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No.32070の一覧
[0] 【習作】Memento mori - 或は死者の為のミサ(ガンダム種運命二次、シン視点で再構成)[雪風](2013/09/17 21:46)
[1] Introitus - 入祭唱[雪風](2012/03/16 21:19)
[2] Kyrie - 救憐唱[雪風](2012/03/19 21:29)
[3] side.T 「 失楽園 」[雪風](2012/03/15 23:04)
[4] Graduale - 昇階唱 Ⅰ[雪風](2012/03/17 11:31)
[5] side.? 「友情論 Ⅰ」[雪風](2012/03/17 01:45)
[6] Graduale - 昇階唱 Ⅱ[雪風](2012/03/17 01:58)
[7] side.M 「 降誕祭 」[雪風](2012/03/17 02:09)
[8] Graduale - 昇階唱 Ⅲ[雪風](2012/03/17 11:32)
[9] Graduale - 昇階唱 Ⅳ[雪風](2012/03/19 21:30)
[10] Graduale - 昇階唱 Ⅴ[雪風](2012/03/18 15:42)
[11] Graduale - 昇階唱 Ⅵ[雪風](2012/03/18 15:46)
[12] Graduale - 昇階唱 Ⅶ[雪風](2012/03/18 15:48)
[13] Graduale - 昇階唱 Ⅷ[雪風](2012/03/18 08:11)
[14] Graduale - 昇階唱 Ⅸ[雪風](2012/03/18 20:45)
[15] Graduale - 昇階唱 Ⅹ[雪風](2012/03/18 21:28)
[16] side.Lu 「 箱庭の守護者は戦神の館に至らず 」[雪風](2012/03/19 21:22)
[17] side.Me 「 叡智の泉に至る道筋 」[雪風](2012/03/19 21:28)
[18] side.Vi 「 選定の乙女の翼は遠く 」[雪風](2012/03/20 09:25)
[19] side.Yo 「 光妖精の国は豊穣に満ちて 」[雪風](2012/03/20 10:29)
[20] side.Re 「 S: 未来視の女神 」[雪風](2012/03/20 23:31)
[21] Graduale - 昇階唱 ⅩⅠ[雪風](2012/03/21 22:54)
[22] Graduale - 昇階唱 ⅩⅡ[雪風](2012/03/26 21:44)
[23] Graduale - 昇階唱 ⅩⅢ[雪風](2012/04/02 02:07)
[24] Graduale - 昇階唱 ⅩⅣ[雪風](2012/07/01 21:16)
[25] Graduale - 昇階唱 ⅩⅤ[雪風](2012/07/01 23:02)
[26] Graduale - 昇階唱 ⅩⅥ[雪風](2013/01/23 22:05)
[27] Graduale - 昇階唱 ⅩⅦ[雪風](2013/09/05 22:32)
[28] Graduale - 昇階唱 ** - 29th Sept. C.E71 -[雪風](2013/09/17 21:43)
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[32070] Graduale - 昇階唱 ⅩⅣ
Name: 雪風◆c1140015 ID:28d84097 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/07/01 21:16
Graduale - 昇階唱 ⅩⅣ


 本日の天候予定に曰く、午後よりディセンベル 降水区画A地区は1時間の雨。傘の持参を忘れないようにしましょう。

「だから、手ぶらで出ようと思う」
「"シン、合理的ではありません。天候予定に従い、傘を持ち歩く事を提案します"」

 即座に返された言葉は、あまりにも予想通りのもので俺はノルンの小型端末を爪弾く。抗議の声を上げるノルンをポケットにつっこみ、俺は振り返る。
「それじゃ、レイ。ちょっと出かけて来る」
 そう声をかけると、奥で10時のおやつとコーヒーを楽しんでいたレイが出て来る。
「ああ、わかっている。だが、ノルンの言うとおりだぞ。計画降水とはいえ、雨に打たれれば体を冷やし、風邪を引く」
「大丈夫だよ。プラントの弱雨に1時間打たれた所で風邪なんかひかないさ」
 人工の箱庭であるプラントでは、天候も計画的に定められ運用されている。
 今日の降雨目的は空気の清浄化だ。プラント内は常に空気を循環させているとはいえ、空気中の埃などはフィルターで浄化するにも限度がある。そこで、定期的に雨を降らせて、水滴に埃などを付着させ回収、浄化しているのだ。と、いっても、頻繁に降らせすぎると今度は雨水が溜まって腐ることもある。なので、同じプラントの中でもいくつかの降水区画に仕切って、順番に雨を降らせている。
 ただ、植物園などの植物が沢山ある区域は例外で、その辺りは特別降水区域となってそこそこの頻度で雨が降っているらしい。この場合の目的は、空気の清浄化ではなく、植物への水分補給なので、そんなに激しい雨は降らさない様にしているようだ。
 この雨の正式名称は"生活環境維持の為の計画的な浄水散布"。流石に情緒がないため、便宜的に"雨"と称されている。
「たまには、雨にうたれるのも風情があっていいだろ?」
 そう俺が言うと、レイは凄く微妙そうな顔を浮かべて言った。
「地上育ちの思考回路は理解出来ん…… 雨の中にはある程度薬品が入れられている。人体に害がない程度とはいえ、雨にうたれたいのならば、帰ってすぐにシャワーを浴びる事を進める」
 プラント育ちのレイから見ると、俺の行動はとても不思議なものだろう。許容してしまうあたり、レイもたいがい俺に毒されている。
 しかし、地上でも雨が降るのをわかりきっているのに傘を持たずに出かけるのは、降る前に雨が降っても問題ない場所に着きそうな人か余程のもの好き、事情がある人ぐらいだ。多分その事はレイもわかっているだろうから、訂正の必要もないだろう。
「"レイ、傘を持って出かけるだけで、シンが帰宅後の工程がなくなります"」
「"加えて、健康管理の側面から見ても、雨にうたれることは推奨されません"」
 レイと俺、それぞれヨウランから預かっている端末から、ノルンの主張が聞こえて来る。
「合理的でなくとも本人がそれでいいなら放っておけ。疲れるだけだ」
 そうレイはノルンに語りかけている。レイ側のノルンは「そのようなものなのですか…」と返答し、レイも「そんなものだ」と同意してる。
 俺側のノルンは未だ抗議の声を上げているので、俺はポケットから端末を取り出し、宙に放り投げキャッチした。
 カメラ機能をONにし、レンズをレイに向ける。
「それじゃ、行ってくる」
「ああ、気をつけて行ってこい」
 ぐるりとノルンに周囲を見せる様に振り向き、俺は部屋を後にした。

