大学生と社会人と8年間暮らした東京からアパートを引きはらい札幌の実家に戻ったのは2009年7月12日の夜だった。 こんなご時世に、いきなり仕事を辞めて実家に戻った息子に対する両親からの風当たりは強かった。 「何故?」と責める様に理由を問いかけてくる母親に本当の理由を話す訳にもいかなかったが嘘を並べ立てる気にもなれなかったため、母親が疲れて諦めるまで背中を向け続けるしか出来なかった。 自分の部屋で独りになると押入れのふすまを開く。8年間仕舞いっ放しだったダンボールを引っ張り出し、すっかりほこりを被ってしまったダンボールの中から懐かしい思い出の品々を取り出す。 高校時代の夏休み。趣味のサイクリングで遠出をしては、泊りがけで北海道中を共に気の向くままに走り回った旅道具たちを一つ一つ手に取り確認していく。「まだ十分使えるな」 多少古びた感じはするものの東京などに比べると湿気の少ないため、8年間押入れに入れっぱなしであったにも関わらずカビも錆びも目立つようなものは無かった。 その2日後の朝。まだ早朝といえる時刻に『旅に出る。毎朝連絡を入れる』と書き置きを居間の座卓の上に残すと、高校時代の愛車である自転車と共に旅に出た。「空が違うな……」 ペダルを漕ぎながら見上げる故郷の朝の空は東京で見上げていた空とは違う。吸い込まれそうな透明感と深い青さを備えていて何故か泣きたくなるような気分になった。 昨日。ピッカピカに磨き上げた後に馴染みの自転車屋に持ち込んで、長年放置したために錆びたワイヤーや硬くなったタイヤ、ブレーキゴムなどのパーツ類を全て交換し、整備を済ませた愛車のペダルは何のストレスも感じさせず気持ちよく回り続ける。 小学生の頃からの付き合いである店主の親父さんの仕事は相変わらずの丁寧さだった。 10年選手のくすんだライトグリーンのフレームは、購入当時でさえ時代遅れの感のあったアルミ製のホライゾンタル・フレーム。(ハンドルの付け根とシートの付け根を繋ぐフレームパイプが、地面に対して水平になっている自転車フレーム。昔はこの形が定番だったが今では余り使われない) PTAが意味不明な理由で目の敵にするドロップハンドルに、効果を疑問視されがちなトゥクリップ。 最近でこそロードタイプの自転車は復権を果たしたが、当時としては流行らない自転車であり、俺より一回り上の年代の男性は「ロードマン」と思わず呟き懐かしがるフォルムだ。 タイヤは仏式バルブの700C。当時の北海道では替えのチューブも簡単には手に入らず、遠乗り中にパンクしてスペアを使ってしまうと帰り着くまでドキドキしっぱなしだった。 フロントキャリアに装着したフレームと同系色のバックには、小型のフットポンプにスペアチューブが2セット。そして簡単な修理なら出来る程度の工具類が収まり。 二つ取り付けたドリンクホルダーには、専用ボトルよりも使い勝手が良い900mlのペットボトルをセット。その中には高校時代に愛用した粉末スポーツドリンク──とっくに賞味期限切れだが、昨日の内に試飲し安全を確認済み──を水で解いたものが詰めてある。 背中の大型デイパックには、数日分の着替えと食料・調理器具・アメニティーグッズ・雨具など諸々の旅に便利な小物類を詰めてある。 デイパックの上には寝袋とマットを巻いて丸めたものを縛り付けて固定した。 俺の自転車にリアキャリアは存在しない。タイヤ上部を完全にカバーするアルミ製の泥除けステイが、マウント用の穴を使ってしまっていて取り付けられないためだ。 この手のロードサイクルに泥除けステーをつけない奴は多いが、雨天どころか路面が濡れていると乗れない自転車は実用性の面で無意味だと思う。 その為に最後の大型の荷物である一人用のテントは、自転車のフレームの三角形の内側にゴムネットとフックで固定している。 服装は普通のジャージのパンツに、吸水性の良い厚手で長袖のTシャツ。その上から吸った汗を乾かすために一回り大きなサイズのメッシュのTシャツを重ねて着込む。 レーサーパンツにサイクルジャージなんてパッツパッツンの恥ずかしい代物を着なくても、1秒以下の時間を争う競技でもなければジャージのパンツの方が自転車に乗ってる以外の時の実用性が高い。 泊りがけの遠乗りの場合には食料の買出しなんかでスーパーに立ち寄るがレーサーパンツとかでは敷居が高いというか、あの格好は自転車に乗ってるから辛うじて許されているのであって、俺は自転車を降りた瞬間から恥ずかしくて無理。 