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No.32371の一覧
[0] 【習作】中沢くんはどっちでもいいから生き残りたいようです【憑依・魔法少女まどか☆マギカ】[たいらん](2012/03/23 16:17)
[1] 第二報告 『中沢の中学生日記』[たいらん](2012/03/30 16:17)
[2] 第三報告 『中沢のお宅訪問』[たいらん](2012/04/06 16:24)
[3] 第四報告 『中沢の苦悩』[たいらん](2012/04/13 18:49)
[4] 第五報告 『中沢の転機』[たいらん](2012/04/27 19:35)
[5] 号外 『それぞれの群像』[たいらん](2012/05/18 22:03)
[6] 第六報告 『中沢、病院送りにされる』[たいらん](2012/07/02 01:21)
[7] 第七報告 『中沢、語る(騙る)』[たいらん](2012/08/06 10:12)
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[32371] 第六報告 『中沢、病院送りにされる』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:2a565122 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/07/02 01:21

ときたま吹く風にあおられて静かに散りゆく花びらを顔いっぱいに受け止める。
はらりと一枚、口の中に入り込んだそれは思っくそ植物の味がした。
蓋し春の葉桜は風情に欠ける。
花びらと若葉がごちゃまぜになっていて美しくないからだ。
生命力溢れる新緑には初夏の太陽こそがよく似合う。
もしも立夏の折まで生きているようなことがあれば、そのときは近くの山で葉桜花見と洒落込みたいものだなぁ。
などと風流人を気取りながら朝の通学路を自転車で疾走する一人の男がいた。
その正体はもちろん俺、中沢である。

いやー、まいった。
さっき家に帰ったら見事に締め出し喰らってました。
そういや今日は両親二人とも出勤早い日なんだった。
おまけに昨日は夜明かしするための方便で友達の家に泊まるって嘘の連絡入れちまったからな。
まさか朝帰りしてくるとは思わなかったのだろう。
今の時間帯じゃ銭湯も開いてないし、手持ちの制汗シートをシャワー代わりにするしかない。
せめて髭だけでも剃っておこうと公衆トイレであれこれ身だしなみを整えていたら、すっかり太陽が高くなっていた。
腕時計の指す現時刻は午前八時十五分。
どうやら遅刻はしないで済みそうだ。

校則に従い、学校の正門前に差し掛かったところで一度自転車から降りる。
そのまま自転車を押し歩き、所定の駐輪場所まで移動。
後輪に鍵を掛け、さあ教室へ参ろうかと思った矢先、足元にぬっと影が伸びてきた。
何事かと見上げれば、そこにいたのは流れるような黒髪の少女、暁美ほむら嬢だった。
俺と異なり完全に徹夜明けだというのにもかかわらず、彼女の顔に疲労の色は全く見られない。
目元にはクマ一つありゃしないし、化粧でいろいろ誤魔化した形跡も特になし。
やっぱり体のつくりからして普通の人間とは違うのかね。
それはそうと、何ぞ用事でもあるのだろうか。

「よう、暁美ちゃん。さっきぶりだな。どしたん?」
「中沢くん、これ」
「お?」

これといった挨拶もなく、ぶっきらぼうに手渡されたのはわずかに厚みを帯びた茶封筒。

「なに? 開けていいの?」
「どうぞ」

封を切ると、そこには諭吉さんが十枚ほど入れられていた。
こいつはまた義理堅いことで。

「昨日壊したカメラと差し入れの分。これで足りる?」
「うーん、足りるっつーか……」
「もしかして足りない?」
「ああ、いや、そうじゃなくてだな。こんな大金貰えないってこと。てかこれ、元は親から仕送りされた金だろ? とてもじゃないが受け取れんよ」
「そう……」

突き返された封筒をすごすごと仕舞い込む少女の姿に一抹の罪悪感を覚える。
せっかくの善意を無碍にしてしまって申し訳ない次第だが、さすがに子どもから金は取れない。
ここは気持ちだけありがたく頂戴しておくよ。

「ところでさ。俺って臭う?」
「は?」
「いやね。実は今朝、風呂に入れなくってさ」
「……」
「おいこら、無言で距離を取るな」
「……大丈夫なんじゃない? たぶん」
「そうか? ならいいんだが」

微妙になった場の空気を冗談で濁しつつ、二人連れ立って教室へ向かう。
今日も今日とて校内はガヤガヤと騒がしく、学び舎の雰囲気としてあまり似つかわしくない。
まったく、しょうがないガキ共だ。
大人になってから勉強したいと思っても遅いんだぞ。

「ところで暁美ちゃん。君はちゃんと勉強してるか? 毎日予習復習かかさずやってるか?」
「え? ええ、まあ、人並には」
「うんうん、感心感心。俺はさ、学生時代にちょっとばかし遊び過ぎちゃってね。もっと勉強しておけばよかったなぁって、今になって後悔してんのよ」
「???」
「ま、若い時分にこんなこと言われても分かんねえよな。例えるなら台風の目みたいなもんだ。渦中にいるときはまるで気づかず、過ぎ去ってから初めて気づく。人生ってのはそういうことの連続なんだ」

俺の人生、そう悪いモノではなかったけれど、同時に数え切れない程の後悔もあった。
だから今生は悔いを残さぬよう精一杯がんばりたいと思うんだ。
そう決意を新たに教室の扉を開く。

「ういーっす。はよざいあーす」
「あっ、中沢だ」
「中沢が来たぞ」

すると何故か無数の視線に射抜かれてしまった。

「おい、誰か聞いてみろよ」
「やだよ。お前が行けよ」
「……?」

部屋の中に入るときはどれだけ静かに動いても少なからぬ注目を浴びてしまうものだが、この視線の量はさすがにおかしい。
はて、俺の顔はそんなに面白い造形をしていただろうか。

「おい、中沢! お前、志筑さんに惚れてるって本当かよ!」
「は?」

青天の霹靂とはまさにこのこと。
俺とお嬢が惚れた腫れたとか、何がどうなればそうなるんだ。

「なんで俺がお嬢に……おい、お嬢。あんたからも何か言ってやってくれよ。お嬢? おーい。お嬢はどこだ? 来てないのか?」
「うん。今日はお休みみたい。私たちにも連絡寄こせないくらいだから、たぶん相当悪いんだと思う」
「……なに?」

脇からひょっこり出てきた鹿目ちゃんの発言に思わず耳を疑う。
お嬢が学校に来ていない?
いや、それ自体は何らおかしくない。
季節の変わり目、急に体調を崩すことだってあるだろう。
しかし……。

「一切連絡がないのか? 一切? まさか……鹿目ちゃん、すまんが詳しく教えてくれないか」
「う、うん」

鹿目ちゃんの話はこうだ。
朝、待ち合わせの時間になってもお嬢がやって来ない。
不審に思い、メールを送ってみるも返答なし。
仕方なく二人で先に学校に行くことにして今に至ると。
ふーむ。
これだけでゴルゴムの仕業だ、ならぬ魔女の仕業だ、と決めつけるのは早計な気もするが……さて。

「なるほどねぇ……ちっとばかし、まずいことになったかもしれん」
「まずいって何が? 仁美ちゃんに何かあったの?」
「分からん。今から確かめる」

一旦廊下へと戻り、携帯が使える場所に移動を試みる。
現状では判断材料に欠けるからな。
まずは情報収集から始めんと。

「中沢くん!? ちょっと待ちなさい! もうホームルームが始まりますよ!」
「早乙女先生! 見逃してください! 下痢なんです!」

途中、早乙女先生と擦れ違ってしまい、苦しい言い訳で誤魔化すはめになった。
どうかクラスの連中に聞こえてませんように。
明日からあだ名がうんこまんになるのは御免だ。
しかし下痢、トイレか。
トイレはいいかもしれないな、電話かける分には。

というわけでトイレに移動。
連絡網片手に個室で携帯をポチポチ。
志筑さん家の番号はっと……あった。
市外局番から始まる10桁の番号を入力して準備完了。
電子音を聞きながら応答を待つ。
おっ、かかった。

「もしもし? 志筑さんのお宅でしょうか? 私、仁美さんのクラスメイトの中沢と申します。実は本日当直を任されておりまして児童の出欠確認をしているのですが、仁美さんは欠席ということでよろしいでしょうか? ええ、はい、学校には来ておりません。はい、家はいつも通りの時間に出たと。はい、分かりました。至急担任に確認を取ってみます。失礼致します……ふむ」

登校時間は普段と変わらず、か。
とりあえず今の段階で考えられる可能性は四つ。
事故、誘拐、魔女、サボり、この四つだ。
このうち消去法で真っ先に消えるのが事故の線だ。
何らかの事故に遭ったのであれば、学校や家に即連絡がいくはず。
朝の通学時間帯に目撃者がゼロというのはおかしいからだ。
パトカーや救急車のサイレンの音も聞こえないし、事故はないと見て構わないだろう。
また同様の理由で誘拐の線も薄い。
朝っぱらから、しかも人通りの少なくない通学路で誘拐とか逮捕してくださいと言っているようなものだ。

