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No.32070の一覧
[0] 【習作】Memento mori - 或は死者の為のミサ(ガンダム種運命二次、シン視点で再構成)[雪風](2013/09/17 21:46)
[1] Introitus - 入祭唱[雪風](2012/03/16 21:19)
[2] Kyrie - 救憐唱[雪風](2012/03/19 21:29)
[3] side.T 「 失楽園 」[雪風](2012/03/15 23:04)
[4] Graduale - 昇階唱 Ⅰ[雪風](2012/03/17 11:31)
[5] side.? 「友情論 Ⅰ」[雪風](2012/03/17 01:45)
[6] Graduale - 昇階唱 Ⅱ[雪風](2012/03/17 01:58)
[7] side.M 「 降誕祭 」[雪風](2012/03/17 02:09)
[8] Graduale - 昇階唱 Ⅲ[雪風](2012/03/17 11:32)
[9] Graduale - 昇階唱 Ⅳ[雪風](2012/03/19 21:30)
[10] Graduale - 昇階唱 Ⅴ[雪風](2012/03/18 15:42)
[11] Graduale - 昇階唱 Ⅵ[雪風](2012/03/18 15:46)
[12] Graduale - 昇階唱 Ⅶ[雪風](2012/03/18 15:48)
[13] Graduale - 昇階唱 Ⅷ[雪風](2012/03/18 08:11)
[14] Graduale - 昇階唱 Ⅸ[雪風](2012/03/18 20:45)
[15] Graduale - 昇階唱 Ⅹ[雪風](2012/03/18 21:28)
[16] side.Lu 「 箱庭の守護者は戦神の館に至らず 」[雪風](2012/03/19 21:22)
[17] side.Me 「 叡智の泉に至る道筋 」[雪風](2012/03/19 21:28)
[18] side.Vi 「 選定の乙女の翼は遠く 」[雪風](2012/03/20 09:25)
[19] side.Yo 「 光妖精の国は豊穣に満ちて 」[雪風](2012/03/20 10:29)
[20] side.Re 「 S: 未来視の女神 」[雪風](2012/03/20 23:31)
[21] Graduale - 昇階唱 ⅩⅠ[雪風](2012/03/21 22:54)
[22] Graduale - 昇階唱 ⅩⅡ[雪風](2012/03/26 21:44)
[23] Graduale - 昇階唱 ⅩⅢ[雪風](2012/04/02 02:07)
[24] Graduale - 昇階唱 ⅩⅣ[雪風](2012/07/01 21:16)
[25] Graduale - 昇階唱 ⅩⅤ[雪風](2012/07/01 23:02)
[26] Graduale - 昇階唱 ⅩⅥ[雪風](2013/01/23 22:05)
[27] Graduale - 昇階唱 ⅩⅦ[雪風](2013/09/05 22:32)
[28] Graduale - 昇階唱 ** - 29th Sept. C.E71 -[雪風](2013/09/17 21:43)
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[32070] Graduale - 昇階唱 ⅩⅥ
Name: 雪風◆2f6521ea ID:28d84097 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/01/23 22:05
Graduale - 昇階唱 ⅩⅥ

 5月の定期考査を一週間後に控えた月曜日。
 俺は沢山の参考書と端末を抱え、ヨウランのラボに向かった。
 勿論、試験勉強をするためだ。

 勉学を勤めとする学生は往々にして試験―― テストから逃れられないもので、それはこのザフトのディセンベル士官学校も例外ではない。定期的にテスト週間が設けられ試験が行われている。
 その中でも特に、俺達航宙科にとって、この5月と10月、そして1月に行われる試験は"進級テスト"と呼ばれ特別な意味を持っている。

 ユニウス条約締結と同時に、プラント政府は義勇軍であったZ.A.F.T.(Zodiac Alliance of Freedom Treaty:自由条約黄道同盟)を正式にプラントを守る国軍とした。それに伴い、これまで個人の裁量に寄る所が多かった軍組織の指揮系統を明確にするために、軍人の専業化と共に、階級の導入を決定した。
 と、言っても地上にある階級をそのまま導入するわけではない。慢性的な人手不足に悩まされているザフトが、地上で行われている階級制度をそのまま導入しようものなら、人数が足りず、すぐさま機能不全に陥ってしまう。
 《ザフト独自の階級を作る》
 そう謳って評議会はザフトに提案した。
 当然、ザフトから猛烈な反発があったようだ。しかし、パトリック・ザラによるクライン派軍人の粛清、ユニウス戦役後に起こったザラ派軍人の排斥などにより、上位の軍人の多数が失われていた。
 それによりザフトは、軍内の思想を統一する者がおらず、一丸となって反発することができなかった。
 その結果、プラント評議会の提案を受け入れ、いくつかの譲歩案提示しながらザフトは暫定的にだが階級を導入することになった。
 譲歩案の中でも目立つのが、階級名の不採用と赤服の存続だろう。
 階級名の不採用は偏に、議会側からザフトへの気遣いとも言える。
 階級導入直後は様々な軋轢が生じることが予測された。故に、その軋轢を少しでも軽減しようと、階級名は導入せず、肩書きは以前と変わらず配属された兵科、職種及びその戦術単位の責任者名、管理職名で呼ばれることになった。
 何が異なり、何で判断するかというと、やはり制服である。
 以前は、国防委員会に属する武官を紫服、隊長ないし艦長級を白服、副官級を黒服、士官学校卒業成績上位者を赤服、それ以外を緑服と大雑把に分けていた。
 これを下に、プラント議会はザフトに新たな階級を振り分けた。
 基本的に、地上の将官にあたる階級は紫服、佐官にあたる階級は白服、尉官でも大尉にあたる階級は黒服、中尉・少尉・下士官・兵にあたる階級は緑服とした。
 各階級の違いは、襟や袖に付けられた徽章で見分けられるようになっている。
 特に特徴的なのが、ローラシア級ガルバーニやナスカ級ヴェサリウスといった宇宙艦艇、ピートリー級ピートリーやレセップス級レセップスといった陸上戦艦、ボズゴロフ級クストーなどの水上艦艇の艦長を努める佐官達だろう。
 彼等は、各々が預かる艦の紋章を帽子に掲げている。
 この帽子の白服につけられる副官も同様の帽子を被る。彼等は"帽子組"と呼ばれ、一種の羨望を集める立場にある。
 さて。階級を定める際に大きな問題となったのが、ザフトの象徴とも言うべきレッド―― 赤服の扱いである。この赤服は、以前ならば士官学校の卒業時成績上位10名に与えられたエリートの証である。
 尉官は須らく黒にすべし、という議会と、赤はザフトの精強さの象徴であり、廃止など言語道断、というザフト側の意見が対立。双方共に譲らず、議会は紛糾するかに見えたが、最終的に議会側が譲歩。
 大尉にあたる階級のみを黒服とし、中尉以下にあたる階級を緑服。ザフトの象徴とも言うべき赤服は、国防委員会直属の特務隊FAITH(Fast Acting Integrate Tactical Headquarters:戦術統合即応本部)の制服とする。これに加えて、新体制下で新設する士官学校航宙科の成績上位者10名にのみ、赤服の着用を一年間許可。FAITHのみ左襟元に徽章をつけることにより、両者の差別化を図る。
 こういった譲歩点をなんとか見つけ、双方が受諾。
 ザフトに階級が導入されることになった。
 勿論その後に行われた、階級の振り分け会議が大荒れに荒れたのは言うまでもない。

