Part1 Unlimited Blade Works
この世のものとは思えぬ光景だ。
目の前に広がる『世界』を見て、真っ先にそんな言葉が浮かんだ。
目に付くものは、一切の生命の宿らぬ赤い荒野。鈍らから名作までが揃った無数の剣の群れ。赤く黒く焼けた空。
そして、世界の最果てに燃え盛る煉獄の炎と、世界の中心に立つ、この剣の国の王。
それらを認識してから数秒後、突然の事態に誤作動を起こしてしまった脳髄が、漸く最も確認すべき事項を思い出した。
慌てて、背後を振り返る。
自分の命を狙っている2人に無防備な背中を晒す危険性を考慮する余裕すら、今は無くなっていた。
――この世に生を受けてから、ずっと、物事を知るのが好きだった。好きで好きで堪らなくて、気が付いたら狂っていた。
1つのことを知れば、それに関わること、また別のこと、幾つものことを知りたくなる。
無知が埋まれば未知が現れ、既知が増えるほどに未知も増え続ける。
その連鎖がたまらなく楽しく、喜ばしく、愛おしくて、気が狂わずにはいられなかった。
狂った精神に合わせて、知り得た様々な術によって自らの肉体を改良し続け、身近な環境は常に最適化し続けた。より早く、より多く知る為に。
しかし、時が経ち、知識と未知が増え続けるほどに、途方もない欲望が自らの裡に蓄積し、膨れ上がっていた。
――知りたい。
この世の。
この宇宙の。
世界の全てを
知り尽くしたい――
その欲望に気付いてしまえば、もう抗いようなど無い。
ただ漠然と何かを知ることに費やしてきた情熱と執念の全てを、その欲を叶えるための行動に移し換えた。
そうして準備を整え続けること――正確な年月は忘れたが――数百年。
漸く、漸く自分の全てであり唯一でもある願いを叶える、最初で最後のチャンスに辿り着いたというのに。
現実はあまりにも非情であり、無情であった。
「あ……ああ…………あああああぁぁぁあぁぁぁぁ!!!」
『この世の全てを知る』、そんな荒唐無稽で実現することなど不可能に近い願い。それを叶える為に作り上げた装置は、見るも無残な有り様だった。
形こそ保っているが、それは最早崩壊寸前、制御不能に陥っていることが一目で分かった。
装置の制御部分を担っていた工房と、その中核の魔法陣。装置へと接続し、結界と大術式によって生物から搾取した魔力を供給し、余剰の魔力を土地へと還元して安定させる役目を負わせていた龍脈。
それら、自身を除いた最も重要な部分から世界ごと強引に引き剥がされた装置は、もう手の施しようが無い。
修繕することも、修正することもできはしない。
「嘘だ……嘘だ……こんなの、こんなの嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!」
装置の前に跪き、狂った精神が猛るに任せ、単調な言葉を発し続ける。
数百年にも渡って心血を注ぎ、己の持ちえる全てを費やして作り上げ、掴み取った最初で最後の機会が、たった一瞬で、半世紀も生きていない人間によって粉々に打ち砕かれてしまった。
ならば、その願いを抱いた心までも砕かれるのは必然であった。
すると、男の絶叫に呼応するかのように、装置が暴走を始めた。
世界の全てを知る為の――世界の外側へと逸脱する為の機能が、誤作動を起こしたのだ。
魔力は辛うじて足りているが、時間も場所も滅茶苦茶だ。こんなことで、世界の外側へ逸脱するための道が開かれるはずが無い。
いや、それどころか。
制御もできず、何の防御策も講じられないこの状況で世界の狭間に放り出されれば、世界の内側に存在の痕跡や魂すら残さずに消滅するだろう。
「こんなの……こんなの、何かの間違いだ。そうさ、これは間違いなんだ……」
現実を受け入れられず、認められず。
朦朧とする意識のまま、ふらふらと、世界に孔を穿っている装置に縋り付こうとして――
「これは……何かの間違いだぁぁぁぁぁぁああああぁ!!!」
――装置が空けた孔へと呑まれ、その華奢な肉体は瞬く間に崩壊した。
煉獄の炎に包まれた世界も崩壊を始め、世界の全ては穿たれた“孔”へ――虚無か無限と見紛う暗黒の彼方へと呑みこまれていく。
「バッ……カ、なぁ! こんな所で死ねるか!! こんなことでぇ! 死んでたまるかぁぁぁぁ!!」
「…………ま、まだ……俺は…………死ねない……」
息吹く生命無き世界に残されていた2つの命も例外なく、その願い諸共に呑み込まれた。
Part2 NOMANS LAND
ノーマンズランド、新都市“テラ”。
ノーマンズランド全土を震撼させ、全宇宙の人類とプラントの関係に大いなる一石を投じた『方舟事件』から約1年半。
その間に、ワープドライブ技術によって銀河の各所から地球連邦の船団が続々と到着し、ノーマンズランドを地球連邦政府の一員として迎えた。
その一環として、過酷極まる環境のノーマンズランドへの支援の名目で様々な人、物資、技術、プラントが流入することになった。そのノーマンズランドの地上の拠点が『新都市』と呼ばれる都市なのだ。
