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No.32355の一覧
[0] 【習作】こーかくのれぎおす(鋼殻のレギオス)[天地](2012/03/31 12:04)
[1] いっこめ[天地](2012/03/25 21:48)
[2] にこめ[天地](2012/05/03 22:13)
[3] さんこめ[天地](2012/05/03 22:14)
[4] よんこめ[天地](2012/04/20 20:14)
[5] ごこめ[天地](2012/04/24 21:55)
[6] ろっこめ[天地](2012/05/16 19:35)
[7] ななこめ[天地](2012/05/12 21:13)
[8] はっこめ[天地](2012/05/19 21:08)
[9] きゅうこめ[天地](2012/05/27 19:44)
[10] じゅっこめ[天地](2012/06/02 21:55)
[11] じゅういっこめ[天地](2012/06/09 22:06)
[12] おしまい![天地](2012/06/09 22:19)
[13] あなざー・労働戦士レイフォン奮闘記[天地](2012/06/18 02:06)
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[32355] あなざー・労働戦士レイフォン奮闘記
Name: 天地◆615c4b38 ID:b656da1e 前を表示する
Date: 2012/06/18 02:06
この作品は、本編と一切関係がありません



















 槍殻都市グレンダンの、ある林道を一人の少年が歩いていた。
 身長も顔立ちも、そして雰囲気も、全てが青年と言うにはあどけなさ過ぎる。まだ10歳を超えていくらも経ってないと思われる少年。
 薄汚れた長ズボンに、黒いくたびれたタンクトップだけのラフな格好。全身が汗だくなのは、日差しが強いからではなく今まで運動をしていたから。収まりの悪い髪を後ろで乱暴に縛り付け、無理矢理一纏めにしている。
 外見だけでいえば、どこにでも居そうな少年だった。腰から下げられた錬金鋼は特徴と言えば特徴なのだが、それもただの少年から武芸の鍛錬帰りの少年に変わるだけ。早い話、年齢二桁になるかならないかの少年が錬金鋼を持っていたところで、ここグレンダンではさして注目するような光景ではないと言うことだった。
 しかし、そんな平凡なはずの少年を、今のグレンダンで見間違える者などはいない。それは、先日行われた大会が原因だった。
 天剣授受者、武芸の本場と言われるグレンダンで、さらにその頂点に達する究極の武芸者。ただ女王のためだけに振るわれる十二本の錬金鋼。
 その最大の名誉を決する戦いが行われた。それだけならば別に珍しくないのだ。選考戦自体は割と頻繁に行われており、選考の結果該当者なしというのも、ありふれた結果である。
 問題は、選考戦の結果新たな天剣が生まれた事。そして、その天剣がまだ剣を引きずるような少年でしかなかったことだ。
 最年少の天剣授受者記録を実に3年も縮めた、最新の天剣。それがこの少年、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフだった。
 とは言え、当のレイフォンには実感などなかったが。彼にとってはいつも通りに試合をしただけであり、特別普段と違うことがあったわけでもない。天剣は確かに便利だが、それ以上の感情などなく。賞金や給料も振り込みで支払われ、彼がその額を確認することはないだろう。女王からのお褒めの言葉が特別と言えば特別だが、それは上位の大会で優勝してももらえるので今更である。

(僕が変わったんじゃない。変わったのは、僕の周りだ)

 念じながら、ゆっくりと歩いて行く。いつも通りの鍛錬をして、いつも通りにクールダウンがてら帰宅。レイフォンの日常は、どこも変わっていない。
 家族が豹変したかと言えば、そんなドラマのような事もない。大会に優勝した事での賞賛は、天剣という付属品もあっていつもより過激であったが。それらの話題も、天剣授受者の流派に入門しようという者が大挙して集まり、その処理の多事にすぐ押し流された。
 レイフォンも手伝おうとはしたが、それはやんわりと断られた。曰く、レイフォンの仕事は武芸であり、雑事ではないと。……それでも手伝おうとしたら、リーリンにストレートに邪魔だと言われて少なからずへこんだが。
 とにかく、いつも通りに外縁部近くの空き地で鍛錬をしていたのだ。家に居ても邪魔にしかならず、居心地が悪いから逃げたわけでは断じてない。
 技の鍛錬であれば道場が適しているが、基礎能力を高めるのであれば少し手狭だ。そんな時は、人気がなく少々暴れても迷惑にならない事も手伝って、よく足を伸ばしていた。それも、昨日までの話でしかない。

「あれがヴォルフシュテイン卿」「さっきの轟音は……」「さすが、あの年で天剣になるだけある」「あの技の冴えもすばらしく」「俺はそれより、見事な剄の流れが」
(……どうしよう)

 無数のささやき声が、レイフォンの耳に届く。それを努めて聞こえないふりをしながら、僅かに歩調を強めた。
 天剣効果、と言えばいいのだろうか。実際それしか心当たりがないのだから、別の理由で注目されていたら困るが。数年かよって数えるほどしか人とすれ違わなかった場所は、今日だけでも三十人見かけている。
 特別隠していた場所ではないので、調べればすぐに見つけられるだろう空き地。しかし、そこに自分の鍛錬を見ようとする者達が集まるのは予想外だった。
 鍛錬そのものを見られる事自体はかまわない。所詮普通の鍛錬を拡張した内容でしかなく、見られて困ることは自制するまでもなく行っていないから。空き地もレイフォンが占拠していい理由はなく、わざわざ訪ねてきて文句を言うのでもなければ、好きにすればいいと思っていた。
 問題は、そんな事ではない。

「ちょ、ちょっとボクの技見てもらったりとか、お願いしても大丈夫かな?」「なら、あたしも教えてほしい!」「同じ刀使いとして」
(お願いだからやめてくれ)

 額に一滴生まれる脂汗、それは普通の汗と混ざって見分けが付かなくなったのは幸運だった。
 鍛錬を見られるのはかまわないし、一緒に切磋琢磨するというのも問題ない。ただ、教えを請うというのだけはやめてほしかった。
 レイフォンは技に対して感覚的すぎる。こういう技があるとは教えられても、じゃあこうすればいいとは言えないのだ。それ以前に、彼はまだ教えを請う立場の人間である。精神的な熟成度も手伝い、人を指導するという責任を負う覚悟はできない。

(頼むから話しかけられませんように)

 ひたすら情けない内容を祈りながら、顔を引きつらせないように努める。
 とにかく、とにかく孤児院まで逃げ切ってしまえばいいのだ。その後は、今度から天剣授受者専用の訓練室を借りるか、新しい空き地を見つける。そして見つからないようにする。
 武芸以外だととにかく後ろ向きな考えになるレイフォンだった。

(それに、僕にはまだ考えなきゃいけない事がある)

 現実逃避、という訳でもないが。より切羽詰まった内容、孤児院の現実的な問題に思考を向けた。
 金がない。非常にわかりやすく、これ以上に理解を得られる理由も中々ないだろう。
 生きるのには金が要る。そして、その数が二桁にもなれば、ただ生きるためだけの金を得るのも楽ではない。論法だけはわかりやすすぎるほどわかりやすいそれに、レイフォンとその家族は長く苦しめられた。
 いや、実際は苦しめられたなどという軽い一言で済ませられる環境ではなかった。飢えない日はなく、寒さに震えぬ時はなく、そして家族の命の火が消える恐怖を忘れられる瞬間もなかった。……そして皆が苦しむ中、自分が武芸者と言うだけで満足に食べられる悔しさを忘れたことも。
 偉い大人は、グレンダンの食糧危機は去ったという。しかし彼らは、そんな言葉を全く信じていなかった。孤児は未だに飢えている。都市からの援助では生きていられぬ程に。
 レイフォンが天剣となった事で、孤児院は食べていけるだけの金を手に入れられた。だが、それは所詮彼の孤児院だけだ。
 グレンダンには無数の孤児院がある。そして、それらの大半が飢えている。彼らの事を関係ないと言うには、レイフォンが知った仲間の死は重すぎた。

(とにかく、何とかしてお金を稼ぐ。うちだけは道場の収入で、その内自立できるようになるだろうけど……でも天剣の給料じゃ、どの道孤児院一軒が限界だ。もっと沢山お金がないと)

 実際は援助もあるのだから、三軒くらいは養えるのだが。それもグレンダン中の孤児院の事を考えれば、焼け石に水という程度。
 どれほど悩んだところで、レイフォンの芸など剣一本。それで全ての孤児を救うというのは、殆ど不可能に近い。
 足りないという自覚のある頭を、精一杯回転させる。もっとも、それで冴えた考えが浮かぶならば苦労はないのだが。

「レイフォーン!」

 随分と悩むのに集中していたのか、いつの間にか家の近くまで戻っていた。少し先には、サイハーデン流に入門するつもりなのであろう、長い行列が見える。
 考えすぎたかな、そう思いながら、左腰に吊してある錬金鋼に指を柔らかく握る。
 錬金鋼を、刀を振るうときは極限まで集中せよ。武芸の修行を始める時、最初に教わった言葉だ。それは忠実にレイフォンの中で生きており、今では錬金鋼さえ触れば落ち着けるようになっている。