 ユニウス条約の締結、軍内の綱紀粛正、諸々の負の役割を全て引き受け、アイリーン・カナーバ議長率いる臨時評議会は総辞職し、そのバトンを現在のプラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルに渡した。

 そう。来週から行われる定期考査で、暫定的に士官学校からの赤服が決定されるのだ。
 その成績発表に伴い、航宙科の総合成績上位10名は現在の緑の制服から赤の制服に衣替えすることになる。
 緑から赤へ。
 それゆえの"進級テスト"なのである。

 絶対にテストに出るであろう部分を思い返しながら、俺はゆっくりと息を吐いた。
 持った参考書が重い。だが、それ以上に重いのは士官学校を包む空気だろう。
 進級テスト――
 地上にいた俺にとって、赤服の価値は今一よく分からない。
 赤服でも、配属されれば緑服と待遇は変わらないし、学校の成績を勤め先で誇るというのも正直どうかと思う。真に誇るべきはFAITHの赤のみであり、士官学校の赤はおまけにすぎない。
 なんて言ったらきっと怒られるんだろうなぁ。
 内心苦笑しながら、俺はヨウランのラボへの道中を急いだ。

 所属する科は違えども、共通する科目は多くある。自然と、みんなで一緒に勉強しようという話になっていった。
 ラボで勉強するのは主に、知識などを見る筆記や記述が主のペーパーテストがある科目だ。
 実技の方は、科によって内容が異なるので別々にすることになっている。
 俺が所属する航宙科の実技は当然、モビルスーツの操縦である。
 歩行や移動などの基本的な動作から、個人の戦闘能力、チーム戦での連携や戦闘能力を見るらしい。後は、基本的な体力テスト、ナイフなどを用いた近接格闘術、射撃などがある。
 これらに関しては、レイやルナマリアと一緒にやっている。
 全員の都合が合う日は、シミュレーターでノルンに対戦相手を用意してもらい、チーム戦の訓練を行うことにした。それ以外は、端末片手に筆記科目の参考書やらノート、問題集をラボに持ち込んで勉強している。
 今日は確か、理工科に実技演習が入っている日なので、ヨウランとヴィーノは来れないと言っていた。
 ラボにいるであろうレイ、メイリン、ルナマリアの3人の得意科目を思い浮かべながら、俺は何を聞こうかと思案した。
 俺は航宙科特殊技能生―― 工業用モビルスーツ運用資格保持者ということもあって、モビルスーツの基本的な運用に関しては問題ない。
 自主演習で出入りしている企業の人達にも操縦に関してはお墨付きをもらった。でも、まだまだ俺の操縦には繊細さが足りないらしい。
 おんぼろで型落ちしたスクラップ間際のモビルスーツに、最新型のモビルスーツと同じくらいの作業量をこなさせてこそ一人前なのだという。
 色々と不具合の多い機体の癖を瞬時に掴み、如何に負担をかけず、効率よく作業をするか。熟練のモビルスーツ乗りはすぐにそういうことが分かるらしいが、俺はその点がまだまだ甘いらしい。
 機体を状態把握が甘く、無茶をさせてしまうことが多々あった。その結果、総合して"繊細さに欠く"という評価を頂いている。
 まぁ、思いっきりの良さと、大胆で奇抜な操縦は、戦闘用のモビルスーツ乗りには必要そうだからいいんじゃないのか、という言葉も貰っているが……
 慰めになっていない気がする。くやしい。いつか、あの主任の鼻をあかしてみたいものだ。
 その自主演習も、進級テスト1週間前ということもあり、休みになっている。
 シミュレーターよりも実機を動かしたほうが遥かに勉強になると思うけれど、自主演習にかまけて筆記が疎かにするのもよくないだろう、と自分を納得させた。
 そう、おれにとって大問題なのは筆記だ。
 俺の士官学校入学は、手当たり次第に受けた訓練校の講義の中に試験科目が入っていたのと、工業用モビルスーツ運用資格保持という、技能面での評価が高かったために叶ったものだ。筆記が主になっている科目は正直、自信がない。
 自信がない科目、確認が必要な科目などを脳裏に思い浮かべる。
 よし。今日はレイに国際法関連を、メイリンには、情報の取り扱いについて聞こう。
 ルナマリアは俺と同じで実技寄りの成績みたいだから、シミュレーターで訓練できる時間がないか聞いてみよう。俺はルナマリアのような戦闘スタイルの相手が苦手だからいい訓練になるだろう。

 つらつらとそんなことを考えながら歩いていると、いつの間にかヨウランのラボの前に到着していた。
 扉の前に立ち、開閉スイッチを押す。
 軽い音を立てて開いた扉をくぐり、俺はラボの中に入った。