となると、残るは魔女かサボりの二択。
常識に当て嵌めて考えるならサボったと見るのが妥当なんだろうが、それだとわざわざ家を出た説明がつかない。
ただ休みたいだけなら仮病を使えば済む話。
登校途中で急に休みたくなったからフケましたと考えるのは少々無理があるだろう。
かといって魔女に襲われたと考えるのも短慮に過ぎる。
昨日の放課後、後ろからこっそり確認した時点では彼女の首筋に痣はなかった。
会話も普通に成立していたし、ってこれじゃ全部の線が消えちまうぞ。
いや、道中急病で倒れたって可能性がまだ……ああもうめんどくせえ。
怪しいと思ったら即行動に移すべきだ。
何事もなければなかったで構わねえ。
そんな風にやや投げやりな気分になりながら俺は教室へと帰参した。

「先生、ただいま戻りました」
「はい、お帰りなさい。お腹の調子は大丈夫?」
「そりゃあもうばっちりですよ。大変お騒がせしました」
「そう? 一時間目は体育ですからね。何かあったら無理しないで鹿目さんに保健室まで連れて行ってもらうんですよ」
「ういっす」

ホームルームを終えた早乙女先生が教室から出て行くところを扉の影からこっそり見送る。
やがて先生の姿が廊下の曲がり角に消えるのを確認するや否や、俺は近くにいた男子生徒を手招きで呼び寄せた。

「あぁ? 何か用か?」
「用がなけりゃ呼ばねえよ。ほれ、これやるからさ。ちっとばかし頼まれてくんないかね」
「また二千円か……今度は何だよ」
「うむ。今回は結構な大仕事だぞ。心してかかってくれ」

今日の一時間目は校庭で男女合同の体育。
言葉は悪いが、煽動するには誂え向きな状況だ。
はてさて、うまくいくかな。


****


「おーい! みんなー! ちょっと待ってくれーい!」
「んん?」
「なんだなんだ?」

昇降口でたむろするジャージ姿のクラスメイト達を大声で呼び止める。
怪訝そうな顔でこちらを見てくる生徒達を前に俺は勇んで口を開いた。

「みんな聞いてくれ。今日の体育は中止だ」
「はぁ? いきなり何だよ」
「先生の都合でも悪くなったのか?」
「いいや、これは俺の勝手な判断だ。今からお嬢の捜索に出かけるぞ」
「え? 志筑さんを探しに?」
「どういうこと?」

俺がお嬢の名前を出すとざわつきが微かに大きくなった。
ひとまず掴みは上々といったところか。

「さっきお嬢の家に電話して尋ねてみたんだが、どうやらいつも通りの時間に登校したらしい」
「え……な、中沢くん、それって本当?」
「事実だ。そして学校にも来てないってことはだ。お嬢は今、実質行方不明状態にあるってこった。おそらく何らかの事件に巻き込まれたんだろう」
「そんな……」
「えー? 行方不明ってほんとかな?」
「どうだろ。ちょっと大袈裟じゃないか」

むっ、思ったより反応が芳しくないな。
お前ら鹿目ちゃんを見習えよ。
心配のし過ぎでこんなに顔を青くしてるじゃないか。
かわいそうに。

「私があのときおかしいって気づいてたら、こんなことには……」
「まあまあ、そうネガネガしなさんな。大丈夫だよ、鹿目ちゃん。これからみんなで捜しに行けばきっと見つかるさ。なあ?」
「応とも! かけがえのないクラスメイトの一大事! どうして見捨てることができようか!」

例によって予め仕込んでおいたサクラの男子生徒に援護射撃を求む。
演技がちょっとオーバーな気もするが、まあよかろう。

「フッ、聞いての通りだ。男を上げるなら今しかないぜ?」
「うーん、でもなぁ。授業サボって内申下がるのはちょっとなぁ」
「そうだよな。俺も推薦欲しいし」

み、見下げ果てた奴らだ……。
そんなに進学が大事か。
いや、大事だけどさ。

「……考えてもみろよ。自分のこと必死になって捜してくれたってことが分かったら、お嬢すっげー喜ぶと思うぜ。もしかしたら……惚れられるかもな」
「「「「「!」」」」」
「お、俺は行くぞ!」
「俺もだ! 体育なんぞやってる場合じゃねえ!」
「あぁ、志筑さんが俺の……」

やあねえ。
男ってほんと単純だわ。
女子からめっちゃ白い目で見られてるぞ。
まったく、ノリがいいというか乗せられやすいというか。
やっぱり男子中学生は馬鹿だな。

「その意気やよし。ではこれより作戦の説明に入る。基本的に捜索には二人一組で当たってほしい。その際、他の組と行動範囲が極力被らないようにしてくれ」
「おい、待て。志筑さんを探しに行くのはいいけどよ。なんでお前の指示に従わなきゃならないんだよ」
「そうだそうだ」
「不満か? だが我慢してくれ。こいつは俺が責めを負うために必要なことなんだ。授業を集団ボイコットしといてただで済むわけがないからな。何かあったら全部俺のせいにしてもらって構わない。それとも自分で責任取りたいか?」
「むぐっ、そういうことなら……」
「続けるぞ。具体的な捜索方法についてだが、まずは聞き込みから始めてくれ。今の時間帯に目撃者がゼロなんてことはありえない。駅やバス、タクシー等の交通機関を中心にあたれば一人くらいは見たって人が出てくるはずだ。何か手掛かりを見つけたら俺の携帯に連絡を。それと情報の整理がしたいから正午になったら一旦駅前に集合するよう頼む。以上だ」

俺が一通り指示を出し終えると、ちょうどタイミングよく始業のチャイムが鳴り響いた。
体育教師がグラウンドに走っていく姿が遠目に見える。

「時間がない。俺達はもう行く。女子は学校に残ってうまく時間稼ぎしてくれ」
「中沢くん! 私も一緒に……」
「鹿目ちゃん。君には重要な役目がある。情報の繋ぎ役としての大切な役目が。何かあったら君の携帯まですぐに連絡するから。つらいかもしれないけど、俺達を信じて待っていてほしい」
「でも……」
「なーに。体力有り余る野郎共が二十人近くいるんだ。そいつらが必死こいて駆けずり回りゃ見つからないものなんて何もないさ。なあ?」
「応とも! だから泣くのはおやめ! 鹿目さん!」
「うん、そのキャラちょっとうざいな」
「……わかった。私は私の仕事をこなせばいい。そうだよね?」
「ん、それでいい」

渋々ながらも納得してくれた様子の鹿目ちゃんの頭をポンポンと叩き、それからジェスチャーで血気逸る男子達に後について来るよう促した。

「裏門から抜ける。その後は各自散開してくれ。行くぞ」
「おう」
「へへっ、なんかこういうのワクワクするな」
「だな。体育ばっくれるとか不良っぽくてカッコいいよな」

こいつら……俺達は遠足に行くわけじゃねえんだぞ。
モチベーション下げられたら嫌だから、いちいち怒りはしないけどさ。
ほんと頼むぜ、おい。




第六報告 『中沢、病院送りにされる』




首尾よく学校を抜け出すことに成功してから十数分後。
男達が思い思いの方角へ散らばったのを確認した俺は二千円で雇った男子生徒を引き連れ、志筑仁美の通学経路を逆行していた。
現在手元にある手掛かりは携帯に保存してあった彼女の隠し撮り写真一枚のみ。
ただそれだけを頼りに、俺達は道行く人々に画面の中の少女を見かけなかったかどうか尋ねながら歩を進めた。
俺達のジャージも相当だが、彼女が身に付けているであろう見滝原中学の制服もかなり目立つ。
例え人込みに紛れたとしても、そうそう見落とすことはないはずなのだが。

「なかなか目撃者が見つからないな。もしかして、ここは通ってないんじゃないのか? 他のとこに行ってみようぜ」
「駄目だ。もう少しだけ辛抱してくれ。こうやって家路に沿って歩けば、お嬢の足跡に繋がるヒントを手に入れられるはずなんだ」
「ふーん、そういうもんかね。ところで、その写真ってさ」
「うむ。こんなこともあろうかと事前に撮影しておいた」
「いや、そうじゃなくて。それって隠し……」
「うるせーぞ。口を動かす前に足を動かせ」

志筑仁美の捜索は困難を極めた。
碌な証言が得られない中、それでも挫けず尋ね歩き続けること約一時間。
俺達は遂に有力な情報を入手した。

「ああ、仁美ちゃん。あの子なら確か、いつもと同じくらいの時間に家から出てきたよ。でも、どういうわけか学校とは違う方向に歩いてっちゃったんだよ。一体どうしたんだろうね」

