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No.32355の一覧
[0] 【習作】こーかくのれぎおす(鋼殻のレギオス)[天地](2012/03/31 12:04)
[1] いっこめ[天地](2012/03/25 21:48)
[2] にこめ[天地](2012/05/03 22:13)
[3] さんこめ[天地](2012/05/03 22:14)
[4] よんこめ[天地](2012/04/20 20:14)
[5] ごこめ[天地](2012/04/24 21:55)
[6] ろっこめ[天地](2012/05/16 19:35)
[7] ななこめ[天地](2012/05/12 21:13)
[8] はっこめ[天地](2012/05/19 21:08)
[9] きゅうこめ[天地](2012/05/27 19:44)
[10] じゅっこめ[天地](2012/06/02 21:55)
[11] じゅういっこめ[天地](2012/06/09 22:06)
[12] おしまい![天地](2012/06/09 22:19)
[13] あなざー・労働戦士レイフォン奮闘記[天地](2012/06/18 02:06)
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[32355] きゅうこめ
Name: 天地◆615c4b38 ID:b656da1e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/05/27 19:44
 父は、偉大な人間であった。リーフェイスが自分の最も誇るものを一つあげろと言われれば、間違いなく父を上げる程に。
 最年少の天剣。早熟の天才。父を指す言葉はいくつもあった。どれもが正解であり、どれもが正しくはない。リーフェイスはそう思っている。
 レイフォン・アルセイフ――それが父の名だ。親子とは本来ファミリーネームが同じらしいが、彼女と父はなぜか違った。だが、その程度はどうでも良い事だ。彼女はレイフォンの娘であり、彼はリーフェイスの父である。もっとも重要な部分であるそこが変わるわけではない。
 毎日が最高の日々だった。陰りなど全くない、本当に最高の日々だった。
 そんな日々は、長く続かなかったが。
 ある日、突然発覚する事実。父が裏試合なるものに出場していたという話だ。リーフェイスにはよく分からないが、それは悪いことらしい。
 皆がレイフォンを非難した。腹が立ちはしたが、それ自体は仕方が無いと思っている。悪いことをしたら、怒られるのは当然なのだ。リーフェイスも、黙って包丁を持って凄く怒られた経験がある。
 自分が浅はかだったと知るのは、それからすぐだった。
 誰もがレイフォンを非難する。様子がおかしい。皆怒っているのではなく、憎み、非難しているのだから。おかしいではないか、なんでいつものように諭す事をしないのだ。全く理解できない皆の態度に、少女は次第に会話をしなくなっていった。
 それかからすぐに、リーフェイスは真実を知った。レイフォンは、闇試合でお金を稼ぎ、天剣の名誉を穢したのだと。リーリンから、半ば無理矢理聞き出した。そして、現実を思い知った。
 おかしい。リーフェイスには、そうとしか思えなかった。なぜ、皆がレイフォンを批難するのか、全く理解できない。だってそのお金は――自分たちがご飯を食べるためのものだったのだから。
 皆はご飯を食べていたはずだ。笑って食べていたはずだ。そして、レイフォンに感謝していたのだ。皆言っていたのに。レイフォン、ありがとう。お前のおかげで今年もなんとか凌げるよ。でも、あまり無理をしないでね。体をこわしたら元も子もないぞ。お前が元気でいてくれるのが一番だ。皆が、そう言っていたはずなのに。
 おかしいではないか。なんでいきなり掌を返すのだ。父は今も昔も変わりなく――皆のために、戦い続けていたのに。
 悲しみは、容易く不信感に変わっていく。仲間を、家族を、兄弟を、昨日までのようにそうだと思えなくなった。彼らは裏切り者だ。少なくともリーフェイスにとっては、許されざる裏切り者だった。
 それでも、信じる者はいた。リーリンとデルクだ。レイフォンに一番近い兄弟と、父の父。この二人ならば、理解してくれる。そう思ったのに。

「恥さらし」

 それが、デルクが、レイフォンに、向けて、言った、言葉だ。
 信じられなかった。彼女にとって、デルクは父よりも慈愛に満ちあふれていた人間だと言うのに。しかも、そんな言葉を。あろう事か、レイフォンに向けて言ったのだ。
 言ったのだ! 家のために稼いでいたのは父だ! 皆が穏やかに生活できたのも父のおかげだ! なのに、あいつは言った! 何もしなかったくせに! 父に頼るだけだったくせに! 自分のことを棚に上げて、奴は批難したのだ!
 その日から……リーフェイスは誰ともしゃべらなくなった。例外は父と師匠のみ。リーリンも、皆と上手くやっている姿を見ると、誤魔化してるだけに思えたからだ。
 リーフェイス・エクステの家族は父ただ一人。それ以外は全て――敵。そう、グレンダンはもはや、彼女にとって敵の巣窟だった。
 ここは地獄だ。父と、自分にとっての地獄。
 父の追放が決定したのは、いつだったか。彼女は覚えていないが、それでいいと思っていた。むしろせいせいするとさえ思っていたのだが。それは、父が自分を置いていくつもりだと知るまでだった。嫌だ、絶対に離れたくない、こんな所にはもう居たくない。大好きな父と離れたくないと、悲しみに暮れていた。
 そんな時だ。一人の敵が現れたのが。

「あなたがリーフェイス・エクステちゃん? わたしはシノーラって言うの。よろしくね」

 なれなれしく話してくる、変な女だった。なぜか、絶対に好きになれないと確信できる、嫌な女だった。
 いつものように衝剄で吹き飛ばしてやろう。父を批難した奴を、少しでも痛めつけてやるのだ。そう思って剄を集中したのだが、女は慌てて言葉を続けた。

