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No.32371の一覧
[0] 【習作】中沢くんはどっちでもいいから生き残りたいようです【憑依・魔法少女まどか☆マギカ】[たいらん](2012/03/23 16:17)
[1] 第二報告 『中沢の中学生日記』[たいらん](2012/03/30 16:17)
[2] 第三報告 『中沢のお宅訪問』[たいらん](2012/04/06 16:24)
[3] 第四報告 『中沢の苦悩』[たいらん](2012/04/13 18:49)
[4] 第五報告 『中沢の転機』[たいらん](2012/04/27 19:35)
[5] 号外 『それぞれの群像』[たいらん](2012/05/18 22:03)
[6] 第六報告 『中沢、病院送りにされる』[たいらん](2012/07/02 01:21)
[7] 第七報告 『中沢、語る(騙る)』[たいらん](2012/08/06 10:12)
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[32371] 第七報告 『中沢、語る(騙る)』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:2a565122 前を表示する
Date: 2012/08/06 10:12
「……いたっ! いたたたたっ! いってぇなぁ、くそぅ」

Q. 中沢くんはどうして泣いてるの?
A. 痛いからです
ガーゼに覆われた右目がじくじくと疼く。
単に鎮痛剤の効きが悪いのか、それとも幻肢痛を発症してしまったのか。
いずれにせよ、ひどく痛む。
今夜はちょっと眠れそうにない。

おっと、状況説明がまだだったな。
火災現場から生還した俺と志筑はあれからすぐ救急車で病院に搬送された。
そして検査の結果、二人とも一酸化炭素中毒の症状等は見られず、志筑の方は一日だけ入院し、明日には帰されるらしい。
看護師さんいわく、若干の記憶障害が見られた他は特に問題なさそうな感じだったとのこと。
どうやら魔女は無事打ち倒されたようだ。
ありがとう、暁美ちゃん。

さて、一方の俺はというと残念ながら短期入院を余儀なくされてしまい、今は個室のベッドで一人横になっている。
というのも、右目が完全に駄目になっちまってな。
その、なんだ。
有り体に言えば失明した。
もはや手術でどうこうできる段階にはないと、大学病院出身のえらーいお医者様が仰っていた。
……まあ、こんなこともあらぁな。
このご時世、命があるだけマシってもんよ。

だが、うちの両親、中沢夫妻にとっては天地がひっくり返るほどの大問題であったらしい。
あの人達は俺が負傷した報せを聞くや否や仕事を即行切り上げ、狼狽も露わに病院まで駆けつけてきてくれた。
医師から診断結果を言い渡されたときなどは、当事者たる俺より遥かにショックを受けていたほどだ。
息子に降りかかった不幸を受け止め切れずさめざめと泣く母。
片目とはいえ視力を失った我が子をどう慰めたらよいのか分からず呆然と立ち尽くす父。
そんな二人の姿に申し訳なさと居た堪れなさを感じながら結局何もできず、ひたすら下を向いているしかなかった俺……。
くそったれめ、俺はとんだ親不孝者だ。

「中沢さん。中沢さーん? 頼まれていた夕刊ですよ」
「あ、はい。どうもありがとうございます」

看護師さんから新聞を手渡され、反射的にそれを受け取る。
ああ、そういや頼んでたんだっけ。
もしかしたら事件のことが載ってるかもとか考えてたような気が……さっそく読ませてもらおう。

「中沢さんは偉いわねぇ。うちの子は新聞なんて読んだ試しがないわ」
「ハハ、俺だって似たようなもんですよ。せいぜい三面記事までしか読みませんし……」

ふーむ。
看護師さんと雑談を交わしつつパラパラと流し読みしてみるも、火事の話はどこにも載っていない。
それもそのはず。
例の災害は今日の昼間に発生したばかり。
文章に起こすには絶対的に時間が足りない。
少し考えりゃ分かることだろうに、血ぃ流し過ぎて脳味噌働いてないのかもしれん。
とりあえずこれは暇つぶしに使うとして、情報はニュースでも見て仕入れるとするか。

「それじゃ、私はこれで。何かあったらナースコールを押してくださいね。すぐ行きますから」
「はい。わざわざすみませんでした」
「では失礼……あっ! ああ、やだわ! すっかり忘れてた! 中沢さん、学校の先生がお見舞いに来られてますよ」
「えっ?」
「今、ロビーで待ってもらっているの。中沢さんの体調次第ではお引き取り願おうと思ってたんですけど、会われます?」

先生?
先生って、早乙女先生だよな?
校長とか教頭とか学年主任とかの線もあるっちゃあるけど……。
てか、会われますも何も会うしかなかろうよ。

「は、はい。体調ばっちりです。いつでも通してください」
「そう? なら呼んできますね」

看護師さんはそう言って足早に病室を出ると、パタパタと音を立てながら慌ただしく廊下を駆けて行った。
先生か……やべー、何言われるんだろう。
まさかただ見舞いに来たというわけではあるまい。
大方、俺への処分を通達しに来たといったところか。
事情を知らない教員方からすれば、俺の仕出かしたことは完全な非行でしかないからな。
処分を受けるのは仕方がない。

……仕方がないのだが、いざとなるとやっぱりビビる。
反省文と停学処分あたりでどうにか手打ちにしてもらえないだろうか、無理だろうか、無理だろうな。
クラスメイトを煽動し、授業を集団ボイコットさせ、無謀にも火災現場に突っ込み、挙句勝手に負傷した。
こんな馬鹿ガキの身を案じてくれる人間が一体どこにいるというのだ。
俺が先生だったら全力でぶん殴るわ。
あぁ、でもどうか退学だけは勘弁してください。
親が泣きます。

そんな風に戦々恐々としていると、部屋の外から静かな足音が響いてきた。
早い、もうついたのか。
徐々に大きくなる足音にビクつきながら開けっぱなしにされたドアの向こうの様子を窺う。
大物に来られたら俺は終わりだ。
天よ、どうか慈悲を……。

「中沢くん? 早乙女ですけど、今大丈夫?」

おお、よかった。
早乙女先生だ。
普通に担任を寄こしたってことは少なくとも退学は免れたみたいだな。
助かったぜ。

「ええ、大丈夫です。こんな格好ですみません」
「いいのよ。楽にしてなさい」
「そうですか? では、このままで」

しかも怒ってない。
むしろ心配してくれてるっぽい。
これは案外、何とかなるかもしれん。

「……だいぶひどいみたいね。ご両親に付き添ってもらわなくてよかったの? 一人じゃ心細いんじゃない?」

先生はベッドの傍までやって来ると、痛ましげに俺の顔を見つめた。
正確には死角となっている右目を見ているのだろうが、どちらにせよ妙齢の女性に凝視されるのはくすぐったい。

