自宅に着くなり、レイフォンは倒れ込むようにベッドに突っ伏した。普段は心地よく感じる弾力も、今は意識する余裕もない。
幼生体の完全討伐が確認されて30分ほど、一端警戒態勢は解かれる事となった。シェルターに避難していた住民も、徐々に街に戻って行っている。
戦争こそ終結したものの、むしろ大変なのはこれからだ。予備兵力だった、比較的消耗の少ない武芸者は、今も待機所に詰めている。と言っても、また汚染獣が来たとして、彼らに止める力はあるまい。地下で汚染物質に感染した者は、急いで病院へと搬送された。今の病院は、負傷兵と感染者でベッドの数も医者の数も足りない位である。機関部修理の人員の不足は深刻であり、他科の生徒を人海戦術で投じて何とかしようとしていた。
どこもかしこも不足ばかりで、備えも足りない。未熟者の集まりな上に、最長で6年しか人の居着かない学園都市。その弱みが一気に現れる形になった。熟練者がいないのは諦めるとしてもだ。今後は組織の大幅効率化、余裕を持った編成に、上層部は悩まされる事になる。だが、これはレイフォンに関係のない話だ。
彼は、緊急事態が起きれば、何を置いても招集される事になっている。地下から使われていない小型発電機まで引っ張り出し、錬金鋼の調整をした位だ。どこもかしこも必死である。
手を伸ばして、枕を引き寄せる。それを顔の下に敷いて埋めた。
とにかく、今日は疲れたのだ。肉体的には、所々軋んでいるが大したことはない。精神的な疲労が、全く抜けていなかった。
フェリのこと、メイシェンのこと、ニーナのこと。汚染獣の襲撃から、リーフェイスの心配まで。とにかく、感情を揺り動かされる事が多すぎる。善し悪しはまた別として、濃密な一日ではあった。濃密すぎて、二度と来て欲しくはない。
「パパー! ぱぱぁー! ねー、リーフィどがーってやったの、ねーねー!」
「はいはい、見たから分かってるよ。何でそんなに元気なの……」
レイフォンが迎えに行ってすぐの時、リーフェイスは泣いて抱きついてきたのだが。何か変なスイッチが入ったのか、今ではこの通り、興奮しっぱなしだ。未だ目は涙で赤いままなのに、良くやるものだ。
そういえば、と時計を確認する。時刻はもう、深夜と言っていい時間だ。リーフェイスがこんな時間まで起きていたことは、今までない。興奮の理由は、だからかもしれない。
いい加減寝かしつけよう、そう考えていると、玄関のチャイムが鳴った。居留守をしてしまおうか、そう考えるが、意味が無いと気がついた。今の時間に訪ねてくるような人ならば、レイフォンに自宅待機がある事を知っているだろう。
ひたすら億劫だが、対応しなければ。そう思い体を起こそうとしたが、その前にリーフェイスが駆けていった。相変わらず、ドアに突撃せんばかりの勢いだ。
本来ならば、レイフォンが対応しなければならない。この緊急時であればなおさら。だが、あまりのだるさから、全くそうする気にはなれなかった。
だだだだ、と勢いよく戻ってきたリーフェイス。速度を維持したまま、レイフォンに思い切り体当たりした。
「ぐふっ」
「パパ、シャニー来た! お土産持ってきたって!」
「よう、レイフォン。やっぱり死んでんなあ。お疲れさん」
「いや、これはリーフィの頭突きで……それより、何の用です?」
現れたのは意外なことに、シャーニッドだった。相変わらず人好きする笑顔で、恐ろしく自然に部屋の中に入ってくる。
「大した用事じゃない。お前らに弁当を持ってきたんだ。配給品でうまくはないが、とりあえず腹に入れとけ。晩飯も食ってないだろ?」
「ああ、有り難うございます。お腹、結構キツかったですから」
そっと腹を撫でてみる。戦闘の余韻で目立たないが、確かに空腹だ。
「パパ、ごはん? ごはんするの?」
「駄目だって。リーフィは明日にしなさい。調子悪くするから」
「やーだー! たーべーるーのー! リーフィもご飯たべるー!」
「仕方が無いなぁ……じゃあ僕の一緒に食べようか。ほら、おいで」
「わーい!」
リーフェイスを膝の上に乗せて、椅子に座った。その正面には、なぜか当然のようにシャーニッドも座っていた。
「んでもって、これはおれからの差し入れだ」
にやりと笑いながら取り出したのは、深赤色をした液体の入った瓶。コルクが引き抜かれると、何とも言えない陶酔感を思わせる香りが漂う。
それに、レイフォンは驚きに目を見開いた。
「酒ですか?」
「いんや、酒の気分を味わえるだけのジュースだ。さすがのおれでも、準戦時体制に酒は飲まん」
