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No.32355の一覧
[0] 【習作】こーかくのれぎおす(鋼殻のレギオス)[天地](2012/03/31 12:04)
[1] いっこめ[天地](2012/03/25 21:48)
[2] にこめ[天地](2012/05/03 22:13)
[3] さんこめ[天地](2012/05/03 22:14)
[4] よんこめ[天地](2012/04/20 20:14)
[5] ごこめ[天地](2012/04/24 21:55)
[6] ろっこめ[天地](2012/05/16 19:35)
[7] ななこめ[天地](2012/05/12 21:13)
[8] はっこめ[天地](2012/05/19 21:08)
[9] きゅうこめ[天地](2012/05/27 19:44)
[10] じゅっこめ[天地](2012/06/02 21:55)
[11] じゅういっこめ[天地](2012/06/09 22:06)
[12] おしまい![天地](2012/06/09 22:19)
[13] あなざー・労働戦士レイフォン奮闘記[天地](2012/06/18 02:06)
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[32355] ろっこめ
Name: 天地◆615c4b38 ID:b656da1e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/05/16 19:35
 しくしくと痛む腹を抱えながら、レイフォンはそこにいた。何とかごまかそうと試みるが――それで疼痛が和らぐ事はない。唯一の対処法は、封じられて久しかった。
 制服でも訓練服でもない、いわば学内対抗戦のユニフォームとも言える服。それを着て、レイフォンはうなり続ける。自分用にと調整された錬金鋼に、同じく専用にされてしまったユニフォーム。普通の武芸者であれば喜ぶようなそれらも、レイフォンには重荷にしかならない。
 これから、また武芸をしなければならない。どれだけやる気がなくても、自分の力を知らしめることになる。一歩間違えれば――グレンダンの二の舞だ。まるで悪夢のようなプレッシャー。そんな圧力に晒されているのに、良いとこ探しや気を抜いて楽になどなれない。少なくとも、レイフォンはそんな図太さを持ち合わせていなかった。
 一度苛立ってしまえば、何に対しても神経質になってしまう。例えば、

「相手の最大の武器は機動力だ。我々がしなければいけないのは、まず敵の足を止める……」

 さっきから、都合三度は繰り返されている作戦とか。それが、戦いたくもない戦場で勝つためのものだと思ってしまえば、不満も一層だった。
 揺れた指先が、剣帯に刺さった錬金鋼に触れる。いい加減に重心だけ設定を合わせた、青石錬金鋼。そんなものは、重荷以上の何にもなってくれない。いや、むしろ。
 小隊員となり、小隊全体に集まる羨望の幾ばくかを負わされる事になる。それはかつて背負ったものよりは遙かに小さいだろうが、しかし同質である事には変わりない。そして、有り難くもないものを得て、さらに負わされるものがある。責任だ。戦って勝つ事ではない、武芸者として模範となる責任。どうあがいても、逃げようもなく津波のように襲いかかるそれ。
 いつの間にか、錬金鋼に触れる指が震えていた。それを誤魔化すこともできずに、立ち上がる。

「少しトイレ行ってきます」
「おお、もうすぐ始まるからな。そのままバックレんなよ」

 ははは、と笑いながらシャーニッド。彼としては、ジョークで言ったのだろう。それに釘を刺されたと感じてしまうのは、レイフォンに後ろめたさがあるからだ。
 選手待機室をとアリーナを繋ぐ通路には、見事なまでに誰も居ない。これは試合直前は選手を落ち着かせようという配慮と同時に、スパイ等の不正を防ぐためでもある。つまり、誰に見られる心配もない場所だった。気と一緒に息を吐いて、思い切り脱力するレイフォン。
 馬鹿正直にトイレに行って戻ってくる気にもなれない。しばらくゆっくりと歩いて気持ちを落ち着かせていたが……すぐに、外にで無ければよかったと後悔した。
 本来人が居ないはずの場所に人影。こんな、立ち入りの許されていない場所に入ってこれる人間など、そうそういるものではない。そして、レイフォンの知っている人間でここまで入ってこれる者は一人しか居なく……その最低の予想は、最悪な事に当たってしまった。銀光を反射する眼鏡と白の装飾が多い学生服は、二度見たいものではなかった。

「やあ、偶然だね、レイフォン君」
(どの口が……)

 心からにじみ出た悪態は、堪えるまでもなく口に出なかった。どうやったところで、目の前の男に口で勝てる気がしない。あきらめにも似た心境で、堪えた思いは心中で黒い渦になる。
 わざわざこんな、申請しなければ入れないような場所まで来て、一体何を言うつもりなのか。

「随分緊張しているように見えるね。こんな試合、君には慣れたものだと、わたしは思っていたが。記憶違いだったかな? それとも何か、緊張しなければいけないような事でもしているとか?」

 鋭くレイフォンを捉える目。それに思わず動揺してしまうが、それははっきりと失敗だった。カリアンがいつもの胡散臭い微笑に戻るが、しかし目つきは全く笑っていない。

「いや失敬。邪推に過ぎたね。まさか……まさかさ。そんな不義理で無意味な事をするはずがない。そうだろう?」

 求められる同意。カリアンから、肯定しろという圧力がかかってくる。蛇に睨まれた、そう思ってしまうほどのそれ。目をそらす事すら出来そうにない。
 手を強く握る。なんとか、反発するだけの力を絞りだそうとして。こんな事は、自分がすべき事ではない。契約に入っていない。

