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No.32355の一覧
[0] 【習作】こーかくのれぎおす(鋼殻のレギオス)[天地](2012/03/31 12:04)
[1] いっこめ[天地](2012/03/25 21:48)
[2] にこめ[天地](2012/05/03 22:13)
[3] さんこめ[天地](2012/05/03 22:14)
[4] よんこめ[天地](2012/04/20 20:14)
[5] ごこめ[天地](2012/04/24 21:55)
[6] ろっこめ[天地](2012/05/16 19:35)
[7] ななこめ[天地](2012/05/12 21:13)
[8] はっこめ[天地](2012/05/19 21:08)
[9] きゅうこめ[天地](2012/05/27 19:44)
[10] じゅっこめ[天地](2012/06/02 21:55)
[11] じゅういっこめ[天地](2012/06/09 22:06)
[12] おしまい![天地](2012/06/09 22:19)
[13] あなざー・労働戦士レイフォン奮闘記[天地](2012/06/18 02:06)
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[32355] はっこめ
Name: 天地◆615c4b38 ID:b656da1e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/05/19 21:08
 お前は今、何を踏みつけている。そう問われて、人はどう行動するだろうか。もしかしたら、律儀に、かつ冗談めかして「地面さ」とでも堪えてやるのかもしれない。ある者は、視線を合わせないように努めながら、その場を歩き去るだろう。もしかしたら、ため息の一つでも残して。そして、レイフォン・アルセイフの場合は、足を上げて足元を確認するだった。何も見つからなければ、困ったような顔をして何も言えなくなる。ガムでもあれば足を床にこすりつけて、取り払おうとするだろう。何か、が見つかれば。それを拾い上げた後、服の袖で丁寧に拭いて、謝りながら返す。つまり、そんな人間だ。
 踏んでしまう事は悪いことではない、とは言わない。気づかずに踏んでしまうのは、悪意がなくとも悪いことだ。だが、仕方の無いことでもある。問題は、それをどんな尺度で判定するかだ。善悪で計るのか、もしくは好悪か。それとも、法か、道徳か。何を基準に計り、どう決着を付ける。
 そう、重要なのは、明確に決着を付けることである。決着とは、すなわち清算だ。人が二人居る以上、どちらも満足して終わるなどと言う事は絶対にないだろう。片方が満足し、片方が不満を残し、そして遺恨が生まれる。それでも、両者手の出せない状況になるのであれば、それは決着と言っていいだろう。あとは――後に問題が起ったとしても、それは別の話だ。
 さて、踏んでしまったという行為に対してであるが。それを指摘されて、踏んだことに気づかない者というのはまず居ないだろう。それと同じように、言われなくとも気づける者と言うのは、まずいない。そして、指摘されないのであれば、やはりそのまま通り過ぎてしまうのだろう。そこに、踏み荒らされた何かを残して。
 つまりは、そういう相手であったのだ。レイフォンにとって、ニーナという女性は。
 少し先で、何かを探している彼女。……いや、とレイフォンは首を振って、取り繕うのをやめる。明らかに、探しているのは自分なのだ。
 服装は厚手のコートを羽織っている。内側は、もしかしたら試合服のままかもしれない。それだけの時間、探し回っていたと言う事か。

「隊長」

 かけずり回っていたその背中に、声をかける。振り向いたニーナは最初、大きく目を見開き――そして次には、無表情になった。ただし、フェリのような無機質なものではない。感情を抑えて爆発させまいと努力をした末でのものだ。
 静かに、と言うには剣呑すぎる雰囲気。しかし最低限の足音以外、一切音を立てずに迫ってくる。
 それを静かに舞っていると、腰のあたりをくいくいと引っ張られた。リーフェイスを見てみると、目を擦りながら眉をしかめていた。

「ぱぱぁー……」
「ん、ごめん。もう少しだけ待ってね」

 背中から抱き寄せると、そのまま腰にもたれかかってくる。日が暮れたと言っても、時間的にはさほど遅くはない。眠いのではなく、疲れたのだろう。
 あやし終えて視線を正面に戻すと、ニーナは眼前にまで迫っていた。振れれば破裂しそうな怒気が、正面から叩きつけられる。