「ちょっとレイフォン、聞こえてないの?」
「そんなに何度も言わなくても分かってるよ、リーリン」

 少し棘のある言い方で幼馴染に返す。それに対して、少女は腰に手を当て唇を尖らせて、不満を露わにした。
 レイフォンは実のところ、自分の半身とも言えるほど近しい彼女が、少し苦手だった。

「だったらちゃんと答えてよ、まったくもう」
「聞こえてるんだからいいじゃないか」
「ダメに決まってるでしょ。返事をしてくれなきゃ分からないじゃない」

 近くにまで寄ってきたリーリンは、正面に立つと僅かに見下ろしながら言った。そう、レイフォンはつい最近、身長を抜かれたのだ。
 元々二人には身長差がなかったのだが、ここ数ヶ月で明らかな差がついてしまったのだ。見下ろされるのは悔しいし、それを気にしてないという風なリーリンの態度も気に入らない。
 彼女は頭がよく、年上の兄弟に教わって家計簿をつける勉強などをしている。武芸一辺倒のレイフォンが頭脳で勝てる相手ではなく、その上身長でも負けたとなると、弟扱いされている気がするのだ。
 実際はリーリンの態度など全く変わっていなく、元から世話を焼かれているのを自覚しただけなのだが。少年にとってはそれは大事であり、ちょっとした屈辱が理由で反抗的になるのも仕方のない事だろう。
 年が少し上の兄曰く、そのうち抜き返す、らしいのだが。残念ながら、身長がほしいのは未来ではなく今だった。

「分かってるよ、うるさいな。そんなに何度も言わなくていいよ」
「何度言っても分からないのがレイフォンじゃない。言われたくないなら、一度目でちゃんとしてちょうだい」
「はいはい、わかってるよ」
「もう、仕方がないんだから。アルジストさんの所に行って、一番大きなお鍋を借りてきてもらえない?」
「なんでそんなものを? うちのじゃ足りないの?」

 怪訝そうなレイフォンに、リーリンは苦笑いで答えた。

「わたしたちだけで食べるならそれでもいいんだけど、ほら、今って入門しにくる人がおおいじゃない?」
「遊びに来てる訳じゃないんだから、ほっとけばいいのに。養父さんもそう言ってたでしょ」
「まったく、レイフォンも養父さんもそういう所はとことん無頓着なんだから……。剣を習いに来てるからって、終わったらはいさようなら、とは行かないものなの! 月謝もらってるんだから、こっちもちゃんとやらないと」

 全く理解はできなかったが、とりあえず分かったような返事だけはしておく。リーリンもそれは分かっただろうが、態度だけ憮然とさせておいて何も言わなかった。
 武芸者は武芸のみをしていればいい、とまで極端な事を言うつもりはない。だが、武芸を疎かにしてまで他のことをすべきでもない。それはレイフォンもデルクも、そしてほぼ全ての武芸者もが思っている事だ。彼らの主張も十分理解できるからこそリーリンはあまりうるさく言わないし、だから言われないとレイフォンも分かっている。
 と、他愛のない会話をしながら。ふとレイフォンは、リーリンの台詞の中に引っかかりを覚えた。
 特別な事を言われた訳ではないが……そう、その中には、何か重要なものが潜んでいる。ぐっと眉に力を入れながら脳を高速回転させて――レイフォンは、見つけたのだ。

「ちょっとレイフォン? 急に黙ってどうした――」
「これだぁ!」
「きゃあっ!」

 今日の自分は冴えている、恐ろしいほどに。もうリーリンに頭が悪いなど言わせない、そう断言できるほどの名案だった。
 急な大声に驚いて尻餅をついたリーリンを見下ろしながら、ふっと不敵に笑う。その様子を哀れむ目で見られた気がしたが、気のせいだと処理しておく。
 そしてレイフォンは、その場を思い切り跳ねた。計画の準備をするために――正確に言えば、計画の準備をするための情報を集めるために。

「お鍋忘れないでねー!」
(何度も言わなくても分かってるよ)

 心の中でだけ言い返して、レイフォンは振り向きもしなかった。
 ちなみに。やはりと言うか予想通りと言うか、レイフォンは鍋を借りてくるのを忘れて。リーリンに二時間説教される事になった。



□□□■■■□□□■■■



 その日は、デルク・サイハーデンにとって人生最悪の日だった。道場の中心でただ呆然と床を、その上に置かれた黒鋼錬金鋼を、焦点の合わない瞳で見続ける。
 錬金鋼は標準的な長さの刀状に復元されたまま、横向きに置かれていた。黒い刀身は、刃の部分だけが蛍光灯に照らされて銀色に輝いている。鏡のように磨かれたそこに映っているのは、道場の板張りと自分の顔。酷い表情だ、輝きに反射した自分の目を見て、素直にそう思った。
 この錬金鋼の刀は、何か特別な機能がある訳ではない。黒鋼錬金鋼をダイトメカニックに持って行って、設定数値を告げればすぐに全く同じ物を作ってもらえるだろう。しかし、そんなものが。デルクにとっては確かに特別なものであったし、それはレイフォンにとっても同じだと信じていた。

(果たして、本当にそうであってくれたのかな……)

 実際はどうだったのだろうか。大事でも手放さなければいけない理由があったのか? どうでもいいから手放すのに躊躇など必要なかったのか? それとも、別に何かがあったのだろうか?
 自嘲しながら、床に転がったままの錬金鋼を見る。未だに手に取ろうと指を伸ばすことさえできないそれ。
 一時間か、二時間か。もしかしたらほんの数分前だったかもしれないし、あるいは半日経っているかもしれない。確実なのは現実だけだ。デルクが項垂れ、刀が転がされた事実だけが、時の中で取り残されている。そして、ほんの少し前の現実にはレイフォンも加わっていた。今は、そして永劫に失った現実。
 これまでは、レイフォンの物だった刀。しかし、再びデルクの手に帰ってきた錬金鋼。
 何を間違えたのだろう。浮かんでは消える疑問には、レイフォンも刀も答えてくれない。

(ついこの間までは、人生最高の日だと思っていたと言うのに。全く……侭ならぬな、人生とは)

 サイハーデン流とは、はっきり言ってしまえばマイナーな流派だった。いつ流派が消えた所で誰も気づかないような、そんな弱小武門。それが脚色を浴びるようになったのは、間違いなくレイフォンのおかげだった。
 最年少の天剣、ヴォルフシュテイン卿。デルクが手塩にかけて育てた弟子が、ついに武芸者の頂点へと立った。それは最高の名誉を得たのと同時に、我が子が文字通り血反吐を吐いて積み重ねた努力が認められた瞬間でもあった。それは我が事のように、いや、自分が天剣になれたとしてもそれほどの喜びを感じられなかったに違いない。
 人生の絶頂。黄金時代。まさにそう言ってよかっただろう。
 それに比べれば、道場に人が集まったのなど些末な余録に過ぎない。もっとも、それを子供達(主に家計を預かっている年長者)の前で言うと怒られるのだが。
 道場には人が溢れて活気が宿り、それにつられて孤児の子供も元気になる。人が集まれば金も集まり、苦しかった経営に余裕ができた。唯一レイフォンだけは、教えを請われるのに苦い顔をしてはいたが。それは時間が解決する問題であり、あと五年も同じ事をしていれば立派な指導者になれると思っていた。
 ……全てが夢だ。崩れ去った、夢。

(何を……間違えたのだ?)

