片側二車線、計四車線の道を走り続けた終点は、高速道路の料金所を思わせる開閉バーと、青い制服に警棒とトランシーバーを腰に下げたガードマンの待ち受ける入場門だ。
車を降り、受付にある入場申請書に所定の記入をする。所属、氏名、人数、訪問先、訪問先担当者名、用件、そして入場時間など。
企業の工場や研究所の敷地に入る手続きとしては、おかしな話ではない。大企業でなくとも、受付ブースを備えるオフィスや飛び込み営業対策に、このような手続きを踏ませるところは珍しくない。
しかし大概の場所では、敷地内に車を乗り入れるのは認めているものだ。それだけに、敷地外で車を降り、入場手続きを取らせるのは違和感を覚える。
ダッシュボードに乗せるB五版のナンバープレートと、胸に付けるバッジをガードマンから受け取り、車に乗り込む。
バーが上げられ、ようやく敷地内へ車を走らせる。
入場してすぐさま目に入ってくるのは、ブルックリン橋を彷彿とさせるゴシック調の長大な吊り橋だ。公式な全長は報告されていないが、約一キロメートルと言われている。芝浦・お台場間を結ぶレインボーブリッジの全長が七九八メートルと考えれば、その長さの一端を実感できるだろう。
これ程の橋の架けられている川の水量は豊かだ。
日本最長で知られる信濃川は、江戸時代には川幅が八四〇メートルあったと言われている。現在でこそ川幅は三百メートルあるかないかに整備されているが、それでも平均流量は毎秒五一八立方メートル、流域面積は国内第三位の一一九〇〇平方キロメートルを誇る。
さすがに日本屈指の信濃川と比較するのは酷であるにせよ、全長一キロ近い吊り橋の架かる水面の幅は、江戸時代の信濃川と較べても遜色のないものだろう。あるいは、橋のモデルの架かるイースト川か、レインボーブリッジの架かる東京湾か。
奇怪なのは、これほどの水量の川と長大な橋が、世間ではほとんど認知されていない事だ。
確かに、某所の敷地内である事を鑑みれば、認知度が低いのはやむを得ない……かもしれない。橋の建築費用にしても、その敷地を管理する組織が全額負担しているのならば、噂の端にもかからない……かもしれない。
でも考えてみよう。
これ程の水量だ。地理的には利根川水系の本流の一本と考えられる。が、それを示す資料は一篇もない。
ダム建設の話も一度ならず出ただろう。が、明治時代まで遡っても、ダム建設が計画されるどころか、検討された形跡すらない。関東圏の水不足の深刻さは知れ渡っているのに、だ。下流域への水害対策も考慮すれば、検討されていないのは余りにも異質すぎる。
これ程の規模の川となれば、一級河川の指定を受けているはず。が、一級河川リストにこの川の名前は無い。二級河川、準用河川ですらなく、河川法の適用を受けない普通河川として登録され、管理者は地元の市役所になっている。
ブルックリン橋を模倣した橋も、おかしな点は多い。
第一に、橋の竣工年だ。何年何月に定礎を築いたのか、その情報は橋のどこを見ても刻まれていない。
第二に、橋の建設をどこが許可したのか、だ。一キロ近い長さからして、板切れ一枚渡して作れる代物でないのは明らかだ。となれば、建設の許認可は国土交通省になる。ところが許可印どころか申請書すら提出されていない。つまりは、無許可での建設と言う事なのだろうか。
第三に、建設費用の出所だ。川を管理する市役所が捻出したと考えるのが順当だが、市が公開している範囲で、この橋の建設費は計上されていない。
先に出たレインボーブリッジの建設費は一二八一億円、建設には六年かかっている。さすがにこれ程の費用がかっていないにせよ、一大事業であるのは間違いない。到底一私企業や一組織が、敷地のちょっとした整備の名目で捻出できる金額では済むまい。
仮にレインボーブリッジの半分の費用と時間で建設できたとしても、その間における付近への経済効果は莫大だし、その影響は市の年次報告書に載って然るべきだ。なのに、その記載はどこを探しても見当たらない。
そして最後が、これ程の橋の建設をどこが請け負ったのか、だ。河川の管理者が市町村にあるからには、橋の建設は公共事業だろう。公共事業には競争入札が義務付けられているのだが、調べられる範囲で調べた限り、競争入札が行われた形跡がない。
『談合』……発注者と業者が結託し、競合を参入させなかった。そう疑ってしまうのは、うがち過ぎだろうか。
談合の可能性に限らず、この吊り橋の建設に疑惑を持てば持つ程、不明瞭な部分が浮き彫りになってくる。この橋の建設に関わる計画、告知、予算、入札、資材、搬入、人件費その他、一切合財の資料の存在が確認できないのだ。少なくとも、合法的に閲覧できる資料の範囲では。
ここまで辻褄の合わない現象を目の当たりにすると、ここが本当に日本国内なのか疑わしくなってくる。
しかし、忘れてはいけない。まだゲートをくぐったばかりだと言う事を。