ここはノーマンズランドには無い物ばかりがあり、その全てがメイド・イン・地球。ノーマンズランド製の物と同じような物品があったとして、その品質は天地の開きよりも圧倒的に格が違う最高級品。
そうなると当然、そういった『お宝』目当ての盗賊や荒れくれ者がひっきりなしに現れる。だが、それらを悉く街に侵入される前に撃退するほど、この街のセキュリティ・システムは優れている。
だが、今夜ばかりは違った。
侵入者――ではなく、脱走者の追跡と、ある実験の暴走事故が重なり、街の中核に存在する研究施設は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
「ふぅ。どうやら、追手は上手く撒けたみたいだね」
「ええ。幸い、こっちの方には人が少なかったようです」
警備兵に追われるまま、右へ左へ、上へ下への大逃走劇を演じていた2人はやっと一息ついた。
1人は、遠くからでも目を引く深紅のコートを着込んだ黒髪の男性。
もう1人は、黒い帽子とマントが目を引く、顔の左目の方に特徴的な刺青を入れている、巨大な荷物を背負っている灰色の髪の男性。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードとリヴィオ・ザ・ダブルファング。
稀代の超特大賞金首へと返り咲いた人間台風【ヒューマノイド・タイフーン】と、その彼に同行しては振り回されている最強の見習い牧師だ。
彼らが砂漠を行き倒れていたところを救助され、身元が判明するや保護の名目の下に新都市の中でも特別な研究施設に監禁されたのは5日前のこと。体力もすっかり回復した2人は、先日からどうやって脱走しようかと思案していたところに今回の事件が起こり、これは幸いにと騒ぎに乗じて強硬手段で脱走に及んだ。
だが、流石は地球連邦政府のお膝下。脱走とほぼ同時に察知されてしまい、つい先刻まで1時間にも及ぶ逃走劇を演じていたのだ。
追手も振り切った今は、さっさとこの街からおさらばするだけ――というわけには、どうにもいかないようだ。
「で、どうしますか? ヴァッシュさん」
「勿論、暴走している彼女――プラントのところに行く」
施設内を逃げ回っている内に、混乱の中錯綜する情報が、自然と2人の耳にも入ってきた。
この施設で行われている実験とは、プラントを用いた物質転送実験であり、そのプラントが暴走を始めたことが、この騒ぎの原因なのだと。
そんなことを聞いては、引き下がってなどいられない。
「君はどうする? 先に逃げてもいいんだよ?」
「まさか。あなたを1人で行かせたら、それこそ心配で夜も眠れませんよ」
ヴァッシュの言葉に、リヴィオは溜息交じりに、即座に頷いた。
「ありゃ、ずいぶんと信用が無いんだね、僕」
「いえ。あなたを信頼しているからこそ、心配にならざるを得ないんですよ」
ヴァッシュ・ザ・スタンピードの関わったトラブルは、必ず只では終わらない。
人的被害を極力小さく抑えられても、その代わりとばかりに物的被害は予想を遥かに上回ることになるのが常だ。
でなければ、財力や権力よりも暴力が物を言うこの星で一番の平和主義者に、天文学的な懸賞金がつくはずもない。
リヴィオの返事に苦笑しながらも、ヴァッシュは返事を聞くとすぐに走り出した。リヴィオも遅れずそれに続く。
構造の分からない複雑な施設内を、幾度も行き止まりに阻まれながら、それでも迷うことなく着実に、2人は目的地の方向へと真っ直ぐに駆け抜けていく。
先導するヴァッシュが行き止まりに出てしまうことはあっても迷うことが無いのは、勘でもなければ運でもない。彼とプラントが惹かれあっている――一種の感応状態にあるからだ。
途中、施設からの脱出を図っている人間たちと遭遇することもあったが、その都度上手く立ち回って振り払った。
やがて、地下の実験場に近付くほど人の気配は少なくなり、いよいよ最後の昇降機の付近にもなると人の気配は完全に消えていた。
その事実に、ヴァッシュは悲しげに眼を伏せた。
プラントは、一部の特別な存在を除いて自律行動はできない。人の協力なくして、動くことは――避難することは不可能だ。
人間にとって、所詮、プラントは道具でしかないのかと、悩みながらも歩みを止めず、昇降機に乗り込む。
昇降機は内部が一瞬擬似的な無重力になるほどの速度で降下、というよりも落下し、数秒で地下実験場へと続く扉を開いた。
そこに広がる光景に、ヴァッシュは思わず目を見開いた。
「プラント、2号から20号まで完全退避完了!」
「1号プラント、未だに熱量増加中! こちらの修正プログラムも受け付けてくれません!」
「これは……畜生! 原因はファイアウォールだったのかよ!? 入力されるプログラム全部がウィルスの類と誤認されちまってる!!」
