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No.32355の一覧
[0] 【習作】こーかくのれぎおす(鋼殻のレギオス)[天地](2012/03/31 12:04)
[1] いっこめ[天地](2012/03/25 21:48)
[2] にこめ[天地](2012/05/03 22:13)
[3] さんこめ[天地](2012/05/03 22:14)
[4] よんこめ[天地](2012/04/20 20:14)
[5] ごこめ[天地](2012/04/24 21:55)
[6] ろっこめ[天地](2012/05/16 19:35)
[7] ななこめ[天地](2012/05/12 21:13)
[8] はっこめ[天地](2012/05/19 21:08)
[9] きゅうこめ[天地](2012/05/27 19:44)
[10] じゅっこめ[天地](2012/06/02 21:55)
[11] じゅういっこめ[天地](2012/06/09 22:06)
[12] おしまい![天地](2012/06/09 22:19)
[13] あなざー・労働戦士レイフォン奮闘記[天地](2012/06/18 02:06)
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[32355] じゅっこめ
Name: 天地◆615c4b38 ID:b656da1e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/06/02 21:55
 フェリ・ロスはある建物の屋上で、うんうんと声を上げて唸っていた。頭を抱える右手には、既に開放状態の錬金鋼が握られている。当然ながら、搭載された念威を伝達する花弁は散っていた。
 彼女が悩む理由というのは、至極簡単だった。今の自分が、恐ろしく格好悪いからだ。
 武芸者が一丸となって戦う戦場を間近にしながらこんな所に居る理由。それは色々あった。例えば、このまま参加すれば兄の言ったとおりになるようで、とても気に入らないとか。まあ、それはどうでも良い。少なくとも彼女視点では、その件でどう貶されようと構わなかった。武芸者をやめろとでも言ってくれれば、喜んでその通りにするだろう。つまり、それは彼女に頭を抱えさせる理由ではない。
 真に、フェリをそうさせているものは、念威の先にあった。超感覚を持つレイフォンすら遠く及ばない。感覚器官を拡張、延長することに特化した器官。それをさらに錬金鋼で拡張すれば、何十キロという距離、範囲でも把握しきれる。そんなのを使えば、そう、例えば。四歳くらいの小さな子供に気づかれぬよう尾行することなど、難しくないのだ。
 その少女が何をやっているかと言うと、一言で言って戦ってる。汚染獣と。当然、フェリが戦うのを放棄した相手でもある。重そうな錬金鋼を必死になって抱えながら、冗談のような威力のある光線をバカスカ撃っていた。
 こんな子供が戦っているのに、自分は何もしないのか。いや、リーフェイスがこうしているのと自分で戦うのとは別問題だ。と言うか、彼女がここでこうしてるのを誰かに言うべきだろうか。しかし、レイフォンは見つからない。兄に声をかけるのは、正直凄く嫌だ。それは最後の手段だ。
 無数の思考が、彼女を葛藤させる。逆に言えば、葛藤できるだけの余裕があったのだ。
 フェリの目から見て――いや、ツェルニの誰の目から見ても、彼女は圧倒的だった。幼生体の一体すら、人数を集めて袋叩きにしなければいけない武芸者。その中で一人、光線で無数の汚染獣を殺し続けるその力。あまりにも強い輝きは、本当の意味でリーフェイスはまだ子供であると言う事を忘れさせていた。
 ツェルニ中が停電になっても、さして気にしなかった。殺戮光線は相変わらず健在であったし、汚染獣の脱落状況も変わらない。無双と言って差し支えない武力に、僅かな陰りも見えなかった。少なくともフェリからは、全く変わらないように見えた。
 だから、この期に及んでも彼女は頭を抱え続けられた。それだけの余裕が、あると思っていたのだ。
 フェリは知らない。リーフェイスは暗闇になっても、変わらず目が見えていたわけではないと。少ない明かりで見えたものを、優先的に落としているだけだと。
 闇の隙間から密かに迫るものには、誰も気づかずに。
 彼女がこの判断を死ぬほど後悔するのは、この直後だった。



□□□■■■□□□■■■



 やりづらい。精神制御の隙間から漏れ出した感情、それが勝手に毒づく。
 体は相変わらず、汚染獣を殺戮するための機械と化していた。右手に持った剣も、左手に持った銃も。機械的に、効率よく汚染獣を駆除する選択をする。それは全く持ってレイフォンの意思通りであり、何も外れるものではない。ただ一つだけの誤算。いや、性格に言えば分かってはいたのだが、本当には理解し切れていなかった事。周囲の武芸者達は、予想以上に邪魔であった。
 とにかく敵を倒す事だけ思慮するのを許されず、何度も集中を寸断される。状況の分からぬ武芸者が、わざわざ敵の前に割って入ってくる。戦線の立て直しが遅く、余計に多く汚染獣を狩っていかなければならない。

(グレンダンではこんな事なかったのに)

 それは当然だ。グレンダンにあって、ツェルニには無いもの。単純に、天剣授受者というという存在に対する畏怖がない。
 天剣の戦場には、天剣以外の武芸者が入っても邪魔になるだけだ。それが、グレンダンでの共通認識である。つまり、レイフォンが立った時点で他の武芸者がいる事など、まず無かった。天剣以前でも、邪魔になるような武芸者はおらず、いたとしてそれは邪魔になった奴が悪い。そう処理されて当然の場所だった。
 しかし、ツェルニでは違う。弱さが罪にならない。どんな実力でも、武芸者を名乗れる。また、レベルが小隊員までいってぎりぎり一人前、という程度だ。当然ながら、平均的に低い能力は無駄な自信を持たせる。幼生体程度にこれだけしてやられても、なお実力に自負を持って立ち向かう。
 今の装備であっても、レイフォンだけであればとっくに殲滅している数だ。いや、主目的は敵を通さないことなので、それを言っても仕方がないが。それに、殲滅が目的であれば銃など持ち出さない。邪魔になるだけだ。
 どう足掻いても、思い通りにいってくれない戦場。邪魔にならぬよう引いていてくれ、それすら理解してくれない。自分の実力を把握できない武芸者達。
 不満は、錬金鋼にも及んでいた。剣の方はまだいい。程度が劣悪でも、勝手知ったる武器だ。多少余裕を持って動かすことができる。しかし、銃は別だった。実践では使ったことのない武器では、限界を見極めきれない。また、引き金を引いて剄を飛ばすという特殊性も、悩みの一つだ。注入しすぎて逃げ場のない剄が、錬金鋼を内圧で砕きかけているのだ。ただでさえ、剄弾を打ち過ぎて砲身が赤熱しかけているというのに。
 限界が近い。それを悲痛な程に感じ取っていた。
 銃は、こんな武器でも今回の要だ。使用に必要な動作は、照準を合わせるだけ。たったこれだけで遠距離攻撃を可能とする。剣と剄を共通せずにそれが出来る利点は、恐ろしく有り難い。
 それは同時に、銃の崩壊と共に戦線の崩壊をも意味していた。
 接近戦と遠距離攻撃。この二つを可能とする剄、それを剣は受け止めきれない。今度は剣に限界が迫り、遠からず砕けるだろう。ただでさえ剣に負担をかける戦い方をしており、消耗は今の時点でも無視できない。
 戦場を全体的に見てこそ立て直しているが、それだけでは意味がないのだ。何れ来る限界、それを先延ばしにしているだけなのだから。レイフォンが余裕を与えたとしても、それでツェルニの武芸者が幼生体を倒せるようになる訳ではない。どこかで、何とかして汚染獣を消滅させなければいけない。
 どういう行動を取るにしても、新しい錬金鋼の確保は必要だ。欲を言えば、前線部隊を撤退させたい。