*

 校門前の桜並木を全力で駆け抜け、早々に大通りに出る。
 向かうのは、業務用宇宙港に向かう途中にある公園だ。
 その道すがら、写真をとるフリをしながらノルンに周囲の景色を見せて歩く。
「どうだ? はじめて見る外の世界は」
 俺の予想が正しければ、ノルンがこうして普通に外へ出歩くのは初めての筈だ。天井はこれから雨が降るとは思えない位に快晴を映し出している。
「"街がありますね"」
 案の定な返答に、がくりと肩を落とす。でも、仕方がないのかもしれない。昨日の今日なのだから。
 ノルンと名前が決定した後、ヨウランはラボにあるノルン本体と繋がる小型端末を俺達に渡してくれた。色々なことを見聞きさせて欲しいとのことだ。
 人間にしてもそうだが、経験程得難いものはない。沢山の物事を見て、知って、そして、感じられるようになればいい。
 だから俺はノルンを外に連れて行く。軍とは関係ない、普通の人達の営みを目にする事もまた、大切な事だと俺は思うからだ。
 頻繁に外に出られる俺にしかできないことだろう。
「"シン。この経路だとディセンベル第3公園に到達することが予測されます。本日は天候に雨が組み込まれている為、第3公園での催事はありません。何の目的があって公園に行かれるのですか?"」
 そういえばヨウランが、現在地を把握する為にプラントの測位システムと同期させていると言ってたっけ。それにしてもこの質問。どう答えたらいいだろうか。
「うーん…… 目的と言うかなんと言うか…… 友達と会う約束をしてるんだ」
「"ご友人と会う事と傘を持ってこなかった事と何か関連があるのですか?"」
 なかなか鋭い。
 どう説明すればいいのか分からず、俺はノルンに言った。

「聞いてればわかるよ」

*

 4月も終わり、新緑の時期になったこともあり、公園はやわらかな緑に包まれていた。
 そんな周囲を見回しながら、俺はいつものベンチに急ぐ。
 ギターの音と共に、柔らかな歌声が聞こえて来る。春の訪れを、新緑を愛で、新たなはじまりと出会いに心浮き立たせる。そんな内容の詩だった。
 歌い手はベンチに腰掛け、歌を紡いでいる。長い黒髪が新緑の中で一層に映えていた。
 思わず端末に手を伸ばし、動画を撮っているふりをしてノルンに見せる。

「遅いわよ、シン」

 俺が来た事に気づいたのだろう。そう言って、ミーアは歌うのをやめた。不機嫌そうに眉を寄せ、立ちっぱなしの俺を見上げて来る。
「もうすぐ雨が降るって言うのに……」
 そう言ってミーアはギターをしまう。
「ごめん。いろいろ見ながら来たからさ」
 俺はミーアの隣に腰掛けた。
「この1年を一緒に過ごす班が決まってさ。チームメイトと話し込んでたせいで、夜更かしして寝坊したんだ」
 本当はノルンにいろいろ見せていた為に遅れたのだが、流石にそのことは言えない。彼女の存在は軍事機密にあたる。ノルンと繋がっている小型端末は人目に触れても良い様に形状こそLeafの携帯電話に似ているが、その中身は全く別物だ。
 士官学校以外の世界も見せる許可は既にヨウランから得ている。ミーアと直接話させる事は出来ないけれど、会話を聞かせる位ならできる。
「ふーん。それで? 前に話してくれてた"レイ"っていう同室の事は一緒になれたの? 随分仲良くなってたみたいだし」
「ああ……」
 俺は話しても差し障りのない、士官学校での出来事をミーアに話始めた。