志筑仁美の自宅周辺、そのうち一つの家の前で掃き掃除をしていた初老の女性に尋ねたところ、彼女は今朝方家を出るとすぐ学校の反対側へと歩いて行ったらしい。
まさか家を出た瞬間から明後日の方角に消えてしまっていたとは、どうりで見つからないわけだ。

「他に何かありませんか? どのようなことでも構いません。出来る限り詳しくお願いします」
「詳しくと言われても……そうだねぇ。南の方に向かって行ったとしか言い様がないねぇ」
「南、ですか。ありがとうございました。ご協力感謝します」

うーむ、難しい。
志筑仁美のとった不可解な行動。
これが意味するものとは一体何か。
彼女は本当に魔女に魅入られてしまったのだろうか。
それとも何者かに脅迫を受けて呼び出されでもしたのだろうか。

「どうだった?」
「全然分かんねー。方角だけ示されたって困るっつーの」

はてさて困った。
多くの、もとい全ての男子生徒は聞き込み調査のため商店街や駅周辺といった人通りの多い中心市街地に散らばってしまっている。
しかし、ここから南といえば街の中心部とはまったくの逆方向。
まさか俺達二人だけで向かうわけにもいかんし、かといって集合時間まではまだ二時間近くあるし……いや、待て。
そういや女子がいたな。

「お? 何してんだ?」
「電話」

善は急げとアドレス帳から鹿目ちゃんの番号を呼び出す。
彼女を学校に残してきて正解だった。
猫の手も借りたいこの状況、今はとにかく頭数がほしい。

「……もしも『中沢くん? どうしたの? 何かあった?』し……」

携帯は驚くほど早く繋がった。
一、二回呼び出し音が鳴ったかと思うと、その独特な声音に焦りの色を滲ませた鹿目ちゃんが電話口の向こうから凄い勢いで捲し立ててきた。
思わず少しビクッとした。

「どうどう、そう興奮しなさんな。いやね、ちょっとばかし耳に入れたいことができましてね。今、大丈夫?」
『うん、大丈夫だよ。先生たちは緊急の職員会議で出払ってるから。終わるまで自習してろだって』
「会議というと、やっぱり議題は俺らのことか?」
『まあ、そうだね。こんな大規模なサボタージュは前代未聞だって、みんな大騒ぎしてるよ』
「そうか。そいつは申し訳ないことをした。ときに鹿目ちゃん、校門はどうなってる? 封鎖されてるか?」
『え? どうして?』
「状況が変わった。女子の手を借りたい。至急確認してくれ」
『……! ちょっと待ってて!』

通話口から鹿目ちゃんの声が途切れ、代わりに慌ただしい足音が聞こえてくる。
急いでくれるのはありがたいが、慎重さに欠けるのは頂けないな。
転んでも知らんぞ。

『もしもし? 正門、裏門両方とも見張りはいないみたい』
「そいつは杜撰なこって。だが、こちらとしては好都合だな。女子は全員そこにいるか? まとめて説明したいから電話が聞こえる範囲に集めてくれ」
『わかった』

はー、打てば響くとはまさにこのこと。
鹿目ちゃん相手だとトントン拍子で話が進むねぇ。
楽ちん楽ちん。

『集めたよー』
「あいよ、ありがとさん。もしもーし、みんな聞こえてる? 調査に進展あったから報告します。志筑のやつ、どうやら自宅を出た後すぐ南の方に一人で歩いてっちゃったらしいんだよ」
『えっ? それっていつの話?』
「近所の人が今朝見かけたんだと。これはもう事件としか考えられん。悪いが、今すぐ志筑家前まで来てくれ。人手が足りないんだ」
『うん! すぐ行く!』
『……どうする?』
『どうしよう。さっき先生に怒られたばっかりだし……それに親とか呼ばれたりしたら……』
『ていうかさ。普通にサボりなんじゃない?』
『うわぁ、ありそう』
『み、みんな!? ひどいよ!』

なんだなんだ。
なんだか雲行きが怪しくなってきやがった。
まさか本心からの言葉ではないと思うが……お嬢、あんたの対クラスメイト友好度(女子ver)が試されているぞ。

「へいへいどうした、お嬢様方。何か嫌なことでもあったのかい?」
『嫌なことも何も。中沢、あんたのせいでこっちはひどい目にあったんだよ』
『そうそう。男子が出ていくところをどうしてボサッと見てたんだって、ものすごい剣幕で怒鳴られたんだから』

なるほど。
先生に怒られて拗ねてたってわけだ。
叱られ慣れてないお上品なガキはこれだから困る。

「そうか。そいつは災難だったな。でも、それだったら全部俺のせいにしてもらって構わなかったんだぜ?」
『それはもうやった』
「あ、そう。んー……なんというか、悪かったよ。俺の見通しが甘いせいで嫌な思いさせてすまなかった。本当にごめん。間違いなく全部俺が悪い。みんなは悪くないよ」
『うんうん、その通り。分かってんじゃん』
『あの先生もさ、あそこまで物分かり悪いとかありえなくない?』
『だよねー』
「そうだ! 先公の言うことなんて気にするな! 君達はヒーロー、英雄だ!」
『おー!』

なんだかなぁ。
預かった子どもを甘やかす駄目な保父さんにでもなった気分だ。
今時の中学生はこんなにめんどくさいのか?
俺がこのくらいのときは……いや、こんなもんだったか。

「でな。情けない限りなんだが、君達の助力があって尚、手に入れられた情報があれだけなのよ。お嬢が向かった先は志筑家宅から南。これだけ」
『それだけぇ? うちら怒られ損じゃん』
『男子ってほんとダメねー』
「ごめんな。揃いも揃って役立たずな男ばっかりで。やっぱり俺達だけじゃ無理だったよ。もう女子に頼るしかないんだ。お願いだ。助けてくれ」

脇から媚びてんじゃねえよと言いたげな視線を感じるが無視。
男のプライドなんて社会じゃクソ以下の価値しかないんだよ、少年。

『どうする? 協力する?』
『いいんじゃない? なんか必死過ぎて可哀想だし』
『じゃあそういうことで。いいよ。特別にそっちに行ってあげる』
「ああ、助かるよ。感謝してもし切れない。本当にありがとう」

これにて交渉成立、と。
やれやれ、おべっか使いは疲れる。

『……なんか釈然としないなぁ』
「そう言うな、鹿目ちゃん。これでいいんだよ、これで。ああ、そうそう。移動は自転車で頼む。時間が惜しいんでね。なんなら俺の自転車も使ってくれて構わない。チェーンの番号は1307だ」
『ん、わかった。みんな、行こう』
『おー』
「そんじゃ切るぞ。また現地でな……ふぅ」

電話を切ってほっと一息。
人を動かすのはとかく難しい。

「お疲れさん」
「ああ」
「しっかし、女子って結構薄情だな。普段あんな仲良さそうにしてるのに」
「だからそう言うな。いいんだよ。それくらいドライな方が友人関係としては健全だ」
「そんなもんかね。だったら、お前はどうしてそこまで志筑さんのために? やっぱり惚れてるからか?」

またその話かと言いかけ、口を噤む。
そうだな。
この問いには答えておくべきだろう。

「……そうさな。負い目を感じてるからかな」
「負い目?」

そうだ、俺は志筑仁美に負い目を感じている。
今回の事件の引き金はひょっとしたら俺自身なのではないのか。
そう感じずにはいられないのだ。
思えば、俺は彼女に対して徒に不安を煽るようなことしか言ってこなかった。
そのくせ碌にフォローもせず……あの子が魔女に魅入られたのだとしたら、原因の大半は俺にあるとしか言いようがない。

「今回の件が片付いたら、ちゃんと謝らないといけないな。菓子折りでもつけてさ。お嬢の好物って何か知ってる?」
「知らんがな」


****


「中沢くーん!」
「おお、来たか! ってあれ?」

十分後、制服姿に戻った女子達が自転車をキコキコ漕ぎながら到着した。
……したのだが、なんだか数が少ない。
何度数えても八人しかいない。
はて、自転車を人数分確保できなかったのだろうか。

「これだけか? 他の連中はどうした?」
「それが……こっちに来る途中、先生達に見つかっちゃって」
「何だって? それで捕まったのか?」
「ううん。足止めに回ってくれたの。ここは私たちに任せて先に行けって」
「ははっ、なんだ。志筑のやつ、十分思われてるじゃないか。友達のために教師に立ち向かうなんて、そうそうできることじゃないぞ。よかったな」
「ん」