「プラント、21号から26号、28号から30号まで避難完了です!」
「27号はどうした!?」
「1号の暴走に影響を受けているようで、非常に不安定な状況です! このまま避難させるのはかえって危険です!」
「ああ、くそ! 最悪俺たちまで彼女達と一緒にお陀仏か!?」
「いいじゃねぇか! 野郎ばかりで死ぬよりは、よっぽど華があるってもんよ!」
「それもそうだが、誰も死なないのが一番だ! 最後まで諦めるなよ!」
そこには、数十人もの技術者たちが居た。彼らは避難勧告を無視して現場に留まり、プラントの避難と、件の暴走しているプラントの救出の為に行動してくれていたのだ。
先程、勝手に諦めていた自分が馬鹿だった。人間とプラントの関係は、そんなに冷え切ったものではなかったのだ。
ヴァッシュは心の赴くまま、躊躇わず感涙した。
「ど、どうしたんですか!?」
「いや、なんでもないよ……ただ、なんだか嬉しくってさ」
言いながら昇降機を降りると、2人に気付いたらしい技術者が1人、走り寄って来た。
「あんた、ヴァッシュ・ザ・スタンピード!? どうしてここに!?」
「いや、ちょっとね……。暴れん坊のお嬢さんを落ち着かせようと思ってね」
「暴れん坊のお嬢さん……って」
ヴァッシュの言葉を聞いて、技術者の男性は同じ言葉を自分でも繰り返し、その意味を理解して驚愕の表情を浮かべた。
「まさかあんた、彼女と精神感応しようってのか!?」
「うん、そのつもり」
「無茶な……いくらあんたが自律種【インディペンデンツ】とはいっても、髪の毛どころか体毛全部が真っ黒だっていうじゃないか! そんな状態で精神感応なんかしたら、どうなるか!」
技術者はそう言って、ヴァッシュの提案を無謀と断じた。だが、他人に忠告された程度であっさりと引き下がるようなら、ヴァッシュ・ザ・スタンピードは“人間台風”などと呼ばれはしない。
「……ごめん、本当に時間が無いみたいだ。リヴィオ!」
「失礼」
リヴィオに呼び掛け、ヴァッシュは技術者を押し退けるように進み、そのままの勢いで東奔西走している技術者達を掻き分けて奥へと突き進んだ。
「あ、おい! あんたら、よせ!!」
その声に気付いて、他の技術者達もヴァッシュを制止しようとしたが、悉くかわされるか、リヴィオに弾き飛ばされるかだ。
何千人という賞金稼ぎから今日まで逃げ遂せて来たヴァッシュと『ミカエルの眼』最強の尖兵であるリヴィオに対して、単なる技術者である彼らでは役者不足も甚だしい。一般的な地球民には酷な話ではあるが、場数が違いすぎるのだ。
ヴァッシュとリヴィオはそうして瞬く間に技術者達を掻い潜り、目的の“暴れん坊のお嬢さん”、暴走状態のプラントの目前にまで辿り着いた。
流石に周囲に人影はなく、誰かが追って来る様子もない。つまり、それぐらいに危険な状況だとこの施設の人間は感じているのだ。
しかし、ヴァッシュは事態がより深刻であることを感じていた。
暴走している彼女の力は、最盛期のヴァッシュやナイブズ程ではないが、かなり大きい。それこそ、彼女の暴走している力が解放されれば、この街の半分以上を“持って行って”しまうのではないか、とヴァッシュに思わせるほどだ。
だが、今さらそんな大規模な退避など間に合わない。この状況をどうにかするには、彼女の暴走を収める以外に無い。
「リヴィオ、君まで付き合わなくてもいいんだよ?」
ヴァッシュが最後の警告を発しても、リヴィオは「それじゃあ」と言って踵を返すようなことはせず、寧ろ「どんとこい」とばかりに笑って見せた。
「水臭いことを言わないで下さいよ、ヴァッシュさん。ここまで来たら一蓮托生、地獄の底までだってお供しますよ」
「そうか……分かった。それじゃあ、万が一にも邪魔が入らないように見張りと護衛、よろしく」
「了解です。お気を付けて」
リヴィオからの返事に、ヴァッシュはピースを返す。
プラントが収められているガラスのような防護壁に手を触れ、そのまま彼女と顔を向き合わせる位置に額を当てて目を瞑った。
やることは、基本的にバド・ラド団に襲われたサンドスチームの時と変わらない。ただ、問題があるとすれば2つ。
1つは、あの時とは暴走の意味や度合いが悪い方向に違い過ぎること。もう1つは、ヴァッシュの“力”が大幅に減退していることだ。
それでも、最悪の事態を避けるためにはやるしかないのだ。
ヴァッシュは意を決して、暴走しているプラントと精神感応を始めた。
――やあ、お嬢さん。調子はどうだい?
――あなたは、VTS。
――VTS?……ああ、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの略か。そうさ、僕はVTS。落ち着けるかい? まずは僕と呼吸を合わせて……。
――ダメ、逃げて。もう、押さえ付けるのも限界で、爆発しそうなの。
――そうか。なら、頑張らないとね。僕も手伝うからさ。
――何故、逃げないの?
