満月の夜、千雨は一人自室のに篭っていた。今日自分の『どうするか?』が、今後自分が『どのように』生きるのかを決めるのだから、悩みもしよう。千雨にも判っている、最善の選択は大人しく凹られることだと。そうすれば明日からは『ちょっと強い女の子』として生きられる。結果、争い事に関わることなく、問題なくここを卒業できるだろう……だが「気にいらねえ……」 最良の選択肢を取ろうとする理性を『何かが』妨げる。『異議あり!』と叫ぶ。『一寸待ったー』と叫ぶ。『だが一寸待って欲しい』と書き込む。それは決して清らかな想いとは言い難く、寧ろ汚泥の中から湧き上がるメタンの如く尽きる事は無い。 千雨はザジの言っていた事を思い出す。――『自分』を見失わないこと、『自分』が何者なのかしっかりと考えること、そして『自分』に執着しないこと――「何が言いたいんだよ……第一、一番目と三番目が矛盾してんじゃねえかよ……」 千雨は思った。とりあえず一番目と二番目について考えよう、と。これ等が片付いて初めて三番目が理解出来そうな気がした為だ。――『自分』は何なのか? 自分は『長谷川千雨』だ……そんな問題じゃない。もっと根源とも言うべき『自分』とは――「キャーーー!!」 突然、悲鳴が聞こえる。千雨は何事か、と思考を止め声のした方――窓から外を見てみると寮から100メートル程離れている樹木の上に誰かが立っていた。誰だ? とよく見てみると、そこに立っていたのはクラスメイトの絡繰茶々丸だった――両脇に鳴滝姉妹を抱えて―― 絡繰は千雨と目が合うと、軽く会釈して林の方に消えていった。 千雨は数瞬何が起こったのか理解出来なかったが、暫くして我に返り「野郎!!」 と激高した。おそらくエヴァンジェリンとグルだ、一緒にいる処をよく見かけるし……奴の目的は理解出来る、千雨に『さっさと来い』と言いたいのだろう……だが「流石のアタシも……こいつは我慢が……ならねえ」 極道だ任侠だと言いながら平然と堅気を巻き込むなど、随分と舐めた真似をしてくれる。まあ問い詰めたとしても、エヴァンジェリンは意にも介さないだろう。強者のみ許される傲慢を、彼女はよく理解しているのだ。 エヴァンジェリンとの力量の差は隔絶している、といっても良いだろう。千雨はこの世界に来て、自分がどの位強くなったのかはまだ把握していないが、運良く勝てたとしても、結果は魔女化か円環の理行きだろう、と認識している。 一応この学園に属しているのだから鳴滝姉妹を誘拐したとて、彼女達に危害が加えられる可能性は皆無だろう。だから慌てる必要はない……のだが「畜生! どいつもコイツも人のトラウマぐりぐり抉りやがって! あのクソ餓鬼、やりゃあいいんだろうが! やりゃあ!! 」 千雨の頭では『この件は保留して遺憾の意を伝えればいいだろ』と思っているのだが、身体の方は正直で服装を戦闘用に換え、今にも窓から飛び出そうとしている。 千雨は激怒していた。必ず、かの邪智暴虐のエヴァンジェリンを〆なければならぬと決意した。何よりもあの余裕ぶっこいた面が気に入らない。まるで昔、調子に乗っていた自分を思い出してしまう。同じ穴の狢の分際で、偉そうにさやかに対して慢言を放っていた自分と重なってしまう。それだけならまだしも、先程の誘拐もどきが、この下らない挑発が、さやかを挑発して決闘寸前までいったあの出来事を彷彿とさせる……あれさえ無ければ、さやかは説得に応じてくれたかもしれない……今更言っても詮無い事と判っていても、思わずにはいられない。「覚悟きめろよ、アタシ 気合入れろよ、アタシ!!」 そう言って千雨は窓から飛び出し、絡繰の後を追跡していった。 