 分からない。だから、愚かなのだろう。
 レイフォンが刀を返上しにきた。それはかまわない。むしろ常識的な判断だ。
 天剣という、圧倒的な性能を持つ武器を所持している以上、黒鋼錬金鋼の刀など保険にもならないのだから。そして、多少財政状態がよくなったとしても、大きな余裕があるとは言いがたい。入門者の道具を揃えなければいけない以上、錬金鋼一本でもあるのは有り難いのは事実だ。
 問題は、正式に破門を言い渡してくれと言い始めた事だった。
 この台詞に、デルクが焦らない訳がない。既にサイハーデンの全ての技を修め、武芸者の頂へと至った少年。いくら僅か十歳だったとしても、免許皆伝を渡さぬ理由の方がなくなってきていた状態。そう考えていた矢先の事だった。
 当然デルクは言葉を尽くして、何とか取りやめさせようとした。免許皆伝の準備もあると。しかしレイフォンの決意は固く、同時にあくまで破門に拘ったのだ。
 さらには孤児院を出て行くとすら言い始めた。天剣だろうが僅か十歳の子供、いくら普通の子供より自立しているとは言え、無茶苦茶な話だ。それも止めようとしたが、結局止めきる事は出来ず。
 レイフォンは刀を返上すると、デルクを置き去りにして道場を去って行ってしまった。

(レイフォン……何がお前にそう決断させたのだ。なぜ、そんな事を決断させてしまったのだ……)

 破門も、そして孤児院から出ることも。どちらも決して安い事実ではない。そして、それが理解できぬほど幼稚なレイフォンでもない。
 つまりは、そうしなければいけないだけの理由がある。そして、それを決断させてしまうような所が、デルクにあったのだろう。
 それがひたすら悔しくて、悲しくて。自分の不甲斐なさを呪うことしかできない。
 レイフォンが天剣になり、同時に刀を捨てて剣を選択した時。デルクはそれを傲慢だと断じていた。だが、果たしてそれは本当だったのだろうか。もしかしたら、傲慢だったのは自分だったのかもしれない。なぜ刀を捨てたのだろう、その理由を理解しようとしなかったデルクに、誰が責任がないと言える?
 ただただ己の無様さを責めて。なぜもっと息子を見ていなかったのかと、遅すぎる後悔に、床に思い切り拳を叩きつけた。

「ひゃっ!」

 道場中を反響するけたたましい打撃音に、小さな悲鳴が上がった。
 顔を上げて小さな影を捕らえながら、今更刀から目を離せなくなっていた事に気がついた。この僅かな間で、随分と弱くなったものだ。自嘲しながら、その影に声をかける。

「リーリンか」
「ちょっと養父さん、どうしたの!?」

 レイフォンと殆ど変わらない体躯の少女が、焦りながらデルクに駆け寄る。しばらくは項垂れる養父を前にして、どうすればいいか分からずおろおろしていたが、やがて背中をさすり始める。その気遣いに、胸が痛くなった。
 リーリン・マーフェス。レイフォンと同時期に孤児院に入り、同時にレイフォンと殆どの時間を共有して育った。彼がいなくなって一番悲しむのは、確実に彼女であり。こうして労ってもらう価値が本当に自分にあるのかと、問わずにはいられなかった。

「どうしてここに?」
「え? わたしはさっきレイフォンにあった時、養父さんの事を頼むって言われたからだけど」
「そうか……まだレイフォンに心配してもらえるのだな」
「その、本当に何があったの? レイフォンの様子も、何というか、普通じゃなかったし……」
「…………」

 問いかけてくる少女になんと答えようかと逡巡し、すぐにかぶりを振った。言葉を選ぶと言うのは、つまりごまかすつもりがあるという事だ。ここまでの失態を犯しておいて、さらにそれを取り繕うための言葉を吐く。どこまでも誠実さを欠く思考に、反吐が出そうになった。
 正直に話そう。たとえそれで、見放されたとしても。これ以上自分に失望したくはない。

「あの子は、破門を願い出てきたのだ。そして、近々園から出て行くとも」
「え!?」

 リーリンが驚愕の声を上げるが、それも無理のない事だ。つまりそれは、デルクの孤児院と完全に縁を切ると言っているのだから。

「養父さん、それって本当なんですか? ちょっと信じがたいと言うか……」
「残念ながら、本当の事だ。レイフォンが返上したこの刀、これが何よりの証明になる」
「じゃあ本当に……? 何かあるとは思ってたけど、こんなに大事だったなんて」

 信じがたいと確認をとる彼女に、デルクはただ肯定の返事だけを返した。
 罵られたとしても、それは受けなければならない。それが自分の不甲斐なさの結果であり、責任でもある。そう覚悟していたが、しかしリーリンの反応は違った。
 顎に手を当てて、ひたすら悩んでいる。と言うよりも、何か釈然としないという表情だ。

「えー? 養父さん、もう一度確認するけど、レイフォンが破門してくれって言いに来て、ついでにここからも出てくって言ったのよね?」
「ああ、その通りだ」
「それにしては何というか……こう、後ろ向きというか、ダメな感じの雰囲気がなかったのよね。むしろ、これから頑張るぞ、って感じで気合い入れてたわ」
「それは……むぅ」

 リーリンから見た、混じりっけない第三者からの言葉に、さすがにデルクも悩む。
 息子の全てを知っている、とは今回の件もあり、口が裂けても言えないが。だが、十余年とつきあって、全く人となりを捕らえられていないなどと言うこともない。そして、彼から見たレイフォン・アルセイフという少年は、こういった類いの話を軽く終わらせる性質ではないと断言できる。
 武芸に関してか果断だが、日常生活では不断。孤児院の中で誰一人否定しないレイフォン像である。デルクとの師弟関係だけならばともかく、孤児院から出て行くとの話まで発展して、それを引きずらない筈ない。逆方向に厚い信頼があった。
 もしそれが本当なのだとすれば、今回の件をあまり重く捉えていないのか、もしくはそれが霞むほどの何かを隠しているのか。そこまでは分からないが、もしそうであれば。
 まだ取り返しが、付くのではないか?

「まあどうだったとしても、あんまり深く考えない方がいいと思うわ」
「しかしな。実際、大事にまでなっているのだ。これを気にせんと言うのは……」
「と言うか、気にするだけ無駄よ。だってレイフォンって、馬鹿だもの。どうせ目的を見過ぎて他のことが見えてないだけ」

 きっぱりと断言する娘に、思わず口元を引きつらせるデルク。その馬鹿な奴を育てたのは、間違いなく自分なのだが。しかしそれを言う勇気はなかった。

「その癖に、一度決めると無駄に頑固だから困るのよね。どうせ成功するか、大失敗すれば戻ってくるわよ。笑っているにしても、泣きつくにしても。まったく、フォローするこっちの身にもなってほしいわ」

 頬を膨らませながらぷりぷりと文句を言うリーリンに、自然と浮かんだのは笑みだった。それさえ出来るようになってしまえば、鉛のようだった心は大分楽になる。
 本当は、レイフォンが出て行って一番つらい筈なのだ。半身と言えるほど近しい関係だったのも理由の一つではある。しかし、それ以上に少女はしっかりした内面に反して、かなり甘えたがりなのをデルクは知っていた。
 取り繕いも気を遣いもしない、そして自分の感情を思う存分叩きつけられる相手、それで許してくれると思える唯一の存在。そんな相手が離れるのに、つらくない事などない。それでも意地を張れるのであれば、それはわがままを超えられるほど相手を信じているからだろう。
 レイフォンもリーリンも、とてもいい子だ。自分には勿体なすぎるほどに。自慢の子供達。
 信じよう、そう思った。絶望するのも諦めるのも簡単だ。だが、それでは本当にそこで終わってしまう。愚かな自分は信じられなくとも、レイフォンであれば信じられる。あとは、そうし続ければいいだけだ。
 帰ってきたら笑顔で迎えよう。成功したならば褒めよう。そして失敗したならば、今度は全力で力になる。
 まだ何かが解決したわけでもない。むしろ何も解決してはいない。心に残る重圧も未だに締め付けてくるが――
 床の錬金鋼に手を伸ばす。指はあっさりと柄に絡まり、慣れた重量を手に与えた。
 せめて、身につけた技が、息子の身を救ってくれますように。そう、レイフォンの残した刀に祈った。



□□□■■■□□□■■■



 グレンダン全域にうっすらと霧の乗ったある日、リンテンスはある人気のない道を歩いていた。
 目的があると言えばあるし、ないと言えばない。どこか目的地があったわけではなく、人気のない道であればどこでもよかった。逆に言えば、誰の目の届かないような場所に足を運ぶ必要があった、とも言えるのだが。
 光を撹乱する水の粒子は、五メルトルもすれば全体像を怪しくさせ、十メルトルも離れると判別が難しくなる。早い話が姿を隠すには――視界から消えただけで隠れた気になるには――絶好の天気だ。馬鹿が馬鹿なことを企てるには、さぞや都合がいい事だろう。だからこそ、リンテンスがわざわざこんな所まで足を運んだのだ。
 鼻を一度鳴らし、歩みを止めた。コートに手を突っ込んで、咥えたタバコの灰が落ちるに任せた、いつものスタイル。ただし雰囲気だけはいつも以上に不機嫌そうだ。実際、すこぶる機嫌が悪い。

「いい加減に出てこい。二十五万九千二百秒待ってやったのに、これでもまだ足りないか? ガキのお遊戯につきあうのはうんざりだ、これ以上待たせるなら、もう終わらせる」

 言いながら、リンテンスから放たれる威圧感。それは実態のないものではなく、剄という確かに存在する圧力として放たれる。
 リンテンスという天剣のネームバリューでも、放たれる膨大な剄の片鱗でも、それを恐れない者はまずいない。実際、彼が少しばかり脅した、それだけで周囲の物質が軋んでいるのだ。最強の代名詞である天剣授受者が、機嫌を損ねて敵意を向けている。しかし、もしそれに耐えて目の前に出てこられるとしたら。
 それは同格の者以外にあり得ない。つまりは、同じく天剣授受者。
 物陰から現れたのは、少年だった。それも、リンテンスにこの年頃の子供がいてもおかしくないと思える程度の、そんな幼い容貌。ついでに言えば、彼が見た目通りの年齢だという事も、よく知っていた。
 レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。世間ではヴォルフシュテイン卿などと呼ばれていても、リンテンスにとっては尻の青いガキでしかない。付け加えるならば、最近は気まぐれと暇つぶしに鋼糸の扱いを教えてもいる。実力は……天剣の中でも平均より少し下程度だろう。年齢を考えれば十分すぎる。
 だが、それで思い上がりをしたというのであれば、話は別だ。