「言いたいことは色々ある。だが、まずは歯を食いしばれ」

 と、それに何か言う前に、レイフォンは歯と歯を強くかみ合わせた。言葉が思いつかなかったのではなく、ニーナの振りかぶった拳が見えたからだ。それでも、避けようとは思わなかった。
 突き刺さる拳。顎が、頭ごと揺れた。脳がぐらりと揺らされて、思わず倒れそうになるが、それだけで済んだ。彼女が放った拳は、およそ武芸者が使うような、技と言えるものではない。足も腰も入れず、ただ手の振りだけで当てる、所用手打ちだ。これが、精一杯の自制の結果なのだろう。
 揺らいだ視界の端に、驚嘆しあたふたしているリーフェイスの姿が映った。突然父が殴られたのだ、さぞや驚嘆しただろう。済まないことをした、心の中で謝罪する。
 口の中で広がった血を飲み込みながら、顔を正面に戻す。

「わたしを侮辱するのはいい。自分でも、未熟である自覚はある。それで侮られると言うのであれば、わたしはそれを甘んじて受け入れ、改善せねばならない」

 瞳を閉じながら、押し殺した声で言う。次第に声は震えていき――いや、声だけではない。握った拳までもが、軋むほど強く握られていた。

「だが、貴様はツェルニの武芸者全員をあざ笑ったのだ! お前にとってはこの程度の事なのかもしれん。だがな、わたし達はそんなことに真剣で、全力だ! お前にはお前の事情があるのだろう。だがな、わたしはどんな事情があろうとも、今回お前がやったことは絶対に許せん!」

 ついに堪えきれなくなった怒気が噴出し、それが怒濤に迫る。血の味がやけに苦く感じた。
 ニーナには――いや、全ての武芸者には。レイフォンの行為は、まるで自分たちを鼻で笑っていたように感じただろう。最初いいようにやられていたのに、後から一瞬で片を付けてしまったのだ。彼女の怒りは当然であり、正当であった。実際、やる気無かったけど勝手に体が動いた、なのだ。程度に変わりは無い。
 つくづく、上手くやれない人間だ。それを痛感してしまう。

「この件はこれで終わりだ。……いや、今度お前には、しっかりと理解はして貰うがな」
「……はい」

 未だ冷めやらぬ怒り。レイフォンは素直に頷いた。

「それと、もう一つ。聞きたいことがある」

 そう切り出したニーナの圧力は。その言葉で一回り大きさを増した。今度のものは、ただの怒りではない。その正体までは分からないが……とにかく、よくないものだった。

「お前が天剣授受者とやらで――グレンダンで何をしたか、だ」

 睨み付けるニーナの視線は、はっきりと暗さが宿っている。不純物の正体が分かった。あれは、侮蔑だ。強い、とても強い嫌悪感が、レイフォンに向けられている。慣れたものだ。有り難くもない。
 レイフォンはそれを聞いて、静かに目を閉じた。動揺しなかった訳ではない、ただこんな時がくるのを、覚悟していただけだ。予想より早かった、それだけの話でしかない。
 同時に、自覚をする。これが普通の反応なのだと、改めて覚えておく。フェリとメイシェン、二人の理解者に恵まれてしまったせいで、忘れそうになっていた事を。自分がやったのは、つまりこう言う事だ、そう焼き付けておかなければ、またやってしまいそうだ。あの二人は、あくまで例外なのだと。
 腰を掴む力が強くなった。リーフェイスの動揺は、レイフォンを遙かに超えていた。寒さに凍えるようにして、頭を擦りつけてくる。つまり、少女は俯いてしまったのだ。ああ――また、そんな顔をさせてしまった。ただそれだけを悔いた。

「それは誰から……って、生徒会長しかいませんね」
「ああ。その通りだ」

 肯定の言葉すらとげとげしい。
 あからさまな悪意に晒されながらも、しかしレイフォンが考えているのは別のことだった。

(何のつもりなんだ? 契約違反をした覚えはない。なら……警告か?)

 まさか、と思いながらも考える。態度こそ消極的に反抗しているかも知れない。だが、最終的には相手の思い通りに進んでいる筈だ。ここで過去をばらされる理由が、全く思い浮かばない。
 メイシェンはレイフォンの過去を知らずとも、受け入れてくれた。フェリは過去を知りながらも、行いを肯定してくれた。だからだろうか、レイフォンには少しの余裕がある。急に積極的になれるわけではない。が、それでも身に覚えのない理不尽に、怒りを覚えるくらいには前向きだ。……それが本当に前向きかは、意見が分かれる所だが。
 彼がカリアンに怒りを覚えるのは間違っていない。だが、それ以上にニーナがレイフォンの行いを嫌悪するのも当然の事だった。
 彼女の目は、確かに怒りを向けている。だが、その中にもまだ疑いがあった。本当はそんなことをしていない、ただの言いがかりだ。ほぼ事実だと思うだけの何かがあったろうに、まだレイフォンを信じているのだ。それが胸に響く。しかも――これから、それを肯定しなければいけないのであれば余計に。

