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No.32355の一覧
[0] 【習作】こーかくのれぎおす(鋼殻のレギオス)[天地](2012/03/31 12:04)
[1] いっこめ[天地](2012/03/25 21:48)
[2] にこめ[天地](2012/05/03 22:13)
[3] さんこめ[天地](2012/05/03 22:14)
[4] よんこめ[天地](2012/04/20 20:14)
[5] ごこめ[天地](2012/04/24 21:55)
[6] ろっこめ[天地](2012/05/16 19:35)
[7] ななこめ[天地](2012/05/12 21:13)
[8] はっこめ[天地](2012/05/19 21:08)
[9] きゅうこめ[天地](2012/05/27 19:44)
[10] じゅっこめ[天地](2012/06/02 21:55)
[11] じゅういっこめ[天地](2012/06/09 22:06)
[12] おしまい![天地](2012/06/09 22:19)
[13] あなざー・労働戦士レイフォン奮闘記[天地](2012/06/18 02:06)
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[32355] ごこめ
Name: 天地◆615c4b38 ID:b656da1e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/04/24 21:55
 ぱちり、と。リーフェイス・エクステは目を開いた。
 自分の体を優しく包むシーツを、惜しげもなく跳ね上げる。意識は一瞬で覚醒しており、まどろむなどと言う事は全くない。
 ベッドから起きてスリッパを履くと、父――レイフォン・アルセイフはまだ寝ていた。これはいつもの、それこそグレンダンの頃からずっとそうである。昔は武芸に、今は仕事に夜遅い父は起床が遅い。そうでなくとも朝に弱いのだ。時間に余裕があるのに、無理に起こすような事はしない。
 今は『機関掃除』なる仕事をしており、そのせいで、いつもリーフェイスが寝てから帰ってくるようだ。その内仕事を変えて、一緒に寝られるようにする、と言っていた。負担になるのを恐れて口にしなかったが、その日を心待ちにしていた。
 朝起きてまずするのは、着替えである。脱いだパジャマは洗濯かごのなかに入れておき、前日に用意して置いた服を着る。最後に鏡を見ながら整えて、着替えは完了だ。
 続いてやるのは、朝食と昼食になる弁当の準備。楽な仕事ではないものの、孤児院でも相応の仕事はしていたのだ。仕込みさえしてあれば、そう難しいことではない。
 冷蔵庫を開いて、中身をあさる。食材を胸に抱えては、脚立を上って調理台の上に並べていった。調理は決して手際のいい物ではなかったが、しかし手慣れている様子ではあった。
 パンをトースターで焼き、バターを塗る。レタスは手でちぎって、冷水の入ったボールの中に。お湯はポットの中に水を入れて、コンセントを指しておけば勝手に湧く手軽なものだ。卵を数個ボールの中に落として、続いてチーズを入れてよくかき混ぜる。塩こしょうを振っておくのも忘れない。
 ここまで準備をして、いよいよ本番だ。リーフェイスはフライパンを持って、真剣な顔をした。火でフライパンを熱し、暖まってきたら油を引いた。全体にのばした後に、溶き卵を投入。じゅっという心地よい音を響かせながら、しかしリーフェイスは必死だった。フライパンをがしゃがしゃと動かしながら、木べらで中身をかき混ぜる。普通であれば簡単に作れるスクランブルエッグも、小さな少女にとっては重労働だった。

「ふー」

 汗をぬぐいながら、用意した皿にスクランブルエッグを乗せる。正直形は悪かったが、リーフェイスは満足げだった。
 油を引き直して、続いて切り分けられたベーコン。さっきよりも油が跳ねて大変だったが、なんとかカリカリのいい焼き具合に仕上がった。
 そして、最後に。ここからが本当の敵である。ビニール袋を開いて、中から取りだしたのは鶏肉。キッチンペーパーで拭いて、新しい油になじませたフライパンに投入した。分厚い肉は、火加減が難しい。リーフェイスの目は真剣そのものだ。
 片面は強めの火で焼き後をつけて、肉をひっくり返し少量のワインを入れる。すぐに蓋をして、あとは蒸し焼きになるのを待つだけだ。この時、火から離れるような事は絶対にしない。火は、熱くて怖くて、ほっといたら苦しい事になる。それをよく知っている少女は、絶対に油断をしなかった。
 頃合いを見て、肉に串を刺し、火が通ったことを確認して取り出す。皿の上に開けておくのは、余熱を飛ばすためだ。
 スクランブルエッグとベーコンの乗った皿を、テーブルに移す。パンはリーフェイスが一枚、レイフォンが二枚。あとはインスタントのコーンスープで、完璧な朝食になる。
 休む間もなく戻って、今度は弁当の準備だ。レタスとハムのシンプルなものから、ポテトサラダ、残ったスクランブルエッグとボイルウインナー。最後にメインとして、焼いたチキンにジャムを絡めたものを挟み込んだ。こちらも、自分にしてはなかなかのできばえ。思わず胸を張り、吐息を漏らした。
 あとはパックにでも詰めれば完璧なのだが、それはできない。サンドイッチはまだ挟んだだけであり、切り分けられてはないのだ。
 ちらり、と流し台にある包丁を見る。しかしすぐに、かぶりを振った。

「火は、つかっていいの。でも『はもの』はダメ」

 それがルールだ。孤児院では、火と刃物、どちらもその恐怖を知ったら使い始めていい事になっている。リーフェイスは、火の恐怖をとてもよく知っていた。いや、たたき込まれた。だから、火を使っていいのだ。絶対に侮らないから。
 レイフォンも同じように、刃物を使い始める年齢は早かったらしい。同じように早くに使い始められたのが、なんとなく嬉しかった。ちなみに、どちらも通常は8歳から9歳あたりで使い始める。
 全部終わったら、石けんで手をよく洗う。使った道具を洗わないのは、それはリーフェイスの役割ではないからだ。
 父の負担にばかりなりたくなかった。だから、出来ることをする。そう決めた少女は、まず料理の一部を負担することから始めた。最初はレイフォンに断られたが、その熱意に最近折れたのだ。その裏には、多少なりとも今の生活の苦しさもあっただろう。
 夕飯を作るのは、レイフォンの役割。その時に同時に仕込みもしておき、朝に調理をするのはリーフェイスの役割。その役割分担をなんとか作れた。
 タオルで手を拭きながら、時計を確認し大きく頷いた。ちなみにこれは見ているだけで、あまりよく時間を理解していない。分かった気になって、だいたいいつもと同じくらいだと思っているだけだ。

「パパー、ぱぱー! あさですよー!」

 ベッドには入らずに、縁をぺちぺちと叩きながら声を上げる。しかし、レイフォンはシーツにくるまって身を捩るだけ。まだ起きる気配はない。

「パパー、パパー! ぱ、ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱっぱぁー!」

 起こしている内に、何かが楽しくなる。いつの間にか謎のリズムを取りながら、即興の歌を歌っていた。
 ううん、ベッドからうなり声が聞こえてくる。伸びた手は、まず目覚まし時計に伸びた。かちかちと何かをする動作をして、次に伸びた手はリーフェイスの頭。それは時計を操作した時より遙かに優しい手つきで、優しく頭を撫でる。

「んんぅ……リーフィ、ありがとね」
「えへへー。パパ、ごはんたべよ!」

 のそりと起きたレイフォンは、武芸をやっている時のような鋭さはない。普段の優しげなものでもない、緩慢で緩い雰囲気。しかしリーフェイスは、そんな父も好きだった。
 一緒に顔を洗って、テーブルにつく。適当に会話をしながら、しかしゆっくりしている程の余裕もない。手早く済ませ、レイフォンが食器をもって流し台に。
 父の準備が終わるまでに、リーフェイスも準備をしなくてはいけない。自分専用の小さなバッグを持って、今日の所持品を至極真剣に吟味するのだ。今見ているのは、リーフェイスの本棚と道具箱。それらは故郷を出る時に、事前に用意され、放浪バスの中に入れられていたものだ。そのため、所持している私物自体は、レイフォンよりも多かった。
 うんうん唸りながら、いくつかの道具をバッグの中に放り込み。チャックとマジックテープをしっかりと閉じた。

「リーフィ、今日は家にいる? それとも外に出てる?」
「おそと!」

 制服姿でネクタイを確かめているレイフォンに、元気よく答えた。ちょっと前まで外に出れないか、人の居る場所に行ってはいけなかったのだ。今では危険な場所と迷う場所以外、どこに行ってもいい。それが嬉しくて仕方が無く、連日外に出ていた。
 ちなみに、どちらかしっかり決めなければいけない。単純に、リーフェイスの身長ではドアノブに手が届かないからだ。出るのも入るのも、誰かがいなければできない。
 外に出て、一緒に戸締まりを確認する。リーフェイスも一応合い鍵を持っていたが、それを使ったことはない。

