『警視庁特殊資料整理室』の三名と『警察庁長官官房総務課特別資料整理室係』一名が、麻帆良学園学園長の近衛近右衛門と本校女子中等部教師のタカミチ・T・高畑と不本意な会合を持った日から明けて翌週。
特殊資料整理室室長の橘霧香(たちばな・きりか)の姿は、京都府警察本部の大会議室にあった。
出席者は霧香と本部長の他、京都府警各課からの四十名近い警察官達だ。大規模警察本部の一つである京都府警察署の本部長、すなわち警察組織で三十八名しかいない警視監の一人が顔を出すところからも、今回の京都府警の意気込みが伺えようというものだ。
「警視庁の特殊資料整理室の橘霧香警視です。この度は私共資料室への協力、ありがとうございます」
階級にしては少々へりくだった挨拶で一礼してから、霧香は会議室に詰める一同を見回した。二十代半ばの若い警視に反感を向ける目がないのを確認し、ひとまず小さく満足の息をつく。
「本題に入る前に……資料は回っているでしょうか?」
何かの講習会のように、折り畳み式の椅子を霧香の立つ壇に向けて並べ、四十人近い警察官が座る光景はなかなか圧巻だ。最前列の警察官達の手に、あらかじめ配布した資料が握られているのが見える。
「『麻帆良学園』による強制就労児童の保護」
A四版サイズの十枚程の資料には、そんなタイトルが振られていた。
タイトルだけを見れば、警察官が四十人も出席する会議に値するとは思えないだろう。
しかし出席者の所属を見れば、その印象は一変する。少年課からだけでなく、刑事部からは捜査第一課の特殊犯捜査係と機動捜査隊、そして警備部からは警備第一課・二課・三課に機動隊までと、児童保護ではなく大規模な組織犯罪かテロ集団に挑むかのような錚々たる面々だ。
近衛近右衛門を始め、麻帆良に潜む魔法使いと、その組織『関東魔法協会』に引導を渡す第一手として成功させたい作戦だ。霧香の立案した『計画』には、仮に失敗しても挽回する手立ては用意しているものの、初手でつまずきたくはない。
否、ここまでの顔触れを揃えて、失敗は許されない。
普段は妖艶さ漂う口元を引き締め、内心で気合いを入れると、霧香は会議室の前半分の照明を落とし、ノートパソコンにつないだプロジェクターを作動させた。
「では……。埼玉県麻帆良市にある麻帆良学園本校中等部、その内の五クラスが、今週四月二十二日から二十六日まで、四泊五日の修学旅行で京都に入ります」
『麻帆良学園』の名前で、一部の警察官が身じろぎした。少年課だろうか。
構わずに霧香はマウスを操作し、白壁に画像を映し出した。
和風の黒い瓦屋根と白い壁、そしてベランダとつながる大きい窓が目立つ建物の写真だ。
「宿泊場所は右京区の『嵐山ホテル』。麻帆良学園はこのホテルを毎年利用しており、今年も例外ではありません」
ここで霧香は一息入れ、警察官達の反応を伺った。口を挟む様子がないと見て取ってから本題に触れる。
「さて、ここからが本題です。この麻帆良学園……結論から言います。学生の一部を徴募し、兵士として訓練している疑惑があります。今回の目的は、訓練を受けている児童を保護するのは勿論、彼らの口から証言を得る事です」
日本国内の出来事としては荒唐無稽にしか思えない疑惑に、霧香は束の間、夢の中にいるのかと現実感を喪失しかけた。本部長始め京都府警上層部の合意を受けていなければ、自身妄想を口走っていると錯覚しそうな気分だ。
「保護対象は三年A組、以降三-Aとする関係者二名です」
次に壁に映し出されたのは、ボサボサの赤い髪が特徴的な、眼鏡をかけた少年の写真だった。パスポートからの転写らしく、名前を除き住所その他の個人情報は黒く塗り潰されている。
「まず一人目。ネギ・スプリングフィールド。一九九四年、ウェールズ出身の満九歳。担当は英語。三-Aの担任です」
この情報は資料にも記載されているため、ざわめきが起きたりはしない。それでも不快感を示す咳払いがいくつか聞こえる。
「ウェールズの義務教育は満十六歳まで。飛び級の制度はありませんから、当然、義務教育すら終えていません。それでも英語教師をしているのは、オックスフォード大学卒業程度の語学力を備えていると、麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門が認めているからです。……大学卒業と、大学卒業と同程度の学力は、全く別物なのですが」
