「おい、もっとスピード出せないのか!? あの船なんだろ!?」
「これが限界よ。でも妙ね……船が止まってるなんて。」
私と忍さんは、アリサ家の執事である鮫島さんと合流しクルーザーで海の上を疾走していた。
元々忍さんが2人を習い事へ送って帰っている途中にすずかから携帯の緊急信号が来たらしく、当然アリサも一緒に居るだろうからバニングス家へと連絡を取ったらしい。すぐさま本人の携帯へ電話を掛けるのは、犯人を刺激したり携帯を捨てられる可能性があるから出来ないんだと。なんか誘拐慣れしてないか?
バニングス家の方でもアリサのGPSが妙な位置にあることを確認し、対策に乗り出していたので話は早かった。アリサのGPS携帯を追い、海の上にいることを確認してバニングス家に船を出してもらったのだ。
それにしても――
「くそ、全然近づいてる気がしねー!」
遮蔽物が無い海の上。遥か遠くからでもアリサたちが乗っている船を確認できたのは良いが、今度は全然近づいてる気がしない。もちろん実際にはそんなことは無く、GPS上ではどんどん近づいていることはわかるのだが……
「アリサ、すずか! 無事でいろよ!」
こうしている間にも二人のみに何が起きているのかも知れない。忍さんと鮫島さん、両方が警察に連絡をしない方が良いと言った以上、なにか有るのだろう。それにこの人数で銃を持った相手に立ち向かう方策も。
とにかく今は、一刻も早く二人の無事が確認したい! 特にアリサ、あいつは車に乗せられるときに銃で撃たれたようだった。もし、死んでいたら……。いや、そんなことは無い。絶対に、絶対に生きているはずだ!
そう逸る気持ちをなんとか抑えているうちに、いよいよ船の様子が見えてくる。私はより高いところから様子を見ようと、屋根の上に上り双眼鏡を覗きこむ。
そうして、見えてきたのは。
「お、おい……うそ、だろ?」
そう。見えたのは。
船の上に倒れている男たちと。
「ア、アリサ……。」
血まみれで倒れているアリサ。
アリサに向けて十字架を掲げているシャークティ。
泣きながらそれを見守るすずか。
まさか。まさかまさかまさか!
「アリサが……死んだ?」
「ぷ、っくく、あは、アハハハハハ! ダメ、お腹痛い! アハハハハ!」
「ふふ、あ、アリサちゃん、笑っちゃダメだよ、くふふ。」
いや、ありゃ誰だって死んだと思うだろ!? どう見ても死者を見送る修道士の図だったじゃねーか! しかも肩と腕を銃で撃たれて? 治療するのに魔法をかけてもらってた? 誰がそんなこと信じるかよ!?
「アリサ! おい、アリサ! 返事しろよ! アリサ! って、今時どこの熱血刑事物よねー、アハハハ!」
「て、てめーだって死んだふりしてたじゃねーか! ご丁寧に血のりまで用意しやがって!」
そう、こいつ私が泣きながら呼びかけてるのに、意識があるのに返事しないで死んだふりしやがって! ああくそ、心配して損した! 大体何が銃で撃たれただ、肌だって綺麗なもんじゃねーか! シャークティもそんなんに付き合ってるんじゃねーよ!?
ああもう何なんだよ!? 服も血だらけ、いや、血糊だらけだし! 誘拐されたんじゃねーのか!?
「大体鮫島さんだって心配するだろ!? あんな心臓に悪い悪戯するんじゃねー!」
「いえ、私は携帯を通じてお嬢様のバイタルを確認していましたので特には。」
「最初に言えよ!?」
ああくそ、道化は私だけかよ!? 道理で来る途中妙に落ち着いてると思ったんだよ!
さすがベテラン執事とか思ったじゃねーか! カンニングかよ!? もう心配しねー!
「大体シャークティが紛らわしい真似するのがわりーんだ! なんだよ魔法をかけてたって!?」
「私は魔法使いですから。」
「あー、はいはい。」
「あら、本当よ? 千雨。さっき治療してもらったとき、ブワーっと魔法陣が出て凄かったんだから。」
まだ言ってるよ。魔法なんて有るわけねーじゃねぇか。あー、それにしても何だったんだ? この気絶してる男たちといい、何かのドッキリか? 金持ちのドッキリはスケールが違う、のか?