(そういう意味なら、まだ希望はある)

 今武芸者達の指揮をしているのが誰か、レイフォンは知らない。……いくら一年とは言え、小隊員がそれはどうかと自分でも思うのだが、知らないものは仕方が無い。とにかく、誰だかは知らないが。しかしかなり大胆な決断を出来る人間なのだろうとは思っていた。それは同時に、レイフォンの追い風になる。
 今彼がいる区画には、手練れらしい人間は全くいない。小隊が壊滅したのか――最初はそう思ったが、それも毛色が違うようだった。武芸者に混乱はなかったし、なにより指示を出している人間が見える。個人の武勇が高い、エースと呼ばれる者達だけが、ごっそりといなくなっている。
 それが分かれば、エースがどこにいるのか考えるのも容易い。おそらくはレイフォンがいない戦場――恐らく第一区画から第四区画に再編成されたのだろう。
 飛び抜けて武力の高い者がいる戦場でもっとも影響があるのは、やはり士気だろう。強い仲間がいる、それだけでなんとかなりそうな気がするのが、人間というものだ。逆に、どこかに希望がなければ、人間の心は簡単に折れる。
 その希望という意味で、第五区画から第八区画に、彼らは必要なかった。なぜならば、より大きな輝きを放つレイフォンがいたから。各小隊のエースとて相応の光を持っているが、それで太陽と蝋燭を比べろというのは酷だろう。彼の輝きに対して、他者のそれはないも同じだ。ならばいっそ、第四区画以降に移してしまえばいい。
 それは、単純に戦力増強という意味だけでは終わらない。援軍が来たという希望は、現地戦力の士気を大いに高めてくれるだろう。とりわけ指揮官には、その存在は大きな希望になるはずだ。なぜなら、小隊員はかなり正確にツェルニの戦力を把握している。念威からの通達等を計算すれば、既に予備兵力が殆ど枯渇しているのを推察できた。
 効果は、それだけにとどまらないだろう。明らかに別方面からの援軍、それもエース級が来たのだ。エースを回しても問題ないほど戦況を有利に進めている、そう察するのは容易い。
 たとえそれが虚構でしかなくても、勝利という終わりが見えてくる。見えてくれば、気合いはさらに入る。
 そこまで考えて行動した指揮官であれば、耳を貸してくれるはずだ。
 剣を回転しながら薙いで、周囲の汚染獣を二枚におろした。銃で飛翔する的を打ち落としつつ、引きつけた汚染獣。周りに切ってはいけないものがないのであれば、幼生体の殲滅それ自体は容易い。
 血の一滴も付いていない剣を、癖で払いながら。やはり、剣筋を伸ばしきれるというのは心地よい。味方を案じて縮こまる軌跡では、幼生体の外鎧ですら切り損じそうな気がする。
 第五区画から始まったこの戦線再構築支援も、第七区画まで終えた。残りは一区画、戦場の最端であれば、汚染獣の数もそう多くはないだろう。そこまで行けば、あとは簡単な作業だ。第五区画まで戻って、汚染獣を纏めて吹き飛ばせばいい。万が一また戦線崩壊しているようであれば――非常に面倒だが――その後押しを優先する。
 この、嫌な緊張感の中で戦うのもあと少しだ。そう思いながら走り出そうとした時に、ふと、肩に何かが乗った。レイフォンは当然、それが到着する前から気づいていた。だからといって待っていたわけではなく、ただ単に振り払う理由もなかっただけだ。
 レイフォンが空気の壁にぶつかりながら走っても、それは落ちない。どういう仕組みかまでは知らないが、念威端子とはそういうものなのだ。
 殆ど端子を意識せず走る。ガリガリという不快な音が、鼓膜に届く。聞いたことのある音。同じく天剣であり、念威繰者でもあったデルボネ。彼女以外の念威繰者が扱う端子は、たまにこういう音を混ぜていた。
 唐突に、異音は途絶える。これもどこかと繋がったためだ、と言うのを経験で知っていた。

『レイフォン、レイフォン・アルセイフ君か?』

 届いた音に、レイフォンは思い切り嫌そうな顔をした。感情を殺すことすら忘れて、だ。
 念威端子を放置しておくべきではなかった。すぐにでも払ってやれば良かったのに。いや、今からでも払ってやれば……いや、無理だ。背後から声が聞こえる。カリアンは一人ではない。この情勢なら、間違いなく作戦本部あたりにいる。無意味なあがきをして、他の者の印象まで悪くするのは、得策ではない。

『君がわたしを嫌っているのはよく分かる。それだけの理由があるのも』
(よく言う)

 声には出さずに、吐き捨てた。そんな言葉を今更言われたとて、どうしろと言うのか。まさか、そんな一言で和解を望んでいる? それこそ、悪い冗談だ。
 カリアン・ロスとは契約をした。しかし、彼は契約を破棄した。一方的にだ。そして、もっとも秘しておきたかった過去を明かした。過去を明かした相手がニーナだけである、そんな楽観はできない。
 レイフォンはもう、カリアンを信用できないし、しない。どれほど言葉を尽くそうと、それは嘘だ。態度で示そうとも、欺瞞の前段階。そうとしか考えられない。
 その声を聞くだけで、体が鈍るのを感じた。今すぐ念威端子を砕きたくて仕方がない。

