「ほとんど……寝れへんかった……。」
麻帆良学園寮の一室。
いつもと同じ良く晴れた健やかな朝を、和泉はいつもと同じようにベットの中で布団に包まったまま、しかしいつもと違う心情で迎えていた。
朝だというのに目の下には深い隈が出来、その声の弱弱しさは決して寝起き特有の物では無い。
和泉は一つ欠伸をすると、珍しくまだ寝ているルームメイトを横目に見ながら起き上がり、洗面所へと向かって行った。
「うわ、超隈できとる。まぁ今日は殆どテストの結果発表だけやから、ええけど。」
和泉は鏡を見て溜息を吐く。そして少々悩んだ後、服を脱ぎシャワー室へと入った。
少々冷たいシャワーを浴びて目を覚ました後は、自分と、ルームメイトのために朝ごはんを作る。献立は焼いた食パンとスクランブルエッグだ。
トースターにパンを入れタイマーを回したら、冷蔵庫から卵を取り出しボールに落す。手早くかき混ぜながら牛乳と塩を少々入れる。
フライパンの温度は低めに設定し、油と溶いた卵を一滴入れて温度を見た後に全ての卵を一気にフライパンへ。
そうしているうちに焼けてきたパンと卵の匂い、そしてスクランブルエッグを焼くジュージューという音が部屋の中へと充満していった。
「うーん、良い匂い……。」
ペットの中ではその匂いを嗅いだルームメイト、佐々木まき絵がもぞもぞと動き出す。和泉はそんなまき絵の様子を見ながら、完成した朝食をテーブルの上へと並べた。
「ほら、まき絵ー。もうおきなー。」
「うーーー。おはよ~……。」
まだまだ寝たり無い、そんな感情を全身で表現しながらもまき絵はベットから起き上がる。そしてフラフラとした足取りで、未だ半分目を瞑ったままテーブルへとつく。
和泉は呆れた顔をしながらも、まき絵のために用意した濡れタオルを手渡した。
「そんなんで大丈夫? 明日からまた朝錬でしょ?」
「明日が来るのは今日じゃないよ……。ねーむーいー。」
若干訳のわからない事を言いながらだが、タオルで顔を拭いたお陰かまき絵は徐々に目を覚ましていく。
そしてようやくしっかりと目を開けたまき絵は、まずテーブルの上にある朝ご飯、つぎに向かい側で呆れた顔で自分を見ている和泉を見る。
まき絵はパンにスクランブルエッグを載せるためスプーンに手を伸ばしながら、何気なく気付いた事を和泉に聞くことにした。
「ねぇ亜子ー。」
「何?」
「寝れなかったの? 凄い隈だけど。」
寝れなかった。確かに和泉は昨夜殆ど寝ることが出来なかった。
学園長室から帰ってきてからというもの、ずっと上手く頭が働かず、自責と後悔と期待が入り混じった感情をコントロールすることが出来なかったためだ。
千雨の件については可哀相と思う反面、それが無ければ自分が魔法という物を知ることも無かっただろうとも思い、またそんな事を思う自分に嫌気が指すも、魔法に対する期待は止められない。
魔法って何が出来るんだろう。傷を消すことも出来るのかな。ネギ先生の秘密を知っちゃった。長谷川さんは大丈夫だろうか。自分にも魔法が使えるのかな。
そんなことが、ぐるぐると、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。
柿崎達他の3人は同室のため話し合うことが出来るだろうが、和泉は魔法を知らないまき絵と同室のため誰かに喋ることも出来ない。
(いや、本当にまき絵は魔法を知らないんやろうか? 美空やアスナみたいに、知らない振りをしてるだけなんじゃ?)
和泉は心配そうな顔で自分を見るまき絵を見つめ返す。そして――
(ねぇ。魔法って、知ってる?)