――誰も見捨てたくないからさ。それに、僕の他にも諦めていない人達が大勢いる。僕だけ諦めるっていうのは論外さ。
――あの人達も、まだいるの……。でも、どうするの?
――ああ、それだけど、もっと僕と深く感応して。記憶や知識も共有できるぐらい。
――そんな。肉体は触れ合っていないから融合することはないけど、下手をしたら人格や感情に影響が出るわ。
――だけどさ、多分、それがこの状況をどうにかできる最後の、しかも唯一の手段だと思うわけなんだ。駄目かな?
――いいわ。あなたがそれでもいいのなら、受け入れます。
――それじゃあ、早速。時間が無いからね………………。
――………………凄い。プラントの“力”を、こんな風に扱う方法があるなんて。
――伝わったようで何よりだ。僕がギリギリまでレクチャーするから、君も……
――いいえ。ヴァッシュ・ザ・スタンピード、暴発は防げないわ。あなたの記憶や知識と照らし合わせれば、それは覆しようの無い事実だと確認できる。
――……ッ。そんなこと…………!
――けど、貴方が伝えてくれた“力”の使い方がある。これなら、被害を極限まで小さくできるし、どうしても巻き込んでしまうあなた達を死なせないこともできる。
――…………それしか、無いのかよ。君が死ぬ以外の可能性は無いって言うのか……!
――ええ、残念だけど。それでも、あなた達を、ここのみんなを死なせないことが、助けることができる。それはあなたのお陰よ。
――……すまない。なにか、僕にできることはないか?
――それじゃあ、あなたに言いたい言葉があるの。それを、近くに残っているみんなにも伝えて。
――ああ、分かった。必ず伝える。
――……『ありがとう』。
実際に言葉を交わすよりもずっと短い時間で、彼女との会話は終わった。同時に、感応が途切れる直前に伝わって来た情報を一瞬で把握した。
泣きたい気持ちをぐっと堪えて、ヴァッシュはすぐに口を動かす。
「ヴァッシュさん! どうで……」
「リヴィオ! とにかく荷物を持って動くな!!」
直後、暴走したプラントの力が解き放たれた。
近くにいたヴァッシュとリヴィオ、そしてプラント自身と周囲の壁や床を問答無用に、まるで削り取るように、空間ごとその全てを『持っていった』。
しかし、持っていかれた空間は解放された力の割に極めて小さかったことが、後の調査で判明する。
ヴァッシュの行動とプラント本人のお陰で、街が壊滅するという最悪の事態は何とか避けられたのだ。
▽
このプラントを用いた物質転送実験は、実は地球連邦政府直轄の大掛かりなプロジェクトのものであった。
あらゆる物資に乏しいノーマンズランドの現況を改善するため、という名分の元に開始された実験は、既にノーマンズランド地表上での送受信を成功させていた。
今回の事故が起きた実験は、いよいよ本番一歩前の段階。ある意味、世紀の瞬間になるはずだったのだ。
箱舟事件でナイブズ融合体が見せた、『持って行く力』と『持って来る力』の応用――短距離といえども個体による空間転移、地球連邦軍主力艦隊の攻撃を撃ち返した神業。
それらの“力”の使い方を参考とし、負の歴史を教訓に学び、正しき“力”の使い方として示されるはずだったのは――
『誰もいない大地【ノーマンズランド】』から遥か遠き『人類の故郷【マン・ホーム】』。
宇宙開拓時代の真っ盛りである現在でも未だ数少ない、その中でも至宝とされる蒼き水を湛えた豊穣の大地。
暗黒の宇宙に浮かび輝く、遥かなる蒼【アクアマリン】。
――地球とノーマンズランド間における、プラントを用いた物質の送受信であった。
Part3 The EARTH
「うぉわああああああああああああああああい!?」
何かと衝突したような衝撃に目を回した直後、気が付いたら空中だった。
こんな経験は、それなりに長い人生を送っているヴァッシュでも初めてだった。
しかし、混乱している暇はないということを、修羅場や危機的状況に慣れきった精神は即座に認識した。
眼下に見えるのは建物の屋上。このまま激突したら、全身複雑骨折は確実だ。
慌てず焦らず、しかし急いで空中で体勢を立て直し――損ねて、うつ伏せ状態で、ものの見事に全身での着地に成功してしまった。
「痛っぁ~……!」
ほぼ全身を無防備に勢いよくぶつけたことで、ヴァッシュは痛みのあまりその場でのた打ち回った。しかし、常人ならば即死しそうなものだが、この程度で済んでいるのは、流石はヴァッシュ・ザ・スタンピードと言うべきだろう。