『不満はあると思うが、今だけは我々の指揮下に入ってくれ。ツェルニの為なんだ……頼む』

 都合がいい言葉だ。そして、安い言葉でもある。
 誰かの為に、何かの為に。非常に道徳的かつ、社会的な思想。そう行動すれば、誰もが賞賛するだろう。逆に、それに逆らえば誰もが批難する。人を型に押し込めて動かすのに、これほど簡単な言葉はない。
 カリアンは覚えているだろうか。ツェルニの為に――レイフォンを武芸科に押し込んだ時も、そう言ったのだ。そして、裏切った。もはやそんな言葉には、誠実さは欠片もない。いや、逆に彼の言葉の安っぽさすら強調する。
 苛立ちが湧いた。念威端子の先の相手にも、自分にも。こんな言葉に、僅かでも共感してしまっていた。馬鹿だった。やはり彼は政治家であり、同時に大嘘つきだ。どんな言葉、どんな態度、どんな感情であろうとも、信じるべきではなかったのに。
 レイフォンは口を噤み続ける。もう、彼と話すことなど何もない。

『カリアン、もういいな。おい、レイフォン・アルセイフ。お前が招集から今までどうしていたとか、過去についてとか、今は問わん。これから戦地を指示する。そこに直ちに向かえ』
「――ああ」

 その声は、答えようとして出た言葉ではない。ただの吐息が、そんな音になっただけだ。
 レイフォンの過去を知る、四人目。もう落胆もなく、ただ、やはりか――それだけの感情。もしかしたら、感情ですらなかったかもしれない。すでに、自分がどう機能しているか、それを思い出す事すら億劫だ。

『何か言ったか? 風の音でよく聞こえん』
「いえ、何も」

 過去を知る、その時点で苦手だ。高圧的ならばなおさら。だが、カリアンと会話をするよりは遙かにマシである。素直に返事したのは、相手を変えられない為だ。
 途中遭遇した汚染獣を切り払いながら、とにかく進んでいき。そして、汚染獣と武芸者の一塊を見つけて、そこに降り立った。そこで戦おうと剄を練った所で、声をかけられた。

『待て、そこではなく三つ先の地区に向かえ。そちらの方が危険な状況だ。そこはまだ持つ、後回しでいい』
「はい」

 小さく返事をする。鋼鉄となりかけていたレイフォンの体は、再び疾風となり夜を飛ぶ。通過する瞬間に、銃弾をばらまき置いていくのも忘れない。
 地区三つ分、普通に歩けば相応に時間のかかる距離だ。だが、レイフォンが走ればどれほどもしない内に到着する。
 そこが見えたときは、地区担当の武芸者は既に追い詰められていた。壁を背にした三人は、互いに密着するようにして、それでも武器を構えている。それを囲む汚染獣の数は、八匹。確かにこの状況は、未熟な武芸者からすれば死の宣告にも等しいだろう。熟練の武芸者でも、正面から装甲を砕く力がなければ、幼生体でも状況によっては脅威になる。
 危機的状況に、しかしレイフォンは眉一つ動かさない。確かに猶予はないが、その代わりに両者の間にはそこそこ隙間がある。レイフォンが剄を放っても、巻き込まれない程度の空白が。ならば、やることは簡単だ。いつも通りに剄を練り、いつも通りに振るえば良い。
 地面の代わりに、武芸者達が背にしている壁に足を置いた。急な乱入者に、誰一人気づかない。気づいたとして、何も出来ないだろうが。
 弧を描くような剣の軌跡。その延長上には、八匹の汚染獣がいる。
 全て成し終えたレイフォンは、汚染獣を背にいして着地した。背後を見て確認、などはしない。手に残った必殺の感触は、目で見るよりも遙かに信頼できる。そんな事をするくらいなら、と、銃を持ったままの左手をかざした。剄を叩き込んで、無造作に引き金を引く。重苦しい重低音と、剄が内部で破裂するように前進する圧力。それが、左手の骨に響く。
 四匹の墜落を確認して、銃を肩に掲げた。三十発撃って、命中はたったの四。これはばらまいたのだから、ある意味当然なのだろう。だが、動いていれば狙っていても七発に一発当たれば良い方だ。一言で言って、酷い射撃能力である。

(これが終わったら、二度と銃なんか使わないぞ……)

 どうでもいい決意をしつつ、レイフォンは頭を抱えた。どうも、気が緩んでいる。致命的にならぬ程度に締めているつもりではある。だが、本当に大丈夫かは、戦闘を終えてからでなければ分からないのだ。
 何が理由で、集中力を欠いたのだろうか。弱すぎる敵か、慣れない戦場か、もしくはカリアンの登場かも知れない。いや……思いついたまま上げた候補を、即座に否定する。その程度で欠くような場数ではない。何か、見落としている気がする。正体の分からない疑問が脳にこびりつき、離れてくれない。割り切って無視するには、その不安は危険な気がした。
 どうにも煮え切らない感情。それを振り払う様に、レイフォンは問うた。

「次はどっちに行けばいいですか?」
『……』

 しかし、念威端子から帰ってきたのは沈黙だった。何か不調でもあるのか、眉を潜める。

「すみません、聞こえていますか?」
『あ、ああ、すまん。聞こえている』

 念威端子を軽く叩きながら問うと、返事が返ってきた。随分と狼狽した様子だ。一瞬問おうかとも思ったが、やめておく。戦場の司令塔なのだから、こちらにばかり構ってもいられないだろう。

「で、次はどっちに行けば良いですか」
『北側の戦場端まで走ってくれ。そこで、汚染獣が広がらないように押し込んでいる』
「押し込む? なんでまた」

 当然だが、敵は広がってくれた方が有り難い。薄く伸びて孤立してくれれば、各個撃破の機会になる。しかも、幼生体は数を頼りにした正面突撃がもっとも得意なのだ。一カ所に集中させるというのは、得意戦術を行わせるお膳立てをしている、とも言える。あまり上手い手ではない。

『言わんとする事は分かる。奴らの驚異は身に染みた。だが、現時点ですらツェルニの外周四割が戦場と、広すぎるのだ。これ以上広がれば、防衛ラインの構築すらできん。多少の犠牲を払ってでも、これ以上広げてはいかんのだ』

 と言われるが、正直レイフォンには理解できない話だった。まともな指揮官経験のない彼に、戦場は理解できても戦況は理解できない。より正確に言えば、作戦を練るよりも単騎で戦った方が遂行率が高く、作戦を理解する必要がなかった。
 とにかく、レイフォンに作戦立案能力は皆無だ。それが正しいと言うのであれば――少なくとも、レイフォンが考えた作戦よりは正しい。反論などあろう筈がなかった。

「了解しました。ただ、ちょっと遠いので少し時間がかかりますよ」
『少し、か』

 端子の向こうから、苦笑いの気配。

『構わん、行ってくれ』

 到着までには、数分ほど必要だ。殆ど一区画走るには、さすがのレイフォンでもすぐにとはいかない。鋼糸があれば三倍近い速度で移動できるのだが、それは無い物ねだりだろう。
 そして、移動のみに費やされる、ふと開いた時間。僅か数分だが、その僅かな合間すら今までなかった。単純に、見つけた端から戦っていた、というだけであるが。
 不意に出来てしまた余裕に、ふと、思いついたことを聞いてみる。