「リーフィ、いつも言ってる事は分かってるね?」
「あい! あぶないとこに行かない、わかんなかったら人にきく、ぴーって言ったら『かいかん』に行く!」

 アラームが鳴ったら、所定の場所に行ってレイフォンを待つ。場所と時間は、訓練があったりなかったりでまちまちだが。これが守れないと、外で遊んで待っているのは駄目なのだ。

「よし、ちゃんと忘れないようにね」
「はーい、行ってきまーす!」

 ぱたぱたと、レイフォンを置いていくように駆けていった。
 いつも家を出る頃は、人が一杯だ。今日も一緒の服を着た人たちが沢山居て、その人達に挨拶をする。

「おはよーござまーす!」
「おー……」
「リーフィちゃーん、今度こっちにも来てね!」
「転ぶなよ、おちび」

 元気がない人、いい人、ちょっと意地悪な人――いろんな人が挨拶を返してくる。最初はなぜか凄く驚かれたが、今では普通に挨拶を返されていた。
 人の流れに逆らって歩きながら、今日はどこに行こうかと考える。目的など無く、最低限の荷物だけ持って歩くのも、いつもの事。
 今でこそ人は多いが、もう少しすると殆ど人が居なくなってしまう。人がいないのだから、当然遊んでくれる人もいない。……と言っても、どの時間であっても誰も外に居ないなどと言う事はないのだが。とにかく、どこでどうやって遊ぶかというのは、彼女にとって一つの命題であった。
 むむむ、と悩みながら、レイフォンに言われたことを思い出す。一つ、建物の中に居る人に突撃してはいけない。それは多くの場合仕事や授業中であり(それがどういう意味かは分からなかったが)声をかけると迷惑になるのだ。一つ、外に居る人でも、大勢が集まっている場合は突撃してはいけない。理由は一つ目と同じ。一つ、初めて会う人にはしっかりと挨拶と自己紹介をする。これは当然だ、とリーフェイスは大きく頷いた。初対面でなくともしっかりとした挨拶は必要であり、それが出来ている自信もあった。グレンダンでは、元気な挨拶で何度も褒められたことがある。自分の得意な事の一つだ、と自画自賛しながら、鼻を高くした。
 ともあれ、今日の遊び場である。つまり、人の迷惑にならないように遊ばなければいけないわけだが。

「むむむむ……」

 かといって、ぱっと思いつくものでもない。ツェルニに来てから日が浅く、探索しようと思えばいくらでも場所はある。だが、それが逆に向かう場所を惑わせてもいるのだった。
 悩みに悩んだが、結局決めかねて。リーフェイスはそこらに転がっている木の枝の一本を拾った。使い方は簡単、その場に立てるだけだ。
 倒れる枝を目で追って、その先にあったのは垣根だった。背の低い縁石に、放置され気味なのか、乱れた植木が乗っている。誰が見ても分かる、これは道ではない。僅かに悩むように首を傾げたが――結局、枝の示すままに行くことにした。つまり、垣根の強行突破である。
 服に絡まる枝葉を強引に払いながら、一気に突き抜けた。
 全身に絡まった葉っぱをいい加減に払いながら、先へと進んでいく。真っ直ぐ人工林の中を突っ切っていくと、その先は公園だった。
 遊具があるわけでもない、ちょっとした広場。円形の四隅には、申し訳程度にベンチが並んでいた。男女で歩く者、木陰でクレープをぱくつく者、ジャージでジョギングをしている者――最後に、ベンチの上で寝転がっている者を見て、リーフェイスは駆けだした。

「ねー!」
「おわぁ! すみませんサボりました! すぐ戻ります!」

 ばしん、とベンチの縁を叩くと同時に、その上で寝ていた男は飛び起きた。慌てふためきながら顔を起こし、リーフェイスを確認すると脱力する。

「なんだ、お前か……脅かすなよ」

 こめかみを押さえながら、ふぅと息を吐いて脱力。緊張した体をほぐし、そのまま背もたれに体重をのせた。
 その様子を見て、リーフェイスはにししと笑う。

「いけないんだー、サボっちゃいけないってパパもいってたもん」
「あー……そうだな悪い事したなぁ。今度はサボらないから許してくれよ」
「ん」

 頭が左右に揺れるほど、乱暴に撫でられる。が、彼女はこれが嫌いでなかった。
 男は、一言で言って背が低い。そして、ちょっと横に広かった。肥満という程ではないが、どことなく丸い印象があるのは雰囲気のせいか。

「ねーねー、エドにーちゃなにしてるの?」
「何って、サボってるんだよ」

 男――エド・ドロンの意味の無い解答に、ぷっと頬を膨らませた。

「ちがうもぅん、サボって何してるのってことだもぅん」
「サボった意味? ああ、うーん、だらだらするため、とか?」

 何かがあるからサボったわけではない。あえて言うならば、何となく授業をする気分になれなかったという程度のもの。しかし、いざ理由を問われれば、なんと返していいのか言葉に困っていた。
 エドが首を傾げるのと同じように、リーフェイスも傾ける。曲がった首をやんわりと手で戻されながら、

「まあ、何でもいいだろ。けどそれがどうしたんだよ?」
「あそんで、あそんでー」
「いやだから。そういう気分じゃないんだって」

 両手でベンチを太鼓のように叩く。響く音にため息じみた吐息を吐くエド。しかし、頭の両側を持ち揺らして遊んでくれるあたり、付き合いのいい人でもあった。
 頭をぐるぐる回されて、きゃっきゃと喜ぶリーフェイス。その少女を見ながら、だるそうに背中を丸めて――ふと思いついたと、顔を輝かせた。

「よし、まあ遊ぶんじゃないけど、ちょっとお茶するか。ジュースくらいならおごってやるぜ」
「わーい! なにしてあそぶの?」
「だからお茶だって。休憩するんだよ」

 立ち上がったエドから差し出される手。その指二本だけを掴んで、ぶんぶんと振り回す。彼の手の高さは、リーフェイスにとって丁度いい高さなのだ。レイフォンだと、少し高すぎる。逆にフェリやメイシェンでは、少し低めだった。丁度いい具合だから、遠慮無く手をぶんぶんと振り回せていた。
 たどり着いたのは、普通のオープンカフェ。行きがかりにも何店舗か喫茶店があったが、彼は迷わずこの店を選んでいた。
 何か特別な所があるようには見えなかったが、なぜかエドはよそよそしい。挙動不審で、しきりに何かを気にしている。

「エドにーちゃ、どうしたの?」
「な、何でもないっ! 大人には色々あるんだよ」

 明らかに何でもある、うわずった口調で答えるエド。心なし、体も強ばっていた。
 ほぼ中心にあるテーブルを選んでエドが座り、その上にリーフェイスが乗せられた。普通の椅子では頭が届かないし、子供用の椅子もないためにこうするしかない。誰も居ないカフェテリアの中心は、まるでその場を占拠しているみたいであり、なんとなく心が躍る。
 頭上で、生唾を飲む音が聞こえた。心なしか手も震えている。
 エドはこの上なく緊張しながら、呼び鈴に指を添えている。添えているだけで、その指を押し込む気配はないが。あたりを見回したたり、メニューを見直したり、何かを諦めたようにしながら、しかしもう一度呼び鈴に触れて――

「注文、決まったかしら?」
「っーーーーーー!!」

 声にならない悲鳴を上げた。緊張で心臓が破裂してしまうのではないかと言うほど高鳴らせ、本人にも正体不明の鳥肌と冷や汗が一斉に飛び出る。声をかけたウェイトレス女性の方を向いて、顔のこわばりはさらに強まった。

「こんにちわ!」
「ええ、こんにちわ。ここは初めて?」
「あい。お茶するからって、一緒に来たの。ジュース飲むのー」

 えへへ、と笑いながら、動かぬエドの代わりに答える。
 答えたウェイトレスの女性は、随分と柔らかい雰囲気の持ち主だった。強めにウェーブのかかった長い髪に、垂れて優しげな印象の目。どちらかと言えばゆったり目の制服によく似合っている。身長や体つきも併せて考えれば、いかにもな優しいお姉さんだった。

「エドくんも、いらっしゃいね。今はお客様も全然いないから、ゆっくりしていってね」
「あ、う、はい」
「それで、そっちの子供は……」
「リーフェイス・エクステです! よろしくおねがいします」
「まあ、挨拶が出来て偉いわね」