*

 ミーアは、俺が士官学校に入る事そのものについては何も言わなかった。
 彼女が怒ったのは、俺があの条約締結のニュースを見てからレイと同室になるまでの間―― つまり、2週間以上連絡を絶っていた事に対してだった。
 俺とミーアはこの、図書館に繋がる並木道がある公園で頻繁に会っていた。一応メールアドレスなどの交換もしていたが、その頃は俺も教練校に通っていたので、まだ時間に余裕があった。なので、特に約束や連絡する事もなく会って話していたのだが、俺が求職活動を始めるとそうもいかなくなった。
 俺達は時間の調整をして会う様にした。それでも週に2回程会っていたので結構な頻度だったと思う。会って、他愛のない話をして、それで終わり。メールで事足りるくらいくだらないものが大半だった。
 ミーアは俺にとって、プラントに来てから初めてできた友達だった。友達が出来た喜びも相俟って、会う連絡でもないメールも頻繁にやりとりしていた。
 だからこそ尚更、いきなり音信不通になった俺の事をミーアは心配したのだろう。
 そんな状況で俺から来たメールの内容が「士官学校に入った」「ごめん」なら、いくら親しい仲でも怒るだろう。
 士官学校に入ってから久々に会ったミーアはとても不機嫌そうにしていた。
 平謝りする俺に向かってミーアはある約束を結ばせた。
 一つ、いきなり連絡を絶ったりしない。一つ、月に一度は会って世間話をしたい。
 ミーアは地上や士官学校での出来事など、自分が知らない世界のことをもっと色々と知りたいみたいだった。
 結局、以前と変わらない関係が俺とミーアの間には結ばれることになった。

*

「そうか。また、オーディション落ちたのか」
「うん…… もう。自信なくなっちゃいそう」
 がっくりと肩を落とすミーアにつられて、俺も深く息を吐く。
 ミーアは歌手を目指して日々レッスンにバイトにと励んでいる事は知っている。
 自分で作った曲を送って聞いてもらった時の反応は良いらしいが、実際会った時に残念がられるそうだ。
 曰く、容姿に華がない。
 俺自身はカスミソウの様に控えめで可憐だと思ってるし、なんだか化粧映えしそうだとも思っている。
 化粧をした母さんは、母さんであって母さんでなかった。それぐらいの変わり様だった。ミーアは顔のラインとか、体のラインは綺麗なんだから、瞳を二重にしたり、化粧でそばかすを隠したりすればずいぶん違うと思う。母さんがそうだったから間違いない。父さんはそれで騙されたんだと笑ってたし。
 でも以前、そのことをミーアに告げたら力いっぱい殴られた。デリカシーがないとか、そんな目で見るなとか、訳が分からない。本当のことを言っただけなのに。
 そう返すとミーアは、瞳を吊り上げながら教えてくれた。
 "化粧をしたら?" は、ナチュラル・コーディネイターを問わず、全ての女性にとって侮辱にも等しい言葉らしい。一つ学んだ。気をつけさせていただきます。
 それ加えて、プラントでは別の意味もあるようだ。なんでも、コーディネイターの容姿が美しいのは当たり前。化粧は自分の容姿に自信がない人間がすること。スキンケア? やナチュラルメイク? 程度ならいざ知らず、一重まぶたを二重にしたり、マスカラ? だとかでまつ毛をのばしたりするのは品がない、らしい。生憎と、女性ならではの専門用語のオンパレードで半分も俺には理解出来なかった。
 でも、このことだけは胸に刻みつけた。女性の化粧やファッションについて絶対に意見してはいけない。少なくとも、求められない限りは。
 寒くもないのに悪寒が走る。あの時のミーアの笑顔は怖かった……

「シン?」

 遠くに飛ばしていた意識を傍に戻す。ミーアを見ながら首を横に振った。
 数か月前とは逆だ。あの頃は、就職活動が上手くいかない俺をミーアが励ましてくれていた。だから今度は俺の番だ。
「それでも、歌い続けるんだろ? ミーアは」
 ミーアの歌への想いは、地上への想いと共に沢山聞いた。きっとミーアは、立ち止まる事はあっても、諦める事はないはずだ。そう思わせるだけの想いが、ミーアの歌には込められている。
 俺がそう言うと、ミーアは驚いたように目を丸め、嬉しそうに微笑んだ。
「当然よ! 歌は私の命。私という存在に課せられた運命だもの!!」
 晴れやかなその表情に、俺も目を細める。どんなことにもへこたれないしなやかな強さは、ミーアの美点だと思う。
「よし! なんだかやる気が出てきた!! そう言えば、シンの方はどうなの? 前に言ってた"レイ"って子以外とは仲良くなれたの?」
 レイのことは、前にミーアに会った時に話していた。同室になった自慢の友達でライバル、と紹介した。
「当然。つい最近、1年間を一緒に行動する班が決まったんだ。チームメイトのみんな、面白い奴らばかりでさ」
 ヨウラン、ヴィーノ、メイリン、ルナマリア。まずは誰の事から話そうか、と思い悩む。
 守秘義務。何を話して、何を閉ざすか。吟味しながら、俺は口を開いた。
 やはり、まず一番に言わなければならないのはこれだろう。

