<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


No.32355の一覧
[0] 【習作】こーかくのれぎおす(鋼殻のレギオス)[天地](2012/03/31 12:04)
[1] いっこめ[天地](2012/03/25 21:48)
[2] にこめ[天地](2012/05/03 22:13)
[3] さんこめ[天地](2012/05/03 22:14)
[4] よんこめ[天地](2012/04/20 20:14)
[5] ごこめ[天地](2012/04/24 21:55)
[6] ろっこめ[天地](2012/05/16 19:35)
[7] ななこめ[天地](2012/05/12 21:13)
[8] はっこめ[天地](2012/05/19 21:08)
[9] きゅうこめ[天地](2012/05/27 19:44)
[10] じゅっこめ[天地](2012/06/02 21:55)
[11] じゅういっこめ[天地](2012/06/09 22:06)
[12] おしまい![天地](2012/06/09 22:19)
[13] あなざー・労働戦士レイフォン奮闘記[天地](2012/06/18 02:06)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[32355] ななこめ
Name: 天地◆615c4b38 ID:b656da1e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/05/12 21:13
 レイフォンは足取りを軽くしながら歩いていた。
 相変わらず状況は最悪だ。しかし、気持ちだけは嘘のように軽い。そうしてくれたメイシェンに感謝をする。
 気分だけは上々でリーフェイスを待たせている場所にたどり着き……勢いのままに、壁に激突した。

「パパ、おかえりなさーい」
「随分遅い到着ですね」

 なぜか、当然のようにフェリが居る。澄ました無表情――つまりいつもの顔――でしゃがんでリーフェイスの手を取っていた。
 傾いた世界を真っ直ぐに戻すため、壁に手をつく。とは言え、当然なのだが。世界が元に戻ったからと言って、目の前の光景の何が変わるわけでもない。いつも通りのフェリが、日常を切り取ったままに過ごしている。少なくとも、横目だけでレイフォンを確認して、すぐ興味を無くして視線を戻す姿からは、ぎこちなさを全く感じない。彼の知るフェリという少女そのままだ。
 ……本当にそうなのだろうか。疑問に思い、レイフォンは彼女をつぶさに観察した。つい先ほどの試合で、レイフォンがやってしまったこと。武芸者に取って……いや、武芸者でなかったとしても。誰もが今までの努力と全力で出し合う舞台の中で、ただ一人だけ手を抜いていた。そんな裏切り行為。それを見て何とも思わないなどと言う事が、果たして本当にあるのだろうか。

「行かないんですか?」
「あ……いえ、行きますけど」

 フェリの目つきは、眠たそうであり、睨んでいるようでもある。どちらかだけではない、一見両立しなさそうな二つの要素を、見事に併せ持っている。だから穏やかな人間味があるのに、同時に人形のような冷たさを持つ。彼女が『妖しい』と言われる所以であり、美貌をただ美しいだけで終わらせない源泉だった。
 温度のない柔らかさ。春に訪れる吹雪。視線が、またレイフォンに向いた。
 彼女を相手にして気後れしてしまうのは、苦手意思だけではない。触れてはいけないと強く思わせる、独自の容姿と雰囲気。ただでさえそうなのに、リーフェイスが関わればそれ以上だった。
 メイシェンとフェリ。どちらもがリーフェイスと関われば印象が一変するが、その方向性は真逆だ。メイシェンであれば、弱気と人見知りという短所がつぶれる。それが無くなった姿を知るクラスメイトの間では、話題に上がることが非常に多い。
 対してフェリは、長所が伸びていた。ミステリアスな雰囲気が、より強さを増す。それでいて普段は全く見せない微笑みを見せるものだから――その姿たるや、聖母のようであった。それにやられた人間は多いし、レイフォンも危うくやられそうになっている。
 微笑をもっとも近く、もっとも多く見ている。それで傾いてしまわないのは、普段の姿を知っているからだろう。さすがにあのファーストコンタクトと、普段の素っ気なさがあれば目も覚める。それを知っていてなお効果があるのが恐ろしくあったが。
 そして、彼女の視線はこんな時でも変わらない。少なくとも、レイフォンに違いを判別できなかった。

(何のつもりなんだろう)

 リーフェイスの手を取って、真っ直ぐ進む。後ろを歩く彼を気にしないところまで、いつも通りだ。
 ひっそりとため息をつく。これで露骨に蔑んででもくれれば、まだわかりやすいと言うのに。覚悟が出来るかどうかは別にして、だが。全くいつも通りの反応では、どう対応して良いか分からない。いや、真正面から言われていたとして、何かが出来たとは思えないが。出来るなら、そもそもニーナから逃げていない。
 何か判断材料はないのかと考えて。ふと、ある一言に気がついた。

(行かないんですか? それじゃあまるで……)

 付いてきて欲しいみたいだ。
 いつものフェリであれば、疑問系では言わない。行きます、と、一言事実だけを告げて歩き出すのだ。

(あんな事があったから気を遣ってくれた? ……まさかね)

 あり得ない。絶対に。深く考えるまでもなく否定した。
 彼女は怒りこそすれ、レイフォンを慮る理由などはないのだ。それを言ったら、普通に接する理由もないのだが。
 意図が分からない。なんとなくおかしいというのは分かるのに、その理由だけが抜け落ちている。唸りながら後ろ姿を見ても、何もうかがい知れる。すっかり見慣れてしまった後ろ姿、それと銀髪が揺れているだけだ。
 昼と夜の隙間にある赤。伸びる二つの小さな影と、少し後ろの大きな影。何一つ変化のない日常なのに、そこに緊張感を感じる。いや、レイフォンが勝手に強ばっているだけだったが。