 女性は、優しくリーフェイスの頭を撫でた。印象の通りの手つきだ。

「じゃあ、やっぱりこの子が生徒会から通知があった子なのね。と言う事は、子連れ狼の子の方なんだ」
「え……ええ、そうなんですよ! さっきそこで会って、じゃあせっかくだからちょっと休もうかなって!」

 ようやくフリーズ状態から解除されたエドは、まくし立てるように言った。まだ顔は赤らんだ状態であり、緊張しているのは丸わかりだったが。
 ちなみに、子連れ狼の名称は自然と広まったものである。何を思ったか、故郷から扶養者同伴で来た一般教養科学生。それが一日足らずで武芸科に転科し、しかも即日小隊入りするほどの腕前なのだ。どちらだけでも新聞の一面を飾りそうな内容なのに、両方ともなれば広まりは恐ろしく早いものだった。ある意味、今のツェルニで一番ホットな話題と言える。もっとも、小隊での対戦成績まで話題になってくれないというのも、一緒に噂だっていたが。

「けど、エドくん知り合いだったのね。驚いたわ」
「ああ、うーん。それは何と言うか、おれにもよく分からないんですけどね。さっきの調子で話しかけられて、それからちょこちょこ会っている内にいつの間にかこんな感じに」
「ふふふ……それはきっと、エドくんがいい人だって分かったのよ」

 穏やかな微笑を見せる。伝票のついたクリップボードは掲げたままであるものの、ペンを持った右手は完全に下ろされている。あまり真面目な勤務態度ではなかった。が、客の入りを見ればその様子も仕方が無い。
 話し込んでいる内に、エドの顔のこわばりも和らいでいく。それと同時に口もよく回るようになっていた。どれほどか世間話をしている内に、ふと、ウェイトレスの女性は何かに気づいたように言った。

「そういえば今の時間は、一年生は皆授業中だと思ったけど、エドくんはどうしたの?」
「あーいや、それは……」
「さぼったんだよ。わるいことしたから、リーフィがこらーってしたの」
「まあ、そうなの? リーフィちゃんは偉いわね。今度も、サボっているの見つけたらこらーってしてあげて?」
「ん、ちゃんとしかっとくの」

 代わりに答えたリーフェイスに、まずいと顔を引きつらせたエド。そんな様子など知らずに、少女は僅かに背中を反っていた。
 ウェイトレスの女性が、僅かに怒ったように顔を顰める。顔立ちと元々の雰囲気のせいで、全く怖くなかったが。

「ちゃんと授業は受けなきゃだめよ。エドくんなんか特に、こうやって小さな子供まで見てるんだから、見本になるようにしなきゃ」
「はい、面目ないです」

 まるで萎れるように項垂れる様子に、ウェイトレスの女性はよしと声を上げた。

「じゃあ、この話はこれでおしまい。それで、注文は何にする?」
「おれはコーヒーで、お前どうすんだ」
「えっとねー、リーフィはねー、じゃあピーチジュースにする」
「それ一個ずつお願いしますね」
「はい、ご注文承りました」

 手早く注文を記入して去って行くのを見届けて、エドは深く息を吐いた。体から何もかもが抜け落ちてしまいそうなほどに脱力。
 ある意味尋常ではない様子に、リーフェイスは心配そうに声をかけた。

「ねえねえ、どうしたの? どっかいたいの?」
「いや違うよ。……まあ、今回はお前がいてくれて良かったって事」

 やはり、分からないと首を傾げるリーフェイス。分からないのは分からないままだったが、とりあえずは体調不良ではなさそうだと判断して。初めて飲むピーチジュースとやらに心を踊らせた。
 待つだけの時間というのも、相手が居れば苦痛にはならない。意外なことだが、この二人の組み合わせは以外と会話が進んだ。基本リーフェイスが放しているのだが、時たま相づちを打つだけだったがエドが口を挟む。そうすると反論か同意か、とにかく会話が進んでいくのだった。ちなみに、内容はどれも大したことではない。

「お待たせ、二人とも。これがご注文の品になります」

 二つの飲み物がテーブルに置かれる。
 早速手を伸ばして中身をストローで吸い出す。甘みがかなり強かったが、くどさのない爽やかなものだった。ジュースの味で幸福を満喫する。
 その姿とは対照的に、エドはコーヒーに手を付けようとはしなかった。それどころか意識すらしていない様子で、再び緊張し始めていた。そして、意を決したように声を上げる。

「あの、先輩!」
「ちょっと待ってね。これは彼とわたしからのサービスって事で」

 置かれたのは、シュークリームだった。外側をさくさくに焼いたシューを半分に割って、中にたっぷりとカスタードクリームを詰めている。粉砂糖を振ってアクセントを付け、その横に二股フォークが置かれていた。サービスとは思えない豪華さに、リーフェイスは思わず目を輝かせる。

「たべていいの!?」
「ええどうぞ」
「わーい! おねえちゃん、ありがとう!」
「お礼はあっちのお兄さんに言ってね。用意してくれたのはあの人だから」
「うん! おにーちゃん、ありがとー!」

 ばたばたと元気よく手を振ると、カウンターの中で作業をしていた男の人が手を振り替えす。こちらも、遠目で判断しづらいが、しかし人が良さそうな雰囲気だった。ウェイトレスの女性とよく似合う。
 しかし、その様子に凍り付いたのはエドだ。先ほどまでの緊張とは全く別種の、体温を失った硬直をする。なぜなら、その女性とパティシエの彼の間には、えもいわれぬ甘い空気があったのだから。

「あの、先輩……つかぬ事を伺いますが、あちらの方は?」
「あ、彼? ちょっと無理言ってスイーツ用意して貰ったんだけど、やっぱりこういう所を見れると、お願いして良かったって思うわ」

 とろけるような笑みの先には、口の端にカスタードを付けたリーフェイス。女性の笑みよりさらに柔らかく崩れた笑みで、口にシュークリームを運んでいる。

「彼だって本当は子供が好きなんだから、もっと素直になればいいのに。あ、けど優しくないとかそう言うのじないのよ。ただ、それがちょっとわかりにくいってだけで」
「あ、はは……あはははは……。そうですか……」

 殆どのろけ話に突入した女性に、エドは笑いかけた。そうするしか出来なかった、とも言える。ちょっと涙目でもあった。

「自分の事ばっかりごめんなさいね。それで、さっき何か言いかけてたけど」
「いえ……、何でも無いです」
「あら、そう?」

 ウェイトレスの女性はあらかたリーフェイスを堪能して、持ち場に戻っていった。奥では、まあきっと、スイーツを用意した男性と話しているのだろう。
 シュークリームを征服し終わって、後ろを向く。エドは暗い雰囲気で、思い切り項垂れていた。

「元気だして、なー?」
「ああ……うん……そうだな。……やるせねえ」

 そんなこんなで。
 午前中は、ひたすら元気がなくなったエドを、リーフェイスが振り回すように連れるのだった。



□□□■■■□□□■■■



 昼食は、いつも決まった場所で決まった時間に食べている。殆どの場合、父と、同時にメイシェン達も一緒に。大抵は誰かに抱きかかえられながら弁当を広げる。
 リーフェイスとレイフォンの弁当はいつも代わり映えのないサンドイッチ。たまにメイシェンが弁当をくれると言うと、持参はせずにそちらを貰っていた。彼女の料理はとてもおいしい。少なくともリーフェイスは、自分が作る物より遙かにおいしいと思っていた。その内教えて貰おうかと思っている。
 そこそこの割合で、レイフォン達がこれない事もあった。レイフォンだけが来る時もあったし、逆にレイフォンだけがいない事もあった。父とメイシェン達、どちらもが来られない事も、稀にだがある。授業の都合らしいのだが、詳しいことは知らないし、どうでもいい。重要なのは、誰も一緒にいないという事だ。
 一人で食べるご飯は寂しく、寂しいのは嫌いだ。一緒にご飯を食べられる人を探すのだが、いつもの食事場所は人が多くない場所だった。
 少し前までは、それで苦労していたのだが。泣く泣く一人で食事をしていた事さえある。しかし今は、もうそんな心配は要らなかった。

「では、食べましょうか」
「あーい、いたあきまーす」

 そこが指定席であるかのように、リーフェイスを膝の上にのせたフェリ。その顔はいつもの仏頂面ではなく、ほんのりと微笑を乗せていた。
 一年が授業の時は、フェリが必ずここまで出向く。二年とは授業が必ず互い違いになるから、これない事は絶対にない、とは彼女の弁だ。