その言葉が口から漏れることは、無かった。
◆麻帆良中等部 2-A教室◆
「オハヨー!」
「おはよー、ギリギリじゃん。」
「うわ、亜子も寝不足? 多くない!?」
「……私、も?」
ゆっくりと朝食を取っていたら思いのほか時間が過ぎてしまい、結局いつもと同じ遅刻ギリギリで教室へと到着した和泉とまき絵。
教室に入るなりまき絵が大声で挨拶し、そこかしこから返答が返ってくる。
そんな、いつもと変わらない朝に少し安堵の息を吐いた和泉は軽く頷くことで挨拶の返答としたものの、その後に続いた聞き捨てならない言葉に反応する。
「ほら、チア部3人とアスナが目の下に隈つくっててさー。アキラと何かあったのかなーって喋ってたんだ。」
「寝不足は良くない。何かあったの?」
教室の入り口へとわざわざやってきたのは黒髪をショートボブにし、向かって左側の髪だけを縛ってピョコンと跳ねさせた少女、明石裕奈。
軽い垂れ目と高い身長、腰の上まで届く黒髪をポニーテールにした少女、大河内アキラの2人だ。
裕奈は少し目を輝かせ好奇心を強く出し、アキラは伏し目がちな視線で純粋に心配そうにしている。
「んー、私も聞いたんだけど……」
「なんでもない。ありがとう。」
なんでもない、わけ無いじゃん。そんな事を思うが、それを口に出すことはせず。
和泉は心配してくれる皆に多少の罪悪感を感じながらも心配ないと返答し、軽く教室を見渡した。
窓際で何やら相談しているチア部3人組み、自席で目を瞑り佇む桜咲、机に突っ伏して木乃香に頭を撫でられているアスナ、ノートを読んでいるエヴァンジェリン。美空の席には誰も居らず、そして……
(来てる訳、無いよね。)
未だ誰も座っていない、教室後方の千雨の席を見て、溜息を吐いた。
「あ、千雨ちゃん今日も休みっぽいね。まだ来てないし。」
和泉の視線の先をなんとなく一緒に追っていたまき絵は、それが千雨の席で留まったことに気付きそう呟く。
教室にかけられた時計の長針は既に[6]の直前まで来ており、もう間もなく始業のチャイムが鳴るだろう。この時間に来ていなければ、欠席だ。
そうだね、と、和泉は小さく返答し。何時までも入り口で立っているわけには行かないので、裕奈とアキラの横を通って自席に荷物を置くために歩き出す。
そうして2-3歩歩いたところで、そういえば、と裕奈は胸の前で拍手を打ち喋りだした。
「千雨ちゃんって、どんな子だっけ? 改めて聞かれるとなんて答えていいかわからなくってさー。」
「ゆーな酷い……。聞かれたって、誰に?」
「え? 夕べお父さんとメールしてたら、千雨ちゃんってどんな子? って聞かれて。」
「っ……、ゆ、ゆーな! そ、それって……!」
――キーンコーンカーンコーン……
「あ、鳴っちゃった。また後で!」
「あ、ちょ!」
始業のチャイムが鳴り、裕奈とまき絵は自身の席へと歩いていく。和泉の隣にはアキラが心配そうな顔をして寄り添うが、和泉は焦燥に駆られたような顔をしたまま裕奈を見つめていた。
「亜子……。取り敢えず、席に行こう?」
「……うん。」
「えー……おはよう、ござい……」
「ってネギ君までー!?」
「え、え? 僕まで?」
教室に入ってきたネギをみて、開口一番裕奈がそう口にする。
突然そう叫ばれたネギは、教室の入り口で目を白黒させながら立ち止まる。その顔にはチア部、明日菜、和泉等と比べて誰よりも酷い深さの隈があり、今にも倒れてしまうのではという様相だった。
「ネギ先生、お体は大丈夫ですか? ああ、こんなにも深い隈が……! 今すぐ、今すぐ車を手配して私の部屋へ! そして、ああ、私のベットで目くるめく愛を……!」
「い、いいんちょが暴走してるー!? 明日菜、止めてー!」
「……今日は無理。」
「ああ、ストッパーが居ない!?」
一瞬でネギの元へと駆けつけた委員長と呼ばれる金髪を背中まで垂らせた少女は、鼻息荒く顔を上気させネギの額に手を当て隈を確認し体を支え、献身的にネギの体調を確認する。だが本当にネギの体調が悪そうだということを把握した後は先ほどまでの興奮が一転、少々驚いたような顔をした後に心配そうな表情へと転じた。
「ネギ先生、本当に大丈夫ですか? お休みになられた方が良いのでは?」
「い、いえ。ありがとうございます、大丈夫、です。」
しかし委員長が心配するも当のネギがそう言ってしまえば何も出来ず、心配そうな顔をしたまま自分の席へと戻る。
開放されたネギは教壇に立つと、改めて教室を見渡した。
そして、皆が様々な表情で自分を見つめている中、3席ほど誰も座っていない席を見つけ。思わず、その顔を泣きそうな表情へと歪ませる。
「ね、ネギ君ー!? 何で泣きそうなのー!?」
「何かあったの!? やっぱもしかして私達最下位だった!?」
「え、嘘!? あんなに頑張ったのに!?」
「ネギ君クビ!?」
「え、えっと、大丈夫、大丈夫ですから……!」
クックック。そう、混乱のHRの中でエヴァンジェリンは小さな笑いを零していた。
教壇の上からそれを見つけたネギは唯でさえ蒼い顔を余計に蒼くし、再度泣きそうな顔になる。