「少し休憩しましょうか」

 いきなりフェリが切り出したのは、見慣れない広場に入ってだった。と言っても、今日は会館ではなく対抗戦会場からの帰り。広場に限らず、道全てが見慣れないものだ。
 周囲を背の高い建物に囲まれた、薄暗い場所。夕方だとなおさらそう感じる。そもそも広場自体が、そう言えるほど上等な場所ではない。言うなれば、街を作る時に出来てしまった空白、そう呼ぶのが相応しい。加えて、人通りも少ないのだろう。街灯の少なさは、そのまま利用頻度の低さを証明している。
 フェリは申し訳程度に作られた段差を椅子代わりに座った。
 急に休憩を求めた理由が、なんとなく分からない。試合で疲れていたのかもしれないが、そんな様子は見えなかったのだが。悩んでいると、いつの間にか宝石のような色合いの虹彩に、レイフォンが映っていた。

「立っているのが趣味な人ですか?」
「いえ、そんな事はないですけど……」

 一応否定をしてみる。どうでも良くはあったが。
 フェリのすぐ横に座ったのは、その距離に慣れてしまったためだ。リーフェイスを膝の上に乗せるのを好む彼女とは、メイシェン以上に距離が近い。
 彼女の膝の上には、いつもクッションが乗っている。リーフェイスが座って不自由しないためにだ。しかし、今日はその光景になぜか新鮮さを覚えて――すぐに理由に気がついた。上にいるべき少女は、現在元気に跳ね回っている。
 明らかにおかしい。リーフェイスが近くに居れば、絶対に離れないのがフェリだ。それを、自分から離すのと言うのは、レイフォンの記憶にない。

「あなたに、少し聞きたいことがあるのですが」

 言われて、思わず身構えた。彼女の姿からは、怒気やそれに類するものは感じられない。リーフェイスが関わっているのでもなければ、露骨な感情の変化を見せないので、あまり当てにならないが。
 言葉を発しようとした薄い唇が動いたが、直後停止した。悩んでいるのか、ふわふわと頭を彷徨わせる。幾ばくかそれを続けて、再度口が開く。

「なんで敬語なんです?」

 と、出てきたのは。レイフォンにとって予想外すぎた。そして、どうでも良かった。

「いや……だって先輩ですから」
「初対面で思い切りタメ口だったのに、今更取り繕う事なんてないでしょう」

 全く持ってその通りである。相手が気にしない以上、敬語に変える理由などない。とはいえ、変えない理由もないのだが。

「まあ、好きにすればいいですけど」

 視線でリーフェイスを追いながらフェリ。問うた本人ですらどうでも良さそうに。
 しかし、用事というのはこの事なのだろうか。ならば、楽ではあるのだが。

「そんなことよりも、本題があります」
「でしょうね」

 むしろそうでない方がおかしいと同意した。今の話など、訓練の後に飛ばしてみれば済む程度の話題である。わざわざ人気の無い場所で、座り込み話をするような事ではない。何を問われるか――まず間違いなく先ほどの試合の事であろうが。身構えるレイフォンの手は、自然と汗ばんでいた。
 レイフォンの勝手な印象であるが、彼女は全く物怖じしない性格だ。そして、それをあえて否定する者がいない事も知っている。いつも、遠慮という言葉をどこかに置いてきたのではないかと言うほど、ずけずけと物を言うのだ。その理由は、とても簡単な所にあった。シンプルすぎて、思わず見逃してしまう程に。
 大して彼女の事を知っているわけではないレイフォンが言うのも、どうかという話なのだが。フェリ・ロスという人物に、およそ親しいと言えるような相手はいなかった。少なくとも、リーフェイスのおかげで無駄に一緒に居ることが多いレイフォンは見たことがない。友達が欲しいとは思っていなくもない様なのだが、芽が出ることはないだろう。人に話しかけられると素っ気なく、次第に鬱陶しそうに変化する彼女。どう控えめに見ても、切実な欲求ではない。他人を求めないから、好かれるための行動など、そもそも考慮しないのだ。友達が欲しいというのも、子供が玩具をうらやましがる程度のもの。なんとなく皆がそうだから、程度の話でしかない。
 つまり、他人が必要ないから気を遣うこともない彼女。そうである筈なのに、レイフォンに気を遣って人気の無い場所で話し出した。これであまりいい話が聞けるというのは、楽観に過ぎるだろう。
 フェリは頭を傾けて、顎に手を置いた。何を考えているのか、それとも悩んでいるというポーズなのか。顔つきがいつも通りでは、どちらとも判断できない。

「あなたは、自分が武芸者である事についてどう思いますか?」
「はっ?」

 しかし、実際に飛んできた質問はどうも意図の見えないものであり。間の抜けた声で返すと、フェリの非難がましい視線が飛んできた。慌てて目をそらし、言葉を選ぶ。

「えっと、そうですね。仕方ないことなんじゃ、ないかな?」
「何ですかそのやる気のない解答は」
(じゃあどう答えろって言うのさ)

 反論を漏れる前に止める。下手に刺激するような言葉は控えるべきだ。

「……まったく。わたしたちは、剄脈を持って生まれてきました。ですが、それだけの筈です。そうであるだけで……そして、ちょっと才能があるだけで、そうであり続けなければいけない。そんなことは無いと、そう思いませんか」
「はぁ……そうかも知れないですね」