異常な光景はまだまだ続く。
ここは埼玉県麻帆良市、別名『麻帆良(まほら)学園都市』。
そして橋の名前は『麻帆良大橋』。
麻帆良学園都市の数少ない入口だ。
◇◆◇
文書作成ソフトで作った文章をコピーし、『新規記事作成』で開いたスペースにペーストする。
『確認する』ボタンをクリック。
次いで現れた『記事確認ページ』に、今し方ペーストした文章が現れる。
誤字脱字の有無を確認し、『保存する』ボタンをクリック。
「保存は完了しました」のメッセージが出たら、自ブログサイトを開く。
『俄か旅人漫遊記』が、ブログのタイトルだ。
タイトルの下には、簡単なメッセージが添えられている。
「当ブログの記事が、当方の許可なく削除される事態が発生しています。運営会社に問い合わせたところ、運営会社では削除行為は行っていないとの確認を取っています。不正アクセス行為は犯罪です。警察に通報しました」
本来ブログ内容を簡単に説明する場所にあるのは、そんなやや剣呑な一文だ。
画面を僅かに下方へスクロールさせ、メッセージの下、『最新の記事』で先程の記事が掲載されているのを確認する。
一通り記事に目を通し、内容の一部が欠落ないし改鼠されてないと確かめた後、『プリントスクリーン・キー』と備え付けの『ペイント』機能とを合わせ、画面を保存する。途切れた文章は、画面を下へスクロールさせ、その続きから画像として取り込み、保存する。
五分程かけて計四つの画像ファイルを作ったら、『俄か旅人漫遊記』のタイトルにカーソルを合わせ、クリック。
一瞬画面が暗くなり、ブログサイトの最新状態が現れる。
たかが五分程度で、状態が変わるはずがない。管理人が更新や修正を行っていないのだから、変化があるとすれば閲覧者カウンターの数位だ。
それにも関わらず、画面は一変していた。
正確には、先程上げたばかりの最新記事が、綺麗に消えていた。
ブログの説明にもあるように、何者かによりクラッキングされ、記事を消されているのだ。
またやられたか、と内心で零しながらLANケーブルを引き抜き、『プリントスクリーン・キー』と『ペイント』を使い、変わり果てたブログの画像を保存する。
今度は二つで済んだ画像ファイルの作成を終えたら、常駐ファイアウォールのコントロール画面を呼び出す。
目立つIPアドレスは二つだけ。一つは現在使用しているアドレス。
そしてもう一つは、不正アクセスを仕掛けている無法者のIPアドレスだ。ファイアウォールのバージョンアップを何度となく繰り返し、ようやく捕まえた尻尾だ。そう簡単に逃がしはしない。
通信ログを出力し、テキストファイルで先の画像ファイル達と一緒のフォルダに保管する。
最後に、外付けハードディスクをコンピュータ本体に接続、フォルダをコピーし、すぐに切り離す。
コンピュータの電源を落とし、一連の作業は終了だ。
◇◆◆◇
記事投稿から電源を落とすまでの、僅か十五分程度の一連の作業を終えると、石動大樹(いするぎ・だいき)はふうと息を吐いた。社会人としては褒められた態度ではないが、幸いこの職場でそれを咎める先輩や上司はいない。
今年で二十三歳になる大樹にしても、社会人五年目にもなればその程度は理解している。うるさい上司がいるなら、態度を控えるだけの要領も弁えている。
「今日の分、終わりました」
そう報告する大樹は、とても二十代には見えない。私服なら高校生と間違えられてしまう童顔の上、リクルートスーツを思わせる濃紺のスーツと、いかにも新社会人然の着こなせていない様も、見た目の若さに拍車をかけている。一ヵ月か二ヵ月、地方の研修所で合宿させる大手企業を除けば、新社会人達からはそろそろ固さが抜け始める時期なのに、だ。
先輩達が出かけて閑散とした部署で、大樹の他に残っているのは、上座に座る部署長のみだ。
「そう。ご苦労さま」
答える部署長はキーボードを叩く手を休めず、モニターの陰から顔を覗かせる事すらしない。ひっつめ髪の団子が、モニター越しに小さく揺れている。
と、不意に大樹の左手の空席のプリンターが、きりきりと音を立てた。水性インクのプリンターは部署内に三台あるが、油性インクのプリンターはこれ一台だ。
「石動君。悪いけど、取ってもらえる?」
モニターの横から顔を覗かせたのは、二十代半ばのどこか妖艶さを湛える女だ。化粧は薄いのだが、元の色白さもあり唇の紅がやけに映える。初心な学生辺りなら、色香だけで簡単に落とせそうだ。
もっとも、大樹にセクハラを避けようと言う意識以外、同じ職場の人間に異性を意識する感情は一片もない。部署内恋愛を否定するつもりはないが、仕事中にそういう感情を持ち込む未熟者でもない。
印刷された用紙を引き抜き、ページ順に並び替えた大樹は、一番上のページをちらと一瞥して眉根を寄せた。
「ようやく計画の実行ですか」
大樹がこの部署に異動してから一年、部署長の『計画』にかける並々ならぬ意気込みは、身を持って教えられている。