「よしてくださいよ。俺はもうそんな年じゃありません」
「そう? つらいときは無理しなくてもいいんですからね。なんだったら先生のことを頼ってくれたっていいんですよ?」
「いやいや、本当に平気ですって」

口ではこんなことを言っている俺だが、内心かなり嬉しかったりする。
人から優しくされて嫌な気分になる者など居やしない。
特に最近は色々ときついこと続きだったからな。
先生の気遣いが五臓六腑に染み渡ります。
よし、この空気なら言える。
謝罪するなら今しかない。

「先生、本日は大変ご迷惑をおかけしました。本来であれば先生達の判断を仰ぐべきところを、生徒達の独断で行動してしまい……」
「中沢くん」
「はい?」
「謝るのは後でいいから。今は自分の言葉で話しなさい」

あかん。
やっぱり怒ってた。
怒らない理由がなかった。
しかし、繕うなと言われても何を話せばいいのか……。

「……クラスの連中、今どうしてます? 出先で事故に遭ったりとかしませんでした?」
「おかげさまでね。みんな無事に帰ってきてくれました」
「そうですか……その、あんまり怒らないでやってもらえませんかね。あいつらを唆したの俺なんですよ。ですから……」
「駄目です。あなた達はうちの学校の生徒なんですから、危ないことやよくないことをしたら当然怒ります。反省文原稿用紙五枚分、書き終わるまで帰しません」
「……」
「それに、生徒がしたことの責任を取れるのは先生達とご両親だけです。同じ生徒であるあなたには取れません。分かりますね?」
「はい……」

なんという正論。
これはぐうの音も出ない。
そりゃ大人に屁理屈は通じんわな。
かといって本当のことを話したところで信じてはもらえんだろうし……。

「……この一件について、先生方はどこまで把握してます? 帰ってきた連中から事情は聞いてるんですよね?」
「んー、それがどうにも要領を得ないのよ。志筑さんのことが心配になってみんなで探しに出かけたってことは分かったんだけど、その先の情報が錯綜していてね」
「……なぜ俺達があんな山奥の火災現場にいたのか。そこに至るまでの経緯が分からない、ということですか」
「ん、そんなところね。ああ、別に今すぐ話せと言ってるわけじゃないのよ。ケガの具合がよくなって、気持ちが落ち着いてからでいいから」
「……」

早乙女先生、お心遣い痛み入ります。
客観的に見ても主観的に見てもどこからどう見てもDQNにしか見えない俺をここまで気にかけてくださるとは……不肖中沢、この御恩は決して忘れません。
そしてごめんなさい。
あなたの優しさにつけ込ませていただきます。

「よくなったら、ですか。そのことでしたら構いません。どうせもう治りませんから」
「え? それはどういう……」
「失明したんです。損傷がひど過ぎて治療の施し様がないと、そう言われました」
「あ……」

表面上は気丈に、それでいてどこか弱々しく、右目の症状がいかなるものかを軽く説明する。
片目とはいえ俺が光を失っているなど、完全に慮外な出来事だったのだろう。
ベッドの傍らに立つ早乙女先生の表情は蒼白と言ってもいいほどに青ざめていた。
そりゃそうだ。
生徒思いのこの人が自身の不用意な発言を後悔しないはずがない。
そのことを知った上でのこの行為。
我ながら、えぐいことをする。

「でもまあ、思ったほど不便ではないです。確かに視界は狭くなったけど、日常生活に支障を来すほどじゃありませんし。何より、これは完全に自業自得の産物なんです。泣き事なんか言ってられませんよ」
「中沢くん、自業自得だなんてそんな寂しいこと言わないでちょうだい。大変なときは先生が力を貸しますから。だから……ね?」

想定通り。
これで彼女は俺に強く出られない。
他の教員や外部の人間に無茶な証言を求められたときは、率先して庇ってくれさえするだろう。
そうなれば追及は逃れたも同然。
……昨日の今日、いや、今日の今日でさっそくこれか。
つくづく自分が嫌になる。
所詮、俺にはこんな生き方しかできないのか。

「ありがとうございます。困ったときは是非、頼りにさせていただきます」
「……ごめんなさいね。あんな無神経なこと言っちゃって。本当にごめんなさい」
「いえ、こちらこそすみませんでした。先生に当たるような真似をしてしまい、申し訳ありません」
「いいのよ。何も謝ることなんてないの。嫌なことも苦しいことも、全部私にぶつけてちょうだい。私はあなたの先生なんですから」
「先生……」

自らが引き出した言葉とはいえ、ここまで思ってもらえるとは……一生徒として冥利に尽きる。
こんなに素晴らしい女性と別れるなんて、前の彼氏達とやらはとんだ阿呆揃いだ。
もっとも、今の俺はその阿呆以下だが。

「先生。俺、先生のこと好きですよ。ときどき妙なネタ振られるけど、あれも嫌いじゃないっす。嘘じゃありません。みんなもきっとそう思ってます」
「うん、うん」
「俺の仕出かしたことに正当性があるなんて馬鹿なことは言いません。けど、そうしなければならない理由があったんです」
「分かっています。中沢くんは他の子達よりちょっと大人びてるから。誰にも頼らず、自分一人でどうにかしようって考えちゃうのよね」
「……ちょっと、ですか」
「うん? そうね。ちょっと早熟かしら」
「……」
「どうかした?」
「いえ、何でも」

先生、俺の実年齢はもっと上です。
大人になり切れてなくてすいません。
いい年してアニメなんか見てごめんなさい。
こんなどうしようもない俺ですが、先生にはいつか必ず恩返しをさせていただきます。
それまでは、どうかご容赦を。




第七報告 『中沢、語る(騙る)』




カリカリカリと。
ノートに筆を走らせる。
入院二日目。
朝の診察を終えた俺は病院の談話室に引き籠り、これまでに集めた情報の整理を行っていた。
正直、この時期の時間的ロスはかなり痛いが、焦ったところで退院は早くならない。
今はただ耐え忍び、研究に励むのみ。

「……やはり遅過ぎたか」

魔女により引き起こされた此度の災厄。
その顛末について簡単にまとめるとこうだ。
昨日発生した不審火により操業停止中の工場一棟が半焼。
焼け落ちた工場内部から男女合わせ九人の遺体が発見される。
そのうち比較的損傷の少ない遺体の身元を確認したところ、いずれも見滝原在住の市民であることが判明した。