ジュースの注がれたコップを差し出される。見た目も香りも、完全にワインのそれだった。少しばかり口に付けてみるが、たしかにアルコールっぽいだけだ。ジュースの入ったコップは、リーフェイスの前にも出される。注意しようかとも思った。が、ノンアルコールであればうるさく言う事もないかと考え直した。
にこにこと口に付けた少女の顔が、一瞬で渋い者になる。そして、コップごと押し返した。その様子を観察していたシャーニッドは、けたけた笑いながらコップを受け取った。
「ま、とりあえずお疲れさん。おれは生き残った、お前も生き残った。ついでに他の奴らも生き残った。ほれ乾杯」
「……そうですね、乾杯」
かつん、コップ同士が音を立てる。
シャーニッドは、意外なことに食事中静かだった。ものを食べるときはしゃべらない主義なのかもしれない。ふと、彼も今日の事で疲れているのではないだろうか、と思い至った。汚染獣との戦闘は、慣れていないと言うだけで大きな負担を与える。しかも長時間の戦闘となれば、今すぐ倒れたいほどだろう。
そして、汚染獣と戦って疲れたのは、何もシャーニッドだけではない。リーフェイスも同様に、もう限界だった。レイフォンの上のまま、口から食べ物を溢しながら、うとうととしている。こうなるとは思っていたので、あらかじめ膝にハンカチを置かせておたいが、正解だったようだ。
口元を拭いてやり、ベッドに運ぶ。その寝顔が僅かに曇っているのは、今日の経験からだろう。少しでもそれを和らげるようにと頭を撫でて、テーブルに戻った。そこではシャーニッドが、既に食べ終えて二杯目のジュースをついでいる。
一息つくすがたを尻目に食事を再開し。そして、投げかけられた言葉はストレートすぎ、同時に予想外だった。
「なあ、お前さ。何か過去、こっちに来ることになった件で、何か隠し事あるだろ?」
持ち上げたフォークは、音を立てて弁当箱に落ちた。全くもって予想外のタイミングだ。
レイフォンが固まったのを見て、しかしシャーニッドはけたけたと笑い飛ばした。
「別に聞き出そうってんじゃないさ。ただ、そういうのと上手くやっていくこつみたいなもんを教えてやろうと思ってな。ニーナの態度見た限りじゃ、よっぽどの事だったんだろうし」
確かに、試合であんな事があれば、ニーナが問い詰めぬ訳がない。さすがにカリアンから過去を聞き済みな事は分からないだろうが。そして、招集時の彼女の様子を見れば、予想は簡単に付く。
しかし、まあ、なんと言うか。レイフォンが思っていたよりも、彼は世話焼きな性格だったらしい。それに、どちらかと言えばもっと聞きたがりなタイプだと思っていたのだが。レイフォンの視線に気づいたシャーニッドは、皮肉げに笑って見せた。どこか、強がりのような印象を残して。
「なんだ、お節介だったか?」
「あ、や、違いますよ。ただ、ちょっと聞かれなかったのが意外だったなって……」
「あぁ……そうか」
コップに口を付けるシャーニッドの顔は、少し寂しげだった。一口、飲んだのか飲んでないのかも分からない程度浅くコップを傾ける。
「おれは昔、別の小隊に居たんだよ。そこ辞めた後ニーナに誘われて、第十七小隊に入った訳だ。その前の所で色々あった訳だが……聞きたいか?」
「は? あ、はい」
レイフォンの間の抜けた返事。興味があると言えばあるし、無いと言えばない。ただ、過去の経験から無理に聞き出したいとは思わなかったが。曖昧でも肯定的な返事が出たのは、聞かれて咄嗟に出た返事がそうだっただけだ。
その答えにシャーニッドは鷹揚に頷く。そして、いたずらっ子のような笑顔を浮かべた。
「嫌だ」
「何ですかそれ……」
「つまりそういう事だよ。真実は当事者だけしか知らんでも、大筋は今の二年以上なら誰でも知ってる。だからって、それを誰かに聞かれて言えるかって言われたら、言えないよなぁ」
確かに、小隊員が小隊を辞めたとなれば、少なからず騒ぎになるだろう。平時ならば、複数の新聞に、一面で載るかも知れない。誰でも知っていることだ、本人に聞くまでもなく。だが、ならば自分でそれを説明できるのとは別問題なのだ。レイフォンだってそうだ、グレンダンでそれを聞かれても、心情が邪魔をする。聞いた相手を邪険に扱いもするだろう。
「おれとお前の苦しみが同じだとは言わないけどな。けど、そうなったらどうなっちまうかは、似通うもんだ。そこでこの先輩様が、いっちょ後輩にご教授してやろうかと思ったわけだ」
「あはは、人生の先輩がですか?」
「ちげーよ」
シャーニッドがジュース瓶を掲げた。大人しくコップを差し出すと、なみなみと注がれる赤色の液体。口に含んだそれは、苦みが増した気がした。
