side.M 「 降誕祭 」
《風の囀り。
緑の囁き。
海の歌声。
空が、大地が歌う賛歌。
貴女に聞かせたかった。
貴女と聞きたかった。
残念ね。
それももう無理みたい。
ごめんなさいね…》
***
「はぁ…」
大きく吐いてしまった溜め息に、私は慌てて周囲を見回した。
図書館へと続く並木道は本来そこそこ人通りのある場所なはずなのに、今日は人通りが少ない。
「いても誰も私を気にしない、か…」
思わず呟いてしまった言葉に、私は眉を顰めた。首を横に振り、暗い思考を追いやるとギターを構え直す。
今度は明るめの元気がでる歌を歌おう。そう思って私はギターを爪弾いた。
私がこうして道端で歌うようになってからもうすぐ一年と3ヵ月になる。けれど、道行く人々は誰も私の歌に足をとめない。私がここで歌っている事に気づかない。それでも誰かに私の歌を聴いて欲しくて、私は歌を紡ぐ。誰かの心に寄り添いたいと願いながら。
私に《歌うこと》を教えてくれたのは"母さん"だった。"母さん"が良い声だと褒めてくれて、"母さん"が喜んでくれたから私は歌を歌っていた。
レッスンに通い、歌の歌い方を学び、曲の作り方を学び、作詞の仕方を学び―― 歌に、音楽に関わる事はどんなことでも勉強した。
けれど、どんな講師の先生よりも沢山のことを私の"母さん"は教えてくれた。
あたたかく迎えてくれる家。
優しく抱きしめてくれる腕。
頭を撫でてくれる手。
慈しみに声。
誰かと食事をする喜び。
誰かを想っての怒り。
誰かの為に涙する哀しみ。
誰かとおしゃべりする楽しさ。
花の囁き。
鳥の囀り。
風の歌声。
月の眼差し。
地上への憧憬。
輝く日々の幸福。
終わりなき探究への恐れ。
美しい世界への憂鬱。
"母さん"は私に、"世界"の素晴らしさを教えてくれた。
大好きな"母さん"を亡くし、私は、私が歌う意味を失った。
私は歌を歌えなくなった。
"母さん"も歌も一度になくし、失意と惰性の中で私は日々を生きていた。そんな私の耳に響いたのがラクス様の歌声だった。
ラクス様――
ラクス・クライン。
プラント最高評議長の娘。
プラント国民が慕う歌姫。
私の尊敬する歌い手。
奇しくも、ユ二ウスセブンが核攻撃された"血のバレンタイン"事件の直後、多くに人々が唐突な喪失の痛みと失意に呑みこまれていた時期だった。ラクス様の歌声はその多くの人々の心に響き、癒しを与えた。私の痛みと、彼等の痛みは違うけれど、確かに私はラクス様に救われた。
多くの人々の心を癒し、平和を祈り続けるラクス様。
歌で人を癒し、人を救うラクス様は、私の理想の歌手が具現化したような存在だった。
私もラクス様の様になりたい。
ラクス様の様に、歌で痛みに苦しむ人々を癒したい、救いたい。
私の歌で……!!
家のピアノを前に、私はひたすら弾き、歌った。
久しく思いだせなかった、"母さん"の優しい微笑を傍に感じながら。
アルバイトをしながらだけれど、レッスンに戻り、私は沢山のオーディションを受け始めた。
時には、事務所にデモディスクを送ったりもした。いくつかの事務所で色よい返事を貰えたこともあった。けれど、私の容姿を見るなり眉を顰め、首を横に振った。
『どんなに歌声がよくとも、見栄えがしなければ歌手としてデビューするのは難しい』
整ってもいなければ、醜くもない。私の平凡な容姿は、どこまで私の人生に影を落とすのだろう。この容姿のせいで何度も私は選ばれない。
それでも私は諦めなかった。
少しでも私の歌を聴いてもらいたくて、少しでも私の歌で誰かが癒されることを願って、私はギターを片手に町へ出た。
そして気付いてしまった。
気付かされてしまった。
私の声はラクス様に似てる――
はじめはもっと人通りが多い所で歌っていた。同じように歌手を目指し、道端で歌う人達と肩を並べ、張り合いながら。
私の歌に足を止めてくれる人がいた時は本当に嬉しかった。はじめての私のお客さんの為に、私は心を込めて歌を歌った。
歌いきった後、そのお客さんが私に近づいて来た時は本当にドキドキした。
感想を言ってくれるのかな?それともスカウト?