「レイと同じ班になれたんだ」

 気の置けない友達と一緒の班になれた喜びこそ、第一に報告すべきだろう。


*


「それで明日、みんなでレイが教えてくれた生鮮食料品店に行くことになったんだ」
 当たり障りのない範囲でみんなの事を話したあと、俺は明日の予定を思い起こした。
 ノルンの名前が決まった後、俺達は暫く他愛のない話を交わしていた。
 発端は、ヴィーノが、俺とレイが模擬戦の時に賭けを思い出した事だった。
 俺が勝ったら、レイがタカマガハラから輸入された食品の購入を援助するという他愛のない賭け。
 タカマガハラは東アジア共和国日本自治区が誇る、宇宙空間での食糧生産に特化したプラント郡のことだ。あそこでは野菜などの農産物は勿論、鳥や牛などの牧畜、果てはサンマやマグロといった海産物まで生産されている。宇宙には国家としてのプラントは勿論、地上の各国が所有するプラントが存在しているが、恐らくタカマガハラで生産された食料品を輸入していないところはないだろう。"宇宙の食料庫"は伊達ではないのだ。
「生鮮食料品店かぁ…… 一人になった頃は、配給日前に食材使い切って、良く行ってたけ」
 勿論、今はそんなことないのよ。そう、ミーアは付け加えた。
 教練校も士官学校も食堂があった。そのために俺は、プラントの一般家庭の生活に触れることなく現在に至っている。ヨウランやヴィーノ、メイリンやルナマリア達が当たり前のように交わす会話の端々に存在する"よくわからない部分"は、それに起因するのだろう。少し気になる。
「なぁ、配給ってどんな感じなんだ?」
 どこそこの会社が担当している配給品は美味しいとか、家族が増えて配給品の質が変わっただとか、なんとなく分かる部分もあるのだが、やはりよくわからない。プラントの食品は配給で全家庭にいきわたらせているみたいだけれど、いったいどんなシステムで行われているのだろう。そういえば、食堂ではパンやじゃがいもをよく見かけた。主食なのだろうか。
「どんなって聞かれても…… うーん…… 比べようがないわよ。ここの生活しかしらないもの」
 聞き方が悪かったようだ。ミーアは配給品の味や質の事を尋ねられたと思ったらしい。
 確かにそれは、プラントで生まれ育ったミーアが比較できるようなことではないのかもしれない。日本、オーブ、プラントと渡り歩いている俺の方こそが特異なのだ。
「えーと、食材の質とかそういうのじゃなくて、こう…… 主食とか……」
 とりあえず、プラントの主食について尋ねてみることにした。
 食堂のメニューを思い返すと、パンやジャガイモ、フレークが目に付いた。やはりその辺りが主食なのだろうか。
「しゅしょく?」
 しかし、ミーアは首を傾げ、不思議そうにする。どうも"主食"の意味がよくわかっていないらしい。
 "主食"という概念そのものがないような感じの反応をされたため、言葉に詰まった俺はやけくそになって聞いた。
「ほら、お米とか、パンとかじゃがいもとか…… あー、もう。普段どんな感じの料理作って食べてるんだ?」
 俺は料理に関して専門的な事まで知っているわけではない。
 公用語としての英語を幼い頃から叩き込まれ使っているが、母国語はなんだかんだで日本語だ。日本語の"主食"にあたる言葉が咄嗟に思い浮かばなかったための苦肉の策だった。
「お肉やお魚を中心に焼いたり煮たり…… あ、野菜もしっかりとってるわよ。シンが言ってるパンとかジャガイモも 食べてはいるけどメインって訳じゃないわね。お肉やお魚、野菜だけだと足りないから添えてる感じかしら」
 俺の苦肉の策は功を奏して、なんとか言いたいことが伝わったようだった。
 どうやらプラントには、日本で言う主食はないらしい。日本のおかずに当たる肉や魚がメインで、パンなどはつけあわせのようだ。言葉って難しい。

「お米はあんまり買わないけど、私はサラダにするのが好きよ」
「サラ……ッ」

 ミーアの不意打ちに思わず絶句する。
 お米をサラダにする?あのお茶碗に盛られた白いごはんがサラダになるなんて想像もつかない。
 それにサラダということはきっと、そのごはんも冷めてるはずだ。冷たいごはんをサラダにするなんて……
 冷めたご飯に、ドレッシングをかける所まで想像して、俺はそれ以上の思考を放棄した。
 プラントは恐ろしい所だ……

