原警部補が立ち去った後、俺と文月さんはRV車の荷台の整理を行っていた。 自転車とデイパックを降ろすだけで作業が終わってしまった俺は彼女の手伝いをする。 彼女自身の着替えと、使い道の無くなった祖父母の着替えを別に分けて袋詰めにして保管。 遺品としての意味だけではない。今の様な状況下では、古着一着だって貴重な物資。今後しばらくは布一枚簡単に生産が出来なくなる可能性も高い。 それに自分達に使い道が無くても、一着の服が誰かの命を繋ぐ場合だってある。 彼女の家や土地の権利書等の書類が出てきたので、現金や貴金属と共に厳重に保管するように指示する。 世界が元の姿を取り戻さない限りただの紙切れやゴミとなるのだが、いつか元の世界を取り戻すという希望が生き残る原動力となりえるので、彼女には最後まで持っているように言った。 食料品は分類して整理するのと同時にレトルト物は箱から出してコンパクトにまとめる。 30kg入りの厚い紙袋に入った米が出てきた時には、重たいのを堪えて積み込んだ文月さんの事を「ナイス!」と誉めたが、袋の中を覗いてみて米の一粒一粒が殻に覆われているのを見て固まる──精米どころか脱皮(だっぴじゃなく、だっぷ)すらしていないとは。 米は籾殻付きで精白米とは違い長期保存に適している。 彼女の家は毎年峰延の米農家から一年分を購入して今年分の最後の一袋との事で、普段は10kgずつ近所のコイン精米機で脱皮し精米するとの事。「いざとなったら精米しなくても玄米で食べられるし、むしろこれからのことを考えると玄米を食べて米からビタミン類も摂取した方が良いんだろうけど、脱皮ってどうするの?」「すり鉢にお米を入れて、スリコギ棒よりももっと面積の大きな野球のボールなんかで、米をすり鉢に押し付けるようにして優しく動かすと籾は外れますよ」 時々精米した米を切らした時にそのようにして玄米を炊いていたとの事だった。 全ての食料品の整理が終わると、その分量をきちんと調べて自分で管理するように指示する。 彼女の命の綱となる食料。この食料の分だけは彼女は飢えずに済むのだ。 次に出てきたのは釣り道具が一式。多分最初から積みっ放しなってたのだろう。 海釣り用ではなく川釣り用一式が揃っていた。川釣りに関してはさして詳しくない俺から見ても良く手入れのされた高級品と思われる。 そして大型のコンテナケースにはキャンプ用品。ターフ一体型の大型のテントに炭火コンロとテーブル・椅子などで、それぞれかなり本格的な装備で、いよいよの時にはゾンビも現われそうに無い山奥に逃げ込んで生活するならきっと役に立つだろう。 また同じくキャンプ用品でコンテナケースの外に大型のウォータージャグがあったので、後で水を汲んでおくことにする。 最後の荷物が入ったバックに手を伸ばそうとすると、文月さんが「あっ」と小さく声を上げた。「どうしたの?」 言い出しにくそうな彼女の様子を察し声を抑えて話しかける。「多分それは鉄砲だと思います。狩猟が祖父の趣味でした」「鉄砲……散弾銃とかライフル?」「詳しくは、わかりません」 中は後で確認するとして、この大型RV車や釣り道具に本格的なキャップ用品。そして狩猟用の銃。彼女の祖父の趣味ががわかってくる。 彼は先程俺が考えたように、いざとなれば安全が保てそうな自分が知ってる山の中に逃げ込み、3人で生き延びるつもりだったのだろう。「文月さんのお祖父さんは、富良野じゃなくどこかに行くっていってなかった?」「……えっと、山を越えてとりあえず富良野に出ると言っていたと思います」「とりあえずね。その後の事は?」「いえ、何も聞いてません。途中で祖母の具合が悪くなったので、富良野で病院に行くと言っていました」「そうか、ありがとう」 肝心な情報は手に入らなかったが人の居ないような山奥は幾らでもある。サバイバル生活に役立ちそうな本や道具をどこかで手に入れた方が良いかもしれない。「文月さん。とりあえずコレは警察には黙っていよう。もしかしたら必要になるかもしれないし」 警察に知られたら没収されるのは間違いないので、銃の入ったバックには手を出さず整理を終える。 作業を終えた俺たちは車内の前部シートでくつろいでいた。 北海道の7月は窓さえ開け放しておけば、車内といえども冷房無しでも結構過ごし易い。 スポーツドリンクを2人で飲みながら、俺はあえて今まで口にしなかった話を切り出す。「どうして、あの時ゾンビに体当たりするような危ない真似をしたの?」「…………」「あと少し遅れていたら、君はゾンビに噛まれていたんだよ。そうなればもう絶対に助からない。なのに何故?」 抑えきれずきつい口調になってしまった。「……わたし、あの時……何も考えてませんでした。