*グロテスク表現あり。注意してください。
side.T 「 失楽園 」
避難民を誘導しながら、トダカは空を見上げた。
近くでは2体のモビルスーツ―フリーダムとカラミティが戦闘を行っている。オーブを守る為に戦うフリーダムに敬意を表す同時に、戦い続けるフリーダムの為にも自分の職務を全うしなければと心を引き締める。
避難船に乗る人々も大分少なくなってきた。この様子ならば、もう間もなく乗り込みも終わり、出港できるだろう。そう思い、トダカは山側を見上げた。
山は市街からの避難経路の一つだが、利用する者は少ない。一見すると最短ルートに見えるが、そこそこ標高があるため、山の外周部を大きく回り道した方が結局早く着くのだ。迂回ルートからの避難民の姿は見られない。この団体で最後だろう、そう思った瞬間だった。
山の木々の間を移動する色。
山道を走る人影。
トダカは思わず目を見開いた。まさか、と驚愕が体を貫く。
人影の頭上をカラミティが、フリーダムが、何度も掠め、その度に人影は立ち止る。
前身の血の気が引き、喉がからからに乾いてゆくのが分かる。
ビームが何度も応酬する。
やめろ。
カラミティがビームを放つ。
やめろ。
フリーダムが避ける。
爆音。
やめろ。
お返しと言わんばかりにフリーダムがビームを打ち返す。
やめろ。
カラミティはフリーダムのビームを避ける。
そこにはまだ、私達オーブ軍が守るべき国民が…!
人影に落ちる光の暴力。
吹き飛ばされ、抉られた大地。
その場を目撃し、トダカの足は縫いつけられたかのように動くことができなかった。
もうもうと土煙があがるも、すぐさま空中で戦うフリーダムとカラミティによって払われる。露わになった抉れた山肌に、ようやくトダカは声を出した。
「山側からの避難民を視認! 流れ弾が付近に落着! 救助に行くぞ! 急げ!!」
他の避難民の誘導に動いていた数人の部下がトダカの号令で動き始める。救助に向かう人員を集めながら、トダカは空を見上げた。
地上の惨劇を知らず、フリーダムとカラミティはまだ戦っていた。否、この惨劇を彼等が知るなど到底不可能な話だろう。それぞれが己の命を懸けて戦っているのだから。だが、このままでは現場に近づけないのも確かだった。
唐突に、フリーダムの動きが変わった。港から離れ、なんとかカラミティを避難船のない港―― 海上へと移動しようとしている。どうやら、港に近づきすぎていたことに気づいたらしい。それがもう少し早ければ、とトダカは思わずにはいられなかった。
「フリーダムが与えてくれた時間を逃すな! 急げ!」
近づくにつれ、辺りの惨状が露わになる。
吹き飛ばされた木々。
抉られた大地。
向かうのは見た場所。
どうか、誰か、生きていて欲しいと一身に願いながらトダカは走る。
「!?」
トダカは息を呑んだ。
酷く抉られた大地。
薙ぎ倒された木々。
フリーダムの砲撃が近かったのが災いしたのだろう。
走って来た途中に見たどの落着場所よりも、人影がいた場所の状況は悪かった。
だが、トダカが息を呑んだのはその場所の状況にではなかった。
辺りに漂う肉の焦げた臭い。
所々赤黒い土。
大地をよくよく見れば、何か大きなものを引きずった血痕が土に残っている。
大岩の下からは伸びるものは臓物をその軌跡に遺して。
大量の血痕が付いた木のすぐ傍には、大きな血だまりから延びる軌跡があった。
そして。その軌跡の先には――
腹部が潰れ下半身のない男性。
胸部に大穴があき、血に染まった女性。
男性と女性は奇妙にひしゃげた腕をその間にいるに少年へと伸ばしていた。
そう。
幼い子供のものであろう小さな腕を抱え、眠る少年へ。
異様な光景がそこにはあった。
特に少年は、酷く安らかで、幸せそうな微笑を湛えて目を閉じている。
肌の白さに死んでいるのかと思えたが、よくよく見れば少年は無傷だ。しかし、その手は真っ赤に染まっている。
背後で絶句し、立ち竦む部下を尻目に、トダカは少年へと一歩を踏み出す。
一歩。
一歩。
近づくにつれ、鮮明になる光景。
少年の胸が小さく上下しているのがトダカには見えた。それは生存者がいた喜びと同時に、少年自身が、この異様な光景を作りだしたことをトダカに告げる。
カチカチと、奥歯が鳴る。
それを必死に抑える。
しゃがみこみ、男性と女性の腕を払うと、トダカは少年の肩に手を置いた。
「おい、おい。大丈夫か?」
肩を揺すると、少年は眉を顰め、ぎゅっと幼い子供の腕を抱きしめた。
まるで目覚めを拒むかのように。
トダカ自身、このまま少年を眠らせておいた方が良いのではないかという思いが胸を過ぎる。
しかし、そうはいかない。
この少年は生き残ったのだ。生き残ったのならば生きねばならない。どんなに辛くても。それが生き残った者の義務だ。
「起きなさい」
何度か強く声をかけてようやく、少年はゆるゆると目を開いた。
トダカと少年の目が合う。
少年の目を覗き、トダカは戦慄した。
そこには何もなかった。
悲しみも。
怒りも。
絶望も。
光すらも。
虚ろな紅い瞳はガラス玉のようにトダカを映し、静かに瞬く。
その幼い顔には一切の表情はない。
先程まで、幸せそうな微笑を浮かべて眠っていた少年と同一人物とは到底思えない。
呆気取られるトダカを気にすることなく、少年は言葉を紡いだ。
「ここがてんごく?」
後に、トダカはこの時の事を何度も思い出し、自問自答することになる。
生き残ったのならばどんなに辛くても生きねばならない。それが義務だ。そう考え、少年をこの世へと引き戻したことは果たして正しかったのか。
異様な光景の中にあった少年はあの時、確かに、余人が及びもつかない楽園にいたのだ。そして自分はその楽園を壊した。誰に、少年に、了承も取ることなく。
迫るモビルスーツ。
艦に突き立てられる斬艦刀。
自身の死の間際。
沢山の大切な顔が通り過ぎた最期。
トダカの脳裏に浮かんだのは、楽園を失った少年の虚ろな眼差しだった。
quid faciam? quo eam?
一体私は何をしたらよいのか?一体私はどこへ行けばよいのか?