1分ほど悶絶した後、ヴァッシュは眼の端に微かに涙を浮かべながら建物の屋上から周囲を見渡す。最後に彼女から伝えられた情報によると、ヴァッシュが放り出される先は地球で、恐らくは施設の内部ということだった。しかし実際は空中で、下にはビルだ。おまけに、近くにリヴィオが落ちてくる気配もない。
だが、ヴァッシュは現状を把握すると同時に感謝をした。何故なら、こうして自分は生きている、助かったからだ。きっと、それはリヴィオも同じはず。
「……ありがとう。君のお陰で、僕は今も生きている」
ヴァッシュは、命懸けで自分達を救ってくれた彼女に礼を言った。
そして、つい今し方、自分が落ちてきたばかりの上空を見上げた。正確な時刻は分からないが、時間帯は深夜というところだろうか。それは幸いだったと、ヴァッシュは自分が落ちて来たらしい場所を見ながら思った。
地上の街から漏れる灯りに照らされる夜空の中に、明らかに不自然な暗黒の空間があるのだ。夜でなければ更に目立って大騒ぎになっていたことだろう。……いや、この場合は真昼で目立って、早期発見された方が幸いだったのだろうか? などと上を見ながら考える。
上空に穿たれた暗黒の空間――形状から“孔”とでも呼ぼうか――は、間違いなくプラントの力によって穿たれたものだ。ヴァッシュは以前、何度もあれを見たことがあるのだ、すぐに分かる。
しかし、何かがおかしい。プラントの“力”によって穿たれた孔は、あのように長時間存在せず、短時間で消滅する。それに、あの孔からはプラントのものとは別な、何らかの異質な力を感じるのだ。
そういえば、あの時の何かと激突したような衝撃。あれは、いったいなんだったのだろう。あの孔が穿たれた際の反動、若しくは空間を渡った際の衝撃とは、どうにも思えない。
すると、孔が漸く収縮を始めた直後、何かが飛び出してきた。
「あれは……人?」
暗くてよく見えないが、それは間違いなく人だった。一瞬、リヴィオかと思ったが、違う。
彼は白髪で、しかも親近感が湧くような赤い外套に身を包んでいる。
どこの誰だろう、などと考えたところで、気付いた。
彼は気を失っている。しかも間の悪いことに、彼の落下する先はヴァッシュのいる場所からは離れて、建物の外側――つまり、更に10m以上は下にある地面だ。
それらの条件が重なっていると、人はどうなるか?
無論、頭から地面に叩きつけられて即死する。
「って、あぁ!? うおぉぉちょぉっと待ったぁぁぁぁぁぁ!!!」
気付くや否や、滅茶苦茶なことを口走りながらヴァッシュは走り出した。
突然の事態に呆然としていた為に、タイミングはぎりぎりだ。全速力で走り、ギリギリのところで何とか間に合う。
ヴァッシュは屋上の端の柵を飛び越えて赤い男をキャッチすることに成功した――
「……ふぅ」
――のだが、足元には床も地面も何もないので、そのまま眼下の地面へと落下した。
「ンノォォォォォォォォォウ!?」
▽
「だからですね、ドクター。最近の研究では我々の住む宇宙は膜宇宙と呼ばれる構造で、11の宇宙が理論上存在するとされているんですよ! しかも、それらの宇宙にはですよ?」
「あー、はいはい。お前のその手の話は聞き飽きたよ。そんなことよりムカシトンボの話でもしないか?」
夜の街を、2人の白い男が歩いていた。
ドクターと呼ばれたのは、このような時と場所でも白衣を纏った、見るからに医者のような服装で、実際に医者である男。左手には医療道具一式が入っている鞄を持っている。
もう1人は、帽子、スーツ、シャツ、ネクタイ、靴下、革靴の全てを白一色で揃えた奇抜な出で立ちの男。目深に被った帽子により、鼻から上が殆ど見えなくなっているが、本人の行動に支障が無いらしいことは澱み無い歩き方から見てとれる。
この2人は旧知の間柄であり、医者の男はこの街のさる高名な人物からの依頼を受けて来訪し友人の診療所に向かう途中、白尽くめの男はこの近くで仕事を終えた帰りがけにばったりと出会った。そのまま思わぬ場所での数年振りの再会を祝して、屋台でおでんと酒を楽しんだ帰り道だった。
2人は路地裏を歩きながら、黙って歩くのが勿体無いとばかりに会話を楽しんでいた。
「ムカシトンボ? 随分と直球な名称のトンボですねぇ」
「日本の清流とヒマラヤ山脈の辺りにだけ生息している、ムカシトンボ亜目という希少なトンボでな。日本昆虫学会のシボルマークにも……ん?」
すると、今度は自分が趣味の話をする気満々だった医者の男が急に立ち止まり、2歩進んだところで白尽くめの男も立ち止まった。
「どうしました……と、おや?」
そこで白尽くめの男も異変に気付き、医者の男と共に暗い夜空を見上げた。
そこには、夜でも目立つ紅が翻っていた。すぐに、それが赤いコートを纏った人間であり、落下して来ているのだと分かった。