手首までを覆ってくれる厚手の長袖Tシャツは転倒時の擦り傷を、むき出しの素肌に比べれば劇的と言って良いほど軽減してくれる。 もっとも、転倒時に身体とアスファルトの間の一枚の布地の利を最大限に活かすには、多少では済まない転倒の経験が必要だ──全く自慢にならない。 汗止めのバンダナをし、強い日差しによる髪焼けを防ぐキャップを被り、足元はソールが厚目で柔らかいゴムを使った安スニーカー。 手首まで守れる丈夫な皮製のグローブをするのは、一度自転車に乗っていて道にまで張り出した木の枝が顔に当たりそうになり思わず手で顔を庇った時に、枝の棘でざっくりと手首を切った経験によるもので、今でも俺の左の手首には二条の傷跡がくっきりと残っている。 もっとも夏場は、暑さの為に大量の汗をかき、中が蒸れてヌルヌルと気持ち悪くなり、しかも臭いという深刻な問題もある。 腰には大きめのウェストポウチを取り付け、中に財布に携帯電話とサングラスを入れた。 軽い向風をものともせず快調に加速していく自転車と俺。踏み込むペダルの確かな感触と後ろへと流れていく景色に、久々の懐かしい感覚に心の奥底で沸き立つものを感じた。 札幌市内。国道231号線を北上していると、景色は以前と余り変わりの無い様に見えたが、高校時代に友達と何度か買い物に行った事のある大型模型屋が紳士服店に変わっていて少しセンチな気分を味わう。 茨戸川手前で右折して道道(どうどう:北海「道」の県道にあたる道)128号線へと入り、2.5km程を走ると札幌教育大のある、あいの里地区に入る。 最近、あいの里地区はベッドタウンとして開発が進んでいると聞いていたが、表通りを走ってる限りにおいて、高校時代の頃と大きな変化を感じられない。 JRの線路を跨ぐ高架手前で中道に入り、あいの里公園沿いのカーブを利用した近道を走る。国道337号線への合流手前から目に入るはずの全国紙の新聞社の北海道支社の大きなビルの看板が、北海道土産として生チョコレートで有名な菓子メーカーのものに変わっていたのが唯一はっきりと気付いた変化だった。 菓子メーカーの建物の前を通り右折して北海道最大の河川である石狩川(長さで全国3位。流域面積で2位)にかかる札幌大橋を渡り、札幌市と当別町の町境を越えると目の前に広がる風景は、これぞ北海道と言わんばかりだ。 途中信号が一つあるだけの7km以上続く真っ直ぐな道が伸び、その周囲にあるのは畑と農家。後は川と用水路が張り巡らされるだけで、山も丘も無くひたすら平野が広がる。 数時間後には行き交う大型ダンプやトラックが巻き起こす起こす風に煽られ、舞い上がる埃を被る事になるこの道も、今はまだ交通量は少なく空気は澄み切っていた。 7kmの道のりを風を切って走りぬけ国道275号線にぶつかると、一旦数百mを南下し左折で農道に入る。 比較的路面状態の良い農道を選びながら(道路状態は良くないので選ばないと酷い目に遭うが、下手に近道を選びすぎると畑の真ん中で行き止まりになったり、砂利道に出てしまう)15km先のしのつ湖を目指して走る。自動車とは違い自転車での長距離移動はこまめにチェックポイントとそこまでの時間を定めて走り、たどり着いたらまた新たな目標を設定して走ることを繰り返さないと途中ちょっとしたアクシデントでも心が折れたりする。 しのつ湖は新篠津村にある、石狩川の蛇行部分をせき止められて出来た三日月湖。 たぶん実家から一番近い冬場結氷し氷上で公魚(わかさぎ)釣りが楽しめる湖であり、以前から一度冬の氷上公魚釣りを体験したいと思いつつ、未だ果たせていない──何故なら、冬場に簡単にたどり着ける場所ではなく、ちょっと吹雪けば札幌に帰れなくなる。 また何度か冬に北海道に里帰りした時に、地元の友人達を誘ってみたがことごとく断られた。曰く「寒いから嫌だ」だそうだ。生まれも育ちも北海道なのに…… 川沿いのカーブを、犬と散歩中の老人を追い越して走っていると目の前に大きな吊り橋が現れる。「岩見沢大橋じゃ……ない?」 何度も渡ったことのある錆びだらけの古びた橋が、見慣れない綺麗で道幅も広い新しい橋に変わっていた。「そういえば何か橋作ってたよな」 橋の親柱に埋め込まれた金属部レートに刻まれた名前を見つける。「たっぷ大橋だぁ?名前も変わったのか……大体たっぷって何だよ?」 そんな疑問を抱きつつも、しかし元の岩見沢大橋に思い入れがあったわけでもなく、新しい橋で良かった位の気持ちで橋を渡る──実際脇の歩道の部分も広く走りやすかったので橋が架け換わったことに感謝した。 