「そういえば、僕こっち側半分でしか戦ってませんけど、向こうは大丈夫なんですか?」
『ああ、問題ない。対空攻撃が恐ろしく優秀だ、飛ぶ端から吹き飛ばしてる。戦力のほぼ全てを正面戦闘力に振り分けられるからな、余裕がある』

 その言葉に、レイフォンは思わず見上げた。視線の先には、剄羅砲がある。放たれた剄の衝撃波は、そこそこ広域に広がって汚染獣を巻き込んだ。はっきり言って、威力は大したことが無い。レイフォンが持つ銃よりも僅かに劣る、威力より攻撃範囲で勝負する兵器である。
 考えている事を察してか、訂正の声が上がった。

『剄羅砲ではない。そもそも、現在剄羅砲の七割を第四区画以降に移している』
「え?」

 思わず惚けた声を出す。と同時に、なるほどとも納得した。随分弾幕が厚いと思っていたが、そういう事情があったのか。
 そして、ふいにぶわりとわき上がる。一瞬にして体を満たしたそれの正体を探り、見つけだした。
 不安だ。堪える暇さえ与えず、体を恐怖で縛った。ずっと燻っていたそれが、明確な形となってレイフォンの前に現れようとしている。気づけば、両手があせでべったりだった。両手の武器を取り落としそうになるのは、しかしそのせいではない。重大な現実、それが突きつけられそうになっているから。

『あれは化錬剄、なのか? 次元が違いすぎて断言できないが……とにかく桁違いの威力の光を放っている』

 聞いた瞬間、レイフォンは足を地面に突き刺す勢いで踏み抜いた。
 舗装された地面が割れる。圧倒的だった加速は、衝撃を脳天まで運んだ。それを代償に差し出して、レイフォンは急停止を成功させる。そして、それだけでは終わらない。足の裏に集中した剄、それを一気に爆発させる。今度砕けたアスファルトは、先ほどの比ではない。周囲一メルトルを粉砕する、正に剄の暴風。
 今度は、混じりっけなしの全力で走り出す。風の抵抗で体が悲鳴を上げるが、それでもまだ速度が足りない。いや、どれだけの速さが出ても満足できない。ほんの一秒でも早く、たどり着くための速度が必要だった。

『おいレイフォン・アルセイフ、どうした!? 何をしている!』
(好き勝手な事を!)

 内心で絶叫する。それが口に出なかったのは、言葉に消費する酸素すら惜しかったから。

『緊急事態かね!?』

 通信に割り込んできたのはカリアンだ。今まで沈黙していたが、レイフォンの取り乱しように口を出したらしい。
 できれば聞きたくない声であったが、今だけは有り難い。彼は唯一、レイフォンの事情を完全に把握している人間なのだ。

「それはリーフィです!」
『……は?』
「だから、剄で砲撃をしているのはリーフィなんです!」

 理解が遅い――苛立ちに負けて怒鳴りつける。念威端子の向こうにある雰囲気は、困惑だった。リーフィを知っている者からすれば、何を言っていると言う。そして、知らぬ者はそもそも誰だと囁いていた。カリアンですら、その様子には少なからず戸惑いが残っていた。

『すまない、わたしには、それがどう問題なのか分からない。彼女は圧倒的だ――それこそ、君と同じくらい強く見える。小隊員ですら苦戦する汚染獣が、手も足も出ていない』
「違う、そうじゃないんです……!」

 歯がみをしながらうめいた。カリアンは――そしてその場にいる誰もが、全く分かっていない。言われればすぐに思い至ることでありながら、目を曇らせている。
 力とは、麻薬だ。それに寄ってしまえば、容易く人を狂わせる。甘やかな全能感は、些細なきっかけで容易く選民的な優越感になるだろう。さらに、その麻薬は厄介で、他者までをも汚染するのだ。その立場に自分がいたら、もし自分がそんな力を持っていたら。ただの空想で終わっている内はいい。最悪なのは、感情と繋がってしまった場合だ。
 かつて、レイフォンを脅迫し、陥れようと画策した男がいた。結局、男の企みは失敗したのだが、それはどうでもいい。彼は、天剣という力に酔い、それが嫉妬と繋がってしまったのだ。よく考えなくても、そんな手段で天剣を手に入れたとて、天剣授受者に任命される訳がない。実力不十分とされて、剥奪されるのが落ちである。しかし、彼はそう考えられなかった。麻薬は脳を冒し、容易く正常な判断力を奪う。
 カリアンらも同じだ。リーフェイスという飛び抜けた才能と力が、希望と繋がってしまった。都合の良い現実だけを見ている。あり得ない事実を前に、しかし容易く目を曇らせた。

『あの子がまだ四歳だと言うのは、わたしも重々承知している。そして、そんな子供に戦って貰わねばならない不甲斐なさも。だが……』
「違うんだ! 僕が言いたいのはそこじゃない! あの子はまだ子供だ、たったの四歳でしかない」

 足に思い切り力を入れて、前に突き出す。悲鳴を上げるほど酷使しても、速度はどれほども上がってくれない。鋼糸が封じられ、武器も不慣れなもの。たったそれだけが、これほどもどかしいとは思わなかった。左手に持った銃を、少しでも軽くなればと投げ捨てる。だが、その程度の重量ではどれほども変わりはしない。
 輝きとは美しく、そしてまぶしい。だからこそ、細部にまで注意を払うのは難しい。
 例えば、天剣授受者。人格検査をしたわけでもなく、ただ実力によって選抜された戦闘集団。人生の多くを武練に費やしたのだから、当然まともな人間の方が少ない。だが、驚くべき事に。世間の噂では、天剣は武芸者の模範たる人格者で占められている事になっているのだ。
 天剣という最高峰の輝きは、誰も直視が出来ないほどのものだった。それこそ、その輝きが全方面に向いていると勘違いするほどに。
 リーフェイス・エクステという、たった四歳の少女。圧倒的な化錬剄の腕を持ち、幼生体を容易く焼き尽くす。並の武芸者では太刀打ちできない実力者。本当に、そうなのだろうか。
 はっきり言ってしまえば。そんな訳がないのだ。

「どれほどリーフィの技が輝かしく見えても、所詮は子供なんだ! 死ぬ思いで努力して、優れた技を身につけたとしても、それは優れた武芸者であるという事にはならない!」
『それはどういう……』
『あ……ほ、砲撃が停止しました! 原因は不明です! まずい、上空から汚染獣の強襲、防衛網に食い込んできます! 剄羅砲の数が足りません、被害拡大しています!』
『何だと!?』
「最悪だ……!」