「…………」
「どうした、何か言ってみろ。おれを満足させられるだけの何かを。そのためにわざわざこんな所まで来てやったんだ」

 その口調は、お前などどうという事もないという風な、至って適当なものだった。しかし、もし女王あたりが聞いていたら目を丸くしていただろう。彼の言葉の中には確かに、挑発的なものが混ざっていたのだ。
 終始気怠げで、とにかく何に対しても無頓着な男、それがリンテンスだ。気を遣う気がなくて相手を苛立たせる事はあっても、自分から挑発すると言う事はありえない。そんなことをしても意味がないと知っているのだ。結果をいくら達成した所で、課程に意味を見いだせなかった。だからこそ、グレンダンにたどり着き天剣をやっている。
 最後に鼻で笑ってやり、思い切り侮辱をしてみたが、しかしレイフォンは眉一つ動かさない。それどころか、剄の流れすら全く乱さず、充実した気力と緊張感だけを携えていた。
 なるほど、明らかに格上の力を前にして、圧倒されないのは見事の一言だ。しかし、気に入らない。
 リンテンスとレイフォン、両者ともが同じ天剣であるが、その同格というものが実力にまで適用される筈がない。ついこの間入ってきたばかりの小僧と、天剣最強の男。その間には、埋めることの出来ない差が確かに横たわっている。
 それを鼻にかけるわけではない。が、感情がそれではいそうですかと納得しないのもまた事実。
 何のつもりか、どうしてそういう考えに至ったかは分からない。分かるつもりもない。ただ現実として、小器用なだけの未熟者が目の前で立ちふさがっている。
 少しばかり鋼糸の動きを覚えたからか。老性体を一体屠ったからか。天剣という自分の剄を十分に受け止められる武器を手にしたからか。経験が、勘が、技量が、決然さが、視野が、剄の扱いが、何もかもが足りない愚か者を調子に乗らせた要因は、どこにあるのだろうか。
 ようは、舐められているのだ。
 天剣だとかそんなものは関係なく、リンテンス・サーヴォレイド・ハーデンという一人の武芸者が。
 それを許せるような寛大さなど、最初から持つ気はない。

「口も落としてきたか? ならばこれで終わりだ。全てな」

 コートのポケットから取り出された彼の手には、天剣がなかった。完全な丸腰だ。
 リンテンスの記憶に間違いがないならば、レイフォンの天剣もメンテナンスに出している筈である。だが、こうして襲撃を企てていたならば、普通の錬金鋼くらいは持っているだろう。実力の何割も出せないような、不満しかない道具。それでも実力を一パーセント出せるかも分からない素手よりは大分ましなのだが。

(だから、勝てると思ったか?)

 レイフォンは知らない――恐らく女王すらも、リンテンス自身以外は知らないであろう事実。彼は無手でありながら、剄で数百本の糸を作る事が可能だった。
 指に力を込める。剄の奔流は纏められていき、掌にうっすらと靄が現れた。本物の錬金鋼ほど精密な動きは出来ないが、未熟者一人を刻むくらいは、これでも十分すぎる。
 戦場の雰囲気を察してか、レイフォンの腰が僅かに落ちた。距離は、霧の空気であれば輪郭がぼやける程度には離れている。だが、武芸者にとっては一歩の間合いでしかない。そして、レイフォンはその一歩を天剣の中でもとりわけ上手く踏み出せる、その程度には実力を把握していた。
 空気が重い。苦痛すら感じるほどの、赤色に染められた世界。たとえ十全に振るえる武器を持っていなかったとしても、天剣授受者同士が相対すればそれだけの圧力が空間を満たす。
 じりり、とレイフォンのつま先が地面を噛む。リンテンスはそれに、悠然と無反応。
 そして少年の体が弾けて前へ飛び――しかし、遅い。天剣がない、調子が悪い、油断しきっている。どの可能性を考慮しても、遅すぎる。まるで歩いているのではないかと言うほどに。
 失望も、嘲笑も。あらゆる感情が生まれる前に、右腕は勝手に動いていた。手の中に形成した数百の鋼糸が、敵対者をただの肉片にしようと躍り掛かる。慣れた指先の感触が、人間が血液を周囲にばらまいて汚す光景を想像させて。
 現実が、予想を裏切った。
 レイフォンの体が大きく倒れ込み、糸で作られた網の下を滑る。驚嘆に見開かれるリンテンスの目は、確かに糸を通過しても健在な少年の姿を捉えていた。

(馬鹿な!)

 内心で思いきり、結果を罵る。その罵倒は同時に、自分にも向けられた。
 どれほど未熟であろうが弱かろうが、油断していい相手ではなかったのだ。天剣、その中でも確かに実力差はある。だが、それは同時に同じ天剣であれば、殺しうる何かを持っていると言うことでもあったのだ。
 小器用なだけだと思っていた小僧が、こうして自分の技をかいくぐり、命を脅かそうとしている。リンテンスの油断と慢心が招いた結果。舐めていたのは、自分だった。
 予想外すぎる行動だ。まさか剣を捨て置いて素手で攻撃してくるなど。武芸者が最初に、そして最後に頼るもの。自分が極めた武器、およびその技。それを最初から捨ててかかってくるなど、予想できよう筈がない。
 レイフォンの体がさらに小さくなって倒れ込む。武器は見当たらない……だが、手を伸ばせば足に届く。足に届けば、それを破壊するのなど難しい事ではない。大した事のない威力でも、剄の防御がない部位など、普通の人間の耐久力以上にはなれない。
 リンテンスは即座に決意した。右足を犠牲にして、大きく背後に飛ぶと。確実に片足を壊されるが、その代わりに距離を得ることが出来る。剣の届かない距離、五メルトルも離れられれば、戦場はリンテンス優位に作り替えられるだろう。あとはもう、絶対に油断しない。距離にさえ気をつけてしまえば、レイフォンを倒すことなどそう難しくはないのだ。
 左足を大きく引いて、右足を残し――しかし倒れ込んだ少年は、足に手を伸ばさない。不味い、思わず歯ぎしりをしそうになる。また予想を外された。どうしてこうも裏をかかれる!
 今更行動の変更が出来るはずもない。出来るだけ大きく距離が開くことを祈りながら、レイフォンが地面に突っ伏すのを見届けて。

「お願いしますリンテンスさん! 僕にお金を貸して下さい!」

 見事な土下座を披露しながら、少年が哀願した。
 一瞬にして全身から剄が抜けて、飛び退るのに失敗。下げた左足はそのまま地面を踏んで、その差だけ体が左に傾く。
 後退に失敗した体制のまま、沈黙するリンテンス。少年に目を向けても、彼から見えるのは後頭部と背中だけだ。
 答えがないからだろう、レイフォンは同じ体制のまま、もう一度叫んだ。

「お願いします! その……できれば生活に必要な分以外全部!」

 こいつは何を言っているんだ。リンテンスの、偽らざる本音だった。
 お願いの内容などどうでもいい。聞き届けることも含めて。それよりも、重要な事がある。額を揉みほぐし、やっと傾いた体制を戻しながら、問いを発した。

「お前、この三日おれを追けてたのは何でだ?」
「追けてたなんてそんな。ちょっと言い出す機会がなくって」

 正座はそのままに、少しだけ顔を持ち上げたレイフォンが、えへへと愛想笑いをしながら答える。正直、その様子に苛立ったが、とりあえず続けた。

「さんざん煽ってきただろう」
「そんな事してませんって! ずっと機嫌が悪そうだったから、機嫌がいい時に相談するべきかな、と思って様子見してましたけど」

 そう言われれば、そんな気もする。いらいらしてたから視線にさらに苛立ち、その内苛立ちの理由が何かから視線に変わった。そう考えると、まあ筋は通っている。
 レイフォン、もとい馬鹿の、再び土下座の姿勢に戻った頭を見る。既に苛立ちも戦場の空気も、どこかに消えていた。後に残ったのは、やたら肩に残る疲れだけ。細く長いため息は、止める気になれずそのまま垂れ流した。
 つまりは、認めたくないが、ただの勘違いだったのだ。行動が予想を裏切るのは当然だろう。リンテンスが戦闘をするつもりだったのに対して、レイフォンはただお願いをしに来ただけだったのだから。