「別に、特別な理由があったという訳でもないんですけどね」

 ため息を一つ吐く。自分に対してだ。だが、ニーナはそう思わなかったらしく、目がさらに鋭くなった。

「お金が必要だったんですよ、どうしても。だから、稼げる方法を選択した。それだけです」

 それも、小遣い程度の額では話にならない。何十人もの子供が食べていけるほどのお金を、用意しなければいけなかった。
 レイフォンは武芸者だ。手っ取り早く大金を得る為に、何を頼る。武芸だ。それしか能が無いのだから。だから、武芸を使って稼いだ。恐ろしくシンプルな結論。それ以上の思考が入り込む余地がないほど、それは正しかった。あの日までは。
 投げやりに飛ばされた言葉に、ニーナは歯を噛みしめた。それこそ、砕けるのではないかと思うほどに。

「事情があるのだろう! それを言え!」
(どうせ許されはしないのに?)

 かみつかんばかりに怒り狂うニーナを、どこか冷めた部分で見る。
 武芸者が実力を証明する場、学内対抗戦。そこで手を抜いたレイフォンを許さなかったように、彼女はまたどんな理由でも許さないだろう。
 彼自身、人が真剣に戦っている場で手を抜いたのは悪いと思っている。闇試合に手を染めたのよりも、遙かにだ。しかし、同時にツェルニの武芸者も悪いと思っているのだ。実力などと言うものは、所詮尺度でしかない。尺度を隠した、それは確かに悪いだろう。言い訳のしようも無い。だが、隠した尺度を見抜けない、その程度の実力しかない武芸者を、誰が悪くないと言える?

(僕は彼女たちを踏みにじった)

 事実だ、寸分の狂い無く。加えて言えば、グレンダンに続いてまた。
 ……本当にそれだけなのだろうか。レイフォン・アルセイフは、いつでも一方的に踏みにじるだけであったか。

(僕の抵抗は……天剣を使って金を稼いだのは、そんなに不当な物だったのか?)

 不満はあった。いつでもだ。それこそ、故郷にいた時も。
 統治できない王家。金策を練れない経営者。増えない食料。約束を守らない契約者。勝てない戦争家。そして、理解しようとしない理解者。
 自分が悪いと言う事など、とっくに理解している。理解させられたのだ。だが、だったらダメなのだろうか。もう沢山だ、そう思うことすら許されないのだろうか。わき上がる感情は、押さえようとしても矛先を定めていく。彼女が悪いわけではない。ニーナばかりが悪いわけではない。ただ、目の前にいるのが今なだけだ。
 昏くわき上がる物が、首元まで迫るのを自覚した。理不尽な怒りであり、理不尽に対する怒りでもあり。やり場のないもの同士が、八つ当たりとして形になろうとしている。
 真正面から捉えた彼女の視線は、とても嫌いなものだった。何度も浴びた、グレンダンの住人のそれ。思わずやめてくれ、と叫びそうになる。ニーナの事を、嫌いたくない。

「僕が孤児院出身なのは知ってるでしょう?」

 問うような言い方をしておいて、しかしレイフォンは答えを待たない。視線すら背けて、溢れるままに続けた。

「だからですよ。とても分かりやすい話だ。都市にプラント異常が起きて食料が足らなくなり、泣いたのは弱い立場の人間……例えば孤児院とか、だった。生きるためには金が要る。だから、稼いだ。それだけだ」

 ニーナがどんな顔をしているか、分からない。気配さえも、努めて探らぬようにした。

「天剣だって、所詮はその為の道具でしかない。闇試合だって、武芸を売り込む場所と相手が違っただけです。天剣って言うとてもいい道具を無くしたのはちょっと惜しいけど……。それだけです」

 それ以上は言うな。理性が警告した。ニーナの雰囲気は、感覚を愚鈍にしてすら伝わってくる。リーフェイスが怯えて、さらに強く抱きついてきた。
 しかし、レイフォンは止まれない。

「とても高く売れましたよ、天剣の栄誉は」
「貴様はぁ!」

 周囲に烈波を叩きつけながら、ニーナが胸ぐらを掴む。レイフォンはされるがままに、しかし冷ややかな視線だけは向けていた。なるべく彼女が嫌いそうなものを、子供らしい意趣返しで。笑ってしまいそうなほど、惨めな仕返しだった。
 それを見ていたかどうかは知らない。ただ、ニーナが勢いのまま怒声をあげたのだけが現実だ。