「待って待って! あなたレイフォンについて行きたいんでしょ? わたしなら、一緒に行けるようにできるわよ」

 一緒に行ける――その言葉さえなければ、リーフェイスは剄を放っていただろう。悪魔の誘惑だった。思わず敵の言葉に、耳を傾けてしまうほどに。
 長く悩んだが、結局リーフェイスは話を聞くことにした。藁をも掴む心地で、話を聞いて。その作戦の成功率がどれほどのものか、彼女には判断がつかなかった。だが、他に頼れる者はいない。唯一味方と言っていい師匠は、彼女がグレンダンを出るのに大反対しているのだ。
 結局、差し出された手を取ることにした。これに失敗したら、もう死んでしまおう。そこまで考えて。

「ごめんね、リーフィちゃん。あなたがグレンダンにいるのは、この都市の為にも、あなた自身のためにもならないのよ。……本当に、わたしのせいで……ごめんなさい」

 それが、シノーラと名乗った女の最後の台詞だった。だが、それをリーフェイスはもう覚えていない。無事父について行く事ができると、少々の感謝の後に存在すら忘れたくらいだ。
 ツェルニまでの旅と、都市に付いてからの日々は本当に楽しかった。やはり、あそこがおかしかったのだ。そう確信できる日々。
 しかし、ここにも敵は居たのだ。ニーナという敵だ。こいつはあろう事か、最初は味方のような顔をして近づいてきた、悪魔のような奴だった。
 感情のままに怒り狂い、走り出して、やがて汚染獣の襲撃があるのだと知る。その程度で動揺はしない。グレンダンでは日常茶飯事だったのだから。それどころか、彼女はチャンスだとさえ思ったのだ。
 父は強くて正しい。誰よりもだ。自分が汚染獣を倒して、それを証明するのだ。
 それが正しいことなのかなど、彼女はそもそも考えてもいない。機会が来た、それだけで十分だった。とにかく、何かをしなければ、証明をしなければ。狂ってしまいそうだ。
 師から貰った錬金鋼を片手に、彼女は走り出した。目指すのは近くで一番背の高い建物、鐘楼である。
 その後を一枚、金属の花弁が追っている事には気づかずに。



□□□■■■□□□■■■



 その部屋にいる者の中で顔色がよい者は、一人もいなかった。誰もが緊張と集まる情報に恐怖しており、特に中央に陣取った者達にはそれが顕著だ。
 外縁部より幾ばくか離れた、堅牢な塔。分厚い金属と人工石に囲まれ、窓を覗けば戦場を一別できる。普段は掃除と整備以外に立ち寄る者がいないそこに、今は幾人もの人が詰めている。対汚染獣の司令塔として建造されたそこは、ここ以外にもあと三カ所に存在した。
 できれば、使う機会などなければ良かったのだが。そう考えずには居られなかったが、すぐにその思考も排除する。今はそんな余計なことを考えている余裕など無いと、カリアンはかぶりを振った。

「三、四区画はどうなっている?」
「防衛ラインは突破されていません。ですが、汚染獣の数も減っていません」

 武芸長であるヴァンゼの問いかけに、一人の念威繰者が答える。帰ってきた言葉は予想通りであり、ヴァンゼもカリアンも苦い顔をした。
 何か対策を立てなければ不味いのは分かっている。だが、具体的にどうすれば汚染獣を倒せるか、全く分からなかった。第一、手札は殆ど切ってしまっている。手元の札には、もう僅かな予備兵力しか残っていないのだ。それを切れば、一時的に押し返せはするだろう。そしてその後に、息切れを起こして負けるのだ。
 都震が起きてから約一時間、汚染獣襲撃から四十分弱が経過しようとしていた。それまでの間に、一度として心の軽くなる報告を受けていない。つまり、ほんの一瞬でも優位に立てていない事の証明だった。ツェルニの武芸者が強いなど、そんな都合の良いことを夢想していたわけではない。だが、この弱さは予想以上だった。
 予想以上と言うのであれば、汚染獣の強さもであった。
 単純な戦力であれば大した事はないのだろう。事実、剄羅砲で打ち落とすのにさほど苦労はしていないし、足止めにも成功している。だが、あの防御力は想像の遙かに上を行っていた。小隊長クラスですら、正面から打ち崩せないのだ。ましてや一般武芸者では、圧殺されるのが落ちである。それでも囲めばどうにでもなるのだが、物量がそれをさせてくれなかった。
 足を止めてもとどめを刺す前に次が来る。第一、殺しきるには多量の剄が必要だ。そんなものを一々生成していたら、あっという間に力尽きる。だから追い返すだけで終わらせるのだが、それでは敵の数が減らない。
 それ以外にも、まだ問題はある。

「戦場は広がっていないかい? あと五区画あたりが突出してる。挟まれないうちに下げてくれ」
「はい、あ、そのっ……」

 重晶錬金鋼を持った武芸者が、混乱しながら念威を飛ばす。その姿に、思わず舌打ちしそうになった。
 情報が上手く集まらず、また伝わらない。今いる念威繰者は、能力が低いのもさることながら、経験がなさ過ぎた。ただでさえカバーできる範囲が狭い上に、武芸大会の狭い戦場に慣れすぎている。はっきり言ってしまうと、全く役に立たなかった。居ないよりはマシという程度である。
 汚染獣が攻め込んできているのは、足を踏み出した面のみ。外周の約四割程度でとどまっている。だからこそ、満足な防衛ラインがぎりぎり機能しているのだ。しかし、これ以上戦場が広がれば、防衛網を縫う者が出てくるだろう。
 何でも無い風を装うカリアン。指揮官が動揺をしては士気に関わるから。だが、内心は荒れ狂い、握る手に指が食い込んでいた。こんな時に、妹の才能があれば。そう思わずに居られない。フェリであれば、ツェルニ全域を鼻歌交じりにカバーする事が出来るのに。