彼にとり学位の取得など無意味なのでしょう、という言葉を霧香は苦々しい思いと共に飲み込んだ。
年単位の勉学と高額な授業料、一講義一講義大学の提示するカリキュラムを積み重ね、一人や二人ではきかない教授陣を納得させる成績を確保し、卒業する事でようやく得られる学位と、一介の学園長の一声が同じ重さと価値を持つ。実にふざけた妄言を吐く老人ではないか。
「学士など取得していませんから、普通免許状の専修・一種・二種いずれにも受験資格がありません。特別免許状と臨時免許状では、中学校教諭になれません」
『教育職員免許法』を出席者全員が把握している訳ではないので、霧香は補足を加えた。
特別免許状で教えられるのは、小学校か高等学校で担当する一科目に限られ、中学校の教育職員は対象外だ。臨時免許状も中学教諭は対象外の上、小学校なり高等学校なりの職場でも助教諭までに制限されている。
どちらの免許状にしろ、普通教員免許状の取得と同様、『教育職員検定』に合格しなくてはならず、その受験資格には最低でも高校卒業の学歴と、免許状の授与には十八歳以上と言う高いハードルが存在する。何一つネギ少年には備わっていない。
「指摘するまでもありませんが、教員資格を持たないニセ教師の授業は、義務教育でも未履修扱いされかねません。どうやら学園長権限で、近衛はそれすら誤魔化すか隠蔽する心算だと推測されます」
無論の事、学園長にそのような権限はない。それどころか、そのような事態が起きないよう管理するのが役目であり、義務だ。
霧香の脳裏に浮かんだのは、『ディプロマ・ミル』の単語だった。
人生経験を単位に換算し、授業への出席やテストすら無しに、学位を有料で発行する商売の事である。『学位工場』『学位商法』あるいは『ディグリー・ミル』とも呼ばれ、大体はキャンパスすら存在しないニセ大学の名前を用い、学士から博士号までの望む学部の、望む学位を販売している。当然ながら、そのように購入できる学位は無価値であり、アメリカの一部の州ではニセ学位の提示は違法にもされている。
ただ残念な話として、教授になりたくてもその条件に博士号がある大学や学部、ないし自分の肩書きに箔を付けたい人物が購入してしまうため、日本でも少なからぬ問題となっているのが実情だ。
近右衛門がネギ少年に貼り付けた箔は、近右衛門自らが主催者となったニセの教員資格の付与であり、心ある教育者であれば唾棄すべき行為のはずだ。
「その上で、非常勤講師ですらなく、担任として未成年者に就労を強いている訳ですから、悪辣としか言えません」
未成年者の就労は『労働基準法』で制限されている。厚生労働大臣の許可を得れば就労は可能なものの、就けない職業は存在するし、学業を優先しなくてはならないのは言うまでもない。必要な免状が『教育職員免許法』で十八歳未満には授与できないと規定されている以上、教職も就けない職業の一つだ。
「よって、今回は『児童福祉法』に基づいて身柄を確保。麻帆良学園からの干渉を断ちます」
『労働基準法』はあくまで労使関係の法律のため、暴行を受けた等の犯罪の通報のない限り、警察に手出しはできない。そして義務教育すら受けさせてもらえずにいる九歳児では、学園長の肩書きを持つ人物から違法な待遇を受けているとは、夢想だにしないだろうし、気付いても助けを求める知恵は浮かばないだろう。
ネギ少年に貼り付けられたニセ教師のレッテルについても同様だ。こちらは管轄が文部科学省と埼玉県教育委員会にあり、やはり警察がどうこう口出しできる問題ではない。
その点、『児童福祉法』を用いれば、刑事として介入が可能だ。教育を受けさせず労働させるなど児童虐待の要件として成立するし、ネギ少年が担任するクラスの生徒も虐待被害者とできるかもしれない。
「まさか、この手が使えるとはね……」
霧香を驚愕させたのが、ネギ少年の身柄保護につき、上から許可の下りた事だ。
政府の上層部と魔法使いが結託しているのは、魔法使いの存在を知る者からすれば公然の秘密である。ネギ少年の日本国内での就業許可も、それ故に暗黙の了解として見逃されていたものだ。