何て性質が悪い金持ちだ。ひょっとして忍さんと鮫島さんもグルなのか? カメラはどこだよ?
「あら。証拠を見せましょうか?」
「あん? 証拠て、なに……を……」
証拠を見せる。その言葉に反応して、取りあえずシャークティを見たが、そこには。
足元に魔法陣を広げ、宙に浮くシャークティが居て。
その周りには多数の十字架が宙に浮き……。
「便利よね。習えば出来るようになるのかしら?」
「空を飛べるのは夢だよね。」
それを当たり前のように見ているアリサ、すずか。
「おいおい……マジかよ?」
◇◆
「さて。アリサちゃん。」
未だ混乱中の千雨を無視し、シャークティは魔法陣を消してユラユラと波に揺れる船の上へと降り立つ。
そして宙に浮いた十字架に恐る恐る触れようとしていたアリサの名前を呼ぶと、アリサは弾かれるように手を引き、シャークティに向き直った。
「な、何よ?」
アリサと対峙するシャークティ。
10秒だろうか、20秒だろうか。少々無言でアリサを見つめる。周りの者は皆沈黙し、時折船が軋む音だけが世界に響いている。
そんな中シャークティに見据えられ、アリサは最初こそ視線を合わせていたが、徐々に居心地が悪そうにキョロキョロと視線を泳がせ始めた。
それを見たシャークティは、今度は千雨の方をチラリと見る。千雨は未だ混乱から抜け出せず、呆然とシャークティを見つめていた。その他の者、忍と鮫島は、鎮痛な面持ちでアリサを見つめている。
それらを確認した後、シャークティは次の言葉を切り出した。
「今日の記憶。消しましょうか。」
今日の記憶を消す。つまり、誘拐された記憶を消す。
それは、すずかとわかり合った記憶を消すということで――
「ダ、ダメだよ!?」
アリサより先に、すずかが焦った声で否定する。
アリサの今日の記憶を消すと、また夜の一族であることを隠さなければいけない。それは、一度奇跡的に分かり合えたと思っていただけに、すずかにとって決して許せる話では無かった。
「何? 魔法は秘匿されるべき物だから、とか言うつもり?」
一方アリサはその言葉の裏を考える。
魔法を使って誘拐犯から救出してくれたことは元より、傷を綺麗に治してくれたことも言葉では表せないほどに感謝している。
しかし、その魔法を私が見てしまったことがまずいのか。そう考えた。
「確かにその側面があることは否定しません。魔法は無暗に広める物ではないですから。」
「じゃあ、言われなくても黙ってるわ。もちろん魔法を教えて、なんてことも言わない。」
せっかくすずかの秘密を知り、今までより仲良くなれたのだ。それをむざむざ手放すことは出来ない。魔法を知り、使いたい気持ちはあるが、それよりもすずかとの友情のほうがアリサにとっては大切だった。
しかし。
「アリサちゃん。あなた、自分が知らない男の人と喋るところを想像してみて?」
「はぁ? 別に、そんなの……」
シャークティに言われ、アリサは適当に男と喋る自分を想像する。
何のことはない、ただ面と向かい、何か、話題を――
「あ……」
「アリサちゃん!?」
アリサは黙って目を瞑った途端。
顔色を変え、がたがたと震えだし、涙を流しながらしゃがみ込んだ。すずかは急いでアリサの体を抱き、懸命に落ち着かせようとしている。
「知らない男に誘拐され、銃で撃たれて。途方もないストレスでこうなるのは当然よね。」
「ええ。先ほどまでは半ば興奮状態のため平気そうでしたが、しばらくは落ち着くことは出来ないでしょう。」
「お嬢様……。」
すずかは懸命に名前を呼ぶも、アリサの震えは止まらず、腕と肩をしきりに掻き毟る。肌からは徐々に血が滲み、すずかが腕を掴んで止めようとするも、それを振り切り尚止まることは無い。普段はすずかの方が力が強いのだ、すずかは懸命に抑えようと力を込めるも、アリサは自身が傷つくことも厭わずに掻き毟り続ける。
シャークティはその様子を少し見た後、十字架をアリサへと向けた。
「う、ん……」
十字架から光がアリサへと流れ込む。
それを受けたアリサは、あっさりと夢の中へと旅立った。
「このまま記憶を消し、次目を覚ますのは自分の部屋のベットの中。そうするのが良いと思うわ。」
シャークティはすずかの目を見つめ、そう話す。
その後ろでは鮫島が、眠りについたアリサの身をバニングス家の船へと運んで行った。
「で、でも。せっかく、一族の事を、受け入れて、くれたのに……」
「すずか。」
今度は忍が、すずかの体を抱きしめる。