「カリアン……!」

 ヴァンゼが誰にも聞こえぬ押し殺した声で、しかし強い怒りを混ぜながら。

「試合に不真面目なのはまだいい。だが、この緊急時に全く協力をしませんじゃ話にならんぞ!」
「分かってる、わたしの責任だ。だから追求は後にしてくれ。それとも今言おうかい? 戦っている武芸者をそっちのけにして」

 彼の眼力を押し返しながら、嫌みも混ぜて言う。自分が冷静でない自覚はあったのだろう、ヴァンゼはすぐに黙った。顔は納得していない、と語ってはいたが。
 レイフォン・アルセイフとフェリ・ロス。カリアンが無理矢理武芸科に入れた二人は、未だ戦場にすら現れていなかった。妹の方は完全に消息不明。レイフォンも、ニーナから娘を探しに行ったと報告だけは受けたが。たとえ見つかったとして、協力してくれるか怪しい者だ。
 いや、正直に言うべきだろう。彼がツェルニを見殺しにする可能性は、悲しいほどに高い。カリアンのせいで。彼の本音を引っ張るために仕込んだ爆弾は、最悪のタイミングで起爆した。
 本当の切り札は使用不能。敵を倒せる見込みもない。味方の消耗限界も、予想より遙かに早いだろう。

(何か……何か手札が!)

 せめて、二人の内どちらかが見つかれば。どんな手段を使っても説得して、力になって貰うのに。決め手がないまま、ツェルニが一瞬でも早く復旧し、逃げ切ることを願った。
 その願いが届いたかどうかは分からないが。ただ現実として、それは起こった。

「えっ!?」

 突如、念威繰者の一人が声を上げる。

「どうした?」

 何か異常事態があったのか――そんな意図を込めてヴァンゼが問う。
 部屋中の注目を集めた念威繰者。早く答えねばと焦っているが、しかしそれは、まともな言葉にならなかった。

「いや、でも……こんな事はありえない!」
「君は見たままを報告すればいい。それを判断するのは我々だ」

 戸惑うばかりの男を、子供を諭すように落ち着かせるカリアン。それでもしばらく口ごもっていたが、やがて恐る恐ると口を開いた。

「汚染獣の生体反応が、次々に消えていきます。一度に数体から十数体、空を飛んでいる個体がです……あ、また!」
「何を馬鹿な……!」

 一歩踏み出し、怒鳴ろうとするヴァンゼ。その前に、手が差し出される。カリアンのものだ。
 室内の誰もがその言葉を信じていない。呆れるか、怒りを露わにするか。どちらにしろ、念威繰者の男を侮蔑していた。ツェルニのどこを探してもそんな戦力がないのは、この場にいる者達が一番知っているのだ。狂ったか、もしくは下らない嘘か。そんな風に思われていたし、言った本人すらそう思われると考えていた。
 しかし、一人だけ違う反応を見せた者がいる。カリアンだ。

「君は第一区画から第四区画までが担当だったね?」

 問われた男は、ぽかんと口を開けていた。いや、カリアン以外の全員が、彼を見ながら惚けている。
 反応の鈍い男に、カリアンは視線を鋭くする。男はそれに気づいて、慌てて頷いた。

「お、おいカリアン?」
「ヴァンゼ、いいから君も来るんだ」

 戸惑うヴァンゼにそれだけ残して、カリアンは窓際に寄った。殆ど身を乗り出すようにして、そちらの方を見る。追いついたヴァンゼも同じ体勢になったが、しかし真剣な風には見えない。こんな下らないことをする暇があるなら、もっと他にやるべき事がある。態度がそう語っていた。
 どれほども時間が経たない内に、闇夜を切り裂くような閃光が走った。無軌道なものではない、都市から汚染獣に向けて、真っ直ぐに。建物に遮られて殆ど見えなかったが、しかし確かにそれは存在した。

「反応は?」
「は?」
「汚染獣の反応は消えたかと聞いているんだ! しかりせんか!」
「は、はいっ! たった今、八の反応が消えました!」

 怒鳴りつけられてやっと再起動した男は、すぐに活動を再開。報告は、両者が期待した通りのものだった。
 また、閃光が走る。今度は汚染獣にあたりをつけていたためか、割としっかりその光景を見ることができた。光の筋に触れた数体の幼生体は、一瞬にして蒸発。体の半分を文字通り消し飛ばされて、固い地面へと墜落した。遠くから観察しただけでも、寒気がするような威力だ。

(だが、あそこにいるのは本当にレイフォン君なのか? ……いや、誰でもいい。この窮地を救ってくれるのならば)

 カリアンの知る限り、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフは剣を主武器として扱っていた。一度だけ見た試合も、接近戦闘が主だったと記憶している。尤も、それは試合向けの戦術だと言ってしまえばそれまでの話だ。実際は彼の戦い方など知らぬに等しく、こういう戦い方をしてもおかしくはない。
 いや、彼で無くとも。たとえ密航者だったとして、今のカリアンに追求する力はないのだ。

「攻撃している者の位置は?」
「あっ! 済みません、今割り出します!」
(何を今更!)