ネギがエヴァンジェリンを見て泣きそうになっていることに気付いた面々は思わずネギとエヴァンジェリンを見比べ、教室は一時的に奇妙な静寂に包まれた。
それに気を良くしたエヴァンジェリンは今尚自分を見るネギを真正面から見つめ返し、発言する。
「精々悩め。悩みは人を大きくする……らしいぞ?」
「……エヴァちゃん何ババくさい事言ってるの?」
「だ、誰がババアか!?」
結局。その後もギャーギャーと煩いながらも何とかHRは終了し、本日の予定がネギから全員に通達された。その内容は1・2時間目は自習、3時間目はテスト結果発表だが何処かに集まる必要も無く、終わり次第帰りのHRも無しで解散という物だ。
部活がある人間は帰れるわけでは無いが、それでも出鱈目に楽な予定にクラスの半分程の人間が破顔する。
だがテスト結果にネギの進退が掛かっている以上、必要以上に喜ぶ人は居ないようだ。
「ねぇ、朝倉ー。」
「何ー?」
ネギが退室し、自習ということで早速思い思いに歩き回る生徒達。
そんな中、一人で机に座って手帳と睨めっこをしていた朝倉の元へ裕奈がやってきた。
顔も上げずに返事をした朝倉だが、手帳との睨めっこがひと段落着くと顔を上げる。そこには並んで朝倉の机の前に立つ裕奈とアキラ、その後ろでわたわたと視線を泳がせている和泉がいた。
「千雨ちゃんって、どんな子だろう? 私あんまり知らなくて。」
そこで裕奈は先ほど和泉達に聞いたのと同じ質問をする。勿論その理由についても同じように。
朝倉は特に深く考えず返答しようとしたが、自分が喋るとバイアスがかかることを思い少々口ごもる。
コスプレや『ちう』の事を言っても良いならいくらでも話せるが、逆にいうと朝倉の中ではそのイメージが強くてそれ抜きとなると少々難しい質問だった。
人が隠している事を、別に悪事でも無いのに他人へ暴く気は無い。そこで、朝倉は自分より適任者が居ないかと考え直し――
「んー、椎名に聞いたほうがいいんじゃない? 小学からクラスメイトだし――」
「あ、あかん!?」
だが。朝倉がそう話を振ろうとした途端、今まで裕奈とアキラの後ろで話を聞いていた和泉がそう叫び話を遮る。その顔は何か焦燥に駆られるような、切羽詰った表情だ。
朝倉達3人は首を傾げるも、なぜ桜子に話を聞くのがダメなのか検討などつかず。とりあえずそれがダメならと適当に他のメンバーの名前を言おうとし、
「じゃあアスナ」
「ダメや!」
「……いいんちょは?」
「そ、それなら……。」
(和泉は、何かを知ってるぽいなぁ)
そう、あからさまといえばあからさまな和泉の反応に、目の下に隈を作っている面々とネギ先生、千雨の件との繋がりがある事を確信する朝倉。
だがこの場でそれを追求することはせず、とりあえず4人は委員長の下へと向かうことにした。
「はぁ。千雨さんがどのような方か、ですか?」
自分の席で真面目に教科書を広げ自習をしていた委員長。
そんな彼女に再度同じ質問をし、朝倉が横からさらに言葉を重ねる。
「いいんちょは小学校から千雨ちゃんを知ってるでしょ? 私より適任かなって。」
「はぁ……。まあ良いですわ。千雨さんは少々引込み思案で他者とは一線を引きたがる傾向にあります。その線の内側に入れるかどうかを判断するため……でしょうか、誰よりも良く人を見極めようとし、実際私なんかよりも皆さんをよく見ているかもしれません。
えてしてそういう方は親しい人には全てをさらけ出し、尽くすタイプへ変わるものですが、千雨さんにそのような相手がいるのは見たことがありませんね。個人的にはもう少しクラスの皆さんと仲良くして下さって欲しいのですが、私の力不足でそうはならず……。
また予定外の事を嫌い、親しくない人を突き放しがちですが、後にそのことを後悔するような繊細で可愛らしい方でもあります。そして――」
「ま、まったまった! もう判ったから!」
そうですか? そう言い首を傾げる委員長へ手を振り、机から離れる裕奈達。あのまま聞いていたら何時までも喋りそうで一時避難した形だ。
相変わらず委員長はすごいねー、と、朝倉とアキラは2人で喋りだす。裕奈は携帯を取り出し、今聞いた事を自分なりにまとめて父親へとメールするようだ。
そして、和泉は、そんな携帯を見つめる裕奈の傍へと寄り添い、他者へ言葉が聞こえないよう、耳元へと口を寄せる。
「ん、亜子? 何?」
「え、えっとね……。」
ドキドキと。和泉の胸が煩いくらいに高鳴っている。
千雨の事をわざわざ聞くくらいだ、ひょっとして裕奈は、少なくとも裕奈のお父さんは魔法について何か知っているんじゃないか。
頭では、直接裕奈に聞かずに、美空や桜咲、エヴァンジェリンへと聞いたほうが良いことは判っている。しかし美空は今日は欠席の様子で、桜咲とエヴァンジェリンは怖くて喋りにくい。
何より裕奈と秘密の共有が出来るのではという甘い誘惑が、和泉を突き動かしている。
「裕奈、裕奈って、まほ――」
「え?」
――う、って、知ってる?