「ふざけるのもいい加減にしろよ! 武芸者の名誉を……誇りを、一体何だと思っているんだ!」

 言われた瞬間、レイフォンの視界は真っ暗になった。次に、灼熱の様な赤に染まる。色に相応しく、焼けるような熱がまぶたの裏から眼球に伝わった。
 何度も言われたことだ。名誉を失って、天剣を奪われて。王宮の武芸者詰め所でも、町中を歩いているときでも、偶然武芸者にあっても。家族に言われるのは悲しいが、同時にあきらめも付く。だが、街の人間はどうだ?
 お前達が言うのか。
 満足に清潔な服で、栄養の足りた赤らんだ顔で、痩せこけて今にも死にそうでない体で、そう指さした。誰も彼もがそうだ。レイフォンをそうやって後ろ指指して、そして満足そうにする。誰も何も思わない。悪いのは、名誉を穢した者であり、自分たちではない。正しいのだ。
 お前達が、それを言うのか! 食うに足るお前達が!

「ふざけるなぁ!」

 体中に貯まっていた悪意の滞留が、ついにはじけ飛んだ。目の前の女性を、もう仲間だとも隊長だとも認識することは出来なかった。敵だ。悪意を叩きつけるべき、敵だ。
 この感情が不条理であることなど、分かってる。それでも止められない。なぜならば、レイフォンに向けられたそれも、また不条理だったのだから。ニーナにそれを言うのは間違いだ、それも分かっている。彼女は、あの時レイフォンを責めた人間ではない。しかし、どうしようもないまでの高潔さが――汚れのない純白さは、泥を啜った者にとって、憎さしか感じられない。
 掴まれた胸ぐらを、力の限りたたき落とした。強い力で握られていたそれは、しかしあっさりと離れる。正面には、驚嘆した表情のニーナがいた。いい気味だ――レイフォンの中に潜む何かが、そう言った。

「誇りや名誉、そんなものが食べ物をくれるのか! 明日まで生かしてくれるのか! 僕たちに必要だったのはプライドじゃない、生きていけるだけの食料だった! そんなに誇りが大事なら……汚染獣にでも唱えてろ!」
「ならば裏切ってもいいと思っているのか! 今日食べるものにすら困る、確かに苦しいだろう。わたしの体験した事がない苦しみだ。だが、それとこれとは話が別だ! お前が犯した罪が無くなる訳ではない!」
「何が悪い……生きるために武芸を使って、何が悪い! 皆もそうだろうが! 生きるために汚染獣と戦った、だから僕も生きるために闇試合に出たんだ! そんなものは、ただの綺麗事だ! 今日に満足できる人間だけが言える言葉だ!」
「っ……お前はぁ! まだそんな事を! ならば他に方法はなかったのか! 間違っていたから、都市を追い出されたんじゃないのか! お前ほどの力があれば、もっと大きな事が出来たはずだろう!? ツェルニで、また同じ事を繰り返すつもりか!」

 その言葉に、レイフォンは怒るよりも早く呆れてしまった。馬鹿な問いだ。つまらない、意味の無いもの。下らない妄想が混ざった、ただの戯言だ。

「僕を、何だと思ってるんです?」
「なに?」

 急に勢いを無くすレイフォン。出た声は、力ないものだった。
 あまりの急変に面食らったニーナが、意味の無い言葉だけを溢す。

「僕はただの人間だ。武芸がちょっと強いこと以外、あなたたちと何も変わりはしない。聖人君子でなければ、武芸者の模範でもない。ただちょっと力が強いだけの子供に、一体何ができる? そんなもの、武芸だけに決まっているだろうが! それしかしてこなかったんだから!」
「それは……」

 まただ。何度目かの既視感。誰もが武芸の才能ばかりを見た。そして、実力に見合った人物像を勝手に構築する。
 それが悪いとは言わない。だが、その勝手に妄想されたレイフォン像で見られた所で、何も出来やしないのだ。想像だけならば勝手にすれば良い。だが、それを元に理想を押しつけられた所で、迷惑なだけだ。
 倦怠感で、膝をつきそうになる。つい先ほどまでは、理解し合おうとしていたのに。何でこんなに食い違うのだ。何でこんなに理解されず、相手を理解できない。

「そんなに武芸者の誇りが大切なら、そうすればいい。僕みたいな、犯罪者風情に頼るな。それで、何かが出来るはずだと思ってやってみればいいでしょう。それで……ツェルニを滅ぼして、思い知ってみればいい!」