「ふふ……二人で食べるお弁当はおいしいですね」
「いや、さりげなく僕をいない事にしないでくれないかな?」

 二人の正面に最初から居たハーレイが、うめくように言う。具のたっぷり入ったパニーノを、ちぎっては口に放り込んでいた。
 フェリはいつの間にか来ていた彼を見て、いかにも鬱陶しそうに視線を投げた。乱暴なものではなかったが、態度はあからさまだ。

「……なんで居るんです?」
「レイフォンに頼まれたからだよ。一人でもちゃんとやってるか、様子を見てって」
「わたしがいます」

 少々むっとしながら答えたフェリだったが、それは簡単に返された。

「それを彼にはまだ言ってないでしょ? そうならそうと言えば、僕だって頼まれなかったろうに」
「むぅ」

 軽く言い返され、言葉に詰まる。実際、正しいのはハーレイだった。親が子を心配するのも、それで誰かに様子見を頼むのも、当然の事だ。そもそも、二人だけでいたい、というのもフェリのわがまま以上にはならない。
 理解はできるが釈然としない、そんな顔のフェリ。太ももをぺちぺちと叩いて気を引いた。

「ねーねー、おねーちゃん」
「何ですか? あとわたしをママと呼んでくれていいですよ」
「またそういう事を……。だからレイフォンも嫌がるんだよ」

 またと言うかいつもと言うか、フェリはしきりに自分を母親にしようとしていた。ちなみに、リーフェイスはレイフォンから「何と言われてもお姉ちゃんと言いなさい」とい言われている。仲がいいのか悪いのか、よく分からない二人だった。
 顔を向けた彼女に、サンドイッチを差し出した。今日の渾身の出来、チキンのジャム和えサンドイッチである。

「はい、あーん」
「ん……ありがとうございます。じゃあ、こっちをあげますね」

 フェリは自分の弁当(購入品)からパスタを絡めて、リーフェイスに差し出した。青野菜と鳥ささみの、少し高級感漂う一品。差し出されたそれを、少女は目を輝かせて食べた。
 彼女の好物はパスタだ――フェリはそれを知っている。何となく予想していたし、レイフォンからも確認を取っていた。今日も、わざとリーフェイスが好きそうな料理が入った弁当を選んだのだ。

「おいしーねー」
「ええ。サンドイッチもとても美味しかったですよ」
「えへへー」

 満足そうに、そしてどこかこそばゆそうに笑う少女。フェリも釣られて笑った。さらに、それを見たハーレイも微笑む。

「なんです?」
「ん? いやさ、君はよく笑うようになったなって。ちょっと前からは想像できないよ」
「そうですか? まあ、どっちもでいいですけど」

 興味なさげに言う。それだけで、彼女の意識から今のやりとりは消えていた。問いかけたのすら、ただの気まぐれでしかないのかもしれない。
 リーフェイスは続いて、ハーレイにもサンドイッチを差し出す。

「ハーレイちゃんも、あーん」
「ああいや、僕はいいよ。リーフィちゃんが食べな」

 口元まで迫ったそれを前に、ハーレイは慌てて否定する。今までの、はち切れんばかりの笑顔が一瞬でしょぼくれる。フェリの眉が僅かに跳ねた。

「リーフィがあーんしてるんですから、黙って口を開きなさい。それで代わりに何かあげればいいでしょう」
「その、代わりにあげる物がないから言ってるんだって。今日は一品しか買ってないんだよ」
「使えませんね。だからハーレイちゃんなんですよ。ニーナさんに言いつけますよ?」
「その言い方やめて! あとニーナにも言わないであげてよ。凄く気にしてるんだから……」

 ちなみに。リーフェイスは、ハーレイを女、ニーナを男だと思っている。理由は、ハーレイは髪が長く、ニーナは髪が短いから。あとは雰囲気で、そう判断してるとレイフォンは言っていた。その割には、ナルキは女性だと判断しているあたり、どうも基準が分からないのだが。
 ハーレイは勘違いを直して貰うのを早々に諦めたが、ニーナは訂正を続けた。曲がったことを放置できない性質だとも言う。もしくはリーフェイスの「おにーちゃん、男なのに女の子の恰好して変なの」という台詞がよほど利いたのか。とにかく、未だに性別が間違っているのを理解してもらう作業は続けているが、今のところ成果は上がっていない。
 サンドイッチを胸に抱えながら、蚊が鳴くような声で言う。

「リーフィの作ったサンドイッチ、たべてくれない?」
「え、これってリーフィちゃんが作ったの?」
「……うん」
「へえ、じゃあちょっと貰おうかな」

 受け取ったそれを一口で食べる。少女はそれを、はらはらと見つめていた。咀嚼し飲み込み、にこりと笑うと、リーフェイスも元以上の笑顔になった。

「うん、おいしいよ。料理ができて凄いね。パンに挟んだりとかしたのかな?」
「そうなの。あとね、お肉やいたり、バターぬったり、おやさいちぎっりとかたくさん! でも切るのだけはパパがやったの」

 という、さりげないリーフェイスの爆弾発言に、二人が目をむく。
 彼女が嘘をついたり、見栄を張るような子供ではないと二人とも知っている。ならば、今の言葉は全て真実なのだろうが。サンドイッチの仲には、子供がやるような域を超えた料理も混ざっている。

「あの……火を使って、お肉を焼いたりとかしたんですか?」
「ん。リーフィ、もう火だってちゃんとつかえるもぅん。でも、はものは、まだつかっちゃダメなの」
「それは凄いね。正直、なんで火はいいのかよく分からないけど……」

 理解しがたい。彼の表情は、その心情をはっきりと写していた。それでも、嘘だと断じないのは、人の良さかリーフェイスの信頼か。
 と、ハーレイはその程度で済んでいたのだが、

「そうですか……これはリーフィの料理で……つまり、料理が出来るのですか……」
「あの、フェリさん?」

 うなされるように呟きながら、心なしかうっすらとしたフェリ。その姿は、ハーレイが思わずさん付けをしてしまう程。
 煤けるフェリに、首を傾げたリーフェイス。そして、おそるおそるとハーレイ。

「もしかして、料理できない?」

 彼女は答えなかった。ただ、燃え尽きたように白くはなる。
 そうなってしまうと、もうハーレイに出来ることはなく。時々慰めるように声をかけるのが精一杯だった。
 リーフェイス・エクステ。本人は全く悪くないが、本日二度目の撃沈である。



□□□■■■□□□■■■



 食事し終えて一休みし、フェリ達と別れた後。午後からは、いつも訓練の時間になる。
 一日最低三時間、必ず武芸の訓練に当てろ。特に未熟なお前は、集中して制御訓練を続けるんだ――リーフェイスの師の言葉である。グレンダンの人間は僅かな例外を抜いて嫌いであるが、その数少ない例外の一人が、師匠だった。と言っても、特別好きだと言うわけでもないのだが。
 とにかく、彼の言葉に特に逆らう理由もない。彼女自身が武芸に何かしら特別な感情があるわけでもなく、強いて言えばそれが習慣だからか。師匠に貰った自分専用の特別製錬金鋼を持って、今日の訓練はどこでしようかと考えていた。……彼女の武芸者道具一式はグレンダンに置いてきたはずなのだが、なぜか父が持っていた。不思議な事ではあったが、まあどうでもいい事でもある。
 なるべく人の居ない場所で、なおかつ広くスペースを取れる場所が望ましい。これは、万が一剄が暴走した時に、どこにも被害を及ぼさないためである。頑丈な建物の中か、障害物のない広い場所で訓練をする。通常の錬金鋼で耐えられない剄を持つ者の常識だ。
 決して軽くないバッグを振り回す。中には錬金鋼に玩具に、師匠直々に執筆した訓練手引きノートの三冊目。これがないと鍛錬がいい加減になるため、全十冊を手渡されたものだ。
 場所は、外縁部まで行ってしまうと時間がかかるし、第一寂しい。決まった場所はないので(広い場所は大抵グラウンドであり、人が居るときと無人の時の差が激しいため)今日も場所を探す事から始めなければ。
 当てもないので、殆ど彷徨うようにぷらぷら歩く。

「なんだ、お前?」

 と、いきなり背後から声をかけられた。振り向くと、そこには一人の小柄な女性が。
 猫のようだ――彼女を言葉で表すならば、まさにそうであろう。鋭い目つきに鋭い眼差し、赤く癖の強い髪は背後で一纏めにしている。気の強い印象を受けるには、どうにも気まぐれそうな顔立ちが全面に出過ぎていた。何かを摘んだのか、口の中をもごもごと動かしている。無地の運動シャツに下はジャージを着て、それを濡らした姿はいかにも運動をした後という風体だ。
 フェリくらいの身長の女性に、リーフェイスはぴっと手を上げながら答える。