 フェリの顔は、いつも通りに見える。しかし、それは外見だけだ。その瞳には、いつもと違う熱の色が……本音が見て取れる。
 だからといって、どう答えて良いか分かるわけでもない。
 要は、武芸なんてやりたくない――そう主張しているのは分かるのだが。それだけ聞いて、どうしろと言うのだ。その問答は、武芸者であれば大半が思い浮かべる、疾患のようなもの。大抵は仕方が無いと諦めたり、どうでも良いと放り投げたりしている。そして、フェリは前者に見えていた。
 そんな事を聞いてどうするのか。いや、そもそも質問の体をなしてない。これでは、人が居ない場所で都合が良い相手に弱音を吐いているだけだ。そして、それはフェリという相手にもっとも似合わない行動だった。
 大きなため息が聞こえる。レイフォンに向けられたものではなく、自分自身に向けたものだ。

「やはり、回りくどいのは向いてませんね。単刀直入に聞きましょう」

 そして、彼女は呼吸を置きもせずにいとも容易く言った。

「あなたが、グレンダンで天剣とか言う名誉号を持っていたのは知っています。そして、闇試合に手を出して故郷を追放されたのも」

 そんな、致命的すぎる一言を。
 予想外の言葉。そして、想像すらしていなかった言葉。呼吸が止まる。心臓と――生命活動すら、止まった気がした。体のこわばりは限界で、全く動いてくれそうな気配がない。
 どうすればいい? 何度目になるかも分からない自問は、やはり答えなどでずぐるぐると回り。フェリをどうにかするしかないのかも知れない。そんな黒い考えが出てくるほど、レイフォンは追い詰められて、

「まあ、それ自体はただの前置きで、どうでも良いのですが」

 などと気軽に言われてしまえば、全身が脱力するのも仕方が無い事だろう。
 階段に突っ伏すように体を脱力するレイフォン。その様子を、フェリは若干蔑んだ目で見下ろした。

「何をやってるんです?」
「いや、ええと……色々と聞きたいことはあるんですけど」

 地面と口づけしそうな姿勢をなんとか戻し、うめくように言う。実際、どこから聞いていいものか分からない。

「とりあえず、その話はどこで聞きました?」
「……ツェルニにある情報で、わたしが集められないものはありません。兄はこそこそと隠しているつもりの様子ですが、そんなものは『隠している』のが発覚した時点で無意味です」

 面倒くさそうに、投げやりに答えてくる。口調も視線も、質問に質問で返すなと言っている。

「すみません、あと一つだけ。それを聞いたフェリ先輩は、何も思わなかったんですか?」
「……」

 レイフォンとしては、精一杯に確信を訪ねたつもりだった。しかし、問われたフェリは……有り体に、とても嫌そうな顔をしている。

「わたしは、あなたの過去の経歴そのものには、興味がないしどうでもいいと思っています。ついでに言うと、それを知ったのは結構前です。はっきりと言って、それ自体は「ああそう」で済ましてしまった話でしかありません。……と、わたしは先ほど簡潔に告げたと思うのですが、あなたはどう言ったら納得しますか? 言って下さい、その通りにしますので」
「……いえ、結構です。ありがとうございます、すみませんでした」

 はっきりと苛立たしく口調が変わったフェリ。目つきも危険な鋭さを帯びていた。はっきり言って、怖い。
 これ以上神経を逆撫でするような事を言う勇気があるはずもなく。平身低頭して、何とか納めて貰うのを期待するしかなかった。それが届いたか届かないかは分からないが。フェリは視線を鋭く保ったまま、それ以上追求することはなく。しかし、言葉だけはなぜか、いつもよりも遙かに柔らかかった。

「あらかじめ言っておきます。私は知ったかぶりをするつもりはありません。……ただ、あなたの闇試合が発覚してから後の扱いは、碌でもないものだろう、そういう想像をしただけです。それは、分かっていて下さい」

 歯切れが悪く、勢いもない言葉。普段の彼女から想像するには、その姿は弱々しすぎる。
 顔を上げた。やはり、表情は仮面のように変化に乏しいものだった。だが、視界の端に映った指は、震えていた。自分の発した言葉に罪悪感を感じたのだろうか。……違う、とレイフォンは思った。多分は――これから言わんとしていることが、それだけ彼女の確信に迫る事なのだ。
 フェリは深く息を吸った。必要な儀式だ。それはただの人でも、人以上の武芸者でも変わらない。落ち着くためには、覚悟をするためには、そういった種類の祈りに似た何かを求めてしまう。弱さを自覚してしまえば、なおさら。

「わたしには分かりません。なんであなたは、まだ戦えるんですか? グレンダンでの話は……実際にあなたが悪くても、そうでなくても。武芸を続けられないほどの事であったはずです。けど、あなたはまだ剣を持っている。……戦って、戦えている。分からない、そこまで出来る事が。あなたが、未だに武芸が続けられる程の理由……それは何ですか?」

 社会も、常識も、罪科すらをも無視して問いかけられる言葉。ただ純粋に、レイフォンの感情だけを――いや、決意だけを知りたいと思っている。
 武芸者であることをやめたくてもやめられず、ふてくされるように流されていた少女。そこに現れた、武芸のせいで地獄と言っても差し支えないような経験をした男。レイフォン・アルセイフが現れたのだ。罪悪感? 義務感? それとも、惰性? 本当にそんなもので、武芸を続けられるものなのだろうか。
 そうかもしれない。しかし、そんなわけがない。フェリは断言する。

