドネットに手を伸ばす……双眼鏡が無い。RV車のダッシュボードの上に置きっ放しにしていたことを思い出す。 かなり大事な忘れ物に取りに戻ろうかとも思ったが、全てが台無しになりそうなので泣く泣く諦める。 左手の親指と人差し指で円を作り、それを小さくすぼめていく。 穴が鉛筆の先程の大きさになった所で穴を覗き込み、そこから更に限界まで穴の大きさを絞りつつピントを合わせると、視界は狭く暗いがシャープに見えるようになる。 すると人影の動きがおかしいのが見て取れた。「どう考えてもゾンビだな……7・8・9……いっぱい」 2桁に達したところで面倒になり数えるのを止めた。 建物は予め地図で調べてあった中富良野南中小学校だろう。 こんな場所にゾンビが10体以上は集まっているということは、校舎の中に人間が居る可能性が高い。 原警部補に無線で連絡を取る前に、まず校舎の中に生きた人間がいるかを確認することにする。 もし児童や教師が逃げ込んでいたとしても、既に5日が経過しているので避難した人間が今も生きている保証は無い。 原警部補が救助を要請するには、無断で俺に無線を貸し出したことを上司に話さなければならない。これで要救助者を確保できたなら彼の面目も立つが空振りじゃ立場が無い。「仕方ない確認するか。貸し1だぞ原さん」 原警部補が聞いたら激怒しそうな独り言が口を突いて出た。 力一杯ペダルを踏み込み全速力まで加速する。 風を切る音のみを立てて疾走する自転車にゾンビが気付いた時には、2体の間をすり抜けていた。 路上に居た2体のゾンビが追ってくるのを確認すると左折の曲がり角で自転車を停める。 愛用のメタルラックのポールが有るとはいえ多くを同時に相手にはしたくない。可能な限り1対1の状況を作り出さなければならない。 まず先頭の主婦ゾンビを縁石の段差に誘導して転倒させると、そのまま首の骨を踏み折る。 もう一体の同じく主婦ゾンビに対しては、こちらへと一歩一歩近づいてくるタイミングを計り重心が掛かった脚の膝を正面からポールの先端で軽く押し返す。 後ろにのけぞりバランスを崩したゾンビの後ろに素早く回り込むと、右膝の裏を左脚で蹴りゾンビが膝を地面に突いたところを更に背中を蹴って前へと倒す。そして、うつ伏せに倒れた首の上に全体重を掛けて踏み潰した。 小学校の校門は玄関の正面ではなく玄関からかなり離れた北側にある。学校の敷地の外側を囲む浅い堀に掛かる幅3mにも満たない橋が校門の役目を果たしている。 その橋へと向かうと、玄関付近に集まっていたゾンビたちが団子になってこちらに向かってくるのが見えた。 迎え撃つために、橋の左右に配置された花を植えたプランターを並べて橋を塞ぐ。 ゾンビ的全速力で向かってきた奴らは次々とプランターに足を取られて転倒し、俺は作業的に次々と5体のゾンビに止めをさしていく。 だが次に現れた親父ゾンビが転倒する際にプランターを蹴って向きを変えてた。それによって出来たプランターの間を抜けて迫り来るゾンビたちから距離をおくために、学校の敷地の外へと逃げた。「残り6体か……」 上手く7体までは倒せたがそろそろきつい。 肉体的疲労以上に緊張感からくる精神的疲労がそろそろミスを呼び込みそうだ。 不利な現状に一時撤退を考える。 人間としての知能を失っているゾンビ相手だ。仕切りなおして有利な状況を作り出してから倒すのが一番だ。 そう考えていると校舎玄関のすぐ上の2階の窓から、身を乗り出して手を振る人の姿が目に入る。 その生存者の存在に気をとられて1秒にも満たない間だが足を止めたために、俺はゾンビの接近を許してしまう。 何故そんな隙を作ったかと言えば、手を振っていたのは女性であり、白いブラウスの胸の部分を押し上げる膨らみがDカップ以上かどうか判断するに、50mもの距離のせいで手間取った為だ。ちなみに間違いなくDは超えていた……何か頑張れる気がした。 どんな歯槽膿漏だと言いたくなるほどの血まみれの歯を剥き出しにして迫り来るジャージ姿の中年ゾンビ。 