「大丈夫。アリサちゃんなら何度だって受け入れてくれるわ。だから、今回は。アリサちゃんのためにも、諦めて。お願い。」
すずかの気持ちは痛いほどわかる忍だが、それでもアリサの記憶は消した方が良いと考えていた。
受け入れてくれたと思った人に、また隠し事をしたまま生活しなければならない。その苦しみよりも、記憶を消さなかったことにより親友が苦しみ続けるのを間近に見続けることの方が、たぶん何倍も辛いわ、と。
すずかの頭を撫でながら、すずかにも、そして自分にも言い聞かせるように何度も話し続けた。
「ぅ……うん。」
こうして。
今回の事件は、アリサの記憶から抜け落ちた。
◆千雨の家◇
「で、説明してくれるんだろうな?」
あの後。私たちは男達が気絶している船を放置し、バニングス家の船で陸まで戻った。放置して良いのかとも思ったが、鮫島さんが何か手を回したらしい。よく考えたらどうやら本当に誘拐犯らしいし、アリサを銃で撃った奴らだ。別にどうなっても良いか。
そのアリサはというと、シャークティの魔法により眠らされた後もうなされ続けていたが、シャークティが何やら呪文を唱えると、嘘のようにすやすやと眠りだした。
ああ、今見たのが記憶を消された瞬間なのか。そう思うと、何やら胸の奥がとても苦しくなった。
けど、それよりも辛そうにしていたのがすずかだ。一族がどうとか、よくわからんことを言っていたが、見ているこっちが苦しくなるような表情をしていた。何があったのか知らないから、下手なことは言えないが。私には抱きしめてやることしか出来なかった。
「ええ。そのために場所を変えたのだし。」
陸に着いた後は、無言のままそれぞれ家路についた。シャークティだけは私に話があると言い、私の家までついて来たが。
丁度良かった、私だけ何か蚊帳の外だったからな。恐らく魔法について説明してくれるんだろう。
でも……
「アリサみてーに、説明した後で記憶を消す、なんて言わないよな?」
よくあるパターンだと、魔法について説明した上で秘匿するか、協力するか、記憶を消すかを選ばせる。そんな所か。
記憶を消す選択肢は無いな。論外だ。秘匿や協力と言われても、それは大抵巻き込まれるフラグだろう。
「言わないわよ。千雨ちゃんは魔法関係者だしね。」
「……は?」
……私が魔法関係者? どういうことだ?
生まれてこの方、魔法なんて非常識なもんと関わったのは今回が初めてだけど。おいおい、まさかこの一回で関係者なんて言うんじゃねーだろうな?
なんて考えていると、シャークティは麦茶を一口飲んだ後、続きを喋り出した。
「今はまだ、詳しいことは言えないわ。それは兎も角、魔法についてだけど。」
くそ、思いっきりはぐらかされた。何だ、シャークティは私の何を知っている?
私は魔法になんて関わったことは無い。それは絶対だ。
今はまだ? そのうち教えてくれる、のか?
「魔法を知った人の記憶を消す。これは何故だと思う?」
「……よくあるのは、危ないから、だな。」
あれだ。魔法を知ってる=関係者だ=巻き込んでもOK。このパターンだ。
そして巻き込まれた人が死ぬことで主人公覚醒、これがテンプレってやつだろ?
ま、他にも想像できる理由はなんだかんだあるが。たとえば……
「そう気を遣わなくてもいいわよ。そうね、他には、魔法を使えない人を見下しているから魔法使いを増やしたくない。
今更魔法が表に出たら大混乱になる。人知れず助ける自分たちがカッコいい。そして、ただ何も考えず盲目的に秘匿する。そんなとこかしら?」
「おいおい。いいのかよ?」
自分も魔法使いのくせに滅茶苦茶言うな、シャークティ。まるで苦虫を潰したようなしかめっ面で言うあたり、何かあったんだろうけど。
なんだ、上司と衝突した部下みたいな感じだな。
「いいのよ。どんな物事にだって理由はある。だからどんな物事だって頭ごなしに否定するものではない。それは大前提なんだけど。」
そう言い、シャークティはまた麦茶を飲む。そして一息ついた後、私の目をみて――
「ただ盲目的に、理由も考えず、出来るからやる。それは最も唾棄すべき物だということを、頭に入れておいて。」
まるで今にも泣きそうな顔で、私に語りかけるその姿を見て。
私は、頷くことしか出来なかった。
「もう少しで、私もそんな魔法使いの一人になるところだったの。千雨ちゃんのおかげで気が付いたんだけどね。」
……まただ。
私のおかげ? 私が魔法にかかわった? ひょっとして、アリサみたいに記憶をいじられてるのか?