「あい! リーフェイス・エクステです!」
「ふーん、そうか。あたしはシャンテ・ライテだ。で、お前ここで何してるんだ?」
「くんれんのばしょさがしてます」

 やや前傾した手を伸ばしたまま答える。
 シャンテはしゃがみ込んで、視線を揃えた。近づいた顔はやはり猫のようであり、同時になぜか親近感を感じた。

「訓練場所か、お前武芸者か?」
「あい。がんばってぶげーしゃのくんれんしてます」
「そうか、ん、偉いな! お前も食え」

 差し出された紙袋の中には、パンの耳が入っていた。ただのパンの耳ではない、油で揚げて砂糖を塗したものだ。さくさくしていて美味しい。
 二人してパンのかすをぼろぼろ溢す姿は、まるで年の近い姉妹のようだった。ちなみに、シャンテ・ライテは正規のツェルニ学生で、五年である。

「ちなみに、何ができるんだ?」
「んふふ、なんとリーフィは『かんれんけー』ができます!」

 凄いでしょ、ほめてほめて。そう言わんばかりに胸を反らすリーフェイス。しかしシャンテは、それ以上に大きく胸を張って言った。

「ふふん、そんなのあたしだってできるぞ! あたしは副隊長だからな。活剄だって衝剄だって、槍だって全部できる!」
「すごーい! おねーちゃんぶげーしゃの人だ!」

 自慢そうにしていたシャンテの動きがぴたりと止まる。空に向かって開かれていた目は、どこか輝き感動していた。――お姉ちゃん、その言葉は、予想外にシャンテの琴線に触れていたらしい。
 シャンテは五年という上級生の立場であったが、上級生として扱われた事は殆ど無い。いや、普段はやはり敬語で話されたりはするのだが、その中にも侮るのとは違う気安さがあった。ぶっちゃけ年下のように思われていた。ナメられている、と言い換えてもいい。彼女が名実共に上の立場になるというのは希であり――精神年齢で言えば間違ってないのが、それに拍車をかけていた。
 そこに来ての、リーフェイスという明確にシャンテが『年長者』となる相手。しかもその子は、自分に尊敬の眼差しを向けている。シャンテの心の中に、形容しがたい感動が生まれた瞬間だった。

「しょ……しょうがない奴だな! 本当に、まったくしょうがないぞ! しょうがないから、あたしが武芸を教えてやる」
「わーい。よろしくおねがいします、シャンテおねーちゃん」
「ふふん、あたしの事は師匠と呼べ!」
「あい、ししょー!」

 呼び方について、特に意味やこだわりがあった訳ではない。ただ、指導者と言えば教師か師匠という印象があっただけだ。だが、呼ばれた本人には言葉以上の効果があったようであり。ただでさえ高かった鼻が、さらに高くなった。

「とりあえずは……錬金鋼だな。レストレーション」

 剣帯から引き抜いた錬金鋼を、引き抜いて形状を復元した。強めの光と共に、鉄束が前後に伸びる。穂先を上にして、彼女の矮躯が扱うには長すぎるようにすら見える長槍が現れた。

「あたしの錬金鋼は、槍型の紅玉錬金鋼だ。リーの錬金鋼は何だ? それとも錬金鋼持ってないか?」
「もってる! さんかくのやつ」
「三角? なんだそれ」

 バッグの中に手を突っ込んで、ごそごそと探る。目的のものはすぐに見つかった。取り出した錬金鋼は、通常のものより大分大型だ。少女は自分の手に余る握りの柄を、掲げたまま下に向けて言う。

「れすとれーちょん」
「……」
「……」

 何も起こらない。いや、少女の手が重さに負けてゆらゆらと揺れてはいた。
 錬金鋼とは、二種類の手順によって形状復元される。一つは剄の波長。流す剄によって、錬金鋼が形状復元の為の待機状態を作るのだ。これが合わないと、そもそも錬金鋼が待機状態になってもくれない。逆に、器用にも剄の質を複数作れるものであれば、一つの錬金鋼にいくつも武器を登録する事ができた。もっとも、そんな器用な者はまずいないが。そして二つ目は、音声入力である。こちらは剄承認よりも大分アバウトで、声質が変わっても正しい言葉で発声さえ出来ていれば(波長域を広めに取ってあるので)問題ない。音声承認により、待機していた錬金鋼は復元し、錬金鋼として機能する状態になる。
 剄の質と声、両方がそろわなければ錬金鋼を使える状態にすら持って行けない。つまり、所持者以外では使えない専用武器なのだ。これは勝手が悪いという意見はないでもないのだが、それが主流になることはなかった。
 専用武器として調整するのは、それだけ本人の能力に適合した道具になると言うことである。つまり戦場でそれだけ生存させてくれる。同時に、本人以外には十全に性能を引き出せないのだ。数値入力だけで容易く自分の専用武器を作れ、また作り替えられるという気安さもある。わざわざ量産品を使い回して、生存率を下げる事を喜ぶ者が居るはずもなかった。
 まあつまり、錬金鋼を使うには本人でなければならない。そして、しっかりと剄を通して『発声』しなければならない。言葉を間違えれば、錬金鋼は武器にならないのである。
 沈黙する空間に、ぷっという息を吹き出す声。シャンテのものでだ。
 顔を真っ赤にして口をへの字に曲げたリーフェイスが、ぷるぷると震え始めた。

「悪かった、悪かったって。もう笑わないぞ。だから機嫌なおせ、な?」
「……れすとれーしょん」

 ぶすっとした顔のまま、起動鍵語を唱える。先ほどのものより強い白光をしながら、単純に質量で勝るため。ずん、と音がしそうな程の重量感をもって、その武器は具現する。
 でかい、としか言えないそれを見て、シャンテは沈黙した。彼女の武器とて重量級武器に分類される、重く扱いの難しい武器であるのだが。それは、槍よりも遙かに重そうだった。
 まず目に付くのは形状である。武器の説明を求められて、三角形と説明をする。何とも馬鹿馬鹿しいとしか言えないが、シャンテでもそれは三角形としか言えなかった。中心に穴の開いた――つまり円環状の三角形。おまけに白と赤のマーブル模様なのは、工事現場の片隅にでも置いてありそうだ。長さもずいぶんなものである。リーフェイスの身長が低いとは言え、柄まで合わせれば頭頂部近くまであるのだ。
 どう考えても、まともに扱うことを前提に作られていない。まるで訳の分からない道具だった。

「なんだこりゃ?」
「だいとだよ?」
「それは分かってる。……いや、やっぱり分からないぞ」

 シャンテはもう一度まじまじと見てみたが、やはり怪訝そうな顔をする。それはリーフェイスも、概ね同意だった。こんなものを錬金鋼に持っている者を、彼女は見たことがない。

「ちょっと借りていいか?」
「いいよ。はい」
「おう……重っ! なんだこれ」

 柄を受け取って剣のように持ち上げようとして、シャンテは悲鳴を上げた。体感での重量は、槍の数倍はありそうだ。しっかりと腰を入れなければ、持ち上げることも出来ない。振ろうなどとは絶対に思えないような、そんな重たい武器だった。いや、武器として設計されているのかどうかすら分からない。
 ずどん、と下ろした時の音は、やはり重苦しい。柄は倒すように、リーフェイスに返された。

「変な武器だなー」
「ねー。せんせーにもらったんだけどね、カラーコーンみたいなの」
「ああ、そうそうそれ。そんな感じだ。お前の先生、何考えてたんだ?」
「わかんない」
「だよなぁ」

 それを最初に渡されたとき、不満しかなかった――父と同じ形状の武器ではなかったから――が、今では愛着もある。それなりに長い付き合いなのだ。
 錬金鋼を元に戻して、バッグの中に詰め直す。あの重量が嘘のように消えて、少女が軽く振り回せる程度になっている。

「あんなの役に立たないだろ。あれで何してるんだ?」
「かれんけーのれんしう」
「んー……それでもなあ……。こんな感じの、何かしてないのか?」

 言いながら、シャンテは槍を振って見せた。それは型の訓練と言いたいのか、それとも純粋に格闘訓練と言いたいのか。どちらにしても、リーフェイスはしていない。首を横に振る。
 彼女自身、そういう類の訓練をしたくない訳ではないのだ。特に剣。ただ、師匠は「化錬剄超派手! マジ最高!」という人物であり、父にも剣の才能はないとばっさり切られている。より才能がある方面を伸ばすというのは、ごく普通の教育方針だ。逆に言えば、機会に恵まれなかっただけだとも言える。
 だが、それはシャンテにとって、まさに最高の状態でもあった。