しかし、それ以外の共通点が見当たらない。
職業、年齢、所属団体等、諸々の要素を調べるもまるで関係性が見えてこない。
加えて被害者達の足取りにも謎が多く、確認しうる限り全員が朝の出勤時間帯にいつも通り家を出て、そのまま真っ直ぐ火災現場へ向かったとしか思えない行動をとっている。
警察は状況の不自然さを鑑み、自殺サイトで知り合った仲間達が集団自殺を図ったとみて捜査を進める方針のようだ。
なお当時その場に居合わせた地元の学生二人が煙を吸って病院に運ばれ……これは割愛。
まあ、こんなところだろう。

「生存者はゼロ、か。分かり切っていたことだが……俺がもっとうまく立ち回っていれば、一人は……」
「あ、いたいた。探したよ」
「む?」

危うく思考の海に沈みかけていたところを、聞き覚えのある独特な声音に引き戻される。
しかし、その声は現在の時刻を考慮すると決して聞こえてくるはずのないものだ。
すわ幻聴かと驚き振り向く。

「うわっ、ノート真っ黒。なんかすごいびっしり書いてるね」

どうやら聴覚に異常を来したわけではなかったらしい。
俺の背後には制服姿の鹿目まどか、その人が立っていた。

「鹿目ちゃーん、こんな時間にどうしたのよ? まさか俺のことが心配すぎて学校サボってまでお見舞いに来てくれたとか? 中沢さん感激だなー」
「違う違う。サボってはいないから。中沢くんと仁美ちゃんのことが心配だったのは本当だけど。はい、これ。差し入れのお菓子」
「おお、こいつはどうもご丁寧に」

はて、お見舞いには来たけど、サボってはいないという彼女。
まだ午前中なのにどういうこっちゃ。

「あれ? その眼帯どうしたの? やっぱりケガしてた?」
「いいや。煙が目に染みて充血してるだけよ。軽傷、軽傷」
「そう? ならいいんだけど」

嘘も方便。
わざわざこの子に怪我人アピールする必要もあるまいて。
そんなことより、鹿目ちゃんが何故ここにいるのか理由を聞かんと。

「で、サボりじゃないってのは? まだ昼前だぜ」
「うん、それなんだけどさ。昨日の集団ボイコットの件がPTAにばれたんだ」
「うげっ、マジ?」
「マジ。みんな制服とジャージ着たまま、そこら中歩き回ってたからね。逆に騒ぎにならない方がおかしいんだけど」
「それはそうだが、なんで大人数だったことまで……あぁ、さてはあいつら固まって動いてたな。まあいい。学校の方は今どうなってる?」
「完全に機能停止状態。授業どころか自習の監督すら碌にできない有様だよ。先生たちは電話対応と直接乗り込んできた保護者の相手に追われてもうしっちゃかめっちゃか。結局、収拾がつかなくなっちゃって、生徒たちは家で大人しくしてるようにって帰されたんだ。いわゆる臨時休校ってやつ」
「……なんと」

鹿目ちゃんの語る衝撃の事実に思わず絶句する。
なんということだ。
モン……保護者さん達の電話攻勢と本陣特攻により教育現場は阿鼻叫喚の渦に叩き込まれてしまった。
こりゃ確かに俺じゃ責任取れないわ。
先生方、ほんとごめんなさい。
生きててすみません。

「だから本当はここにも来ちゃいけないんだよね。先生たちには内緒だよ?」
「承知した。また反省文を書かされるのは大変だろうしな。ところで、昨日はあの後どうした? 何かあったか?」
「そうだねぇ……中沢くんたちが病院に行った後、消防の人にいろいろ聞かれたかな。あと、記者さんとかテレビ局の人とかがどこからともなくやって来て、やっぱりいろいろ聞かれた」
「ほう」
「それでその取材受けたときの映像がさ、夕方のローカルニュースで流れたらしいんだよね。私は反省文が終わんなくて見られなかったんだけど、中沢くんは見た?」
「……」

んん?
ニュースに出たって、もしかして君らがお茶の間に映ったからPTAにばれたんじゃねえの?
おのれ民放め、こんなときばかり仕事しやがって。
ローカル番組はローカル番組らしく季節のお料理紹介でもやっていればいいものを。

「ねえ、見た?」
「……いや、見てない」
「聞いた話だと六秒も映ってたらしいよ、六秒も。顔にモザイクかかってなかったらしいし、家とか特定されたりしないかな」
「あーはいはい、大丈夫大丈夫。まあ、要するにだ。鹿目ちゃん達が取材を引き受けてくれたおかげで俺も志筑も平穏無事に過ごせたってわけだな。礼を言うよ」
「んーん? どういたしまして、でいいのかな?」
「いいよ。それで、他には何があった?」
「他に? そうだねぇ……」

ひとまず重要な報告は以上で全てだったらしい。
その後は反省文を書くのが大変だっただの、先生が激怒していて怖かっただの、たわいない雑談に終始した。

「それでね……あっ、もうこんな時間。次は仁美ちゃんのところに回らないと」
「なんだ、まだ行ってなかったのか。さっさと行ってこい。あいつ夕方には帰っちまうぞ」
「そうなの? じゃあ、今すぐ行かなきゃ」
「おう、急げ急げ。それと明日、学校に行ったらみんなに伝えといてくれ。中沢は元気にしているってな」
「ん、わかった。ちゃんと伝えておく。またね」
「あいあい、またな」

ふりふりと手を振りながら去っていく鹿目ちゃんを見送り、一つ大きな溜め息を吐く。
まさか学校がそのような事態に陥っていたとは……先生達、ノイローゼにならなきゃいいけど。

「中沢さーん。そろそろお部屋に戻ってくださーい」
「ういっす」

とにもかくにも病院に押し込められた状態では、現状を憂える以外に取れる行動がない。
やはり早期復帰が急務か。

「もしかして今の彼女? 可愛いわね」
「ちょ、変なこと言わないでくださいよ。学生さんと付き合うとかありえないですから。俺のストライクゾーンは24から38です」

まずは退院を目指す。
先のことはまたそれから考えよう。


****


消毒液の香る病室で過ごす優雅さの欠片もない陰鬱な昼下がり。
俺は特に何をするでもなくベッドの上で静かに目を瞑っていた。

「……眠れん」

そう、本当に目を閉じていただけ。
一眠りしようと横になってはみたものの、右目を苛む鈍痛がまどろむことを許さない。
夢の世界へ逃れようとした瞬間、眼球にじくっと痛みが走り、現実への強制送還を執行する。
この一連のサイクルが何度繰り返されたことやら。
思えば昨夜からずっとまとまった睡眠がとれていない。
痛み止めは毎食後、欠かさず飲んでいるはずなんだがな。

