その日、神楽坂明日菜と近衛木乃香の二人は朝から買い物をしていた。夏休みも残り数日となり学校が再開される前に色々と買い揃えるつもりだったのだ。
涼しいうちに服などを見て回り、昼前には世界樹広場前で早めの昼食を取って、二人はそのまま腹ごなしに広場の中の木陰の小道を歩いていた。
「はぁ、もうすぐ夏休みも終わりかー。宿題とか誰が言い出したのかしら」
「あはは。うちも付きっ切りで教えたげるさかい、帰ったらしっかりやるんやよー?」
「わかってるわよ。別にやらないなんて言ってないし、学校が始まれば高畑先生にも会えるんだからちゃんとやるわよ……」
夏休み終了間際、毎年交わされる極々普通の会話をしていた二人。
その二人の『普通』は何の前触れもなく、終わりを迎えることになる。
「あら?」
「どないしたん、アスナ?」
「えっと、何か、変なのが……」
「んー? ……あれ、何やろ?」
アスナが前方を指差し、木乃香もそこに――何もないはずの空中に妙な歪みが存在していることに気がついた。
最初は目を凝らさないと気がつかないような小さな歪みだったが、二人が見ているうちにどんどん大きくなっていき、歪みの向こう側の景色がグニャグニャと捩れていく。
「ちょっと、何よこれ?!」
「うわー、何なんやろーな?」
驚いてその場で固まる二人の目の前で歪みは一気に成長し、中心に亀裂が走ると一人の男を放り出して消えてしまった。
後に残ったのは、呆然とした顔で見詰め合う二人の少女と一人の男。
「……あー、ちょっとええかな。ここかどこか教えて欲しいんやけど……」
いち早く驚愕から立ち直った男、横島が二人に声をかけた。
美少女を前にしてこの男がナンパしないなんて珍しいが、鍛え抜かれた横島の心眼は二人が中学生であると正確に見抜いていたのだ。
(ううむ、あのスタイルで中学生とか……あっちの子も胸は小さいが可愛いし、二年後に会いたかった……!)
内心で溜息を吐きつつ、見た目はフレンドリーに話しかける横島。元々二枚目ではないが愛嬌のある顔をしているので、人好きのする笑顔が浮かんでいた。
「あ、はい。ここは麻帆良っていうんでけど――って、そうじゃなくて――」
「お、お兄さん、何やの今の?! 魔法? 超能力? それとも、お兄さんは実は宇宙人やったりするんかー?!」
思わず流されそうになったアスナが突っ込みを入れる前に、オカルトなどが大好きな木乃香が目をキラキラさせて横島に駆け寄ろうとした。
「え、ああ、俺はゴーストスイー……?!」
守備範囲外だとしても可愛い女の子に迫られて嫌がるような横島ではない。自分はGSで除霊中の事故で飛ばされた、と口を開こうとした瞬間、横島の背中を悪寒が走りぬけた。
咄嗟に霊気の盾――サイキック・ソーサーを作り出し、直感に従って構える。
キンッ
ほぼ同時、物陰から飛び出してきた小柄な影の繰り出した一撃――大太刀の一閃を受け止め、横島は驚嘆の声を上げた。
「お嬢様、お逃げ――」
「な、なんでいきなり刃物持った美少女中学生に切りかかられるんじゃー!? しかもこの妖気、妖怪やないやんけ、ワイが何をしたっていうんやー!」
横島に切りかかったのはアスナと木乃香の同級生、桜咲刹那だった。ギラギラと殺気を漲らせる彼女は抜き身の刃か狂犬のようで、相変わらず根がヘタレな横島が泣き叫ぶ。
しかし、横島の豊富な戦闘経験と観察力は大太刀に纏わりついて強化する『何か』――妖気が混じった横島のよく知らないエネルギー――を敏感に感じとっていた。
咄嗟に受け止めていなければ真っ二つにされていただろうと冷静に判断を下す。
(くう、この子可愛い顔の割りに本気で強いぞ。文珠なしじゃ無傷で取り押さえるのはきついかもしれん)
意識下から取り出した文珠を一つ左手の中に隠し、隙をつかんと身構える。
「な……ッ?!」
だが、横島の予想と裏腹に、刹那は先ほどまでの気迫が嘘のように消えうせ、まるで隙だらけで横島から視線を外し、木乃香に目を向けてしまっていた。
妖怪――正確に言えば半妖だが、自らの正体を木乃香の前で言い当てられた動揺が刹那の意識を占拠していたのだ。