「よし、じゃあリーにはあたしが槍を教えてやろう、うん」
「えー……剣がいい」
「な、なんでだ!? 槍は強いし凄いんだぞ!」

 いかにも年長者という風格を(彼女にとっては)漂わせて、言ったのだが。それはリーフェイスの乗り気でない返事に、即座に否定された。一転、おろおろとし出す。

「だってパパ、剣つかってるんだもん。リーフィも剣がいいもん」

 とはいえ、そこはリーフェイスもおいそれと譲れないラインだった。今でこそ受け入れているが、当時化錬剄の名門ナイン武門(正確には違うが)に入れられると言うのも嫌だったのだ。今度こそは、やるなら剣をやりたい。
 その思いが分からなくもないのか、シャンテはむむむと口に出しながら悩む。彼女の主張は、ごく一般的なものなのだ。武芸とはまず自分の両親から引き継ぐものであり、次に道場に通うものだる。父が武芸者でありながら道場に通わされて、父の技に憧憬を覚える――何も不思議ではない。
 が、シャンテとてせっかく出来そうな自分の弟子、そうそう手放したくない。

「でも、あれだよ! その……そう、いきなり強くなってたら驚かれるんじゃないか! あたしも技を覚えてゴルに褒められたりしたからな。お前の父もきっと驚いて褒めてくれるぞ!」

 言われて、リーフェイスは自分にもその経験があるのを思い出した。よく化錬剄を一つ覚えては父に見せて、それを褒められたものである。最近は基礎固めと制御力向上に訓練内容を傾けているため、それで褒められていないのだが。とはいえ、無理して化錬剄を覚えるわけにも行かない。それは一番やってはいけない事だ。武芸者の力と同じく、武芸の訓練も管理されていなければいけない。踏み外した時に待っているのは、身の破滅だ。
 しかし、それが化錬剄ではなければどうだろうか。ちゃんとした(かどうかは分からないが)指導者がいて、化錬剄の訓練に干渉しないのであれば。そして、強くなった自分を見せて父に褒めて貰う。
 ……最強で、完璧だった。

「ん! やる! やりやる! 強くなる!」
「お、おおおおぉぉぉ! そうか、やるか! よし、あたしについてこい!」
「おー!」

 ずだだだだ、と走り始めるシャンテ。それに続いて、リーフェイスもずだだだだ、と走った。
 フリーダムだとか、暴走機関車だとか、とにかくそんな感じで走る二人。その終着点は意外に早く、そして近かった。
 それは、一言で言って物々しい建物だ。武芸者が使う道場などとはまた違う感じの無骨さ。入り口に扉はない。いや、よくあたりを見てみれば、遙か上にシャッターが付けられているのが分かる。中に入るまでもなく幾重もの機械の駆動音が響き、それはまるで巨大な獣のいびきのよう。
 初めて見る光景に、リーフェイスは目を輝かせた。巨大な機械が巨大な金属の塊を押しつぶす様には、恐ろしい迫力がある。そこを走り回る男達には、それと互角の熱気があった。武芸者が訓練をするような、一点への直向きさはない。だが、あらゆる物へ執着するような、欲望の渦のようなものが確かに見て取れた。

「おおおぉぉぉ……すごい! あとうるさい! すごくてうるさい!」
「なんだ、お前。これ見るの初めてか。あたしも初めて見たとき驚いたぞ。あのがしゃーんとかやってるやつが、中々恰好いいぞ」
「ほおおぉぉ、どかーんてっやった! すっごーい!」
「あの……先輩? 今日は何の用っすか?」

 目的そっちのけでプレス機を眺める二人に声をかけたのは、学校指定のつなぎを着崩した男だった。頭に安全用ヘルメットをかぶって、恐る恐ると声をかけてくる。
 声に反応し、シャンテは振り向いた。視線が交わった男はそれだけで縮こまり、さらに胸元の小隊バッジを見てさらに萎縮する。さらに男の背後では、ちらちらと様子をのぞき見している人たちの姿があった。早い話が、人柱にされたのだろう。

「錬金鋼を作りに来た」
「ここまで来たって事は、調整じゃなくて新調って事っすよね。や、無理ですって」
「なんでだ?」

 少女が眉を潜めると、男はあからさまに顔を歪めた。厄介ごとになった――その感情を隠しもしない。もしかしたら、最初から隠すつもりが無かったのかも知れないが。

「材料が足りないんすよ。や、普通の錬金鋼を作るなら十分なんすけどね。先輩みたいな小隊員の人に満足して貰えるような獲物となると、材料が普通のものより高品質なんす。事前に予約して貰わないと、材料を揃えられません。と言うわけで、予約自体はここでもできますんで、後日改めて来ていただいて欲しいんすけど」
「別に満足とか、そんなのどうでもいい。作ってくれ」
「いやだから……」

 本当は厄介払いだろ、という懐疑的な目ではなく。本気で内容を分かっていなそうな、怪訝な表情で繰り返すシャンテ。
 男はうんざりしながら繰り返した。

「いや、ですから。小隊の人が使う錬金鋼に下手なもの渡したとなったら、錬金科の沽券に関わる話になるんですって」
「使うのはあたしじゃないぞ」
「え?」
「リーが使うんだ」
「はい?」
「あい、リーフェイス・エクステです」
「はあ、どうも。……え、どういう事?」

 リーフェイスはぴっと手を差し出した。握手である。
 男は反射的にその手を掴もうとしたが、すんでの所でそれを止めた。手には機械を弄った為に、油に塗れた革手袋が付けてある。それを急いで引き抜き、再び差し出された。指二本で限界の小さな手が、元気よく振られる。その様子を見ながら、男は呆然としていた。

「え……この子供のっすか?」
「そうだ。リーに槍を教えるから、小さい槍を作ってくれ」
「よろしくおねがいします!」
「ああ、よろしく。……じゃなくて、ちょっと待って下さいね」

 思わず返事をした男、仕切り直すようにかぶりを振る。背後に上半身だけ振り返ると、大きく丸を作った。その合図に、他の錬金科生徒――恐らく上級生達――が寄ってきた。

「なんだ、厄介事じゃなかったのか?」
「ちょっと指示を仰ぎたくて……」
「バカヤロウ、お前に一人で判断させるために向かわせたんだろうか」

 と、どでかい拳が男の頭頂部と衝突する。衝撃は安全ヘルメットを貫通したのか、男の頭が大きく泳いだ。

「で、第五小隊の副隊長殿はどんな用で?」
「リーに錬金鋼を作ってくれ。槍型のやつだ」
「まあ、小型の一機じゃ大した手間にゃならないから、それはかまやしないが……今は時期だから、大した物は作れんぜ」

 リーフェイスの元気いい挨拶に豪快な笑いで答えながら、班長らしき男が言う。
 時期、というのは新入生入学の事だ。新しい武芸者が数百と入ってくるのだから、それだけの道具が必要になる。こればかりは、旧六年生が使っていたものをそのまま回すという訳にはいかなかった。
 いくら錬金鋼が冗談のような性質、性能を持つとは言え、物理的な消耗を無視できるわけではない。再調整で疲労を散らすことは出来るのだが、それとて完璧ではない。普通の道具より遙かに長持ちするが、同じ物を永久的に使い続けられる程便利ではなかった。程度のいい物は、設定を完全消去するだけ。疲労の大きなものは、完全に潰して新しい物にするのだ。
 今はその作業に加えて、一年用に調整をしてやる必要もある。同時に、調整の必要性をたたき込んでやる仕事も。錬金科にとっては、一年の中で一番忙しい時期である。なにしろ、全ての研究室が研究を中断して、その作業に当たらなければいけないくらいなのだから。

「お前の言う事はよく分からない。とりあえず、槍の練習ができればいいぞ」
「いや分かれよ。お前小隊員だろうが」
「分からないもんは分からない。しょうがないだろ」
「ったく、なんて副隊長だよ」
「本当は適当に模擬槍取ってこようと思ったんだけどな。リーにはでかい上に持ち運びに不便だ。仕方ないからこっち来た」
「窃盗を候補の中に入れるな! 本当になんて奴だ……」

 大きなため息をつく班長。頭を手で押さえそうになって、油汚れに気づいて止める。手を腰に戻して、今度は小さなため息を吐いた。

「おい坊主」
「なんすか」

 班長が声をかけたのは、最初に声をかけてきた男だった。拳骨に悶えていた――という訳でもないだろうが、しかしそれ以降後ろで大人しくしてはいた。
 呼ばれて前に出てきた男にやはり豪快にヘルメットを叩く。機械音でうるさい中に、景気のいい音が響いた。あまりの衝撃に揺れたヘルメットを、男は直す。