それが、ここにきて覆されたのだ。ネギ少年の就労に表向き正当な理由がないとなれば、被虐待児童として身柄の保護は選択肢の一つに入れられる。
「……上の方も色々あるって事なのでしょうけど……」
霧香は胸中で呟き、深い考察は棚上げにした。
「では、次の保護対象です」
次に映写されたのは、歳は十代半ばだろうか。黒髪ながら褐色の肌から、即座に日本人と判断できない少女だ。
「龍宮真名(たつみや・まな)。旧姓名、マナ・アルカナ。推定一九八八年生まれ、出生地不明。推定四歳の頃に戦災孤児だったところを、テロリスト……いえ、武装組織……失礼、非政府組織『四音階の組み鈴(カンパヌラエ・テトラコルドネス)』に徴募され、『子ども兵士』として訓練を受ける。後、各地を転戦。二〇〇〇年頃に部隊が壊滅。これを機に来日、養子縁組を経て帰化。龍宮姓を名乗る。現在は三-Aの生徒です」
次に続ける言葉が非常に忌々しく、霧香は一度言葉を途切れさせた。軽く深呼吸してから、吐き気を催す言葉を紡ぎ出す。
「そして今なお、麻帆良学園において、近衛近右衛門の指示の元、狙撃手としての活動を強いられているようです」
『子ども兵士』の単語までは資料にも書いてあるので、多少不愉快を示す雰囲気が立ち上るものの、大きな声は上がらずにいた。それよりも「日本国内で」「狙撃手として」「労働を強いられている」「未成年者」の響きに、剣呑な囁きがあちこちで交わされる。
「まあ、信じ難いのは私も同意です」
そう言いつつ、霧香は映像を切り替えた。
在席する警察官達が見間違えるはずもないAPRシリーズ、警察用デジタル無線機の写真だ。今年から採用されたばかりの無線機は、通話マイクの部分が見る目のある警察官であれば銃弾によるものと、見当を付けられる状態で半壊している。
言わずもがなな和泉の無線機だ。いかな麻帆良の魔法使いでも、外部の警察官を改めて襲撃し、記憶を操作する行為には走らなかったのだ。あるいは、シリアルナンバーの付いた官給品を別物にすり替えるには、代替品を用意する時間がなかっただけなのかもしれない。
理由はともかく、無事に麻帆良を脱出できたのは行幸だ。
「ちょうど一週間前の四月十五日、麻帆良市警察署との打ち合わせで部下を派遣しました。その部下たちが、深夜の外出中、何者かに狙撃されました」
和泉ら三人の口頭と文書による報告と、千草から回ってきた報告書のコピーに肝を冷やし、麻帆良学園と麻帆良市警察の態度に怒り心頭したのはつい先日だ。口調こそ穏やかなものの、ぶり返した怒りを表に出さないようにするには苦労を要した。
「幸い負傷者はなく、持ち帰った無線機に食い込んでいた銃弾から、彼女のものらしい指紋の一部が検出されました」
そして映像を替え、件の少女が日本に入国時に登録した指紋と、検出された指紋との比較写真を映し出す。
「逮捕状は申請しなかったのですか?」
名も知らない一人が尋ねたのは当然だろう。
「麻帆良市警は、事件はなかったと回答しています」
前半分の暗い席の表情は伺えないが、後ろ半分の半数は唖然と呆然の混じり合った奇妙な顔をしていた。
「近衛学園長の使い中の行動で、これは誤解からの射撃、事件性はない、だそうです。既に事件そのものが麻帆良市警のデータベースに残っていません。そのため彼女の保護の名目は、任意同行になります」
「……絶対、買収か何かされているだろ……」
誰かの呻きに、霧香は首肯で答えた。
「ですから、彼ら二名の身柄確保は、麻帆良から離れたここ、京都で行なう必要があります。麻帆良市警察署そのものが近衛の支配下にある怖れのあるため、彼らを麻帆良市近郊で保護しても、すぐに取り戻されてしまう可能性が高いからです」
被虐待児童の保護施設の場所を、加害者側に教える児童指導員はいない。いかに魔法使い達でも、麻帆良から遠く離れた京都で保護した二人の居場所を、一両日で特定するのは無理だろう。
その間に『関東魔法協会』の名前を絞り出す予定だ。
霧香の説明に、不可思議な表情を見せていた警官達も納得したようだった。
「ただし銃火器を携行している危険があります。無論その場合には、保護ではなく現行犯逮捕して下さい。また彼女だけでなく、他にも『子ども兵士』の訓練を受けているらしき武装生徒が確認されています。接触する際には、十分な警戒が必要となるでしょう」