*


「あれ? 今日はまだメイリンだけなのか?」

 シンプルな造りになっているラボは、少し見渡せば誰がいるのかわかる。
 俺達がいつも勉強しているテーブルには、メイリンの姿しかなかった。
 端末に向かって問題集を解いていたメイリンは、俺の声に顔を上げた。
「あ、シン。おかえり。二人ともさっきまではいたんだよ」
 メイリンによると、レイとルナマリアは冷蔵庫に飲み物がない事に気づき、購買に向かったらしい。二人とすれ違わなかったところを見ると、タイミングが悪いというかなんと言うか…… それにしてもなんで二人で行ったのだろうか?買出しならば一人で十分だろうに。
 その話を聞きながら、俺は椅子に腰掛ける。
 鞄から端末を取り出し、情報関連の問題集のアプリケーションを呼び出す。
 問題は基本的に一問一答の選択式、もしくは文章の穴埋めや、答えの単語を入力する形式が多い。記述の問題もいくつかあるが、小論文などの長い文章での回答を要求するものは別の試験時間枠が設けられている。
 幸いなことに、そういった試験は全て試験3日目と最終日にまとめられている。
 そのため今の俺は、ひたすら基本から応用などの様々な知識を増やすことに重点を置いている。
 わからない問題は持ってきた参考書を開いて調べ、納得いかないものはメイリンに聞いて詳しい話を聞く。
 メイリンはメイリンで俺に、航宙科の中でも自由選択領域にあたる科目"地上用兵学"について尋ねてきた。
 士官学校での必須となっている用兵学は主に、ザフトがまとめた"黄道用兵学"という宇宙での戦闘を主軸としたものになっている。
 "新しく出来た""今までにない""新世代の"用兵学、らしい。
 これに対し、"地上用兵学"の授業は、ザフトの士官学校の授業の中でも特殊だった。
 講義内容の説明文は、地上の用兵学を学ぶ、という短いものだけで、俺も最初は首を傾げた。
 でも、宇宙での用兵と地上での用兵、両方を知りたいと思ったこともあって、俺はこの講義を受講することにした。
 実際に受けてみると、なかなかに濃い講義だった。
 毎回地上から講師を招き戦術や戦略の講義を受け、その感想とレポートなどの課題を提出する。結構学校側が力を入れている凄い授業ではないかと思うのだが、受講者数は多くない。もったいない話だ。
 でもそれも仕方ないのかもしれない。
 地上の用兵学とはすなわち、ナチュラルが作った用兵学だ。ナチュラルを快く思っていないプラントのコーディネイターの人には、少々受講しがたい科目なのかもしれない。
 講師がナチュラルと知って、"ナチュラルから教わることなどない!" なんて言って、初日に出て行った学生が何人もいた。
 その結果残ったのが、俺と、レイと、他数人。なんと十人にも満たない。
 俺としては、地上と宇宙が比較できて面白いと思うんだけど。

「そういえば、ヨウランとヴィーノは理工科の実習だっけ?」
 俺達はある程度、互いの予定を確認し合い把握している。
 確か、ヨウランとヴィーノは、それぞれ行く場所は違えども理工科の演習だったはずだ。
「うん。ヴィーノは終わったら来るって。ヨウランはその後、ラボ持ちだけの研究発表会みたいなものの打ち合わせがあるから、今日は来ないみたい」
「発表会って…… ヨウランは確か、通常の定期考査も受けるんだよな?」
 ヴィーノはともかく、ヨウランの研究発表会は初耳だった。でも、普通に定期考査の試験勉強もしていたということは、特に何かの科目を免除されるわけでもないようだ。
「そうそう。気の毒よねー」
 くるくると、タッチペンを回しながらメイリンは言った。
 全然気の毒だと思ってないことがありありと伝わってくる。むしろ、面白がってるみたいだ。
「うわぁ……」
 発表の為の資料だとか、プレゼンの内容だとか、絶対に試験勉強の片手間に出来るものではない。俺なら絶対にできない。
 絶句している俺を見て、メイリンはさらに笑みを深めた。
「そういうシンも何かあるんじゃない? 航宙科の特殊技能生さん?」
 チシャ猫みたいだ、となんとなく思った。
 問いの返答に詰まる。
 今日、科が同じであるレイとルナマリアと別にヨウランのラボに向かうことになった理由が実はそれである。
「教官に、実技で1位とれって言われた……」
 教官に呼び止められたからだ。
 遠回しにだが、航宙科総合順位10位以内―― 赤服になるように言われた。実技に関しては1位になるように、と。まぁ、そうでもなければ示しがつかないというのもあるだろう。
「がんばってねー。 うんうん。ヒラっていいわー。気が楽」
 ひらひらとメイリンが手を振る。
 がっくりと机に伏す俺を見て、メイリンは再びけらけらと笑った。

*

 集中が途切れてしまった俺は、気分転換をすることにした。
 体を起こして大きく伸びをすると、席を立ち、机から離れて軽く数度スクワットをする。
 メイリンはというと、俺をからかうのに気が済んだのか、自分の勉強に戻っている。
 20回程度繰り返し気が晴れると、俺は首や肩を回してほぐした。
 ぐるりと回った視界の端には、必ずノルンの本体である大きな量子コンピューターが目に入る。
 静かに稼動しているように見えるが、ヨウランによると、その中では凄い速度で色々なことが処理されているらしい。
 このままだとノルンの成長速度にコンピューターの方が追いつかなくなるかもしれない、と苦笑交じりに、それでもどこか嬉しそうに、ヨウランが話していた。あれはいつ、このラボに来たときの話だっただろうか。
 家族の成長を喜ぶ笑顔だったことだけは鮮明に覚えている。父さんも母さんもじいちゃんも、みんなあんな風に俺やマユを見ていた。脳裏に浮かんだ笑顔を振り払う。
 そうして目に入った先には、ヨウランの作業用の机があった。
 複数のディスプレイとキーボードが置かれ、普段はそれでノルンの解析や状態チェックなどをしているのだと言っていた。
 いつもは綺麗に整頓されているその場所が今日は珍しく散らかっていた。出る時に余裕がなかったのだろうか。
 この場所を提供してくれているお礼も兼ねて少し整頓しておこうと、俺はその場所に近づいた。
 広がっていたのは、いくつかの書類と参考書だった。少ない筆記用具はひとまとめにし、参考書と書類を分けておく。参考書は平積みより、立てかけておいた方が良いだろうか。
 そう思い、参考書を持ち上げた時だった。

 ひらり、と1枚。

 小さな紙が床に滑り落ちた。
 いけないと思い、俺は紙を拾おうとして床に手を伸ばし―― 硬直した。

 椅子に座った金髪の女性が、生まれてそう経ってなさそうな赤ん坊を抱いている。
 そして寄り添うように椅子の後ろに立つヨウランに似た男性は、女性の肩に手を置いて笑っていた。
 二人とも幸せそうに、腕の中の赤ん坊を見つめている。

 家族写真――

 幼い子供を抱えて、幸せそうに写真に映る家族の姿がそこにはあった。
 写真に写った男性は、ヨウランにとてもよく似ていた。いや、恐らく、ヨウランがこの男性―― 父親に似たのだろう。目元や口元、全体から受ける印象がヨウランと同じだった。
 ただ、瞳の色は椅子に座る女性―― 母親から継いだのか、黒に近い褐色の瞳は、ヨウランと同じく落ち着いた光を宿している。
 微笑む二人の顔に既視感を覚え、思考を巡らすとすぐに思い当たった。
 二人の微笑は、ヨウランがノルンに向けた微笑とよく似ているのだ。
 やはり親子なのだなと思う反面、俺の心には罪悪感が立ち込めた。
 母親は早くに亡くなり、父親もヨウランの口ぶりからして既に亡くなっているのは察することが出来る。だからこそ、父親の形見でもある"人工知能"を完成させようとヨウランはこの士官学校の門を叩いたのだ。
 ヨウランの父親が亡くなった原因を俺は知らない。不用意に触れていい話題ではなく、俺も俺の家族について尋ねられると、おそらく言葉を濁すだろう。
 人には一つや二つ、他人には踏み込んでもらいたくない領域があるのだ。
 今回の写真は、間違いなく踏み込んではならない領域の一端だろう。