小学校の教師と言えばジャージというイメージから、目の前のゾンビがこの小学校の教師である可能性を疑う。 教師にゾンビ化した者がいるなら生存者は思ったよりも少ないかもしれない。 そんな事を考えながらも、俺はポールの中央を逆手(鉄棒の順手・逆手ではなく、剣道における左手の握りが右の握りの上に来ること)に握り左上段に担ぐ。 左足で踏み込み、向かってきたジャージゾンビが掴みかかろうと伸ばす右手の甲を左上から打ち払う。そして振りぬいた勢いを殺さず右手を持ち替えて左手を離すとポールの逆側でゾンビの右側頭部を殴りつけた。 重たい鉄のポールが一撃でゾンビの頭蓋骨を砕くと、その衝撃で奴の両の眼窩から眼球が飛び出すのが見えた……朝飯を食わなくて良かった。本当に良かった。 8体目を倒した俺は、ゾンビたちに背を向けて一気に自転車の所まで走る。 ポール片手に自転車に乗ると、堀を挟んだ玄関正面まで道を戻って窓から身体を乗り出す人女性に声をかける……あれはEカップだと?「そちらに何人居ますか?」「13人居ます!子供たちが児童を含めて8人です!お願いです。助けてください!」「分かりました。これから助けを呼ぶので校舎から出ないで──」「お願いです食べ物だけでも早く!子供たちがかなり衰弱してるんです!」 その一言で状況が変わった。 13人を運ぶとしたら、マイクロバスを出す必要がある。 無断で持ち出した無線の件もあり、その辺のいきさつを上司に上手く説明して、マイクロバス使用の許可を貰うに時間が掛かるかもしれない。 一方、俺の背中の荷物の中には、13人を腹一杯にさせるのは無理でも、そこそこ満たす程度の分量がある。 アルファ化米2kgの袋は、2日目の朝に食べたっきりで13食分以上はあるし、他にもスパゲッティの500g入り乾麺にインスタントラーメン5袋が手付かずで残っている。更にカレーやミートソース等のレトルト食品の袋も幾つか残っている。「分かりました。食料はあるのでお湯をたっぷり沸かして、沸いたら教えてください」 無線で連絡だけを済ませて立ち去ることを断念する。「余計なことに首を突っ込みすぎだ」 これが原警部補の言う自分の死を飾り立てたいという心理状態なのだろうか? それともEカップに目がくらんだのだろうか? どうでも良いさ、お湯が沸くまではまだ時間がかかるだろう。とりあえず残りのゾンビを排除しておくか。 残り5体の内、3体が堀の外側の道路を歩いて接近してくる。 良い感じに半分に別れてくれたが、やはり3体同時は危険が伴う。 しかも先頭を倒しても、2体目・3体目が同時に襲ってきそうな嫌な間隔で迫ってくる。 自転車から降りると、背中の荷物を降ろしてポールを構えた。 3体同時に相手にするのを避けるために、先頭の作業服を来た男性ゾンビの胸をポールで突く。 バランスを崩して背後のゾンビを巻き込んで転倒するのを期待したのだが、背後のゾンビにぶつかり後ろへと転倒させたが、作業服のゾンビは突き飛ばされるようにしてこちら方へとに倒れ込んできた。 慌てて上体を反らし、掴まれたら最後という意味では鮫の顎にも等しいゾンビの両腕を避けるが、作業服ゾンビは地面に倒れこみながら右腕を伸ばして俺の左足首を掴んだ。 足を抜こうと引っ張るが、万力の様な力で締め上げるゾンビの右腕はびくとも緩まない。 それどころか、何の例えでもなく文字通り握りつぶされかねない握力に、口を突いて小さく悲鳴が漏れた。 俺は足を抜くのを諦めると、ポールを振り上げゾンビの頭に力一杯先端を突き刺した。 奴は呻き声すら上げずにその動きを止めたが、しかしその手は俺の足首を掴んだまま放さなかった。 締め上げる力こそ無くなったが、一瞬で死後硬直を始めたかのように、がっちり握りこんだ形のままで固まった手は足を振った程度では外れない。 すぐ傍に2体目の主婦ゾンビが迫るが、俺は距離を取ることすら出来ない。 下から主婦ゾンビの顎を掌底で突き上げるが、人間相手なら十分昏倒させられる一撃もゾンビ相手にはダメージらしいものは与えられない。 