 想定していた中でも、最悪の状況。それが、目の前に突き出された。
 あと、どれくらいで到着するか。レイフォンの中で僅かに残る冷静な部分が、十分以上かかると答えた。その間、リーフェイスが無事でいる可能性は、殆ど無い。目眩を覚えた。
 限界まで活剄で強化していた体に、さらに剄を流し込む。体のあちこちが悲鳴を上げ、少しずつ壊れていく、それを感じた。どうでもいい。リーフェイスが無事であるならば、体がどうなろうと構わなかった。
 そんな時だった。肩にある念威端子が、干渉を受けたのは。

『……フォン、レイ、フォン……。聞こえますか……?』
「その声、もしかしてフェリ先輩ですか?」
『あぁ……よかった、やっと繋がりました』

 声から感じ取れる、深い疲労と緊張の色。あの変化に乏しいフェリが、声だけで分かるほど疲弊しているのだ。ただ事ではない。

『お前、フェリ・ロスか! 今まで何をしていた!』
『いきなりですみません。ですが、こちらも緊急なんです。……リーフィを助けて下さい』

 聞こえていないのか、それとも意図的に無視したのか。どちらにしろ、今のフェリに相手する余裕はない。焦った口調のまま、レイフォンだけに向けて言った。

「リーフィを!? 今はどういう状況ですか!」
『三体の幼生体に囲まれています。今はリーフィが持っている大きな錬金鋼が盾になっているのと、わたしの念威爆雷でなんとか持たせていますが……あまり長くは持ちません。念威端子が、もう殆どないんです……!』
(無事なのか!)

 萎えかけていた心が、活力を取り戻す。力任せでしかなかった剄の流れを、穏やかなものに調整し直した。最効率化された剄は、速度を同じくしながら、段違いに効率が上昇した。同時に、余波で崩壊の進んでいた体も、ストップがかかる。

『待ってくれ、なぜそんな状況に陥る? 彼女であれば、その前になんとか出来たのではないのか?』
「言ったでしょう、そして、あなたも分かっているはずだ! リーフェイスは子供でしかないという事に!」

 なぜそうなってしまったのか分からない。そう叫ぶカリアンに、レイフォンも返すように絶叫した。

「あの子には才能があった! 短期間で、グレンダンでも有数の化錬剄の使い手になりましたよ! でも、それは化錬剄だけを集中して納めたからなんです!」

 端子の向こうの、声が止まる。
 リーフェイス・エクステが才を見初められ、化錬剄を習って約二年。たったそれだけで今程化錬剄を使えるのは、それ以外の全てを放棄したからだ。剄の動きも、技も、知識でさえ、化錬剄に関する事しか学んでいない。活剄に至っては、基礎の基礎である安定した発動すら出来ないのだから。
 高々四歳の子供が、全てを不足無く修めているはずがない。飛び抜けた能力があるとすれば、それはそこだけに集中したから。当たり前なのだ。どう考えても、時間が足りないのだから。化錬剄という飛び抜けた一点が、彼女の姿を実際よりも遙かに大きく錯覚させていた。
 戦い方だって、当然知らない。ましてや――明かりの少ない中、暗がりからの接近に注意しつつ、敵を倒していくなど、出来るわけがないのだ。そんな戦略など、誰も彼女に教えていない。

「リーフィに接近戦闘能力は皆無だ! 近づかれたら、それだけでなぶり殺しになる!」

 声を張り上げた。そうせずにはいられない。血を吐くように、喉を震わせる。
 汚染獣に怯えるリーフェイスを一刻も早く助けなければ。そして、泣いている彼女を抱き上げて、安心させてあげなければいけない。本当の意味でそれができるのは、レイフォン・アルセイフただ一人なのだから。

『待て、レイフォン・アルセイフ! 今すぐ止まって、指定地区に戻れ! 戦線が危険なのは向こうも同じなのだ! こちらは我々が向かう!』

 なのにだ。この男は、一体何と言ったのだろう。レイフォンはそれを理解するまでに、かなりの時間が必要だった。
 自分が命令されている理由は。男が、武芸者の指揮官だからだ。なぜ指図される。今、幼生体の襲撃にあっているから。ならば――リーフェイスの危機を前にして、武芸者を助けに行く理由は、何だ。そんなものがあり得るのか。いや、あったとしても、絶対に従えない。

『もう一度言う、今すぐ戻れ! こちらは任せろ!』
(誰を?)

 自問する。答えなど、一つしか無い。リーフェイスをだ。それを、彼に任せる? 全く意味が分からない。
 なぜこの男は、こんなに自信を持っているのだ。ツェルニの有様を目の当たりにして、なぜ任せろなどという言葉が出てくる。自分の能力を、本当に把握しているのか。何一つとして、理解できない。
 そもそも自分が、大人しく従うのはなぜだ。武芸者が弱いのは罪だ。死罪に値する。そして、無知も罪だ。両方合わされば、救いようがない。この男は、自覚したはずだ。自分の――自分たちの弱さを。なのに、なぜそれを理解しない。納得できず、そして許せない。なぜ、それを確実に遂行できる能力がないと判断できないのだ。
 思考能力を粉砕されるほどの衝撃を受けて。それが溢れた瞬間――

「ふざけるなぁ!」

 レイフォンの中で、何かが切れた。



□□□■■■□□□■■■



『ふざけるなぁ!』

 その絶叫に、カリアンは思わず身を竦ませた。恐怖から、反射的に動いたのではない。迫る危険、それに備えるための挙動だった。つまり、今の声にはそうさせるだけの敵意――いや、もう殺意と言っていいだろう。明確に自分を害すると思わせる感情が、込められていたのだ。
 武芸長であるヴァンゼですら頭を抱えている。声を直接浴びた念威繰者などは、哀れなほどにうろたえていた。

『任せろだって? 悪い冗談だ、悪夢でだって、そんな言葉は出てこない!』

 レイフォンがどれほどの活躍をしても、圧倒的な技を見せても。それは所詮、念威端子ごしの映像でしかない。それを痛感させられる圧力。
 ツェルニの武芸者だからか、後輩だからか、それとも同じ人間だから。結局は彼がこちらを害することがないと、誰もが思っていた。そして、なんだかんだ言っても、最終的には言う事を聞かせられる。そんな楽観が、無意識の内にあったのだろう。それを、真っ向から砕く罵声だった。
 司令部の誰一人として、生きた心地がしていない。彼は汚染獣という化け物を屠殺する、極めつけの超人。それを、今更実感できた。牙が自分に向かうことによって。