 ――余計な一言だ。たとえどんな状態でも、絶対に言ってはいけない言葉。
 ニーナが絶叫した。ツェルニ中に響き渡りそうな、怒りの対流を言葉にする。

「このっ……卑怯者が!」

 それに反応したのは、レイフォンでもニーナでもなかった。
 レイフォンの視界が、突如はじけ飛んだ。すぐに弾けたのは自分ではなく、景色の方だと確認する。もっと言えば、ニーナの頭。
 彼女は一歩下がり、続いて額を押さえる。目を見開いて、全く理解できないという顔。目的を無くし彷徨う視線は、レイフォンの腰のあたりで再び焦点を結んでいた。釣られて、レイフォンも視線で追う。そこにはぼろぼろと泣きながら、しかし怯えた様子をなくして、怒りに己を染め上げたリーフェイスが。
 ただ睨む。子供の純だが稚拙な憤怒だ。だが、気づくとニーナは、一歩下がっていた。

「うるさいっ! あっちいけばかぁ! こっちくるな、どっかいけ! ばかばかばかぁ!」
「おっ、おい、やめ……っ!」

 リーフェイスは絶叫をしながら、とにかく全力で叫んだ。掴んだものを手当たり次第に投げ飛ばす。それは威圧か、それとも排除か。いや、彼女は何も意識してはいないだろう。ただそこに――どうしても消さなければならないものがある。その思いだけで動いていた。
 普段であれば軽くあしらえる程度の射石。しかし動揺の激しいニーナは、手で顔を覆うのが精一杯だった。

「かえれっ、かえれー! パパはわるくない、わるいのはおまえだ、どっかいけー」
「リーフィ、やめっ、やめないさい!」

 飛び散っていた石礫は、レイフォンが腕を掴むことで終わった。体を拘束されながらもばたばたと暴れて、さらに罵詈雑言を絶やさない。だが、その勢いも次第に減衰していき……やがて言葉もなくし脱力しきった。
 掴んでいた手を離す。リーフェイスはその場でへたり込んだ。涙でぐしゃぐしゃにした顔を、泥の付いた手で無理矢理押さえ込み。さらに地面に突っ伏して、小さく、しかし悲しげな呻きを上げだした。
 呆然としたままのニーナ。レイフォンは……感情をなくしたような虚ろな瞳になっていた。
 まるでそのまま、グレンダンを焼き増したかのような出来事。あの、最後の一年に戻ってしまったかのように、リーフェイスは泣きじゃくった。声を上げることも出来ずに、ただ悔しさを押し殺して、唸り続ける。
 どうしようもなく、後悔がわき上がった。なぜこの場に、リーフェイスを連れてきてしまったのかとういうものではなく。思い浮かんだのはもっと根源的な、なんでこの都市に来てしまったのかという事だ。別に学園都市になんて、無理していかなくてもよかった。傭兵をして、各地を転々として。そんな生活でも――リーフェイスが泣かないのであれば、十分だったのだ。こんな……弱い都市の、弱い武芸者しかいない場所でさえなければ。
 こんな所に、来るべきではなかったのかも知れない。ここに居るべきでは、ないのだろうか。

「うー、うううぅぅぅぅ……! あああぁぁぁ……」

 どこにもたどり着けない悲しみを抱えたまま、リーフェイスは走り出した。咄嗟に追おうとしたが、すぐに足を止めた。ここから子供の足で行ける場所は限られており、よほどの事がない限り見失うことはない。それに、まだニーナとの話の決着がついていなかった。
 振り向いて、見たニーナの顔はまだ呆然としていた。しかし、その中の色に後悔があるのを見つける。まるで自分みたいだと、何となくおかしくなった。
 正直、もう話したくはない。わかり合えない、それを再認識させられるだけにしか思えなかったから。それでも、これを始めたのは自分である。筋だけは、通さなければいけなかった。

「先輩」
「あ……いや、わたしは」

 声をかけられたニーナは、しどろもどろになって言葉を濁す。後悔するなら言わなければいいのに、そんな風に思えてしまう所までが似ている。

「すみませんでした。ツェルニが滅べばいいなんて、言い過ぎでした」
「いや……わたしも、勢いに任せて随分と言い過ぎてしまった。すまない、許してくれとは言わないが、猛省している事だけは知っておいてくれ」