またも映像が切り替わり、今度は二つに断ち切られた無線機の写真に変わった。
懸念されるのが、千草達に現行犯逮捕された少女だ。修学旅行に同伴しているのか、同伴していても武装しているのか、実際の保護の段階にならなくては分からない。何せ資料の一切合財が処分されてしまったので、名前や学年すら不明なのだ。
霧香としては、他にも戦闘訓練を受けた生徒のいる可能性を示唆し、警戒してもらう以外に手がない。
そこへ婦人警官が挙手した。
「ちなみに橘警視は、最悪のケースとして、どの程度の被害を想定されているのでしょうか?」
尋ねたくなる心境は理解できた。
国宝や重要文化財が多く、国内外の重要人物や一般観光客の訪問も多い京都が、テロの標的にされるのは自明の理だ。そんな土地へ、学園という閉鎖された環境で『子ども兵士』に育成された生徒が、修学旅行を装い訪問する。受け入れたくないのが本音だろう。
霧香は一度目を閉じると、想定している最悪の事態を思い返し、目を開けた。
「一般生徒と宿の従業員を人質に立てこもり、大人の教師達を逃がすための囮として、踏み込んだ警官隊と共に自爆。確率としては非常に低いかもしれませんが、これが想定している最悪のケースです」
生徒に爆弾を抱えさせて市内に解き放ち、無差別に自爆させる。さすがに関係する教師達を逃がすにしては、悪手すぎる手法のため、その可能性は否定されている。
話をしている最中に、フィクション小説の設定かと、またも霧香は錯覚に陥りそうだった。
しかしその錯覚は、管轄が東京の霧香だからこそのものだ。実際、平成になってからの十五年でも、京都は二桁に上るテロの被害を受けているし、国際的な対テロ活動の高まりからも、過激派やテロリストの行動には敏感だ。
「了解です」
未成年者二人の身柄の保護にしては過剰すぎると、批判を覚悟していた霧香が肩透かしを食った気分になる程あっさりと、女性警官は納得し引き下がった。
「なお、二人の保護手続きには、京都府知事の許可が必要です。手続きはどうなっているでしょうか?」
現在の京都府知事は、五年前まで内閣法制局で参事官を務め、改革派として知事選に名を挙げた就任二年目の、四十代後半の若手だ。複数の政党の支持を受けての当選のため、魔法使い関係で身動きが取れるのか微妙な人物だ。
「問題ありません」
霧香の問いに、少年課であろう女性警官が起立して回答した。
「知事の許可は得ていますし、児童保護施設の手配も完了しています」
「了解です」
二月三月にも打ち合わせを行っていただけあり、手続きの方に問題はなさそうだ。滞りなく許可の下りている時点でも、上の方で何やら画策しているらしいと想像できる。
手配の手際に満足した霧香は、プロジェクターの電源を落とした。
「以上が、今回の児童保護に関する概要です。実行日は修学旅行の最終日、四月二十六日、午前八時を予定しています。が、麻帆良学園サイドの動きによっては、日時が変動する場合もあり得ます。準備だけは怠らないようお願いします」
最後に一礼すると、霧香は着席した。
次いで本部長が立ち上がり、京都府警察本部の指揮系統などの細かな打ち合わせが始まる。その会議自体には、警視庁の者がこれ以上の口出しをする訳にはいかず、霧香が口を挟める隙はない。
最低でも問題の二人が予定通り保護されるだろう事を、霧香に疑う余地はなかった。
◎参考資料◎
・赤松健作品総合研究所『魔法先生ネギま!研究所』
・京都府警察『京都府警察のしくみ』
・京都府警察『京都を壊す過激派のテロ、ゲリラ』
・国際的な大学の質保証に関する調査研究協力者会議『「ディプロマ(ディグリー)・ミル」問題について』2003年11月28日
・総務省法令データ提供システム『教育職員免許法』
・文部科学省『教員免許制度の概要-教員を目指す皆さんへ-』
・Wikipedia『教育職員免許状』
・Wikipedia『京都府警察』
・Wikipedia『警視監』
・Wikipedia『警備部』
・Wikipedia『少年兵』
・Wikipedia『龍宮真名』
・Wikipedia『ディプロマミル』
・Wikipedia『山田啓二』
・Yahoo 知恵袋『無免許の教員って罰則規定ないですよね?』2008年1月6日