 咄嗟に怒鳴りつけそうになり――それをぎりぎり押さえられたのは、僅かに事態が好転したからだろう。
 フェリ・ロスであれば、言われずとも割り出しを終えている。いや、それ以前に、調べようとするまでもなく把握しているかも知れない。高望みをしている自覚はあった。しかし、それでこの男の鈍さに対する苛立ちが消える訳でもない。

「判明しました。砲撃の位置はおよそ第一区画と第二区画の中間あたり。高度から考えると、候補は六つです」
「それならさほど時間はかからないか……。すぐに念威端子を飛ばし、コンタクトを取れ。ヴァンゼ、連携を前提にした作戦を。上手くすれば、一気に殲滅できる」
「もうしている。交渉は任せていいんだな?」

 彼は、こんな事が出来る者が学生をしている可能性など、全く考えていない。最初から密航者前提での言葉だ。

「ああ。必ず成功させる」

 力強く頷きながら、頭を高速回転させる。レイフォンの可能性、そうではない可能性、どちらでも対処できるように。
 それは、大きな希望だった。ここに来て初めて、明確に勝利する可能性が生まれたのだから、当然だろう。その場の誰もが、それを信じてやまない。
 希望を裏切られたのは、すぐだった。突然――本当に突然、一切の前触れ無く――ツェルニから、光が消えた。
 何が起きたのか、全く分からない。誰一人として例外はなく、その瞬間に動きを止めていた。呼吸から何から――それこそ世界まで制止したと錯覚するほどの唐突さ。ただ漠然とした、思考もままならぬ空間。そこでカリアンは、これはまるで、自分たちの未来を暗示しているように感じた。奈落の底に、引きずり込まれる。それはきっと錯覚ではなく――
 一番早く現実に戻ったのは、ヴァンゼだった。念威端子ごしに響く悲鳴、それを聞いた瞬間、即座に決断。暗闇の恐怖を振り払うように絶叫した。

「全体に告ぐ! 現時刻で第二防衛ラインを破棄、負傷者を保護しつつ下がれ! 剄で目を活性化させろ! これだけ光があるなら、それでも十分戦える!」

 まだだ。ツェルニが滅んだわけでなければ、汚染獣を撃退した訳でもない。何一つ終わってない。声で我を取り戻したカリアンは始めにした事は、窓の外を見る事だった。
 建物の影に隠れて分かりにくいが、光線の狙撃は健在だった。最初から暗い場所に居たからなのか、それとも他に探知方法があるのか。カリアンには分からなかったが、汚染獣にしっかりと命中させている。援護が健在なのに、胸をなで下ろした。そして、すぐに指示を送る。

「砲撃者に送った念威端子を、直ちに機関部に送れ! 同時に第一、第四区画間の剄羅砲の四割を第五区画以降に回すんだ!」

 指示を出した瞬間、ヴァンゼの批難する視線が飛んでくる。だが、それだけだ。
 戦場のどこにも余裕はなく、むしろ等しく追い詰められている。突如の停電による被害は甚大だ。それでも体勢を立て直そうとするのであれば、尤も強い者――つまり砲撃を繰り返す武芸者――の負担を増やすしかないのだ。一言で言って、恐ろしい賭だ。誰とも知れぬ者に、事前連絡も無く汚染獣の多くを押しつけるのだから。だからこそヴァンゼはカリアンを批難し、しかし何も言えなかったのだ。それ以外に方法がないのだと、カリアン以上に理解しているから。

『こちら機関部! 本部、応答願います!』
「こちら本部だ、なぜ電源が止まっているのだ! 復旧はいつになる!」

 つながった通信に、カリアンは咄嗟に絶叫する。もはや取り繕う余裕すら失っていた。

『都震の際にぶつけた底部の一部が披露限界を迎えていました! そこを汚染獣に突破され、内部に侵入、動力部の一部を破壊されました! 動力部が爆発した際に汚染獣は外に逃げましたが、機関は停止、現在開いた穴を発泡剤で塞いでいる所です!』

 ぞわりと、全身を寒気が包んだ。凍り付いたかのように、体が動かない。カリアンだけではない、その場に居る全員が、強く緊張していた。
 体が震える。それは指先も、今から言葉を発しようとする口もだ。もう何も聞きたくない。凶報は沢山だ。だが、聞かないわけにはいかなかった。カリアン・ロスは生徒会長であり――他の何を裏切っても、それだけは裏切れない。

「無理矢理でもいい、動力を動かすのにどれだけ時間がかかる!」
『無茶だ!』

 悲鳴が上がる。言葉を取り繕うことさえ忘れて。

『こっちは消火で精一杯だ! まだ被害状況すら把握していない! いや、それ以前に汚染物質がかなり紛れ込んでて、動けなくなった者も多いんだ! 少なくとも、半日は必要になる!』
「そうか……無茶を言った。きついとは思うが……引き続き、作業を続行してくれ」

 絞り出した言葉には、もう力を入れることさえできない。ねぎらいの言葉を入れられたのは、最後まで生徒会長であろうとしたからだろう。気休め以下でしかないそれは、嘆きのようにも聞こえた。
 絶望がその場を支配する。
 汚染獣。人類の天敵。世界の支配者。その力は、世界を制するに相応しいものだと、身をもって体験した。生き残るならば、逃げるべきだ。誰もそれを否定しないだろう。汚染獣を殺すと息巻いていた武芸者でさえ、その意見に反対する者は居まい。それほどまでに、ツェルニは追い詰められていると言うのに。電気がなければ、剄羅砲を動かすのすら手動で行わなければならない。
 幸い、と言っていいのか。エアフィルターに直結してある小型の予備動力だけは、正常に機能している様だったが。そんなものは、死までの時間を僅かに長くしたけかも知れない。もしかしたら――エアフィルターが止まってしまった方が、楽に死ねたのか。そんな考えさえ、浮かんできた。
 カリアンは倒れ込むように、椅子に座り込んだ。机に肘をつき、指を組む。それは開き直りか諦めか、どちらだろうか。彼自身が、その答えを求めていた。