ああ、くそ。気持ち悪い。一体なんだってんだ。
「シャークティは、私の何を知ってるんだ?」
そう、シャークティに問いかける。すると、シャークティは泣きそうな表情のまま――
「ごめんなさい。今はまだ、言えないわ。」
「そのうち教えてくれるのか?」
「ええ、必ず。」
そのうち……か。一体いつになることやら。
黙ってしまったシャークティを見て、私は一口麦茶を飲んだ後、話題を変えるために次の話を切り出した。
「そういえば、結局どうやってアリサ達を助けたんだ? 空飛んで船に行ったのは想像つくけど。」
「ああ、それはこれよ。」
シャークティは懐から十字架を取り出した。てっきりただの商売道具かと思ったら、歴とした魔法の杖らしい。いや、魔法の杖も魔法使いにとっては商売道具か。
あれ、でもさっきは何かいっぱい出してたよな?
「一つしか無いのか? 船の上ではいっぱい出してたけど。」
「それは、こっちね。」
今度はポケットから多数のミニ十字架を取り出す。一つ一つは十円玉くらいの大きさだけど、とにかく数が多い。どうでもいいが、こんなもの大量にポケットへ入れていたら重くないのか?
そんな疑問を余所に、シャークティの解説は続く。
「この大きな十字架がメインで、こっちの小さいのがサブね。メインを通して魔力を供給すると、こう……」
「おお、でかくなった!?」
手に持った十字架が一瞬だけ光ったと思ったら、さっきまでテーブルの上に置いてあったミニ十字架の一つが最初に出した方と同じくらいまで大きくなった。
どうなってるんだ、これ?
しかもシャークティが何やら呟くと、
「おお、浮いた!?」
「こうやって操作して、誘拐犯の頭にぶつけて気絶させたのよ。」
そ、そこは物理攻撃なのか……。
もっと、こう、魔法で眠らせるとか、魔力ダメージでノックアウトとか、そんなのじゃ無いんだな。こんなのが高速でぶつかってきたら、そりゃ気絶もするよなぁ。
それにしても、十字架、か。
「教会の連中っていうのは、やっぱりみんな魔法使いなのか?」
「うーん、そうとも言えないわね。大部分は魔法の存在すら知らないと思うわ。」
「なんだ、そうなのか? 世を忍ぶ仮の姿、ってやつじゃないんだな。」
ありがちなんだけどな。単なる教会だと思ったら、実は魔法を使う正義の組織とか。やっぱり漫画やアニメとは違うのか。
「魔法使いはもっと一般に溶け込んでいるわ。聖職者じゃなくても、先生だったり生徒だったり、会社員だったりね。」
「なんだ、普通だな。」
「ええ。普段魔法を使うときは認識阻害といって、異常を異常と思わせなくする結界を張るの。それで一般人にはまず気づかれないわ。」
ふーん。異常を異常と思わなくなる結界、ね。そんな結界があるなら、あの世界樹や車より早く走る存在も変だと思われないんだろうな。ま、あくまでこっちの世界の話だから、向こうとは関係ないけどな。
でも、まぁ、興味はあるな。
「それって、たとえば……そうだな。目の前で球体関節のロボットが踊っていても、何とも思わないのか?」
「ええ。人が踊っていても何も思わないでしょう? その『人』という部分が『ロボット』にすり替わる、という感じね。」
認識を阻害するというか、ずらす感じか? それがあれば絡繰みたいな奴も変に思われない、と。便利なもんだ。
できれば連れてきて反応見てみたいな。どんな反応するのか……いや、別にどんな反応もしないのか。それが普通なんだもんな。
と、そんなことを考えていると。
ガチャリ。
と、部屋の扉が開いた。
◇麻帆良学園寮 千雨の部屋◆
「それにしても……。」
学園寮、千雨の部屋。
未だベットで眠り続ける千雨と、ベットにもたれ掛るようにして眠るシャークティを余所に、エヴァンジェリンは千雨の部屋を見物していた。
部屋の片隅には何に使うのか、三脚や白い傘のようなものが畳んで置いてあり。扉が半分だけ開いたクローゼットからは、何やらカラフルでフリフリな服が顔を覗いている。