第10話 容赦もなく 慈悲もなく「やっと動いたか……手間をかけさせる」 遠くからこの一部始終を見ていた龍宮が口を開いた。横に立っている桜咲は結果は兎も角、この一連の流れに不快感も露に話し掛ける。「だが、このやり方はマズイだろう、アイツをおびき出す為とはいえ、曲がりなりにも一般人を人質とするなど……高畑先生、この件はどう処理されるつもりですか?」 桜咲の詰問に高畑・T・タカミチはネタばらしを始めた。「実の処、この方法を思いついたのは学園長なんだよ。正直、長谷川くんへの不信感が、ウチのクラス以外ではドンドン上がっているようなんでね、この状況下で風香くんたちを助けに行く姿を見せれば、少しは安心するんじゃないか?と」 つまり『何をするか判らない』奴でも『義侠心があって弱者を助ける』のであれば敵愾心が薄れるだろう、と考え、そう皆に考えてもらおうと舞台を設置した、という事だ。とはいえ、自分の生徒を生贄として差し出すなど、到底承諾できる事ではない。学園長に『鳴滝姉妹には一切手を出さない。戦闘後に長谷川君を傷一つ残さず治療する』ことを確約させて始めて承認したのだった。「後は長谷川君がエヴァに負けてくれれば、全てが丸く収まる…………長谷川君には……申し訳ないけどね」 『申し訳ない』の言葉に複雑な感情を滲ませながら、高畑は呟く。龍宮は『長谷川もその事は理解している』と思いながらも自分の抱いた懸念を皆に言った。「だが万が一好勝負になれば、最悪逆効果になりかねない……それにしても長谷川の奴、かなりヤル気になっていたな……あいつのトラウマは不発弾かよ……あっちこっちにばら蒔かれてやがる」「自爆、誘爆、ご用心……だね」「というか 対人地雷?」 ネタに気付かない桜咲は龍宮の懸念に反論する。「龍宮、それは穿ちすぎだぞ。いくらなんでもあの――」 桜咲は畏怖の念を滲ませながら続ける「――『闇の福音』に対抗できるなどありえない」龍宮は桜咲の意見を否定はしなかったが「桜咲、長谷川については常に最悪の状態を想定した方がいいぞ……奴は何時も其の斜め上を行っているじゃないか」 その言葉に反論出来ない桜咲、龍宮は話を続ける。「恐らくアイツにはまだ『奥の手』が残っている。それが何か判らん内は、慎重に動いた方がいい」 幾多の戦場を生き抜いた者特有の『勘』ともいうべき洞察力で龍宮は語る。高畑もそれに共感する『なにか』を感じたのか、携帯を取り出し何処かと連絡をとっていた。 「さて、長谷川よ、今回も吃驚させてみろよ……だが、その前に……」 龍宮はどのタイミングで桜咲に『三池■吏監督の話が嘘である』ことをカミングアウトしようか思案した。 鬱蒼とした森の奥にある、少し開けた場所にエヴァンジェリンが立っていた。虚ろげな表情で髪を風に靡かせ、首をシャフ度に傾け佇んでいる姿は、当に絵画のようであり見る者を魅了するだろう……周りに従者である絡繰しかいないのが残念な位だ。 ビクン 何かを察したのかエヴァンジェリンが反応した。表情に喜悦が浮かび、気配に禍禍しさが滲んでくる。そうしてある一点を見つめている――千雨が向かって来ている方向を。 ヒュッ 《何か》が森の奥から飛び出し ストッ エヴァンジェリンの眼前に着地した。「遅いぞ」 眼前の少女から漂う闘争心に意外そうな、そして嬉しそうな表情でエヴァンジェリンが囁く。「時間を指定しなかったテメエが悪い。サカッてんじゃねえぞ、この阿婆擦れが」 エヴァンジェリンは、この千雨の暴言も楽しそうに聞きながら「そうだ、それでいい。狼は犬になれるが、犬は狼になれぬ。