「諸君。我々が生き残るには、汚染獣を殺し尽くす以外に手段がなくなった。各自……尽力してくれ」

 それは、一言で言って。
 死の宣告だった。



□□□■■■□□□■■■



 レイフォンがそこにたどり着いた時、そこは地獄のようだった。
 地面にシートを引いただけの場所に、幾人もの人間が寝かせられている。誰もが軽くない負傷をしているようで、か細いうめき声が充満していた。さらにその周囲を、救護班らしき人間がかけずり回っている。手を尽くしている様子だが、資材が足りないのか難航しているようだった。
 哀れだとは思うが、それを気にしている余裕はない。すぐに意識から切り離し、周囲を見回した。
 これだけ大規模な戦争であれば、必ずどこかに中継拠点があるはずだ。が、見つからない。そう言えば、と思い出す。上から見たときに比べて、戦線は大分後退していた。戦場に近くなりすぎ、余波を受けかねなくなったから放棄したのだろう。
 一足で野戦病院を飛び越えて、近くの建物に近づいた。それはボロ小屋だったが、外には中に入っていたらしきものが山のように詰んである。中からはひっきりなしに響く怒号と、念威端子独特の音波。
 臨時拠点を見つけたレイフォンは、さらに周囲を探った。余裕のなさに焦りながら見回すが、幸いなことに目的のものはすぐに見つかってくれた。濡れた肌で夜の寒さを知りながら、声を上げた。

「ハーレイ先輩!」
「もしかしてレイフォン君!? 君は今まで一体何をやってたの!」

 レイフォンを確認した瞬間、ハーレイの鋭い視線が飛んできた。当たり前だ、戦うための武芸者が、戦闘を放棄して今更現れたのだから。
 浴びせられる非難を、しかしレイフォンは受け流した。言い訳のしようがない、というのもある。しかしそれ以上に、こんな事に割く時間などないと言う方が大きい。
 剣帯に納められた錬金鋼を引き抜き、ハーレイに差し出す。彼の顔が大きく引きつった。

「すみません、安全装置の解除をお願いします。それと……」
「無理だ!」

 絶叫するハーレイの顔には、悲壮ささえあった。

「錬金鋼を調整するには大電力がいる! 今のツェルニに、それを賄える電力なんてどこにもありはしない!」

 今度は、レイフォンが顔を引きつらせる番だった。錬金鋼に新たな設定を入れるどころの話ではない。今持っている錬金鋼では、汚染獣より遙かに脆い人間すら殺傷できないのだ。
 錬金鋼は通常時、全能力の四割が遮断されるよう設定されている。元々人より遙かに頑丈な汚染獣を倒すための道具。出力を十全に通せば、たとえ剄の量が少ない者でも軽く人を殺せてしまうのだ。四割と言う数字は、悪意を持って使わなければ人を殺しはしないだろうと見込まれての数字である。この上で、刃物は刃引きをし、打撃武器は剄の出力をさらに下げる調整を行う。つまり、レイフォンの持っている剣は、四割も力がカットされる切れない剣なのだ。ただでさえ全力が出せないというのに。
 問題はそれだけではない。錬金鋼の調整ができないと言うのは、それだけ武器の破損率を上げると言う事だ。武器は使えば疲労が蓄積し、限界を超えれば破損する。しかし、錬金鋼は調整することで、疲労を全体に拡散する事が可能なのだ。時間をかけて調整すれば、疲労そのものをなくすことも出来る。しかし、電気がなければ最低限の調整すらできないのだ。
 錬金鋼と言うのは、その殆どが刃物である。当然と言えば当然の話だ。遠距離武器を除けば、鋭い道具というのは、殺傷兵器として非常に優秀なのだから。幼生体の外郭は堅く、錬金鋼で切るだけでは破れない。が、それでも貫く可能性は打撃武器より遙かに高いのだ。その代わり、衝撃を刃の面が集中して受けるだけ、疲労が早い。
 ツェルニの学生は、衝剄を上手く活用して、武器を壊さずに戦うことなど出来ないだろう。武芸者など、錬金鋼がなければ普通の人に毛が生えた程度だ。消耗が激しければ、錬金鋼を取り替えざるをえない。戦闘力はがくりと落ちる。時間と共に、汚染獣が都市部まで進入する可能性が高くなってしまう。それは、リーフェイスに危機が及ぶ可能性が高くなる事も示していた。
 この場に錬金鋼を調整する人間がハーレイしかいない理由が分かった。いても意味が無いのだ。

「今ある武器がなくなったら、どう戦うんです?」
「……未調整の錬金鋼で戦って貰うしかない」

 沈痛な面持ちで、宣言される。それは、レイフォンにも未調整錬金鋼で戦場に出るしかないと行っているからだ。
 半ば予想していたとはいえ、くらりと頭が揺れる。未調整錬金鋼とは、最適化前の錬金鋼であり、性能を一言で言えば、悪い。最悪でない程度に、というのがまた嫌らしかった。能力を平均的な数値にしておき、調整すればすぐに使えるようにしてある錬金鋼。間違っても、そのまま使うようなものではない。
 剄の通り、変換、放出も。当然剣そのものの使い心地も、全てに違和感があるだろう。

(今の剣を使うか?)