気付いた2人は、ほぼ同時にその場から軽く飛び退いた。
「おっと」
「危ない」
直後、2人の目の前に見立て通り紅いコートを身に纏った男が降ってきて、なんと見事に着地した。
恐らくはすぐ隣にあるビルの屋上から――10m以上の高さから落ちながら、よく見れば180cmはある大柄な男性を抱えながら見事に着地し、尚且つ着地の反動で手足が砕けた様子が見られないことに、医者の男は驚いた。
一方、白尽くめの男は黒髪の赤い男が抱えている、白髪の赤い男を注視している。目元は見えないが、少なくとも、先程の楽しげな表情から一変しているのは確かだった。
▽
「よ、避けてくれたのは良かったけど……できれば受け止めてほしかったなぁぁ……」
大柄な成人男性を腕に抱えて、何の心構えも無く落下するというのは、想像以上に心臓に悪かった。なので、つい現場に居合わせた2人に、ヴァッシュはそんなことを言ってしまった。
しかし、2人は首を縦には振ってはくれなかった。当然だ。
「嫌だよ。ひ弱な僕じゃ死んじゃうもの」
「そんなことをしたら、こっちも只では済まなかったからな。すまない」
帽子を目深に被っている男は冗談なのか本気で言っているのかよく分からない笑みを口元に浮かべながらそう言って、白衣の男は実直に頷いた後すぐに頭を下げた。
「いや、自分でも無理を言った自覚はあるから、謝らなくてもいいッスよ」
予想外の丁寧で真摯な対応に驚きながらも、ヴァッシュは明るく朗らかに返す。
すると、自分の方に向けられている強めの視線に気づき、ヴァッシュは帽子を被っている男に目を向ける。
どうやら注視しているのはヴァッシュ自身ではなく、ヴァッシュが抱えている白髪の男のようだ。
「この人がどうかしたかい? 知り合い?」
問うと、帽子を被っている男はすぐさま首を横に振った。
「いやいや、僕とその赤い人は初対面だよ。気になったのは、その人が血塗れだっていうことさ」
「え?」
言われて、抱えている男に視線を向ける。
今まで唐突な状況の連続で気がつかなかったが、彼は全身血塗れだった。纏っている赤い外套も、半分以上が赤黒く変色しているほどだ。
「うっわ、本当だ! なんじゃこりゃあ!!」
想定外の事態にヴァッシュは慌てふためく。
こんな右も左も分からない街で、モグリでもいいから藪ではない医者を見つけられるだろうか。いや、そもそもこの街に医者がいるという保証もない。
こうなったら、手近な大きな家に突撃して土下座してでも彼の治療の手助けを頼むしかないか、などという考えにも及んでいた。
すると、そんなヴァッシュの内心の混乱を察してか白衣の男性が声を掛けて来た。
「気付いていなかったのか……まぁいい。どうやら、自殺未遂というわけでもないようだしな。ほら、ここに寝かせろ」
「あ、はい」
字面だけ見ても、強要されているわけでも強制されているわけでもないことは分かる。だが、白衣の男の声に込められた有無を言わせぬ力強さに押され、ヴァッシュは彼の指示に従って白髪の男を地面に下ろした。
ヴァッシュのその様子をも具に観察して、何かに納得してから、白衣の男は白髪の男の服を手早く脱がした。
露わになった男の傷は深く、これで虫の息では無かったことが不思議なくらいだった。
そんな傷を見ても怯まず、白衣の男は地面に膝を着き、持っていた鞄を開けた。そこには、医療用の道具が満載されていた。
「む……なんだ? 殆どの負傷が外側からではなく、内側から?」
言いながらも、消毒と止血の処置を行うその手付きはどう考えても素人のものではない。
これはもしや、不幸中の幸いの中でもかなりの当たりを引いたのではないだろうか。
「それはそれとして、治せるかどうかじゃないですかねぇ? ドクター・ハーディング」
「違うぞ、アラン。治せるか否かではなく、治すか否かだ。無論、俺は治す」
アランと呼ばれた帽子の男の言葉に、ドクターと呼ばれた白衣の男は即座に返した。
「ドクター? 君、やっぱり医者なのか」
そのように問うと、ドクターは治療の手を休めずに頷いた。
「ああ。俺はジョー・ハーディング。世界を旅しながら医療をしている、変わり者さ」
自己紹介を簡潔に終えると、ドクター・ジョーは黙々と治療を続ける。
真摯に、只管に命を救おうとするその姿に、ヴァッシュは「先生」と呼んで慕った大恩ある医者親子を重ねた。
最新の機器が一切無く原始的な道具だけを使っているが、ジョーの腕前は先生たちと比べて遜色無いほどに見える。これなら、白髪の男もきっと大丈夫だろう。