その後15kmほどを、目先が変わらなさに飽きを感じつつ農道を走り続け国道12号線は岩見沢市と三笠市の町境にたどり着いた。 家を出て3時間弱。自転車のハンドルに取り付けてある100円ショップで買った液晶デジタル腕時計の時刻は8:39を示していた──ちなみに安い液晶は強い直射日光を浴びると直ぐに真っ黒に焼け付くので普段は液晶面を下に向けて、確認する時だけ指で回して時刻を読み取る。「さて飯はどうしよう?」 朝飯を食わずに家を出たためにかなり空腹なのだが、困ったことに今の今まで朝飯をどうするか何も考えないまま、ここまで来てしまった。 高校時代、暇なときにちょっと自転車に乗って来るような場所であった気軽さゆえの失敗だ。 もちろん、人口十万人に満たない田舎町の岩見沢市とはいえどコンビニくらいは何軒もある。現に目の前の信号を渡ればすぐコンビニだ。 だがコンビニ弁当なんかで適当に食事を終わらせる訳にはいかない理由があった。この後予定では今日は一日中山道を走ることになっている。 その活力を得るためにも、しっかりとした食事を是非に取っておきたい。 この機会を逃せば、次にインスタントやレトルト以外の食事を取れるのは順調に予定をこなしても明日の昼になるはずだ。 ここから国道12号線沿いに札幌方面、岩見沢の中心部へと行けば適当な食べ物屋は有るだろうが、この時間帯に開いてるとは期待はできない。 だからといって店が開くだろう10時以降まで待つなら、多分今夜は山の中で一夜を明かすことになるだろう。初日からそんなのは絶対に嫌だ。 周囲を見渡してみると三笠の方角1kmほど先に、全国展開の巨大スーパーマーケットの看板が見えた。「ここって店によっては10時より前から開いてたような……開いてなかったような」 あまり期待せず、軽く流す感じでペダルをこいでスーパーマーケットに向かうと、巨大な看板には営業時間が9:00~と書いてあるのが見えてほっとする。 広い駐車場を抜けて駐輪スペースにたどり着くと、まだ開店までは10分以上が残っていた。自転車止めに自転車を停めて、しっかりと二重に鍵をかけると近くのベンチに腰を下ろす。 そして座りながら軽くストレッチをし、太股から脹脛にかけてマッサージを施す。10代の頃とは違い20代後半に差しかかると、こまめな身体のケアを心掛けないと突如として心を身体が裏切るという事を、悲しいほど何度も思い知らされている。 そうこうしていると、明るい音楽と共に開店を知らせるアナウンスが流れ始めたので、正面入り口へと向かう。 店内に入ると真っ先に店内地図を探し、レストラン街の位置を確認して真っ直ぐに向かう。 これからの旅で度々お世話になるだろうカレーや麺類を避けた上で何を食べるか考えていると、美味そうなオムライスのディスプレイが目に入ったので、迷わずその店に決める。 明るくファンシーな雰囲気の店内に、似合わない今の自分の格好を自覚しつつ入店する。唯一の救いは他に客の姿が無いことだ。 注文して10分少々で出てきた、卵がふわふわトロトロのオムレツに、サラダとスープ。サイドメニューにチキンナゲットで少し重た目の朝飯をガッツリ頂く。 この後の山道を抜けて暗くなる前に富良野に出る事を考えれば、昼は自転車を漕ぎながら栄養ブロックかゼリーだろうし、夜はキャンプ場でカップ麺かレトルトカレーだと思うと、食べ終えてしまう事が惜しくすら感じられた。 食後、時間に余裕があるわけではないのだが、アウトドア系のショップを何か良さ気なモノが無いかと見てまわる。 するとLEDライトのコーナーが目に入り足を止める。 色々と噂には聞いていたが、実際LEDライトに触れたのは昨日馴染みの自転車屋で自転車のライトをLEDにしろと薦められた時が初めてであった。 その白く明るい光と消費電力の低さに興奮を覚えて即買いしたのだが、俺の中の物欲という名の魔物はまだまだ満足していなかった。 気付くと、ヘッドマウントタイプと、手持ちタイプで明るさを2段階に切り替えられ、更にビームと拡散も切り替えられるライトを持ってレジに並んでいた。「仕方ないよ。こんなに凄いんだから。絶対に必要になる……いつかきっと」 アウトドアショップで会計を済ませた俺は、自分を欺きつつ慰める台詞を吐きながら食料品スペースに向かう。 そこで昼飯用のバナナと某固形バランス栄養食品を購入してスーパーマーケットを出る。 買いこんだライトと食べ物をパッケージや袋から取り出すとゴミを店のゴミ箱に捨てて、中身をウェストポウチとデイパックにつめた。 再び自転車に跨りペダルを漕ぐ。