 一瞬迷った。次の瞬間には、迷ったこと自体が馬鹿馬鹿しくなる。剄を四割も封じられるならば、まだ使い慣れない方がマシだ。
 しかし、これでは広域攻撃の手段がない。鋼糸は使えず、剣にはそんな冗談みたいな技はない。いや、ないとは言わないが錬金鋼が耐えられない。他に、せめて遠距離攻撃専用の武器があれば――ふとした思いつき。無い物ねだりの延長で思いついただけだが、考慮する時間も惜しい。使えなければ捨てればいいと、すぐにそれを採用した。

「先輩、剣の他に、銃もお願いします。なるべく高出力で、連射ができるものを」
「銃って、そんなもの使えるの?」
「使った事なんてありませんよ! でもないよりましでしょう!」

 絶叫するレイフォン。こんな問答で潰していい時間など、一秒もありはしない。その必死さに驚いたハーレイは、すぐに駆けだした。
 戻ってきたハーレイは、胸に抱えた錬金鋼を地面に転がす。重い音を立てて落ちたそれを見て、まず思ったのは大きいという感想だった。

「こっちの剣は、君のものとなるべく似た長さと重さのものを選んだ。さすがに重心まではどうしようもないけど、それは我慢して。銃の方は……正直かなり重いけど、その代わり連射性と威力は約束するよ。扱いにくいって言うなら、小型で連射性が高いものも用意してある」

 置かれたのは、先のものよりかなり小型な銃だった。銃よりも砲と言った方が正しそうな前者と比べて、全長は半分ほど。小回りも利きそうであり、便利性を追求したタイプの銃なのだろう。その武器は、確かにいいものではある。だが、ハーレイは腕利きの錬金鋼技師ではあっても、戦闘技能者ではなかった。接近戦まで考慮された武器は、今は必要ない。
 レイフォンは大型の銃を取った。確かに重いが、脇を締めて体に密着させれば、剣を振る邪魔にはならない。重量も、彼の活剄であれば十分カバーできる。

「使い方は分かる?」
「剄を込めて、引き金を引く。多少軌道を操れても、威力の調整はできない、でしたよね」
「うん、その通りだよ。……君には聞きたいことが沢山ある」

 小型の銃を回収しながら、ハーレイは言った。顔を上げて、視線を合わせてきた。そこにはもう、批難の色はなかった。

「だから、絶対に生きて帰ってきてよ。どれだけ責めたくても、君がいないんじゃ文句の一つも言えない」
「……はい、必ず」

 足に力と剄を込めて、一瞬で消え去るように飛ぶ。戦場までは、数秒で到達できるだろう。
 ハーレイ・サットンは善人だ。レイフォンにどんな事情があろうとも、それは責めない理由にはならない。なのに、彼の目からはわだかまりが感じられなかった。本当に、ただ純粋に。言葉で茶化しながら、無事を祈っていた。なぜ自分の周囲にこんな善人ばかりが集まるのか、嘆きたくなるほどにいい人達だ。
 レイフォンには、自分が碌でもない人間だという自覚があった。さらに手に負えないのが、それを直す気が無いと言う事だ。誰かのための行動であっても、その中身は利己的な方面に寄っている。他者に被害が出ない程度に悪事を働くことを、良しとしてしまうのだ。
 レイフォンの行いで、確かに誰かが救われているだろう。だが、それは同時に多くの人間から見て、許されざる行為でもある。批難されて当然の人間。なのに、それを認めたり、割り切ったりとしてくれる。
 ……余計な考えを振り切るように、頭を振った。今はとりあえず戦おう。どれだけ自己中心的だろうとも、リーフェイスのために。レイフォン・アルセイフはそれでよく、またそれだけでいい。そして、それ以外の選択はできない。
 親になると決めた。それはいびつな関係で、無様な姿を晒す父親。他者から見れば、さぞかし滑稽だろう。それでもいい。どれだけ不自然でも、確かに親子なのだから。子を愛する思いだけは、本物なのだから。
 子の為に、命を賭けぬ親はいない。そして、誇りや名誉を惜しむ親もいない。
 戦場の空域に体が突入した。幾度も触れた空気は、レイフォンに安心感さえ与える。やはり、自分は武芸者なのだろう。自嘲ではなく、それを確認する。
 レイフォンの瞳から、色が消えた。感情の揺らぎは、力を与えるが、同時に油断と隙を産む。不必要なものを排除。いや、感情だけではない。戦闘を行うのに不必要なものは、全て排除した。武器が自分の延長になるのではない、武器こそが自分の本体であり、人はそれを使うための道具。武器とは戦闘兵器、殺戮の具現。ならば武芸者とは、戦闘人形でなければならない。
 圧倒的な剄と技を持つ武芸者は、汚染獣に勝るだろうか。一降りで数百の幼生体を粉砕し、余波で雄性体を塵と化し、雌性体を大地ごと消滅し、老性体を一刀のもとに斬り伏せる。そんな武芸者は、汚染獣より上の存在か。
 答えは否だ。人はどうあがいても、汚染獣に勝ることはできない。
 どれだけ圧倒しようとも、汚染された空気に僅かでも触れれば死に近づく。雄性体の直撃を食らえば、体は容易く砕け散るだろう。幼生体ですら、隙を突かれれば骨まで食い荒らすのは容易い。
 人は脆く、汚染獣は強靱だ。どれだけ強くなろうとも、生命体として劣るという事実は決して覆らない。
 だからこそ、戦場において。命を置く場所で、レイフォン・アルセイフに油断はない。圧倒する力がなかろうとも、ただの一つの失策も許さぬ。それこそが生き残る為の、ただ一つの条件であり。レイフォンが模索し確信した、生き残ることを何よりも重く見たサイハーデン刀争術の極意だった。
 音も意識も、何もかもを置き去りにする、超高速の空間。視界の情報すら遅すぎるような世界に身を置き、最大に広げた感覚を頼りに疾駆する。
 汚染獣も周囲の武芸者も、誰も気づく事すらできない。ただ一人、レイフォンだけが加速した世界の中で、緩慢に動くそれに刃を突き立てた。交差は刹那の内に終わる。影のようにしか見えぬそれは通り抜け、一瞬遅れて汚染獣の上体が弾けるように飛んだ。周囲に体液が飛び散るが、それすらレイフォンには届かない。右手に残る僅かな痺れだけが排除の完遂を教える中、彼は内心で罵った。

(鈍い!)