『まさか、あなたは、自分がリーフィを助けられると思っているのか? 半人前の武芸者しかいない都市の、御山の大将……それがあなただ! 今の都市の有様を見てみろ! これが、あなたの中心にいる武芸者の実態だ! これを見て……誰があなた『程度』に娘を任せると思っているんだ!』

 ガリリ、音声にノイズが走る。レイフォンが漏れ出る剄、それが念威端子を圧迫したのだ。悲鳴のような異音は、次第に大きくなる。それに比例して、殺意も増大していった。

『何も出来やしない! 武芸者ですらないあなたに出来ることなんて、なにもない! ああ、幼生体くらいいくらでも撃退してやるさ、口ばかりのあなたとは違って! だから……そこで黙ってみていろ!』

 それこそが、彼の本心だ。多少口汚くはあっても、全くの本音。疑う者はいなかった。
 レイフォン・アルセイフにとって、ツェルニの武芸者は武芸者ではない。ただの半人前。将来、武芸者になるかもしれない者達。だから、期待などしないし……仲間だとも思っていない。ある意味、ツェルニの武芸者は、彼の庇護の対象だったのだ。
 ヴァンゼの顔が、屈辱に染まった。いや、彼だけではない、その場にいる武芸者全員の顔が、苦渋を飲んだものになる。しかし、誰も言い返せない。レイフォンを恐れているからではない、全くもって、彼の言葉に嘘偽りがなかったから。不測の事態があった、そう言い訳するのは簡単だ。だが、結果として。彼らはツェルニを守れていなかった。それだけが結果だ。そして彼は、圧倒的な戦果で結果を出している。大言を吐く実力があると、誰もが思い知らされていた。
 悲しいほどに、何も出来ない。彼の言う通り、ただ偉そうにふんぞり返っているだけだった。
 しかし、それで引いてはいけないのだ。指揮官という立場にいる以上は。
 ヴァンゼは決意する。

「待て……いや、待ってくれ!」

 がたがたと震える体を押さえ込みながら、それだけを言うのに恐ろしく苦労した。レイフォンの殺意が、一点に集中した。たったそれだけで、気絶してしまいそうになる。一都市の頂点に立つ武芸者とは思えない、情けないばかりの姿。それが自分の本当の姿だと自覚させられて、苦笑すらできない惨めさ。

(おれは、いつからこんな風になってしまったんだろうな……)

 ツェルニに入学して、突出した武もなく、ただの一年として努力した。進級するごとに実力を上げて、ついに武芸長として君臨した。それで、満足していたのだ。他都市を見れば自分くらいの人間などいくらでもいる。同じ学園都市にすら、実力に勝る者は多い。それを知りながら、今の地位であぐらをかいていた。そこにいるだけで皆が傅く権力を、いつから自分の力だと錯覚していたのだろうか。
 頂点に座り続けた。今更降りられないそこに、卒業まで居続ける事になるだろう。だからこそ、責任を取らなければならない。どれほど泥に塗れようと、汚辱を浴びようと、義務を果たさなければいけないのだ。それが、自分に出来る唯一取れる責任の取り方。

「お前の言うとおり、おれには何も出来ない。半人前にすらならないと、今更思い知った」
『なら……』
「だが! 地位がどんなに分不相応なものだとしても、責任はある! おれは武芸長として、一人でも多くの武芸者が生還できる作戦を選択しなければいかん!」
『そんなことは、僕に関係が無い!』

 拒絶の言葉。当然だ、彼の向かう先にいるのは、見知らぬ誰かではなく、娘なのだ。誰が、半人前と分かっている者に任せる。
 ただの決意では、納得しないだろう。レイフォンは実力も、言葉も、何もかもを信用していない。その上で耳を傾けて貰うのであれば、相応のものを差し出さねばならない。そして、ヴァンゼに差し出せるものなど、一つしか無かった。

「命を賭ける」
『……え?』
「命を賭けると言ったんだ。彼女に、絶対に汚染獣を通さない。生きたまま食われたとしても、絶対に無事に返す。ツェルニの武芸者を救ってくれ。お願いだ……お願いします……!」
『今更……その程度で……』

 その程度で、ヴァンゼを信用できるようにはならないだろう。命を賭けた程度で劇的に強くなれるのであれば、弱さに嘆く者などこの世にいない。だが、覚悟だけは見える。リーフェイスに汚染獣が迫った時、その身を餌にして、逃げる時間を稼ぐ。本当にそういう選択をするだろうと思わせる、意思だけは見えるのだ。
 命を賭けたところで、強くはなれない。だが、命を差し出せば不可能を可能にすることはできる。
 レイフォンの歯ぎしりが聞こえた。ヴァンゼの覚悟は、容易く切り捨てていい類の者ではない。

「足りないなら、わたしの命も賭ける」
「カリアン、お前……」
「ツェルニの為であれば、わたしは何でもする。ここで命を渡せば助かると言うのであれば、喜んでそうしよう。だから……頼む。これが終われば、どんな報いでも受ける。だから、お願いです……ツェルニを、救って下さい」

 端子越しに頭を下げる。それが相手に見えていなくとも、そうしない事はできなかった。
 カリアン・ロスは、誰から見ても悪辣な男だ。他者を騙し、引っかけ、脅し、生徒会長になった。その地位にありながら、好む者よりも嫌う者の方が多いのが現状だ。そして、口癖はツェルニを救う、その為なら何でもする。
 他の何が嘘であっても、それだけは嘘ではない。その為であれば、命もいらない――それだけは、本当だ。

『……く、ぅ。卑怯だ、そんな事……』

 レイフォンの歯ぎしりが大きくなった。念威端子の悲鳴も、いよいよ限界が近い。
 葛藤する彼に、誰もが祈る。この場にいる者で、自分の不甲斐なさを感じない者はいない。そして、都市の運命を一人に押しつける惨めさを感じない者も。それでも……いや、だからこそだろうか。ただ、祈り続けた。

『くそおおおぉぉぉ!』

 端子の悲鳴が止まるのと、爆音が響いたのは同時だった。
 絶叫と、轟音。二つが室内に響き渡る。前進がはじけ飛びそうな衝撃波を、別の場所にいながら感じそうだった。

「レイフォン・アルセイフの反応、反転しました! 指定区画へと向かっています!」

 希望は、再び戻った。ツェルニは救われる。その言葉を代弁するように、声が踊るままに言う念威繰者。
 彼は約束を果たした。守る必要の無い約束をだ。自分を裏切り続けた都市を守りに、自分が守るべき者に背を向けて戦いに赴いている。ここで惚けていれば、ヴァンゼは本当にただの裏切り者になる。