 俺は写真を参考書に挟み直し、元あった場所に戻す。
 書類などを手早くまとめ整頓した後、全てを見なかったことにする。
 静かに机に戻ると、俺は試験勉強を再開した。

*

「レイもルナも遅いなぁ……」
 ポツリと俺は言葉を零した。
 レイもルナマリアが出たと思われる時間から、随分と時間が経過している。そろそろ戻ってきてもいいはずだ。
「レイはともかく、シンがお姉ちゃんに用があるなんて珍しいわね」
 それは恐らく、俺とルナマリアがこの自主勉強の時間は、主に教わる側に回るからこそ出た言葉なのだろう。
 メイリンは自身の勉強の手を止め、俺を見た。
「ああ。シミュレーター訓練の時間をあわそうと思ってさ」
 時期が時期なだけに、シミュレーターの予約が凄いことになっている。
 いくつかのコマ数分をなんとか確保できたので、その日時をレイやルナマリアに確認してもらいたいのだ。以前確認したときは大丈夫だったので、最終確認という奴だ。
 俺がそう言うと、納得したようにメイリンが頷いた。が、ふと疑問に思ったのか尋ねてきた。
「先週もお姉ちゃんとシミュレーターに入ってたよね?」
「? ああ」
 メイリンの唐突な問いに、俺は首をかしげながらも頷いた。

「シンは、"訓練相手募集掲示板"を利用してないの?」

 "訓練相手募集掲示板"――
 聞き覚えのない言葉だが、それがどのような役割を担っているのかだいたい名前から察することが出来る。
「知らないけど…… なんか、便利そう?」
 俺の言葉にメイリンは頷き、学校から配布された電子端末を俺に見せる。
「ほら、みんなに配布されてる端末のメインページの端、"交流掲示板"ってのがあるでしょ?」
 確かに、メインページの一番端には"交流掲示板"というアイコンがあった。
 気づいてはいたが、特に調べたり、書き込みたいようなこともなかったので、今まで放置していたのだ。
「その掲示板の中のスレッドの一つが、この"訓練相手募集掲示板"よ」
 そう言って見せてもらった画面には、シミュレーターでの搭乗訓練の対戦相手を求める書き込みが沢山並んでいた。
 メイリン曰く、名前は実名、IDは学生番号になっているため、なりすましや虚偽も少ないようだ。これはなかなかいい。
「うわ、もっと早くに気づいておけば良かった……」
 レイやルナマリアを相手に訓練することに不満はない。不満はないが、やはり色々な人と対戦しなければ自分の得手不得手は見えてこない。
「レイやお姉ちゃんとばかり訓練してるから、まさかとは思ったけど……」
 呆れと驚きが混じった言葉が俺の胸に突き刺さる。
 がくりと、俺は机に突っ伏した。それでも俺は、件の交流掲示板を自分の端末を取り出す。
「まぁ、仕方ないんじゃない? 地上から来て、こういう端末の扱いも慣れてないんでしょ?」
 メイリンのそんな言葉が頭上を横切ってゆく。
 確かに慣れてはいない。地上では14歳なんてまだ子供で、携帯電話を持たせてはもらっていたけど、ここまで高度なものではなかった。
 でも、慣れてないからこそ、色々と試して調べるべきだったのだ。それを怠ったせいで、俺は色々な人と対戦する機会を逃してしまったのだから。教訓にしよう。
 ざっと掲示板に目を通す。
「テンプレートに沿って書き込むか、書き込んでいる人にメールすればいいのか」
 自身の名前、対戦条件、日時など必要事項を埋めて書き込めば、掲示板に表示されるようになっているみたいだった。
「そうよ。あ、でも、わかってると思うけど、自分のメインメールアドレスを掲示板に載せる人なんていないわよ」
 初歩的な個人情報の管理を忠告される。
 俺は体を起こすと、憮然として答えた。
「それぐらい俺でも知ってる」
「どうかしら」
 また、あのチシャ猫のような悪戯っぽい笑みを浮かべてメイリンが笑う。まったく、メイリンは俺をなんだと思っているんだろうか。
 さて、でも、どうしようか。今、俺が使っているアドレスは、leafの携帯電話のメールアドレスと、士官学校に入った際に学校側から配布されたメールアドレスの2種。前者はミーアやレイ、ヨウラン、ヴィーノ、メイリン、ルナマリアといった親しい人にのみ教えて使っている。後者はもっぱら、事務手続きやらレポート提出、主に学校に関わるものにしか使っていない。
 この掲示板は学校に関わることなので、配布されたメールアドレスを使おうかと思った。だが、書き込みを見たところ、どうやら学校から配布されたメールアドレスを連絡用に使っている人はいないようだ。
 そのことをメイリンに報告すると、少し悩んだ後に答えてくれた。
「そういうことならやっぱり、サブアカウントを増やした方がいいわ。なんなら、"ノルンを通して"サブアカウント取ったらどう?」
「ノルンを?」
 思わぬ名前の登場に、俺は目を丸める。
「そうよ。こういう不特定多数の人の目に触れる場所にメールアドレスを晒す以上、送られてくるメールが必ずしも目的に叶うものばかりとは限らないわ。悪用される可能性も考慮しておかないと。ノルンを通してアカウントを作っておけば、シン以外がそのアドレスを使用した時に感知することもできるわ。それに、スパムメールとか、ウィルスが入ったメールとか、自動で処理してくれるし結構便利よ」
 そう言って、メイリンはノルンを指差した。
「そんなことできるのか?」
 俺はノルンの専用端末を取り出し、話しかけた。
「"…… できます、が……"」
 ノルンの返答の歯切れが悪かった。何か考えているのだろうか。
「? どうしたんだ?」
「"いえ、なんでもありません。チームのセキュリティの為にも、一度私を介在させたほうが良いと思われます"」
 その言葉にメイリンも頷き、俺もそうかもしれないと思案する。
「それじゃ、ノルン。新規アカウントの作成を頼む」
「"アカウント作成後、掲示板へすぐに書き込みますか?"」
「いや、今はいい。そのかわり、俺の5月末から6月にかけての予定を呼び出してくれ」
「"わかりました"」
 打てば響くようにノルンから返答が帰ってくる。先程の歯切れの悪さは一体なんだったのだろうか。
 内心で首を傾げつつ、俺は視線をノルンからメイリンに移した。
「いいこと教えてくれてありがとう、メイリン」
 俺がそう礼を言うと、メイリンも目を閉じ、深く頷いた。
「当然よ、チームメイトなんだもの」
 目を開け、浮かべられた笑顔をは、チシャ猫のように謎めいたものではなく、素直に喜んでいる笑顔だった。