当然、その隙を見逃すような横島ではない。『眠』の字を入れた文珠を投げつける。
「ッ、しま――」
光が爆発すると同時に刹那の体から力が抜ける。慌てて駆け寄った横島が支えると、その腕の中で静かに寝息を立て始めた。
「ふう、ビックリした~」
「せ、せっちゃん……? あの、せっちゃん、どうしたん? け、怪我とかしとるん?」
「え? ああ、この子なら寝てるだけだぞ。ほら」
「……あ、ほんまや。よかった~~~」
幼馴染の突然の乱入、戦闘、そしていきなり動かなくなった刹那を案じて不安そうに尋ねる木乃香。横島が刹那の寝顔を見せると一気に緊張が解けたのかその場にへたり込んでしまった。
対し、目の前で突然始まった戦闘に呆然とし観客と化していたアスナがようやく起動し始めた。
「ちょ、っちょっと待ってよ! 何であんたいきなり宙から出てきたの? 桜咲さんも刀持って切りかかるし、あんたも変な光る盾みたいの出すし、そうかと思ったら桜咲さんは突然寝ちゃうし! 一体何なのよあんた!!!」
顔を真っ赤にして食って掛かるアスナの勢いに押され、若干及び腰になりながら横島は言う。
「――俺は横島、ゴーストスイーパー横島忠夫だ。よろしくな!」
「おおー!」
そういって自分で考えたカッコいいポーズを決め、歯をキラリと輝かせる横島と、何がウケたのか笑顔で拍手を送るを親友に、どうしようもなく脱力してしまうアスナだった。
◇
「――つまり、ゴーストスイーパーってのは依頼をうけて妖怪や悪霊などを退治する職業でな。
まあ、一概に退治するだけじゃなくて保護とかをすることもあるんだが、プロのGSを名乗るにゃ国家試験受けて合格せにゃならんのだ。
で、さっき言ったような連中と戦うための力が『霊力』。俺は霊力をこうして収束して盾とか剣とか作って戦うんだ」
右手に霊波刀状の栄光の手、左手にサイキック・ソーサーを出して説明をする横島。
場所はアスナたちの住む女子寮の一室である。
あの騒動の後、横島は眠り続ける刹那やその手に握られていた大太刀の件もあり、どこか落ち着いて話せる場所に移動することを提案した。
アスナも木乃香もこのままでは警察沙汰になりそうだと思ったので(刹那の銃刀法違反など)横島の提案に応じ、少々揉めたが二人の自室に行くことになった。
道中は横島が刹那をおぶさったが、流石にスレンダーすぎて煩悩は刺激されず。女子寮も中学生しか住んでいないと聞いては守備範囲外、風呂場を覗くこともせずに素直に二人の部屋にお邪魔した。
ただし、玄関からではなく眠ったままの刹那を背負って、六階の窓から隠れながらの入室である。
白昼堂々と身一つで女子寮の壁を登りきり、誰にも見つからないという見事過ぎる陰行に(この人、本当は忍者なんじゃ……)とアスナは思ったりしたが口にはしなかった。
「嘘みたいな話だけど……これ、手品じゃないんですよね。それにさっきの件もあるし……ううん」
アスナは半信半疑という様子で、サイキック・ソーサーを手に取って軽く叩いてみたり、ベッドに横たえられた刹那のことを振り向いたりしながら呻いている。
「うわー、うわー、いいなー、綺麗な緑色やー。なあなあ横島さん、ウチもその霊能力って覚えられへん?」
木乃香は玩具を目の前にした子供のようにして、伸びたり縮んだり手甲に変形したりする栄光の手の輝きに見入っている。
「うーん、多分修行とかすれば霊力を使えるようになるかもしれんけど……なあ、木乃香ちゃん、もう一度ここの地名教えてくれないか? あと地図とかあると助かる」
「? 埼玉県麻帆良市やよ。地図は……あ、あったあった。はい、地図帳」
「あー……」
埼玉県かー、と呟き、木乃香が学校の授業で使っている地図を見て困った顔をする横島。
「どうしたんですか?」
「ん、いやアスナちゃんたちがゴーストスイーパー知らないのは何でだろうかと思ったんだけど……」
「そうや。国家資格とか言われても、ウチ聞いたことあらへんよ?」
「そういえば、こういう話が好きなこのかが知らないっておかしいわよね?」
「あー、まあ、その原因がわかった気がする」
「「原因?」」