そして狼は犬でい続けることなど……出来やせぬ」 千雨はエヴァンジェリンの話を黙って聞いていた。まるで相手の一挙手一投足を探るかのように――矢張り鳴滝姉妹はこの辺りにはいないようだ。途中で誰かに預けたか、最初から偽物だったのか――「無謀と思われようが、前進できぬ者に勝利と栄光は訪れぬ。ゴルディアスの結び目を解くことが出来たのは、アレクサンダーだけだったようにな……だが!」 エヴァンジェリンは殺気を開放し千雨を睨みつける。千雨は萎えそうになる心を奮い立たせ、睨み返す。「貴様如きがこの『闇の福音』に楯突けれると思うたか! 身の程を知れ!!」 そう叫びエヴァンジェリンは手を揮う。千雨もそれを察して同じく手を動かすが「無駄だ! この未熟者が!!」 エヴァンジェリンの台詞に千雨は眉を顰める。自分の《鋼糸》がエヴァンジェリンの《糸》に全て切断されたのだ。《糸》は見えるし動きも読める、だが動きの精密さと切れ味が段違いである。予想していたとはいえ、この実力差に驚愕してもいた。「やはり……修行不足なのか体質なのか……お前は《気》が使えんのだな、折角の戮家の奥義もそれだけなら、私には勝てぬ」 まるでつまらないモノを見るような目で、千雨を見つめるエヴァンジェリン。その眼が、その態度が千雨の神経を逆撫でする。「スカシてんじゃねえぞ!!」 そう言って千雨はエヴァンジェリンに突撃する。一見自暴自棄にも見えるこの攻撃に「フン、つまらん。これで終わりか……」 そう言ってエヴァンジェリンは両手を振り、全方位から《糸》を繰り出し千雨を絡め捕ろうとした……が「させるかー! 長谷川流魔槍術!」 そういって千雨は腰から蛇轍槍を取り出し、一気に引き伸ばす。「ぬ!?」 急に出現した槍にエヴァンジェリンは驚いたが、それだけでは収まらなかった。 千雨はその槍を両手で回転させた。すると徐々に徐々に風が起こり、それが疾風となり……竜巻が吹き荒れた。「長谷川流魔槍術奥義! 渦流天樓嵐!!」 威力だけなら伊達師範以上であるこの技、槍の巻き起こす突風が《糸》の軌道を狂わせ、穂先が《糸》を切断していく。流石にエヴァンジェリンも初めての経験らしく「何だこの馬鹿げた技は!! 非常識にも程があるぞ!!」 怯んだエヴァンジェリンを見て『ちゃ~んす』と思った千雨は一瞬で槍の穂先をエヴァンジェリンに定め「隙あり! タマ盗ったーー!!」 叫びながら瞬動にも劣らぬ速度で、エヴァンジェリンに向かって突撃する。完全に隙を突くことが出来たのか、抵抗や防御をする素振りも見えない――『勝った!』――と千雨は確信した……のだがキーーーン ――エヴァンジェリンの眼前に現われた魔法陣によって、必殺の突きは防がれた。「……だから言っただろう、私には勝てぬ、と」 先程までの嘲りの表情は消え、心底残念そうにエヴァンジェリンは言った「あの無茶苦茶な大道芸は兎も角……技のキレ、スピード、突く時の躊躇いのなさ、どれも合格点……だが」 そう言いながら懐から試験管を取り出して放り投げる。「……リク・ラク・ラ・ラック・ライラック……」 エヴァンジェリンが呪文を唱えると、試験管の中から魔力が増幅していき、十本位の氷柱に変化していった『魔法の射手・連弾・氷の11矢』 そう唱え終わると、11本の氷柱は眼にも留まらぬ速さで、千雨に向かって行った。 千雨は近い順に叩き落そうとしたのだが、氷柱が微妙に軌道を修正していくのを見て「クソッ!追尾機能付かよ! 」 千雨はそう言うと槍を分離させ鞭状にし、それを振り回して氷柱を叩き落としていく――無事全弾防ぐ事が出来たが、蛇轍槍自体が急速に冷やされ、持つ手が悴む。 