何もかもがスローに見えて、期待に胸を高鳴らせながら、私はお客さんが口を開くのを待った。
『もしかして、ラクス・クライン様ですか?』
心が冷や水を浴びせられたかのように冷え切った。上手く笑えていたか自信はない。
最初の頃はラクス様と同じだと言われて嬉しかった。けれど、何度も、何度も、何度も、同じ事を言われ、しまいには私の歌を遮り、わざわざ声をかけてくる人も出てきた。
『ラクス様の歌を歌ってくれませんか』、と。
容姿は似ても似つかないけれど、声が似ているから聞いてみたい。本物には会えないから、せめて似ている人の歌を。そう願う人々の想いを私は無下にすることはできなかった。
ラクス様の歌を何度も歌った。
ラクス様の歌しか歌っていない日が何度も続く様になった。
私の歌声で誰かが喜んでくれるならそれでいい。
私の歌声を聞いてもらえるだけ幸せ。
そう何度も自分に言い聞かせた。
けれど、気づけば私はここにいた。この、人通りが多くもなければ少なくもない、図書館前の並木道に。
ベンチに座り、私の歌を紡ぐ。
誰かの癒しになれなくてもいい。誰かの救いになれなくてもいい。ただ、傷ついた人の心に寄り添いたい。寄り添わせて欲しい。
私の歌を……!!
そう願いながら歌を紡ぐ。
ふと顔を動かせば、反対側のベンチの端で、男の子が本を読んでいた。近くには図書館があるのできっとその帰りなのだろう。
珍しい紙媒体の本を手に持っている。
読書の邪魔にならない様に、私は曲調を変える。
男の子が心地良い時間を過ごせるようにと願いながら。
***
あれから頻繁に男の子の姿を見るようになった。
私が歌っている時間を見計らっているのかいないのか。男の子は毎日、同じ時間帯、同じ場所で本を読んでいた。
もしかして私の歌を聴きにきてくれているのだろうか?そうだと嬉しい。けれど期待してはダメだ。そう自分に言い聞かせる。
男の子はとても特徴的な容姿をしていた。
私よりも深い黒の髪に、血の様に真っ赤な瞳、雪の様に白い肌、嫌みのない程度に整った容姿は恐らくコーディネイトを受けているのだろう。少し羨ましかった。
けれど、男の子を―― 彼を深く印象付けるのは雰囲気だろう。容姿そのものは子供っぽさが残っているにも関わらず、纏う雰囲気や表情は大人びていた。
どこか危うく、儚く見えるのに、確かな存在感。虚ろにも見える紅い瞳が、存在のアンバランスさに拍車をかけている。
今日は白いニットの帽子を被っている。頭の上にのったぽんぽんがかわいらしくて、映像で見たウサギを彷彿させた。
微笑ましくて思わず私は笑みを零す。
彼のおかげで、私は随分と私の歌を取り戻せた気がする。鬱々としていた気分はこんなにも晴れやかで、心はとても凪いでいた。
ラクス様が活躍されたヤキン・ドゥーエの戦いから3ヵ月が立とうとしている。
あの戦いで大切な人を亡くし、かつての私のように失意の中で日々を過ごしている人たちもいるだろう。
今日はそんな人たちのために鎮魂歌を歌おう。私の歌はラクス様の様に人を癒す事も救う事もできないけれど、痛みに寄り添うことはできるはず。
いつも聞いてくれている彼に恥じないよう、祈りと願い、心を込めて。
そして歌い終わったら今度こそ実行しよう。
とっくに出会っている彼と私が、本当に出会うために話しかけるのだ。
「私の歌はどうでしたか」、って。
そして、彼と私は出会う。
少しの痛みと大きな風を伴って。
それまでの私にとって、戦争は近いけれど遠い、別世界の物語だった。
そう。
貴方に、貴方達に出会うまでは。
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