「何か言いたげだね」

 言葉に、心臓が跳ねた。強烈に、それこそ破裂するのではないかと思えるほどに。ただ一言で、蓄えた力が抜け落ちる。空かされた力に、絶望しそうになった。
 レイフォンはカリアンを見るが、そこにどんな感情があるのか分からない。そんなに自分は上手くないというのも、自覚はある。ただ、ほんの僅かでも何かつかめることがないかと期待をしたが、上手くは行かなかった。

「言ってくれて構わないよ、何でもね。君とわたしの仲じゃないか」

 遠回しに、契約の事を引き合いに出されて。黙ることすら許されていないと知る。
 萎えきった、殆ど屈服していると言っても良い精神状態。何も言いたくなどなかった。だが――いや、だからだろうか。口が開くのも止めることはできなかった。

「僕が、約束したのは……ツェルニの勝利についてでしょう? こんな……こんな風に戦うなんて、約束していない」
「前者については、その通りだ。そして後者については、君が勝手にそう思っていただけだろう」

 下らない事を――態度がそう言っていた。当てつけの用に息を吐く仕草一つとっても威圧を覚える。いや、事実プレッシャーを与えるために、計算し尽くされたものなのだろう。無駄なことは絶対にしないし、有用であれば何でもする。そういう、本物の政治家であるとは、嫌と言うほど思い知らされていた。

「君は最強だ。誰も勝てない。少なくとも、学園都市という未熟者の集まりでは。そうだな、君に勝てるとすればそれは……何か、予期せぬ出来事が起きた場合くらいだろう。それが、都市対抗戦にないと言い切れない」

 確認をするように、一つ一つ念を押すように。重苦しい空気に見合った、重苦しい言葉。それが、レイフォンに刻みつけられる。

「都市の武芸者が、弱くて良い理由など何一つ無い。『もしも』が起きた時に、最低限盾になる程度の力は必要なのだ。今のままではそうなってくれない、弱い武芸者のままだ。だが、一年の小隊員が華々しく活躍してくれればどうか。そうだな、それはカンフル剤になり、同時に「このままではまずい」という危機感にもなってくれる。これも、ツェルニ勝利の為に必要な事だ。違うかね?」
「……詭弁でしか、ない」
「そうだね、そうかも知れない。では、負けてみるかね? その、負けた誰かがどんなつもりかは知らないし、考慮すつもりもない。ただそこには、敗北という結果だけが残る。わたしは、そんな事すらできない負けた誰かの為に、金銭や時間を浪費してやる事などは出来ないよ。何せ、ツェルニ存続のためには金がいくらあっても足りない。しかし、勝つならいくらでも払うし、どういう形でも報いる。これがわたしなりの誠意さ。そして、まだ結果を全く残していない誰かは、どういう形で誠意を見せてくれるのか……」

 レイフォンの肩が、ぽんと叩かれる。通り過ぎる直前だった為に、カリアンの顔は見えなかった。それで良かったか悪かったか、それは分からないが。少なくとも余計なプレッシャーだけは味わわずに済んだ。
 安心は、すぐに不安に変わった。何が出来るわけでもないのに、結果だけは強要される。覚悟の出来ていない心に、新たな錘が落とされた。その重さは、胃の痛みにダイレクトに伝わる。藻草のびっしり生えたプールに落とされても、こんな気分にならない。そんな下らない事を確信できるほどに、最低の気分だった。
 親指が、自然とたこをこする。僅かな期間では消えてくれない、武芸者であった証明。レイフォンが唯一誇れた、確たる自信の源泉。しかしそれが、忌まわしくて仕方が無い。あれだけ昼夜を問わず極め染み付けた技が、今は己を呪うことしかしてくれない。
 かつては刀を、そして少し前までは剣を。いずれにしても武器を握り続けた手。見下ろした自分のそれは、武器以外に何が握れるのかも分からない。

(少し……。武芸だけしてればいいなんて思わずに、他のこともしてればよかったなぁ)

 握るものを知らないから、結局最後は武芸に頼る。唯一の拠り所に寄ることすらできずに、ただ、武器の末端である右手を見続けた。
 体が力を失って、肩から壁に寄りかかる。それでも座り込まなかったのは、まだ体のどこかに力が残っていたからではない。義務が残ってるからだ。欲しくもない義務が。
 結局、レイフォン・アルセイフとはそうなのだ。武芸意外は何も出来ない。そして、武芸に頼れば失敗をする。今回もまた、武芸に頼って失敗をした。学内対抗戦、それに――勝つか負けるかはまだ決めていなくても――出なければいけない。安易に契約など結んだ結果が、このザマだ。
 ずるずると体を引きずるように、来た道を戻っていく。何のために選手控え室に戻るのか、彼自身も分からなかったが。カリアンの言葉と、あとは義務か。それらに背中から急かされる。
 もはや、ため息すら出ないほどに疲弊して。たどり着いた控え室は、先ほどよりも遙かに居心地の悪い空気だった。