「今の世界は、まるで呪われているようです。……いえ、実際にわたしたちは、呪われている。誰も武芸者という呪縛から逃れられない。才能なんていう、欲しくもなかったものがあればなおさらです。けど、あなたはそこから抜け出すきっかけを得られた、のに。……正直に言って、わたしはあなたがこのまま武芸をやめてしまうのを期待していました。兄が何と言おうが、そんなものは無視してしまえばいい。実際、あなたがどうしたところで、何も出来やしません。なのに、あなたは戦って、勝った……」

 フェリの視線が、確実に、しっかりと。レイフォンの瞳を捉えていた。そんなわけがないのに、初めて目を合わせた気がして――それも当然だと知る。
 今までの彼女は、レイフォンをレイフォンとして見ていなかった。その他の中の一人、関わりの無い他人の中の一つ。精々がチームメイトだろうか。しかし、今は目の前の人物を、ただ一人の個人として認めている。変わりなど他に居ない、レイフォン・アルセイフとして見ているのだから。
 瞳が、青みのかかった銀の虹彩に吸い込まれる。それで初めて、レイフォンも彼女を知った。――意外に感情的、そんな、彼女の本当の姿が見える。

「何があなたを突き動かしているんですか? 何か、必ずある筈です。未だに武芸に関わり続ける、そうしてでも欲しい何かが。どうすれば――戦うことが出来るんですか?」

 移ろう瞳の中の感情。そこには僅かに、それこそ本人も自覚していないほど小さいものだが。確かに、怯えが混ざっていた。レイフォンに、ではない。彼を通して、もっと遠くの何かに。
 戦わないのか、戦えないのか、そこまでは分からない。だが、彼女にもそれだけの理由があったのだ。諦めきる事も、貫ききる事も、どちらもできないだけの理由が。
 問われて、初めて自覚する。なんで、また武芸をやるつもりになれたのか。
 久しく、意識を深く思考の海に沈めた。
 最初は、剣を見るのも苦痛だったはずだ。握ると恐怖に体が強ばって、動くことも出来なかった。一瞬にして反転した少年の世界は、それだけ大きく心に傷を付けていたのだ。それでも、時間はまた普通に剣を振れるまでに回復してくれた。そして、リーフェイスが鍛錬をする時に、その様子を監督する程度には、武芸に関われる。
 だからと言って、人前で武芸を出来るようにはならない。それだけは、本当に駄目だ。小隊戦直前など吐き気を押さえるのに必死だった。試合が始まったらもっと酷く、どう戦っていたのかすら思い出せない。

(……なのに、なんで僕は会場に立てたんだ?)

 そう、とっくに諦めてしまって良い状態だった筈なのに。なぜか、レイフォンは会場に立てた。立つことが、できた。
 義務感ではない。既に義務以上の対価を求められているのだ。では、期待に応えるためだろうか。もっとない。それこそが、レイフォンがもっとも恐れるものなのだから。どれも答えのようであって、ずれている。それっぽいものではあっても、自身がそれではないと確信していた。
 さらに深く思考を沈めて――いや、記憶をかき分けた。考えて、釈明のような理由を答えるのではない。真なるものを。自分を突き動かすものが、必ずある筈だ。
 一つ見つけては否定し、さらに過去へと遡り。無数の顔が浮かんでは消えて、それでも奥へと入っていく。そして、目の前には。小さな子供の泣き顔が――

「――ああ」

 自然と、呟きが漏れる。
 思い出した。どうして、こんな簡単な事をすぐに思いつかなかったんだろう。
 感情が溢れた。嬉しさだ。他には何もない、純粋な歓喜。思わず涙が溢れそうになる。何もかもを無くしてしまった昔の自分。しかし、それで何一つ残らなかった訳ではなかったのだ。
 視線が、自然と自分を救ってくれた相手を追う。金色の長髪を流した小さな救世主は、嬉しそうにあたりを駆け回っていた。
 全てが消え失せたあの日。しかし、何か一つ信じられるものがあれば。誰か一人、信じてくれる人がいれば。自分は、大丈夫なのだ。それを知ることが出来たのだ。

(そうだ、だから僕、必死だったんだ)

 内心で、自覚もなくせめぎ合っていたのだ。武芸に関する全てに対し手への忌避感と、リーフェイスを守らなければいけないという思いとが。そして、その思いは過去の失敗に再び立ち向かおうとするほど強いものだったのだ。だから、たとえ吐き気を覚えながらでも戦えた。その対象が武芸だったのは、ただの結果だ。
 ――愛しているか。そう問われれば、間違いなく愛していると答えよう。リーフェイスを守る為ならば何でもできるし、命だって賭けられる。それだけの物を貰ったのだ。そして、今になっては何を貰ったかなどと言うのは関係ない。ただ純粋に、彼女がいるのが自然であり、それを守るのもまた自然だった。あまりにその当たり前は近すぎて、だから逆に気づけなかったのだろう。
 次々と、思い起こされる。
 当たり前の事だったとは言え、なぜこんなに大事な事が分からなかったのだろう。フェリに問われなければ、もしかしたら、風化してしまっていたかもしれない。大事な事に気づきもせず、いずれ義務感に成り下がっていたのではと思うとぞっとした。
 今と、そしてあの子を大切にしよう。

「僕はもう」

 間違えも、後ろを向きもするだろう。もう一度同じ状況になれば、また同じ間違いを繰り返すだろう。だけど。
 たとえどんな結果になろうとも、リーフェイスだけは守ってみせる。