その言葉は、教室の中で上がった嬌声にかき消された。
「あ、アン、ちょ、ど、どこ触ってるんですか!?」
「え? 背中と胸だけど。」
「そんなあっけらかんと言わないで下さい!?」
教室の中央近くで突然上がった嬌声に、クラスの面々が思わず視線を送る。そこには制服を半分ほど肌蹴させ顔を真っ赤にした桜咲と、桜咲にまとわりついて体をまさぐる桜子、柿崎、そして呆れて見つめる釘宮の姿があった。
「え? 何、公開処刑?」
「うわ桜咲さん肌キレー!」
いつも教室では寡黙にクールに過ごしている桜咲が、顔を真っ赤にして桜子に纏わりつかれている。そんな誰も予想していなかった光景に一瞬で教室のボルテージはMAXとなり、クラスの面々は次々と桜咲へ突貫した。
「ちょ、ふ、太もも握らないで!?」
「うわ、何で桜咲さんサラシなの? 隠れ巨乳?」
「何でもいいじゃないですかー!?」
「えーい、剥いちゃえー!」
「や、やめてくださいー!!」
テストが終わった途端に早速起きた非常識空間。最初の餌食は桜咲のようだ。
裕奈も桜咲の元へと行ってしまったため、一人になる和泉。一度溜息を吐き、何気なく教室を見回す。
当然全員が桜咲の元へ行っている訳ではなく、何人かは苦笑しながら遠巻きにその様子を見ているが。その中の一人、木乃香だけは泣きそうな表情を浮かべていた。
◆学園長室◆
「では、今日の結果発表後に集めると言うことで?」
「うむ。ガンドルフィーニ君と葛葉君、そして美空君は来なくても良いがの。千雨君の世話を優先させてくれい。」
学園長室では学園長と高畑が向かい合い、今日の総会の段取りを話し合っていた。
魔法関係者と言えども普段の仕事や用事はある。突然呼び出して全員が来れるとは思えないが、それでも参加率を高めるために少しでも早い通達が求められる所だ。
「それにしてもクルトも情報が早い。内通者でも居るんですかね?」
「フォフォ。仕事熱心なのは良いことじゃ。」
だがテストの結果発表後に集合とする事、またその時に通達する内容については既に昨晩のうちに取り決めてあり。話の内容は今朝早く届けられた書面へと移っている。
高畑はその書面を何度も見直し、学園長は書状と共に送られてきた札を手の中で弄ぶ。
高畑は何度目かわからない溜息を吐いたあと、書状をテーブルの上へと滑らせる。そこには概ね次のようなことが書かれていた。
――麻帆良学園 学園長 近衛近右衛門殿
英雄 ナギ・スプリングフィールドの息子 ネギ・スプリングフィールドの魔力を封印したことについて事情を説明されたし
ついては至急メガロメセンブリアへと参られよ
ウェールズのゲートで職員が待っている 転移札を使用するように
オスティア総督 クルト・ゲーデル
「やれやれ、総会はワシ抜きかの。」
「僕がやっておきますが。千雨君の守護へもう少し人を回す必要がありますね。」
「龍宮君達が適任かのう。」
まったく、ままならん。
そんな愚痴を零しながら、総会で説明する資料を改めて見直す学園長。
自身が責められるべき場所を、自身で開くと決めておきながら、それに参加する事が出来ないとは。
何をやっても上手くいかない場面は確かに有るとはいえ、なかなかに酷い状態だった。
再度深い溜息を吐いた学園長は、椅子にもたれかかって部屋の片隅へと視線を移す。そこには相変わらず黒い人影がうごめいていて。
「そういえば、あのネギ君の影もワシが離れたら消えちゃうんじゃが……。」
「そうなのですか?」
「うむ、以前似た様な事があっての。あの時もクルトに呼び出されたんじゃったか。」
はぁ。ワシが悪いとはいえ、せめてもう少し待ってくれんかのう……。
そんな愚痴を零すが、出発の時、そして総会の時は、刻一刻と迫っていた。