□□□■■■□□□■■■



 関係者用観戦室に戻ったカリアンは、体に優しくない椅子に、倒れるように座り込んだ。ぎしり、と鳴る堅い椅子。そして音には出ていないが、同じような音が出そうな軋み方をする体。
 良い所など探しても見つからない椅子。あえて長所を挙げるとするならば、それは肘掛けがある事だろう。無駄に疲れた精神には、そんなものすら有り難さを感じる。
 密度の薄い林を想定して作られた試合会場、それを一望できる大きな鏡張り。試合を観賞するのには、この上ない環境。そんな場所を占拠しているのを良いことに、カリアンは思い切り力を抜いた。絶対に誰にも――それこそ妹にすら見せられない顔。為政者としての仮面を脱ぎ捨てて、一学生に戻る。その顔には、強い疲れが浮いていた。そして、そんな場所でしか、彼は素顔になれなかった。
 カリアン・ロスという人物を表現するならば、政治の怪物。そう言って間違いはない。だが、それでも彼はまだ学生でしかなく、人生経験が豊富だと言いがたい。ツェルニという弱小学園を強化しつつ運営するには、圧倒的に経験が足りなかった。足りない分は、どこかから補わなければならない。それが彼にとっては、冷徹な貌と恐怖支配と言われかねない強引さだった。
 無茶である事は承知している。それが長続きしない類いのものである事も。人を叩き伏せて得た力は、弱みを見せれば一瞬で食い散らかされる。それでも、その愚かな選択をしてしまったのは。ツェルニにもカリアンにも、時間がなさ過ぎたからだ。そして、誰の指示も得られないような、恨みばかりを買うような真似までして。なおツェルニには力が足りなかった。
 絶望の……死の足跡が聞こえる。愛する第二の故郷が、永遠に失われる音だ。
 意思を同じくしているはずの武芸科長ですら、助けにならなかった。次は勝てるという楽観と、自分の実力に対する根拠のない自信。それが通用しない事など、二年前に嫌と言うほど味わった筈なのに。
 誰も当てに出来ない。同じくツェルニを愛する者ですら、泥を噛む覚悟がない。カリアンの孤独な戦いが始まり――しかし、それを続けるごとに絶望ばかりが広がった。どう頑張っても、あがいても、ツェルニを守れるという見込みを作る事すらできない。都市の最高権力者になった所で、武芸者を変えられるのは武芸者だけだという常識を突きつけられただけだった。
 武芸者を変えるには、意識から改革するしかない。だが、一般人が武芸者の意識に触れる事はできない。つまり、カリアンでは彼らを変えられない。
 いつしか、もう武芸者の相手をしていられる余裕はなくなっていた。焦燥に駆られながらも、なんとかツェルニ有利に武芸大会を運ぼうと、そう苦心している時だった。入学申請書の中に、ある学生の書類を見つけたのは。
 レイフォン・アルセイフ。グレンダン出身の十五歳。
 その名前と顔を、カリアンは五年経った今でもよく覚えていた。街の片隅あたりを、同年代の子供達と駆け回っているのが似合う、そんな年齢の少年。それが、輝かしく羨望を一点に集める姿。記憶に焼き付かぬはずがない。
 五年経って少年は青年となり、しかし面影は濃く残していた。だからこそ、ぱっと見の書類で勘付くことが出来たのだが。
 重要なのは、そこではない。レイフォン・アルセイフという、およそ最高の武芸者がツェルニに来るという事実だった。――奇跡が起きた。神は、人を助けるのだ。本気でそう信じられるほどに、彼の到来は救世的なものであった。それこそ、普段意識して冷徹を貫くカリアンが、人目を憚らず踊り出しそうになるほどに。
 問題がない訳ではない。グレンダンという都市が、天剣なる武芸の傑作を放逐する事態、安い理由などではないだろう。加えて、レイフォンは一般教養科として入学する事を希望していた。これこそが、訳ありなのを確信させる。
 だが、そんなことは些末事だ。勝利の目処すら立たぬ状態から、ほぼ確定できる状態にまで持ってこれるのだから当然だろう。
 新入生の入学前にはレイフォンが学園に来る経緯も手に入れた。確かに問題がある行為だが、それは自分で調整してやれば何とでもなると判断。いや、たとえ毒杯であったとしても、カリアンは煽っていただろう。それに比べれば、随分とましな状況ではあった。
 可能な限り準備を整えて、何とかレイフォンを上手く使おうとして。新たな、そして最大の問題が溢れた。
 彼からは、気力ややる気というものが、すっかりと抜け落ちていたのだ。

(何が彼をそうさせたのか……いや、それはどうでもいいのだ。問題は、どうやって彼をその気にさせるか)

 気力に欠ける、それは何よりも恐ろしい。もしも、その何かが抜け落ちた状態で武芸大会に出て、万が一集中が切れてしまったら。ツェルニは、それで終わってしまう。決定的に。
 実力は信じられる。が、彼の無気力さにも同じくらい負の信頼があった。今のレイフォンを見て、武芸大会だけはしっかりやってくれる――そんな楽観など、絶対にできない。なんとかして本気になって貰わねば。彼の本気を、引っ張り出さなければツェルニの未来を守れない。
 さりげなく挑発したり、煽ってみたり、逆に懐柔を試みたり。手を尽くしてみたが、結果は全て空振り。分かったのは、レイフォンは気が弱い性質だと言う事だけだ。交渉はカリアンに上手く行ったものの、しかし真に知りたいことは全て隠された形になってしまった。

(怒りでも、悲しみでも、喜びでも、何でもいい。どこかに、彼の本気を見つけなければ……対処のしようが無い)

 深く座り直し、足を組む。顔はいつの間にか、個人の者ではない、学園の代表である生徒会長のそれに戻っていた。
 つい先ほどの一幕――レイフォンに勝利を強要した話。それに従う従わないというのは、カリアンにとって重要ではなかった。はっきりって、無様に負けようが全く構わない。いや、むしろ反逆して負けてくれた方が、レイフォンという人物が分かるというものだ。もしくは、試合が終わった後に何かしらのアクションを見せてくれれば。それで目的は達成される。
 一番厄介かのは、中途半端にこちらに従われる事だ。多少でも我を通してくれれば、そこに意思を見ることが出来る。だが、流されてしまっては何も発見できないのだ。そうされては、カリアンはまた不本意な動きをしなければならない。
 レイフォンとは友好的な関係を作りたいのだが。しかし、学園と彼の状況がそれを許してくれなかった。