 未調整の青石錬金鋼剣は、刃引きされたものよりはマシという程度の切れ味だ。調整された剣であれば、切ったものが飛ぶような事はない。
 不満に感情が揺れ、それにまかせて強ばりそうだった体を急いで戻した。起伏の生まれかけた精神を、平坦化するよう努める。焦りは己を殺す、戦場を思い出せ。

(雑な仕事を)

 あまりにも不条理な物言いだと知りながら、錬金科を罵らずにいられなかった。手にした武器は、予想より遙かに違和感が強い。
 未調整の錬金鋼が鈍いのは、責められるような事ではない。錬金鋼事態、調整してから使うことが前提である。ただの金属の塊状態で置かれていても問題ないのだ。汚染獣との戦闘中に、都市の電力が落ちることなど、グレンダンでも想定されていない。だから、彼らに落ち度はない。だが、それで違和感が消えてくれるわけでもない。
 慣れない重心、悪い切れ味、通りの悪い剄。一つ一つであれば耐えられる。だが、全て集まればこれほど扱いにくいとは思わなかった。今まで、普通の錬金鋼に不満を覚えなかったことはない。しかし、これはそれとは全く別次元のものだ。
 立て直す必要がある。問題の一つ、出来れば二つは解決したい。その為の剄技を、膨大な技術の中から検索し、そして一つを選んだ。
 鈍らな剣に、慎重に剄を流し込む。入れすぎれば崩壊する。あくまでそっと、慎重に扱ってやらねばならない。許容量限界まで流し込み、剄はレイフォンの意思に呼応してその形を変えた。
 外力系衝剄が変化、刃鎧。
 本来の使い手、カルヴァーンの様に全身に纏いはしない。刀身それだけを覆うように、半透明の幕が現れた。
 低空を飛翔する幼生体、その下に身を屈めて滑り込む。ただ、その鋭さに任せて通り過ぎただけ。しかし、今度は負担など全くかからなかった。足下を何かが通ったことさえ気づかなかった幼生体は、そのまま着地し――最初からそうであったかのように左右に割れる。体液は暴れもせず、その場で零れ、水たまりを作った。

(よし)

 満足行く能力だ。少なくとも、剣としては。その代償に、常時錬金鋼許容量の二割ほどを閉めるのだが。
 刃鎧よりも切れ味が良い剄技はある。その上で、剄の消費が少ないものも。そもそも、この技は全身に纏い、攻防一体の要塞と化す技だ。使い方が違う。それでもあえてこれを選んだのは、剄を半物質化するという性質があるからだ。物質化すると言う事は、つまり重さが生まれる。重さが生まれるのであれば、その比率を調整すれば、重心の位置も変えられる。
 元よりこの剣で大出力の剄技を扱えるとは思っていない。ならば、優先すべきは慣れた感触の武器だ。
 若干手になじむ剣のためか、レイフォンからさらに情動が消えていく。集中はさらに深まり、戦場全体を見渡せる気さえ起きる。
 細胞の一片にまで剄を浸透させ、爆発的な加速。残像を置き去りにして、さらに近くの汚染獣を切り飛ばした。

「あ――」

 誰かの悲鳴が聞こえた気がした。それは気のせいか、本当に聞こえたのか。意識をそちらに向けると、今正に汚染獣に食われようとしている武芸者に気づけた。
 左手を振り回す。銃口を大ざっぱに向けて、とにかく剄を叩き込み引き金を引いた。慎重に照準など付けはしない。どうせ使い慣れぬ武器、狙ったところでその通りに飛ぶ訳がない。暴力的な剄弾の嵐は、汚染獣の下半身を近くの地面ごと蹂躙した。着弾ごとに地面が爆ぜ、コンクリート片をまき散らす威力。しかしそれでも、幼生体の装甲を潰しただけで、絶命に至らない。
 銃ではよほど上手く当てない限り、幼生体を殺しきれない。しかし、レイフォンにはそれで十分だった。下肢に欠損が生まれれば、得意の突撃は行えない。妨害さえ行えるのであれば、あとはツェルニの武芸者がなんとかしてくれる。今レイフォンが撃った幼生体も、食われようとしていた武芸者にとどめを刺された。
 防衛ライン後部に食い込んだものと、低空を飛ぶもの、それが標的だ。幸いにも、剄羅砲はそこそこの段幕を維持している。上空から強襲しようとしたものは、すぐに落とされていた。
 孤立した武芸者。防衛ラインを抜かせまいと、体を張って止めようとしている。すれ違い様に汚染獣を切り捨て、その遠心力を利用し銃を振る。斜め上に構えて横薙ぎし、強襲する数十発の弾丸。運悪く当たった数体の汚染獣が、足を砕かれて墜落した。

「おい――」

 背後から、自分に向けられる声。誰だ――振り向こうとして、すぐにやめた。今、相手にする余裕はない。
 今すぐ危機がある者はいない。だが、目の前の敵に気を取られて、すぐに危険になりそうな者は沢山居る。間に合うのか――疑問が芽生えた。八歳で始めて戦場に出てから、一度たりとも誰かを守りながら戦った経験が無い。漏れそうになる弱音を、無理矢理否定した。出来なくとも、やらねばならない。
 刃鎧を伸ばし、振り下ろし。横合いから、首の半ばまで食い込ませた。そのまま背中に足を乗せて、地面と水平に低空跳躍。足場にした甲羅は、足の裏から発散した剄の衝撃で砕け散った。
 低空を飛んでいた汚染獣に、体当たりをするように剣を突き出す。刃鎧を展開するのは、先端部のみ。鈍い刃が表皮を砕けば、それがブレーキ代わりになる。剣を相当痛めるが、そんなことは知ったことではない。飛び散る内蔵の飛沫を背にしながら着地。浮いている内に向けていた銃の先端が火花を散らしたのは、それと同時だった。吸い込まれるように三体の汚染獣に向かう弾丸。底部で爆裂を起こし、ひっくり返るように吹き飛んだ。それでも殺し切れていないが、それで十分。あとは誰かが始末してくれる。