首をかしげる二人に、横島は苦笑しながら推測を告げた。
「この世界と俺のいた世界、別の世界みたいなんだわ」
◇
横島たちが龍脈炉を止めるために向かった埼玉県××市。横島の記憶の中の位置と麻帆良市の位置はほぼ一致している。
また、横島は気がつかなかったが、龍脈炉の位置と麻帆良学園の中心に根を張る世界樹の位置も重なっており、その場所は龍脈から自然と霊力が溢れてくる龍穴と呼ばれる場所になっている。
こちらの世界に来た横島が世界樹の傍に現れたのは偶然ではなく、異世界のほぼ同座標だったからだ。
◇
「……とまあ、どうやら色々と俺の世界と違うみたいだし。時間移動とかもしたことあるけど、今回はたぶん異世界か平行世界であってるんじゃないかな。――って、アスナちゃん? 頭から湯気が出てるけど平気か?」
「……………………無理です」
霊能力やゴーストスイーパーなどの話だけでなく、異世界間での差異や宇宙のタマゴのような複数の世界の存在についての話も交わり、アスナは途中で撃沈していた。
横島自身も本来はそこまで頭は良くないのだが、自分が実際に体験したことなのでなんとなくで理解できていたりする。
そして、そういう話が大好物な約一名は最初から最後まで凄く楽しげに話を聴いていた。何せ神や魔族や幽霊や妖怪が普通に存在する世界である。いくら聞いても興味は尽きない。
「ほへー。横島さん凄いんやなあ。サインもろていいですかー?」
「へ? ま、まあ俺なんかのサインでよけりゃ、いくらでも――」
「だああああぁぁぁ、なんで横島さんは異世界に来たって言うのにそんなにのんびりしてるんですか!? それにこのかも! あっさり受け止め過ぎでしょ、少しは疑ったりしないの!?」
あまりにのほほんとし過ぎている二人にキレるアスナ。
「んなこと言われても、こういうこと慣れてるしなあ。それにそのうち誰か迎えに来るだろうし」
しかし、横島はのんびりとお茶をすするだけ。ここに飛ばされたのがヒャクメの失態のせいなのだから神族魔族も動くだろうと、全く危機感を抱いていない。
「まあまあ、アスナ落ち着きい。ウチやてちゃんとびっくりしとるよ」
「このか、でも、異世界とか急に言われても信じられないわよっ!」
「アスナ」
横島の非常識な話を信じきれないアスナに対し、僅かな間であるがその人柄に触れた木乃香が穏やかな声で言う。
「横島さんは嘘とかつく人に見えへん、ウチは信じられると思うんよ。……それに、せっちゃんにも酷いことしないでくれたしな」
「このか……」
突然刀で切りかかってきた刹那に対し、横島は霊波刀という武器を持っていたのに怪我をさせないように気をつけてくれた。
眠ってしまった後、刹那が地面に倒れる前に抱きとめてくれたし、ここまで運んで欲しいと頼んでも嫌な顔一つせず丁寧に運んでくれていた。
だから木乃香は横島を信じられたし、その親友の態度にアスナもまた考えを改めた。
「……そうね。とんでもない話だけど、横島さんが嘘つくよな人にも見えないか。私も信じるわ」
ごめんなさい、疑ったりして、とアスナが横島に頭を下げる。その一幕に感動した横島は滝のように涙を流して泣き出した。
「ううう、木乃香ちゃんもアスナちゃんもほんまにええ子やなー。初対面でこんなに信頼されたのはいつ以来やろ。そのままええ子でいてくれな……」
「もう、私達より年上なのにそんなに泣かないでくださいよ」
「いややわぁ、そんな恥ずかしい。はい、横島さん、お茶のおかわりどうぞ」
自分自身の普段の奇行のせいなのだが、それは棚上げしてべた褒めをする横島に対し、最初は疑っていたアスナはちょっと居心地を悪く感じながら慰める。木乃香はにこにこと笑顔でお茶のおかわりを入れた。
「ん。おう、ありがと。いやあ、木乃香ちゃんの入れるお茶は美味いなあ」
「あ、このか、私にもおかわり頂戴」
「はいはーい」
ずずず……、と一旦話をやめ、木乃香の入れたお茶を味わう三人。
まったりした空気が流れたところで、木乃香が口を開いた。
「――でな、横島さん」
「ん?」
「さっき、せっちゃんのこと『妖怪』や言うたんも……本当、なんやろ?」