ちょうどいい位置にある鹿目ちゃんの頭をポンポンと叩きながら集まった面子を確認する。
ふむ、美樹がいないな。
あいつは足止め役に回ったのか。
他にいないのは……陸上部、水泳部、テニス部、ソフト部……運動部は全滅みたいだな。
文化系も……身長高めの子はみんな居残り組、と。
参ったな、見事なまでにちみっちゃいのしかいねえ。
弱っちい子を優先して逃がすその精神は褒められるべきなんだろうが、こいつら何時間も走り回ったりできるのか?
唯一頼りになりそうなのといえば……。

「……なに?」

俺の無遠慮な視線を察知したのか、いつにも増して仏頂面の暁美ちゃんがガンを飛ばしてきた。

「いや、まさかお前さんが来てくれるとは思わなくてな」
「……ただの義理立てよ」
「ふん? 誰に対しての?」
「……」
「……まあいいさ」

それにしても自転車似合わねえな、この子。
まるで爽やかさを感じない。
そもそも普通に走った方が速いだろうに。

「何にせよ、みんなよく来てくれた。協力感謝する。さて、先にも説明した通り、志筑仁美はこの場で消息を絶ち南へと移動したらしい」
「仁美ちゃん……」
「ゆえにだ。俺達もこれより南下を開始し、志筑に関する情報を収集していこうと思う。例によって二人一組で行動し、他の組と捜索範囲が被らないようにしてくれ。正午になったら一旦駅前に集合。捜査中、何かあったら俺か鹿目ちゃんの携帯まで連絡を頼む。俺からは以上だ。何か質問は?」
「はーい。南ってどっち?」
「あっち」
「ねえねえ。誰と組めばいいの?」
「どうぞ好きな人と組んでください」
「やったー。ねえ、一緒に組もうよ」
「いいよー」

未だ遠足気分が抜けていないぽやーんとしたお嬢様方を引率の先生のごとく誘導しながら、俺は内心不安を募らせていた。
なんというか、想像以上にダメそうだ。
役に立つ、立たないはともかくとして頼むからケガだけはしないでくれよ。

「ああ、そうそう。鹿目ちゃんと暁美ちゃんはもう組む人決まってるから」
「え? そうなの? 誰と?」
「うむ。俺と暁美ちゃん、こいつと鹿目ちゃんでペアを組む。必然的に二人乗りになるから人目を気にして走るようにな」
「あ? 俺?」
「ああ、お前だ。異議があるなら言ってくれ」
「いや、異議というか……何でこの組み合わせ? 何か意味があるのか?」
「無論だ。ここまできて意味のない行動はとらない」
「ふーん? まあ、いちいち理由は聞かんよ。お前の指示に従おう」
「私も構わないよ」
「……別に異存はないわ」
「ありがとう。俺達は特に離れて行動した方がいいだろう。お互い電話持ちだしな……おっ、他の皆も組み終わったか。よし、各自散開」

俺の号令に合わせ、七人の女子および一人の男が自転車に乗って一斉に駆けて行く。
やがて全員の姿が見えなくなり次第、俺は隣で所在なげに佇む黒髪の少女の方へと向き直った。

「手間をかけたな」
「別に。付き合いは大事だってことくらい理解してるつもりよ」
「付き合いねぇ……」

不機嫌、なのかな。
いつもよりツンツン具合が激しいような気がする。

「俺としては君の意見を是非聞きたいんだが」
「生憎だけど、私は探偵じゃないの。あなたの期待には応えられそうにないわ」
「そう意地の悪いことを言わんでくれ。もう君だけが頼りなんだ。分かるだろ?」
「……」
「自分の言葉に責任を持てなんて言わない。ただ思っていることを教えてくれたらそれでいい。今回の一件、これは魔女の仕業なのか? 君はどう思う?」
「ん……」

説得が通じつつあるのか、暁美ちゃんが思案するような素振りを見せる。
いいぞ、その調子で機嫌を直すんだ。
何が気に入らないのか知らんが、いつまでも臍を曲げられ続けては困る。
そうやってあれこれ言葉を尽くしたところ、彼女は渋々といった感じで重い口を開いた。

「……たぶん、そうだと思う」
「たぶんか。ソウルジェム内蔵の魔女センサーじゃ詳しいことは分からないのか?」
「無理よ。これはそこまで万能じゃないの。せいぜい数十メートルから数百メートル程度の感知が限度」
「ぬぅ、そんなもんか……」
「当てが外れた?」
「いや、そんなことはない。参考になったよ。ありがとう」

これは嘘だ。
正直かなり落胆した。
妙に歯切れが悪いと思ったら、素で分からなかったのね。
……やばい。
無茶苦茶やばい。
志筑が家を出てからもうどれくらいになる?
二時間?
三時間?
今から悠長に探して間に合う?
もしかしてもう死んでるんじゃ……。

「ま、今さら気を揉んでも仕方ない。焦らずぼちぼち行こう」

胸中に渦巻く焦燥を表に出すわけにもいかず、何ら気にしないフリをして歩き出す。
俺は今、ちゃんと笑えているのだろうか。
がんばれ、俺の表情筋。

「自転車乗らないの?」
「やることは聞き込みだからね。そんなに急いで移動する必要はないのよ」

捜査の基本は足で稼ぐこと。
今は地道に目撃証言を集めつつ、それっぽい場所を総当たりで回っていくしかない。

「すみません。この子、見かけませんでしたか? 今日の午前八時半頃にこの近くを通ったはずなんですけど……」
「見てませんか……いえ、ありがとうございました」
「あの、すみません。この子をどこかで……分かりませんか。ありがとうございました」

道なりに歩きながら改めて聞き込みを再開するも、有力な証言は一向に出てこない。
知らない、見てない、分からない。
似たような返答を何十回も繰り返されるたびにどんどん気が滅入ってくる。
やはり時間が経ち過ぎて……いや、大丈夫だ。
荒木先生も言っていたじゃないか。
大切なのは真実に向かおうとする意志だと。
きっとまだ間に合うはずだ。
そう何度も自分に言い聞かせ、道行く人々に声をかけ続けた。

「中沢くん。酷なことを言うようだけど、志筑仁美はもう……」
「おおっと、そういや聞きたいことがあったのをすっかり忘れてたぜ。使い魔の活動範囲ってどれくらいのもんなんだ? 魔女の元から離れてどこまで行ける?」

不毛とも思える行為を繰り返す俺の姿が見るに忍びないのか、一転して諭すような口調になった暁美ちゃんの言葉を遮り、急造の質問を捻り出す。
分かってはいる。
理解はしている。
だが、認めるわけにはいかない。
そんな思いを汲んでくれたのだろう。
暁美ちゃんは小さく溜め息をつき、それであなたの気が済むならと律儀に答えを返してくれた。

「個体差があるから一概には言えないけど、本体から数キロ離れた程度なら余裕で活動圏内に入るわ」
「そんなにか」
「そんなによ。使い魔狩りがハイリスクローリターンと敬遠される所以ね」
「……」
「さらに言えば使い魔だけでも結界の形成は可能。これが何を意味するのか、あなたなら分かるでしょう?」
「……もう十分だ。ありがとう」

申し訳ないと思いつつ、自ら振った話を途中で切り上げる。
お前がこれまでしてきたことは全て徒労に過ぎなかったのだと、そう否定されているようでこれ以上聞くことができなかったのだ。
事実、志筑仁美は魔女の存在を把握していたにもかかわらず、今回のような事件に巻き込まれてしまった。
ただ周知させるだけでは無意味であることくらい分かっていたつもりだったが、いざ突きつけられるとやはりつらい。

「あくまでやめる気はないのね」
「……」
「あと一時間で集合時間になるけど、午後はどうするの?」
「……午後も続けるさ」
「そう。勝手になさい」
「言われずとも……ん?」

まるで展望が見えず、鬱々とした気分のまま作業を続けようとしたとき、ズボンのポケットが微かに震えた。
いや、実際に震えているのはポケットの中の携帯だ。
まさか親か先生からお叱りの電話が……なんだ、鹿目ちゃんか。
何か有力な情報でも仕入れたのかね。

「はい、もしもし?」
『おう、俺だ。志筑さん見つけたぞ』
「……え?」
『でも何か様子がおかしくて困ってんだ。ちょっとこっち来てくれよ』
「……」
『おーい、聞こえてる?』
「あ、ああ、すまん。それでどこに行けば?」
『んー……旧道のうどん屋の前って言えば分かるか? カレーうどん一杯三百円のところ』
「う、うん、知ってる」
『そこで待ってるから早く来いよ。じゃあな』

……………………マジで?