(最悪の場合、彼の怒りの矛先はわたしに向けないと……。嫌うのはあくまでカリアン・ロス個人であって、ツェルニは心地よい場所でなければならない。可能ならば、自分から都市を守ってくれる程に)

 それは、恐ろしいことだ。武芸の本場であるグレンダンの、さらに最強の戦士。そんな超存在の怒りを一身に受ける……想像するだけで震え上がる。

(義務だ。これはわたしの、受けねばならない義務。自覚しろ、わたしの地位と権力と、そして命まで。全てがツェルニのためにあるのだ)

 カタカタと振動する拳を、もう片方の手で無理矢理押さえつけた。それでも止める事は出来なかったが、せめて目だけは反らさない。自分に言い聞かせるように言った言葉は、気休めでしかなかった。だが、責務を思い出せる程度の効果はあってくれる。
 レイフォンに悪いことをしているという自覚はある。が、今更止まれはしない。どうしても、彼の人となりを知りたいのだ。その気になってくれる事を、ただの無気力でない事を知らなければいけない。

「最悪の場合は、もう一つ仕込まなければならないかな……」

 その言葉は、自然と漏れていた。思い出すのは、レイフォンが所属する小隊の隊長、ニーナだ。実直すぎる正確の彼女を隊長として許したのは、その為でもある。自身と同じく、学園存続への生け贄とするために。
 間違いなく外道の所行だ。誰に後ろ指を指されても、言い訳など全く出来ない悪魔じみた行為。それを実行する事を本気で考える自分に対し、自嘲するしかなかった。
 カリアンはフィールドを見下ろして、ため息をつく。窓越しに広がる林には、小規模な土埃が舞っている。
 試合終了のコールが鳴った。会場は歓声に包まれ、実況が熱に浮かされてまくし立てた。その中身は、レイフォン・アルセイフという新人を褒め称えるもの。つい先ほどまでは、第十七小隊劣勢の実況ばかりがあったというのに。
 気分は、最悪だった。



□□□■■■□□□■■■



 試合が終わってすぐに、レイフォンは控え室を飛び出した。とてもそこに居られる雰囲気ではなかったし、居たら無事に済まなかっただろう。
 結局――レイフォンはまた失敗をした。いつものように、状況を打開するのに力に頼って。もしかしたら、カリアンに脅されなくてもそうしていたのではないか、そう思えるほど自然に。
 アリーナを後にして、控え室に付くまで。ニーナが目を合わせようとしなかったのは、最後の自制心を働かせたからだろう。
 控え室に付いた瞬間に投げられた、あの射殺さんばかりの視線。それが自分に向けられたものだと自覚した瞬間、レイフォンは部屋の外に逃げていた。背後から届く怒号、それを振り切るようにして。
 武芸者が短距離を全力疾走したところで、汗一つかきはしない。だが、今のレイフォンは汗どころか、呼吸すら乱れていた。息が乱れれば、剄が発生しない。剄が何のであれば、武芸者たる力を発揮できない。そうなってしまえば、発揮できる力など鍛えた一般人程度にしかならないのだ。
 肩で息をつきながら、忘れようとしても離れない視線を意識してしまう。それは、よく知っている視線だった。グレンダンに居たときに、似たような視線はごまんと浴びてきた。過去の間違いを象徴するそれ。残りの三人もそんな目で自分を見ていると思うと、恐ろしくて仕方がなかった。
 会場内のどこかの廊下で、ひっそりと膝に手を乗せて呼吸を繰り返す。運動のためか、それとも恐怖心にか、或いは両方か。吹き出た汗は一向に引かない。体はまるで、そのやり方を忘れてしまったかのように、剄息を行ってはくれなかった。
 ひっそりと、泣きたくすらなる。思わずその場で座り込みそうになり、

「……あの、レイとん?」

 声をかけられて、びくりと体を震わせた。怯えるように、発信源を向く。
 向けた先には、いつも通りの筈だが見慣れない、メイシェンの泣き出しそうな顔があった。恐れていた相手でなかった事に、深く安堵する。

「ごめん、驚かせたね」
「ううん、それは大丈夫だけど……どうかしたの?」

 心配そうに顔をのぞき込んでくるメイシェンに、心が癒やされた。それと同時に、痛みもする。過去の罪も、逃げ出してきた理由も何も告げていない。なのに優しさだけを当然と得るのは、裏切りだ。それを自覚したところで、言えようはずもなかったが。表情だけは取り繕って――取り繕ったつもりで――答える。

「ううん、何でも無いよ」

 言ってはみたが、メイシェンの顔はその言葉を信じていなかった。表情には心配の色が、さらに扱くなる。それでも追求がないのは――レイフォンがわざと彼女のそういう気質を利用したから。
 気が抜けたためか、膝からも力が抜けていく。壁により掛かるようにして体は下がっていき、地面にたどり着く前に支えられた。不意の衝撃に少々驚きながら下を見ると、そこには長椅子が。それにすら気づけないほど動揺していたらしい。
 レイフォンが座り込んだのは、そこで落ち着いて話すためだと思ったのか。メイシェンも動揺に、椅子に座った。二人の間に一人分の隙間があるのは嫌われているからではなく、彼女らしさだろう。加えて言えば、いつもであればその隙間には、子供一人が入っているのだ。