北路さんの前にゾンビが立ちふさがった時、何も考えられなくなって……気付いたら飛び出していて……何時の間にか床に倒れていて、私の横を北路さんが通り抜けた時、置いていかれたような気分になって不安で寂しくなって……そうしたら、目の前にゾンビたちがいて、私……お祖父ちゃんやお祖母ちゃんみたく死ぬんだと……でも、次の瞬間、北路さんが助けに来てくれて……あなたが危険な目にあって、私、私……」 俺の責めるような言葉に、感情を高ぶらせたのか、目を潤ませ始めた彼女を見て、慌てて言葉を遮る。「分かった。確かに俺も不注意だったし、見通しが甘かったと思う。でもあんなのはもう勘弁して欲しい。こんなのでも俺は君の安全には責任を感じてるんだ」 こんな状況の中、自分の目の前で寄辺無き身となってしまった文月さん。彼女の今後に無責任でいられるほど俺は人でなしではない……善人だとはこれっぽちも思わないが。「はい……」 文月さんが小さく返事をして、気まずい空気が車内を包む。 こんな空気だからこそ俺は言わなければならなかった。勇気をもって口にする。「だけど、助かったよ。ありがとう文月さん」「えっ?」「君があの時、飛び込んできてくれなかったら、かなりまずかったと思うんだ。ありがとう。文月さんは俺の命の恩人だよ」 俺だってちゃんと感謝はしていた。ただそれをなかなか口に出せなかっただけだ。「えっでも、私……結局、北路さんに迷惑掛けて」「だから、まず君が俺を助けようとしなかったら、君自身が危険な目に合うことも無かったんだから」「だけど、私はそのずっと前から北路さんに助けてもらってます。だから助けてもらうばかりじゃなく、少しでも北路さんの助けになれれば良いって思ってて……」「本当に助かったよ。ありがとう」「……なのに、結局北路さんが私のせいで危険な目にあって……絶対にあんな危ない戦い方しなかったのに」 文月さんは、俺がゾンビを戦う際に決して正面からは戦わなかったのをちゃんと見ていたのだ。 常に背後、もしくは倒してから、しかも反撃を貰わないように一撃で倒すようにしてきた。 正面からの場合。殴ったとしても蹴ったとしても、あの腕力で掴まれたら最後、引きちぎられるか、それとも引き寄せられて噛み付かれるかのどちらかしかない。 だからゾンビに対しては正面から直接攻撃は絶対にしなかった──頭の中にあの痺れるような感覚が走るまでは。「そんなにしてまで戦ってくれる北路さんに、私……嬉しいと感じてしまって。酷いですよね?」 彼女の目から涙がこぼれる。まだ少女とは言え女の涙は苦手だ、どんな言い訳も通じない罪悪感がプレッシャーとなって迫ってくる。「いやいや、誰かが自分の為に何かをしてくれるってのは嬉しくて当然だ。嬉しいと思ってもらえて俺も光栄だよ」 必死に彼女を慰めようと言葉を繰り出すが、空回り感ばかりが募る。「北路さんに抱き上げられて嬉しくって頭が真っ白になって、あなたが私を心配してくれてるのに返事も出来なくって……」 抱き上げられて……嬉しい?何やら話が変わってきた気がする。「私、私、北路さんのこと……」「おい。さっきの話だが署長の許可が出たぞ」 空気も流れもぶった切り、窓の向こうからいきなり原警部補が顔を出す。「でな、準備に人手が足りないから悪いが手伝って欲しい」「手伝うって何を?」 内心、彼に感謝しながら尋ねる。「檻の補強だ。スポーツセンターに行って、入ったヤツらが窓とかから出られないようにする」「その手の作業なら、俺や警察よりも消防の方が向いてないですか?」 俺の言葉に原警部補は一瞬息を呑む。「そうだろうな……だが連中にはもう頼めない」「何故?」「今回の騒動で真っ先に被害にあったのは消防や救急救命の連中だ。救助が仕事だからな助けようとして逆に襲われて、多くの被害者を出した。今現場に出れるのは2、3人ってところだ」 悔しそうに肩を震わせ歯を食いしばり口元を歪ませる。「そうですか……道具とかは揃ってるんですか?」「一旦ホームセンターに寄って。そこで調達する予定だ」「勝手にですか?警察ってその辺うるさいんじゃ?」「一応、店長とは話がついてる。鍵も預かった。オーナーとやらが文句があるならここまで来て言えってんだ」 だんだん砕けてきたなこのおっさん。そんな風に思いながら口にせず黙って頷く。「移動の足は?」「署にマイクロバスがあるからそいつを使う」「分かりました手伝いますよ」 そう言うと、何か言いたげにこちらを見つめる文月さんと目を合わせずに逃げるように車を降りた。 彼女が何を言いたかったか分からないと言うほど朴念仁を気取る気は無い。 だが、助けてもらったから好きだ嫌いだなんて感情の高ぶりに任せた気持ちに向かい合うつもりはない。 そんな事していれば、レスキュー隊員は要救助者の女性とのラブロマンスに満ち溢れ、海猿はエロ猿にタイトル変更だ。 第一、最低限は胸はCカップを超えてくれないと、生物学的にはともかく俺的には女性と認めることは出来ない。 そう。俺はおっぱい星生まれのおっぱい星人。生粋のエリートおっぱい星人だ──そもそも、文月さんとでは生れ落ちた星が違うのである。