 驚愕のあまりに、俺は思わず天井を仰ぐ。
 先程とは違い、いつもは青空と少しの雲を映す天井が今は暗い雲を映し出している。よくよく見れば、照明も一段暗くなっていた。
「雨…… 降るのか?」
 地上で見た雨前の空模様と似ている気がして、思わず声に出してしまう。
 隣のミーアも空を見上げた。
「あら? そろそろ雨の時間ね」
 あっけらかんとしたミーアの言葉に違和感を感じ、俺は周囲を見回した。
 どうやら、あの天井模様が雨の合図らしい。人工降雨とは聞いていたが、ここまでするのかと思うものの、あの雨の前特有のしめった感じや風を感じない。
 違和感の理由はこれか、と一人納得しつつ、俺は再び空を見上げた。灰色の雲がもやもやと広がっている。
「この雲の映像だと、雨が降り始めるまであと10分ってところかしら」
 そう言うと、ミーアは鞄から折りたたみ傘を取り出そうとした。それをぼんやりと眺めながら、ふと、俺は思いつく。
「あのさ、ミーア」
 俺が座るベンチから丁度、この公園の為に設けられた休憩所が見えていた。少し、ミーアに俺の気紛れに付き合って もらおう。

「雨宿り、していかないか」


*


 休憩所の屋根を叩く小さな水音。
 かすかに香る土の匂い。

 雨が降る。

 少し鼻につくのは、恐らくこの人工降水に含まれている薬品の匂いだろう。
 目を閉じ、耳を雨音に傾ける。

 思い出すのは、父さんと山に登った時のことだった。
 あれは今より少し後の季節だったような気がする。

 急に変わった天気。むせ返る様な土の香り。休憩所での雨宿り。雨音は激しく、雷まで鳴って、そして――

「もうっ! 信じられない!」

 ミーアの言葉に、俺は目を開いた。
「雨が降るのはわかっているのに、傘を持ってこないだなんて!」
「そういう気分だったんだよ」
 ぷりぷりと怒るミーアに、俺はそう返した。
 理解できない、と、憮然とした表情をするミーアを放って、俺は再び目を閉じる。

 雨音が聞こえる。地上の雨と同じようで違う雨音が。

 プラントの雨に遭遇するのは、実はこれが初めてではない。教練校時代にも何度か雨が降る日があった。
 ただ残念な事に、その時間帯は大抵校内で講義を受けていた為、プラントの雨を直接目にしたのは今回が初めてだ。
 計画降水なんて銘打っているけれど、初めにこの方法での浄化を思いついた人はきっと、プラントに雨を再現しようとしたのだろう。
「なんで自然を再現しようとしたんだろう……」
 ぽつりと零れた言葉は静かに俺の中に漣を起こした。
 紅葉。桜。雨。プラントには沢山の人の手で造られた自然が溢れている。
 何から何まで人の手で造られたプラント。一体どういう意図があって、ここの人は季節の、天候の再現をしているのだろうか。
 わざわざ天井に巨大なモニターを敷き詰め、"空"を造り、太陽を映し、天候を、移り変わる季節を再現して。ずっと過ごしやすい環境に設定し続ければ、手間もかからず楽だろうに。
「だって、緑がないとさびしいじゃない」
 俺が呟いた言葉を拾い上げ、ミーアが言い切る。
 目を開けて、俺は周囲を見回した。
 確かに緑の木々がなければ、プラントの景観は味気ないものになるだろう。でも、街路樹などの植物はともかく、この空気清浄化のための雨や空気循環の為の風を、自然と呼んでいいものなのだろうか。
 目に映る事象はよく似ていても、何かが、そう、何かが違う。

「そうか…… "音"が少ないのか」

 雨の音は聞こえても、雨粒が葉を、屋根を打つ音は聞こえても、風の音が聞こえない。
 カエルの鳴き声、遠雷。思い返せば地上は、沢山の"音"で溢れていた。
 遠くに聞こえる車のエンジン音。水たまりをはねる音。地上にもプラントにもあるけれど、何かが違う。
「"音"が少ない? どういうこと?」
 "音"―― 音楽、歌に関する事なので、ミーアが目を輝かせて尋ねて来る。
「上手く言えないけど、地上の雨にはもっと色々な"音"があるんだよ。風の吹く音、カエルの鳴き声、遠雷。パッと思いつくのでこれくらいかな……」
 まぁ、聞こえない時もあるんだけど。そう付け加えると、ミーアは眉を寄せた。
「"カエル"って、なに?」
「え?」
 まさかの問いに、思わず呆然としてしまう。
 だが、反面やはりとも思ってしまった。
 よくよく考えれば、ミーアがカエルを知らない可能性も予想できたのだ。
 プラントは地上と違って、宇宙にある閉鎖された空間だ。いくらコーディネイターが病気にかかりにくいとはいえ、突然変異した新しい病気が誕生したらその限りではないだろう。質の悪い伝染病が蔓延した時、プラントには逃げ場がない。だからこそ、常日頃の検疫や空気循環、洗浄に気を使っているのだろう。
 虫や動物が病気の媒介することは有名な話だ。制御する事の出来ない虫や動物を生活空間に放つのは、あまりにもリスクが高すぎる。
 そういえば、町中ではペットロボショップは見かけても、ペットショップは見かけなかった。もしかしてプラントは、一般家庭が動物を飼うことを規制しているのだろうか。
「本とかで見た事ないか? 緑色で、目が大きくて、きょろきょろしてて、ケロケロ鳴くやつ」
「わかんないわよ」
 憮然と言うミーアに、俺はどう説明しようかと考えを巡らせる。
「ほら、あれだよ…… "カエルのうた"。童謡なんだけど、聞いた事ないか?」
「ない!」
 うっかり出してしまった"歌"のタイトルに、しまったと俺は後悔した。見やれば、案の定、ミーアの瞳はキラキラと輝いている。
「ねぇ、どんな歌なの!? 聞かせて!!」
 やってしまった……
 これまで、どんな歌でもいいから地上の歌を歌って欲しいと頼まれることもあったが、俺は頑なにそれを拒んで来た。拒んだからこそ、せめて旋律だけでもとギターを弾かされたのだ。結果は初めて弾くギターということもあって、大惨事になったが…
 しかし俺は今回、自分から曲名を出してしまった。この流れだと逃げられない。
 本当に頭を抱えてうなだれる俺に、ミーアは早く早くと急かしてくる。
 もうどうにでもなれ、と俺は口を開いた。