「メイシェンこそ、こんな所までどうしたの?」

 彼女がここまで一人で来たというのは、少し考えづらい。ただでさえ人が苦手なのだ。

「わたしは……ミィ達と来てたんだ。それで、さっきまで一緒にレイとんを探してたんだけど、わたしはちょっと……」

 うつむき加減で話す彼女に、リーフェイスと一緒に居る時の快活さはない。いつも猫背で他者を伺う姿は、最初は同一人物だと思えなかったものだ。今でも双子だと言われた方が、しっくりくるくらいである。
 気の弱いメイシェンを単体で見ると、惜しい美少女という感じなのだが。子供と戯れている姿を見ると、ギャップがまた可愛らしく見える。あの向日葵のような笑顔の美少女が、ちょっと涙目で上目遣いをしている。それも中々悪くないでしょ、と言うのはミィフィの弁だ。それにはレイフォンも大いに同意したのだが、それは余談だろう。

「はぐれたの? 一緒に探そうか?」
「あ……違うの、そうじゃなくて……!」

 申し出に、慌てて訂正を入れるメイシェン。あまりに必死な姿に、レイフォンは疑問符を浮かべた。
 付き合いの期間で言えば、大したことの無い二人なのだが。しかしリーフェイスの事もあってか、今では遠慮無く話が出来る程度の仲ではある。少し秘密があった所で、それにショックなどは覚えないが。しかし、心配になるのも確かだった。
 首を傾げるレイフォンに、メイシェンは顔を赤くする。ついには目を強くつむって顔を俯け、視線すら合わせられなくなった。

「お……お化粧室に用が……あったから」
「……」

 なんと答えればいいか分からず、レイフォンは沈黙するしかない。自然と顔が火照り、なんとなく視界から彼女を外す。トイレに行きました、などと言われて気の利いた答えなど出ない。それが出来るのであれば、世の中をもうちょっと上手く渡っている。
 ただでさえ小さく座っていたメイシェンが、さらに小さくなった。放っておけば、その内消えてしまいそうだ。

「その、大丈夫?」
「……帰りだったから」
(……ごめん)

 さらに小さくなったメイシェンを見て、また余計なことを言ったと悟る。謝罪は内心だけで済ませて置いた。直接言えば、さらに萎縮しさせてしまうのは目に見えている。

「ところで、僕に何か用があったみたいなんだけど」

 なるべく自然に、話題を変えたつもりだったのだが。声がうわずるのは押し隠せなかった。
 問われたメイシェンはごく普通に顔を上げた。レイフォンの緊張には気づかない……と言うよりも、それだけの余裕がなかったのだろう。頬にはまだ赤らみの後を残し、目も潤んでいる。

「試合の後はお腹が空いてると思って、お弁当持ってきたんだけど……その、バスケットはナッキに預かって貰ってて……」
「いや、それは仕方ないよ。それじゃあ、後で貰えるかな」

 まさかトイレに持って行けないしね。などと、また余計な事を滑らせそうになったが。なんとか止めることに成功する。
 気まずい雰囲気こそは改善されたが、今度は別種の沈黙が訪れる。居心地の悪さこそないが、なんとなく言葉が出てこなかった。そういえば、メイシェンと二人きりなのは、これが初めてだと気がついた。彼女はいつも親友二人と行動を共にしていて、別行動をすることはまず無かった。たまに居ないときでも、間にはリーフェイスが挟まっていたのだ。
 なんとなく続いた沈黙を破ったのは、メイシェンだった。

「そうだ……レイとんの試合、凄かったよ」

 その言葉は、忘れかけていた重さを思い出させる力を持っていた。多少は楽になっていた心が――ただ逃げていただけ――再び沈み込む。
 いつの間にか、汗は引いていた。そして、それに見合うだけ体は冷ややかだった。感情と連動したかのように、芯から冷気が漂う。肌を通るままだった滴の残りは、運動後の火照った体に寒いとさえ感じさせていた。
 雰囲気を一変させた――元に戻してしまったレイフォンに、メイシェンは戸惑うばかり。和らいだ雰囲気が一瞬で息苦しさすら持ったのだ。しかも、その原因を作ったのは、恐らく自分の発言。とても気を遣う、いや、使いすぎる彼女にとっては、その状態を作った自分を許せるはずがなかった。
 普段の涙しそうな顔をさらに歪めて、太ももを強く握る。それを見てしまったレイフォンは、大きくかぶりを振った。すべきではない。彼女がそんな顔をすべきでは、絶対にない。そうであるべきなのは、それを背負わなければいけないのはレイフォンなのだ。断じて、他の誰かではない。
 一つ、大きく息を吸った。わき上がる恐怖を、無理矢理押さえ込むために。震えそうになる体を叱りつけながらする事など、一つしか無い。懺悔だ。

「ちがうよ、メイシェン。君が悪い事なんて、何一つ無い。僕が、勝手に失敗して、自爆しただけなんだ」

 呟くように、ささやきにも似た言い方のそれ。こんな時ですら、言葉が聞こえなければ良いとでも、思ったのかもしれない。つくづく、自分がどれだけ愚かかを実感させられた。
 言って、しかし反応はすぐには返ってこなかった。普段であれば、相手など見ていなくても、これほど近距離であれば挙動すら掴める。しかし、今の精神状態では相手がそこに居る事すら察知するのは難しく。もしかしたら、本当は誰も居ないのかもしれない。その方がいい。レイフォンの弱い心が囁いた。
 そんな、都合のいいもしもがあるわけもなく。