「戦える者は全員おれに付いてこい! カリアン、指揮は任せる。と言っても、これで正真正銘、予備兵力もない以上、やる事なんてないんだがな」

 微笑を浮かべながら、防刃ジャケットの前を止める。そして、すぐに真剣な顔に戻した。

「おれは帰れないかもしれん。その時は……頼んだ」
「戻らなくていい、とは言わない。君はまだ、ツェルニに必要だ。だが、君がそうして義務を果たすというならば止めない。わたしは、生き残って義務を果たそう」

 二人の視線が合わさる。思えば、随分といがみ合ったものだった。それも、大抵の場合はヴァンゼが泣きを見たが。
 だが、そのどれもが。ツェルニ存続の為に、全力であった。それらも、今であれば笑い話に出来る。今回の事も、笑い話に出来るようにしなければならない。

「また」
「ああ、また」

 最後になるかも知れない、別れの挨拶を済ませる。
 外に出て錬金鋼を復元し、すぐに近くの屋根へと飛び乗った。単純な速さであれば、地面を走った方が早い。だが、リーフェイスがいる場所を考えると、この高さは維持した方が良い、そう判断した。
 目的地まで全力で走りながら、強く錬金鋼を握った。遅すぎる……いや、違う。レイフォン・アルセイフが早すぎただけだ。どれほど軽く見積もっても、彼は倍以上の速さがあった。ヴァンゼですら、速力持久力共にツェルニ最高水準であるというのに。いかに自分が未熟か、走るだけで思い知らされる。

「た……隊長……追いつけま……少し……速度、落として……」
「待っている暇はない! 後から追いつけ!」

 今ですら、小隊員レベルでも脱落者が出る速度を維持しているのだ。ヴァンゼも、今の状態で長くは持たない。これ以上の速度を維持し、長時間戦闘していたレイフォンには、一生かかっても追いつける気がしなかった。
 戦闘を走るヴァンゼに、ひらりと一枚の金属花弁が寄ってきた。彼配下の念威繰者のものよりも、遙かに洗練された動き。

「丁度いい、道を案内してくれ」
『何で、来たのがあなたたちなんですか……レイフォンはどうしたのです?』
「彼には向こう側の戦場を見て貰っている。だからおれたちが来たのだ」
『……どうせ、無理矢理そうさせたんでしょう。本当に最低です』

 レイフォンよりも遙かに直接的な侮蔑の言葉。それを聞いて、ふと、彼女もまた天才だと言う事を思い出した。
 もしかしたら、天才と凡人では、世界が違うのかも知れない。下らない考えを笑った。そんなわけがない、どちらもこの世界に生きる、ただの人間だ。もしそうでないなら、こんなにも彼らが怒る事にはならなかったはずだ。理不尽を感じることはない。兄に強制されて、武芸科に転科するような事もないはず。

「自分が最低だというのは、今日一日で嫌と言うほど自覚したさ。だが、だからこそこれくらいはしなければならん」
『……早く来て下さい。あなたたちに割り振る端子すら惜しい状況なんです』

 苦しそうにそれだけを伝えて、通信を終える端子。ヴァンゼのすぐ前に出てくると、速度をやや早めに設定し先導を始めた。フェリは優秀だ。能力も考慮して、最短距離を算出済みだろう。
 ついて行くこと幾ばくか、二人目の脱落者が出たあたりだろうか。正面に目的地――鐘楼を持った教会――を肉眼で確認できる距離になった。その時だ、念威端子が、ふっと消えるように急加速したのは。

(なんだ?)

 唐突すぎて、自問した。理由など一つしか無いと思い出したのは、すぐ後だった。
 教会にある塔の頂点で、ちかりと光が瞬く。見慣れたものだ、見間違う筈がない。小隊での連携訓練に、武芸大会の時に、何度も目にしたそれ。念威繰者唯一の攻撃手段。本来情報収集に使われるそれを意図的に暴走させ、端子の消滅と引き替えに爆発を起こす。念威爆雷が弾ける時、剄が念威と反応して起こす光。
 教会に間近まで近づいた時にもう一度、今度は連続で発光が起こった。まずい……今ので全ての端子を使い切った可能性が高い。今教会の屋根に飛び移ったとは言え、頭頂部まではまだ結構な距離がある。のんきに階段を上っていては間に合わない。ヴァンゼの決断は早かった。

「お前達は後から付いてこい!」

 屋根がへこむほど踏み込んで、一気に数メルトルも跳躍。棍状の錬金鋼を壁面に突き刺して、足りない距離を稼ぐ。同じようにさらに二度壁を蹴って、やっと鐘楼にたどり着いた。
 体をすっぽり隠せるほど巨大な錬金鋼を正面にして、怯え縮こまる少女。半ば体をはみ出して迫る三体の汚染獣。その内一体が、今少女を害さんと、鋼鉄すら抉る爪を振り上げていた。すぐ盾になるべく飛び出そうとして――からだが動かない。道中に無理な速度を出したせいで、体が上手く動かない。剄は一時的に枯渇し、膝が笑って今にも倒れ込みそうだ。そうしている間にも、爪は少女へと迫っていき。
 いきなり、階段から何かが飛び出した。それは汚染獣に立ちはだかると、何かを掲げて立ちふさがる。強烈な一撃に、小さな影は容易く壁まで吹き飛ばされた。重い音が響き、銀色の髪が散るように横たわる。そのままぴくりとも動かない肢体の傍に、くの字に折れ曲がった念威繰者専用の重晶錬金鋼が転がった。
 フェリ・ロスだ。彼女は念威端子を操作しつつも彼女の元に走り、今やっと到着したのだろう。端子を通じて汚染獣の驚異を知りながら、戦闘力もないのに立ちはだかる。並大抵の事ではない。
 彼女が稼いだのは、ほんの一瞬、たった数秒だけだ。だが、それで十分だ。その僅かな時間で、ヴァンゼは体勢を立て直せる。いや、仮に立て直せていなかったとしても、その前に飛び込んでいただろう。
 別方面から突き立てられる牙、それを錬金鋼で受け止めた。念威繰者の錬金鋼と違い、最初から打ち合う事を前提に設計されている。たとえ汚染獣の一撃だろうと、折れ曲がるような事はない。接触面から火花が散り、ヴァンゼは体が壁にめり込む錯覚を覚えた。それほどの衝撃だ。