*

 雨音やまぬ公園に、俺の歌声が静かに広がる。
 軽快で楽しげな歌だから、俺もそのつもりで歌っている筈なのに、耳に入るのは平坦で面白味もない声だ。普段全く意識していないけれど、こんな所で病気の片鱗を見つけてしまうとは……とても他人に聞かせられるような歌声ではない。
 ましてや、ミーアはプロを目指す歌手の卵だ。耳は肥えているだろう。
 穴があったら入りたい。恥ずかしくて消えてしまいそうだ。
 そう思いつつ、俺はひたすら口を動かす。
 三度同じように歌を繰り返した時だった。同じフレーズを繰り返されていることに気づいたミーアが、俺に歌声を合わせてきた。何の変哲もない"カエルのうた"なのに、ミーアが歌うとどこかやわらかく聞こえる。
 ミーアが一度歌い終え、もう一度歌い始めるのを聞き届けると、俺はわざと1小節分置いて輪唱を開始する。少し驚いたようにミーアの歌声が揺れるも、すぐに持ち直して歌い続ける。
 俺の脳裏には、かつて地上で聞いたあのなんとも言えない鳴き声の大合唱がよぎる。
 ああ、なつかしいな。
 そんなことを思いながら、俺は歌い続けた。

*

「もう、いいか……?」
「とっても楽しかったわ!!」

 満足そうに笑うミーアを見て、俺は乾いた笑い声めいたものをもらす。
 何度も輪唱を繰り返した後、ミーアはようやく満足してくれた。
 よかった…… 俺はなんだかとっても疲れたよ……
「でも不思議ね。生き物の鳴き声から歌が生まれるなんて……」
 そう言うと、ミーアは腕を組んで考え込む。
「ねぇ、シン。地上にはそんなに"音"があるの?」
 その問いに、俺はミーアを見る。
 どこか、遠くを見る様に眉を寄せ、ミーアは考え込んでいた。
 俺に投げかけられた問い。でも、それは本当に俺だけに向けられた問いなのだろうか。
「母さんが言ってたわ。空が、大地が歌う歌を、私と聞きたかったって」
 空が、大地が歌う歌――
 目を閉じ、地上にいた頃に見聞きした風景を思い起こす。
 "音"、"歌"。
 溢れていたのかもしれない。
 人が作る音。自然が奏でる音。
 それら全てが混在し、歌っている様に聞こえる事もあれば、雑音の様に聞こえる事もある。
 音の氾濫――
 でも、何故、ミーアのお母さんは、ミーアにそんなことを言ったのだろうか。 
 ふと、ミーアの歌を思い出す。
 傷ついた人に寄り添うような優しい歌。耳に心地よく、胸に染み渡るような歌。
 こうしてミーアのお母さんの言葉の真意を考えながら思い返すと、ミーアの歌の中に、ほんの僅かにだが感じる小さな違和感に気づく。
 本当に小さな齟齬。その原因。”空が、大地が歌う歌”。唐突に、俺は気づいた。ああ、だから。

「だから、ミーアのお母さんは、ミーアと一緒に地上に行きたいって言ったのか」

 風、水、光。
 それらをモチーフにした、ミーアが好んで使う言い回し。傷ついた心に寄り添うように、やさしくに歌われているのに、どこかうつろで、何かが足りない。
 それはきっと、ミーアが本物の自然に触れたことがないからだ。
「え? なに? 急にどうしたの??」
 戸惑うミーアを宥める様に俺は言った。
「ミーアはいつか、地上に降りるつもりなんだよな?」
「え、ええ」
 俺は頷き、言葉を続ける。
「俺が直接案内したいけど、軍人になるからそれもむずかしそうだから、さ」
 言葉を切る。どう言えば、ミーアに俺の言いたいことが伝わるだろうか。