「どうしたの? 狐につままれたような顔して」
「いや……うん。なんかあいつら、志筑のこと見つけたらしいよ」
「え? え? 嘘でしょう?」
「嘘かどうかは行けば分かる。行ってみよう」


****


「おーい、こっちだこっち」

鹿目ちゃんとペアを組ませた男子生徒が大きく手を振っているのが見える。
逸る気持ちを抑えることなく暁美ちゃんに自転車を飛ばしてもらうこと僅か二分足らず。
俺達は指定された場所へと到着した。

「二人ともお疲れ様。早かったね」
「うっぷ、そうだな、きもちわる……うぁぁ」
「私が本気で漕げばこんなものよ。それにしても、まさか本当だったなんて」

果たして志筑仁美はそこにいた。
ウェーブのかかった独特なロングヘアー、若干タレ目気味のぽわわんとした顔、見紛うはずもない。
彼女は俺の心配など露知らず、歩道の段差に腰かけてぼんやりと空を眺めていた。
……いかん。
ちょっと泣きそう。
この子が生きてて本当によかったよ。

「いやー、ほんとびっくりしたぜ。背中に当たる鹿目の胸の感触を楽しみながら自転車走らせてたらよ。志筑さんが道端に座り込んでるんだからな」
「ん? 私がどうかした?」
「おっと、何でもねえ。それでどうだ? 最初に見つけたときからずっとこの調子なんだが、何か分かるか?」
「待ってろ。今から診てみる」

志筑の後ろ髪をかき上げ、首筋を確認。
そこにはやはりと言うべきか、刺青のような黒っぽい痣がくっきりと浮かび上がっていた。
ふーむ、ある意味では予想の範疇だが、同時に不可解でもある。

「暁美ちゃん、こいつは一体どういうことだ? どうしてこの子は魔女に魅入られてなお無事でいられたんだ?」
「そう、ね……使い魔に精神を惑わされ、魔女の元まで誘い込まれそうになったものの、結界の位置が遠過ぎて歩いているうちに疲労の限界を迎えてしまった。そんなところじゃないかしら」
「おいおい、さすがにそりゃねえだろ」
「使い魔に処断を委ねず、自ら直接手を下さなければ気が済まないタイプの魔女なら、そういう事態が起こりうる可能性もなきにしもあらずよ。たぶん」
「んなアホな。それが事実だとすれば前書いた記事に大幅な加筆修正が必要になるぞ」
「知らないわよ。そもそもこんなケース初めてだし。どうしても気になるというのなら本人に直接聞いてみたら?」
「む、その手が合ったか」

魔女の口づけを受けたからといって全ての思考能力が失われるわけではない。
最低限の意思疎通くらいは成立するはず。
というわけで、ひたすら空ばかり眺める二対の瞳を遮るように覗き込んでみる。
すると、少女の碧眼がゆっくりと動き、俺の両目をじぃっと捉えた。

「あら? 中沢さん、ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう。今日は学校に来なかったみたいだけど、どこかにお出かけするつもりだったのかい?」
「ええ、実はわたくし天国にお呼ばれしておりまして。よくないことだと思ったのですが、天使さんがどうしてもとおっしゃるから学校はお休みすることにしましたの」

天使?
『ハコの魔女』の使い魔か?
いや、彼女に使い魔の姿は見えていない。
おそらくはただの比喩表現だろう。
しかし、あれだな。
言動が狂気じみててこえーよ。
表情はいつも通りというか、むしろいつもよりニコニコしてるくらいなのに。
そのギャップが却って恐ろしい。

「……その天国とやらに行くのに、地べたに座って油を売る必要性があるのか?」
「そう言われましても、わたくし朝から歩きっぱなしで疲れておりますの。足が棒になるってこういう感覚だったのですね」
「なぬっ、マジか」
「へえ、言ってみるものね」

暁美ちゃん、まさかの予想的中。
したり顔とまでは行かないが、ちょっと嬉しそう。

「そっか。疲れたのか。なんなら足でも揉んでやろうか?」
「結構です。そんなことより早く連れて行ってください」
「へ?」
「さっきからずっと呼ばれ続けているんです。早く行かないと怒られてしまいます」
「呼ばれてるって……暁美ちゃん、もしかして近くに何かいるのか?」
「いいえ。特に気配は感じないわ」
「うふ、うふふふ」

だから怖いっての。
精神に異常を来すと実在しないはずのものが見えてくるというが、彼女には一体何が見えているのやら。

「中沢くん、仁美ちゃんは大丈夫の?」

いよいよもって様子がおかしい志筑の姿に不安を覚えたのだろう。
鹿目ちゃんが急かすように容態を尋ねてきた。
親友たる彼女に本当のことを伝えなければならないと思うと気が重い。

「そのことについてなんだが、どうやら志筑は魔女に魅入られてしまったらしい」
「え!?」
「なんだと?」
「ほら、ここを見てみろ」

再度志筑の髪を押し上げ、首筋に施された魔女の口づけを指し示す。
思いなしか先程より色濃く見える。

「そんな……こんなにはっきり……」
「うーむ、染み一つない綺麗なうなじだ。俺にも触らせろよ」
「はいはい、後で本人に了承を取ってから好きなだけ触らせてもらえ。この状況、はっきり言って俺達の手に余る。一度学校に連れ帰って巴先輩になんとかしてもらおう」

志筑を発見できた以上、この場に留まる意味はない。
ちゃっちゃと戻って先輩に洗脳を解いてもらって今回はそれで終わりだ。

「ほれ、行くぞ」
「連れて行ってくださるのですか?」
「あー連れてく連れてく。おんぶしてやるからさっさと乗りな」

相変わらず座り込んだままの志筑に背中を差し出す。
さあて、帰りは歩きだ。
三人には先に帰ってもらおうか、それとも散らばった男女を集めてもらおうか。
確か集合場所は駅前だったよな。

「では、お言葉に甘えて」

背中にずしりとした重みを感じる。
志筑が乗っかってきたようだ。
……なんか思ったより重いな。
せいぜい50キロあるかないか程度だと思っていたんだが。

「ふふふふ」

違う。
体重をかけられてるせいで余計重く感じるんだ。
俺が立ち上がるのに難儀していると、華奢な両手首がするりと首に回された。
いや、正確には絞められたと言うべきか。
それほどまでに力が強く、思わず呻き声を上げてしまう。

「ぐっ、むっ……」
「絶対に落とさないでくださいね」

耳元でそう囁かれた途端、急に息が苦しくなった。

「さあ、行きましょう。みなさんを待たせるのは失礼ですから」
「う……ぐ……」
「あら? どうしてそのようなお顔をなさるのですか? せっかく天国に行けるのですからもっと嬉しそうな顔を……」
「そこまでにしておきなさい」

もう駄目だと思ったそのとき、強引に後ろへ引っ張られる感覚がした。
同時に背中の重みがふっと消え、首周りの圧迫感からも解放された。

「はぁぁぁぁ……死ぬかと思った……」

酸素を求め、深呼吸を繰り返しながら後ろを振り返る。
そこには案の定、暁美ちゃんが志筑の首根っこを掴んだ状態で俺を見下ろしていた。

「ありがと……助かったよ……」
「どういたしまして。今のは不用意だったわね。正気を失った相手に急所を晒すなんて」
「返す言葉もない……でも、その犬猫みたいに掴むのは可哀想だからやめてもらえないかな」

喉の辺りがヒリヒリと痛む。
締め上げられた部分が熱を帯びているようだ。

「三人ともどうしたの……うわっ! 中沢くん! 首のとこ真っ赤だよ!」
「おおぅ、こいつは見事な手形だ。ちょっとしたホラーだぜ」
「え、なに、そんなにひどい?」
「割と。道端で擦れ違った際に二度見しそうになるくらいには」
「なるほど、めちゃくちゃ目立ってるってことね。どうりで痛むわけだ」
「そんなことより早く天国に向けて出発しましょう。みなさんはすでに旅立たれたようですし」

そんなこと、か。
とことんマイペースな奴になっちまったな。
最初から意志の疎通などできるわけがなかったってことか。

「仁美ちゃん、さすがにそれはひどいんじゃないかな。仁美ちゃんを探しに行こうってみんなに呼び掛けてくれたのは中沢くんなんだよ。それを……」
「はいはい、怒らない怒らない。俺は気にしてないよ。ところで、さっきから気になってたんだけどさ。みなさんって誰のことを言ってるんだ?」
「ああ。同じ天使さんに導かれたお仲間さんたちのことです。先程、無事天に召されたようですね」
「んー?」

あれ?
何だ、この違和感。
俺は何か重要なことを失念しているんじゃないのか?

「中沢さん、早く早く」
「いい子だから。ちょっと待ってな」

まず、みなさんとは俺達のことではない。
ならば誰のことを指している?
いや、答え自体は既に出ている。
天使に導かれたとは使い魔に拐かされたと同義。
つまり、志筑と同じ魔女の被害者のことを示しているのだろう。
――――俺は馬鹿か!
もっと早く気づくべきだろうに!