「一度目に聞いた時、なんで答えなかった?」
「恥ずかしながら、いざ言うとなると緊張しちゃって。やっぱり、ありったけのお金貸して下さいって、言いにくかったです」

 いよいよ――リンテンスは、天を仰いだ。ひたすら馬鹿馬鹿しく、馬鹿な話。主演は大馬鹿のレイフォンで、共演にクソ馬鹿のリンテンス。泣けてくるほど下らなかった。

「それで、ですけど……貸してもらえます?」

 やたらに高い、甘えた声色で言う土下座少年。リンテンスは視線をレイフォンに戻して。
 とりあえず、その後頭部に思い切り踵を落とした所で、誰も責められないだろう。



(そうだよ、お金がないなら、ある人から借りればいいんだ)

 金策に喘ぐレイフォンが出した解答が、つまりそれだった。
 一時期、それこそ天剣になったばかりの頃は、もう闇試合に出るしかないかと考えた事もある。実際、もう少しで天剣をエサに出場していた事だろう。
 だが、それで問題になったのは確実性がないという事だった。出場してもどれほど稼げるかなど、分かったものではない。カモられてしまえばそれまでだ。それに、出場料だか賞金だか、とにかくそれらは交渉しなければいけないのだ。当然交渉の経験などなく、むしろ口が回らず金銭感覚も微妙なレイフォンでは上手くいくはずがない。
 しかし、お金を稼ぐ、それに拘る必要などなかったのだ。
 お金は、ある所にはある。そして、稼ぐのではなく借金をするというのは、まさに天啓だと思えた。なにしろリスクが少なく、確実性があるのだ。
 そして目をつけたのが、自分と同じ天剣だった。
 天剣は人格破綻者ばかり。レイフォンの偽らざる本音だ。しかし、だからこそ。金銭に執着がなく、必要な分だけを使いあとは貯まるのに任せている者が多い。多額を借りてもあまりうるさく返済を求めなさそうな同僚は、借金をするのに絶好の相手だと言えた。
 それを決めてしまえば、レイフォンの行動は早かった。まず王宮へと走り、中の図書館へと入る。その辺の司書へと声をかけて、情報を集めてもらう。願ったのは、もし犯罪を犯した時にどの程度の相手まで累が及ぶか、を大ざっぱに集めてもらった。ちなみに、金銭トラブルでの法令は要求していない。数字を見ると頭が痛くなると言うバカ極まりない理由で、最初から読むことを放棄していた。
 聞いたと時には、レイフォンが天剣である事も手伝って、恐ろしく訝しげな顔をされたが気にしない。その資料は罪科の程度ごとに、恐ろしく簡潔かつ効率的に纏められていたが、ここでもバカが発揮された。
 読むのが面倒くさくなったレイフォンは、課程をすっ飛ばしてページの最後、つまり判決の内容だけを見たのだ。従犯であるから家族も裁かれた。監督不行届だから師が武門を潰された。そういう理由を無視して、結果だけに目を通した。

(そうか……サイハーデンを破門してもらって、孤児院も出れば借金を求められる事はないのか)

 結果だけを言えば、法律上の家族でもないのに借金の肩代わりを求められはしない。そんな事がまかり通れば、孤児の一人に借金を作らせて、同じ孤児院出身の者に返済を強制するという無茶が通るからだ。
 デルクだけは、その責任を負わされる可能性があったが。今回の借金は個人間のやりとりであり、よほどの事がない限り養父師匠に支払いが命じられる事は、少なくともグレンダンの法律ではない。
 本当に見なければいけない部分をさっくりと飛ばしたレイフォンは、すぐに孤児院を出た。格安で借りられたアパートの一室に移り住み(天剣授受者である事が何よりの保証になった)同時に仕事も探す。
 天剣の給料は全額寄付に回すため、後々は借金返済に回すために、別の収入源が必要だった。一人で暮らせる程度の金を稼ぐのは、武芸者であれば楽なものだ。武芸で稼げなくとも、活剄を生かした力仕事をすれば簡単に稼げる。また、仕事を探す際に、運が味方したのも大きかった。
 こうして準備が整った所で、レイフォンは次の事を考えた。つまり、金を借りる相手の事だ。

(まず、頼めば貸してくれそうな人)

 ベッド一つに小さな机を置けば、体を伸ばすにも苦労しそうな小さな部屋。小さなテーブルに薄汚れた紙を広げながら、うなり声を上げた。
 まず頼りになりそうな人が、リンテンスとリヴァースだ。リンテンスは単純に金銭に無頓着だからであり、リヴァースは天剣授受者一の人格者だから。
 他にもデルボネ、ティグリス、カルヴァーン、カナリスあたりは貸してくれる可能性がある。と言っても、この人選は人格が比較的まとも、金銭に余裕がありそうという基準で選んだので、借りられればもうけたという程度だ。第一、カルヴァーンはなぜかレイフォンを睨んでいたりするので、そういう意味でもあまり過大な期待はできない。

(次。すっごくしつこく頼めば貸してくれるかもしれない人。……いるか?)

 あえて名前を挙げるならば、カウンティアとバーメリンだろうか。と言ってもこの二人は(レイフォンの偏見で)金遣いが荒そうだ。その上、あまりしつこいと本気で殺しにかかってくる可能性もある。
 ちなみに、デルボネ以下四名をここに入れなかったのは、彼女らは駄目と言えばどれだけ頼んでも駄目だと思ったからだ。
 デルボネとカルヴァーンは、その完成された精神が却下だと判断したなら、絶対に覆しはしないだろう。王家の二人(カナリスは、正確には王家ではないが)はもっと無理だ。政治に携わる者達が、判断の誤りなど許しはしない。

(最後に……すっごく嫌だけど、条件付きで貸してくれる人)

 レイフォンは本気で心底嫌そうに、名前を挙げた。正直、この辺に借りるならば、闇金に手を出すか闇試合に出る方がマシかもしれないとさえ思う。
 まずトロイアット。常にべらべらとしゃべり、女の尻を追うのに余念のない男は、女を紹介すれば金を貸してくれる。それで駄目でも、誰か女性伝いに頼めば確実に借りられるだろう。鬱陶しい事極まりないが。
 だが、トロイアットはまだマシな方だ。非常に鬱陶しいが、鬱陶しいだけで済むのだから。問題はもう一人、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスである。
 彼からは確実に借りられるであろう。むしろ嬉々として最高額までの借金をさせてくれるだろう。……その代償として、殺し合いと変わらないような勝負をする事になるのが、はっきりと想像できる。
 サヴァリスは戦闘狂、それは誰も否定できない事実だ。天剣中最も人を気遣えるリヴァースすら否定しない。あらゆる人間的欲望を全て戦闘に集中したような、そんな正気とは思えない欲求を持っていた。
 そして彼は、自分が命を削る殺しあいができる相手、つまり天剣と戦える機会を虎視眈々と狙っている。そんな所に「真剣勝負を受けるのでお金を貸して下さい」などと言う天剣がいて、その機会を逃すだろうか。……ありえない。彼は最も確実に金を借りられる相手であり、同時に戦闘地獄に引きずり下ろしてくる相手でもあった。
 凄く嫌だが、本当に嫌だが――命には代えられない。危険な人物であったが、同時に一番多くの金を貸してくれる見込みがある相手でもあるのだ。
 本当に最後の手段として、控えておく必要はあった。

(最後。問題外。終了)

 残った一人、ルイメイを切り捨てて、リストアップを終了する。所持する金が少なそうで借りられる見込みもなく、さらに嫌いな相手となれば考慮するのも億劫だ。
 紙に書いた名前を睨みながら、レイフォンは覚悟を決めた。恐らくこれを実行してしまえば、一生金に困る事になるだろう。慎ましやかな生活以外は許されない。それで、自分は本当にいいのだろうか。

(いいに決まってる)

 今更引き返すつもりはない。そして、これ以上孤児の子供達から犠牲者を出すつもりも。
 翌日から早速行動しようと、レイフォンは硬いベッドの中に潜り込んで目を閉じた。
 ちなみに、リンテンスから金を借りるのに成功するものの、死ぬほど蹴飛ばされるのはこの四日後の事である。



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 グレンダン王宮のある一室、あらゆる書類が所狭しと詰められ、いくつか机の並んだ部屋。そこに、アルシェイラとカナリスだけが詰めていた。
 本来であれば、都市の心臓として機能しなければならないこの部屋はしかし、実際の所殆ど使われていなかった。女王が無軌道すぎて、場所に拘らずに書類を裁いているというのも理由の一つだ。それだけ聞けば柔軟性に富んだ良い統治者と取れなくもないが、実際はサボっているから使われない事の方が遙かに多い。
 まあとにかく、そんな滅多に使われない仕事部屋が珍しく使われている訳だが。アルシェイラはまた一枚の書類を読み終えてサインを加えると、それを投げ出してぐっと体を伸ばした。