「う……おおおぉぉぉ!」

 汚染獣と正面から力比べができる者は、ツェルニに殆どいない。逆に言えば、ごく限られた人間は幼生体を押し返せる力があるという事だ。ヴァンゼは、その数少ない人間の一人だった。
 錬金鋼に軌道を反らされた爪が、脇腹に刺さった。深い。だが、内蔵には届いていない。まだ戦える、それを感じて、両足を思い切り踏ん張って腕を突き出した。汚染獣は力負けし、爪を押し戻される。
 腹から冷たい感触が消えたのを確認して、思い切り衝剄を放った。技と言えないような、集中されてもいない衝撃波。しかし、体が半分はみ出た汚染獣を落とすには、十分の威力だった。
 すぐに振り向く。まだ汚染獣は、二体も残っているのだ。またも迫る、命を刈り取る鎌。錬金鋼を突き出すがしかし、今度は耐えきれず壁に叩きつけられた。がは、と肺から空気がはじき出される。剄とは呼吸によって発生するものであり、つまり呼吸できなければ剄を生成できない。剄を生成できない武芸者など、ちょっと身体能力の高い人間だ。
 振り上げられる腕に備えて、錬金鋼を持ち上げる。それが無意味なのは分かっていた。活剄で体を強化しても、完全には受け止めきれなかったのだ。剄の補助がない今、受け止めきれる筈がない。分かっていても、逃げようとは思わなかった。死の際に思ったのは、自分が死ねば少女が逃げる時間を稼げるだろうか、と言う事だ。
 しかし、想像していた死の瞬間はやってこない。

「隊長おおおおおっ!」

 追いついた隊員が、汚染獣を横合いから思い切り叩く。その程度で死ぬ汚染獣ではないが、しかし隣の汚染獣に思い切りぶつかった。間にあった柱も砕き、けたたましい音が響く。爪は思い切り床を抉って、石のかけらをばらまいた。
 好機だ。呼吸を整える余裕ができた。汚染獣は、体勢を崩されて次の行動に移れない。
 ただ空気を吸うだけの行為が、周囲を震動させるほどの気合い。思い切り一歩を踏み込んで、重なり合う幼生体をすくい上げるように一撃を見舞った。衝剄を纏わせた、今できる最高の一撃と確信できるもの。派手に吹き飛んではいたが、死んでいないだろうというのは、腕に重く残る感触が伝えている。
 驚異は去った。この場にはもう、汚染獣はいない。倒れ込みたくなるほど体が重くなったが、なんとか棍で支える。

「すまん、助かった。引き続き、護衛をする」
「何を言ってるんですか、隊長! 早く医者に診て貰わないと!」

 隊員の視線は、血を流すヴァンゼの腹に向いていた。彼の体が休憩を求めているのは、酷使した体と無茶な剄の使い方だけではない。

「肉は切られたが、内臓までは届いてない。続行可能だ」
「ですが!」
「何度も言わせるな。こんな子供まで戦わせておいて、ちょっと怪我をしただけで戦線離脱、などという情けない真似ができるか」

 ヴァンゼと隊員の視線両方が、うずくまったままの少女に向かった。汚染獣が去った後も、錬金鋼に隠れるようにしてしゃくり上げている。実際に目で見た少女は、思っていたよりも遙かに子供だった。知らなかった、等というのは言い訳にならない。自分はこの子に戦わせながら、司令部でふんぞり返っていたのだ。そして、この子が驚異に晒されていると知りながら、レイフォンを返させた。救いようのない、愚かな人間だ。
 無知は罪、まさしくその通りだ。自分の無知さは、百回死んでも許されない。せめて、死ぬ気で守るしかないのだ、ヴァンゼ・ハルデイという人間は。
 ヴァンゼは隊員にフェリの様子を見させながら、自分は周囲を警戒した。

「どうだ?」
「だめです、意識が戻りません。後頭部を強打して、血を流しています。すぐにでも見て貰った方がいいのですが……」

 第一区画から第三区画は、市街地にまで汚染獣が進入してきている。とても救護班がこれる状況ではない。

「ここはおれに任せて、お前はフェリを抱えて行け」
「ですが! 彼女も武芸者です、こういう覚悟はできている筈です!」

 叫ぶ隊員を、ヴァンゼは強く睨んだ。それだけで黙る。

「いいか、我々の価値は平等ではない。この子やフェリは、我々が何人死んでも守らなければいけない能力を持っているんだ。行け」
「それでは、隊長が……」
「二度言わせるな。ツェルニの武芸者が、これ以上ツェルニのお荷物にならないために」

 渋っていた隊員も、その言葉に、下唇を噛みながら従った。フェリを体に、特に頭をしっかりと固定して、階段を下りていく。
 後に残った二人。少女はいつの間にか泣き止んで、錬金鋼の隙間からそっとヴァンゼを伺っていた。少女の視線を捉えながら、ふっと笑う。どんな類いの笑いか、分からなかったが。

「すまない、我々が弱いせいで、恐ろしい思いをさせて。だが……できるなら……まだ、戦ってくれ。情けないのは承知している。だが、おれでは誰一人救えないんだ。武芸長などと行っていても、いざとなればこの様だよ。すまない……おれのツケを払わせるような事をして……。頼む、彼らを助けてやってくれ。おれには、できないんだ……」

 少女は、ただ首を傾げるばかりだった。ヴァンゼの言葉など、全く理解できていない。当然だ、ヴァンゼも理解されると思っていって無かったのだから。ただ、自分のなさけなさを吐露しただけだ。
 だが、少女は動いた。思いが伝わったわけでもなく、ただ自分の意思で。思い錬金鋼を引きずって、塔の端まで持って行く。そして、剄の砲撃を再開したのだ。
 強かった。自分などよりも遙かに。……いや、違う。否定した。

(おれたちが弱いだけだ。誰もが強かったのに、ツェルニの武芸者だけが決定的に弱かった。だから、こうして強い者に頼らねば生きることすらできない)

 何も言わず戦ってくれる少女に、ただ感謝をする。
 走る光を視界の端に映しながら、知覚領域を最大まで伸ばす。点滅する光によって、視覚で闇に潜む汚染獣を見つけるのはほぼ不可能。とりつかれる前に落とすには、それ以外の方法で発見するしかない。
 ばたばたと、下から慌ただしい音が響く。おいて行かれていた隊員達が、やっとおいついてきたのだ。
 超絶的な技量で、剄の閃光を放ち続ける少女。それを発見した二人は、ただ呆然と、その光景を眺めていた。
 気持ちは痛いほど分かる。この業を見て、目を奪われない訳がない。しかし、今の状況はそれを許していなかった。

「何を惚けている! 彼女を囲んで警戒だ! 何をしに来たか思い出せ!」

 言われた二人は、慌てて少女を囲んで武器を構えた。視覚が頼りにならない時の警戒方法、それを行いながら。
 少女が汚染獣を軽々焼き払う光景を見ながら、ヴァンゼは祈った。ツェルニが無事であるようにと。
 もう、ヴァンゼに出来ることなど、それしか残っていなかった。


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