相手がのけぞった僅かな隙にポールを倒れたゾンビの頭から引き抜く事が出来ただけだった。 だが折角のポールもゾンビとの距離が近すぎて攻撃するだけの間合いは無く、俺はとっさにポールをゾンビの伸ばしてきた手に掴ませる。 自分の手に握られたポールをじっと眺める無防備なゾンビの腕を掴むと、前に引き倒し転倒したところを自由の利く右足で首を踏み砕く。 目の前のゾンビは残り1体だが、左足は封じられ得物は手の中に無いと考えるべきか? 左足は封じられ得物は手の中に無いが、目の前のゾンビは1体しかいないと考えるべきか? 答えを出す間もなく最後のゾンビが迫り来る。 殴っても意味は無く左足を封じられて蹴り技の多くも使えない。首をへし折るにも奴の手で掴まれたら俺が先に引き裂かれてしまう可能性が高い。「くそっ」 掴みかかって来たゾンビの右腕をの手首を右手で握る。覚悟していたとはいえ触ってはいけないモノを掴んでしまったおぞましさに、もう一度「くそっ」と吐き捨てる。そして奴が反応するよりも早くこちらに引き寄せてから、奴の左肩の後ろに左手を当てると、上体が前に流れてバランスを失ったゾンビを、足首を掴まれた左足を軸に270度回転して堀の中へと投げ入れた。 頭から堀に突っ込み暴れるゾンビを尻目に、左足首を掴むゾンビの右腕の手首を右足で踏みつけると左足を引き抜くと地面に転がるポールを拾い上げる。 そして堀から這い上がろうとして顔を覗かせたゾンビの頭頂部へ思いっきりポールを振り下ろし止めを刺した。 緊張感も集中力も完全に切れそうだったが、そうもいかない。まだ2体のゾンビが堀の向こう側で待っている。 堀の向こう側の縁で、物欲しげにこちらに両手を伸ばすゾンビたち。 堀に落ちない程度の知能が残っているのが忌々しい……ならば落としてしまえと思いつく。 堀の向こうのゾンビに自分の手を差し出す。そしてヤツらが掴もうとするとぎりぎりでこちらに引き戻す。 これを何度も繰り返すことにより、片方のゾンビが足を滑らせると、都合よくもう一体のゾンビともつれ合って堀へと落ちる。後は上から容赦の無い滅多打ちを食らわせることで片をつけた。「やべぇ……もう1日分以上疲れちまったよ……」 血まみれのポールを傍らに投げ出して地面に座り込んだ。 朝っぱらから頑張りすぎた。 これから上富良野まで走ることが億劫だ。 更に自衛隊に接触するなんて面倒な事を考えると何もかも放り出したくなる。 そうやって現実逃避に浸りたいところだが、周りに横たわるゾンビの死骸から漂う血の臭いが否応もなく現実に引き戻してくれる。 立ち上がると自転車の傍に置いたデイパックの元へと歩み寄り、中から無線機を取り出す。「こちら北路。こちら北路。原警部補どうぞ」 正しい呼びかけ方なんて知らないから、テレビドラマや警察24時などのドキュメンタリーなどで無線を使う場面の真似をして呼びかけてみる。『どうした?上富良野に着くには早過ぎるだろ。どうぞ』「こちら現在地、中富良野南中小学校前。校内に13人の生存者が居るとの事。内8人が児童……いや児童を含めて子供が8人です。どうぞ」『分かった。どうすれば良い?どうぞ』「食料も無く5日間立て篭もったので、自力でそちらに向かうのは無理かもしれません。どうぞ」『わかった。すぐに車を手配する。それから生存者の詳しい状況はどうなんだ?どうぞ』「今、学校周辺のゾンビの排除が終わったばかりで、これから校舎内に入るところです。医者の手配が必要なら追って連絡します。どうぞ」『了解した。どうぞ』「……終わる時は何て言えば良いんですか?どうぞ」『良いから切れ。どうぞ』「了解」 無線をデイパックにしまうと、疲れた身体に鞭打って立ち上がる。すると玄関でドンドンという音がして振り返ると先ほどのEカップがガラス戸を叩いているのが見える。 何も考えずに彼女のEカップのバストを10秒ほどぼーっと見つめていると、それだけで気力が蘇ってきた。オッパイは良い。実に良い。 もっと近くで見るためにデイパックを背負いポールを拾い上げ、更に自転車を肩に担ぐと堀を飛び越えた。