これで一安心だとヴァッシュが安堵の溜息を吐くと、肩を指で、とんとん、と叩かれた。振り返ると、アランと呼ばれた男がジェスチャーで下がるように促してきた。ジョーの邪魔にならないように、という配慮だろう。
頷き、数mほど離れるとアランが口を開いた。
「ついでに、僕も自己紹介しておくよ。仕事上の通り名はプレイヤー。名前は……さっきドクターが言った、アラン。アラン・ザ・プレイヤー。無論、アランも偽名だよ。気さくにホワイトマンと呼んでくれてもいいよ、レッドマン」
堂々と偽名を名乗るとは、珍しい男だ。とはいっても、ヴァッシュも頻繁にジョン・スミスと名乗って宿に泊まっていたので、それほど不快にも不思議にも思わず素直に頷いた。
「僕はヴァッシュ・ザ・スタンピード。ヴァッシュは本名だけど、スタンピードの方は通り名さ。呼び捨てでもいいし、三倍気さくにレッドマンでもいいよ、ホワイトマン」
ヴァッシュも自己紹介し、アランを真似てちょっとしたユーモアを混ぜてみる。
「じゃあ、改めてよろしくね。レッドマン」
「ああ、こっちこそよろしく。ホワイトマン」
気さくに名前を呼び合い、握手をする。
右も左も、正直どこの惑星であるかも確信が持てないこの状況で、最初に遭遇したのがこんなにも打ち解け易い人物と医者であったのは、不幸中の幸いだった。
数十分後には白髪の男の応急処置も終わり、後は所用で街に不在の友人から借りている診療所に運びこんで本格的な処置を行う、とのことだった。
この中で最も力のあるヴァッシュが白髪の男を背負っていくことになり、ヴァッシュも乗り掛かった船だと快諾した。
「それで、その男性は?」
ジョーが先導して診療所に向かう段階になって、白髪の男の素性を訊ねてきた。
これには、ヴァッシュも素直に答えた。
「……さぁ? ところで、ここって地球のどこかな?」
「は? いや、まぁ……日本の埼玉県にある麻帆良だが」
日本――ニホン、ジャパン、ヤーパン。
地球地図で極東に位置する神秘の島国。
聞き覚えがある、なんてものではない。
地球の日本と言えば、ヴァッシュの育ての親、レム・セイブレムの思い出の土地だ。
その事実に運命じみたものを感じながらも、詳しい事情は白髪の男の治療が済んでからだと、呆れた顔をしているジョーとのんびりしているアランを急かして診療所へと急いだ。
▽
間違いない。
あの赤い男は、あの男に相違ない。
忘れるはずの無い、最も強烈な記憶という知識の中心にあり続けている男。
もう1人の赤い男も、よくよく思い返してみれば。
ああ、なんということだろう。彼らにとって因縁の相手の名を名乗ったではないか!
世界樹の発光を来年に控えたこの時期に、この世界の物語への新たな乱入者の登場。
しかも、自分の企ての主賓の満を持しての登場で、思いがけない極上のサプライズ・ゲストまで御同行と来たものだ。
もう間に合わないかと諦めかけていたというのに、この時期に、自分の目の前に現れてくれた。
この素敵な偶然を運命と呼ぶとして、この運命はなんだ? Destiny? Fate? Fortune?
個人的には――波乱の予感がするFateが好ましい。
わくわくするなぁ。
とても、とても、楽しみだ。
さぁ。改めて、誓いを立てようじゃあないか。
――誓いを此処に。我は常世総ての悪となるもの、我は常世総ての善を敷くもの――
Part4 一方その頃
「……はぁ。これからどうしよう…………」
リヴィオは広大なジオプラントと思しき場所で、途方に暮れていた。
ヴァッシュと共にプラントの暴走事故に巻き込まれたかと思ったら、どれぐらいの間を挟んだのかは判然としないが、急に空中に投げ出された。
着地しようとしたら背負った荷物が木の枝に引っかかってバランスを崩し、勢いは殺せたものの顔面から落ちてしまった。ミカエルの眼でなければ死んでいるところだ。
鼻血が止まってから周囲を見回してみれば、信じられない光景が広がっていた。
巨体に角を生やし、パンツ一丁で手には金棒を持った2m~5mの巨漢の集団。
背中に翼と全身に羽毛を生やし、顔には嘴さえあった鳥と人間を混ぜたような外見の男たち。
それら、古典的でありながら極めて前衛的なデザインのサイボーグの集団に囲まれていたのだ。
取り敢えず挨拶をした直後、問答無用で襲いかかられた。無遠慮に木にも攻撃を当てているところから、恐らく用心棒ではなく夜盗の類か何かだろうと考え、それを返り討ちにした。
そこまでは良かった。
しかし、叩きのめした端から消えていくとはどういうことだ。
これでは、此処が何処だとか、何で襲って来たのかとか、問い質すこともできないではないか。
いや、そもそも、どうして消えたんだ? これは夢か幻か?