 幼馴染の家族と行った花見。
 宴席のざわめきと鶯の鳴き声。舞い散る桃色の花弁。
 あの春の日の喧騒を覚えている。

 家族全員でのキャンプ。
 木々のざわめき、虫の鳴き声。見上げた夜空。
 あの夏の夜の静けさを覚えている。

 栗拾い。
 紅葉は鮮やか、揺らめく黄金。流れ行く紅葉模様の錦。
 あの秋の川のせせらぎを覚えている。

 雪遊び。
 雪合戦、そり、スキー、雪だるま、かまくら。しんしんと降る雪。
 踏みしめた雪の音の儚さを覚えている。

 "音"と共に思い出される大切な記憶。家族との思い出。

 ああ、僕の世界はあんなにも。
 "音"で溢れていたのか。
 痛みと喪失感が胸を刺す。

 俺にはもう聞こえない愛しい"音"達。
 どうすればミーアに、僕が聞いた音を伝えられるだろうか。いや、俺にはきっと、その1%も伝えられないだろう。

「大地に身を任せて、目を閉じて、心を開いて、耳を澄ませてみるといい。きっとミーアのお母さんが言う、"空と大地が歌う歌"―― 星の歌声が聞こえるはずだから」

 だからこそ、俺も、ミーアのお母さんも、ミーアに聞いてほしいと願うのだろう。
 あの丸い大地の中で謳われる歌を。美しい音も、醜い音も、何もかもが互いに重なり合い奏でる壮大な讃歌を。
「今はわからなくてもいい。地上に降りたときに試してほしい」
 とても曖昧で、白か黒、はっきりしたがるプラントの人達には意味がよくわからないかもしれない。けれど、ミーアなら、地上から来た人の薫陶を受けたミーアならきっと、ナニか感じてくれるはずだ。
 だって本物を知らなくてもあんなにも、ミーアの歌は風を、光を、水を、心を謳っているのだから。
 なんとか、俺の言いたかった事は伝わったらしい。ミーアは神妙な顔をして頷いてくれた。
「わかったわ。それにしても不思議ね。母さんも…… シンも。地上の人はみんなそうなのかしら?」
 心底不思議そうに言うミーアに、俺は首を横に振った。
「いや。地上の人間でも、感性豊かな人、感受性が強い人ぐらいだと思う」
 残念ながら俺はそこまで繊細じゃない。ずぶとくなければきっと、オーブでもらった善意を貰えるだけ貰って、何も返さずにプラントに渡る事なんてできないだろう。
 一瞬よぎった人のよさそうなトダカさんの顔を払う様に、俺は目を閉じた。
 瞼の裏に広がる暗闇。耳を澄ませば、雨音が響く。地上の雨と違い、どこか規則正しく聞こえる音。まるで、楽器が楽譜通り正確に音を奏でているかの様に。
「ふしぎ…… こうして注意して耳を傾けてみると確かに歌ってるみたい。いつもはそんなこと、全然思わないのに」
 そんな呟きが聞こえて来る。小さく傘の先でリズムをとりはじめ、口ずさむように旋律が途切れ途切れに聞こえてくる。それはやがて雨宿りと待ち人を想う歌になった。
 優しい歌が雨音ともに広がってゆく。
 その歌声に、俺は耳を傾けた。優しい歌声だけれど、やはりどこか物足りない。気づいてしまえば、どうしてもそこが気になってしまう。
 だからこそ俺は想いを馳せる。地上に降りたミーアは、本物の自然に触れて何を感じるだろうか。何を想うのだろうか。出来ることならば、ミーアが地上に降りて初めて紡いだ歌を聞くのが俺であればいい。
 そんなことを想いながら、俺とミーアの時間は、ただ静かに過ぎていった。

*

 雨もやみ、ちょうど時間が時間だったこともあり、俺とミーアはそれぞれの帰路に着いた。
 ミーアは先程作った曲を書き起こすのだと息巻き、急ぎ足で帰っていく。その背を見送りながら、俺はポケットに収まっているノルンに話しかける。
「で? どうだった?」
「"どう、とは?"」
 ノルンにはずっと、俺とミーアの会話を聞かせていた。
 初めて接したであろう外の世界。ノルンは一体何を感じたのだろうか。
「なんでもいいからさ。見たり聞いたりして考えたこと教えてくれよ」
 俺がそう言うと、暫く考え込むような沈黙の後にノルンは言った。