□□□■■■□□□■■■



 フェリに取ってのレイフォンという人物は、最初はおまけでしかなかった。リーフェイス・エクステがツェルニに滞在するために必要な、いわば楔。その程度の存在でしかなかった。後々、自分と同じように、兄に無理矢理転科させられたと知るが。だが、その程度ではリーフェイスの魅力に一瞬で霞んだ。
 彼に興味を持ち始めたのは、経歴を調べてからだった。あの兄がほぼ無条件で奨学金ランクAを渡すような人間だ、必ず実力に裏がある。それを知れば、兄に対してもレイフォンに対しても、優位に立てると思ったからだ。主にリーフェイス関係で。
 情報を得るのは簡単だった。確信できるだけの理由を持っていると知っていれば、後はかすめ取るだけでいい。深夜、兄の端末にそっと念威端子を近づけて、ハッキング。それだけで求める情報の全てが手に入った。尤も、手に入った情報は求めた物以上のものだったが。
 目を通した電子情報には、簡潔な経緯と当時の新聞スクラップ。そこには賞賛があり、同時に怨嗟と侮蔑が渦巻いていた。
 最年少の天剣、誕生! まず目に入った見出しがそれだった。新聞の一面を占拠し、大きな写真まで掲載してある。元が荒く、しかも滲んでいては判別断言できない。だが、恐らく写真の中心に居るのがレイフォンなのだろう。記事によれば『ヴォルフシュテイン』なる装飾剣を掲げている。たったこれだけでも、ただ事ではない実力なのだろうと思わせた。そこがどれほど輝かし舞台だったのか、そして彼にとっては、どうだったのか。
 次の記事は……正直見ていて気分の良い物ではなかった。堕落した天剣、武芸者の恥さらし。そんな言葉が各所で見受けられる。肝心の記事は、途中で読むのをやめた。どれも客観性を欠いた物ばかりであり、要領を得ないものばかりだ。レイフォン憎し、その感情ばかりが前に出ている。
 一通り確認し終えてから、フェリはすぐこの話を胸に秘めると決めた。彼女自身はこれを知ったからと言って、彼に思う所など無かったが――ツェルニの住民はそうではあるまい。
 そして、思い出す彼が剣を握る姿。今し方確認したばかりの情報の隣に、その姿が思い出された。
 こんな事があってまで、なぜレイフォンは武芸を続けるのだ。本来の実力と訓練時の様子を比べれば、明らかにやる気がないのは分かるのだが。それでも、武芸をしている姿には強烈な違和感がある。
 ……知りたかった。彼が、それでもなお武芸を続けられる理由を。それを知れば、或いは。自分も武芸を――どちらにするにしても――決断しきれるかも知れない、そう思ったのだが、

「僕はもう」

 いざ聞いてみると、彼は一人で長考し出す。その上、勝手に納得したような、感慨深い言葉を吐いた。
 さんざん自分は質問しておいて、いざ自分の番になるとこれである。早くしろという視線の催促は、無事気づかれたようだ。レイフォンは慌てて言う。

「ああ、すみません勝手に悩んでて。……その、少し長くなりますけどいいですか?」
「それが質問の答えであれば問題ありません」
「分かりました。先輩は、リーフィが昔はよく泣く子だったって言われたら、信じますか?」

 それにどういう関係があるのかは分からない。考えたままに責めようかとも思った。だが、内容がリーフェイスのことであったため、黙って聞くことにした。
 フェリにとってリーフェイスは、いつでもにこにこ笑顔でいる子だった。転ぼうが何かにぶつかろうが、とにかく笑うのだ。まるで大輪の花のように。だからこそ、一目であの娘に射止められたとも言える。
 つまり、そういう印象の子供なのだが。そのリーフェイスが泣いてばかりだった、などと言われてそれを想像できるだろうか。答えは否だ。首を横に振った。
 フェリの反応を確認して、レイフォンは頷いた。そして、悲しそうに顔を伏せる。

「あのときは、本当に見ていられませんでした。いつも顔を伏せて、泣いていて……悔しそうに唇を噛んでいるんです。話し相手なんて誰もいなくて、それどころか罵られすらした」
「なんで……そんな事が……」

 嘘だ、そう否定してしまいたかった。だが、レイフォンの表情がそれを許さない。
 彼の表情は怒りに染まっていた。誰に対してでもない、自分に対しての、やり場のない憤り。握り込んだ拳からは、みしりと骨の軋む音が聞こえそうですらあった。横から見る形相はあまりにも恐ろしく、思わず息を呑んだ。

「僕のせいです」

 簡潔な言葉。しかし、含まれた感情の要領は膨大に過ぎた。フェリにはとても受け止めきれないほどの波濤。そしてその波は、今もなおふくれ続けている。

「あの子は、孤児院の誰よりも僕を慕ってた。僕が父親だと思っていたくらいだから、当然ですけど。……それが裏目に出てしまった。僕が罪を犯したあの日、リーフィはただ一人、僕を庇ってしまったんです」

 瞬間、自分の息が止まるのを、フェリは自覚した。まだ記憶にあたらしい新聞記事。内容などは問題ではない。あれがどれだけ感情的であり、レイフォンを許せぬと語っていたか。知っただけで恐怖を感じるような怨念が支配していた。
 レイフォンの側に立つというのは、あの暗い情念を同じく浴びると言う事だ。当時、僅か三歳の少女がである。
 当然、同じほど迫害された訳がないだろう。だが、それでも周囲の輪から弾かれるには十分な理由だったはずだ。そして独りになれば、さらにレイフォンへと依っていく。後は同じ事が繰り返される、悪循環。