「っくああぁ~! よく働いたわ。今日はもうこれで終わりにしましょ」
「いけません陛下、まだまだ仕事は残ってるんですから」

 アルシェイラの甘えるような声に、憮然として応えるカナリス。諫めながらも、その手は休まらない。
 注意されたアルシェイラは、それでも堪えきれないとばかりに、処理したばかりの書類を投げ捨てた。それを見たカナリスが、小さくため息をつく。

「はぁ……どうせ陛下が最後までして下さるとは思ってませんでしたけど」
「そお? じゃ、今日は終了って事で」
「ダメです。少なくとも、今日中に絶対これだけは処理していただきます」

 と、突き出されたのは、隅をホチキス止めされた紙束だった。表紙には、滲んだ粗末なインクで『天剣授受者・ヴォルフシュテイン調査結果』と記入されている。それを確認したアルシェイラは、とても嫌そうに顔を歪めた。

「あのさ、これがあるからもう仕事をしたくないんだけど」
「これがあるから陛下に詰めていただいているんです」

 笑顔で言われる言葉に、カナリスもまた笑顔で手を突き出す。一見して満面の笑みに見えるが、しかしそれが怒りで引きつっているのをアルシェイラは理解した。これまた珍しく根負けした彼女は、嫌そうながらも大人しく紙束を受け取り、その中身を確認せずに机に落とす。それで注意されないのは、両者ともに中身を完全に把握しているからだ。こんなものは、知っていることを形式的な形にしたにすぎない。
 アルシェイラは深くため息をついて、軽く頭を押さえた。実際、頭が痛くなる問題ではあった。曖昧に済ませるには話が大事になりすぎており、処断で済ませるには悪人が居なさすぎる。

「まったく。なんであの子、こんな面倒な事をしでかしてくれたのよ」
「閣下がちゃんと政治をなさらないからです。むしろ彼は代わりにツケを払ったのですから、文句を言われる筋合いはないと思いますけど?」
「うぐっ……言うようになったわね」
「そうでなければ閣下の傍は勤まりませんから」

 今度はアルシェイラが引きつった笑みを浮かべる番だったが、彼女はそれを全く無視して澄まし顔だった。
 実際、カナリスの言うとおりなのだ。政治に関心がない――なさ過ぎる女王は、最低限のラインに挑戦するかのように仕事をしていない。そんなまねをすれば政治は停滞するし、経済その他に少なからず影響が出てくる。そこを突かれてしまえば、反論のしようもなかった。
 皮肉から逃げるように、一度は投げ出した書類を手にとってページをめくる。ぱらぱらと紙が踊るのだけを確認し、内容は見ていない。本当に逃げるためだけの仕草。

「しかしこれって、公表するしかないわよねぇ……」
「しないのであれば、追放するしかありません。その場合は、事情を知る者から少なからず反感が出てくると思います。わたしを含めて」
「分かってる、分かってるわよ。だからそんなに睨まないでって」

 非難がましい視線にさらされて、ぱたぱたと手を振って訂正する。
 カナリスは年齢的にも、天剣になった時期的にも、レイフォンに一番近い。だからなのか、今回の件に一番同情的な人間だった。政治に関わる人間が私情を挟むのは宜しくない事なのだが、今回ばかりは原因がアルシェイラにあるだけに、何も言えない。もっとも、そうでなくとも仕事をしていないのだから、言った所で説得力があったとは思えないが。
 面倒そうに視線を落として、偶然開いていたページの文字を追う。そこには、レイフォンが《しでかした》事の数々が、子細余すことなく記されている。

(なんでもうちょっと簡単に処理できる程度に止めてくれなかったのかしら)

 それが八つ当たりであると分かっていながらも、思わずにはいられなかった。これをどこからも文句が出ないように処理するのは、恐ろしく骨が折れる。
 悪人がいれば、そいつに全部押しつけてしまえばいい。しかし、これたただの行き違いと思い込み。押しつける相手のいない問題というのは、それだけで厄介だ。
 所々内容を呼び飛ばしながら、ページをめくった。そこには意識調査として、レイフォンに対する一般的な意見が書かれている。

(支持率は僅か十二パーセント。まあ酷いもんよね。天剣剥奪希望も過半数と、よくこれだけ酷いことになったもんだわ)

 かなり本気で呆れるが、それは何の対応もとってこなかった自分にも言えてしまう事だ。これとそうレベルが変わらないと思うと、少しは真面目に仕事をしようかと思ってしまう。思うだけで、ぜったいにやらないが。
 レイフォンに対する世の中の認識は、異常な拝金主義で非常な守銭奴だった。
 情など欠片も解せず、容易く家族や師匠との縁を切る。粗末な部屋に一人暮らししだしたかと思えば、アルバイト等まで始めだした。挙げ句の果てに、同じ天剣授受者から節操なく金を借りまくっている。しかし、金の使い道は不明。
 はっきり言って、これで良い印象を抱けと言うのは無理がある。アルシェイラですら、最初に聞いたときは眉を潜めたくらいだ。天剣に人格は問わない。問わないが、限度はある。

「このお馬鹿が」

 指で紙束を叩く。

「自分の給料も借りたお金も全額孤児院に寄付しました。家を出たのは借金の返済義務が移るのを防ぐため。今はアルバイトの稼ぎのみで生活してますなんて、誰か予想したかしら」
「何をやっているかは全く隠さないのに、何をしたいかは誰にも語らない、変な秘密主義でしたからね」
「そんだけじゃないわよ。要所要所を見ると珍プレー連発してるのに、全体で見ると聖人君子だなんて、どこのコメディなの。最初に聞いたときは大爆笑しちゃったわ」

 いよいよレイフォンを処断しなければ示しが付かない、そんな段階になって調べ始めた時、一番問題になったのがその珍プレーだった。
 はっきり言って、行動の意味が不明だったのだ。金に関係があるようで関係ない、もしくは状況を悪くするような行為の数々。孤児院を出たのも、金を独占するためだと思われていたのだ。
 一貫性があるようでない、専門家を悩ませた謎の行動。それがまさか、ただの無知だとは。

「調べた時、あの二人がにやにや笑ってる訳よね」

 あの二人――デルボネとティグリスの顔を思い浮かべて、肘をつく。

「だから気前よくお金を貸したのでしょうね」
「まったく、知ってたんなら教えてくれればいいのに」

 愚痴るが、これについては完全に知らない方が悪い。
 そういう情報には敏感でなければいけない立場でありながら、実に二年も真相を知らなかった。これだけで、呼び出され怒られても仕方のない事態である。

「まあとにかく、事実を公式発表すれば一般の評価は逆転するでしょ。で、天剣の方は?」
「殆どが無関心です。問題ありません」
「それは別の意味で問題ありなんだけど……まあいいわ」

 天剣授受者は人格破綻者、その看板に偽りない結果だ。
 レイフォンの処断に一番積極的だったカルヴァーンも、真実を知ってからは肯定派に鞍替えした。武門の誇りと規律を重んじる彼にとっては、当然の動きだっただろう。今ではむしろ褒め称えてさえいる。天剣のメンツがメンツなので、気持ちが少し理解できてしまうのがちょっと悔しかった。

「カルヴァーンが陣頭に立って援護してくれるのは、正直有り難かったわ」
「彼じゃあ、本気でどうしようもありませんからね……」

 二人して大きく、そして深いため息をつく。事実が発覚するまでレイフォンを庇っていたのは、なんとサヴァリスであった。
 意外な話ではあったが、真相を知ってしまえば当然と思える程度の事であり、同時に馬鹿馬鹿しくもある。
 誰もが簡単に予想できる話ではあったが、サヴァリスに借りを作れば彼と戦うことで返却を求められられる。そしてその通りにレイフォンは借りを作って、予想と寸分違わず戦うことになったのだが。問題は、レイフォンが彼から借金した額だった。
 ルッケンスという武門は、グレンダンでも最大勢力の一つである。それこそサイハーデンなど相手にならないほどの門弟を持ち、道場から活気が絶える日などない。つまり何が言いたいかというと、そこの長子であるサヴァリスが、普通に生活する上で金を使うような事はないのだ。
 過去に一度大きな出費をしたが、それ以外に出費らしい出費はない。彼が天剣になってから十数年、それだけの天剣の給料がまるまる残っているのだ。借金全体の二割半ば、約十年分の給金に目がくらんだのは、事情を考えれば仕方ないだろう。
 戦いについては、天剣は天剣同士の私闘は禁じているものの、合意の上での試合までは禁止していない。と言うか、そこまで禁止できない。あくまで切磋琢磨が目的だと言われてしまえば、むしろ表だって禁ずる方が問題になる。
 必死になって訓練目的で試合を申し出るレイフォンと、その後ろでやたらうれしそうな笑顔のサヴァリス。それを見た時、アルシェイラは「こいつ、ついにやっちゃったわ……」と思わず漏らしたとか。