「みんな、すまない。予定の変更を提言する。しばらく志筑を泳がせ、魔女の元まで案内させたい」
「は? 正気? 次は助けないわよ」
「危険は承知の上だ。けど、志筑の話から察するに他にも被害者がいるみたいなんだ。このまま学校にとんぼがえりするわけにはいかない」
「そんなものは放っておきなさい。さっき自分でも言っていたでしょう。これはあなたの手に負える問題じゃない。第一、時間が経ち過ぎている。もう手遅れよ」
「例えそうだとしても、二次災害が起こると分かり切っているのに放置なんてしていられるか」
「で? ご立派な志を掲げるのは結構だけど、実際に魔女を倒すのは誰なのかしら?」
「それは、その……魔女の口づけってマーキングされた人を叩いたり殴ったりすれば消えたりは……」
「しない。アナログテレビじゃないんだから」
「ですよねー」

年甲斐もなく義憤に駆られ、魔女の本拠地に乗り込んでやると宣言したところ、暁美ちゃんにピシャリとダメ出しされてしまった。
まあ、これは全面的に彼女が正しい。
俺が現場に向かったところで現実問題できることなど何一つとしてないのだろう。
それに、かつて人一人見殺しにしかけた俺が今更誰かを助けようなんて、虫がいいにも程があらぁな。
情けねえ。

「何をうだうだ言ってやがる。別にいいじゃん。さっさと案内させようぜ」
「あなた……」
「そうだね。魔女の居所が分かり次第、マミさんに来てもらえばいいわけだし。やってみようよ」
「まどかまで……中沢くん」
「分かってる。すまん。さっきのは聞かなかったことにしてくれ。今後は予定通り駅前に集合し、それから学校に戻る。こっちの方が安全だし、確実だ。うん、そうしよう」
「んだよ、ビビってんのか。ここまで来てわざわざ引き返す理由がどこにある」
「いや、ほら、ちゃんとみんなに定期報告してあげないと後が怖いというか」
「それなら私が電話しておくから大丈夫。女子はちゃんと携帯持参してきたんだよ」
「あー……どうしましょう?」
「どうもこうもないでしょう。得意の屁理屈で何とかしてちょうだい」
「中沢さん、まだですか? もしかして嘘つきました?」
「ついてないよ。お願いだからもう少し我慢して」

男女五人寄れば寄るほど姦しい。
やれやれ、状況が混沌としてきたな。
ナーバスになってる暇もありゃしねえ。

「暁美さんよぉ、怖いんなら先に帰ってもいいんだぜ。そもそも志筑さんは実質俺と中沢の二人で見つけたようなもんだ。それを今になって偉そうにしやがって。役立たずは帰れよ」
「……言ってくれるじゃない」
「こらこら、ケンカするんじゃありません。俺はちゃんとクラスメイト全員に感謝してるよ。誰か一人でも欠けていたら志筑を見つけることはできなかった。俺はそう思ってる」
「そういう社交辞令はいらねえんだよ。結局どうすんだ?」
「どうするもこうするも、聞くまでもないことよね?」

うーん、あちらを立てればこちらが立たず。
単純な多数決で決めるなら数が多い方の意見に従うべきだ。
しかしながら暁美ちゃんの意見を切って捨てるというのもなぁ。

「鹿目ちゃんはどうするべきだと思う? 俺達はもちろんのこと、志筑も危険な目に遭う可能性が出てくるけど、本当にいい?」
「よくはないよ。でも、魔女の被害を食い止めるために必要なことなんでしょ?」
「うん、まあ」
「ならやるしかないね。だいじょうぶ。仁美ちゃんが正気だったら、きっと賛同してくれたはずだよ」
「だそうだ。ちなみに俺も鹿目と同意見だ」
「私はあくまで反対。あなた達には危機管理能力がなさ過ぎる」
「どうでもいいですから早く出発しましょう」

改めて意見が出揃うも平行線なのは変わらず、か。
仕方ない。
俺が最終的判断を下すとしよう。

「よし、今度こそ決めた」
「と言うと?」
「えっとですね。遠くから離れて確認するだけなら、そう危険でもないかなぁ……なんて。事前に場所を押さえとけば、先輩も作業が捗るだろう、し……」
「……」

黒髪の少女の失望を湛えた瞳に射抜かれ、言葉を失う。
失望は期待の裏返し。
期待、されてたのか。

「……もういいわ」

彼女はぽつりとそう零すと完全に背を向けてしまった。
その後ろ姿はどこかいじけているようにも見え、すぐにでも前言を撤回してあげたい気分にさせられる。
……けどな。
本音を言うと、俺自身現場に赴きたい気持ちが強いんだ。
誰にも看取られることなく死んでいく人間をさらに野晒しにしておくなんて、寝覚めが悪いにも程があるだろ。
そしてあの日の贖罪。
果たすなら今しかない。

「志筑」
「はい?」
「望み通り、ちゃんと目的の場所に連れてってやる。だから今度は首を絞めないでくれよ」
「はい!」

曲りなりにも話がまとまったところで志筑に出立の旨を伝えると、満面の笑みで元気よく了解の意を示してきた。
この無邪気な笑顔の裏側で彼女は何を考えているのだろうか。

「ちょいと首んとこ失礼」
「?」

何にせよ、用心をするに越したことはない。
見滝原中学女子生徒の制服特有のでっかいリボンを志筑の首元からほどき、それを彼女の手首に巻きつける。

「あの、これは? きゃっ」

前へと括られた両手首を不思議そうに眺める少女の体を後ろから抱え上げ、横抱きの体勢を取る。
正直小っ恥ずかしいことこの上ないが、おんぶして首を絞められたり、自転車に乗せて車道に飛び出されたりするよりは遥かにマシだろう。
ちなみに小脇に抱えるやり方は筋力的に無理だった。

「うわっ、うわっ、お姫様だっこ! うわー!」
「すげー。やるじゃん」
「こらこら、写メを撮るな。見世物じゃねーんだぞ」

うーむ、やっぱり恥ずかしい。
羞恥のあまり顔が熱を持ち始めてきやがった。
こんな思いをするくらいなら他のやつに頼めばよかったぜ。

「うふふっ、殿方の腕に抱かれながら天国へ昇るというのも悪くありませんね」
「お気に召したようで何よりだ。そんじゃ、ぼちぼち行こうか。さっそく案内してくれ」
「わかりました。と言っても、しばらくはこの旧道をまっすぐ進むだけですけど」

こうして俺達は志筑仁美の先導の元、魔女の結界が展開されていると思しき場所へと向かうことになった。
案内役を抱えた俺が徒歩で移動しているため全体のペースも必然的に遅くなる。
初めのうちは暇つぶしがてらみんなと雑談しながら歩いていたのだが、間もなく話題も尽き、最終的には俺と志筑の道を確認し合う声だけが響くようになった。

「まだ真っ直ぐか?」
「はい。まだまだ直進です」
「……」

やがて俺は自分達がだんだん山の方へ入ってきていることに気づいた。
人工的に植えられた疎らな葉桜と異なり、すっかり緑一色に染まった天然の桜がガードレールの脇から自己主張するかのように枝を伸ばしている。
もともと見滝原は山間部を開発してつくられた都市であり、街中からでも少し遠出すれば割とすぐ山の麓まで辿り着く。
それゆえ県外から訪れる登山客も多いが、さすがに山登りする魔女の話は聞いたことがない。
道は本当にこれで合っているのだろうかと不安になりつつ歩を進めると、前方に川を跨ぐように架けられた鋼橋が見えてきた。
確かこの橋を渡った先には不況の煽りを受け、去年だか一昨年だかに操業停止に陥った自動車部品工場があったはず。
自殺した工場長の霊が出るとか、取り壊しを請け負った作業員が呪われたとか、根も葉もない噂が山ほどある新造の心霊スポットだ。
クラスの連中も何度か肝試しに行ったことがあると自慢げに語っていた。
……あっ。
もしかして目的地そこじゃね?