「パパは悪くない――そう言ってくれたのが何より嬉しかった。その言葉だけで、僕がどれほど救われたか……。でも、それでリーフィが近くに居るのとは別問題です。僕はあの子から離れようとした。兄弟みたいな人も、何とか輪の中に戻れるようにと頑張ってくれた。結局、リーフィは僕から離れず上手くいきませんでしたけど。僕のせいで、あの子が笑わなくなったのはすぐでした」

 今笑えているのが、奇跡のようだ。レイフォンの視線に含まれたその思い。

「どんなになっても、どんな思いをしても。最後まで僕を信じ続けてくれたんです。僕は……こんなに駄目な人間なのに。ははは、みっともないですよね。いい年をして……天剣なんて呼ばれてたって……子供一人、助けることが出来ない」

 悔しさでうめくように、いや、実際にうめきながら絞り出している。

「これが報いなのかと、いつも思ってました。僕が罪を犯したから、リーフィがこんなに辛い思いをしているのかと」
「そんなのは……」

 違う。そう言おうとして、レイフォンの表情に気がついた。何かが抜け落ちたような、空っぽの表情。
 彼の視線は、真っ直ぐフェリを捉えている。たったそれだけで、持っていた言葉が全て役立たずになった。

「違いますよね、分かってます。でも、先輩。先輩は自分が悪いことをして、それをリーフィが庇った。それで笑わなくなったあの子を見て、本当に自分は悪くないと、そう思えますか?」

 ――思えない。思えるわけがない。
 たとえ、自分がやったことをどれほど誇れたとしても。全く関係ないとしても。その姿を見てしまえば、自分は悪くないなど、絶対に思えない。
 少女のおかげで救われた少年は、同時に少女の姿を見てさらに深く傷ついた。間違った時点で、間違いが発覚した時点で、既にどうしようもない。どう進もうと袋小路に陥るそこは――本当に地獄だったのだろう。何をしても裏目に出る、よかれと思っても誰かを傷つける。自分は何もしてはいけない人間なのだと錯覚さえしてしまいそうだ。彼の何に対しても後ろ向きな考え方は、もしかしたらこの頃に構築されたのかも知れない。

「その後は、まあ語るほどの何があったわけでもないんですけどね。リーフィをグレンダンに置いてこようとしたけど、結局ついてきちゃうし。……今となっては、それでよかったと思っています。残っていたらどんな思いをしていたか、当時の僕にはそんなことすら想像出来ませんでしたよ。……多分、それだけ余裕がなかったんでしょうね」

 グレンダンを離れるバスで、少しずつ人との話し方を思い出すリーフィ。一週間もする頃には、放浪バスの狭さを思い知らされる程になった。ヨルテムに到着したら、それまでの鬱憤を晴らすように暴れていた。今となっては良い思い出、で済ませられる話だ。そう語る。
 何となく不思議に思っていた部分の答え――つまり、リーフェイスがなぜツェルニに着たのか。納得して、フェリは頷いた。そうであれば、確かにしがみついてでもついて行こうと思うし、レイフォンも途中で帰させようとはすまい。……まぁ、レイフォン・アルセイフという人間がいかに情けないか、そこまで知る羽目になったのだが。
 しかし、なぜだろう。
 レイフォンは本当に決断力のない、とにかく逃げの一手に走る人間だった。最初は本当にどうしようもなく、その後も心理的にさぞ動きにくかっただろう。だが、それを差し引いても、彼は優柔不断だった。恐らく、当時フェリがその近くに居たら、ひっぱたいて板に違いない。
 それでも。そんな極めつけに情けない人間だと知っても――フェリは、彼のことを。恰好悪い人間だとは、思うことができなかった。
 将来はリーフェイスを浚っていこう、かなり本気でそんな未来図を描いている。そんな彼女からすれば、レイフォンは底なしの駄目人間に越したことはない。そうすれば、こいつには任せられない、そう思えれば。強引に養育権を浚おうとも、何も思うことなど無いはずだったのに。
 その横顔は、生きてきた道は――相応しくないなど、全く思えないもので。リーフェイスという少女がどうやって育ったのかすら語っていた。

「僕は何も出来ない人間です。唯一の特技、武芸ですら失敗しました。それでも、僕がやらなきゃならない事って言うのはあるんです。……まだ、あってくれたんです。だから、今更になってやっと決めることができた」

 レイフォンが振り向いた。見たことのない表情で、見たことのない強い瞳。その中に、自分が映る。今目の前にいるのだ誰だか、一瞬分からなくなった。
 胸の内から、何かがわき上がった。それは摘み取るほど大きくないが、無視できるほど小さくもない。確かに自分の内からわき上がったそれ。認めがたい筈なのに、危険な心地よさがある。暖かな光に照らされて、レイフォンから視線を外せない。心臓は動きを加速し、血流は顔に集まっていく。
 なんだこれは。自分に今何が起きているか、フェリには全く理解できない。自分の体が、自分の制御を離れて動いた経験など無いのだ。ただ彼女の中の何かだけが、執拗に『彼』を求めている。この瞬間だけは、リーフェイスよりも強く。
 レイフォン・アルセイフの。薄暗くなっても確実に輝く微笑み。それを見て――多分その顔を、一生忘れられないであろう。それを自覚した。認めるしか、なかった。

「父親に、なるんだ。孤児院の仲間でも兄弟でもない、僕は……あの子の親になる」

 常日頃は間の抜けた、そして肝心なときには情けなく歪むのに。その顔の内側には、こんな物が隠れていた。
 反則だ、こんなのは。ギャップが大きすぎる。もう一つ大きく高鳴った心臓は、フェリの制止ではもう止まらない。自覚できるほど発熱した顔は、既に無視できるレベルを超えていた。
 これが本当のレイフォンだとでも言うのか。ならば、今度こそ認めるしかない。