「それにしても――……」

 しかし、メイリンが笑みを浮かべていたのも束の間、すぐに困ったように眉を寄せた。そしてまじまじと、俺の顔を見つめてくる。
「噂ってやっぱり当てにならないわ。私ももっと頑張らなきゃ。」
 深い溜息と共にメイリンは複雑そうに言った。
 "うわさ"という単語がすぐには思い当たらず、俺も暫し考え込んだ。
「噂って―― あぁ。アレか。"紅眼の悪魔"」
 思い当たったのは顔合わせのあの日、メイリン達から聞いた俺に関する噂話だった。
 士官学校内でまことしやかに囁かれる、俺に関する黒い噂。
 復讐鬼――
 あれを初めて聞いた時は、内心では苦笑したものだ。僕が一番許せないのは、オーブでも連合でもない。僕自身だ。
「そう、それよ! 初めてその噂を聞いた時は思わず引いちゃったもの!」
 内容が内容なだけに、メイリンも言いあぐねていたのだろう。俺から出した"紅眼の悪魔"という単語に激しく反応した。
 それにしても、引いたって…… そこまではっきりと明言されると、いくら俺でも少し落ち込んでしまう。まぁ確かに、俺も初めて"紅眼の悪魔"の噂を聞いた時はあまりの内容に引いてしまったものだ。
「なんであんな噂が流れたんだろうな。俺、そんなに特別なことしてたかな」
 工業用モビルスーツ運用資格を持っているとはいえ、俺は他のプラント出身の士官学生と違って足りない部分が沢山ある。座学の知識然り、体力然り。
 それを埋めようと必死になって訓練に喰らいついていっただけに過ぎない。何も特別なことはしていないし、士官学生の本分を全うしていただけだ。
 それはおかしいことだったのだろうか。
「うーん…… やっぱりアレじゃない? シンに関しては、情報が少なすぎたのよ」
「情報が少ない?」
 メイリンは頷く。
「そう。似たような復讐鬼的な噂を持つ人が何人かいたけど、その人達に関しては血のバレンタインで~ とか、ユ二ウス戦役で~ とか、比較的分かりやすい背景がすぐにわかったから、大きな尾鰭がつく前に噂が終息しちゃったのよね。反対にシンは、地上から来た教練校上がりって事以外には情報が全然ないし」
 なるほど。俺に関する情報の少なさが、逆に噂を聞いた人達の想像を煽ることになり、結果、"紅眼の悪魔"の噂が出来上がった訳か。
「でも、そんなに色々知りたいなら、俺に直接聞きに来ればいいのに」
 俺がそう言うと、メイリンはあからさまに、深く、深く溜息をついた。
「シン…… 入学当初の自分達の言動を振り返って言ってる?」
 入学当初の言動……
 そう言われて、俺は1ヶ月前の事を思い起こす。
 授業受けて、訓練して、ご飯食べて、訓練して――…… うん。普通だ。
 俺が納得しながらそう言うと、メイリンは何故かがっくりとうな垂れた。
「それ、頭に全部"レイと"って言葉がつくでしょ?」
「? そうだけど―― でも、誰かと一緒に行動するなんて、そんなに珍しいのか? 同室なんだし普通だろ」
 とうとうメイリンが机に突っ伏してしまう。そしてそのまま、ゆるゆると首を横に振った。
「それもそうなんだけど…… ああ、もうっ!」
 がばりと身を起こし、メイリンはびしりと俺を指差す。
「シン・アスカとレイ・ザ・バレルの両名に、食堂で食事を摂る事を義務付けます!!」
「はあぁ?」
 いきなりの命令に、俺は目を瞬かせる。
 意味が分からない。しかも、何故かこの場にいないレイまで巻き込まれている。
「いい!? 食堂は一番の情報収集・交換の場なの!」
 そしてメイリンは、俺が異論を挟む隙も与えず、一気に捲くし立て始めた。
「何気ない会話、食事内容、その他いっぱい! それら全てが情報になるの! 偶然、シンとレイの隣に座った学生が、貴方達のすっとぼけた会話を聞いて、噂と違って怖くない人なのかも? とか、思ったりしてくれるわけ! そう言うのが積み重なって、悪い噂が払拭されたり、逆にいい話が広まっていくの!」
「で、でも、食堂は食事が……」
 食堂利用の有効性は十分に理解できたが、あそこの食事はけして美味しいとは言い難い。厳しい訓練の傍ら、食事くらい美味しいものを食べないと体が持たない。
 最近ではノルンが、栄養価計算をしたり、レシピをインターネットから探してきてくれて紹介してくれるのだ。その好意も無駄にしたくない。
 俺がそう反論すると、メイリンは両手で両耳をふさぎ激しく首を横に振った。
「あー! あー! あー! 何も聞こえないー! そんなのシンのお弁当持ち込めばいいでしょ!? 持込禁止してるわけじゃないし! 重要なのは、シンとレイがどんな形であれ、他の沢山の生徒の目に触れ、耳に触れ、接することなの! 私やヨウラン達は科が違うから一緒に食べれない事が多いけど、お姉ちゃんとは一緒だから、明日からはお姉ちゃんとレイと一緒に、食堂で食事を取る事!! はい! 決定!」
「いや、あの……」
 どうやらメイリンは、この件に関しては譲るつもりは全く無いらしい。ついにルナマリアまで巻き込まれてしまった。
「このまま悪い噂が蔓延り続けてると、掲示板利用しても、みんな怖がって申し込んでくれないわよ!? それが嫌なら、明日から食堂で食事!! いい!?」
「りょ、了解しました!!」
 荒ぶるツインテールに押されるままに、俺はメイリンに敬礼を返し、食堂での食事の件を了承した。
 そんな俺の返答に満足したのか、メイリンは先ほどまでの勢いを収め、優雅に微笑んだ。
「まぁ、実際、こうでもしないと、シンの悪い印象ってなくならないわ。傍目から見たらシンは、ずいぶん話しかけにくい存在だもの」
 微笑んだと思ったら、メイリンはすぐに表情を憂鬱に曇らせ、小さく溜息をつく。