昼寝による回復を試みてから、かれこれ一時間は経過しただろうか。
睡魔の訪れる頻度は着実に減少し、代わりに寝返りを打つ回数が増えた。
ただ寝転がっているだけでも身体への負担は和らぐらしいが、やはりひどく手持無沙汰であるのは否めない。
どうせ視力が戻ることはないのだから、もっと具合の悪い人間にベッドを明け渡すべきではなかろうか。
いいや、明け渡すべきである。
退院させろ。

「……お?」

いい加減寝るのにも飽き、軽く上体を起こしてぼんやりしていると、廊下側から人ひとり分の足音が聞こえてきた。
看護師さん、ではないな。
足音の質が違う。
もしかして俺への見舞客か?
などとちょっと期待してしまった俺を誰が責められよう。
外出が規制されているからとはいえ、鹿目ちゃん一人しかお見舞いに来てくれないとか寂しいを通り越して不安になる。
クラスの誰からも好かれていないなんて悲し過ぎるじゃないか。

足音がだんだん近付いてくる。
確実にこっちに向かってきている。
これは期待しちゃってもいいだろう。
さて、一体誰が来てくれたのか。
俺は来訪者を出迎えるべく見苦しくない程度に身なりを整えると、部屋の扉からすっと顔を出した。

「……」
「……」

これはまた何とも意外な。
すでに病室の数メートル手前までやって来ていた青髪の少女とばっちり目が合う。
ただお見舞いに来ただけにしちゃぁ、やけにめかし込んだ様子のその娘さんは片手にCDやら何やらがぎっしり詰まった手提げ袋をぶら下げ、怪訝そうな面持ちでこちらを見ている。
やがて彼女はぺこりと会釈し、緩んだ歩調を元に戻すと、そのまま俺の前を通り過ぎていった。
……おい。

「おい。ちょっとー。おーい。いくらなんでも素通りはひどくね?」
「んー?」

何事もなかったかのように立ち去ろうとする少女、美樹さやかを捕まえ、部屋の前まで連れ戻す。
俺が目当てじゃないことくらい分かっていたけど、まさかスルーされるとは思わなんだ。
そんな俺の悲哀を知ってか知らでか、彼女は煩わしさを隠すことなく鬱陶しげに口を開いた。

「いや、素通りはしてないでしょ。チラッと見たじゃん。で、ああ元気そうだなーって」
「一瞥くれるだけの見舞いなんてされない方がマシです。こんなところで手間を惜しんでくれるな」
「うーん……でも実際、私とあんたってそこまで仲良くないよね。朝、玄関で会ってもお互い挨拶しないし。たまに頭下げる程度?」
「だからどうした。友情なんてこれから育めばいいじゃないか。十分、いや、五分でいいから寄ってけよ。茶菓子なら俺が出すからさ」
「えー……」

美樹が拒否の意を示すかのごとく、低く唸る。
おまけに割と本気で嫌そうな顔され、さすがの俺も少し傷ついた。
寂しいからってがっつきすぎたかね。
反省。

「すまない。無理強いして悪かった。誰も見舞いに来ないし、目は痛いしでテンションおかしなことになってたんだ。許せ」
「ふーん。別にいいけど」
「助かる。ときに、その袋は上条への差し入れか? 結構買い込んだみたいだな」
「あ、分かる? この辺のレア物は大体発掘しちゃったから風見野まで遠征してきたんだけど、そこでいい感じのお店見つけたんだ。おかげでちょっと奮発しちゃった」

やはりと言うべきか、この子はつくづくシンプルだ。
話題が思い人のそれに変わるやいなや、一転して饒舌になった。

「さよか。喜んでもらえるといいな」
「喜ぶでしょ。恭介、こういうの好きだし」

上条が喜んでくれると信じて疑っていないのだろう。
おみやげの入った袋を愛おしげに撫で回す彼女の表情はある種の期待に満ちている。
不憫な。

「しかし上条といえば、あいつの部屋はもう一個上だろ。なんでこのフロアに来たんだ?」
「なんでって、仁美の様子を見にきたのよ。特に大きなケガはしてないらしいけど、一応ね」

なるほど。
俺ではなく志筑の見舞いか。
美樹といい、鹿目ちゃんといい、律儀なことだ。
伊達に親友を名乗っているわけじゃないのね。

「さすが親友。考えることは同じか。鹿目ちゃんもさっき来てたよ」
「へえ、まどかがねぇ」
「行くなら急いだ方がいい。帰り支度の最中に押しかけるのは迷惑になるぞ」
「ん? あれ? もしかして仁美の入院って一日だけ?」
「幸いなことに」
「そうなんだ。早めに切り上げてよかった」

危なかったと胸を撫で下ろす美樹の姿を見て、ふと思い出す。
そういえばキュゥべえの動向は今、どうなっているのかと。

「なあ、美樹よ」
「うん?」
「お前さん、キュゥべえに会ったか?」
「またえらく唐突ね。なんでそんなこと聞くのよ」
「うむ、実はな。お前の体から獣臭がしてな。これはキュゥべえの匂いに違いないと……」
「え!? うそ!?」
「もちろん嘘だ。やつは無臭だし、お前さんは十分いい匂いだ。引っ掛かりおったな」
「こ、この……! バカ! 変態!」
「はっはっは、許せ許せ」

あぶねー。
確認してよかったー。
それにしてもキュゥべえのやつ、さっそく仕掛けてきたか。
受けて立とうじゃないの。

「信じらんない……最低」
「猛省しております。この通りです」
「ふん、あんたの土下座は安いのよ」
「お前さんの頭が高いのよ。で、キュゥべえとはどうした? もしかして既に契約しちゃったとか?」
「まだよ。こっちにも事情ってやつがあるの」
「事情ねぇ。あ、もう立っていい?」
「勝手にすれば」

美樹は鹿目ちゃんの大親友。
その大切な友人の身に何かあれば、彼女は一も二もなくキュゥべえと契約を結んでしまうことだろう。
それだけは是が非でも阻止しなければならない。

「でも、実際かなり驚いたわ。匂い云々は抜きにしても、あんたのネタを嗅ぎつける能力は本物みたいね。まさに犬並の嗅覚って感じ?」
「違う。鼻じゃない。眼だ。たとえ物理的に塞がれようとも真実を見通す力は未だ衰えていない」
「はいはい、中二乙」
「フッ、そうやって馬鹿にしていられるのも今のうちだ。後に続け。志筑のところへ行くぞ」
「言われなくてもって、なんであんたが仕切るのよ。わけわかんないやつ……」

不幸中の幸いとでも言うべきか。
状況はそれほど悪くない。
むしろ良いとすら言える。
美樹、志筑、上条が一堂に会したこの状況を最大限に活かすのだ。
失敗は許されないが、やるしかない。
やってやるぞ。