「お前が作ってやんな」
「うっす……え!? マジでいいんすか!?」
「おーう。まあ今回はそんな大層なもんでもないしな。対応したのはお前だから、最後まで責任取んな。材料は……削り屑に入ってるのを仕え」
「はい! ありがとうございます! イヤッホォォォー!」
「くそ、ずりぃ!」
「おれが行けばよかった」

 歓喜の声を上げて、小躍りすらする男。その男にやっかみのこえが集中した。
 一定期間は錬金鋼の製造をやらせて貰えないだろう。武芸者の世界にも、入門して一定期間は武器を持たせて貰えないという事はある。つまり、班長の粋な計らいという事という訳だ。

「じゃ、二人ともこっち来てもらえます? あー、ちょいちょい! 危ないから機械に触らないで、指が輪切りになったりとかするから!」
「う? ごめんなしゃい」

 暇をしていたのか、それともただの好奇心か。高速で稼働する機械に触れようとした、まさにその瞬間だった。声にびくりと手を引っ込めて、しょぼくれるリーフェイス。

「そうだぞ。指とか切ると、痛くて嫌だからな。危ないから、あたしの手を握ってろ」
「あい」

 連れられて、正しく廃材置き場という雰囲気の場所まで連れられる。
 男は機械の電源を入れて、何かの入力をしていった。

「で、どんなの作るんです?」
「槍」
「いやそういう事聞いてるんじゃないっすから。てかそれ、さんざん聞いたっすし。どんな感じの錬金鋼作りたいか聞いてるんすから」
「どんな感じの? ……って、どんなのがいいんだ?」
「う? わかんない」
「つまり、決まってるのは子供サイズの槍って事だけっすね」

 脇に置いてあったコンテナの一つを引っ張り出し、中のプラスチック箱を開く。中には何本も棒が入っており、その中でも一番細い物を取り出した。

「これちょっと握ってみて。……あー、やっぱり全然太いよなぁ。7ミル……いや9ミル直径を減らしてみるか」

 廃材を機械にざっと流し込んで、数値を入力。機械が物々しい音を立てて幾ばく、先ほどの物よりも随分細い棒が出てきた。

「じゃ、次はこれね。うん、こんなもんかな」

 リーフェイスの手を倒させて、握り部分を確認する男。親指と人差し指が僅かに重なる程度なのを見て、満足していた。
 作った棒を再び廃材の中に投げ込み、話を続ける。

「とりあえずサイズは取りましたけど、長さと性能どうします? 個人的な意見言わせて貰えば、あの細さの錬金鋼に通常並の性能を求めるのは無謀なんですけど。もしわかんないんなら、どんな事に使うか教えて貰えばこっちで判断しますよ」
「そうだな……とりあえず槍の訓練はしたいし、槍型の錬金鋼にも慣れさせたいぞ。衝剄とかの方はあんまり考えてないな。活剄を使うのに邪魔にならない程度でいい」

 シャンテは感覚的すぎるし、そもそもあまり頭は良くない。だが、武芸方面の話となれば脳の回転はまるで別物のように加速した。リーフェイスの化錬剄を使えるという申告を考慮し、衝剄は訓練の想定から外し済みだ。その訓練プランの作成能力と決断力は、さすが小隊副隊長と言わせるだけの物がある。……もっとも、その通りに訓練できるかとは別の話であるが。
 すらすらと並べられた内容に、多少面食らう男。しかしすぐに再起動し、内容をメモしていった。
 聞き終わって、さらにしばらく。何かの計算や、仮想の構築を繰り返して。それを終えて、二人へと向いた。

「おれが一番いいと思うプランは、軽金錬金鋼を基礎6割使用、残りを青石錬金鋼、紅玉錬金鋼、白金錬金鋼を混ぜ合わせる方法っす。長さはお嬢の身長と同じ位にしますけど、その代わりに極限まで軽くします。形状考えればそれなりの強度を確保できますけど、その代償に基礎密度はすっかすか。早い話が、まともな剄が通らない、出し入れが錬金鋼みたくできるってだけの、殆ど普通の武器って感じっすね」
「それは槍を合わせても大丈夫なんだな?」
「そりゃ勿論。ただ、先輩が全力でぶったたいたりすりゃ話は別っすけど」
「しないな。よし、それでいいぞ」

 許可が下りた所で、すぐに作成は始まった。廃材を投入し、数値入力を経て。後は機械任せになる。
 その様子を、リーフェイスはそわそわと待っていた。剣の方がいいとは言っていたが、やはり自分専用の武器が出来るとなれば、楽しみでない筈がない。まだかまだかと、立つ場所を変えては機械に触れぬよう見回してた。
 がちん、とひときわ大きな音がして蓋が開く。リーフェイスは槍を取り出す男の所に、飛ぶように駆けていった。

「ねえちょうだい! ねえねえ!」
「分かってるって。ほら、持ってみな」

 渡された槍は、細身で鈍く輝く。時折滲んだように光を反射するそれは、間違いなく世界にただ一つの、自分だけの武器だった。およそ武器っぽくない錬金鋼を持っていた彼女にとって、僅かならぬ感動が胸に染みる。

「ししょー、リーフィのやりなの……えへへ」
「うむ、そうだ。だから、ちゃんとやらなきゃダメだぞ」
「あい! ……えへへぇ」

 いくら顔を閉めようとしても、次の瞬間にはにんまりと蕩けた。
 まるで欲しかった玩具を手に入れたかのようにはしゃぐ少女。男はそれを満足げな笑いで見下ろしていた。

「じゃあ、最後に調整だけしちゃいますか。あと少しだけ待ってな」
「ん。おにーちゃん、ありがとう!」
「お礼はあっちの先輩に言いな」
「ん? なんでだ?」

 シャンテは不思議そうに首を傾げた。

「いや、だって先輩がこの子に作ってあげるように来たんじゃないっすか」
「それでも作ったのはお前だし、調整してくれるのもお前だろ? そのありがとうは、お前が受け取るものだ」
「あー、そうかもしれないっすけど……」
「それに、あたしの頼みでもあるからな。ありがとう」

 言って、笑う。ごく自然に。
 その笑顔は美しい、という類いの物ではなかった。だが、野性味の溢れる物であり、故に完膚無きまでに純粋だった。彼女たちをだしにして錬金鋼を作る機会を得た男。そんな彼が感謝を素直に受けるには、シャンテはストレート過ぎた。

「その、じゃ、どういたしまして」
「お前はいい奴だ、自信を持て。遠慮なんてするな」

 あからさまに女慣れしていない様子の男であり。同時に、子供のようでありながらも女だと思わせたシャンテに恥ずかしくなり、そっぽを向いてごまかす。そのまま作業に集中しようとして、

「そういや帯剣許可ってどうなってんだ?」

 ふと、出てきた疑問が口から漏れる。だが、小隊の人の注文だし大丈夫だろうと流すことにした。どちらだったとしても、これ以上彼が干渉できる事でないのだ。
 そして、調整も無事終わり。手を振りながらそこを後にして、開いているグラウンドへと向かっていき。
 槍の訓練もそこそこに殆ど遊んで終わったのは、まあ余談だろう。



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「ただいま」
「たあいまー!」

 ドアが開かれると、リーフェイスは家の中に飛び込んだ。一日中遊びと訓練をしても、なお元気が有り余っている。
 それに遅れて入ってきたレイフォンには、少々の疲れが見えていた。肉体的な疲れではなく、精神的な気疲れが。我が強くまとまりのない小隊と、学内対抗戦で見世物のように戦うための訓練をする日々。それは、実際の所かなりのプレッシャーだった。人間関係も、目立つと言う事も、どちらも得意ではない。

「パパー、きょうもいちにち、おつかれさあでした」
「うん、お疲れ様。リーフィも元気してた?」
「あい! くんれんもしたし、たくさんあそんだ!」

 相変わらず元気が品切れを起こさないリーフェイス。朝と変わらぬ笑顔の切れは、正に彼女を象徴していると言えた。
 ドアの隙間から覗く空は暗い。今ツェルニがいる位置は日の落ちが早めだとは言え、完全に落ちてしまえばそれなりの時刻になる。時間に余裕のないレイフォンには、少々辛くあった。