 なんだか、今日はメイリンを困らせてばかりのような気がする。
「そうなのか?」
 それでも問い返してしまうのはやはり気になるからだろう。
 話しかけにくいとはどういう意味だろうか。少なくともレイは普通に話しかけてきていた。
 俺の認識の方が間違っていたのだろうか。
「話しかけ辛いというより、不気味で怖い存在って感じかしら。こうして普通に接してると、そんなこと全然感じないけど」
 メイリンの返答は、俺が思いも寄らないものだった。
「俺が不気味で怖い?」
 怖いはきっと無表情に由来するからだろうけど、なんで不気味になるんだ?
 思ったままに口にすると、メイリンも言葉を捜しているのかうーんと唸り始めた。
「不気味―― と、いうよりは、なんていうか、その…… うーん。理解できなくて底知れない感じ? だって、他の人達と全然違うんだもん」
「全然違う?」
 メイリンは頷く。
「眼よ。眼」
 そして、ぐっとメイリンが俺の眼を覗き込んでくる。
 視線が逸らせない。
「他の人達はこう、眼が分かりやすくギラギラしてたもの。無表情の人だっていたわ。でも、眼だけは爛々と燃えてたもの。憎しみとか怒りとか憤りとかそういうので」
 そう言うメイリンの瞳の中。
 ルナマリアとはまた違う、濃い青紫の中に何かが見えたのは気のせいだろうか。
 揺らめく、淀んだ――
「でも、シンにはそれがない」
 するりと絡め取られた視線は解放される。
 メイリンはテーブルの上に肘をつき、組んだ手で口元を隠す。
「血みたいに鮮やかに紅くて人目を惹くのに、いざ瞳を見ると本当に何もないんだもの。怒りとか、憎しみとかは勿論、喜怒哀楽の全部が」
 表情もないし。
 メイリンは静かに言った。
 冷ややかではない。ただ、静かに事実を述べているだけなのだろう。
 チシャ猫の様な笑みはとうになく、口元が隠されているため、瞳からしかメイリンの表情は読み取れない。しかし残念なことに、俺は瞳だけで心情を読み取れるほど対人経験が豊富ではない。メイリンが考えていることなんて、さっぱり読み取れなかった。
「レイだってそんなに表情に出るタイプじゃないだろ」
 苦し紛れに俺が言った事を聞いて、メイリンは組んだ手を解き、片腕で頬杖をつく。そして、苦笑とも嘲笑ともとれる笑みを浮かべた。
「本当にそう思ってるの? レイはああ見えて結構子供っぽい所があるから、目を見れば快不快ぐらいすぐにわかるわよ」
 メイリンはじっ、と俺を見つめてくる。まるで何かに絡みつかれたかのように、俺は視線はおろか指先一つ動かすことが出来ずに硬直する。
 濃い青紫の瞳は酷く冷ややかで、いつもメイリンが纏う年相応のかわいらしい雰囲気はない。適温に保たれているラボの温度が一気に下がったかのような錯覚を覚える。
「こうして喋ってても、シンって全然見えないんだもの」
 妖しい光を揺らめかせ、凍てついた瞳はただ、どろりとした何かで俺を縛り付ける。
 動けなかった。
 ただ、ただ、俺は動けなかった。
 こくり、と自分が唾を呑んだ音が、いやに耳に響く。
 そんな俺の異変を察してか、メイリンはふわり、と見知ったチシャ猫の様な笑みを浮かべた。
 つい、と視線が俺からはずされ、やれやれと言わんばかりにメイリンは肩を竦める。
「何もない癖に、あの苛烈極まりないモビルスーツ操縦でしょ? 不気味というか、怖いというか、情報科泣かせというか……」
 チームのセキュリティを預かる身としては、ありがたいんだけど。そう、メイリンは茶化して笑う。
 声音も雰囲気も普段のものに戻り、俺の体に体温が戻ってくる。どっ、と体の力が抜け、大きく息を吐く。
 なんだったんだ? 今のは。
「でも、それならどうして、悪い噂ばっかりだった俺に、普通に接してくれたんだ?」
 なんとか声を絞り出し、話を続ける。
 硬直した頭がまともな思考などできるわけがなく、口について出たのは、以前から疑問に思って聞けていなかったことだった。
「それは――……」
 先ほどまでの不思議な気迫はどこに行ったのか。途端にメイリンは目を泳がせ、言葉を濁した。
 俺は訝しげに首を傾げて先を促す。すると、メイリンは肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
「あのクラッカー乱舞、開幕投げ飛ばされを見てるとねぇ……」
 クラッカー乱舞…… 開幕投げ飛ばされ……?
 一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。が、すぐに俺はそれらがナニを指しているのか理解した。
「あー……」
 何を言ったらいいのか言葉に出来ず、同意ともなんとも取れる音が俺の口から零れた。
 そうだ、そうだった。
 班の顔合わせの時にそんなことがあった。
 随分前のことのように思えるが、まだ1ヶ月も経っていない。
「お姉ちゃんやヨウラン達と話してるの見て、意外に普通なのかも、って思ったのよ」
 あの時、メイリンは一歩引いた所で適度に口を挟みつつ、俺達のドタバタ劇を見ていたような気がする。
「それは、その…… ルナのおかげ…… なのか?」
 あれがあったお陰で、俺の中からは初対面の気恥ずかしさやら何やらが全て吹っ飛んでいた気がする。もしかして同じように、二人の中から"紅い悪魔の噂"でついていた俺の悪いイメージが、一緒に投げ飛ばされたのかもしれない。
 そう考えると、今のチーム内のいい雰囲気は、みんなルナマリアのお陰なのだろうか。
「今度、スイーツでも奢ったら?」
 くすくす笑って、メイリンが俺を茶化す。
 ルナマリアにお礼、か……
 多分、この場合はした方がいいのだろう。