「第十七小隊の――」

 またしても、届く声。そして、確かに聞こえた第十七小隊という単語。自分が誰だか特定された――動揺しそうになり――すぐに収まってくれた。
 ばれたって構いはしない。たとえグレンダンでの事情が広まったとしても――そうでないに超したことはないが――剣を納めるつもりはなかった。誰かのためになどという、そんな漠然としたものではなく。ただ一人のために。リーフェイスを守れるのであれば、どうなろうと構わない。
 以前のレイフォンであれば、動揺に手を止めていただろう。今戦える強さをくれたのは、間違いなくフェリとメイシェン。
 なぜだろう――感情の動きが厳禁の戦場であるはずなのに、嬉しさがわき起こる。そして、それをどうしても否定したくなかった。
 次の気配へと銃口を向けて、しかしレイフォンは、引き金を引けなかった。レイフォンと汚染獣を結ぶ線の上に、武芸者がいる。僅かに横にずれているが、それを縫って狙撃するような技術は、レイフォンにはない。まずい、焦りの代わりに、背中に寒い電気が走った。幼生体の腕など、レイフォンであれば問題なく弾ける。だが、人体を破壊するには過剰なほどの威力なのに変わりは無いのだ。それが、目の前の武芸者に向けられている。
 咄嗟に脇を締めて、銃を体に引いた。勢いは体に密着しても衰えず、体を中心に半回転させる。前に出る右腕を構えて、剣を突き出そうとしたのだが。それは止めざるを得なくなった。
 それは回避しようと直前まで足掻いたからか、それとも単純に腰を抜かしたからか。レイフォンが予定していた斜線上に、体を割り込ませてきたのだ。剣内の剄の清流が、混沌と崩れる。予定していた技では、幼生体を殺すのに彼の右肺ごと潰す事になる。荒れる高波と化した剄、しかし、次の瞬間には別の清流へと変化していた。
 未調整錬金鋼とは、深く考えずともまともに剄を扱うものではない。ごくごく基本的な衝剄すらもだ。ましてや、剄での精密射撃など考慮もしないだろう。それが、一般的な武芸者による評価である。しかし、レイフォン・アルセイフは一般的な武芸者の枠に収まらない。
 剄が鈍く言う事を聞かないのも、常時展開している剄技と並列処理するのも、彼にとっては些事。所詮、己が技量で補いきれる程度の事でしかない。
 さらに深く集中する。剣から続く神経、それをさらに太く自分に接続する。世界は揺らめく刀身の延長上にしかない。
 自分こそが剣であり、剣は我の現し身。其れ即ち、己は剄そのものである。振り下ろしていた剣を、僅かに外側に開く。最小の動きかつ最大効率。たったそれだけで、軌道修正は完了していた。そして、漏れ出るように現れた薄刃の衝剄。冗談のように、それこそ紙よりも薄いそれ。しかし、いや、極限まで圧縮されているからこそ、鋼鉄すら苦も無く両断する性能になる。
 飛刃は汚染獣への道よりも、僅かに右にずれていた。しかし、そのおかげで斜線上の武芸者が切り裂かれる事はない。それでは彼の運命、つまり死は変わらないのだが……それは刃がそのまま真っ直ぐ進めばの話だ。
 刃は男を通り過ぎた直後、左へと軌道を変える。それは何の抵抗もなく汚染獣の装甲を浸食し、背後まで一気に抜ける。後に残ったのは、死んだことにすら気づかず割れ落ちる汚染獣と、それを見て腰を抜かした男だけだ。
 剄を刃状にして飛ばすというのは、外力系衝剄の基本技術だ。こればかりはどの流派でも変わりあるまい。むしろこれが基礎でない所はやめた方が良い。自分の体から離れた剄を、一度方向転換させる。これも化錬剄を扱う流派であれば、まず最初に教えられるような技だ。
 一つ一つは基礎の組み合わせでしかない。しかし、それを基礎を極めた者が行えば、ただそれだけで必殺の一撃になる。

「っ……はぁー」

 大きく息を吐く。自信があったとは言え、誰かの命を秤に乗せるというのは、予想したよりも遙かに大きな精神的負担だった。とにかく少しでも心を軽くするために、ため息を吐く。同時に、確信する。
 やはり自分には、誰かと戦線を共にすると言うのは向いていない。同じ天剣とでは一緒に戦ったことはある。だが、あれはそれぞれが干渉し合わぬよう戦ってただけだ。連携とは別の何かだ。実力差がありすぎて、誰かを助ける事にだけ注力させられている。
 まあ、それでもいい。どうせこんなのは今日だけだと、無理矢理自分を納得させる。
 周囲の気配は、もう弱々しいものしかない。これで、この場の戦線は立て直せるだろう。既に、ここにいる意義はなくなっていた。
 足に剄を貯めて、一気に加速しようとした時だ。指揮官らしき男が、大声で言ってくる。

「すまん、恩に着る!」

 投げかけられた言葉に、どう答えて良いかすら分からず。
 一別だけを返して、次の戦場へと身を躍らせた。


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