道道30号線から左折して道道116号線へ入る。 暫く平坦な道を走ると三笠市の中心部に差し掛かるが、これから辛い登りが続くと思うと小さな田舎町に感慨深い何かを見出す精神的余裕もなく一気に走り抜けてた。 三笠市の市街地の終わり辺りから始まった細かいアップダウン有りの登り道。フロントバッグ上部のマップ入れ(グリッドの入った透明なビニール製のクリアファイルの様な物が、スナップでバッグ本体に着脱可能。そこに地図を入れて走りながら確認できる)の地図を確認すると標高はいつの間にか100mに達している。 自転車を停めて、この先の行程を地図で確認すると次の1km程で標高160mを超えて、更に次の1kmで200mを超える。 その後は、アップダウンを繰り返しつつ最終的には400mを超える事になる。 単純に地図上の標高の20m単位の数字以上に問題となるのは数字に出ない細かいアップダウンだ。 極端な話、等高線の20mの間なら何度も急な坂を上り下りしても地図上は平坦な道となっているので、地図だけを頼りにして全く知らない道を走ると酷い目に逢うこともある。 この道を自転車で走るのは始めての経験であり、俺も地図を見て感じた、何となくこんなものだろう以上の知識は無い。 結局スーパーマーケットを出て15kmほどの道のりを走り桂沢湖付近にたどり着いた頃には、俺は想像以上に疲れ果て、時刻は大雑把な予定として考えていた12:00を一時間以上も過ぎていた。決して想像以上に酷い道という訳で無かったにも関わらず…… ──桂沢湖は山々の谷間に築かれたダムに堰き止められて出来た人工湖で、普通の湖の様ななだらかな湖畔ではなく、溜まった水が周囲の山々の谷間に入り込み細かい棘の生えた木の枝の様な形をしており見ていると非現実感を覚える。また湖の周辺は周囲を原始林に囲まれた美しい景観の道立自然公園である。 本日の予定は、富良野市に入り、市街地を南下してキャンプ場に一泊する予定だった。 だがこの先の更に厳しい山道を抜け富良野市市街地に入るだけでも40km以上。そこから平坦な道だが20km弱先のキャンプ場まで走るのはどう考えても無理。 東京での生活で全く運動していなかった訳じゃないが、自転車で長距離を走るような事は普段の生活に組み込まれていないどころか、全くやってなかった。 自転車を漕ぐという運動は自分の足で歩いたり走ったりするのとは異なる筋肉の使い方をするので、これは致命的である。 また体力自体が10代の頃に比べると笑ってしまうほど低下しており、何のリハビリもなく高校時代の身体のつもりで予定を立てたが、これまでの70km以上の道のり──特にここ10kmの上りの坂道で筋肉は既に悲鳴を上げていた。 このまま走り続け、体力が残っている間に山道さえ抜けられれば、適当に道路の端ででも一人用のテントを張って寝れば良いのだが、山の中で力尽きてテントで一泊というのは怖い。何が怖いと言うと熊が怖い。本州のツキノワグマと違い北海道の熊は羆だ。顔を見れば分かるが、どこか愛嬌を感じるツキノワグマと違い連中の強面には洒落や冗談は全く通じそうも無い。 初日にして既に絶望的なまでに狂ってしまったスケジュールに頭が痛い。 そんな気分を落ち着かせるために桂沢湖の美しい風景に目をやる。 細波にゆれる湖面には空の青さと山の緑が、夏の日差しと共に揺れている。そんな美しい景色にふと言葉が漏れる。「幸いここってキャンプ場もあるんだよな……」 思わずそう呟いてしまった自分に驚く。幸いってなんだよ?初日から日和ってどうする俺?「畜生。行くぞ!」 そう自分に喝を入れるとペダルを強く踏み込む。坂道をグイグイと登りながら桂沢湖をパスしてゆく。 ウェストポウチからバナナを取り出すと皮をむいて齧り付く。ムシャムシャと咀嚼しボトルホルダーから取り出したペットボトルを煽ってスポーツドリンクごと喉の奥に流し込む。 力の限りペダルを踏み込んでゆく、汗止めのバンダナを乗り越えて顔中に伝わる汗も振り払わずに、まるでそうすることで10代の頃の自分を取り戻せるとでも言わんばかりに、無謀にも山道に挑んでゆくのであった。 現在の時刻 今、日付が変わった 現在の場所 良く分からないが山の中 現在の体力 限界突破 現在の気力 心が折れて真っ二つ 結論。頑張ったところで10代の黄金期の頃の体力が戻ってくるはずは無い。 どうにもこうにも限界だ。ペースは上がらない上に足は攣る。仕方なく自転車を降りて押し歩けば2時間もすると今度は腰が痛み出す。近年の不摂生のツケが一斉に襲ってきたみたいだ。