「まったく、普段は何も考えてないくせに、戦いが絡むと妙に頭が回るんだから。本気でろくでもない」
「月一ペースですもんねぇ。試合の名を借りた殺し合い」

 サヴァリスは金を貸した際、無期限無利子ただし途中で条件の更新あり、という契約をした。
 無期限無利子はただの善意ですよ、だから試合とは全く関係がありません。でも、試合をしないなら期限付き法廷利子に条件変えちゃうかも。こんな悪徳条件を堂々と提示し、厄介なのはそれが法に則った手順を踏んだという点だった。
 とにかく、これでサヴァリスは好きなだけ強敵と戦えるようになったのだ。と言っても天剣は女王のためのものであり、おいそれと自由にはできない。だからこそ、両者の妥協点、月に一回で手を打たせる事に成功した。彼も確実に戦えると分かっていれば、そうがっつきはしない。むしろ準備期間として楽しんでいる風さえある。
 そんな絶好の玩具を手に入れたのだから、それを手放しそうになれば援護もするだろう。ちなみに、サヴァリスにとって噂の真偽など最初から興味の外だ。

「レイフォンの借金総額は、天剣の給料四十年分。どこをひっくり返してもそんなお金ないんだから、本人に返してもらうしかないんだけど……」
「そうすると、無利子とあらかじめ決められた相手は後回しになります」
「あの戦闘狂に玩具を与え続けることになるのね……。多少は援助できるから、それを使って何とかならない?」
「厳しいかと。条件の曖昧な所に優先して返却させないと、トラブルの元になりますし」
「ああもう、あのペースで戦ったら、必ずどっちか壊れるわよ! せっかく無駄に強くなったって言うのに」

 思い切り背もたれに倒れながら、半ば喚くように言う。
 一年と少し前までは天剣として平均の強さでしかなかった二人。それが天剣最強の足下に迫るまでの力をつけていく課程は、何かの冗談としか思えなかった。
 とにかく死にたくないレイフォンが必死に実力を上げていき、それに触発されたサヴァリスが同様に鍛錬をする。いざ戦えば両者とも半死半生になり、それで危機感を煽られたレイフォンは訓練の密度を上げ、同じくサヴァリスも強くなっていく。文字通り命を賭した試合、入院、訓練のサイクルは、武芸者の能力を急激に高めていた。
 両者とも、動機は違うが戦いたがりなので、グレンダンとしては有り難いのだが。だからと言ってやり過ぎて壊れてしまっては元も子もない。

「で、こいつは当然」
「はい。保護指導者に立候補していますけど……」
「死ねって言っときなさい。魂胆が見え透いてるのよ。第一、サヴァリスに任せたらまともに育つ者も育たなくなるわ。戦闘狂がもう一人増えましたなんて、冗談じゃないわよ」

 アルシェイラの視界にタイミング良く目に入ったのは、レイフォンの今後についての項目だった。あくまで今後についてであり、処分ではない。処分にすると犯罪者になってしまうから。
 彼のやったことは、一言で言えば馬鹿の暴走である。その一言で済む問題だし、アルシェイラはそう断じた。だが世間的な意見を予想すると、これは変わってくる。無知以前に年齢、つまり若すぎるのに負担が大きかったのが悪いとなるのだ。
 元の孤児院に戻すには、今回レイフォンがやらかしたという実績があるため却下された。デルクは教育能力低しと判断されたとも言える。
 それで、とりあえず事情を先に伝えた天剣授受者の中から立候補を求めたわけだが。

「でも、ルッケンスの方もかなり乗り気なんですが」
「はぁ? なんでよ。関係なくもないけど、積極的に関わりある話でもないでしょ」
「それが、どうもレイフォンと付き合いが出来てから随分落ち着きができたとかで。いい影響があるなら近くに置こうと思っている様子です」
「本気であほじゃない」

 言葉もない、思い切り態度に出して、机の上で足を組んだ。カナリスの非難の目が刺さるが、無視して続ける。

「落ち着いたのはがっつく必要がなくなったから。焦る必要がなくなったなら、そりゃ余裕も出来るでしょうに。中身は何も変わっちゃいない、ただのバトルマニアじゃない」
「それでも大人しくなったという点に嘘がないというのが、話をややこしくしていますね」

 天剣もその家人も、しかも武門の大家が賛成となると、適当な相手を見繕って押しつけるという訳にはいかない。そんな武門の面子を潰すような真似をすれば、新たな火種を作るだけだ。
 であれば、最低条件として天剣授受者。保護観察者のハードルが一気に上がってしまった。

「他には、カルヴァーンだったっけ?」
「はい。さらに、借金をある程度負担してもいいとも言っています。ただし、条件が一つ。天剣を一時返上して、十六歳になったら復帰するようにと」
「却下。これから英雄になりかねない奴から、どんな事情があろうと天剣を返上なんてさせられる訳がないでしょ。そうじゃなくても実力が飛び抜けてるんだから」

 椅子が倒れそうなほど体重を預ける。天剣返上させた時の民衆の反応を想像し、アルシェイラはげんなりした。
 今の王家の評価は、はっきり言ってすこぶる低い。当たり前の話だ。
 元々アルシェイラが政治嫌いで有名である。治政が上手くいっているとは言いがたく、そういった方向での加点がほぼないのだ。さらに食料プラントの故障はしかたがないとしても、その復興は遅々として進んでいない。統治者としての女王に対する不満は、爆発寸前で踏みとどまっている状態だった。
 ここで一つ、武芸者の鏡として、レイフォンを盛大に持ち上げて不満を散らしたい。なのに天剣の返上などさせたら、少なくとも武芸者には確実に逆効果である。

「あーっ、ティグ爺あたりが預かってくれればそれで全部解決なのにぃ! あそこの孫娘、名前なんていったっけ? あれがレイフォンにぞっこんなんでしょ? それでいいじゃない!」
「ぞっこんって……。それは、これを機に真面目に仕事をさせる気だから、助け船は出さない方針なのかと」
「やるわよ! やってるわよ! こんなに頑張ってるんだから、少しくらい助けてくれてもいいじゃない!」
「先ほど仕事放棄しようとしてらっしゃいましたけどね」
「何か言った?」
「いいえ、何も」

 眼光を鋭くして追求するが、それを軽くいなされる。
 ぬあー、と変な叫び声を上げて、椅子を倒れるほど傾ける。あまりに見苦しい姿にカナリスの冷たい視線が刺さるが、無視して続けた。子供じみた仕返しである。
 一番角が立たない方法を探し悶えていると、ドアがノックされた。思わず眉を潜めるアルシェイラ。
 重要な事を決めるから、しばらく誰も近づくなと命じていた筈である。それほど重要で緊急を要する話なのか、それとも官僚以外の誰かが訪ねて来たか。どちらにしても面倒だが、対応しないという訳にはいかない。大きなため息を一つ、そうしてしまえば諦めることはできる。

「どうぞ~」
「ちょっと陛下。せめてちゃんと座って下さい」
「いいじゃない。どうせそんな事気にするような奴は来ないわよ」

 苦言を手を振って退けながら、思い切り体を反って、つまり逆さ向きで迎える。
 反転した世界に映ったのは、鬱陶しい銀の長髪に胡散臭い作り笑顔。なるほど、天剣の中でもとりわけ遠慮のないこの男であれば、仕事中に乱入してくるくらいはするだろう。
 アルシェイラのただでさえ剣呑だった眉が、眉間に深く溝を刻んだ。しかしそんな様子を目の前の男、サヴァリスが気にするはずもなく、普段と全く変わりのない調子で話し出す。

「これは閣下。ご機嫌麗しく」
「ないわよ。だから早く用件を済ませて、とっとと出て行く」
「それは残念。なら用事は手早く終わらせましょう」

 出口を指さされたサヴァリスは苦笑し――それもポーズでしかないだろうが――何枚かの用紙を差し出した。
 怪訝に思いながらも、その紙を受け取って目を通すアルシェイラ。同時に目は見開かれ、さらに冷や汗が流れた。

「一枚目がレイフォンの天剣残留嘆願書。二枚目が保護指導者関連の書類。三枚目が、父を中心としたルッケンスの同意書になります。あとは閣下のサインさえ貰えれば、すぐにでも……」
「っらァァァァァ!」