「志筑。天国とやらはこの橋の向こうの廃工場にある。そうだな?」
「さすが中沢さん、正解です。どうしてわかったのですか?」
「心眼だ」
「なるほど」
「……んん? 今の会話おかしくない?」
「中沢くんにはよくあることだよ。この人、姿の見えないキュゥべえとも普通に会話できるから」
「えっ、なにそれ」

向かうべき場所が判明したことで自然と足が速まる。
こんな山中まで徒歩で移動することを強いられるのだ。
志筑のように途中でへばった人間がいてもおかしくない。
そういった人達に先んじて工場跡に到達すれば、魔女による被害の拡大を食い止めることができるかもしれない。
そう思うとますますペースが上がった。


****


今からでも被害は抑えられる。
そんな風に考えていた時期が俺にもありました。

「めっちゃ燃えとる……」

一時間近く歩き、ようやく山間部の廃工場に辿り着いた俺達を待ち受けていたのは立ち上る黒煙と橙色の炎であった。
今現在もガラスの嵌められていない剥き出しの窓から尋常じゃない量の煙がもくもくと吹き出している。
うん、こいつはちょっと無理です。

「きれい……」

腕の中の志筑が恍惚の吐息を漏らす。
どうやら彼女と俺とでは見えているものが違うらしい。
俺には地獄絵図にしか見えないんだが。

「やべー。火事とか初めて見たよ。ムービー録りたいから携帯貸してくんね?」
「そんなことより通報が先だよ! えっと、えっと、こういうときってどこに電話するんだっけ?」
「119番」
「119番? 119番って何番?」
「落ち着け。俺が電話するから」

志筑の体を一旦地に下ろし、自分の携帯で消防に連絡を入れる。
火災か救急かと聞かれたら火災。
ここの住所は……分からん。
まあ、地名を言えば通じるだろう。

「……ええ、はい、山の潰れた工場です。かなり煙が出ていますね。怪我人がいるかどうかは……ちょっと分かりかねます。はい、中には絶対に入りません。私の番号は……」
「まどかさん。手首が痛いのでこれ解いてもらえます?」
「あ、うん」

とりあえずこれで消防への連絡は済んだ。
あとは彼らの到着を待つばかりだが、一応救急車も呼んでおくべきだろうか。
状況からして生存者がいるとは考え難いが……。

「あっ! 仁美ちゃん!」
「ちょ、馬鹿おまっ、何やってんだ!」

通話を終えて暫し思考を巡らせていると、お供の二人が突然騒ぎ出した。
何事かと視線をずらせば、なんと志筑が工場の方へ猛然とダッシュしているではないか。
呆然と立ち尽くす俺達をよそに、彼女は普段の姿からは考えられない程の俊敏さとアクロバティックさで颯爽と窓の内側に飛び込んでいった。

「な、な、なんなのあれ、ギャグ? え、えー? ぁ、あぁ、なんかすごい眩暈してきた。駄目だ、五分経ったら起こして……」
「しっかりしろ、中沢! ぶっ倒れても状況は好転しねーぞ!」
「ど、どうしよう……私が拘束を解いちゃったばっかりに……」
「ああ、いや、それは違う。悪いのは目を離した俺だよ。だからあまり気に病むな。ははは……」

俺は今ちゃんと笑えて、るわけねえよな。
いやマジでどうすんのよ、この状況。
笑いは笑いでも渇いた笑いしか出てこないよ。
助けてほむらちゃん、っていねえ!
まさか、もう魔女を倒しに行ったのか?
仕事熱心なのは結構だが、一言くらい声かけてけよ。

「この馬鹿目! どう落とし前つけるつもりだ! 中沢も甘やかすんじゃねえ!」
「ご、ごめん……」
「ごめんで済むか!」

男子生徒から一方的に怒鳴りつけられ、鹿目ちゃんの涙腺はもう決壊寸前になっている。
しかし、よく見ると彼の顔も半泣き状態だった。
不安なのは皆同じ。
誰かに当たらなければやってられないだけなのだ。
……ええい、仕方ない。
こうなったら腹をくくるか。

「まあまあまあ。お前さんよ、その辺にしとけ。ここでピリピリしてたってしゃーないぞ」
「はぁ!? なにのんきなことを……」
「鹿目ちゃん、志筑のことなら心配するな。この中沢さんがちょっくら行って連れ戻してくるからよ」
「ほ、ほんとに……?」
「ほんとほんと。約束するよ。なんなら指切りでもするかい?」
「うん……」

鹿目ちゃんが本当に俺のことを信じてくれているのかどうか、今の俺にそれを知る術はない。
もしかしたら自分を安心させたいがための逃避行動に過ぎないのかもしれない。
それでも彼女は俺の小指に、その小さな指を絡めてくれた。
期待してくれたのだ。
今度は裏切れない。

――――さて。
正面のシャッターは固く閉ざされている。
この分だと俺も窓から侵入するしかなさそうだ。
濡らしたハンカチで口と鼻を覆い、突入準備完了。
気休め以下の装備とはいえ、ないよかマシだろ。

「そんじゃ、行ってきまーす」
「おい! 馬鹿な真似はよせ! お前まで死ぬ気か!」
「冗談。こんなところじゃ死ねないな。ああ、そうだ。携帯預かっといて。買ってもらったばっかなのよ」
「だから行くな! 志筑さんのことは諦めろ!」
「……悪いな」
「やめろ! 戻ってこい!」

男子生徒の制止を振り切り、工場の内部へと飛び込む。
ふむ、想像していたよりは熱くないな。
窓が全開になっているせいか?
何にせよ、恐いのは炎よりも一酸化炭素中毒だ。
限界まで姿勢を低くして這うように進まんと。

「さよなら。俺の698円ちゃん……」

十歩ほど進んでは床に小銭を落としていく。
視界全域が煙と陽炎で埋め尽くされているため、目印を残しておかないと方向感覚が狂ってしまうのだ。
志筑を見つけることができても生きて帰れなければ意味がない。
たった23枚の命綱。
うまく機能してくれよ。

「……む?」

チャリンチャリン音を鳴らしながら、しばらく歩いていると、視界の隅に茶色っぽい棒状のものが映り込んだ。
心なし芳ばしい香りもする。
こいつはビールのつまみ、燻製のような匂いだ。
以前肝試しに来た連中の食べ残しが焼けたのか?
けど、食い物にしてはでかいような……。

人間というものは視線を誘導されると体まで釣られて動いてしまうらしい。
ふと後ろを振り返ると、コインの位置が斜めにずれてきていた。
どうする?
進路を修正するべきか?
それともこのまま燻製の方へ進むべきか。
幸い最後に落としたコインはすぐ後ろにある。
暴走状態の志筑が真っ直ぐ走れたはずもないし、とりあえずこのまま行ってみよう。

呼吸少なく匍匐前進。
10センチ、20センチ、近づくごとに正体不明の物体の全貌が見えてくる。
近くで見ると思ったより長い。
1メートル、いや、90センチくらいの長さはあろうか。
これはどう考えても食い物じゃない。
ならば食欲をそそるこの匂いは何だ?
と、視界を微妙に遮る陽炎が断ち消え、棒の先端がはっきりと見えた。
その先端はアルファベットのLの字みたいに曲がっていて……。

「うっ」

それの正体を認識した瞬間、俺は猛烈な吐き気に襲われた。
俺の予想通り、確かにそれは燻製だった。
直接火に炙られることなく、熱と煙によってじっくりと焼かれた燻製肉だ。
俺は昔、これと同じものを見たことがある。
あれは死んだ爺ちゃんの棺が火葬に出されたとき、熱が弱かったせいか中途半端に焼かれた状態で出てきたんだ。
全身が茶色く焦げていて、それでいて形は崩れてなくて、なんかすごくいい匂いがして、とにかく子供心に恐ろしかった。

嫌だ。
こんな場所には一時たりともいたくない。
そう委縮しそうになる気持ちを抑え込み、首だけを動かして周囲を見渡し、また吐きそうになった。
いるわいるわ、うじゃうじゃいるわ。
ボロ切れを纏った茶色い人型が大量に寝転がっている。
錬炭自殺の現場とはこのような感じなのだろうか。

「……志筑、志筑、いるか?」

独り死体に囲まれたこの異様なシチュエーション。
グロ耐性のない俺にはとても耐えられそうにない。
それでも恐怖を押し殺し、志筑の名を呼んでみる。
この場に遺骸が集中しているのはおそらく偶然じゃない。
何らかの意思により集められたのだ。
ならば彼女もきっと近くにいるはず。
そう信じて呼び続けた。

「志筑、いるなら返事してくれ。頼むよ」

一歩前へ出るたびに、体の一部が遺体に触れる。
その少し硬めの感触に何度も悲鳴を上げそうになった。
今からでも引き返して楽になりたい。
鹿目ちゃん、許して。

「志筑ぃ、どこだぁ……あ? あ?」

暑さと煙たさと怖さで半ば朦朧としながらも緑髪の少女を探していると、目の前に二本の足がぬっと現れた。
普通にズボンと靴を履いた、普通の生きた人間の足だ。
志筑、ではないな。
まだ他に生存者がいてくれたのか?
そもそも、この環境で突っ立っていて平気なのか?
浮かんだ疑問の答えを出すべく顔を上げる。
……駄目だ。
煙くてよく見えない。

「そこのあんた! 今すぐしゃがむんだ! 立ってるのは危険だ!」

誰だか知らんが、意識がある以上放っておくわけにもいくまい。
少しでも生存率を上げるべく、姿勢を低くするよう頭上の人物に指示を飛ばす。
思わず厳しい口調になってしまい、気を悪くされなかったか心配になったが、彼(彼女?)は素直にしゃがみ込んでくれた。

「ああ、無事でよかった。ここは危険です。急いで外に出ましょう。一人でも歩けますか?」
「……」
「あの、どこか悪いんですか? よければおんぶしますけど……」
「……」
「……?」

なんだ?
俺の指示に従ってくれたからてっきり正気だとばかり思っていたのだが、どうにも様子がおかしい。
彼はしゃがんだときからずっと後ろ向きなのだ。
今も俯くようにして俺に背を向けている。
やはり魔女の口づけに影響されているのか?