「情けない男、の先輩がさ。なっさけないのはどうしようもない、けど日々をそこそこ上手く生きてかなきゃならん。そんなやり方を教えてやる」
「いや、本当にそれ、笑えませんよ」
言いながら、二人して笑った。酔いが回ったようだ。そういう事にしておく。
それから、どんな話をしたのかは、良く覚えていない。シャーニッドの講釈なんだかよく分からない蘊蓄は、やがて愚痴に変わり。レイフォンもそれを漏らし出すと、もう二人して止まらなくなっていた。何時間しゃべり続けたのかは分からないが、とにかく長時間馬鹿話をしあう。
いつしか、部屋に光が差し込み始める。レイフォンとシャーニッドが、ほぼ同時に窓の外を見た。そこには、砕かれた大地にもなお負けずと、朝日が顔を出している。
「なあレイフォン、つまりああいうこった」
コップを持った手で、太陽を指さす。ゆらゆらと揺れる指先は、太陽をなぞっているのだろうか。
「こうやってだべって不満ぶちまけて、ついでに大騒ぎすれば気は楽になる。けどそんなもん、結局何の解決にもならんわけだ。そして、解決なんか出来るはずもない。なぜなら、それは太陽だからだ」
うらやましそうに、シャーニッドが言う。そこにある憧憬を、レイフォンはなんとなく共感できた。
「自分で昇らせようと思って昇るもんじゃない。あれは勝手に昇るもんだ。俺たちは、そうなるまで耐えなけりゃならん。歯を食いしばりながら、みっともなくな」
「消極的ですね……」
「そりゃそうだ、本当にどうにもならんからな。努力すれば、行動すればなんとかなる? うるせー! したり顔で言うんじゃねー! おれらが何もしてないと、本当に思ってんのかー!」
大騒ぎを始める。掲げたコップから、僅かに残ったジュースが飛び出た。だが、注意しようという気にはならない。何というか、どうでもよくなったのだ。
その時だ、都市が揺れたのは。まず地面に体が置いてかれるような感覚、次に一瞬の浮遊感。やっと都市が再起動したのだ。耳に慣れた、巨大な足が大地を踏み砕く音が聞こえる。
「ほらな? ほっときゃなんとかなるもんだ」
「ちょっとそれは下らなすぎますよ」
「けどそんなもんだよ。人生こんなもんだ。お前も、あれこれ深く考えるよりは、毎日を楽しく生きる事を考えろよ。その方がお前の為だし、お嬢の為だ」
そんなものなのだろうか。思いながら、レイフォンはまだ寝ているリーフェイスの頭を撫でながら、朝日を見た。
やはり、何かが変わるわけでもないのだが。とりあえず、すぐに機関部掃除の仕事をやめよう。そして、時間を多く取れるバイトを探そう。そんな事を考えながら、いつまでも昇る太陽を見続けた。
あとがき
たくさんのご意見、ありがとうございます。皆様にいただいたご意見は全て、何度も読ませていただいております。
私は感想返しを繰り返すと失言をするタイプなので、ここに纏めさせていただきました。ご了承下さい。
ニーナについて、私は彼女を、こう、原作よりマイルドに書いたつもりでした。なので、皆様の意見でニーナコノヤロウ的なものが多かったのには、実は驚きました。ひとえに、私が客観性を欠いたのが理由です。申し訳ありませんでした。
カリアンについても同様です。原作のある種超越した印象を持つキャラクターではなく、もっと必死さと貪欲さを持つが、空回りをしてしまった。そんな感じに描こうとしたのですが、結果は愚かさばかりが前面に。自分の実力不足を痛感するばかりです。
レイフォンがリーフェイスに背を向け、ツェルニの武芸者を助けに言った件。これについては、私もどうかと思いましたごめんなさい。心情的にはそうしたいけど、情勢がそうさせないというのを表現しきれていませんでした。また、そこで本当に向かっていくと被害拡大、下手すると滅亡し、レイフォンについてなあなあで済まされないという事情もあったので、難しい点でした……。さすがに敵前逃亡して死人が多数出ると、弱いから云々で済ませられませんし。
今回、皆様にたくさんのご感想をいただき、とても勉強になりました。至らぬ点、多数あったにも関わらず、最後まで読んでいただきありがとうございます。ご意見の全ては保存し、今後の執筆活動に生かさせていただきたいと思います。
こーかくのれぎおすはこれでいったん終了です。続きを書くとしても、もう少し時間がたってからになると思います。楽しみにされていた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。あ、あと一作、本編とは全く関係ない番外編を投稿しようとは思っていますが。
最後に、皆様本当にありがとうございました!