「あー、もう! つっかれたー!」

 扉が開く音と共に、そんな声が飛び込んでくる。
 返事をしようとした俺の口は、音を発することなく閉じた。
 つかつかと近づいてきたルナマリアが、どっさりと机の上に荷物を置いた。
「おかえり、お姉ちゃん」
 そう言ってメイリンがルナマリアを向かえた。
 余程重かったのだろう。ルナマリアは両手を閉じたり開いたりしている。
 その横にレイも立ち、持っていた袋を机の上に置いた。レイもルナマリア同様、しきりに手を握ったり開いたりしている。
「ああ、レイ、おかえり」
 ごくろうさま、と続けると、レイは静かに頷いた。
 それを見届けて、俺は視線を、二人が持ち帰った袋にやる。
「なんだこれ?」
 二人が買ってきた量は、どう見ても"ちょっと"した量を超えていた。普通のジュースはともかく、栄養バランス食品のブロックやゼリーがたくさん買い込まれている。
 俺がレイに尋ねると、レイは眉を顰めた。
「それが――」
 言い淀んで、レイは隣のルナマリアを見る。
 ルナマリアは俺とメイリンの前にジュースを置きながら言った。
「喉が渇いたから飲み物ないかなーって冷蔵庫開けたら何もないのよ、な・に・も!」
 なるほど。ルナマリアの剣幕に押されて、レイが荷物持ちとして連行されたのか。
 さもありなんと納得し、俺はヨウランについて考えることにした。
 ふむ、とルナマリアの言葉を反芻する。
 冷蔵庫が空だった――
 確かにそれはおかしいかもしれない。
 ヨウランは最近、研究発表の為にラボでレポート纏めていたはずだ。机の上は散らかってたし、ここで作業しているのは確かだ。ほぼ篭り切りだと聞いているから、冷蔵庫には何かあって然るべきだろう。もしかして食べつくしたのだろうか。
「レポートに掛かりきりになるのも理解できるが、やはり何か食べなければ頭も回らないからな」
 レイの話を聞きながら、俺は傍の袋の中身を見る。
 ブロックやら栄養ゼリーなどの定番のものから、なんだか不思議な見た目をしたものまで色々合った。
 その中の一つを手に取り、袋から取り出す。
 白い飴の様なお菓子が入った袋だった。"ブドウ糖"と袋には印刷されている。
 心惹かれて封を開けると、俺は一欠けら口に含んだ。
 口の中に広がる、飴とは違う甘さ。後に尾を引かず、さらりとしている。俺が好きなタイプの甘さだった。
 がじがじと奥歯で欠片を噛み潰すと、もう一欠けら口に含んだ。
「シンが食べてどうするのよ」
 ルナマリアがブドウ糖の袋を俺の手の中から浚う。その隣を見れば、呆れた様な視線を向けてくるレイがいた。
 俺は、ははっと声を漏らして肩を竦めて見せた。
「私にもちょーだい」
「ちょっと、メイリン!」
 メイリンが身を乗り出して、ルナマリアの手の中にある袋からブドウ糖を一欠けら摘む。
「んー!! いい甘さ!! 勉強中の糖分って何でこんなにおいしいのかな?」
「もう! ヨウランの分がなくなっちゃうでしょ!?」
 言い合いを始めたメイリンとルナマリアの様子を見て、俺とレイは顔を見合わせる。
 どちらともなく頷くと、まだ中身のある袋を掴み、冷蔵庫のある給湯室へと向かった。


*


 ふぅ、と一息吐き、俺は袋の中身に手をかける。インスタントコーヒーは確か、一番右の開き戸の中だったはず。
 レイと俺の二人で手早くと飲み物や食料を戸棚や冷蔵庫に入れてゆく。BGMはメイリンとルナマリアの喧騒だ。
「どうだ? 試験勉強の方は?」
 レイが話しかけてくる。やはり話題は、一週間後に控えた試験とその勉強の事だった。
「んー…… まぁまぁかな。やっぱり筆記は辛い」
 ディセンベル生活教練校は、"生活"と冠されるだけあって、プラントで生活する為の勉強が主だ。
 特に、俺にとってプラントの初等教育にあたる範囲の勉強は大変だった。
 地上で同年代が勉強する事と比べると、その内容はとても高度なものだったからだ。それをなんとか頭に叩き込みながら、俺は工業用モビルスーツなどの他の授業を受講していた。あの頃の俺は本当によく頑張ったと思う。
「そうか…… わからない所があれば聞いてくれ」
「いいのか? レイの方だって、試験勉強大変だろ?」
 みんなで教えあって勉強してはいるが、やはり物事には限度というものがある。あまり頼りにしすぎると、レイの勉強を邪魔してしまうことになりかねない。それだけは避けたい。
 そもそも、俺の現状はある種、自業自得ともいえる。教練校での成績が良かったと言われてはいるが、士官学校に入る為にきちんと勉強してきた人たちと比べると不足は多い。
 しかも、工業用モビルスーツなどの各種資格が取れる授業はともかく、その他の宇宙論やら天体物理学やらの授業は、今思い返せばあくまで教養の範囲内を出ない講義内容だった。
 それに初等教育の科目を並行して受講していたのも相俟って、定着せずに取りこぼしてしまった知識も多い。
 筆記試験免除で士官学校に入学したのはいいが、そのツケが現れたと考えてもいいだろう。
 今はレイのお陰でなんとか座学に着いていけているが、いつまでも甘えるわけにはいかない。ここで俺自身が頑張らなければ、この先プラントで軍人をやっていくなんて到底不可能だ。
「お互い様だ。お前に教えることで、俺も十分に勉強させてもらっている。気にするな」
 俺の心中を知ってか知らずか、レイは事も無げにそう言った。
 互いに作業の手は止めない。ああ、でも、当たり前のように返された言葉が俺にはとても嬉しかった。

 整理も一段落つき、レイと俺はコーヒーを淹れる事にした。
 俺はラボに置かせてもらっているそれぞれのマグカップを取り出し、お盆の上に載せる。ついでに買ってきてもらったばかりのお菓子をいくつか出して、同じくお盆の上へ載せておく。
 その間にレイはフィルターや豆を取り出すと、人数分をサイフォンにセットした。
 あとはコーヒーが出来るのをひたすらに待つだけ。
 暫くすれば、とぽとぽとコーヒーが落ち始める。静かな水音と共に、ふわりとコーヒーの香りが給湯室を満たす。
心を落ち着かせる良い香りだった。
 そういえば、とレイは俺に尋ねてきた。
「テーブルの上にノルンがいたが、何か尋ねて調べてもらっていたのか?」
 思わず、いつもノルンがいる胸のポケットを見下ろす。
 同時にメイリンとルナマリアの口論行き交うテーブルの上に置いてきた儘である事にも気づいた。後で謝っておかなければ。
 そんな事を考えながら、俺はレイの問いに答える。
「いや、メイリンに訓練相手募集掲示板の使い方を聞いてさ、ノルンを通してサブアドレスを作ってもらったんだ」
 5月は流石に、試験勉強と試験で忙しい。
 ただ、試験結果発表日の午後から5月の終わりまでは休みになる。発表日が金曜日で、土日祝日がその後に続くため、ちょっとした連休のようになっている。これを利用して帰省する学生もいるようだが、俺は居残り組みだ。この休みを有効活用しない手はないだろう。
「"ノルンを通して"? メイリンがそう言っていたのか?」
 レイが視線をサイフォンから俺に移し尋ねてくる。
 何かおかしいところでもあったのだろうか。
「ああ。 レイも訓練相手募集掲示板を利用してるのか?」
 内心、首を傾げながらも、俺はレイの問いを肯定する。
「いや、お前さえ相手をしてくれれば良いと思っていたが―――― そうだな。"ノルンを通して"、サブアドレスを取得し、利用するのも悪くないかもな」
 何やら少し思い悩んだ後、レイは自分のノルンの端末を取り出してアブアドレスを取得するように指示する。
 その様子に、俺はレイが訓練相手募集掲示板を利用していなかった事に気づいた。
「レイは訓練相手募集掲示板利用してなかったのか?」
 地上育ちでこの手のシステム関連に疎い俺とは違って、レイはプラント育ちだ。利用していてもおかしくないはずなのだが……
「色々と面倒だったからな。今は控えていたんだ」
 さらりと言い放たれた言葉に、俺は更に首を傾げた。
 シミュレーター訓練になるとはいえ、色々な人と訓練を行うのはとても重要な事だ。
 同じ人とばかりしていると、戦い方がワンパターンになったり、相手の癖に慣れすぎたあまりに自分の弱点が見えなくなったりする事もある。
 俺とルナマリアの対戦結果が良い例だろう。俺の戦い方と相性の良いレイとばかり対戦し、勝ちを重ねた結果、ルナマリアという全く異なる戦い方をする相手に後れを取り苦戦を強いられた。
 あれ以降、ルナマリアとよくシミュレーター訓練をするようになった。そのおかげで、だんだんとルナマリアのような待ってカウンターを行う戦闘スタイルに対する対策は出来つつあるが、それでもまだ足りない。
 俺が作ったのは、あくまでの"ルナマリアの"戦闘スタイルに対する対策だ。カテゴリ的には同様の戦闘スタイルでも、人によって差異は必ずある。それに対応するためにも、俺はもっと色々な人と対戦して視野を広げなければならない。
 それはきっと、レイも分かっている筈だ。にも関わらず、"面倒だ"とはどういうことなのだろうか。