****


俺の部屋と同じ階に位置する志筑の病室。
なんとなく顔を合わせづらくて今日この時まで訪れることのなかった場所。
その扉を三度ノックし、開けた隙間から顔だけ覗かせ声をかける。

「こんにちは、志筑くん。具合はどうかね」
「ほんと何キャラ目指してんのよ、あんたは。仁美、調子はどう?」

ちょうど帰るところだったのだろう。
中にはすでに荷物に手を付け始めていた志筑の姿があった。

「あら、さやかさん。ご心配をおかけして申し訳ありません。中沢さんもその節はどうも。見ての通り、ピンピンしています」

こちらに気づいた志筑が上品に微笑む。
昨日見せた狂気は泡沫のごとく消え去り、完全に本調子を取り戻したようだ。

「看護師さんからいろいろ聞いてはいたが、実際に元気にしているところを見て安心したよ。退院おめでとう」
「おかげさまで……中沢さん、その目は?」
「気にするな。それより、少し時間もらえるかな? 話したいことがあるんだ」
「話したいことですか? 構いませんよ。なんでしょう?」
「手間をかける」

志筑が手を休めたのを見て、俺達も中に入る。
さて、どう切り出すべきか。
ここは単刀直入に……いや、違うな。
まず先にすべきことがある。

「志筑」
「はい」
「すまなかった」
「はい?」
「いたずらに不安を煽るようなことばかり言って悪かった。精神状態が不安定な人間ほど魔女に狙われやすいと、分かっていたはずだったのに。本当にすまない」
「そんな……中沢さんのせいではありませんわ。責めを受けるべきはわたくしの方です。たくさんの方に多大なご迷惑をかけてしまい……皆さまに合わせる顔がありません」
「それは違う。君はあくまで被害者なんだ。君に一切の非がないことくらい、みんな知っている。だから何も気にしなくていいんだ」
「お心遣いありがとうございます。ですが、それはあなたにも言えることです。まどかさんから聞きました。わたくしのためにとても尽力してくださったと」

尽力してくれた、か。
元を辿れば大体俺の身から出た錆なんだがな。
いずれにせよ、これで許されたと思ってはいけないのだろう。

「そうか。そう言ってもらえると少し楽になる。また機会があったら、何か甘いものでも奢らせてくれ」
「喜んで。そのときを楽しみにしています」
「ほほぅ? 人前で逢引きの約束とはやりますなぁ。中沢がガチなのは知ってたけど、仁美も案外満更じゃないとか?」
「え? ええっと……」
「茶化すな。ただの社交辞令だ」

昨日の朝から気になっちゃいたが、俺が志筑に惚れているというのは一体どこから生じた情報なんだ?
それっぽい行動をとった覚えはねえぞ。
ええい、まあいい、閑話休題。
ここからが勝負だ。

「さて、挨拶はこれくらいにして本題に入ろうか」
「なに? まだ何かあるの?」
「ある。それにこれはお前さんにも関係のある話だ」
「私にも?」
「ああ。上条のことについて話がしたい」

上条、という単語に二人の少女がピクリと反応する。
他でもない意中の男性の話だ。
気にならないわけがない。

「まずはそうだな……あいつの容態がどの程度のものか、お前さん達はどこまで知ってる?」
「ちょっと何よ、いきなり。あんた、恭介の何を知ってるのよ」
「まあ待て。焦らずとも後でちゃんと教えるさ。で、どれくらい知ってる?」
「……見た目より、ずっとひどいってことくらいしか知らないわよ。あいつ、あんまり弱音吐いてくれないし」
「ふむ、志筑は?」
「お恥ずかしながら、回復に至るまで相当の時間を要することになるとしか聞き及んでおりません」
「なるほど。要するに何も分からんと」
「悪かったわね。けど、そういうあんたはどうなのよ?」

利いた風な口をきく俺の態度がよほど腹に据えかねたのだろう。
美樹の語気に苛立ちが混じり始める。
そろそろ頃合いだな。

「無論、熟知している」
「なんですって?」
「掛け替えのないクラスメイトの一大事。この俺が調査を怠るはずがない。ああ、病院の名誉のために言っておくが、内部の人間が意図的に情報を漏らしたわけではないからな」
「前置きはいいから! 恭介の腕はどうなの? いつ治るの?」
「……」

正直、これはかなり分の悪い賭けだ。
負けが前提にあると言っても過言ではない。
一応、事後策もないことはないが……さて。

「――治らない」
「……え?」
「現代医学では手の施しようがない。密かに大きい病院での検査も行っていたようだが、上条を診た全ての医師が首を横に振ったそうだ」
「で、でたらめ言わないでよ! そんなそぶり、一度だって……!」
「お前さんに気を遣ってたのさ。とはいえ、俺の証言だけじゃ信じられんわな。それこそ関係者の話でもなけりゃ……っと、ちょうどいい。すみませーん。少しお時間いいですか?」
「はーい?」

他の患者さんの様子を見に来たのだろう。
部屋の外をたまたま通りかかった二人組の看護師さんを呼び止める。

「俺達、上条君の友達なんですけど、彼がもう自分の腕は治らないってすごい落ち込んでて……なのに俺、どう励ませばいいのか分からないんです。どうすればいいんでしょうか?」
「あぁ、若いのに大変よねぇ。ご両親共々気落ちしていらして、ほんと気の毒に……」
「こ、このバカ! ご家族の方以外には内緒のはずでしょ!」
「あぁっ! ご、ごめんなさい! 上条くんは全然大丈夫ですよ! それじゃ私達は仕事がありますからこれで!」

……情報提供感謝します。
それと鎌をかけるようなことを言って申し訳ない。
と、逃げるように去っていく分かりやすい看護師さんに心の中で謝罪し、改めて少女達の方へ向き直る。

「図らずも情報漏洩の現場に立ち会ってしまったが、ここは聞かなかったことにしよう。いいな?」
「うそ……恭介が……そんな……」
「さやかさん……どうかお気を確かに」

聞こえてないか。
激昂寸前だった美樹はすっかり色を失い、ぺたりと座り込んでしまった。
無理もない。
上条本人への想いもさることながら、彼の奏でる音楽への思い入れも深い彼女にとっては受け入れがたい事実だ。

反面、志筑の方は落ち着いたものだ。
これは推測だが、おそらく上条の演奏家としての側面をさほど重視していないがゆえの冷静さだと思われる。
思えば志筑仁美という人間は正面切って親友の幼馴染を奪ってやる発言をした挙句、先手くらいは譲ってやるとぶちかました女傑だ。
おっとりした見た目に反し、根っこの部分は意外とさばさばした性格なのかもしれない。