「"やはり、雨が予定されているにも関わらず、傘を持たずに外出したのはおかしな行為なのだと……"」

 その発言に思わず吹き出しそうになる。
 ノルンは俺の気まぐれをずっと気にかけていたのか。
 その後もノルンは、プラントの街中で見かけたお店の情報や街路樹の種類などを列挙していった。お菓子屋の情報もあったので、おすすめの品を尋ねてみると、どうやらスコーンが美味しいらしい。紅茶と合わせて、帰り道に買って帰ろう。
「"以上になります。そしてあとは……"」
 一通り俺に伝え終えた後、ノルンは言い淀むかのように言葉を切る。
 俺にはなんとなく、ノルンがその後に続けようとしていることが分かった。
「ミーアに会ったのはどうだった?」
 ミーアはノルンが初めて接した、軍関係者ではない一般人だ。
 守るべき対象。ノルンはミーアと接して何を想ったのだろうか。
「"……"」
 沈黙。
 思い悩んでいるのだろう。俺はひたすら、ノルンの返答を待った。
「"解析できませんでした……"」
 暫しの思考の末に発されたノルンの言葉は、俺の耳にはどこか戸惑っているかのように聞こえた。
 俺は静かにノルンの言葉に耳を傾ける。
「"先程、シンとミーア様が行われていたのが、""歌う"という行為であることは検索できました。また、お二方が輪唱された歌が、"カエルのうた"という曲名の歌だというのも、すぐに判明しました。しかし、その後ミーア様が歌っていた2曲目は、私がアクセスを許可されているどのデータベースにも該当がありませんでした"」
 ん? と、俺は首を傾げた。
 てっきり、ノルンはミーアの身体的特徴だとか、声の帯域だとか、そういう方面からの考えを報告するのではないかと思っていた。しかし、俺の予想を裏切り、ノルンは俺とミーアの行動―― 特にミーアの"歌う"という行動を気にかけている。
「"ミーア様が歌っていた歌はいかなるデータベースにも登録されていませんでした。あの歌はいったい、どこのデータベースに登録された歌なのですか?"」
 ヨウランはとれるだけの許可を得て、ノルンに様々なデータベースのアクセス権を与えている。その中には恐らく、楽曲などを取り扱うデータベースも存在したのだろう。少なくとも、プラントで作られた歌は全て登録されていそうだ。
 その中に存在しない歌。
 それはノルンにとって、自分の知識の中にない不可思議な存在であり、補完の対象となった。そういうことなのだろう。
 さて、どう答えれば、ノルンに色々と考えさせる事が出来るだろうか。
「どこにも登録されていないよ。あの歌は今日、ついさっき、ミーアが自分で作った歌なんだから」
 いい言葉が見つからず、俺はありのままにノルンに事実を伝える事にした。
「"作る? "作曲"ですか? 意味は分かりますが、なぜ、あのような歌が創作されたのか理解できません"」
「雨音を聞いたからじゃないかな」
 特に何も考えずに答えれば、ノルンが少しむっとしたように言った。
「"録音した雨音の拍子や本日の降水アルゴリズムを解析しても、先程ミーア様が歌われていたようなリズム、単語は発見されませんでした"」
 やはり、ノルンの中では様々な解析が行われていたらしい。
「"一体、ミーア様はどこからあの歌を探してきたのでしょうか?"」
 どこかしみじみと、心底不思議に思っているかのように聞こえる声。
「そうだな……」
 ノルンが持った疑問に、俺はなんて返せばいいのだろうか。
「きっと、もっとノルンが人間のことを知って、仲良くなって、成長していけば、自分の歌を歌えるようになるんじゃないかな」
 ヨウランが言っていた事を思い出す。
 ある程度のデータが溜まれば、モビルスーツの独自改善案を提案できるようになる――
 今は出来ないけれど――
 そんな事が最終的にできるようになるのがノルンだ。きっと歌ぐらいすぐに歌える様になるだろう。
「"私の歌?"」
 きょとんとした幼い少女の顔が見えた気がした。
 それが微笑ましくて、俺はノルンのいる端末を取り出し、彼女の<目>であるカメラレンズを自分に向ける。
「そう。さっきのはミーアの歌。ミーアだけにしか紡げない、歌えない歌だ」
 俺は静かにノルンへ語りかける。

 ミーアの歌を別の誰かが歌っても、それは誰かの歌であって、ミーアの歌ではない。
 一卵性の双子が見た目はよく似ていても、歩む人生はそれぞれだけのもの。
 全く同じものなんて存在しない。全ての生命―― 存在はたった一つしか存在しない尊いもの。
 代替なんてない大切な"いのち"。俺も、ミーアも、ノルンも。

「だからノルンも、ノルンにしか歌えない歌が歌えるようになるといいな」

 最後にそう締めくくる。
 言葉というものは難しい。俺なりにわかりやすく言ったつもりでも、本当に俺が思ったように伝わっているかはわからない。けれど、言葉にしなくては伝わらない。しかし、どんなに言葉に尽くしても伝えきれない。
 ましてやノルンは"生まれた"ばかり。これからどんどん、色々なことを知っていかなければいけない。
 それはきっと、"僕"でなくなった"俺"も同じなのだろう。俺もノルンも、まだまだ勉強しなければならないことがたくさんある。

「"つまり、どういうことなのですか?"」

 手の中にある小さな端末。
 雨上がりの空気は清澄で、明かりは穏やかに降り注ぐ。
 俺を見る<目>は無機質な集まりでしかないはずなのに、困惑の光がきらりと輝いている気がする。
 途方にくれたように聞こえるその言葉に、俺は精一杯の笑顔を浮かべて返せているだろうか。

「ノルンはこれからも、俺の合理的でない行動に付き合わされるってこと」

 "はぁ……" と聞こえた声は、呆れなのか困惑なのか。
 きっと、ノルンに溜め息をつかせたのは俺が初めてだろう。
 そう思うとおかしくて、俺は端末を宙に放り投げて受けとめた。



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