「リーフィ、お皿の用意お願いね。すぐに料理作っちゃうから」

 学生服の上着だけを投げ捨てたレイフォンは、その上からエプロンを装着。すぐに材料の入った買い物袋を開いて、包丁を動かし始めた。無駄のない動きが、厨房に命を吹き込む。
 リーフェイスはまずバッグを開いて、中身を戻し始める。玩具を道具箱へ、本は本棚へ。そして取り出した二つ目の錬金鋼、それを手にとってしばらく悩んだが――道具箱の一つ目の錬金鋼、その隣にゆっくりと下ろした。お古ではない正真正銘自分のためだけに作られた錬金鋼である。大事にしなければ罰が当たる。
 片付けを終えて洗面台へ。レイフォンの作った踏み台を上り、手洗いとうがいを済ませた。
 皿の準備まで終えて、椅子で大人しくすること十数分。もうもうと湯気の立った料理が、食卓に並べられた。スパゲッティ・ボンゴレをメインに、サーモンのマリネが今日のメニュー。鮭はちょっと苦手だったが、しかしレイフォンの料理であれば例外だ。
 並んだ料理を、詰め込むように口にしながら、リーフェイスは語った。夕食の時間は、いつも一日何があったかを聞いて貰う場だ。

「でね、エドにーちゃ、しょぼんとしてたの」
「それは大変だったね。……明日エドにはお礼言っとかないと」
「ん?」
「何でもないよ、こっちの話。それで?」
「あと、おひるはフェリおねーちゃんとハーレイちゃんがいたの」
「ん? ハーレイ先輩はまだしも、フェリ先輩もいたんだ」

 言いながら、レイフォンはフェリの様子を思い出した。リーフェイスが関わると理性が飛ぶが、それ以外では普通の無愛想な人である。理性が飛ぶと、自分に被害が来るのが困るのだが……。とにかく、時間を見てはリーフェイスに会いに来るだろう、そう思える人ではある。
 表現が苛烈なのはともかく、心配している気持ちに偽りはないだろう。レイフォンが時間を取れない以上、そうして気にかけてくれる人の存在は有り難かった。

「んう。パパがいないときは、いつもいっしょにごはんたべるの」
「そっか。じゃあフェリ先輩にありがとうしとかないとね。あと、ハーレイ先輩はまだちゃんなんだ……」
「だってハーレイちゃんはハーレイちゃんだよ?」

 不思議そうに首を傾げる少女。苦笑いで諦めるしかなかった。いや、この場合は諦めて貰うしか、だろうか。

「あとね、きょうのじゅーだいはっぴょーです。なんと、リーフィにししょーができました!」

 ぱっと――フォークを持ったままの手を掲げて、いかにも大事だぞと見せる。少女の顔は満足げであり自慢げだった。しかし、レイフォンの顔は対照的に厳しい物になっていた。
 場合によっては、喜びに水を差さなければならないかもしれない。

「それは凄いね」
「ん。リーフィ強くなって、パパに見せるの」
「あはは、それは楽しみだな。ちなみに、それってどんな人でどんな訓練してたの?」

 口調こそ優しいそれであったが、しかし彼の心境は真剣そのもの。
 武芸者の訓練は、必ず場合危険を伴う物である。そして、その危険にどれだけ見合った成果を出させられるか、というのが指導者の能力を決定するのだ。中には危険ばかりで、全く意味の無い訓練をさせるような者すらいる。と言うか、レイフォンはツェルニにいる武芸者の殆どはそういうレベルだと半ば確信していた。そして、リーフェイスを拾った誰かがそうでない保証はない。
 とは言え、彼女もグレンダンの中でも最高の教育を二年以上受けている。レイフォンはやりたくないならやらなくていい、そう思っていたが、こういう時は有り難い。なにしろ、本物の指導というのを体感しているのだ。下手な自称指導者に騙される、それだけはないと信じられるのだから。

「えっとね、さっけーのくんれん。かくれてるひとを、もうひとりが見つけるの。見つかったらこうたい」
「……それはかくれんぼじゃない?」
「ちがうよ、くんれんなの! それと、かっけーでおいかけるくんれん。つかまえたらにげる」
「それは鬼ごっこって言うんだと思うよ」
「かいしゃくによっては、そういえなくもないかもしれない」
「どこで覚えたの玉虫色の解答!?」

 予想外の反撃に驚かされつつ――安心もしていた。いや、別の意味で心配にはなったが。
 とりあえず、師匠とやらはあまり真面目に指導をする気がないらしい。もはやただの遊び相手である。

「しょーたいのふくたいちょーなんだって。ししょーすごい?」
「ああ、うん……すごい、のかな?」

 とリーフェイスは問うたが、レイフォンの解答は微妙なものだった。なにしろ、彼の頭に浮かんだのはシャーニッドである。
 武芸者としての能力は高いだろう。自己主張が強い武芸者の中にあって、自分から援護に努めてくれるあたり、中々の人物でもある。と、これが武芸者単体で見た評価になるのだが。部隊の副隊長として見た場合、言葉に難しい人物でもあった。いや、はっきり言って隊長としての業務は全てニーナに投げて何もしていない。そのしわ寄せがレイフォンに来ることも度々あり、彼が凄いと言われると、どうしても釈然としなかった。
 とにかく、身元も実力もしっかりした人ではありそうだ。もし真面目に指導しても、下手な事はやらないだろう。

「だいともつくってもらったよ」
「え? 新しく? 後でそれ見せてくれる?」

 言われてすぐに、リーフェイスは椅子を飛び降りた。制止が入るよりも早く、道具箱から錬金鋼を取り出して復元する。自分と同じくらいの高さがある細槍を、ずいっと差し出した。

「あいこれ」
「後ででよかったのに……」

 それでも良かったのだが、リーフェイスの顔を見て今見ることにした。目が恐ろしく輝いており、それほど自慢したいのだろう。
 受け取った槍は、一見して何が素材だか判別できなかった。鈍い銀のような色合いだが、光を滑らせると別の色が薄く滲む。それをよく見てみたが、やはり判別がつかない不思議な材質だった。
 試しに剄を通してみるが――まるで空洞か何かのように、全て抜けて言ってしまう。

「うわ、これじゃまともに剄なんて使えないじゃないか」
「やりのれんしゅーよーだから、それでいいんだって」
「そうなのかなぁ? でもこの人、思ったより考えてくれてるのかも」

 普通の錬金鋼を使って、破壊して仕舞わないかを心配していたレイフォン。偶然かそこまで考えられたかは知らないが、その考えは杞憂だった。子供だから形だけ真似たものを用意した可能性もあるが、もし剄量まで考慮してくれていたのであれば――想定していたのよりも遙かにいい指導者だ。

「どっちにしても今度挨拶に行かないとな」
「うゆ?」
「リーフィの指導、お願いしますって言いに行くって事」
「あい、リーフィも頑張ります!」

 話の終わりとほぼ同じに食事も終わり。 
 片付けと明日の仕込みの後は、一緒に風呂に入る。出て髪を乾かした後は、殆どの場合レイフォンはすぐ寝てしまうのだ。ベッドに潜り込みながら、

「僕は寝ちゃうけど、あんまり散らかしちゃダメだよ」
「ちゃんと片付けるもぅん」

 ぷっとふくれるリーフィに苦笑いをして、レイフォンはすぐに寝てしまった。これで数時間寝た後は、機関部掃除の仕事が待っている。彼女が寝るにはまだ少し早いため、寝る時間がずれるのはいつもの事だ。
 それは同時に、一緒にいる時間が短いことも意味している。
 リーフェイスはいつも戦っていた。胸に湧く寂しさと、そしてそれを表に出さぬよう押し殺して。……早く、もっと一緒に居られるようになればいい。そう願いながら、レイフォンの寝顔を眺めていた。今までの笑顔が嘘だったかのような、悲しそうな顔で寄り添っている。
 泣きたくなるのを堪えながら、本棚から一冊のノートを取り出した。それは、その日何が起きたか、何が楽しかったかを記すノート。日記帳だった。
 エドの事、フェリの事、ハーレイの事、シャンテの事。全て大切な思い出。一つも漏らさぬように、大事に大事に記録する。最後に――少し寂しいと書いて、すぐに横線で消した。そこには、楽しいことだけを書けばいい。わざわざ悲しいことなど、残しておかなくてもいいのだ。
 しばらく本を読んだり、玩具で遊んだりしていたリーフェイス。しかし、その内暇になり、同時に眠気も襲ってきて。レイフォンの隣に、もぞもぞと潜り込む。
 父は好きだ。大好きだ。間違いなく、世界で一番好きだった。その父と一緒に寝る瞬間も、やはり大好きだ。ぎゅっと抱きついて、目を閉じる。その顔には、先ほどまで陰って見えなかった笑顔があった。
 レイフォンのぬくもりを存分に味わいながら、迫る睡魔に抵抗することなく飲まれて。
 これが、リーフェイスの大体いつもの一日であった。


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