「恭介……こうなったら……! 今すぐ契約して恭介のケガを……!」
「ちょい待ち! お前さん、本当にそれでいいのか?」

案の定、キュゥべえとの契約を持ち出してきた美樹にストップをかける。
はてさて、乙女の暴走に一体どこまで食らいついていけるのやら。
憎まれ役、買って出ましょう。

「邪魔しないで。恭介が苦しんでるの」
「だから待てと言っている。確かに現代の医学では上条の腕を治せない。しかし、この事実は未来の可能性まで否定してはいない。もしかしたらあと数年、五年か十年後に治療が可能になるかもしれない。人類の医療技術は常に進歩し続けているのだからな」
「そんな屁理屈……!」
「いいから聞け。未来とはどこまでも不確かなものだ。仮に今回腕を治せたとしても、再び同じケガを負ってしまう可能性だって存在するんだぞ。そこら辺、分かって言ってるか?」
「それが屁理屈だって言ってるのよ! こんなひどいこと、そう何度も起こるわけないでしょ!」
「起こるさ。例えば人の悪意。俺がその気になれば上条程度の細腕、マッチ棒みたいにポキンと折ることができる」
「あ、あんたね……!」
「例えば予期せぬ不幸。突発的な事故、難病の罹患、そして――魔女。危険ってやつは日常の至る所に転がっている。志筑が被害に遭ったこと、もう忘れたのか?」
「そんなの私が魔法少女になって恭介を守れば済む話でしょ! なんなのよ、さっきからひどいことばかり言って! あんた恭介のことが嫌いなの!? もうやだぁ……!」

……まずい。
精神的にいっぱいいっぱいになってしまったのだろう。
俺の仕掛けた意地の悪い問答に耐えかね、美樹はとうとう泣き出してしまった。
こうなっては最早、話をするどころの騒ぎではない。
方策を誤ったか?

「美樹、すまな……」
「ああもう、泣かない泣かない。さやかさんは強い子です。ほら、背中とんとんしてあげますね。とんとんとん……」

無意味と知りつつ紡ぎかけた謝罪の言葉を遮ったのは、俺達の口論を不安げに見つめていた志筑だった。
小さな子どものように泣きじゃくる美樹を優しく宥めるその姿は、ベテラン保母さんもかくやあらんといった感じだ。
片や今の俺のなんと情けないことか。
ここは大人しく彼女に任せよう。

「うっ……ぐずっ、ひとっ、ひとみぃ……!」
「……志筑、しばらく美樹の世話を頼む。俺は少し出てくるから」
「あなたに言われるまでもありません……中沢さんって嫌な人だったんですね」
「そうだな。自分でもそう思う」

女の泣き顔を眺めて悦に浸る趣味はない。
美樹が落ち着くまでの間、病室の外で待つことにする。
漏れ聞こえる嗚咽から逃れるように階段付近へ移動。
冷たい壁に寄り掛かり、力なく宙を仰ぐ。
……これからどうしよう。

二人に悪感情を抱かれること自体は別に構わない。
しかし、嫌われるあまり話すら聞いてもらえなくなったら、そこで全て終わりだ。
女子の結束は共通の外敵を前にして初めて真価を発揮する。
今の状態を放置すれば、俺が学校で村八分状態にされるまで三日とかからないだろう。
信用を築くには長い時間を要するが、崩れるときは一瞬、そして二度と戻らない。
俺個人に成せることは何一つとして残らず、許された自由は座したまま惨めに死を待つことのみ。
そんな事態は御免蒙る。

かといって、ここで安易なご機嫌とりに走るわけにもいかない。
俺の目的はあくまで美樹の契約を阻止すること。
憎まれようが何されようが説得を放棄するという選択肢はありえない。
思うに先の失敗は、美樹の心情を汲んでやらなかったこと、最初から彼女の願いを否定するスタンスをとってしまったことが原因だ。
相手は年頃の少女。
延々理屈を捏ね回して願いの穴を次々指摘していくのではなく、むしろ感情に訴えかけてやるべきだったのだろう。

感情……それも恋愛感情か。
ふと、邪な考えが脳裏をよぎった。
そうだ。
俺は持っている。
美樹を思い止まらせることができるほどの強力な武器を。
だが、これは人の思いを踏み躙る外道の業だ。
下手をすれば、一人の人間の人生を変えてしまうかもしれない悪辣極まる代物だ。

――それがどうした。
退路など端からありはしない。
どれだけ薄汚れた前途であろうと、進むべき道はこれしかない。
そうすることで二人の少女の契約を防げるのなら、俺は喜んで蛇蝎となろう。


****


院内をうろうろして適当に時間を潰すこと三十分。
俺は再び美樹と志筑が待つ部屋の前まで戻ってきていた。
……何故だろう。
こちらと向こうを隔てる僅か一枚の扉が、今はとても分厚く重そうに見える。
いや、重いのは俺の気分か。
これから実行することを考えると、気が重たくて仕方がない。

ともすれば委縮しそうになる気持ちを無理矢理奮わせ、扉にそっと手をかける。
物音を立てないよう慎重に開いていき、こっそり中を窺うと、二人はベッドの上に腰かけ何やら話し込んでいるようだった。
俺の悪口で盛り上がってたら嫌だなぁと思いつつ、聞き耳を立ててみる。

「……そうですか。さやかさんのところにキュゥべえが」
「うん。来てくれたらいいなぁとは思ってたけど、まさか本当に来るなんてね。こう、これくらいの子猫みたいな大きさでさ。まさに動くぬいぐるみって感じなんだ」
「まあ、羨ましい。わたくしも愛でてみたいですわ」
「ふっふっふ、いいだろー」

た、立ち直り早いな。
泣いたカラスがもう笑ったか。
それとも志筑がうまいことやってくれたのかしら。

「もっとも、わたくしが一番愛でてみたいのはさやかさんの魔法少女姿なんですけどね」
「え?」
「騒がしいのはあまり好みませんが、さやかさんは別です。絶対にファンになります」
「えー……いいよ、私は一人で細々とやるから」
「そんな、なんてもったいないことを。どうしてですか?」
「どうしてって、それは……私はマミさんみたいに美人じゃないし、目立つのもそんなに好きじゃないし、なんかいろいろ比べられそうで嫌だし……とにかくそういうわけだから」
「まあまあ、そのようなことを気にしていらしたのですか。だいじょうぶ、さやかさんはかわいいです」
「う……それって嫌味?」
「まさか。信じられないというのなら何度でも言いましょう。さやかさんは抱きしめたくなるくらいかわいいです。かわいいかわいい」
「や、やめてよ、恥ずかしい……」

なんか違う意味で入りづらい。
人のいないところで百合百合しやがって。
けしからん。
志筑のやつ、もしかしてバイなのか?