「どうやらあのオークどもは、この世ならざる場所から召喚されたものだったようだな」
リヴィオが受け止めきれない現実をさらりと受け止めて、当然の事のようにそのようなことを言うのは、戦いの最中に多勢に無勢を見かねて助太刀してくれた黒い騎士だ。
今の時代に騎士などいるはずもないが、彼の戦い方や佇まいを見ているとそんな言葉が自然と思い浮かぶのだ。
「ああ、そうだ。お礼を言うのを忘れてました。ありがとうございます、あなたのお陰で助かりました」
「なに、魑魅魍魎の類と孤軍奮闘する勇者に加勢するのは、騎士として当然のこと。尤も、君の武勇を鑑みるに余計な世話だったかもしれないがな」
「いや、そんなこと。もしかしたら、不覚を取っていたかもしれませんから」
そう言って、帽子を取り、胸に当てて頭を下げる。
本人も騎士を自称するとは驚いた。だが、GUNG-HO-GUNSにもムラマサ使いのサムライがいたというし、そう考えればそれほどおかしくないのかもしれない。
しかし、字面だけならば誇り高さを表している言葉だというのに、どうして彼はどこか虚しそうに言うのだろうか。
取り敢えずそのことは置いておくとして、今は状況の把握の為に情報交換をすることにした。
困ったことに彼も現地住人ではなく、リヴィオとほぼ同様に気付いたら此処にいたのだという。曰く、元居た場所に戻るはずだったのだが、何故かここに出てしまった、ということだった。
彼がどういう手段で何処に帰るつもりだったのかは気になるところだが、今はそれを気にする余裕はない。
今重要なのは、現状は不明のままということだ。
「はぁ~、どうすっかなぁ……。取り敢えず、このジオプラントの管理者の人を探すしかないか」
今できることは、それぐらいしか思い浮かばない。真っ直ぐ歩いていれば、その内壁か何かに突き当たるはずだ。
取り敢えずの行動を決めると、リヴィオは荷物を背負い直して歩き出そうとした。
「ジオプラント? この森のことか?」
「モリ? なんです、それ」
すると、騎士に不思議な言葉で呼び止められた。
どうやら彼はジオプラントを知らないらしい。それだけでも驚きだが、彼は代わりに『モリ』などという聞き覚えのない単語を口にした。
一瞬、あまりにも突飛な最悪の予想が脳裏を掠めたが、敢えて無視する。
「何とは……こういった、木々が自然に生い茂っている場所のことだろう」
「え? でもこんな木がたくさんある場所なんてジオプラントしか……自然に?」
「そう言ったが……どうかしたか?」
またも黒い騎士は分からないことを言う。
木が“自然”にある? そんなの、ノーマンズランドではありえない。ノーマンズランドで木がある場所とは即ちジオプラントであり、人工的な場所だ。
ノーマンズランドの自然と言えば、砂漠と荒野と砂蟲【ワムズ】だけだ。
「え……ここ、ノーマンズランドでしょ?」
自分と相手の認識の差に混乱し、ついそんなことを聞いてしまった。
だが、それを聞いた黒い騎士は怪訝そうに眉を顰め、口を開いた。
「ノーマンズランドが何かは知らないが、少なくともここは地球のどこかだと思っている。……尤も、星という概念や地球という言葉も、最近知ったことだがな」
その、何気なく言われた言葉に、リヴィオはまるでネイルガンで貫かれたような衝撃を受けた。
彼は今、何と言った? 何を知らないと言った? 此処を何処だと言った?
彼は、ノーマンズランドを知らず、此処を『地球』だと、そう言わなかったか?
「え……? あ、え……えぇええぇ…………?」
あまりにも唐突な事態の連続に、頭が混乱する。
ミカエルの眼たるもの、いつ如何なる時も冷静な判断力を損なうなと教えられたが、この状況で混乱しないのは無理だ。
プラントの力でどこか遠い場所に投げ出されたらしくて、木がたくさんあるからジオプラントだと思ったら、居合わせた人にここは地球だと言われた。
普通なら、相手の方がおかしいと思うだろう。自称騎士で古めかしい武装だし。
だが、プラントの力がどういうものか知っていれば、先程の、夜盗が倒した直後に消えるという、ノーマンズランドではありえなかった現象が目の前で起きたこともあって、そんなこともあり得るのではないかと思えてしまう。
とにかく、もう一度状況を整理する必要があると考え、黒い騎士に声を掛けようとしたが、それよりも先に騎士が口を開いた。
「こちらに人が来ているようだな。しかも複数……恐らく、地元の人間だな」
「え? あ、本当だ」
混乱していて気付かなかったが、5人ほどの集団がこちらに向かってきているようだ。恐らく、もうすぐ遭遇することになるだろう。
「先程の戦闘の音を聞きつけて様子を見に来たか……? しかし、僥倖だ。彼らと接触できれば、君も大丈夫だろう」
「あ、待ってくれ! あんたはどうするんだ!?」
聞きたいことがあるのに、口を開いたら別の言葉が出てきてしまった。どうやらまだ落ち着けていないようだ。
リヴィオに呼び止められて、黒い騎士は足を止めた。
「俺は……一度ならず二度までも死した身。ならば、今一度死ぬのが似合いだろう」
自嘲の笑みを浮かべてそう言い残して、黒い騎士は消えてしまった。
リヴィオは目を丸くした。
クリムゾンネイルのように、知覚を超えた速度で動かれたから消えたように錯覚したのではない。
本当に、目の前から消えてしまったのだ。でなければ、気配も音も唐突に消え去ってしまうはずがない。
「あの人まで消えた……?! ああ、チクショウ! 本当に、何がどうなってるんだよ!?」
惑い乱れ、焦り戸惑う心のまま、リヴィオは吠えるように、泣くように叫んだ。
調度その瞬間に様子を見に来た地元の人らしき人達と鉢合わせになり、若干気まずかった。