青写真そのものは、彼女が部署の責任者を引き継ぐ以前から温めていたそうだ。そして部署の引き継ぎ後に計画を立案、提出した企画書は何度となく却下されている。それでも懲りずに修正に修正を重ね、日常業務の傍ら各方面に相談や根回しをし、許可の下りたのが半年前。
その後も人材の確保や下準備に時間を費やし、ようやく日の目を見る目処が立ったのだ。
一見クールな上司が、内面にどれ程の情熱を抱いているのか、大樹には想像もつかない。
大樹からプリントを受け取った上司、橘霧香(たちばな・きりか)は、僅かに口元を綻ばせた。
「ええ。ようやく……ね」
霧香の口元は小さく笑みを浮かべていても、目は全く笑っていなかった。それどころか、 一枚目のトップにある『捜索差押許可状申請書』というやや剣呑な文字を、親の仇を見るような眼で睨みつけている。
捜索差押許可状、俗に言う『ガサ入れ』の時に提示する令状の事だ。『強制捜査令状』と呼ぶ向きもあるかもしれない。霧香の部署では、本来、作成するはずのない申請書だ。
『警視庁特殊資料整理室』が正式名称のこの部署では、都内百二の警察署と二五五の駐在所から寄せられた保管期間切れ間近な資料、窃盗から殺人まで各種事件の支離滅裂な証言資料や、時効となった事件の資料等、廃棄寸前資料が保管・管理されている。
確かにこれでは、捜査権を行使する機会はないだろう。
「……本当は管轄外だから、この手は使いたくなかったんだけど……」
所轄署が役に立たないから、という言葉を霧香は飲み込んだ。
大樹もそれは心得ており、怪訝な顔一つ見せずにいる。
警察署だけではない。市役所、市議会、簡易及び家庭裁判所、教育委員会その他諸々、街を運営する全ての司法・行政機関が、かの街では一人の人物と配下の組織に支配され、傀儡となっている。
当然、彼の息のかかった犯罪は、事件そのものが揉み消され、表に出る事はない。しかも人の出入りは厳しく管理され、内情もなかなか伝わってこない。夜闇に紛れて潜入しようとしても、訓練された武装集団に迎撃される。警察官と身元を明かしても結果は変わらない。
これ程の無法をまかり通し、メディアに名前すら載らないアンタッチャブルに、一地方の警察では太刀打ちできないのは、半ば道理だろう。外国から潤沢な援助を受け、その資金で市の上層部を懐柔し、購入した銃器を子飼いの部下達に支給しているのだから。
「ようやくこれで、僕はこの作業から解放ですね」
電源の落ちたモニターを、大樹は人差し指でとんとんと叩いた。
証拠集めのためとは言え、ブログを幾つも開設したのは精神的に堪える。不正アクセスされ、削除されると分かっていただけに、その心労はなおさらだ。
「そうね。これ以上は不要かしら」
霧香は同意すると、申請書をめくり中身を推敲した。
「麻帆良学園大学部のコンピュータから不正アクセスが行われ、ネット掲示板、ホームページ、ブログ記事が消去されている。証拠隠滅の防止と証拠品の確保のため、捜索差押の許可を申請する」
要約すればこのような内容だ。その他に、大樹の作ったブログが削除された画像や、アクセス解析、IPアドレスのログ等のデータが資料として添付されている。全部で十枚を少し超える量だ。
後はこの申請書を、所轄署の担当者が所轄の裁判所に持ち込めば、ほぼ確実に令状は発行される。
……はずだ。通常ならば。
しかし所轄の警察署と裁判所は、麻帆良学園を隠れ蓑にする犯罪者集団に完全に抱き込まれている。『不正アクセス禁止法』違反の捜査といえども、許可状が下りるどころか、申請書の提出すらしないだろう。
それは霧香だけでなく、『資料整理室』の面々及び計画に参加する他のグループも承知の上だ。だからこその『計画』だ。
霧香の計画。
そう難しい目的ではない。
麻帆良学園都市に巣食い、教育者面した犯罪者達を燻り出し、法の裁きを受けさせる。
警察官として当然の話だ。
犯罪者達の首領は近衛近右衛門(このえ・このえもん)。麻帆良学園では学園長の肩書きを持つ人物だ。
そして組織の名は『関東魔法協会』。外国の政府から資金を受け、日本の領土で軍事活動を行う売国の徒の組織だ。
時に、二〇〇三年四月十五日、二十時五分。
麻帆良学園都市では、年に二回のメンテナンスが始まったばかりだった。
◎参考資料◎
・お台場百科事典『レインボーブリッジはどんな橋?』
・警視庁『不正アクセス』
・Wikipedia『風の聖痕』
・Wikipedia『河川法』
・Wikipedia『カルテル』
・Wikipedia『市町村道』
・Wikipedia『信濃川』
・Wikipedia『捜索』
・Wikipedia『利根川』
・Wikipedia『不正アクセス行為の禁止等に関する法律』
・Wikipedia『ブルックリン橋』
・Wikipedia『令状』
・Wikipedia『レインボーブリッジ』