「なんだ、殺風景な部屋だな?」
デスクの上には何も刺さっていない8口コンセントが転がっているだけだが、それが余計に寂しさを際立たせていた。
エヴァンジェリンはクローゼットに近づくと、閉まっている扉を開けて衣服を見分しだす。どこかの学校の制服や装飾多寡なスーツなど用途不明のものから、バニースーツ、メイド服、果てはウサギの着ぐるみの作りかけなど、よくわからない服ばかりだ。
「これは、あれか? コスプレというやつか?」
エヴァンジェリンも多少はテレビ等を見る。
一部の界隈ではこういったものが人気になっていることは知っているが、しかしこれほど身近に居たとは思わなかったらしい。
エヴァンジェリンは多数掛けられた服の中から一着のメイド服を取り出すと、事細かに調べ出した。
「ふむ……。意外に良く出来てる。長谷川が作ったのか?」
全体のバランスやレースの模様、隠しポケット、果ては縫い方から生地の切り方まで詳細に調べるエヴァンジェリン。
何か琴線に触れるものがあったのか、その様子は普段の気だるげな態度からは想像出来ないほど熱心だ。
と、そこへ。
ガチャリ。
と、扉の開く音が部屋の中に響いた。
「お、っと……。来たか。」
その音を聞いたエヴァンジェリンは、それまで調べていたメイド服を丁寧にハンガーへ掛け、クローゼットへ戻す。そしてクローゼットの扉を閉めると、玄関の方へ振り向いた。
そこには――
「遅かったじゃな……い、か?」
開け放たれた玄関。
ただそれだけがあった。
◆月村邸◆
「ところで、鮫島さんとシャークティさんにアレやらなくて良かったの?」
月村家。家へと帰ってきてからも、部屋に閉じこもり泣き腫らしていたすずかだが。多少落ち着いたのか、居間で忍と会話をしていた。
「鮫島さんは大丈夫、知っているわ。シャークティさんは……そうね、あの人も裏の人間だけど……。」
すずかの言葉に、忍はメイドが居れた紅茶を飲みながら考え込む。
両者の後ろにはそれぞれメイドが佇み……いや、忍の後ろにはメイドが佇み、すずかの後ろではメイドが目を回していた。
「ね、ねこさんが~ぐるぐる~」
「一応話だけは通しておきましょうか。明日、翠屋に行けば会えるでしょう。」
「ふーん……。じゃあ、千雨ちゃんは?」
すずかは、どこか期待したような、しかし不安を隠せない目つきで忍を見つめる。
忍は再度考え込んだ。
「どうなんだろう……シャークティさんが近づくということは、裏の関係者だと勝手に決めてたけど。」
「まだ消してないんだよね?」
「ええ、何もしてないわ。」
「じゃあ、もうシャークティさんが説明しちゃってるかもしれないよね!?」
一緒に帰ってたんだし! そう、立ち上がり、忍に訴えるすずか。
アリサの記憶を消されたことに対する代償行為、とまでは行かないかもしれないが、感情のはけ口を千雨に求めていることは明白だった。
忍はそんなすずかの様子を見てため息を漏らす。
「確かに説明されているかもしれないし、シャークティさんが相手になると私でもどうなるか分からないけど。期待すると、後が辛くなるわよ?」
「千雨ちゃんはそんな子じゃないもん!」
それまでテーブル越しにお茶を飲みながら話をしていた2人だが、すずかは忍の言葉を聴くと立ち上がってそれを否定する。
すずかはこうなると何をいっても聞かない。それを良く知る忍は、苦笑しつつ一つの案を掲示する。
「それじゃ、いまから千雨ちゃんの家に行きましょうか。場合によっては私があの子の記憶を消すわ。」
それじゃ準備してくるね!
そう言い、すずかは居間を後にする。
「やれやれ、あの子が選ぶのは同性ばかりね。異性じゃないと意味無いんだけど。」
誰も選ばなかった私の小さい時よりはいいのかしら?
そんなことを呟きつつ、忍も準備をするべく居間を後にした。