Graduale - 昇階唱 Ⅲ
ミーアに話しかけられてから早3ヵ月。あれからミーアと俺は、頻繁に会話するようになっていた。
会話の内容は基本的に歌の事。そして地上の事だった。生まれも育ちもプラントのコーディネイターには珍しいタイプである。その話しぶりから察するに、どうやらミーアは一度、実際に地上に降りてみたいらしい。
更に珍しい。反コーディネイター組織であるブルーコスモスに襲撃されることを恐れて、大半のコーディネイターはプラントに上がっている。
わざわざ危険地帯に行きたがるなんて相当変わり者だろう。そう思ったままに口にしたら、少しむくれながらも教えてくれた。
亡くなった母親がナチュラルだったのだと。地上の話を聞いて育ち、一緒に行こうと約束していたらしい。もはや果たせぬ約束となってしまったが、母親が話していた地上のことを少しでも知りたくて、こうして地上から来た俺に色々と尋ねているのだという。
だから地上―― 特に自然の有様なんかを知りたがっていたのかと納得した。俺が日本の四季について話すととても嬉しそうにしていた。
それにミーアは俺が読んでいる本にも興味を持ったらしく、内容を聞いて来た。図書館にあった本を手当たり次第借りているので、正直、俺自身もあまり内容をよく理解できていないことの方が多い。
けれど、そんな俺の説明もミーアは目を輝かせて聞いてくれた。自分とは違った価値観を持った人との会話は良い刺激になるらしい。
アーティストってのはよくわからない。
ディセンベル生活教練校を修了してからは、俺の求職活動についても度々話題に上がる様になった。
「そう…あの会社もだめだったの」
「ああ」
俺の不採用の話を聞いて、ミーアは残念そうに肩を落とした。
「やっぱり、接客系は無理よ。シンが自覚なくても、他人から見れば無表情だもの。むしろ、私から言わせれば、どうして接客業の会社なんて受けたのか疑問よ」
「俺もそう思うよ…」
改めて指摘されると落ち込んでしまう。あまり自覚がないとはいえ、こう何度も指摘されると嫌でも自覚を促される。
接客業だけは絶対にやめておいた方がいいとミーアに言われ、ちょっと意地を張ってしまった自分が恨めしい。
「俺の成績を考えると、やっぱりプラントの外装修理かデブリ・ジャンク回収業辺りが妥当かな…… 一応工業用モビルスーツ運用資格も持ってるし」
教練校で車の免許をとるついでに工業用モビルスーツ運用資格を取っていた事を思い起こす。
「工業用モビルスーツ運用資格って…… あの試験、難しいことで有名なのよ?」
「そうか? 結構、簡単だったんだけど…」
特に実技は簡単すぎてがっかりした位だった。
そう俺が言えば、ミーアは唇をすぼめて文句を言ってきた。
「簡単だったら、とっくの昔に私が資格取って働いてるわよ」
外装修理の仕事は給料が良いんだから、とミーアはむくれている。その様を見ながら、俺はなんとなく、こういう時に笑えないのは不便だと思った。
ふと、ミーアの髪に薄桃の何かがついている事に気づく。黒髪に薄桃はよく映える。どこか見覚えのある形に思わず手を伸ばした。
「シン?」
ミーアが小首を傾げ、再び何が見えなくなる。
耳の陰に隠れたのだろう。
見えにくい。
俺の手は耳を掠め、その後ろの髪束を少し払う。
はらり――、とひとひら。
薄桃の花弁がミーアの肩に落ちる。
俺はそれをそっとつまむと掌にのせる。
「"さくら"だ…」
胸がつまった。
もうそんな時期なのだ。
オーブには桜はなかった。
だからみんなで約束していたのだ。
戦争が終わって、情勢が落ち着いたらすぐに日本へ帰ろう。そして、またみんな、隣の家族たちとも一緒に桜を、ヨシノの桜を見に行こう。
"約束"――
「ねぇ、シン…シンってば!」
はっと我にかえる。
横を見れば、ミーアが心配そうに俺を見ていた。
「大丈夫? 急に、いつも以上に目が虚ろになって無表情のまま固まってたけど…」
数度目を瞬きさせると、俺は口を開いた。
「大丈夫。ちょっと、懐かしく思っただけだから…」
まだ、あの"約束"を口に出して誰かに話す勇気はなかった。
俺の様子に不承不承ながらも納得したのか、ミーアは視線を俺の掌に移動させた。
「あら? この花弁、"サクラ"よね? どこで見つけたの?」
「いや、さっき、ミーアの髪についてたから… 俺の方こそ、どこでこんなのくっつけてきたのか聞きたい」
場所を聞いておかなければならない。当分、桜には近づきたくない。
「えーと… あ! 多分、あそこだと思うわ! ほら! ディセンベル第三バイパス横の大きな並木道!」
「ああ…」
そこなら思い当たる。
寮から足を延ばすには少々遠いが、行けない距離ではない。数度前を通り過ぎた事もあった気がするが、幸い記憶にない。
「それにしても、早咲きなんだな。プラントの桜は」
日本の桜の開花時期は、だいたい3月中旬から下旬である。3月になったとはいえ、桜が咲くにはまだ早い。
「今年は開花時期を早めるってニュースで言ってたわ。だいたい1ヵ月位かしら? 咲き続けて茶色く枯れるの」
「1ヵ月?」
聞き捨てならないセリフに、思わず俺は聞き返す。日本の桜は1週間足らずで散ってしまっていた。茶色く枯れると言う言葉も気にかかる。
それに、開花時期を早めるとはどういうことだろう?