「フェリ先輩、有り難うございます。先輩のおかげで、僕は気づくことが出来ました」

 彼は――とても格好がよかった。
 それを心が理解してしまう前に、フェリは動いた。膝の上に置いてあったクッションを、思い切りレイフォンの顔に押しつける。綿の内側から、悶える声が響いた。同時に、顔を伏せて見られる可能性を可能な限りゼロに近づける。今の自分がどんな顔をしているか、恥ずかしすぎて考えたくもない。

「ちょ……もがっ。何なんですかいきなり」
「うるさいですね。さっきから恥ずかしいことを。もう少し自重できませんか?」
「うぐっ、そんなに恥ずかしかったですか……」

 顔を布地に覆われたまま、抵抗をやめるレイフォン。
 本当に恥ずかしいのは、彼女の心であり彼女自身でもあり。でも、今更取り繕わない訳にはいかなかった。
 若干傷ついた風に黙り込んでしまう。違う、悪いのは自分であると、そう叫んでしまいたかった。だが、もう一度彼の顔を直視するには。勇気が、全く足りていない。臆病で、恥ずかしがりで、格好付けで。そのくせに、言いたいこと一つ言えやしない。自分にこんな面があるなど、知りもしなかった。そして、新しい自分はなお胸に芽生えた双葉を、大切に育てようとしている。
 ただ彼が隣にいるだけで叫び出したくなる情動。全く、本当に、意味が分からない。認められない。隣に座る人が、彼であると言うだけで、こんなに満たされているなんて。
 自覚してしまうと、押す力がまた強くなった。レイフォンのうめきが、悲鳴に近くなる。

「あなたは……正しかったと思いますよ」

 ささやかながら続いていた抵抗が、ぴたりと止まった。クッションを握ろうとしてた手は、すとんと落ちる。

「わたしは、部外者でしかありませんから。グレンダンで本当は何があったかというのは、知りませんし知ろうとも思いません。ですが……あなたはリーフィを守りきりました。その一点だけは、誰がなんと言おうとも、あなたが正しい。少なくとも、私はそう思ってあげます。それだけは、覚えておいて下さい」

 普通に言えば良いのに。恩着せがましく言うあたり、つくづく根性が曲がっている。素直に言えないこと、本心を隠している事、二重の意味で情けない。
 知りたくなかった自分の発見に、背中を煤けさせて敗北感を感じるフェリ。そんな彼女の手が、ぎゅっと力強く握られた。
 予想だにしなかった手からの感触に、思い切り体を強ばらせる。今、手を握るような相手など、一人しかいないのだ。緊張は全身へと伝播し、ついには全く動けなくなる。低いはずの体温が、どんどん高くなっていくのが分かった。
 何のつもりだ、自分はどうなってしまう。そんな緊張の意識は、長続きしなかった。なぜなら、気づいてしまったからだ。フェリの手を掴むレイフォンの手は震えていた。いや、手だけではない。全身が小刻みに――まるで泣いているように、痙攣しているのだ。手は、痛いほどに強く握られている。

「……ありがとうございます」

 今にも、無風の闇に溶けてしまいそうな儚い声で、たったそれだけを。しかし、僅か一行に使われた労力は計り知れない。
 レイフォンが正気を取り戻すまでの時間、それは長くもあったし、短くもあった。実際の経過は感覚が狂いすぎて全く分からない。だが、終わりを察知するのは容易かった。レイフォンの震えが止まると同時に、手が離される。再び向き合った彼の瞳は、酷く赤らんでいた。

「みっともないところをお見せしまして……」

 ずっと、鼻をすすりながら言うレイフォン。すぐ元通り、とは行かないようだ。

「全く、本当ですよ」

 強く握られすぎて痺れ始めていた手、それをさすりながら言った。たったそれだけで、レイフォンは萎縮したように縮こまる。

「これはもう……そうですね、わたしのあだ名でも考えて貰いましょうか」
「なんで!?」

 言われて、レイフォンは即座に悲鳴を上げた。レイとんというあだ名を付けられた事が、よほど堪えて居るのだろうか。今では諦めている様な様子だったが、それは堪えていただけらしい。
 打って変わって、顔立ちが情けない物に戻った。その表情も、今までと違う見え方がするのは、フェリの方が変わったからだろう。

「ごちゃごちゃ言っていないで、早く考えて下さい」
「いやそんな。いきなり無茶苦茶ですよ先輩……」
「先輩、ではありません。早く考えて下さいフォンフォン」
「それってもしかして僕のあだ名ですか!?」

 テンポよく突っ込みを入れるレイフォン。漫才組(だとフェリは思っている。当然メイシェン達の事だ)とつきあってるからか、妙に上手い。

「でも、先輩に対してそういうのはちょっと抵抗があると言うか」
「先ほども言いましたが、初対面であんな態度を取っておいて、今更どう取り繕うつもりなんです?」
「正直、初対面の事に対して、先輩にだけはとやかく言われたくありません」
「その調子でやればいいでしょう」

 じと目で、口を滑らせた後輩を睨む。視線は既にそらされていた。

「やっぱり先輩に対しては、抵抗があると言うかですね。小心者の僕としては、先輩に大きな態度をとっておいて、はいそうですかとはならないんですよ」
「――腕が」

 と、レイフォンから若干視線をそらして手をさすって見せた。隙間から差し込む光に丁度当たるように位置を調整して、露骨に見せつける。

「痛いですねえ。これは明日、青あざになっているかもしれません。わたしも抵抗しませんでしたから、別に誰のせいとは言いませんけど、ねえ?」
「すみません、本当にあだ名とか考えるのは苦手なんです。なんとか別の事で許して貰えませんでしょうか」