エヴァンジェリンは千雨の槍を見て『南京玉すだれかよ!』と突っ込みたくなったが、それを我慢して話しかける。「鍛錬による肉体強化を《足し算》だとすれば、《魔法》や《気》による強化は……《掛け算》といえるものだ……」 それ以上、エヴァンジェリンは喋らなかった。だが千雨は『何を』言いたいのか判る――千雨の積み重ねてきたモノを『取るに足らぬ』と断言したのだ。 千雨にもそれは理解出来ていた――だが、『自分で考える』と『他人に言われる』のでは怒りの度合いが違う。「ウルセェー! 見下してんじゃねえぞ!! エヴァンジェリン・A・K・マクスウェル!!」「誰が13課だ! ブチ殺すぞ、ヒューーーマーーン!!」「長谷川流魔槍術! 渦流回峰嵐!!」キーーン こうして千雨が魔法障壁を突き、エヴァンジェリンが魔法で攻撃する、というパターンが10分程続く。この場に倦怠感が漂うようになった時に、状況は変化した。カカカーーン何度目か判らない千雨の攻撃は、全て魔法障壁に防がれた。「おい長谷川、もういい加減にしろ……」 エヴァンジェリンは半分ダレていた。右手を腰と言うより尻の上に置き、左手だけで魔法を射出し千雨を攻撃していた。「……構造は理解出来た……後は……」 千雨は何か呟き、エヴァンジェリンの攻撃を防ぎつつチャンスを伺っている。槍は完全に凍りつき、持つ手が張り付いてしまう。早く何とかしないと、槍を持つことも侭ならなくなるだろう。千雨は腹を括り気合を入れる。「必殺必中! 核砕孔粉砕!!」 そう叫び……数歩下がって助走をつけて、突撃した。「だから無駄だといっていr……」パリーーン 一瞬エヴァンジェリンは、なにが起こったのか理解出来ないような表情をした――状況から判断すれば、これはエヴァンジェリンの魔法障壁を粉砕した音だ。「ザマアミロ! これぞ《纏劾針点》! 憶えたか!!」 千雨は完全にドヤ顔で言い放つ。エヴァンジェリンは状況を把握し、そして驚愕の表情を見せた。「ま、まさか魔法障壁の構造的弱点を突いたというのか!針の穴程の大きさだというのに……貴様!!『コレ』をずっと探す為に突いていたというのか!!」 千雨はエヴァンジェリンの問いに答えず、只 ニヤリと笑った。 最期の抵抗とも言うべき障壁が破壊されたことにより、エヴァンジェリンを護るモノは無くなった。槍の穂先が徐々に心臓に近着いていく――30センチ――20センチ――10センチ――後5センチ!! 『今度こそ!!』と叫んだ千雨の槍は……ガクン!! ……残り1センチで千雨の身体ごと止まってしまった……「な、何が!?」 何故!? 千雨には訳が判らない。最早、最期のチャンスとばかりに全力を注いだ攻撃が、未遂に終わってしまい、今度は千雨が危機的状況になってしまったのだ。「本当に……惜しかったな……あと数秒差だったのに……」 そうエヴァンジェリンが賞賛が滲み出るような口調で話す。千雨は何が起きているか調べようとすると、自分の身体のあちこちに、細い線が入っているのが見えた……《糸》? おかしい どんなに細い《糸》だろうと、自分が見間違う訳がない そう考えた千雨は対戦相手を凝視して――気付いた。「テメエ!右手から地中を通って!!」 タネを明かせば、エヴァンジェリンの右手の《糸》が腰の所から脚の後ろ側を通って地中に入り、千雨の後ろ側から顔を出し、そのまま千雨を拘束してのだ。「キサマの敗因は『私が油断している』と思ったことだ。私がうろたえている、と思い周囲の状況確認が疎かになった……覚えておけ、キサマのような体力のみの一点突破型は 一瞬たりとも気を抜くな、敵の息の根を止めても気を抜くな、それが幻術でない確証を得ることが出来るまではな」 エヴァンジェリンが講義するように喋っている間も、千雨は《糸》の拘束から逃れようと足掻いていた。