「ただいま。外出ついでにお茶買ってきたぞ。金は取らんから飲め」

取り敢えずだいぶ落ち着いたようなので空気を読まずに乱入。

「!」
「あら、おかえりなさいませ。よく戻ってこられましたね」

した途端、和やかなムードは一瞬にして霧散。
代わりに肌を刺すようなピリピリとした雰囲気が漂い出した。
美樹は言わずもがな敵意剥き出し。
志筑も表面上はにこにこしてるのに目が笑ってない。
荒んでるときの暁美ちゃん並に眼光が冷たい。
なんというアウェー感。
これはきつい。

「いきなり皮肉でお出迎えとは参るな」
「さて? なんのことでしょう」
「なんのことだろうな。ほれ、お茶。あいにく缶しかなかったけど、いいよな」
「……ふん」
「こらこら、捨てるな。飲食物に罪はないだろ。それに泣いた後は水分の消耗が激しい。気に入らなくても貰っとけ」
「さやかさん、ここはご厚意に甘えましょう」
「……仁美がそう言うなら」

やれやれ、嫌われたもんだ。
志筑がいてくれなかったらと思うとぞっとするぜ。
その志筑も俺の味方ではないんだけど。

「まあ、なんだ。悪かったよ、意地悪なこと言って。けど、俺は決してお前さんのことをいじめたかったわけじゃないんだ」
「なにそれ。じゃあ、どういうつもりだったのよ」
「……美樹のことが心配だったんだ」
「はぁ?」

急に態度を軟化させた俺を、美樹が胡乱な目で睨む。
そりゃそうだ。
あれだけボロカスに扱き下ろしといて今更心配もクソもない。
だが続ける。

「回りくどい言い方はよそう。魔法少女になるのはやめた方がいい。あれは危険だ」
「ふん、あんたがそれを言うの? 今まで散々騒ぎ立ててきたあんたが」
「俺だからこそ言うんだ。美樹、お前は人の死体を生で見たことがあるか?」
「な、ないけど」
「魔法少女になれば毎日のように見るハメになるぞ」
「そんなの……警察の人だって毎日見てるでしょ。病院勤務の人とかもそうだし、私にだって我慢できるわよ」
「そうか。でも、俺には無理だったよ。可哀想と思うよりも前に、気持ち悪いって考えが先に来て駄目だった。本当はもう一人助けられたはずなのに、てめえでふいにしちまった」

彼女のことは、本心から後悔している。
悔やんでも悔やみ切れない。
もう贖う術もないけれど。

「中沢、あんた……何があったの?」
「それはな……こういうことだ」

感傷を振り切り、右目を覆うガーゼに手をかける。

「……っ!」
「ぁ……!」

眼帯が外され、負傷した眼球が露わになった瞬間、ヒュッと息を呑むような悲鳴が短く響いた。

「はい、おしまい。見苦しいものを見せたな」

何の前触れもなく生のグロを見せつけられ、俺の顔を直視することができないのだろう。
眼帯をかけ直し、改めて少女達の方へ向き直っても、二人はこちらを見ることなく、ただただ視線を床に這わせていた。

「魔法少女として魔女に関わっていけば、いつか必ずこういった痛手を負うことになる。顔に傷がつくのはさすがに嫌だろ? 悪いことは言わん。やめておけ」
「……その目、治るの?」
「少なくとも現代医学では無理だな。けど、希望を捨てなけりゃ何とかなるんじゃね? ここはひとつ、今後の医療の進歩に期待するってことで」
「それ、本気で言ってる?」
「何割かは。ペシミストよりもオプティミスト。論文試験のときに、日本の将来はお先真っ暗ですなんて旨を書くやつは問答無用で不合格だ。不確かな未来を憂えるより、希望を抱いて明日に臨む方がいいに決まっている」
「……言ってることがさっきと矛盾してるわよ。その理屈なら、別に恭介の腕を治してあげたっていいじゃない」
「だから言っただろ。お前さんのことが心配だったって。クラスメイトが修羅の道に迷い込みかけているんだ。信条くらい曲げるさ」

うーん、我ながら苦しい。
いや、続けるけど。

「何も難しいことはない。今までどおりでいいんだ。上条の痛みと苦しみを共有し、傍に寄り添って励ましてやればいい。それでいいじゃないか」
「……よくないと思う。やっぱりダメだと思う。確実に目的を果たせる手段がすぐそこにあるのに、実行に移さないなんて怠慢だよ」
「……顔に傷ができると大変だぞ。顔は女の命だ。容貌を損なった女性の絶望は深い。それこそ自ら死を選んでしまうほどに。それでも構わないっていうのか?」
「ううん。嫁入り前の体を傷物にされるのは当然嫌だけど、それを理由に逃げることもしたくない。私は、恭介のヴァイオリンをもう一度聞きたい」

頑固者め。
ここでヴァイオリンの話を持ち出してきたか。
ならばこちらも切り札を切ろう。
志筑、すまない。

「なるほどな。美樹が上条のことをどれだけ想っているのか、よく伝わったよ。もう一度、あいつの音楽が聞きたい。熱い理由じゃないか」
「うん……」
「そのことを踏まえ、敢えて言おう。お前は魔法少女になるべきじゃない」
「……どうして? 分かってくれたんじゃなかったの?」
「美樹、俺には好きな人がいる」
「!」
「……!」

言ってしまった。
これでもう後には引けない。
さあ、本日最後の三文芝居だ。

「右目の光を失ったことを、俺は後悔していない。むしろ誇りにさえ思っている。大切な人を守ることができたんだ。この傷は一生の誉れだ」
「中沢さん……」
「だが、同時にこの傷を受けたことで、俺はその人に思いを告げる資格を失った」
「……どういう意味?」
「フェアじゃないから、対等な関係じゃないからだ。振りかざすつもりはないけれど、俺はその人の恩人という立場にある。もし俺が告白したら、その人はすごく断りづらいと思う」
「断られることが前提なの? 受け入れてもらえるとは思わないの?」
「思わない。この顔で、この性分だ。億に一つもありえない。何もかもが釣り合っていない」
「でも……あんたは、がんばったじゃん。そんなになるまでさ……」
「その頑張りが重いんだ。押し付けがましいんだ。こんな邪恋は絶対に報われちゃいけない。そして美樹、お前もまた俺と同じ道を歩もうとしている。俺はそれを止めたい」

終わった。
詭弁を弄し、虚言を尽くした。
これで駄目なら、もう止められない。

「……ああ、そういうこと。あんたが何を言いたいのか、やっと理解できたよ。最初から、そう言ってくれればよかったのに」
「仕方ねえだろ。言いたくなかったんだから」
「うん、そうだね。確かに言えないわ。ごめんね」

ずっと俯いたままだった美樹がようやく顔を上げる。
その表情……笑っているのか?