 即座に頭を下げたレイフォン。その様子を見て、フェリはくすりと笑った。

「フェリで許してあげます」
「フェリ先輩、ですか?」
「フェリ、です。二度は言いませんよ」

 困った様な、こそばゆそうな、そんな曖昧な笑いをするレイフォン。
 強引だったかもしれない。そう思ったが、こうでもしなければもう名前で呼んで貰うことは無理そうだった。次にこんな機会があるなんて、そんな楽観はできない。緊張が悟られてしまわないか、心配になる。

「じゃあ、その……フェリで」
「まあ、今回はそれで許してあげましょう」
「ううぅ……まだこれ続けるんだ」

 表面上は済まして見せたが、内心は花吹雪が舞っていた。自分でも驚くほどに舞い上がっている。もう少し距離を近づけたい、そんな軽い気持ちで言っただけなのだったが。二人を繋ぐもの。当事者間のみで通用する呼び名というのは、フェリの予想を遙かに超えた破壊力があった。
 とは言え、それでも彼と親しい者達にぎりぎり並んだだけだ。油断を出来る立場ではない。

「……」

 と、気づくと、まじまじと顔を見られていた。

「なんです?」
「ああ、いえ。別に変な意味じゃなくてですね」

 焦った様子もなく、普通に堪えられて。今までも同じようなやりとりをする事はあったが、その時は酷く狼狽されたものである。当然だが、やはりそういう人間だと思われていたのだろう。事実を確認して気落ちこそしたのだが、仕方が無いと思っている。そもそもフェリこそ、彼を置物か何かのように見ていたのだ。それで好意的に思われていたら、それこそ恐ろしい。

「先輩って……」
「フェリです」

 呼称を即座に訂正する。レイフォンはうめきながらも、しかしそれに対応した。

「フェリって、かなり印象が変わりましたね。何と言うか、もっと取っつきにくい人だと思っていましたよ。リーフィ以外に興味を示しませんでしたし」
「そうでしょうね。わたし自身、あなたを相手に、ここまで饒舌になるというのは意外でした」

 同時に、それをとても悪くないと思っているのだが。その言葉は秘めておいた。
 そう――世の中分からないものだ。フェリがツェルニに着たのなど、所詮家族に対する反抗心でしかない。そこで何かがある事など、本当は期待して居なかった。しかし、フェリはリーフェイスに出会った。今もこうして、レイフォンと語り合っている。それだけでも、ここに来てよかったと、心の底から思えた。

「ありがとうございます」
「それはもう聞きましたよ」
「それでも、もう一度言いたくなったんです」
(……卑怯者)

 熱くなった顔を隠すように肩をすくめながら、内心で罵った。そんな事を言われてどうすれば良いかなど、全く分からない。無駄にため込んだ知識の、どこにも答えが存在しないのだ。
 何となく、手が錬金鋼に添えられた。開放状態のそれは、外見の真新しさに反してかなり年期が入っている。事実上の専用装備。故郷から愛用しているものだ。己の道を嫌いながら、こんな物を使い続けているというのもおかしな話だ。しかし、実際に使い慣れた物ではある。なにより、それを使った方が、情報的な意味で数倍雄弁になれた。
 当然、現実がそんなに上手くいくはずがなく。ただの気休めでしかない。
 それからしばらく、レイフォンは立ち上がり、リーフェイスを呼び寄せた。体当たりするように抱きつかれ、しかしよろめきもせずにしっかりと捕まえる。フェリはそれを見送り、立つことはなかった。
 太陽は、あと数分もすれば沈みきる。そんな位置だ。数の少ない街灯が灯り、少ない日光よりも強くあたりを照らしている。

「じゃあせんぱ……フェリ、僕たちはこれで」
「ええ。また、明日」

 いつもであれば「さよなら」の一言で済ますのに、今日は違う言葉が出る。それは、明日再会するのを願っているようで。どちらともなく、笑顔が漏れた。

「フォンフォン、一つ言っておきます。この先には」

 言いながら、一方を指した。そちらは、丁度レイフォン達が進む方向。
 錬金鋼に振れた指先、それはごく自然と剄を流していた。それは同時に、念威も流すと言う事。ほぼ反射的に散った念威端子は、いつものように周囲を探索した。その中の、自動収集した情報の一つ。

「隊長がいますよ」
「……。そうですか、ありがとうございます」

 礼を言ったレイフォンであったが――その足が進む先は、まさにフェリが指した方向だった。
 それについて、とやかく言うつもりはない。そんな資格自体、最初からない。ただ、一つだけ聞いておきたかった。

「迂回すれば、面倒はないと思うのですが」

 そして、三日ほど顔を合わせないようにして。あとは熱が冷め始めた頃に、拒絶でも謝罪でもすればいい。それが、一番角の立たないやり方なのだろうが。
 だが、レイフォンは首を横に振った。視線に頼りない物はなく、しっかりとしている。

「避けては通れない道ですから」

 ここで引けば、自分を偽ることになる――果たして、レイフォンがそう思っていたか定かでないが。フェリには、彼の背中がそう言っているように見えた。
 そう決めたのであれば、書ける言葉があろう筈もなく。
 ただ彼らの背中を、暗がりに消えて見えなくなるまで、フェリはずっと見送っていた。


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.027354001998901