だが微妙に関節を極められ、上手く力が入らない。「畜生! テメエ三味線引いてやがったな!」 千雨の絶叫をニヤニヤしながら聞いていたエヴァンジェリンは、千雨を更に貶める為に、恥部を抉るように話を続ける。「あんな演技に引っ掛かるとは……ププッ あのドヤ顔で『おぼえたかーー』って道化にしては一生懸命だったな……ククッ」 思い出し笑いで肩を震わすエヴァンジェリン。千雨はもう顔を真っ赤にして何を言ってるか判らない。 思う存分笑い続けたエヴァンジェリンは、気が済んだのか徐々に表情を引き締めていき、千雨に問い質した。「で、長谷川千雨よ、お前は如何したいのだ?」 その問いに千雨は、今まで何回言ったのか判らない答えを述べる。「何時も言ってだろうが、只普通に……」 その言葉を、エヴァンジェリンが妨げる。「そんな寝言を……まだ自分の立場を理解出来てないのか?」 諭すように喋るエヴァンジェリンの貌から表情が消えていた。千雨はそれに気付かず反論する。「アタシは……お前らと違う! アタシは……」「まだ言うか! この外道が!!」 堰を切ったように溢れるエヴァンジェリンの憤怒に、その迫力に、千雨は何も言えなくなった。「私には判るぞ、キサマは人殺しだろうが! それも一番最低な『殺し』……生きる為でも、憎しみによるものでも、又は仕事としてでも無く、只単に『このほうが楽』という命に対する尊厳をもたない理由で……《人》を肉の塊と認識してするその目、誤魔化しきれるモノではないぞ!!」 千雨はエヴァンジェリンの言っている事が判らなかった、だが身に覚えがあった。《佐倉杏子》としての体験が、その身に染み付いていたようだ。千雨が動揺しているのが明らかに見て取れる。その表情が更にエヴァンジェリンをイラつかせる。千雨の髪を掴み、その首筋に牙を突き立てた。千雨は恐怖に顔を歪め、エヴァンジェリンは嫌悪感に顔を歪ませる。牙を抜き、口中の血を汚物を捨てるが如く吐き捨てた。「クソ、矢張り精気の欠片も無い血だ、キサマは死人か!? ゾンビか!? キサマのような奴が堅気の中で生きていくと? おぞましい化物の分際で!!」 そう言うなりエヴァンジェリンは渾身の力で千雨の顔面を殴りつける。 プチプチ と《糸》が切れる音と共に千雨は10メートルほど吹き飛ばされる。《糸》が食い込んだらしい数箇所から、うっすらと血が流れていた。そこに畳み掛けるようにエヴァンジェリンが近づき、腹部にトゥーキックをぶち込む。「ガハッ……」 千雨が呻いているのも構わず、頭を踏みつけ、激昂しつつ言い放つ。「屍肉を喰らい、親兄弟すら生贄とし、只感情のままに牙を剥く! そのようなキサマが幸せな人生だと!? 普通の生き方だと!? 反吐がでるわ!!」「……!!」 この叫びに何か琴線が触れたのか、千雨は唇を噛み、涙を堪える。「何で眼から水が出るんだ? グール無勢が!!」 千雨の慟哭も無視してエヴァンジェリンは再度千雨の髪を掴み、今度は地面に叩きつける。 エヴァンジェリンは困惑していた。何故自分が此処まで《コイツ》を痛めつけるのか? 何故言っても詮無い事を延々と喋り続けるのか? だが《コイツ》を見ていると、何でだろうか苛苛する。言い聞かせ、殴ってでも骨身に染込ませようとしてしまう…… エヴァンジェリンは長谷川千雨を始めて見た時から『コイツは人間じゃない』という事は察していた。まあそんな奴等は見渡しただけでも5人はいるので、あまり気にせずにいた。