押し黙った俺に、複雑な心境を察してくれたのだろう。ミーアは仕方なさそうに肩を竦めた。
「シン。ここはプラントよ。天候システムの操作で、花の開花時期や開花期間を操作するなんて簡単よ」
「そうなのか…」
プラントという箱庭の世界で咲く桜はどうやら、地上―― 日本の桜とは違うらしい。
それならミーアは、いや、プラントの人間は桜が風に散る様を、花吹雪を見た事がないということか。とても残念なことだと思った。
一際強い風が吹く。
掌にあった薄桃の花弁はふわりと舞い上がる。俺は花弁が天井の彼方に吸い込まれるのを静かに見送った。
サクラはとてもコーディネイターに似ているのに。
天井の蒼に呑み込まれた薄桃の花弁を想いながらそんな事を考えた。
「シン? シン? 物思いにふけるのもいいけど、電話、鳴ってるわよ?」
ミーアの言葉に、俺はズボンのポケットに手を突っ込む。木製の液晶保護カバーを裏にやり、ディスプレイの表示を確認する。
着信は―― メールだ。
「あら? それってもしかして、leafの新型携帯!? お願い! ちょっとだけ触らせて!!」
横でミーアが何やら喚いている。そのあまりのハイテンションぶりに、俺はメールを確認もせずに携帯をミーアへ放り渡した。
leafとは、プラントでも人気のパソコンメーカーだ。パソコンは勿論、携帯電話やタブレットPCなどなど色々と出している。一枚の葉っぱを、虫が丸く一齧りしたようなロゴはあまりにも有名だ、というのが、携帯を買ったお店の人の言である。
俺自身は、直感的で簡単に操作できてパソコンにも繋げるという点を考慮し、タブレットPCと合わせて購入した。
タブレットPCまで買ってしまったのは、そう、店員のノリに流されてしまったのだ。デスクトップがなければあまり意味がないのはわかってはいるものの、何故か買ってしまった。
絶賛後悔中である。
まぁ、インターネットに繋げて、PCメールもできる為、求職活動の役には立ってくれている。でも、やっぱりあの出費は痛かった…
「いいなぁ…やっぱり、leafから出てる商品って見た目も使いやすさもいいわよね」
見た目――
そう、見た目なのだ。
一番気に入ったのは。
地上で、オーブで見かけた携帯電話とは似ても似つかないleafの製品群。求職に必要不可欠とはいえ、携帯電話を持つには少々抵抗があった。だからこそ、見た目が俺にとっては携帯電話とは思えないようなものを選んだのだ。
「保護カバーは木製を選んでるのね。シリコンカバーもいいけけど、こんな木製のもいいかも。なんだか温かみがあるし。でも、ストラップは付けないの?」
ミーアの問いに俺は首を横に振った。
まだ、ストラップを買う勇気が俺にはない。
「ふーん… あ。じゃあ、せっかくだし、私のアドレス入れとくわね。そうすれば私の歌を直接メールに添付して送れるし」
「そうしてくれると嬉しいけど… 俺はディスクも欲しいな」
やっぱりディスクがあった方がいい気がする。特に理由はないけど。
そして、勿論、と付け加えておく。
「両方とも、ミーアが直接歌を聞かせてくれること前提で受け取るから」
俺がそう言うと、ミーアは嬉しそうに俺の携帯に自身のアドレスを送り始めた。
「あら?」
ちょうど互いのアドレスが交換し終わった頃。
ミーアは声をあげた。
「3月10日。ユ二ウスセブンにて、停戦条約調印 決定」
俺は目を見開いた。
「これって…」
ミーアが心配そうにしながら、俺に携帯を渡した。
俺はディスプレイを見る。
初期設定から弄っていない、ニュースヘッドライン。
流れていく文字。
何度も同じ文字が繰り返される。
3月10日。
ユ二ウスセブンにて、停戦条約調印――
戦争が、終わる――
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