「……失、敗?」

 ――聞かれて、しまった。
 沈みゆく心を処理することも出来ない。問われたことを処理するのにすら、時間がかかった。
 俯いたまま、言葉を紡ぐ。もし顔を上げて彼女の目を見てしまったら、何も言えなくなりそうだったから。

「本当は、負けるつもりだったんだ。適当に手を抜いて、適度なところでやられて。勝とうなんてつもりはこれっぽっちもなかった。本当だ」

 手が、自然と頭を抱えていた。ぐしゃりと、堅い髪質を手がこじ開ける。

「武芸なんて、もうどうでもいい。長年やってたし体にも染みついてるけど、続けたいとも、どうしても思えない。人前で武芸を披露するなんて、もうごめんだ」

 もう、と言った時に、レイフォンの手には自然と力が入っていた。そして、メイシェンはそれを見逃さなかった。指が僅かに閉じて、髪の毛をかき分ける。隙間から見える地肌は、赤くなっている。その僅かな動きで、どれほどの力が入ったのだろう。どれほどの感情が込められているのだろう。そして、恐らくそれを理解しきれないであろう――そこまで、彼女は分かっていた。

「でも……隊長は勝つぞって言ったんだ。会長は、勝てと言った。もう何がなんだか分からなくなったよ……。そのまま試合に出て、負けきる前に訳が分からなくなって……結果はあの様だった。僕は、どうしようもない奴だ」
「負ける……つもりだったの?」

 レイフォンは頷きながら、自嘲した。それ以外にどうしていいかすら分からなかった。
 力なく垂れた右腕が、視界に映る。恐らく、体の中でどの部分よりも精密に動かせるであろう部位。剣が右手の延長なのではない、右手が剣の根元なのだ。そう言われて、そう信じて、ひたすら武芸に打ち込んだ。今では、なぜそれほど熱中できたのかも思い出せない。
 なぜ、自分はどうしようもなく武芸者なのだろう。幾度も自問した問いに、やはり今回も答えはでない。ただ剣を握り、その結果だけが残る。

「わたしは、そういうの、よく分からないけど……勝っちゃ、いけなかったの?」

 内心で、思わず笑ってしまった。その問いかけは、彼が自問するに当たってもっとも無意味なものであったから。
 確かに他者から見れば、勝ってはいけないなどと言う方が理解しがたいだろう。聞きようにによっては、八百長だと取れるかも知れない。馬鹿馬鹿しい、しかし当然の問い。大前提。詰まるところ、それを知るというのは――レイフォン・アルセイフが、いかにしてレイフォン・アルセイフに『戻ったか』という事なのだ。

「故郷でも、失敗をしたんだ。だから、グレンダンを出てきた。……いや、正直に言うよ。僕は逃げ出してきたんだ、故郷から。だから、ここにも一般教養科で入ったのに、結局、こんな恰好でこんな場所にいる。まるで武芸者を続けるみたいに見えるよ、笑っちゃうよね」

 言いながら出た笑いからは、乾いた物しか出てこなかった。馬鹿馬鹿しい、何もかもが。自暴自棄になっているのは分かっていても、止めるだけの気力が残っていない。
 理性は必死になって、レイフォンの口を閉じさせようとしてた。言うべきでない事が、山のように口から出ていく。そして、これからも出続けようとしている。こうなってしまえば、どうせ時間の問題だ。遅かれ早かれ――なら、ここで吐き捨てたところで、どうせ何も変わりはしない。
 滲みかける視界に、何かがぼやける。見間違えるはずもない、家族だ……家族だった人たちだ。だが、その顔は、視界以上に滲んで表情すら分からない。

「良くない事をしている自覚はあったよ。けど、僕には他にどうすることも出来なかったんだ。みんなで生きていく為にはそうするしかない、だからそうした。きっと僕は許されない、それも分かっていた。でも……それでもさ、どこかで甘えていたんだ。みんななら、僕を許してくれるって」

 伸ばし駆ける手。そこには誰も居ない。
 中を泳いだ手は、力なく懐に戻っていった。

「でも、現実はそんなに甘くない。誰もが僕を非難して、後ろ指を指して……それは家族も例外じゃなかった。馬鹿だよね、その時になって初めて、それが絶対に許されない事なんだって知ったんだ」

 つま先が揺れている。いや、揺れているのは頭だろうか。分からない。上下の区別も、善悪も正邪も常識も、なにもかもが狂って曖昧になる感覚。運命の日に、全てこぼれ落ちた時に味わった。それを薄くしたような、しかし確かな悪寒。

「……もういいじゃないか。ただ普通に……武芸者じゃない生き方が欲しいだけなんだ。いや、武芸は続けていたとしても、武芸者ではいたくない。それなのに、また武芸者になって、しかも小隊員だなんて、何の冗談だ? こんなのは、ただの悪夢だ。馬鹿馬鹿しい。……でも、本当に馬鹿なのは僕自身だ。結局、何かがあれば咄嗟に体が動いてしまって。こんなになってもまだ、僕は武芸に頼っているんだよ。つくづく、救いようがない」

 自然と、体が軋むほど強く抱いていた。指先が頑丈な戦闘服を押しつぶし、腕に食い込む。
 感情が垂れ流すのに任せた言葉が、整然としている筈もない。めちゃくちゃで主語もないそれを聞いて、状況を理解できるようなものなどなく。精々が考えの足らない男の愚痴という程度だろう。もっと言えば、つまらない弱音が精々。
 メイシェンが立ち上がる。情動をはき出した為か、幾分余裕が戻ったためにそれが分かった。愛想を尽かしてどこかに行ってしまうかも――そう思ったが、しかしメイシェンはレイフォンの前に立ったままだった。