後でタカミチから聞いたら、どうやら有名な広域指定■■団の準構成員扱いになっているらしい。まあその位なら、この麻帆良では気にする程の問題ではない……たとえあの『前世界大戦における最強の人型汎用決戦兵器』の孫弟子だったとしても……だが、その後の《コイツ》の態度が癪に障る。 変に一人で突っ張っている癖に、妙に人恋しそうな表情を見せ、それでいて詰まらぬ事で暴力を揮う……見る人が見ればこう言うだろう――『まるでナギと出会った頃のキティのようですね フフフ』――と。本人は絶対認めないだろうが…… 詰る所、自分の一番無様だった時期を見せつけられ『私はあんな情けない顔をしなかった! 』とか『あんなウジウジした態度をとっていたのか!? 』とか無意識に考えてしまい、それを全否定したくて、湧き上がっていく怒りをぶつけてやろう、というのが『本音』である。 嘗て愛を求めた自分、温もりを欲した自分、そして願いが適うと信じて待ち続け……何一つ得られなかった自分……幸せを夢見て浮かれている《コイツ》に骨身に染みるまで叩き込んでやる――この世界の非情さを、冷酷さを。 とはいえ流石にそんな『本音』を言える訳も無く『自分が辿った不幸への道を味合わせたく無い』ので『《コイツ》の矯正が必要だろう』と考え凹っている、という建前で覆い隠しているのが今の状況である。 また、千雨にとって不幸なことにエヴァンジェリン自身が、自分の中に生じている矛盾を見抜き始めており、それが更にエヴァンジェリンの神経を逆撫でしている。「キサマにあるのは、何にでも噛み付く牙と、触れるもの全て傷つける爪だけだ! キサマ自体が不幸と絶望を呼び寄せる存在だと、何故気付かぬ!?」 自分の髪を掴んでいる手を払い除け様と、千雨は手を動かすが、その手をエヴァンジェリンに捻られ、身動きが取れない状態で「ガハッ! 」 鳩尾に膝蹴りを打ち込まれた。1発、2発、3発 と綺麗に入り、千雨は呼吸も出来ないまま踠き、視界がブラックアウトしそうになるのを耐えていた。「キサマに《幸せ》など来ぬ! 《明日》も、《愛》も、《夢》も、《希望》も来やせぬ! そんな《奇跡》は起きぬ、そんなことは許されぬわ! 」 そう叫びながら千雨を樹木の幹に投げつける。千雨は空中で体制を立て直そうとするが、ダメージが酷く結局、背中を強く打ち付けてしまった。肺が悲鳴をあげながらも、千雨は反論する。決して譲れない《想い》の為にも「HA、HA……さっきから、聞いてりゃ……勝手な 事言いやがって……アタシはな、不幸になる気も、誰かを不幸にする気も無い! ましてや希望を捨てる気はない! 捨てない! 奇跡が起きないなら、アタシが起こしいてやる!……死んでもな。そう……誓ったんだ。 《アイツ》の願いの為にも……」 エヴァンジェリンは千雨の反論を『フン』と鼻で嗤った。そしてより打ちのめす為に、その思考そのものも侮辱した――この結果、近衛近右衛門の作戦が完全に破綻したともいえるが――「ハァ? 『希望は捨てない』だと? 『奇跡を起こす』だと? 随分と幼稚は発想だな、安っぽい思想だな。性質の悪い生臭坊主にでも騙されたか? そんな幼稚な台詞、真顔で言えるのは『馬鹿』か『詐欺師』だけだぞ。もしそんな勧誘が来たら、とっとと追い出したほうが良いだろうな、きっと……」「……!!」 エヴァンジェリンの挑発に千雨はビクッと大きく反応した。そしてピクリとも動かなくなり、只全身を震わせるだけだった。それを見たエヴァンジェリンは《長谷川千雨の芯》が圧し折れた、と判断する。もう少し注意深く見ると、違うと判ったのだろうが、これ以上見ていると、本当に《長谷川千雨》を殺しかねない。