「あ。ごめんなさい。二人に整理任せちゃって」

 俺が問いかける前に、メイリンによって会話が断ち切られる。どうやら、向こう側も一段落着いたらしい。
 タイミングを逃してしまった問いは宙を彷徨い、俺は口を噤んで立ち尽くす。
 レイはレイで、じっとメイリンを見ているようだった。
「手が止まってたようだけど、二人して何を話してたの?」
 妙な雰囲気の俺達に、メイリンが不思議そうに問いかけてくる。
「えぇっと…… ほら、さっき、俺がメイリンに訓練相手募集掲示板の事を聞いて、サブアカウント作っただろ?」
 しどろもどろになりながら、俺はメイリンの問いに答える。
 先程の会話を思い出してくれたのか、メイリンも先を促すように頷く。それに安堵して、俺は言葉を続けた。
「レイも掲示板利用してなかったみたいなんだ。俺と同じようにサブアドレス作って、利用するってさ」
「レイも? ―― "ノルンを通して"?」
 何が琴線に触れたのか、メイリンはじっとレイを見つめ返す。視線だけで、真偽を問いかけているみたいだった。
「ああ」
 レイは肯定すると、サイフォンに向き直り、コーヒーをマグカップに淹れ始める。どうやらこれ以上の会話を続ける気がないようだった。
「ふーん……」
 メイリンもメイリンで、それは同じだったらしい。
 興味深げにレイの背を見ている。
 微妙になってしまった空気に、俺はどうする事もできずに視線を彷徨わせた。
 水音がいやに響く。
 レイはマグカップの乗ったお盆を持ち上げると、静かに給湯室を出ていった。メイリンも一瞬目を眇めると、無言でレイの背に続く。
 俺は慌てて二人の背を追った。


*


「あら? 三人とも遅かったじゃない」
 給湯室から出てきた俺達に気づき、ルナマリアが端末から顔を上げる。その口には飴がくわえられていた。
 俺はレイとメイリンの間に流れる妙な空気から少しでも早く遠ざかりたくて、二人の背を追い越すと、ルナマリアの隣に腰掛けた。
 机に突っ伏し、大きく息を吐く。
「どうしたの? シン」
 いきなり机に伏した俺を心配して、ルナマリアが声をかけてくる。
 そのいつもと変わらない調子に、俺はどこか安堵を覚えた。
 なんというか、あの二人、なんか変だ。特にメイリンには、言い様のない何かを感じた。
 そこではたと気づく。
 メイリンと二人きりで話すのは今回が初めてだった、と。
 いつもはルナマリアの闊達さと明るさに目が行きがちだが、よくよく思い返せば、いつもメイリンは俺達がバカやっているのを、一歩引いた所から見ていたような気がする。
 観察―― ? しているのだろうか。俺達を。情報科だからだろうか?いや、何か違う気がする。
 答えが一向に見えず、俺は唸る。
「どうした、シン」
 俺は顔を上げる。
 何食わぬ顔でレイが俺の隣に立ち、コーヒーの入ったマグカップを配る。
「今回のお菓子はチョコレートね」
 その隣では、メイリンが棚から取り出したお菓子を配っている。
 先程の言い様のない空気は跡形もなく消え去り、いつもどおりの二人がそこにはいた。
「大丈夫? 顔色あんまり良くないわよ。さっき食べてたブドウ糖、食べる?」
 そう言って、ルナマリアはブドウ糖の袋を差し出してくる。
 先程、メイリンとルナマリアが言い合っていたせいでしまう事ができなかったものだ。
 だが何故か、今はその気遣いが心に染みる。
"今度、スイーツでも奢ったら?"
 脳裏にメイリンと交わした会話が過ぎる。
 確かに、ルナマリアのお陰で、今の和やかなチームの雰囲気があるのかもしれない。ならばやはり、お礼はしなければならない。

「なぁ、ルナ。今度一緒に出かけないか?」

 甘いものでも食べに、とまで続けて、俺は周囲の異様な雰囲気に気づいた。
 何故か、再び空気が凍りついている。
 ルナマリアを見ると、驚いたような顔をして、口をはくはくと開閉させている。
 その耳は何故か赤い。
 何かおかしなことを言っただろうか、と俺は首を傾げた。
「!!」
 鳩尾に一発。
 どすり、と入り、俺は言葉もなく悶絶する。
 ルナマリアが何か言っている様だが、痛みに悶える俺には聞こえない。
 なんだか似たような事が前にもあったような気がする。
 何か気に障るような事でも言っただろうかと思いながら、俺はお腹を抱えて蹲った。


 後日、この話は俺とルナマリアの間で、試験がきちんと終わってから日程を調整しよう、という形でケリがついた。
 ぶっきらぼうに、誘ってくれたありがとう、と言って自室に帰るルナマリアの背を見送りながらはたと気づく。
 自主演習やミーアとの約束の兼ね合いもあるから、ルナマリアへのお礼は来月末になるだろうな。
 スケジュール管理には気をつけよう。



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