 謝罪の時にまで生真面目に、彼女がそう言った。謝れるような事ではない。なぜなら、これからさらに罵られるような事を言うのだから。

「その上で、一つだけ言わせていただきます。先輩、さっきの質問を覚えていますか?」
「質問……? いや、すまん。分からん」

 だろうな、と半ば納得した。彼女にとっては、そういうつもりで言ったのではないだろうから。
 馬鹿だな、自分に呆れる。わざわざこんな事を言う必要はないのに。

「もう一度同じ事を繰り返すつもりか、っていうやつですよ。答えは、はい、です」
「……なに? 貴様は今、何と言った?」
「もう一度繰り返すと言ったんです。いえ、何度でも繰り返します。僕は、絶対にやめない」

 力を無くしていたニーナの顔に、再び注がれる怒り。しかし、ここに来て、知ったことではない。言うべき事だけは、言っておく。

「先輩がツェルニのために動いているように、僕もリーフィの為なら何でもします。もう間違えない。僕は何度でも繰り返して、絶対にあの子を守る。……何を犠牲にしてでも」
「……ずるいぞ」

 いつの間にか伏せられていたニーナの顔。両手をわななかせ、肩を怒らせている。そして、持ち上がった彼女の顔には、瞳一杯の水滴が……。
 思わず息を呑む。ニーナが泣いたと言うのは、それだけ衝撃的だった。質実剛健で、どこまでも真っ直ぐな武芸者、それがニーナに対する感情だ。表現するならば、鋼のような、というのが一番しっくり来る。そんな彼女が涙しているのは、それだけ大きな衝撃を与えていた。

「なんでお前は、それだけの力がありながら、人の思いを裏切るんだ……」
「そんなのは……」

 さっき言ったとおりだ。そう言おうとしたが、すぐに止まる。彼女は問うてるのではない。答えなど、求めていない。ただの感情の発露だ。
 手が突きのように、レイフォンの肩を押さえてきた。先ほどまでの力は見る影もない、ただ掴んでいるだけの弱々しさ。払うのは簡単な筈なのに、そうしてはいけない気がした。

「お前なら……お前ほどの力があれば、何だってできる! 都市を救うのも、人を導くのも、望めば何だってできる! なのに、なんでお前はそうしないんだ! なら……お前がそうしないなら……わたしにあってもいいじゃないか! 何でお前なんだ! 何で……わたしにツェルニを救うだけの力がないのに……お前に……」

 今更――本当に今更、知りたくもない事だ。
 彼女の暗い視線の正体。必死になって理性の裏に隠していたもの。それの正体は、嫉妬だったのだ。グレンダンの時代に何度も浴びせられたものとは質が違う、もっと切羽詰まったもの。切実、と言い換えてもいい。力の足りないもどかしさと不甲斐なさ。そして、相手をうらやんでしまう惨めな己の発露。所詮、醜い欲望の表れでしかないが――だからこそ、本当の彼女がそこにいる。

「なんで……何もしないお前に力があって……わたしには、ないんだ……」

 嗚咽を漏らしながら、言葉を漏らすニーナ。やめてくれと叫びたくなる。そんな言葉は聞きたくない。聞いてしまったら、彼女を憎めなくなってしまったではないか。
 この世は理不尽だ。武芸の才が無ければよかったとは思わない。あってくれて感謝すらしている。そうでなければ、確実に仲間内から餓死者が出ていただろうから。だが、それだけで終わってくれなかった。だからレイフォンは、こんな場所でこんな事をしている。 ニーナ・アントークという少女はどうなのだろうか。きっと、今それに取り込まれている所なのだ。
 安っぽい正義感を振りかざしているのではない。ただ、上手くいっていないだけ。そんなものに気づいてしまったら、同情などをする羽目になる。
 それでも、もう自分には関係がない事だ。そう思い込み、ニーナを振り払おうとして。
 足下から、感覚が消え失せた。

「っ……何だ!?」

 突然の浮遊感。続いて、大地そのものが傾く。倒れ込みながら体を固定して、何とか堪える。見てみれば、ニーナは立ったまま揺れに翻弄されている。明らかに慣れていない。

「都震です! 伏せて体を固定して!」
「あ、ああ!」

 レイフォンと同じように、四つん這いに近い体勢になるニーナ。小隊長だけあって、対応能力は高かった。
 揺れは長く続かない。数秒だけ派手な縦揺れを起こしたが、その後はいつも通りに戻っていた。いや、街からぽつぽつ声が聞こえるあたり、被害が全くないとは行かなかったようだが。しっかりと収まったのを確認して、二人は立ち上がる。お互いユニフォームのままで、汚れても痛手ではないのが救いだ。