「……前を、こっちを向いてもらえませんか? 俺と一緒に戻りましょう? 大丈夫、出口はすぐそこです」

志筑の奇行で死にかけたことは記憶に新しい。
俺はいつでも動けるよう身構えつつ、優しく説得の言葉を投げかけた。

「……」

目の前の背中がのそりと動く。
彼はゆっくり、本当にゆっくりとこちらを向き、それからさらに遅々とした動作で顔を上げた。

「……! う、うわああああっ!」

人間燻製は我慢した。
火炎も黒煙も我慢した。
けど、こればかりは無理だった。
俺は恐怖のあまり幼い少女のように泣き叫んだ。
それはまさしく化け物だった。
首から上が赤黒く焼け爛れ、口の辺りはエナメル質の歯が剥き出しになっている。
毛髪は頭部の中央付近まで焼失し、出目金みたいに突き出た眼球は窪みにかろうじて引っ掛かっている有様だ。
自ら炎に顔面を突っ込み、何十分、何時間と焼き続けた。
そう言われたら迷いなく信じてしまうほどに醜悪な顔だった。

「来るな、来ないでく……あっ? ああっ!」

いつの間に距離を詰められていたのか。
俺のすぐ目の前に男はいた。
彼は比較的きれいな右手で俺の顎を思いっきり掴むと、力の限り締め上げてきた。

「うっ……痛ッ……!」
「……」

男はどこまでも無言。
代わりにぎょろんとした両目を見開き、俺を睨みつけている。
やがて空いている左手が動き出す。
それは見る者の恐怖を煽るように上下左右へと無駄な運動を繰り返した後、勢いよく俺の右目に突き立てられた。

「ぁ、やめ……」
「……」

抉られている。
眼球をぐりぐりと穿られている。
網膜の付け根をコツコツとノックされている。
そんな気持ち悪い感覚がして、でもどういうわけか不思議と痛みは感じなくて、もう気が狂いそうだった。

「……」
「ぅ……」

どれくらい経っただろうか。
男は俺を甚振るのに飽きたらしく、ずるりと左手を引き抜くと次いで右手を解放した。
――――チャンスだ。
逃げるか?
いいや、反撃だ。
とにかく即行動だ。
頭ではそんなカッコいいことを考えているのに、現実の俺の体は下を向いたまま縮こまってしまっている。
当然だ。
あんな拷問にも等しい暴力に晒された直後に平気で動けるわけがない。
うぅ、今も至近距離から覗き込まれている。
頼むからどこかに消えてくれ。

「かお、みろ」

男が何事か呟く。
やめろ、聞きたくない。

「こっち、みろ」
「嫌だ! 消えろ! お前の顔なんか見たくない!」

そう言った途端、男がすっと立ち上がる気配がした。
また何かされるのではと不安になり、ほんの僅かに顔を上げて様子を窺う。
男は崩れかけた両目をギョロギョロと動かし、何かを探しているようだった。
そして一層激しく燃え上がっている箇所に目を付けたかと思うと急に駆け出し、そのまま炎の中へと身投げした。
その理解不能な奇行に俺が呆然としている間にも彼の全身は炎に包まれていき、苦痛ゆえか陸に上げられた魚のごとく散々のたうちまわった挙句、ぴくりとも動かなくなった。

「……死んだのか?」

まるで動く気配のない男の生死を確認するべく恐る恐る接近を図る。
瞳孔は……よし、完全に開き切っている。
不謹慎だとは思うが、ひどい目に遭わされた身としちゃ安堵せずにはいられない。
それにしても一体何がしたかったんだ、こいつは。
開かない右目の分も恨みを込めて、睨みつけるように観察してやる。
といっても顔はグロくて見られないから首から下をじっくり、と……?

「……女?」

その体には胸があった。
その上、丸みを帯びている。

「……」

ふと嫌な予感に囚われ、火傷も厭わず炎の中から彼女の肉体を引き摺り出す。

「……ない。ない、ない、ない。そんな……そんなはずは……だとしたら俺は……」

果たして予感は的中した。
彼女の首筋に、魔女の口づけはなかった。

「信じはしない……きっと死んだら消えるんだ。そうに決まってる……」

一縷の望みをかけて他の遺体の首筋を次々と確認していく。
結果、位置に多少のばらつきはあるものの、だいたい後ろ髪の生え際辺りに魔女の口づけらしき黒い刺青があることを確認できた。
それも全ての遺体に。

「……なんでだ」

もはや誤魔化すことはできない。
彼女は初めから正気だったのだ。
いや、正確には顔を焼いた時点で理性を取り戻したのだろう。
変わり果てた己の素顔に絶望し、立ったまま死を待ち望んでいたところに俺が来て、それで。
……それで、彼女は俺に期待をかけたんだ。
もしも、この少年が自分を受け入れてくれたならそのときは……。
だが、俺は怯え、震え、彼女を拒絶した。
彼女は怒り、嘆き、そして自ら命を断った。
ああ、なんだこれは。
なんなんだ一体。

「なんでだ! 俺が何をした!? 彼女が何をした!? どうして俺は……!」

手を差し伸べることができなかったのか。
決まっている。
あのとき見殺しにしようとした分が今回ツケとして返ってきた。
つまりはそういうことなのだ。

「……志筑、探さないと」

それでも。
いくら喚いたところで過去は変わらないし、事実は動かない。
今やるべきことは志筑仁美を生かし連れ帰ること。
今このときだけはそれさえ考えて動けばいい。
さあ、行こう。


****


「中沢が中に入ってからもう二十分か……くそっ!」
「神様……私、なんでもします。死んじゃってもいい。だからどうか二人を……」
「くそっ、くそっ、大馬鹿野郎が! なんで戻ってこねえん……! おい! 鹿目! 鹿目! 見ろ!」
「えっ? あ……あぁ! 中沢くん! それに仁美ちゃんも!」
「やりやがった! あいつ本当にやりやがったぞ! ははっ……! やった! やったぞ!」

んだよ、うるせーな。
コインを辿り、窓のところまで戻ると何やら外が騒がしい。
お子様たちは何をそんなに興奮していらっしゃるんですかねぇ。

「おい、お前ら。騒いでないで志筑のこと外に出すの手伝ってくれ。こっちは疲れてんだよ」
「あ、ああ。すまん。よっこいせっと!」
「ふいーっ、これで文字通り肩の荷が下りたぜ。ほっと」

男子生徒に志筑を引き上げてもらった後、自分も工場から脱出する。
うむ、娑婆の空気はやっぱりうまい。

「中沢くん! 中沢くんだ! 本当に約束守ってくれた!」
「当然だろ? 約束は守るもんだ。特に、可愛い女の子との約束はな」
「いや、マジすげーよ。お前はめちゃくちゃすげーやつだよ。ヒーローってマジでいるんだな」
「よいしょしたって何も出ねえぞ。それより救急と消防はまだなのか? 俺はともかく志筑は中でぶっ倒れてたからな。純酸素だけじゃ不安なんだよ」
「どうだろうな……あっ、待て。なんかサイレン聞こえてこないか?」

ん、確かに聞こえる。
これは近づいてくる方のドップラー効果だな。
平日の昼間からこんな山中までお仕事ご苦労様ですってか。

「……あれ? 中沢くん、その目どうしたの?」
「目? どうもしないよ? 煙の粒子が入ったからハンカチで押さえてるだけ」
「そっか、よかった……泣いた痕があるからケガでもしたのかなって心配しちゃった」
「……志筑が助かって嬉しいんだよ。悲しいことなんて、何もなかった」

そうだ。
俺に哀しむ資格はない。
だが、やるべきことならある。
一般人にとっては魔女も魔獣も等しく脅威。
変えるべきはここではない。
真に変えるべきなのは……それは……。

「俺、考えたんだけどさ。学校に帰ったら、みんなにパトロールを呼びかけようと思うんだ。もう二度と、こんなことが起こらないように」
「うん! 私も協力する! それで中沢くんやマミさんみたいに困ってる人を助けるんだ!」
「おお、やる気満々だ。ま、がんばんなさいよ」

まあ、まずは病院に行くことが先だがな。
アドレナリン切れたら目めっちゃ痛くなってきたわ。
いや、ほんと痛い。
マジ死にそう。
救急車早く来てくれー!


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