 アルシェイラの強烈な裂帛。それが部屋を揺るがせるのより早く――そして二人の天剣授受者が構えるよりも速く、彼女の体ははじけ飛んだ。
 半分足の浮いた椅子の上では、鋭く重い動きは望めない。ならば、と選択したのが、後転をするように宙を回転する事だった。机の上を弾いたのは、乗せていた足。積み重なっていた多くの書類が崩れる犠牲を払いながら、代わりに望んだだけの加速を得ることに成功した。
 回転する体。地面と平行だった向きが、垂直に変わる。いつもと同じ地面の角度、ただし上下だけが入れ替わった姿勢。
 目を見開いたサヴァリスが、ガードのために腕を上げようとしていた。さすがに、無駄に死線を越えただけある超人的な反応速度と判断力。しかし女王に対しては、それすら遅かった。
 膨大な剄を纏った足の裏が、一直線に突き出される。それはサヴァリスが持ち上げた腕の上を通過して、正確に顔面にめり込み――瞬間、大爆音が空間を揺らした。剄の奔流は破壊力ではなく衝撃力として対象を吹き飛ばす。背後の壁を、その向こうの外壁をも崩壊させて押し出し、サヴァリスが地上七階の星みたく滑空した。
 相手が退場したのを確認しつつ、足を伸ばした姿勢のまま両手で着地。足を下ろしてやっと普通に立つ。大穴が開いた壁を背景にして清々しく笑うと、唖然としながら耳を塞いで体を竦ませるカナリスが。
 そのまましばらく呆気にとられていたカナリスだったが、すぐに正気を取り戻し、同時に絶叫した。

「閣下、何をやってるんです!?」
「これで少しだけど時間は稼げるわ」
「やるにしたってもうちょっと方法があるでしょう! あぁ……死んでませんよね?」
「天剣を殺すようなヘマしないわよ」

 あえて、方法の話を無視しながら答えるアルシェイラ。それを続行したまま、言葉を繋げる。

「けど、これで稼げる時間はたかが知れてるわ」
「そりゃまあ、蹴っ飛ばして追い返しただけですし……」

 意図的に三白眼を作ってじっとりと睨む。すっと視線を外したカナリスに、それでも視線をぶつけながら続ける。

「とにかく、すぐにでも保護指導者だけは決めなきゃ駄目よ。あれに任せるのは本気で最悪の事態だし」
「けど、本気でどうします? ティグリス様に頭を下げに行きますか?」
「受けてくれるなら悪くないけど、それで首を縦に振るほどティグ爺は甘くないわ。カルヴァーンは最悪の一歩手前。他の天剣授受者にするとしても、ルッケンスが本腰入れたなら半分が脱落するわね」
「しかし、他に手がありません」
「まだあるわ、最後の手段がね。と、その前に」

 アルシェイラは手に持った用紙にさっとペンを走らせると、それをカナリスの胸元に投げた。慌てて受け取った彼女は、丸まった用紙を広げて驚く。
 渡した書類は天剣残留嘆願書とルッケンス同意書に、女王の承認サインを書き込んだものである。保護指導者の承認書は当然ない。本人がいないのをいい事に、自分に都合がいい物だけを認めたのだ。

「またこのような詐欺まがいの事を……」
「いいのよ。わたしが認めればそれもまかり通るわ。それで、最悪にならない保護指導者なんだけど」

 と、アルシェイラは笑いながら、カナリスの肩をぽんと叩いた。女王でいる時はまず見せない、童女のような笑顔で。
 カナリスは意味が分からず言葉を待っているが、それでも返すのは笑顔だけ。
 ルッケンスの本格参戦により、大きな武門の後ろ盾がない天剣に保護者となる資格がなくなった。これは単純に、政治と武芸両面からの影響を考慮した結果である。天剣であれば武芸方面での影響力に問題はないのだが、政治に関心を持つ者は殆ど居ない。政治的な力は、グレンダンではあまり重きを見られないとは言え、無視できる要素でもない。
 さらに、不可と判断されたカルヴァーン。最初から非参加を表明しているティグリス。体力や年齢を考えれば、デルボネにも任せられない。消去法で残ったのはトロイアットと……カナリスだ。
 やっと気がついたのだろう、カナリスの顔が青ざめた。同時にアルシェイラの笑みが深くなる。逃げようとした彼女の肩に、指が食い込んだ。
 年齢が一番近く、有名武門リヴァネス出身。そして、リヴァネス出身というのは王家の亜流、もしくは予備という事でもある。付け加えれば、天剣でも珍しく政治に興味を持った存在、というか女王の仕事の殆どを代わりに請け負ってもいた。武門と政治、両方面にぬかりなく手を伸ばせる、実は天剣で一番多芸かつ万能の才能を持った人物。
 それは、レイフォンを預けるのに理想的だった。理想的すぎた。
 いくら逃げようと体を動かしても、女王の腕は揺るがない。もう片方の指につままれた紙は、保護指導者承認書。既に女王のサインはあり、あとはカナリスがサインをすれば正式なものとして機能する。
 逃げ道は、既にない。
 そして、最後の一押しに。アルシェイラは甘く囁いた。

「お願いね」



□□□■■■□□□■■■



 訳が分からない。やたら綺麗な部屋で椅子に座ったレイフォンの、紛れもない本音だった。
 そもそも彼の日常とは、そうバラエティに富んでいる訳ではない。ここ一年あまりは、完全にパターン化していた。
 バイトがある時は、そちらに行く。随分煙たがられているが、それくらいで実入りのいい仕事をやめる訳にはいかない。効率よく働きつつ、同時に剄の鍛錬もできるようにする。
 天剣としての予定が入っていれば、王宮へ。と言っても、こちらは待機、訓練、老性体との戦闘しかなく、特筆する事はない。
 特殊な例として月に一度、サヴァリスとの試合もとい殺し合い、その後入院がある。だが、これを予定と言うに憚られるし、レイフォンもそう呼びたくなかった。
 とにかく、その異常を抜いてしまえば、あとは家に帰るだけ。未だ十二歳の子供、孤児院が懐かしくはあったものの、出てきた以上は泣き言は吐けない。玄関を開ければ、大抵はリーリンが作ったか持ってきてくれた料理が並んでいる。彼女の負担が小さくない事は分かっていたが、レイフォンにも余裕はなく、ずるずると甘えていた。文句一つ漏らさず支えてくれる彼女には頭が上がらない。
 食事を手早く済ませたら、あとは寝るだけだ。趣味などなく、遊ぶ余裕もない彼に、無駄な体力を使うという発想はない。なるべく多く体を休めて、翌日に備えるのだ。
 これがおおよそ、レイフォンの毎日である。
 だから、たとえば家に帰ると家具一切がなくなっていたとか、部屋の中心に置き手紙が一枚だけとか、それが他の天剣からの呼び出しだとか。そういうものは、日常には含まれていないのだ。
 いかにも金を持っていそうな、大きな家の一室。そこでなぜか、レイフォンは学校の生徒みたく座っている。であれば、当然教師のように立つ者も。
 カナリス・エアリフォス・リヴィン。同じく天剣授受者であり、仲は良くも悪くもない。と言うか話したことが殆どない。険悪なものまで関係者に含めるのであれば、カナリスは最も関わりが薄い者の一人だと言える。少なくともレイフォンは、話しかけられるまで声も口調も思い出すことができなかった。
 そんな相手から私物を人質に呼びつけられる理由など、思い浮かぶ訳がない。

「あなたには、今日からここで生活してもらいます」
「すみません意味が分かりません」

 ストレートすぎる返答に、カナリスの眉尻が跳ね上がった。まるでレイフォンが悪いと言わんばかりの対応に、内心だけでうめいた。

(どうしろって言うんだよ……)

 カナリスは睨んで牽制を続けながら、先を紡ぐ。

「これは女王の決定であり、拒否権はありません」

 つまり、今更あがいても無駄だという事だ。レイフォンもカナリスも。諦めたように机に肘をつけば、精神的な疲れがどっと溢れてくる。

「生活はこちらで見ますから、アルバイトをする必要はありません」
(まあ、それは楽になっていいかな)

 冷たい視線を無視して働いていたが、だからと言って全く気にしないほど図太い神経はしていない。むしろ精神的な疲労は確実に蓄積していた。必要だから堪えていたものの、そうでないならその方が有り難い。
 多少体から力を抜いて、楽な姿勢を取った。これからが本題だとは気づかずに。

「あとは、こちらで必要な教育も受けてもらいます。内容は一般初等教育の……」
「ちょ、ちょっと待って! 女王は天剣は力さえあればいいって!」
「その」

 慌てて絶叫するレイフォン。勉強を強制されるなど、冗談ではなかった。頭を使うのは、レイフォンが最も苦手な事なのだ。そんな事をするのであれば、今までのままの方が遙かにましだった。
 しかし、カナリスはあくまで冷静に言葉を中断させる。

「女王の決定です。もう一度言いますが、拒否権はありません。黙って従いなさい」

 断固とした口調。レイフォンは浮かせかけた腰を椅子に落として、そのまま机に突っ伏した。これからの生活が(頭脳的な意味で)遙かにつらい物になるのを確信して。
 これが。
 後の世に、歴代中最も仁徳の高い天剣と言われ、同時に三十余年かけて金を返済した借金王とも語り継がれた男。レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフの。ほんの始まりの話だった。


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