「どうしたのだ……?」
「谷あたりにでも足を踏み外したのでしょう。都市は傾いてませんから、本数は四本以下でしょうね。まあ、これなら、復旧にそう時間はかからないでしょう」
「よく分かるな」
「グレンダンは割とこう言うことが多かったので」

 服で目を擦り、充血を誤魔化す仕草に気づかないふりをしながら。しかしレイフォンは、どうもそれだけでは満足できなかった。何かを見落としている、そんな不安が心の中にある。
 はじめは、空気だ。エアフィルターに囲まれているレギオスで、外の空気を感じる機会はない。だが、それは外の雰囲気を掴めない訳ではないのだ。次に、音。都市の足音が聞こえない、珍しい静寂。だがその隙間に、恐ろしくか細い何か、甲高いものが混ざっている気がする。
 不安はふくれあがり続け、やがては予測となり。ついには、勘が警告を鳴らした。長年戦場で培った勘がだ。

「汚染獣が来る」
「なんだと?」

 その言葉を聞き届ける者がいたが、それを考慮する余裕はレイフォンになかった。脳裏を過ぎるのは、小さな少女の姿。
 離れるべきではなかった! 自分を罵りたくなる。すぐに見つけられる、近くに居なくても、ここであれば危険はない。そんな甘い見込みが、今彼女に危険の可能性を生み出した。いや、これでレイフォンを責めることは出来ないだろう。このタイミングで汚染獣の襲撃など、運が悪かったとしか言いようがない。

「リーフィ!」
「おい、待てレイフォン! 汚染獣とはどういう事だ!?」

 背後から制止がかかったが、そんなものはもう考慮するにあたわない。
 絶対にリーフェイスだけは守る。それだけを考えて、レイフォンは全力で走った。



□□□■■■□□□■■■



 既にどれだけの距離を走ったのか。全身から吹きだした汗が、鬱陶しいほどにまとわりついてくる。体は剄で援助してもなお、悲鳴を上げ始めていた。
 リーフェイスが見つけられない。これだけ探し持ても、まだ。剄から探ろうにも、街中で剄が渦巻いており、とても一人を探せるような状態ではない。彼女が全力で剄を使えば話は別なのだが。しかし、普段の呼吸で生成される量で探るにはあまりにも微弱すぎ、そして街が騒がしかった。
 ツェルニは今、地獄の様相を呈していた。都震発生から数分、そこには僅かな困惑があった。それは都市内全域放送で混乱に変わり、やがて無人の静寂になる。それから幾ばくもしないうちに、ツェルニ全域で剄が膨れあがり、それに比例するような轟音が響く。戦火はすぐに拡大し、今あるのは怒号と悲鳴、そして耳障りな羽音だ。
 そのどれもが捜索の邪魔をする。全ての要素が、リーフェイスの安全を阻害する。刻々と悪化する状況に、レイフォンは思わず舌打ちをした。

(なんて弱いんだ)

 ライトに照らされた広域の戦場を横目に見て、思わず毒づく。見た限りでは幼生体しかいないのに、悲しいほどに押されていた。今はまだ、防衛ラインを保っているが、それで敵を排除できる訳ではない。通さない事を第一に考えれば、後続が次々と到着してくるだろう。数の暴力で圧殺されるのは、そう遠い話ではない。
 ならツェルニは敗れるか、と言われればそうでもないだろう。市街におびき寄せてしまえば、有利になるのは人間側だ。障害物の多い場所で汚染獣は自由に動けず、同時に地の利で一方的に攻撃することも可能だ。耐えていれば踏み外した足を戻し、逃げられるだろう。この様子では、それまでに幼生体を殲滅し、母体を呼び寄せる恐れは殆ど無い。
 それまでに、恐ろしいほどの物的被害が出てくるだろうが……それはレイフォンの知った話ではなかった。
 都市は、存続さえしていてくれればいい。リーフェイスが安全に逃げられるまで。彼が持つ都市への愛情など、所詮はその程度だ。
 武芸者の集団から意識を切り離し、再び感覚を全力で広げる。どこかに居るはずの少女の痕跡を、僅かでも探し当てようと。しかし、ただでさえ剄と気配がぐちゃぐちゃに混ざり合った戦場がある。その上に彼自身焦燥に焼かれているのだ。元々念威繰者ではないのだ。どれだけ探索に能力を割り振っても、限度がある。
 シェルターに避難済みかとも持ったが、すぐにその考えを否定した。幼子の居ない学園都市に、子供の待避をチェックする機能は存在しない。つまり、誰かがあえて連れて行かなければシェルターには行けないのだ。
 それ以上に、リーフェイスは汚染獣を舐めている所がある。それは、彼女を戦場に連れて行った時の経験が原因だ。レイフォンと彼女の師が、幼生体を容易く鏖殺したのが記憶にあるのだろう。実際幼生体は雑魚であるし、リーフェイスに似たような事が出来ないかと問われれば、出来ると堪えるのだが。問題は、そこではない。彼女に致命的な欠点があるのを、レイフォンは知っている。
 きっと、リーフェイスはまだ街の中にいる。そして、そこで汚染獣と遭遇してしまえば――想像しただけで、全身から血の気が引いた。
 今のレイフォンにとって、彼女は全てだ。依存していると言ってもいい。父親であると定義して、自分を辛うじて肯定している状態なのだ。何より厄介なのが、ぼんやりとだが、本人に自覚があると言う事だった。
 だからこそ、彼は焦る。