「……レイとん、わたしは……レイとんが、間違ってると思います」
(ああ、またか)

 自然と、心が諦めたように呟いていた。温度は違えど、幾度も投げかけられた言葉。それでも、慣れることは決して無い。
 またどこか、勝手な期待をしていたのだろう。彼女であれば、受け入れてくれるのではないか。懲りもせずに、根拠もなく。甘いことばかりを考える自分が嫌になる。
 幼い子供のように膝を抱えるレイフォン。彼を見下ろして、しどろもどろになりながらも、しかしはっきりとした口調で言う。

「……わたしには、レイとんがどんな経験をしてきたのかは分かりません。どんな……どれほど辛い経験をしたのかも、分かりません。それが正しいのか、間違ってるのか、それすら判断出来ないです。でも、一つだけ。絶対に間違ってるって、言い切れることがあります」

 視線を感じた。とても力強いものだ。
 レイフォンの知るメイシェン・トリンデンという少女は、気が弱い少女だ。少なくとも、こういう類いの力強さを見せたことはない。その強さは、どこからどうやって絞り出したものだろう。それが、無性にうらやましくなった。

「勝って、ください。試合に……嫌かもしれないけど、でも、わたしは、レイとんは勝つべきだと思います。ううん……勝たなきゃ、いけないんです」

 メイシェンはレイフォンの手を取り、無理矢理引きはがした。二の腕を食いちぎるように握っていた手が、彼女の手の中に収まる。
 いくら、それに抵抗しなかったとは言え、活剄を使用していなかったとしても。レイフォンは素の筋力だけでも、学園都市で五指に入るのだ。さらに言えば、メイシェンは女子の中でも非力な方である。筋肉の強ばった腕を動かすのは、並ならぬ事であった筈だ。しかし、そうまでして見せた。
 手は力強く握られていた。顔を上げる。しばらく見ていなかった気さえする彼女の顔には、目に涙すら貯めていた。
 こんな事は苦手なはずだ。人を諭すのも、力に力で抵抗するのも。そうするために、半ば泣いてまでいて――そうまでして、絞り出した力なのか。

「リーフィちゃんに試合を見せないのって、負けるつもりだから、です、よね? そんなのは、ダメです。リーフィちゃんは、レイとんを信じています。信じ続けます。だから、きっと……それだけのものを見せてあげなきゃ、ダメなんだと、思います」

 握る手が強くなる。精一杯力を込めているのが、よく伝わってきた。

「勝って、教えてあげて下さい。お父さんは、こんなに凄いんだぞって……その背中を、リーフィちゃんに覚えさせてあげなきゃ、絶対にダメです。レイとんには、それができるんだから」

 恰好良い――メイシェンの姿を言葉で表すならば、それ意外に考えられない。泣いていても、震えていても、顔が情けなく歪んでいても。これより恰好良い姿など、思いつかない。そして、レイフォンは最悪に恰好が悪かった。天剣の実力、現役の小隊員、ツェルニ武芸者のホープ。そんなものは、今の彼女を前にして何の役に立つと言うのだ。

「だから……お願いです。今までもそうしてきたはずだから、こんな事を言うのは、失礼だと、思う、けど……。頑張って……下さい……!」

 それは、今まで一度も言われたことのない言葉だった。握られた手の熱さが、じわりと体に芯を通す。体からすっかり無くなったと思っていた力が、どこからか、少しだけ湧いてくる。
 言い切って、メイシェンはすぐに目を伏せた。手からも力が抜けるが、未だに握ったまま。離すことが出来ず、さりとて力を入れ直す事もできず。戸惑うように、あるいは後悔するように彷徨っていた。それを包むように、レイフォンは握り替えした。これは、彼女から貰った力だ。
 手を握られた事に驚いたのか、顔が上がる。僅かに充血した目が、レイフォンに重なった。

「僕は駄目な人間だ」

 指から、力が抜け落ちそうになる。それを支えるのすら、今のレイフォンには難しかった。それでも、なんとか彼女の手を包み続けた。

「優柔不断で、情けなくて……メイシェンにここまでして貰って、まだ覚悟なんてできないよ。でも……」

 今度はレイフォンが、力強く手を握る番だった。いつの間にか指先が冷たくなっていた彼女の手。それに、出来るならば、自分の手の温かさが伝わってくれればいいと願う。
 膝に力を入れると、すんなりと立つことができた。さっきまではもう立てないかもしれない、とすら思っていたのに。彼女に励まされて、それだけで容易く出来るようになるのだから、現金なものだ。しかし、それが嫌ではない。むしろ、自身のそういう部分が好ましいとすら思っていた。

「頑張ってみるよ。ありがとう、メイシェンのおかげだ」
「う……うん! レイとん、がんばれ……!」

 それは、泣き笑いのようだったが――確かに笑っていた。笑って、レイフォンに返してくれた。なら、多分これが正解だ。笑ってくれる人がいるならば、それは間違いじゃない。
 こんな風にも出来るのだ、自分は。そう思えば、随分と体が楽になった。何でも出来る気がする。気がするだけだ、それは分かっているのだが。その感覚というのがまた、悪くない。とても悪くない。