「分かってるわよ、それくらい」
「む?」
「治せないほど悪いとは思ってなかったけど、恭介の腕が重傷だってことは知ってた。本当にあいつのためを思うなら、さっさと契約しておくべきだったんだ」
「……」
「でも、そうはしなかった。なんでだと思う?」
「……見当もつかないな」
「あんたと同じよ」
「俺と?」
「うん。自分で言うのもなんだけど、私って結構尽くすタイプなんだよね。恭介が入院してからは毎日欠かさずお見舞いに来てるし、そうなる前からもあれこれ世話を焼いてきた」
「いや、全然ちゃうやん。俺は尽くされて楽したいタイプです」
「黙って聞いて。よく勘違いされるけど、尽くすことと見返りを求めないことはイコールじゃないんだ。あなたに尽くした分、私のことを見てほしいって言外に意思表示してるの」
「……」
「自分の性格はよく把握しているつもり。本当の私はすっごい嫌なやつ。あいつの腕を治したら、それを口実にいろいろ期待をかけちゃうと思う」
「……それが、今日まで契約を避けてきた理由か」
「そう。あいつは音楽を心から愛してるから、音楽に関することだけはダシにしたくなかった」

ふぅ、と美樹の口から微かな吐息が漏れる。
内心を吐露し、すっきりしたという感じではない。
むしろ諦観、悲壮といった負の感情の込もった溜め息だ。

「たぶん、私は最初から失格だったんだ。恭介にふさわしい女じゃなかった」
「阿呆。中坊風情が悟った風な口を利くな。相手に与えるだけ与え続け、自分からは何も求めない。そんな男女関係があってたまるか。それはただの親子関係だ」
「親子……」
「いいんだよ、見返りを求めたって。お前は俺とは違う。まだ引き返せる場所にいる」
「……中沢は優しいね。でも、もう決めたんだ。私は恭介の腕を治すよ。それと、あいつを好きでいることもやめる。これからは一ファンとして応援していくつもり」
「なっ……! こ、この大馬鹿野郎! 美樹、お前、お前ってやつは……!」

ああ、これは違う。
こんなはずじゃなかった。
俺はまた方策を誤ったのか。
万策、ここに尽きる。

「あのぅ、盛り上がっているところ大変申し訳ないのですが……」
「なに? 仁美、どうかした?」
「はい、もうすぐ面会終了の時刻です」
「ああ、もうそんな時間か」
「そこで提案なのですが、これから上条くんの病室にみんなで参りませんか? 当事者たる彼を蚊帳の外に置いたままというのも奇妙な話ですし……」
「……それもそうだな。俺に異存はない」
「私は行きたくないなぁ……。わざわざ恩を着せに行くのはちょっと……」
「ダメです。行きましょう」
「いや、でも」
「行きましょう」
「……はい」

あ、危なかった……。
終わったかと思ったよ。
絶体絶命のピンチに機転を利かせ、流れを変えてくれた志筑に最大級の感謝を。
今日のMVPは間違いなく君だ。
もうスイーツなんてケチくさいことは言わず、焼き肉でも寿司でも何でも奢ってやるよ。

「……中沢さんもさやかさんも、面倒な方ですこと」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ、何も」

そんなこんなで俺達は三人連れ立って上条のもとへと向かったのであった。


****


というわけで上条の病室に到着。
時間が惜しいのでささっと入室する。

「上条くん、帰宅前のご挨拶に参りました」
「え、志筑さん? なんか珍しい人が来たね。歓迎するよ」
「俺もいるぞ」
「中沢もいるのか。でも、なんで入院着?」
「……こんにちは」
「やあ、さやか。今日も来てくれたんだね。うれしいよ」
「……」
「ん?」

さて、この筋金入りの朴念仁相手にどう切り出すべきか。
やはりここは以前より温めていたプランを実行して……。

「上条くん、いいニュースと悪いニュースがあります。どちらから聞かれます?」
「え? え?」
「志筑? お前、何をするつもりだ?」
「お黙りなさい。さやかさんを泣かせたこと、クラス中に言い触らしますよ」
「む……」

とか考えてたら、志筑に主導権を掻っ攫われてしまった。
なんだ?
何が起きている?
ひとまず様子見するべきか?
村八分怖いし。

「じゃあ、いいニュースから」
「分かりました。上条くん、あなたの腕は治せます」
「な、なんだって!? そ、それは、本当なのかい!?」
「事実です。わたくしは冗談を好みません」
「そ、そうかい……それで悪いニュースは?」
「あなたの腕を治すには、さやかさんが魔法少女になる必要があります」

ほう。
またえらくストレートにぶちかましおった。
志筑のやつ、やるじゃない。
ここは一つ任せてみるのも一興か。

「は? 魔法少女? さやかが?」
「ご存知の通り、魔法少女は魔女や使い魔といった魑魅魍魎たちと戦わなければなりません。上条くん、あなたはさやかさんの身が危険に晒されることを許容できますか?」
「う、うーん……」
「ちょっと、仁美……。恭介、私は大丈夫だからね。自慢じゃないけど、体の頑丈さには自信があるんだ。ここ二年間、風邪ひとつ引いてないし」
「そ、そう? よく分からないけど、それで腕が治るなら、お願いしようかな」

そして上条さんはやっちまったな。
見ろよ、あの志筑の目を。
まるでメデューサの魔眼だぜ。

「さやかさん。契約はしばらく保留にしましょう」
「え? でも、恭介が……」
「放っておきなさい。後日、クラスの皆さんを集めて決を採ります。その場の状況如何で上条くんの腕を治すかどうかを判断すると致しましょう」

ふむ。
クラスの連中を巻き込んで会議みたいなもんを開くってことか。
アイデアとしてはなかなか悪くない。
うまいこと民意を誘導してやれば、美樹の契約を防ぐチャンスはいくらでも作れる。
暁美ちゃんは言うまでもなく、ゲストとして巴先輩を呼ぶのも面白い。
鹿目ちゃんの動向はちょっと不安だが。

「美樹。俺も志筑の意見に賛成だ。今は考える時間が必要だと思う。上条にも、お前にも」
「……二人がそう言うなら」
「ん? んん? つまり、どういうこと?」
「後で俺がみっちり説明してやるよ。取り敢えず志筑には逆らうな。女子を敵に回すと――――社会的に死ぬぞ」
「えっ、なにそれ。意味が分からないんだけど」
「お前さんは女心を軽んじたのさ」

こうして美樹の契約は保留の運びとなった。
本日の教訓、女子を怒らせてはいけない。
くわばらくわばら。


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