(今度無くしたら僕は……今度こそ)

 かつて罪を犯した時は、家族が拠り所になった。別段闇試合に出たことを悪いと思っては居なかったが、それでも犯罪は犯罪だ。それも、手を払われてしまったが。
 それでも持ちこたえられたのは、リーフェイスと幼馴染、リーリンが居たから。それも、リーリンはどちらかと言えば中立の立場。これでリーフェイスがいなくなれば、彼を肯定する人間が誰一人としていなくなる事になる。
 求められない人間に存在価値はあるか。それは人により変わるだろう。しかし、その対象が自分になった場合はどうだ。恐らく、それでも生きる気力を湧かせられる人間は少ない。そして、レイフォンは、なお戦える人間ではなかった。
 かつて真っ直ぐだった心は折られた。一度は修繕されたが、もろくなったのには変わりない。今度は、粉々に砕け散るだろう。

「頼む、無事でいてくれ……!」

 祈るような言葉は、どこにも届かず豪風にかき消され。新たな風の悲鳴を産みながら、丁度屋根を蹴った時、それは起こった。
 それは突然だ。何の前触れもなく――ツェルニから、全ての光が消える。証明は全て落ち、月と星の光だけが頼りになった。数多の混ざり合った音から、一つだけがぽっかりと消え失せる。剄羅砲が、錆びたレールの上を無理矢理滑る雑音だ。

(何が起きたんだ!?)

 あまりの自体に、レイフォンは思わず立ち止まった。
 都震、汚染獣襲撃――レギオスの経験する異常事態の、殆どを体験したと思っていたのだが。さすがに、ほぼ完全な停電は経験したことがない。全身が凍った気にさえなる。
 彼がまず目を向けたのは、汚染獣と交戦中の武芸者達だった。彼らはまだ停電の混乱から復帰しきっていない。しかし、所々で戦闘を再会していた。幸い今日は月の光が強い。戦うのに、大きな支障は出てこないだろう。
 無事に戦い続ける姿に、膝が折れそうになった。彼らが戦えるというのはつまり、エアフィルターが生きていると言う事だ。即座に都市ごと全滅、その危険だけはなくなったと言っていい。

(けど、これで……ツェルニが本当に滅びる可能性が出てきた)

 戦況だけではない、状況までもが最悪の一歩手前になってしまった。
 停電したという事は、つまりエネルギーが存在しないと言う事だ。当然だが、都市が動くにはエネルギーがいる。それも莫大な量がだ。果たして停電状態でそれを賄えるか、答えはノーだ。ツェルニは、汚染獣から逃げられなくなった。
 持久戦になれば、戦況はどんどん汚染獣側に傾くだろう。ツェルニの武芸者は、既に大半の者が息を荒らげている。加えて幼生体は、消耗戦が大得意なのだ。よしんばそれを殲滅できたとしても、後から出てくるのは母体である雌性体。倒すのに手間取れば、他の汚染獣さえ呼ばれるだろう。
 そうなれば、ツェルニは終わりだ。もし呼ばれた汚染獣の中に老性体がいれば、レイフォンが戦ったとしてもどうにもならない。
 歯ぎしりをする。そんなことをしている暇はないのに。今すぐにでも、リーフェイスを見つけなければ行けないのに。感情がどれほど叫ぼうとも、理性はもっとも賞賛の高い方法を提示した。悔しいが、こと戦場において自身の作戦が外れた事は、殆ど無い。

「っくそ!」

 その場に悪態を残して、レイフォンは急反転した。そして轟音の方、つまり戦場へと駆け出す。
 逃げ切りを期待できない以上、都市部に汚染獣を進入させない。それが、彼の経験が導き出した最善の方法だった。


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