「僕はもう行くよ。リーフィを待たせてるから」
「あ……わたしは、二人が待ってるから」
「駄目になりそうな時は、またこうしてくれるかな?」
「それは……ちょっと難しいかも」

 冗談めかして言った言葉に、メイシェンもくすりと笑って返してきた。いつも通りのやりとりが出来るならば、もう問題は無い。
 解決できた事など何もない。会長の事、小隊の事、試合の事、大会の事、問題は山積みであり、解決の目処は全く見えず。ただ、悔いる前に。もう少しやってみようと、そう思えるようにだけはなった。
 今は、それだけでいい。



□□□■■■□□□■■■



 去るレイフォンを見送っても、メイシェンはずっとそこに立ち尽くしていた。
 何かを考えているようには見えず、さりとて何かをしている訳でもない。ただ同じ姿勢で同じ方をずっと見て、呼吸や瞬きすら薄くしている。実際、彼女は目的もなくそのままだった。まるでそうしている事こそに意味があるとでも言うように、そうしていた。
 自覚がなく、自意識も希薄だ。ただ、熱さだけがある。顔と頬にだけ残る、確かな熱さ。つい先ほどの、記憶にある時間が確かに存在したと証明する証。
 指すら動かない。暖かな波紋、それだけが現実として残る。

「メイっちいたぁ!」
「なにぃ? 本当だ!」

 急に――先ほどまでは二人で、今は一人の空間がにわかに騒がしくなった。
 こんな誰も居ないような、設計ミスをしたとしか思えないような使い勝手の悪い通路。そこが騒がしくなるというのは、とても以外であった。そして、その感想は恐らく正しいだろう。そんな事を思いながら、やはり微動だにしない。

「トイレにどれだけ時間かけるのかと思ったら、こんな所で何をしてるんだ! そのまま流されていったのかと思ったぞ! よくやった!」
「こえーマジコエー……。なんで隊長さん、試合に勝ったのにあんなに機嫌が悪いのよ。なんかもう、あの目つき夢に見そうだわ」

 半ば絶叫しながら近づくミィフィとナルキ。二人は半ば錯乱しながら、人気の無い通路に活を入れる。
 その声がすぐ背後まで迫っても、やはりメイシェンは動かない。

「もー、レイとんは探しても全然いないし。フェリ先輩は我関せずと帰っちゃうし。シャーニッド先輩に至っては、空気読まずにナンパなんてしてくるし……」
「顔がにやけてるぞ」
「し……仕方ないじゃない! ミィさんはあんた達と違って乙女レベル低いんだから、ナンパなんて初めての経験だったんです!」
「いや、最近乙女パワー全力のメイシェンはともかく、あたしの乙女力が高いってのは初耳なんだが」
「何言ってるの、ナッキも人気があるんだから。……男装の麗人的な意味で、主に女の子に」
「よし決めた。お前はあとで泣くほど泣かす」
「処刑宣言!?」

 いつもの調子で騒ぎ立てながら、しかし全く反応がない。ナルキは怪訝に思いながら、眉をしかめた。
 肩に触れる手。しかし今の感覚は、触覚すら遙か彼方に置き去りのようで。そんな確かなものすら、遠すぎた。

「おいメイ、何か反応してやれ。このままじゃミィが馬鹿みたいじゃないか」
「いやなんでわたし限定!? わたしじゃないから、ナッキがそうだから!」

 ツェルニに来て妙に弄られるようになったミィフィが、声を張り上げる。
 いくら声や触れ合いが彼方に感じられても、変わらぬ事がある。それは、そこに確かな存在として在るという事だ。どんなに現実感が希薄になったところで、現実ではなくなることなど、決して無い。耳や肌から届くそれが、どれほど茫洋としていても。受け取ってしまえば、それらは事実として処理される。つまり、知ったという事だ。
 到達したのであれば、そこにどれほど微かでも刺激が生まれる。そよ風ほどもない程度でしかない。しかしそれでも、メイシェンの意識を無理矢理現実に戻すには十分すぎた。
 膝が、今までは冗談だったと言わんばかりに力を失う。ナルキにもたれかかり――と言うよりも、殆ど抱きつくような形になって。それでやっと立っている状態を維持。

「うわっ、メイ、どうしたんだ?」
「あうあうあう……」

 聞かれながら、意味のない言葉を発する。それが言葉にならなかったのは、単純にナルキの言葉を聞いていなかったら。衝動だけで出た、言葉未満の声である。
 今、何を感じればいいのか、メイシェンは必死に探していた。勢いに任せて偉そうな事を言ってしまった。それをどう処理して、どう折り合いを付ければ良いのか、全く分からない。罪悪感、羞恥心、勢い任せの説教と、恥ずかしく偉そうな言葉。空気に飲まれた結果がこれである。
 少し、積極的になってみよう……そう思って動いた結果がこれである。結果は成功失敗以前に、斜め上過ぎた。勿論、自分が。レイフォンとの距離が少し近くなり、それだけは良かった――そうでも思わなければやっていられない。冷静になって自分の所行を思い出すと、思わず吊りたくなった。
 ナルキに優しく背中をさすられる。誰が見ても、彼女は錯乱していたのだから。
 しかしその程度では落ち着けるわけがなく。むしろ時間経過でどつぼにはまっていった。感情がぐちゃぐちゃにかき混ざり、処理落ちを繰り返す。そんな中、苦労してひねり出した一言、

「こしが、ぬけた」

 そんな、先ほどと同一人物だとは思えない情けない声を上げながら。必死にナルキにしがみつき……しかし視線だけはやはり、同じ方を向いていた。


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