「フン、やっと観念したか……茶々丸、火器使用を許可する、頭と心臓以外はズタボロにしてやってかまわん。どうせ後でジジイが治療――いや修復する予定だからな」「……了解しました、マスター」 コイツの面を見るのも忌忌しいとばかりに、最期の仕上げを絡繰に押し付け、帰る準備を始めた。絡繰はどこからとも無く取り出した自動小銃を構え、千雨に対して静かに警告した。まだ感情を表現出来ないはずなのだが、そこはかとなく申し訳なさを感じられる口調で告げる。「……それでは長谷川さん、御覚悟を……統制射撃、開始しm……」 パスッ ピキッ「ん?」 絡繰の発言が中断し、なにやら乾いた音がしたのでエヴァンジェリンが振り向くと……「何!?」 目の前を高速で《何か》が迫ってくる。紙一重の処でエヴァンジェリンがかわすと――そこには――《真紅の槍》があった――「馬鹿な! この私の魔法障壁をいとも簡単に!」 どうやら二回目の音は、エヴァンジェリンの魔法障壁を突き破った音のようだ。先程千雨がやった構造上の弱点を突くやり方ではなく、指が障子紙を突くが如くあっさりと貫通したようだ。「何だコレは! 一体何処から……」 そういって《槍》の来た方向を見てみると……そこには絡繰がいた、絡繰から《槍》が伸びてきていた――――いや正確には『絡繰のボディ』を突き破って《槍》が伸びてきたのだった……「ちゃ、茶々丸!?」 そうエヴァンジェリンが叫ぶや否や、槍の穂先が カチッ という音と共に、底辺が50cm位の二等辺三角形へと変形し シュン といいながら縮んでいった。このままだと茶々丸の胴体は真っ二つにされてしまうだろう。「い、いかん避けろ! 茶々丸!!」 その叫びも空しく、《槍》の穂先が凶悪な返しとなって絡繰に迫りバキッ!! と激しい音をたてて《槍》が絡繰の腹部に消え、ゆっくりと ゆっくりと《上半身》のみが倒れていく。絡繰は機械音とは思えない位、無念さと驚愕が滲み出た声で呟く。「申し訳……ありませんマス……ター……機能保全の為、スリープモードに……移行します……おねが……いですマスター……早くにげt」 絡繰の上半身が ドスン と音を立てると同時に眼から光が消え、それからピクリとも動かなかった。それを見ていたエヴァンジェリンは地獄の閻魔も逃げ出す程の容貌で「……よくも……よくも茶々丸をやってくれたな!! 長谷川千雨!! 只で済むとは思うなよ!!」 と、未だ立ったままの絡繰の下半身――その向こう側にいる千雨に告げる――これからお前を 殺す、と。 千雨の方は、エヴァンジェリンの宣告も気にならないのか、俯いていて表情は伺えない。数秒後左手に握っているモノ――微かに光る卵型のアクセサリーを握り締め、その紅い暖光を見せつけるように翳し、静かに呟いた。「パパ、ママ、ゴメン……アタシやっぱ長生きできそうにないや……」 そう言葉を発するや否や、千雨の内部から湧き上がるエネルギー総量が増大した。今までは炎の如く、燃え挙がったり鎮火しそうになったりしていたモノが、只純粋な熱エネルギーとして――まるで太陽のように――揺らぐことなく静かに増大していく――禍々しい位に。 クイ 千雨は顔を挙げてエヴァンジェリンを睨み、どこか調子の狂った声で話し始めた。「被告――エヴァンジェリン」 この訳の判らぬ発言にエヴァンジェリンは眉を顰める。そして千雨の独唱は続く「被告――絡繰」 ニッ と嗤い千雨はエヴァンジェリンと目を合わせる。 ゾクリ エヴァンジェリンは千雨の眼――狂信者のそれと同じ――に一瞬背筋が凍った。そこで攻撃主体の思考から防御主体の思考に切り替えた。 その事に気付いたのか否か、千雨は嬉しそうな声で高らかに宣告した。目を血走らせ、犬歯を剥き出しにし、『どっちが吸血鬼かわかんねえよ!』という位壮絶な表情で、高らかに吼えた。「判決は…………死刑!! 死刑ーーーーーー!!」 そう千雨が叫ぶや否や、左手のアクセサリーから数十本に真紅の《槍》が飛び出し、エヴァンジェリンに向かっていく。そのブチ切れた表情は、どう見てもアノ大司教猊下にしか見えなかった。「テメエは《アイツ》を侮辱した。だから死ね!! 」 それら《槍》達はいとも簡単にエヴァンジェリンの魔法障壁を突き破り「テメエは《まどか》を嗤った! 《アイツ》の覚悟を嗤った! 《アイツ》の願いを嗤いやがった!!」 エヴァンジェリンはダメージを最小限に抑えようと、急所への攻撃のみ捌き、あとは避ける、それも無理なら戦闘に支障が出ない部位で受けようとした。だがその《槍》の刺突は強烈で、捌いた腕にも多大なダメージを与える。「だから死ね! 蝶のように舞い、蜂のように死ね!!」 かわした、と思った攻撃も《槍》の縁が鋸状に変形し、エヴァンジェリンの皮膚を遠慮なく切り裂いていく。「独りで死ね! 善もなさず、悪にもなれず、塵芥の如く散れ!!」 突き刺さる穂先はドリル状に変形し、エヴァンジェリンを深く抉っていく。 千雨は、エヴァンジェリンにダメージが与えられたのを確認し、《槍》を消し去った。そして、これまでの恨み辛みも込めて言い放つ。「今のアタシの攻撃が32発。テメエがアタシに与えたダメージはパンチ3発 蹴り9発 頭を叩きつけられたのが6発に、投げが3回。端数は切り上げで……計1000発! 当然倍返しだからエヴァンジェリン! 残り1968発、凹らせてもらうぞ!!」 千雨のボッタクリにも反応せず、エヴァンジェリンは傷だらけの身体を精神力で奮い立たせ、悠然と千雨に立ち塞がった。立っているだけで、体力を激しく消耗しているのだろうが、自らの誇りと矜持にかけて、千雨に弱みは見せたくないようだ。 圧倒的に不利であることを理解しつつ、一歩も引く事無くエヴァンジェリンは千雨に問いかける――強者が弱者に問うが如く――「なぁんだ長谷川千雨よ……キサマ……やれば出来る子だったのか……」 血まみれのエヴァンジェリンはニヤリと嗤う。長年探した怨敵に向けるように、自らの半身に会ったかの如く。そして問う。「では問おう。貴様は何だ? 人に非ず、死人に非ず、化け物にも非ず……」 千雨はその問いに興味無さげに答える。「『何だ?』……ねえ、アタシが聞きたいくらいだ……だが」 そう言って千雨は左手のアクセサリーを掲げ、後ろにジャンプしてエヴァンジェリンと距離をとる。 着地する瞬間、アクセサリーが光の粒子と化し、千雨はその淡い光に包まれた。星の如く、ミラーボールの如く瞬き、その輝きが収まった時には、真っ赤なコスチュームに身を包んでいた。ルビーのような石を埋め込んだ槍を持ち、その切っ先を静かにエヴァンジェリンに向け、雄雄しく啖呵を切る。「生者に非ず、死者に非ず、長谷川千雨に非ず……」佐倉杏子にも非ず そう聞こえないように呟き、話を続けた。「そんなアタシに残った、たった一つのモノは何か? そう問われれば、こう答えてやる…… 」 魔 法 少 女 と。 そうして千雨は槍を分離して鞭状にし、乱気流を起こすように振り回しながら、決めの台詞を吐いた。「そう! アタシは魔法少女!! 魔女に喰われ、路傍に屍晒すが本望!! さあ来いよエヴァンジェリン。今度はこっちのターンだ!!」 それは皮肉にも、美樹さやかが最期に綴った想いと同じモノであった……